「チェアマン続投」に思うこと。

 Jリーグの村井満チェアマンの再任が内定したという。
 それ自体の是非は今は問わない。ここで書きたいのは別のことだ。

 私はこのニュースを朝日新聞の紙面で知った。次の記事だ。

Jチェアマン 村井氏続投へ サッカー

 Jリーグは2日、役員候補者選考委員会を開き、3月に任期が切れる村井満チェアマン(56)の続投を決めた。3日にある臨時理事会をへて内定、3月の総会と新理事会で正式に再任が決まり、2期目(1期2年)に入る。(以下略)>
 
 気になったのは、見出しにもある<続投>という表現だ。
 あまりにも日本語に浸透しすぎて今さら意識することもない人が多いと思うが、これはもともとは野球から来た言葉である。例えばYahoo辞書でこの言葉をひくと、大辞林第三版の、こういう解説などが見つかるはずだ。
<①野球で,投手が交代せずに引き続いて投球すること。
②転じて,任期を終わろうとしている者が,辞任せず引き続き任にあたること。 「今度の事件で首相のーーの目はなくなった」>
 
 一般的な日本語では「再任」とか「留任」という言葉で表現される事態を表すわけだが、野球で「続投」という言葉が使われる典型的なケースは、投手が走者を出してピンチを招き、ベンチから投手コーチがマウンドに行って何やら話し合いが行われたけれど、交代せずに投げ続ける、というような状況である。単に次のイニングも引き続き投げるというだけでなく、交代も考えられるけどやっぱり続けることにした、というニュアンスが付与されているので、比喩として用いるにはなかなか味わい深い。
 
 だから、政治家や企業人など別の世界の人事に対して比喩として用いられることには何の違和感も持たないのだが、サッカーとなるとスポーツどうし。わざわざ別の競技から引っ張ってこなくてもいいんじゃないかな、という印象がある。だいぶ前にも誰かとそんな議論になり、じゃあ「続蹴」がいいのか、などという話も出たが、そんなサッカー用語はない。わざわざ意味のよくわからない造語を使うのも妙な話で、なんとなく結論が出ないままに終わった。
(球技ライターの党首こと大島和人さんは「契約続行」の略語として「契続」を使おうと提唱している。「ケイゾク」とカタカナにすると何か禍々しい未来が待っていそうでもあるが)。

 記事が掲載された日の夕方、朝日新聞のサッカーを専門とするベテラン記者がツイッターでこの記事を紹介していたので、つい<サッカーの記事で「続投」はやめませんか?>などと@ツイートをしてしまった。返事はなかったもののリツイートされたので、それに対するコメントが彼のタイムラインにいくつか見られた。
  <(サッカーファンは細かいなー)>という書き込みもあった。これを書いた人は21歳だそうなので、まあ知らなくても無理はない。彼が生まれる前のことだから。
 
 チェアマン、という言葉で英和辞典を引けば、議長、座長、司会者、委員長、会長、頭取といった訳語が並ぶ。だから、肩書きを英訳すればチェアマンと呼ばれることになる日本人は少なくないはずだ。
 だが、日本国内でカタカナの「チェアマン」という肩書きを名乗り、ほぼ全国に知られた人物は、川淵三郎の前にはいなかった。Jリーグの初代チェアマンである。
 この耳慣れない呼称を、川淵はあえて選んだ。それだけではない。Jリーグは、さまざまな耳慣れない言葉とともにスタートした。スタンドを埋める人々は「ファン」ではなく「サポーター」。クラブの本拠地は「フランチャイズ」ではなく「ホームタウン」。そして、「会長」や「コミッショナー」ではなく「チェアマン」。
 競技スペースを「ピッチ」と呼ぶのはもともとのサッカー用語だが、上記の3つはJリーグが独自に定めた言葉といってよい。川淵は、日本のプロ団体スポーツの先行者で成功例である野球との差異を強調するために、あえて新しい言葉を用いた。
(孫引きになるが、たとえばこういうところに当人たちの証言が紹介されている)
 新しい言葉が、Jリーグというものの新しさを、より印象づけた。それが1993年だった。
 
 そんな経緯を記憶している者にとっては、まさにその川淵三郎の数代後の後継者の人事を伝える記事に、無造作に野球用語が使われているのは驚きだった。当時の状況を私などよりずっと熟知しているであろうベテラン記者が、その言葉を使っていることにも驚いたのだった。
 
 ツイッターでは「続投」に肯定的な書き込みも散見された。 「再任」では微妙なニュアンスが伝わらないという意見もあった。
 ただし、検索してみると、このニュースを伝える新聞の多くは「再任」という表現を使っている。ネットで検索して確認できた範囲では、読売、毎日、報知、スポニチ、日刊スポーツが「再任」を使っていた。朝日と時事通信は「続投」だ。「やっぱり野球がサッカーより上だ」、あるいは、「もはや言葉にこだわる必要もないほどサッカーが定着した」などと朝日新聞が判断したのかどうか、私にはわからない。単に言葉に無頓着なだけかもしれない。
 
 野球用語には、このように一般社会で比喩的に使われる言葉が多い。
 昨今相次いでいるニュースキャスターの交代においても、岸井氏もフルダチも国谷さんも、伝える記事の多くは「降板」と表現している。「登板」も同じように使われる。「代打」「空振り」「外野」などもよく耳にする。
 
 このように言葉が一般化しているスポーツは、他に相撲くらいしか見当たらない(「寄り切る」「仕切り直し」「徳俵に足が掛かる」等々)。もともと日本発祥で、昔からあり、人々の生活に根を下ろしてきた相撲と比較可能なほど、野球の言葉が土着化しているというのは驚くべきことだ。そもそも、これほど競技用語が日本語化されている西洋発祥のスポーツが他にあるだろうか。
 
 昨年、女子サッカーやラグビーで「ブームから文化にしたい」という代表選手の言葉が話題になった。どうなったら文化になったと言えるのか、という問いも議論になった。このように「用語が一般社会で比喩として用いられ、出自が忘れられるほど定着する」という現象は、そのスポーツが文化となったことを示すひとつの指標といえるかもしれない。

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続・公式戦を引退試合にするのは、あまり感心しない場合もある。

 10月7日に、山本昌が最後の登板を果たした。ナゴヤドームではなく広島で。展開次第では出番を作るのが難しくなると判断したのか、「打者1人限定の先発」である。結果は1番打者の丸をニゴロに仕留め、「史上初の50歳登板」は幕を閉じた。
 広島は、試合前にスクリーンに山本昌の足跡をまとめた映像を流し、降板に際しては新井から花束を贈ったという。手厚いおもてなしである。
 
 一方でこの試合は広島にとっての今季最終戦。「勝てばCS」という大きなものがかかっていた。MLBからの黒田復帰で膨れ上がった優勝への期待に背いて低迷した今季、雪辱を果たす最後のチャンスだった。
 だが、山本昌が降板した後も打線はふるわず、5位の中日に完封負けを喫して、希望は潰えた。
 もし前田がこのオフにMLBに旅立てば、今季は前田と黒田が二本柱として並び立つ最初で最後のシーズンだったことになる。前田が抜けたカープが、その穴を即座に埋めることは難しい。黒田も今年は活躍したものの、突然成績が落ちることが起こりうる年齢ではある。
 そう考えると、カープにとってこの試合は、何としても勝たなければならないはずだった。

 山本の「サヨナラ登板」が、勝敗の帰趨に影響したかどうかはわからない。ただ、もし私が広島カープの選手であったなら、試合前の映像や試合中のセレモニーを見て、「ウチの球団、こんな大事な時に何やってんだろうな」と鼻白んだかもしれない。広島は10/2の中日戦でも、選手としての引退を表明した谷繁に対し、試合前に記念の映像を流し、ベイスターズ時代の同僚である石井琢朗コーチから花束を贈呈したという。ずいぶんと手厚いおもてなしである。
 (最終戦の翌日、広島は東出の引退を発表した。生え抜きの主力選手だった彼には、シーズン最終戦でファンの前で挨拶する機会は与えられなかった)
  
 今年の野球界は有力選手の引退ラッシュだ。オリックスの谷、西武の西口、楽天の斎藤隆、DeNAの高橋尚成、阪神の関本。中日は特に多く、山本昌、谷繁のほか、和田と小笠原も引退だ。
 シーズンを通して低迷し、早々にCS進出の望みがなくなったこともあってか、中日は4選手それぞれ別の日に「最後の出場」と、セレモニーの機会を設けた。しかも谷繁は古巣・横浜スタジアム、山本昌は前述の通り広島だ。
 私にとっては、皆、売り出した時から見てきた選手だから、引退となれば感慨もあるし、最後の勇姿を映像で見れば、じいんと来るものもある。それでも、この中日球団の振る舞いは、やりすぎと感じる。
 
 以前から、引退の決まっている選手を公式戦にサヨナラ出場させて「引退試合」と呼ぶ風潮には違和感を抱いている。このブログで反対意見を書いたエントリをアップしたのは、2007年のことだった(このエントリのタイトルに「続」とついているのは、そういうわけだ)。
 それから8年経って、風潮は衰えるどころか、ますます盛んになっている。
 
 折しもプロ野球界では、ジャイアンツの福田聡志投手が野球賭博に関わったことが発覚し、大問題となっている。この種の教育についてはしっかりしている球団だと思っていたので、報道に接した時には強いショックを受けた。残念で、悔しくて、忌々しい。

 野球協約では、野球賭博で自身が所属する球団に賭けた者は永久資格停止(いわゆる永久追放)、野球賭博をしたり、その常習者と交際した者は1年または無期の資格停止、という厳しい罰則を定めている。

 プロ野球の選手や指導者が野球賭博に関わることが、なぜ許されないのか。
 賭博自体が犯罪である。また、それが反社会的組織の資金源になることも好ましくない。が、それだけなら一般人も同じだ。
 プロ野球選手が特に許されない理由は、賭博が八百長につながる可能性があるからだ。賭博に携わる人々が、自身に有利な結果を求めて、チームや選手を思い通りに動かそうとする可能性がある。
 八百長は、英語でMatch fixingという。あらかじめ勝敗を決めてしまう、という意味だろう。NPBがファンに提供する商品は、どちらが勝つか判らない真剣勝負である。Match fixingが行われると、それがたとえ特定の1試合だけであったとしても、他の試合についても勝負の真剣さが疑われ、プロ野球全体の商品価値が著しく損なわれてしまう。
 
 八百長が行われた試合でも、160キロの剛速球や飛距離150メートルの本塁打を見ることはできるかもしれない。ひとつひとつのプレーの質は、物理的には他の試合と変わらないかもしれない。
 だが、例えばシーズンオフに行われる日米野球では、目を見張るようなプレーをたびたび見ることはできても、心臓を鷲掴みにされるような緊張や興奮、感動を味わうことはない。両チームの選手たちが勝利を目指して懸命に戦う姿があればこそ、ファンは試合に熱中し、情緒を揺り動かされる。

 ラグビーW杯イングランド大会で、日本が南アフリカに勝った試合を見て、ハリー・ポッターシリーズの作家、J・K・ローリングは「こんなの書けない」とツイッターに書いたという。
 細かく言えば、彼女はこういう物語を書くことはできる。だが、一流の作家が技巧と情熱を尽くして同じ物語を書いたとしても、読者にあの試合と同じ感動を与えることは、ほぼ不可能だろうと思う。それはまさに、小説では試合結果を作家がfixせざるを得ないからだ。どうなるかわからないものを同時進行で見ているからこそ、その結果に観客は興奮し、感動する。
 
 そういう大前提を踏まえた上で考えれば、すでに引退を表明した選手、とりわけ、シーズン中に実力で一軍に上がることができなかったり、故障ですでにトップレベルのプレーができないとわかっている選手を試合に出し、さらに試合を中断して花束贈呈などのセレモニーを行うことは、手放しで称賛するようなことではない、と私は思う。試合の前や後でセレモニーを実施するだけならともかく、それが試合そのものに侵入するというのは、好ましいことではない。
 
 だから、福田の野球賭博関与が発覚し、それを厳しい論調で批判していたメディアが、その2日後には山本昌の最終登板を無批判かつ感傷的に伝えていることが、私には奇異に感じられる。この人たちは、選手が野球賭博をすることがなぜいけないのかを、真剣に考えているのだろうかという疑問さえ抱いてしまう。

 これが、上位進出の可能性も潰え、もはや真剣勝負としての価値にも乏しい消化試合であれば、そんな試合にも足を運んでくれるファンのためのサービスにもなるし、あまり目くじらを立てなくてもよいかもしれない(ただし、個人タイトルの帰趨に直接影響するような場面での登場は避けるべきだろう)。
 だが、CSの導入によって、その種の消化試合は著しく減った。ホームチームの最下位が確定していても、対戦相手には懸かるものがある、というケースが頻繁にある。そもそも、消化試合を減らし、シーズン終盤まで真剣勝負を増やし、観客の興味を引きつけることが導入の目的だったのだから、当然である。
 だから、今のプロ野球では、引退選手のサヨナラ出場は、なかなか難しいはずなのだ。それでも無理に出場させようとすると、今回の山本昌のようなことになる。
(もし「史上初の50歳登板」という記録を作らせることも目的だったのだとしたら、そんなやり方は記録に対する冒涜でもある。宇佐美徹也さんが存命だったら、激怒されたのではなかろうか)

 引退試合はオフのファン感謝デーか翌年のオープン戦でやればよいではないか。公式戦でファンに最後の挨拶を、というのであれば試合後にセレモニーをすればよい。無理に公式戦に出場させることはない。
 だいぶ前のことだが、ヤクルトの鈴木健が最終打席で三塁側に打ち上げたファウルフライを村田修一が(十分取れる位置にいたにもかかわらず)捕球しなかったことが、美談のように伝えられた。今年も楽天の斎藤隆の最終登板で、細川は明らかなボール球を振って三振した。
 村田はその後、広島の佐々岡の最終登板で本塁打を打ち*、観客から「空気の読めない奴」と冷たい視線を浴びた(と、その日スタンドにいたという知人が話していた)。結局は、相手チームの選手までもが、真剣勝負ではない何かの片棒を担ぐことを無言のうちに求められる。衆人環視の中で、投手と打者の対戦がfixingされていく。

 最後に出場する選手は嬉しいだろうし、相手チームも含めて選手や監督たちも感動するだろう。スタンドのファンも喜ぶ。球団も潤う。誰も損をしない、いいことづくめのように見える。
 一方で、こういうやり方は、「1打席、1人分くらいいいじゃないか」が「せっかくだから花を持たせてやろうよ」「なんでそこで空振りしないかな」とエスカレートしていく。そこでは、目には見えず、小さいけれども、何かが確実に損なわれていく。
 長年活躍した選手の労を報い、功績を祝福し、次の人生に送り出す、せっかくの機会なのだ。できるだけ瑕疵のない方法で実現されることを望んでいる。
 
 
*前のブログにも書いたように、村田はこの本塁打により初の本塁打王のタイトルを獲得し、高橋由伸はこの本塁打により、タイトルを取り損ねた。おそらく高橋は打撃タイトルに縁のないまま現役生活を終わることになりそうだ。

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スポーツ選手に与えられる、最上級の褒め言葉。

 イチローのMLBでの通算安打数がベーブ・ルースに近づいたとか並んだとか抜いたというニュースを、このところよく目にする。そのたびに多くのメディアがベーブ・ルースを「野球の神様」と形容している。例えばこのように。

イチロー“神様”ルース超え2875安打も…マーリンズ泥沼8連敗 スポニチアネックス 5月23日(土)
 
 これ以上の褒め言葉はなさそうだし、ベーブ・ルースは「これ以上ない褒め言葉」にふさわしい選手でもある。ただ、自分はそこそこ長くMLBを見て、その歴史にも日本人の平均よりは通じているつもりだったが、ベーブ・ルースが「野球の神様」と呼ばれているとは知らなかった。出典を探そうとネットを少し検索してみたが、なかなか見つけることができない。例えばWikipediaを見ると、日本語版の「ベーブ・ルース」の項には、冒頭の概要部分に<野球の神様と言われ、米国の国民的なヒーローでもある>と書かれている。が、英語版の<Babe Ruth>の項目の同じ部分には<Nicknamed "The Bambino" and "The Sultan of Swat">とあるだけだ。Bambinoはもともとはイタリア語で「赤ん坊」や「坊や」の意味。Sultanはイスラム世界の君主で、swatは「激しく打つ」「長打」などの意味があるから、Sultan of Swatは「打撃の帝王」くらいの意味か。そもそも彼の本当の名前はジョージ・ハーマン・ルイスであって、ファーストネームとして扱われているベーブ自体が「赤ちゃん」という綽名である(「坊や哲」「お嬢吉三」みたいなものか)。
  
 日本野球には、「神様」と呼ばれた人物がいる。代表的なのが「打撃の神様」川上哲治だ。卓越した技術と成績に加え、厳格で人を寄せ付けない人物像、求道的な打撃への姿勢、そして「球が止まって見えた」という発言に代表される神秘性などが相まって、「神様」という綽名が定着したのだろう。
 赤坂英一が川相昌弘について書いた「バントの神様」という本もあるが、これは川相の綽名として定着したというほどではない。ただ、ひとつの分野、ひとつの技術に精通した人物を「○○の神様」と呼ぶことは、日本ではさほど珍しくないように思う。
 
 「神対応」「神回」というような形容がごく普通に使われる昨今の風潮を見ても、日本人にとって「神」は、尊敬する対象ではあっても、さほど畏怖されるものではないらしい。人間を「神」と呼ぶことに対するハードルはかなり低い。
 そんな日本にあっても、1人の選手を「野球の神様」と呼んだ例は記憶にない。「野球の神様」は、例えば「野球の神様が助けてくれました」みたいな談話に代表されるように、野球というゲームを司る絶対者、というようなニュアンスで語られるのが一般的だろう。
 
 ルースの人柄は「ベーブ」と呼ばれたことからもわかるように、子供っぽくて、よく言えば天真爛漫、悪く言えば自分勝手な人だったようだ。彼自身はヤンキースの監督になりたかったようだが、声がかかることはなかった。その意味では、川上哲治とはかなり異なるキャラクターだったようだ。
 
 なぜルースが「野球の神様」と呼ばれたことになっているのかを見つけることはできていないのだが、ネットで検索すると、この形容が、昨年、大谷翔平が達成した10勝&10本塁打に関する記事に多用されていることがわかる。
 
大谷“野球の神様”に並ぶ!96年ぶりの10勝&10発
 
 ベーブ・ルースといえばホームラン。普通なら「伝説的な長距離砲」とでも呼んでおけば済むのだが、この話題で彼の名を出す時ばかりは、それでは物足りない。投手としても優れていたことを同時に示さなくてはならないからだ。大谷の凄さを示すためには、なぞらえる相手も偉くなくてはならない。形容に窮した誰かが、えいやっと「野球の神様」にしてしまった、てなことだったのではないか…と想像したのだが、Yahoo!知恵袋にはそれ以前にもルースを「野球の神様」としている質問があるので、昨年から突然呼ばれ始めたのではないらしい。
 
 この件が気になるのは、そもそも一神教が支配的な社会で、人間に対して「神」という綽名が定着したりするものなのだろうかという素朴な疑問があるからだ。
 上にも書いた通り、日本では偉人をすぐに神様と呼びたがる。ペレも「サッカーの神様」とする記事をよく目にするが、ペレといえばキングと昔から決まっているので、これには強烈な違和感がある。ジーコにも「神様」という形容がよく使われたが、これは彼の日本での業績に対する尊称だから、まだしも納得できる。
 スポニチや他のメディアがルースを「野球の神様」と決めて勝手に使うのならともかく、「大リーグで“野球の神様”と呼ばれた」などと書いてあると、誰が呼んでるの?と気になってしまう。 
 イチローがルースの通算安打数を抜いたことはSIなど米メディアでも話題になっていたが、ルースの名は形容抜きで記述されている記事が多い。日本のスポーツメディアにとって長嶋茂雄が説明不要な人物であるのと同様、ベーブ・ルースという名前は、USAのスポーツメディアにとっては説明不要な名前なのだろう。
 
 MLBの「神様」といえば、私の頭に浮かぶのはルースではなく、テッド・ウィリアムズだ。彼は日本では「打撃の神様」と呼ばれていた。米国のwikiでは<Nicknamed "The Kid", "The Splendid Splinter", "Teddy Ballgame", "The Thumper" and "The Greatest Hitter Who Ever Lived",>とされている。たくさんあるが、神に類するものはない。
 
 ただ、彼には神にまつわる有名なエピソードがある。
 現役最後の試合の最後の打席で本塁打を放ったウィリアムズは、観衆のスタンディングオベーションにも、ベンチを出て応じようとはしなかった。なぜ手を振ってやらないんだ、と問われて、「神様というものは、手紙に返事を書かないものだ」と答えたという。たとえば伊東一雄・馬立勝「野球は言葉のスポーツ」(中公新書)に紹介されている。もっとも、実際にはこれはウィリアムズ自身の言葉ではなく、作家のジョン・アップダイクがこの場面を評して書いたものらしい。米国版wikiにも<Williams' aloof attitude led the writer John Updike to observe wryly that "Gods do not answer letters.">とある。
 
 私自身は現役時代のウィリアムズを見たことはないが、このエピソードは知っていた。知っていたから驚き、胸を熱くした場面がある。1999年のオールスターゲームでのことだ。
 この年のオールスターはボストンのフェンウェイ・パークで行われた。始球式に招かれたのは地元レッドソックスの生ける伝説、テッド・ウィリアムスその人だった。彼がマウンドに立つと、両リーグの選手たちが、みな集まって握手を求めた。選ばれたスターたちを野球ファンの子供に戻してしまう、スターの中のスターが彼だった。
 始球式の後、ウィリアムズはカートで場内を回った。立ち上がって拍手を贈る観客に向かって、ウィリアムズは高々と手を振っていた。< He proudly waved his cap to the crowd — a gesture he had never done as a player.>“選手としては決してやらなかった仕草だった”、と米国版wikiには書かれている。神が人間に戻った瞬間だった。
 
 「神」でもうひとり、思い出すスポーツ選手がいる。とあるゴールについて「ディエゴの頭と神の手が決めた」と語った、あの人物だ。マラドーナには「神の子」という綽名もあったようだが、これまた出典がすぐには見つからない。奔放な性格は、伝えられるベーブ・ルースのそれに似ているが、ディエゴはベーブと違い、希望通りにアルゼンチン代表の監督になった(成功はしなかったが)。
 
 マラドーナと綽名について語るならば、マラドーナにつけられた綽名よりも、「マラドーナという綽名」の方が意味があるかもしれない。彼が活躍した80年代半ばから90年代にかけて、卓越した技術を持つ中盤の選手は、よくマラドーナになぞらえられていた。「カルパチアのマラドーナ」と呼ばれたゲオルゲ・ハジ、「砂漠のマラドーナ」と呼ばれたサイード・オワイラン。日本にもいたはずだ。あのころ、世界中に何人のマラドーナがいたことだろうか。

 日本野球で最初の三冠王、中島治康は「和製ベーブ・ルース」と呼ばれていた。早稲田実業の期待の長距離砲、清宮幸太郎も、リトルリーグの世界大会で米国メディアに「和製ベーブ・ルース」と呼ばれたそうだ。ルースもまた、綽名をつけられることよりも、綽名となることにふさわしい。
 
 スポーツ選手にとっては、「神様」と綽名をつけられることよりも、自分の名が他人の綽名に冠せられることこそ、最上の栄光なのかもしれない。

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アギーレ八百長疑惑があぶりだす日本メディアのメンタリティ。

 サッカー日本代表監督に就任したばかりのハビエル・アギーレに、スペイン時代の八百長疑惑が持ち上がって2か月余り。裁判所が検察の告発を受理するに至っていないということもあり、年明け早々のアジアカップには、アギーレ体制のままで臨むことになった。
 アジアカップの成績次第でメディアの態度も変わるだろうから、大会直前の今、2014年末時点で思うところをまとめておく。
 
 まず、現時点での事実を確認しておく。

アギーレ監督、八百長疑惑を否定
AFP=時事 12月28日(日)8時34分配信

アギーレ監督、八百長疑惑を否定
都内で行われた記者会見に臨むサッカー日本代表のハビエル・アギーレ監督(2014年12月27日撮影)。
【AFP=時事】サッカー日本代表のハビエル・アギーレ(Javier Aguirre)監督は27日、サッカー界を揺るがす八百長疑惑について、その関与を否定した。
 スペイン検察は、2011年にレバンテ(Levante)に勝利したレアル・サラゴサ(Real Zaragoza)がスペイン1部リーグからの降格を免れた一戦で、サラゴサの指揮官だったアギーレ監督ら41人が不正が行ったと主張している。
 アギーレ監督は、来年2月にはバレンシア(Valencia)の裁判所に出頭することになっている。
 都内で行われた会見でアギーレ監督は通訳を通じ、「12年間スペインサッカーにかかわって過ごしたが、倫理やプロフェッショナリズムに反したことはない。何も受け取ったことはないし、何かを頼んだこともない」と語り、当局に協力していくと誓った。
 検察当局は、サラゴサが総額96万5000ユーロ(約1億4000万円)をクラブのコーチ陣やスタッフ、選手の銀行口座に振り込み、その金を「賄賂」としてレバンテの選手に手渡したとしている。
 日本サッカー協会(JFA)は、疑惑がある中、アギーレ監督が来月オーストラリアで開催される第16回アジアカップ(2015 AFC Asian Cup)で指揮を執るとしている。【翻訳編集】 AFPBB News

 読んでおわかりの通り、AFP=時事は「スペイン検察は…主張している」「検察当局は…としている」と、疑惑の内容については、あくまで、検察がそう主張している、という書き方に終始している。有罪判決が出るまでは被告人を無罪として扱うべし、という「無罪推定の原則」に則った書き方で、事件報道の基本のキであり、報道というより法治国家の基本のキでもある。
 だが、この基本のキにまったく敬意を払う気のなさそうなメディアが少なくない。
 その典型例がスポーツニッポンの次の記事だ。

 逆ギレ!辞めない!アギーレ監督 釈明会見で潔白主張も根拠示せず
 八百長疑惑でスペイン検察当局に告発された日本代表のハビエル・アギーレ監督(56)が27日、東京都文京区のJFAハウスで釈明会見を行った。会見は約40分に及び、逆ギレ気味に潔白を主張したが、肝心の“疑惑の金”に関する説明はなく、無実の根拠は一切なし。辞任の意向がないことを強調し、騒動の渦中にいることに対する謝罪もなかった。[ 2014年12月28日 05:30 ]

 長いので前文だけの引用にとどめたが、「逆ギレ気味」「無実の根拠は一切なし」「謝罪もなかった」などの文言は、あきらかに書き手が「アギーレが悪い」という前提に立っていることを示している。

 別の日のスポーツ報知の記者コラムには「潔白証明できなければ身を引くべき」とあった。
 犯罪の疑惑にもいろいろある。犯罪が行われた日時と場所が特定されている殺人のような事件なら、疑われた者が自ら潔白を証明することは可能だ。その日時に別の場所にいたことを証明すればよい(いわゆる「アリバイ」という奴だ)。
 だが、アギーレにかけられた疑いは、試合相手に対する買収への関与だ。日時も場所も相手も特定されていないのだから、それを「した」ことの証明はできても、「していない」ことの証明などできるはずがない。告発内容がこの記事の通りであれば、アギーレの潔白が立証されるケースは「捜査当局が有罪を立証できなかった時」でしかない。逆に言えば、捜査当局が有罪を立証できない限り、アギーレは潔白なのだ。自分で証明する必要などない。
 
 八百長疑惑がなかったとしても、アギーレは評判の悪い代表監督だった。
 そもそもの出発点として、6月のワールドカップブラジル大会で日本が2敗1分と惨敗した後で、原専務理事兼強化委員長がすみやかに後任監督をアギーレに選んで就任させたことに対して、「総括もしないのに早すぎる」と不満や不信感をあらわにしていたメディアやサッカーライターは少なくなかった(4年前には「監督選びが遅い」と非難されていたものだが)。
 そして、アギーレが前任者とはかなり異なる顔触れを代表に選び、しかも試合ごとに大幅に入れ替えることに対しても、非難がましい声は強かった。とりわけ10月に行ったブラジルとの試合に代表経験の浅いメンバーで臨み、大敗したことに対しては、「ベストメンバーで臨むべきだった」と批判する声がとても強かった。
 就任以来、試合ごとにメンバーが大幅に入れ替わっているアギーレ代表にあって、なぜこの人たちはこれが「ベストメンバー」ではないと断言できるのだろうかと、私は不思議だった。ザッケローニ時代のベストメンバーが6月に「世界」にまったく通用しなかったのだから、今度は別のメンバーで試してみる、という考え方には合理性がある。ザッケローニはある時期からメンバーを固定して新しい選手の起用に消極的になっていたから、今のJリーグの20代前半には、国際経験に乏しい有望選手が大勢いる。彼らを厳しい環境下に放り込んで、どの程度やれるのかを試してみるには、このブラジル戦は絶好の機会ではないか。
 その後、アギーレはアジアカップ前の最後の2連戦には遠藤らザッケローニ時代のベテランも呼び戻し、難敵オーストラリアを相手に手堅く勝利した。初期のテスト期間に試した選手からも、武藤ら数名を確保している。就任から半年足らずで大陸選手権を戦わなければならない監督の準備期間の使い方としては申し分がないと私は思うのだが、そう思わないメディアやライターは少なくないようだ。
 
 八百長疑惑の報がスペインからもたらされたのは、そんな状況の中だ。当初は現地メディアが取りざたしていただけだったが、12月に検察当局が告発に踏み切ったことで、アギーレ批判(というより非難)報道は爆発した。その多くがアギーレを黒と決めつけんばかりの勢いであることは前述の通りだ。
 
 スポーツ紙がアギーレを黒と決めつけるのは、単に事件報道の基本など知らない人が多いからなのかも知れない。
 だが、キャリアの最初に事件報道の基本を叩き込まれるはずの全国紙でも、ほとんど同じような論調が見られることには驚いた。

 朝日新聞のベテランサッカー記者である潮智史編集委員が12/20付のスポーツ面に書いた署名コラムのタイトルは<アギーレ監督続投 グレー状態でいいのか>だった。ネット上では有料なのでリンクは貼らないが、コラムには<でも、それは法律上の話であって、ピッチの上に目を向ければ、このままグレーの状態では相当にややこしい話になる><将来、無実が証明されたとしても、それまでに傷ついた名誉や損失は取り戻せるだろうか>といった文言が躍っていた。グレーでいいのか、と協会に詰め寄りながら、決して「解任すべき」とは書かないところには計算を感じる。日本経済新聞の武智幸徳記者も、ほぼ同じ趣旨のコラムを前日の日経に掲載していたが、具体的な提案を示していた分だけ、武智記者の方が潔いと思う。
 日経は経済新聞だから、物事の判断基準が損得勘定にあったとしても、それなりに納得はできる。だが、朝日新聞は長年、人権の守護者のように振る舞ってきた新聞だ。その紙面に、疑わしきは罰せよと言わんばかりのコラムが堂々と掲載されたことには本当に驚いた。

 潮記者が無罪推定の原則を知らないとは考えにくい。それでもこんなふうに書かずにいられないのはなぜなのか。Jリーグ以前からサッカーを取材している記者やライターからは、サッカーが取材対象というより、自身がサッカーファミリーの一員としてサッカーに貢献したい、という気持ちをひしひしと感じることがある。潮記者や武智記者もその世代の人だ。潮記者は確か筑波大で中山や井原と一緒にプレーしていた大学サッカー部出身と聞く。
 そういう経歴の人たちにとって、アギーレは「俺の大事な日本サッカーに傷をつける、ろくでもない人物」と感じられるのかも知れない。この件に関する潮記者のツイートを読んでも、とにかく感情的でナイーブな印象を受ける。
 武智記者にしても、彼には珍しいタイプの文体と感じる。あまり一喜一憂せず、落ち着いた独自の視点に立ったこの人のコラムが私は好きだったので、この文章の冷淡さにはかなり衝撃を受けた。彼にも潮記者にも、そしてスポーツ紙にも共通して感じられるのは、アギーレに対する冷たさだ。
身内を信用しないわけにはいかないんじゃないかなというのが、自分自身の哲学ではあります>と本田圭祐は語ったそうだが、記者たちはアギーレを身内とは思っていないようだ。「外国人が外国で起こした問題なのだから、さっさと厄介払いしてしまえばよい。俺たちには関係ない」という考えが、アギーレを非難する記事には通底しているように感じる。
 
 だが、本当にそうなのだろうか?
 
 報道によるとスペインでは2010年に八百長を禁じる法律が設けられ、今回が最初の適用事例になりそうだという。欧州サッカー界で八百長が深刻な問題になっていることも確かなようで、UEFA.comの日本語版を検索しただけでも、UEFAが真剣に対策に取り組んでいると伝える記事がいくつも見られる。

UEFA、八百長との徹底抗戦をあらためて表明 
UEFAとユーロポール、八百長対策で覚書締結
UEFAが八百長防止の新システムを導入 

 90年代にフランスのマルセイユ、2000年代にはイタリアのユベントスが、それぞれ八百長を仕組んで発覚し、大スキャンダルになったことは記憶に新しい。どちらも欧州主要リーグの強豪クラブである。アギーレはスペイン。どこで何が起こってもおかしくはない。一方で、欧州に渡って活躍する日本人選手は増えるばかり。つまり、日本人選手が八百長問題に巻き込まれる可能性も、着実に大きくなっている。例えば本田圭祐にロシア時代の八百長疑惑が持ち上がったりしたら、日本のメディアや記者は「疑惑をかけられた選手は代表から身を引くべき」「危ない橋をこの選手と一緒に渡る義理はない」と書くのだろうか。
 
 今年7月に邦訳が出たデクラン・ヒル「あなたの見ている多くの試合に台本が存在する」(カンゼン)は、世界のサッカー界における八百長について書いたノンフィクションだ。思わせぶりな邦題から暴露本を想像して敬遠していたのだが、アギーレの疑惑を機に読んでみた。邦題に反して、実際の内容は学術書に近く、豊富な実例を集めて、八百長のメカニズムを解説している。原題は「The Insider's Guide to Match Fixing in Football」という。Matxh Fixingが八百長のこと(余談だが「八百長」という日本語は「tsudaる」とか「エガワる」のような符丁に近い言葉なので、翻訳記事や本に使う訳語としては違和感がある。もっと単刀直入な訳語を考えた方がよいのでは)。
 八百長とならぶスポーツ界の大問題、ドーピングについて、このblogではかつて「ドーピングの社会学」という優れた研究書を紹介した。本書はそれに匹敵する八百長の研究書のように思う。私にとってはさまざまな発見があった。
 もっとも基本的な事項としては、世界の八百長組織の中心地は東南アジアなのだそうだ。賭博のために八百長を行う組織があり、彼らが欧州サッカーの現場にも進出している(もちろん欧州オリジナルの組織もある)。賭博のために八百長を試みる人々が選手や審判に接近する方法は、日本で暴力団員がスポーツ選手や芸能人に近づく方法にとてもよく似ている。ご承知の通り、Jリーグは近年、東南アジアを市場として強く意識し、進出を図っている。元Jリーガーで東南アジアのリーグに移籍する選手も増えている。ヒルの著書によれば、八百長に関与する選手は決して特別な悪人ではない。ごく普通の選手が、さまざまなきっかけで八百長の世界に引きずり込まれてしまう。
 
 サッカーはグローバルな競技で、日本国内で完結しているわけではない。リーグも選手も世界に出て行く以上、世界で起こっている潮流と無縁でいられるはずもない。「スペインに学べ」とか「世界基準で戦え」とか日頃から声を大にして書き立てているサッカーメディアやライターが、アギーレの八百長問題についてはかたくなに国内基準を当てはめようとしているのは奇異なことだ。
 八百長という問題は、アギーレを切り捨てれば厄介払いできるようなことではなく、日本のサッカー界がいずれは直面する可能性のあることなのだという覚悟があれば、今回の一連の報道も少し違ったものになると思うのだが。
 
 念のため書いておくが、私はアギーレが無実だと信じているわけではない。現時点では何とも言えないと思っているだけだ。スペインの司法当局がまだ判断できていないことが、私にわかるはずもない。検察が、関係法の初の適用事例として告発するのであれば、絶対勝てそうな事案を選ぶのが人間の心理というものだ。FOOT!での倉敷保雄アナのように「欧州サッカーに詳しい人にとってはよくあること」などと過小評価するつもりはない。
 外国の司法当局の動きを日本で先回りして把握したり、影響力を行使することなどできるはずもないのだから、JFAに対しては、現時点ではアギーレ率いるアジアカップで最善の闘いができるように代表チームをサポートし、全体的には今後起こりうるあらゆる事態を想定して、すみやかに対応できるよう準備しておくことを望むばかりだ。
 仮に2月以降にアギーレが退任するような事態に発展したとしても、このアジアカップでアギーレから学べるものはあるはずだ。この経験豊富な指導者を無駄遣いせず、美味しいところを絞り尽くすことを考えてもらいたい。
 
 さしあたり、欧州から帰国した選手たちから聞こえて来る談話は「今は大会に専念するしかない」という落ち着いた内容ばかりだ。「選手が動揺したらどうするんだ」と協会に詰め寄っていた記者たちは、振り上げた拳を降ろす先に困ったのか、「選手が質問しないからよいというものではない」などとつぶやいたりしている。
 
 そもそも、多くのサッカーメディアやライターは、6月の惨敗の後、日本人には戦う気持ちが足りないとか勝者のメンタリティーが必要だとか声を揃えていたはずだ。今、我々の代表監督は、八百長に関与した疑惑を受けて司法当局に告発されても「有罪判決が出るまでは無罪だ」と言い張って戦い続けようとしている。この図太い神経と戦う姿勢こそ、彼らが日本人に足りないと主張していた類いの精神性ではないのか。
 アギーレがこの段階で「世間をお騒がせして申し訳ない」と身を引いてしまうような人物だったら、そもそも2014年8月のタイミングで呼ぶ価値はない。我々の代表選手はぜひここにも学んでもらいたいし、この問題で動揺してアジアカップに失敗するような選手は代表には必要ない。転んでもただでは起きないしぶとさをオーストラリアの地で見せてほしい。

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そうまでして東京五輪で野球をやりたいのかどうか、よく考えておいた方がよい。

 IOCの臨時総会で、開催都市の組織委員会が追加種目を提案できるという改革案が承認されたというニュースを、「これで東京五輪で野球やソフトボールがやれる可能性が出てきた」とテレビや新聞やスポーツ紙は祝賀ムードで報じていた。
 私とて五輪で野球をやるとなれば、テレビにかじりついて見るに違いないとは思う。だが、今の時点では、むしろ「何だかなあ」と思う材料が多すぎて、素直に祝賀ムードに乗る気にはなれずにいる。
 
 最初に思ったのは「また代表監督が大変なことになる」という件だ。
 現在、「侍ジャパン」と呼ばれる(というより自分で名乗っている)日本代表の監督は小久保裕紀が務めている。前のエントリでも書いた通り、おそらく2017年のWBCまでは彼が監督を務めることになるのだと思う(来年開かれるらしいプレミア12で、よほどひどい負け方でもしない限りは、そもそも解任する理由を見つけるのが難しい)。

 2017年のWBCでファイナリストになるくらいの好成績を残せば、小久保は、本人が望めば代表監督を続けられるかもしれない。彼の心中は(現時点ではたぶん彼自身にも)わからないけれど、一度は福岡で監督をやりたいのではないかという想像は、そう無理なものではないと思う。WBCでの好成績は、そのためには有力な材料となることだろう。逆にWBCで国民が失望するような結果となれば、そのまま代表監督を続けることは難しい。だから、いずれにしても小久保は2017年までで一区切りになる可能性は強い。
 
 目下の主要大会の開催間隔は、WBCが4年に1度、プレミア12はその中間年に開催されることになるようなので、ポスト小久保の代表監督は、おそらくこういうスケジュールに直面することになる。

2019 プレミア12
2020 東京五輪
2021 WBC
 
 これは大変だと思う。とりわけ東京五輪では、監督はとてつもない重圧にさらされることになるだろう。
 ただでさえオリンピック大好きな日本人が、地元開催となれば、金メダルはほとんどノルマのように期待されることになるだろう。追加種目は開催都市が決める。野球をやろうなどと考えるのは、日本のほかにはアメリカ合衆国、メキシコ、韓国くらいしかなさそうだから(野球が盛んなキューバやドミニカがオリンピック開催に手を挙げるとは考えにくい)、2020年の次の機会はいつ来るかわからない。つまり、ここで失敗すると取り返すチャンスは二度と来ない。
 
 試合内容自体も難しい。連戦になることはもちろんだが、特異なレギュレーションになる可能性がある。昨年だったか、IOCに追加種目として選ばれるために7回制を検討していると伝えられた。タイブレークは北京五輪で実際に採用された。WBCの投球数制限どころではない不慣れな試合形式だ。
 
 こんな大変な大会で監督を引き受けようという指導者が、果たしているだろうか。NPBでの指導経験を持たない小久保が代表監督に選ばれたのは、打診した候補にことごとく断られたからだ。第2回WBCでも代表監督選びは罰ゲームの様相を呈していた。WBCに2度優勝し、プロ野球における代表チームのプレゼンスは上昇し、「代表を目指す」的なことを口にする若い選手も出てきた。だが、「代表監督になりたい」と明確に発言した日本人指導者を私はいまだに知らない。小久保の業績やその評価によっては、若い指導者の中からそういう人が出て来るのでは、と期待してはいるが、そう信じられるだけの材料は今のところなく、あくまで希望に過ぎない。
 
 もうひとつ、どんよりした気分になったのは、野球とソフトボールの元代表監督が並んで満面の笑みで記者会見する写真を見た時だ。これも五輪競技に復帰するための方策として、野球とソフトボールの国際競技団体は合併してひとつになった。男女平等を重んじるIOCに気に入って貰おうと、「男の野球と女のソフトボール、合わせて一つの競技」という枠組みをこしらえたのだ。
 もともとオリンピックでは、野球は男子のみ、ソフトボールは女子のみしか行われていないので、合理的といえば合理的ではある。だが、野球そのものにも女子競技はあり、しかも日本はこの分野では、ワールドカップで3連覇している圧倒的強豪国であり、国内リーグも行われている。それなのに五輪種目となる可能性を、競技団体自身が閉ざしてしまっているわけだ。
 
 私は女子野球の選手でも指導者でもないし、特にファンというわけでもないので、女子野球の立場を代弁するような僭越な真似はしない。ただ、傍からみれば、おかしな話だと思うだけだ。
 
 もうひとつ言えば、いわゆる「侍ジャパン」はプロの代表チームだけでなく、あらゆる年代の日本代表チームに共通の愛称とされ、そこには女子代表も含まれている。侍ジャパンの公式サイトには女子のページもあり、ワールドカップでの活躍も誇らしげに報告されている。そして、各年代に共通の「侍ジャパン」のユニホームを、女子代表たちも着用している。彼女たちは「侍ジャパン」だけれども五輪代表ではない、というのもまた、筋が通らない話だと思う。
 
 男子ソフトボールについても同じことが言える。ソフトボールは女性専用の競技ではなく、日本にも男子ソフトの社会人リーグもあれば日本代表もある。私はソフト男子でもないし、関係者に知り合いもいないが、自分が当事者だったら、あんまり面白くはないかもしれない。
 
 という具合に、オリンピックに対する野球界の姿勢には、いろんな無理や屈折がある。あまり無理をしすぎて後遺症が残るようなことにならなければよいと思う。
 
 本番でどういうレギュレーションになるのかわからないが(全体の人数もぎりぎりまで絞らなくてはならないから、過去の五輪と同様、選手が打撃投手を務めるようなことになる可能性も高い)、いざ試合をやってみて、あまりに普段と異なる規則の数々に戸惑って不成績に終わったりしたら、関係者の誰かが「こんなのは野球ではない」などと言い出すかも知れない。
 確かにそれは日本でやっている野球とは違う。だが、IOCに追従し、そんな奇妙な形に競技内容を変化させてまでオリンピックの場で試合をすることを望んでいるのは、野球界自身なのだ。

 そうまでして東京五輪で野球をやりたいのかどうか。
 そして、やるとなったら腹を括って、野球界の総力を結集して勝利を目指すという、これまで一度も実現したことのない取り組み方をする覚悟があるのかどうか。
 野球界は今のうちによく考えておいた方がいいと思う。今の祝賀ムードのまま何となく大会に突入して、「こんなはずじゃなかった」などということになったら、いちばん傷つくのは、日本野球そのものなのだから。

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「侍ジャパン」商法の行方。

 日米野球は、東京ドームで11/16に行われた第4戦を見に行った。藤浪が先発し、MLBが初勝利を挙げた試合だ。
 テレビ視聴率はずっと苦戦だったようだが、この日は日曜の夜ということもあってか、試合開始前から立ち見席までよく観客が入っていた。日本代表の先発メンバーがアナウンスされると、1人ごとに大歓声が湧く。私が座ったのは左翼ポール近くのファウルグラウンド側の前の方だった。周囲には20代から30代とおぼしき若い男女が多かった。耳に入って来るそれぞれの会話からは、シーズン中にも多少なりとも野球場に足を運んでいる人が多いようにうかがえた。代表戦とリーグ戦の観客層が分離してしまった印象のあるサッカーに比べると、健全なことのように感じた。ユニホームを着ている観客がずいぶんと多いことに驚いたが、これは、「ユニホーム付き応援席」というチケットが用意されたためでもあるようだった。
 
 試合は終始、MLB選抜が優勢だった。
 日本代表先発の藤浪は、球は速いがしばしばコントロールを乱す投手だ。そういうタイプはメジャーリーガーにとって扱いやすそうだ。前日にノーヒットノーランを喫したことで、気合いも入っていたのだろう。アルトゥーベ、プイグ、モーノーの1~3番が活躍し、MLB側が大勝した。
 カノが前日に死球による骨折で大会を去ったのは残念だったが、もともとプイグ見たさに買ったチケットだったので、その猛獣ぶりが堪能できて、満足度は高かった。地上2~3メートルをフェンス近くまで飛んでいくミサイルのような打球、キャッチボールで見せる強肩、そして筒香のライト前ヒットをもぎとった水平ジャンプ。球場で見たことを自慢したくなるタイプの選手だった。
 ほかにもモーノーやロンゴリアの打撃、捕手ビュテラの強肩、アルトゥーベの爆発的な盗塁など、メジャーリーガーらしさが随所に見られて楽しめた。

 日本代表にも見るべきところは少なくなかった。
 柳田は、同じ右翼を守っていたこともあってか、見ていてプイグを連想した。大きな体を軽々と動かす身体能力、何をやらかすかわからないプレーぶり、バットで自分の背中を叩きそうなフルスイング。今季ブレイクして一流の数字を残したが、まだまだ伸びしろがありそうに感じた。
 ショート今宮の守備には、どんなゴロでも自分の間合いで捕球するリズム感の良さを感じた。筒香の、腰の据わった力強いバッティングも見応えがあった。
 スタンドの声援が最も大きかったのは丸だった。早いテンポで「ヨシヒロ」「ヨシヒロ」と名を呼びながら交互に立ち上がる応援が他球団のファンにも受けたようで、打席を重ねるたびに参加者が増えて行った(私の後ろに座っていた女子も「いいなー、やりたい」と話していた)。その大声援に後押しされるように、美しいスイングで2安打を放った。
 広島勢でいえば途中出場した菊池も印象的だった。守備時に走者がいない時、彼はインフィールドラインの後方で構える。かつてカンザスシティ・ロイヤルズが来日した時、センターを守ったウイリー・ウィルソンが福本豊よりも前に守っていたのを見て感嘆したが、菊池の守備位置はメジャーリーガーよりも深い(念のため書いておくが、一般論として、足と肩に自信がある選手ほど、外野では前に、内野では後ろに守る傾向がある)。打球への反応も早く、普通ならセンターフライになるような当たりに、誰よりも早く落下点に入って捕球してしまった。地方の大学リーグから柳田や菊池のような逸材が出てくるのだから、日本野球の選手層は分厚い。

 このようにプレーのひとつひとつを見るのが楽しく、彼我の良いところを堪能した。帰途につく人々の表情は満足しているように見えた。申し分のない試合だった。花相撲としては。
 
 日本代表が日本で試合をして外国チームに大敗したのだから、本来であれば観客は満足などするはずがない。それでも「いいものを見た」などと言っていられるのは、勝敗が二の次の試合だからだ。
 この大会、日本代表とMLB選抜の5試合を公式戦扱いし、宣伝ポスターでも「ガチンコ」などと大書して、真剣勝負を謳っていたけれど、観客は実体をよくわかっている。
 そもそも「代表」と「選抜」の試合が真剣勝負になるはずがない。当初発表されていたプホルスやハーパーは結局来日しなかったし、打線はともかく投手陣はMLBを代表する顔触れとは言いがたい。コンディション調整も十分ではなかったようで、ファレル監督が大会後に、十分な準備ができなかったことに不満をこぼしていた。
 それでも、とりわけノーヒットノーラン後の(沖縄での親善試合を含めた)3試合ではコンディションもモチベーションも上がってメジャーリーガーらしいプレーが見られた。彼らの本気を引き出したのは日本代表の戦いぶりそのものであり、そこは小久保監督の手腕と評価することができるだろう。

 しかし、この日米野球を活動のスタンダードとして、常設化した日本代表、いわゆる「侍ジャパン」が今後の2年間を過ごして行くのだとしたら、それが2017年に予定されているWBCへの準備になるのかどうかは、いささかあやしげに思われる。
 
 WBCで選手が直面する精神的な重圧は、たぶん他に類がない。クライマックスシリーズや日本シリーズでも味わえるかどうか、というほどの重さがあるのだろうと、過去3大会を見ていて感じた。オリンピック種目から野球が除外された現在、同じような重圧を味わう機会を設けることは難しいだろう(来年開催予定の「プレミア12」に各国のメジャーリーガーが参加できるようなら、多少は近いものになるかもしれない)。
 
 ただ、これまでは、大会前のキャンプに「日本代表」として集まること自体が、非日常的な状況だった。今日から特別な時間が始まるのだという心理的なスイッチを入れる効果もあったように思う。
 しかし、日本代表が常設化され、シーズンの前後に試合を行うことが恒例化すれば、「侍ジャパン」のユニホームは日常的なものに近づいて行く。そして、それが今回のような微温的な親善試合ばかりであれば、選手たちに対して「これは花相撲をする時のユニホーム」という条件付けをしているに等しい。そんな試合を重ねた選手たちが、WBCの重圧とうまく付き合えるのかどうか。
 今大会では、小久保監督による動機付けが功を奏したと報じられている。ただ、それは代表歴の浅いフレッシュな顔触れが多かったことも幸いしたように思う。彼らが順調に成長し、代表歴を重ねて行った時に、今回の緊張感をずっと維持することができるだろうか。
 
 それでも、選手たちは公式戦で重圧のかかる局面を経験していくだろう。監督やコーチ陣はどうだろうか。指導陣のうち、監督の小久保、コーチの稲葉、矢野、仁志はNPBでの指導経験がない。
 小久保が監督に就任した際の記者会見の質疑応答を読むと、2017年のWBCまで一貫して指揮をとることが就任の前提となっているようだ。借り物の選手で年に数試合を経験するだけの環境下で、彼はどうやって監督としての能力を磨けばよいのだろうか。私には想像がつかない。これで好成績を残せるようなら、小久保はよほど指導者としての天憫に恵まれているのだろう。

 テレビ視聴率が低迷したのはよくない材料だが、スタジアムに観客がよく入り、ユニホームもよく売れたとなれば、「侍ジャパン」の日米野球は、ビジネスとしては上々だったのだろう。
 黒字に縦縞が入った代表のビジターユニホームは、レトロ調のデザインでなかなかカッコいい。大人のタウンウエアとしても、まずまず様になる。
 だが、黒い布地の上に茶の輪郭線だけで記された背番号は、遠目には見づらく、スタンドの私の席からは、打席に立った選手やグラウンドの右半分を守る選手の背番号は判読できなかった。
 きっと、背番号が何のためにあるかを知らない人が、デザインを決定したのだろう。

 侍ジャパンのマーケティングを行うNPBエンタープライズの社長には、日本テレビの幹部が就任した。テレビマンが悪いとはいわない。今村司氏は、かの「DASH村」を世に送り出した優れたテレビマンだ。「侍ジャパン」をはじめ、日本のプロ野球から新しいビジネスチャンスを作り出すのは必要なことだし、そのポジションに悪くない人材を得たと思う。

 ただし、彼が担うのは、あくまでビジネスだ。日本代表の強化の在り方を考え、責任を持つべきは彼ではない。では、誰が強化に責任を持ち、2017年に向けて日本代表の強化をどうデザインしていくのか。小久保監督ひとりの仕事ではないはずだ。今年始め、テクニカルディレクターに鹿取義隆が就任したが、今回の日米野球で彼は投手コーチを務めていた。それは筋が違う。
 日米野球という大きな節目を経た今も、代表強化の体制や方針は判然としない。ただマーケティングだけが着々と整備されていく。そんなふうにも見えてしまう。やはり顔が見えるゼネラルマネジャーが、代表には必要ではないだろうか。

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10年。

 初めてこのblogにアップした文章は、西部謙司の著書の感想文だった。2004年8月27日のことだ。
 それから昨日で丸10年が過ぎた。気がついたら人生の5分の1を、このblogとともに過ごしてきたことになる。
 
 格別の目的や意図があって始めたわけではない。ただ、少し仕事が暇になった時期で、スポーツ系のサイトの掲示板で長話をする機会が多くなり、他人様の庭で長っ尻するくらいなら自前で土俵を作ってみるか、というくらいの気分だった。ちょうどblogというものが流行しはじめ(アルファブロガーというものが選ばれるようになったのもこの年あたりからだったように思う)、プログラムの知識のない私のような者でも気楽に作れるホームページ、という認識だった。
 
 blogを始めた途端にプロ野球が激流に入り込んだ。選手会が日本プロ野球始まって以来のストライキを実施し、すったもんだの末に新球団が仙台に生まれることになった。日本ハムが北海道に移転した年でもあり、やがてWBCが始まって、「プロ野球の日本代表」というものが誕生した。語りたいテーマに事欠かなかったので、何年かは熱を込めて書きまくっていた。
 
 が、何年かすると、「前にもこんなことを書いたな」と思うことが増えてきた。太陽の下にそうそう新しいものはない。仕事も忙しくなり、blogに費やせる時間も労力も減ってきて、休眠状態に至った。最近はツイッターに軸足が移っている。

 休眠状態のblogだけれども、閉鎖しようとは思わない。ツイッターで(相変わらず)偉そうな口調で書いていられるのも、ひとつにはこの10年分の思考と調べ物の集積が後ろ盾になっているからだ。ここで詳細に論じたテーマについて論じている時は、ツイッターで「根拠を示せ」と言われても即座に出すことができるので気が楽だ。これ自体が「念仏の鉄」の名刺のようなものでもある。まとまった考えを書き残しておくには、私にとって、やはりblogにまさるツールはない。
 
 この10年を生き延びたものがもうひとつある。独立リーグだ。
 あらゆる意味で、いつ潰れてもおかしくなかった四国アイランドリーグは、10周年を迎えている。2年ほど前に久しぶりに観戦したが、技術レベルも選手の体格も、スタート当初に比べて飛躍的に向上していた。
 ロッテの角中が首位打者を獲得し、(育成ではない方の)ドラフト2位で指名された又吉が今や中日投手陣を支えている。NPBに選手を供給するだけでなく、NPBから若手選手を預かったり、審判員の研修の場にもなっていると聞く。まだまだ経営は苦しいとは思うが、BCリーグも含め、ささやかながら応援してきた身としては、独立リーグが自分の期待した方向に進んでいくのは嬉しい。
 
 自分自身はこの10年、このblogを通して何か進歩したのかどうか、はなはだ心許ない。初期の文章を読んでも、考えていることが大して変わっていないので、結局一歩も動いていないような気もする。ただ、このblogを通じて知り合った人もいて、尊敬できる人と,細々とながら付き合ってもらえるようになったのはありがたいことだ。尊敬できない人も大勢知ったが、そういう人とは付き合ってはいないので、まあどうでもよい。ネットの現実を教えてもらったと言えなくもない。
 たぶんこの先も、生きていて、極端な貧困に陥らない限りは、blogとツイッターとは今のような付き合いが続くのだと思う。というわけで時々思い出したように更新するblogですが、たまに覗いてやっていただければ幸甚。コメント欄もいまだに生きてます。ツイッターの方が話が早いかもしれませんが。
 
 

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ワールドカップ2014ブラジル大会に関するツイート集。

ものすごい今さら感だが、次期代表監督も決まったところで個人的記録としてのまとめ。後で表記や注釈を書き足す予定。

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2014年06月03日(火)
W杯イヤーになるたびに、やたらマニアックなサッカー本を出す白水社。今年もやりましたな。読んでみたい。/ジョナサン・ウィルソン著 実川元子訳 「孤高の守護神 ゴールキーパー進化論」http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.pp?pro_id=08358…

6月7日
なぜザンビア?と思ったが、試合をしてみればいチームだった。さすが2年前のアフリカ王者。内田も山口も寄せたのにやられている。コートジボアール戦に向けて、貴重な実習になったのでは。そして最後の最後に大久保のあのスーパーゴール。DFを押さえながらいい場所に回り込む動き。凄かった。
posted at 10:50:36

@May375 今回のスケジュールには、過去4大会の積み重ねが随所に感じられますね。ただ、FOOT×BRAINでリポートしてたけど、ブラジルでの拠点はコートジボワールの方が良さそうでした。日産にいたオスカーが経営する高級リゾートで、本人も「日本に来てほしかった」と苦笑してたしw

6月11日2010年大会では西村氏、相楽氏と韓国人副審のトリオだったけど、今回は日本人3人のチームで選ばれたというのも素晴らしい。/日本の西村雄一氏がW杯開幕戦ブラジル対クロアチアを担当(SOCCER KING) http://brazil2014.headlines.yahoo.co.jp/wc2014/hl?a=2040611-00198736-soccerk-socc…
posted at 20:03:13

6月14日
日本の試合はもちろん楽しみだが、昔のように無闇に浮き足立つ感じはない。もはや日本代表は私にとって、我が子のように心配な「私たちそのもの」ではなく、頼もしい「彼ら」、という感じの距離感なのだろう。むしろ、ジョホールバルのあの円陣が「私たちそのもの」と思えた僥倖にこそ感謝したい。

6月15日
もうまったくもって武藤師に同意。>RT

6月16日
それにしても、まだ全グループの初戦が済んでないというのに、びっくりするような逆転劇が次から次へと起こる。よほど気候が困難なのか、欧州リーグで疲弊している選手が多いのか、他に理由があるのか。梅雨の中で行われた日韓大会も、番狂わせは多かったが、大逆転劇はさほど記憶にないなあ。

あ、念のため書いとくけど、日本-コートジボワールは、日本人以外にとっては、別段「びっくりするような」逆転劇ではなかったと思うけど。単に「コートジボワールがシュートを盛大に外したけど何とか必要最小限の本数は入った」と思われてそう。

先方には先方の事情がある。勝つにせよ負けるにせよ、自分たち側の事情だけで決まるわけではない、ということですな。/日本戦逆転弾のジェルビーニョ「以前の僕たちだったら負けていた」 http://www.soccer-king.jp/news/world/2010616/200984.html… @SoccerKingJPさんから

90年代頃の欧州では、代表の重鎮はマテウスとかバレージとかブランとか守備的な選手が多かった気がする。そういうタイプはプジョルあたりが最後かも(シャビもピルロも位置は後ろでも攻撃の人)。守備的な大物が減った傾向と、W杯のこの逆転の多さに、何か関係があるのかどうか。

98年にも現地フランスのテレビニュースでしきりに紹介されてました。よほど珍しかったらしい。16年経ってもやっぱり珍しいのか。/初戦悔しい敗戦も、日本ファンが試合後ゴミ拾い…海外メディア賛辞 http://www.soccer-king.jp/news/japan/natonal/20140616/201153.html… @SoccerKingJPさんから

テレビカメラとギャラと関係者パスがなければスタジアムに足を運ばないような人は、サッカーファンではなく単なる「サッカーで収入を得ている芸能人」に過ぎない。明石家さんまがどっち側の人かは知らないが。どっちにしてもあのメッシへの質問は「そっち側の芸能人」としては永久資格停止レベル。

6月17日
「自分たちのサッカー信奉」への批判がTLに散見される。ごもっともなのだが、リアリズムと信奉の間を行き来してきたのが日本のW杯でもある。直前でリアリズムに転じて好成績を挙げた2010年の次だからこそ、今度は「自分たちのサッカー」でどこまで行けるか試す回なのだと個人的には思っている。

98年は理想も何も、守るのに精一杯だった。2002年は自分たちのというよりフランスの奇人の理想に沿って戦ったが、幸運にもそこそこ日本にフィットした。2006年は理想だけ掲げて大破した。2010年は理想を求めたが直前に限界と判断してリアリズムに転じ、好成績。そんな感じ。

いま選手たちが「自分たちのサッカー」と言ってるようなことを放棄し、「守ってカウンター」「フィジカルで勝負」みたいなサッカーをやると標榜して代表チームを運営しても、日本ではまず支持されまい。予選はもはや勝って当たり前扱いだから、結局、W杯本大会で勝つことでしか正当化できない。

承前)そして本大会で勝って正当化されても、それが継承されることはなくて、次の大会に向けては「やっぱりパスを回して崩すサッカーをやろうよ」という風向きが圧倒的になる(実話)。要するに、我々日本人はああいうのが好きなのだ。「良さ」とか「得意」とかいう以前に、どうしようもなく「好き」。

@toronei ああ、確かに。継承されるであろう唯一のケースが優勝ですね。代表だけでなく、日本サッカー全体の価値観が変わるかも知れません。

@kettosee 「挑戦者」の立場から「世界」という漠然としたものを目指すのではなく、「世界」の一員としてこの大会でこの相手とどう戦うのかを考えなくてはならない段階なのでしょうね。相手も日本を対等とみなして研究し、倒しにくる、というステージまで来たこと自体は感慨深くもあります。

東京新聞の「こちら特報部」が、椎名林檎の「NIPPON」が右翼的、とか何とか。NHKの右傾化と関係があるとか言ってる「識者」もいるが、会長就任より前から動いてた話じゃないかね。この次元のことをこんなに騒ぐと、大事な報道も「また東京がやってるよ」としか見えなくなってしまう。

加地が<以前から海外移籍を強く希望>? 東京時代には「サッカーやめたら保育士になりたい」とか話して、さほど執着なさそうだったのになあ。ともあれ新天地での健闘を祈る。/G大阪加地 米MLS・チバスUSA移籍 http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-c-tp1-20140617-1319195.html…


6月19日
「心中察するに余りある」という言葉があるけれど、今のカシージャスの心中は察したくない。想像するだけで辛すぎて、とても耐えられそうにないから。ゴールキーパーというのは本当に怖い役割だと思う。もちろんメキシコのオチョアのように、一夜でヒーローになれることもあるけれど。

6月20日
恥じることはない試合だった(最後の数分に諦めが感じられたのは残念だが)。しかし結果はついてこなかった。これだけ自分たちのペースで試合を進めながら得点が得られないのであれば、もはやこれが実力と考えるしかない。いよいよ「自分たちのサッカー」について考え直す時期が来たのかな。

TLを見てると監督を責めるツイートが多いなあ。パワープレーや3人目の交代を云々する以前に、遠藤や香川の投入以後、あれだけチャンスを作って、それでも得点できないというのは、監督のせいなんだろうか。私は、監督よりも選手に対して思うところの方が大きい。今後付き合うのは選手たちだし。

この試合の総括が「監督が悪い」になるのなら、結局日本代表はトルシエ並みの約束事将軍の下でしか、よい結果を残せない、ということになりはしないか? ザックの次にそういう監督を連れて来たとして、選手やファンが4年も耐えられるかどうかという問題が生じそうだが。

まあしかし、日本代表に何が足りないって、そりゃ高くて早くて屈強でパスが出せて状況判断がよくて逆境に負けないリーダーシップを備えたCBでしょ。ベスト16まで行った2大会では、かなりいい線いってた。加藤久以来、代表の主力CBはキャプテンを引き継いで来たが、中沢以来、途絶えている。

選手は?と聞きたくなりますね。 @toronei でもね「自分たちのサッカー」という言葉に引きこもっていた、日本のサッカーマスコミの人たちにも、果たしてそれが言えるのかねとも思うんだよなあ。 http://twitter.com/tete_room/stats/479774591192399872… …

あれほど結果に対する責任感を堂々と口にしていた選手たちに対して、そういう態度は失礼じゃないですかね。ま、今じゃなくて終わってからでいいですけど。 @toronei ザックはもうおさらばだけど、選手はまだ付き合い有りますからね言えないんでしょ。

前のツイート、正しくは「中沢を最後に」ですな。

まあしかし、内田のアレとか大久保のアレとか遠藤のアレとかが入ってさえいれば、ここ2時間くらいTLとかテレビとかを賑わしている議論のほとんどなど存在せず、「次で決めろ!」一色になっていたんだろうな。4年前に勝ち上がったときだって、そんな紙一重の差をすり抜けてきたはずだ。

ま、第1回WBCだって、あんな絶望的な状況から他力のおかげで勝ち上がって優勝しちゃったんだから、コロンビア戦に向けて気を取り直さなくちゃいけません(あんなアレなレギュレーションとは違う、という異論は受け付けませんのでよろしく)。

ここでさりげなく「コロンビア戦以降」と書いてくる武藤さんを見習って、反省会は終了。>RT

6月21日
3人目の交代枠が云々と新聞もテレビも多くのサッカーライター諸氏もやたらに強調するのだが、あなた方がこれまで礼賛してやまなかった選手たちが2試合で1点しか取れていないことについては、どう考えているのか。監督の采配ミスが失敗のすべてで、選手はよくやった? そんな試合などあるものか。

6月24日
ドイツとアメリカが引き分ければ他の2国は勝ち点で追いつけない。両監督はかつてドイツ代表を率いたコンビ。さて、どうなるか。クリンスマンは引き分けた後のインタビューで「ドイツは優遇されてずるい」みたいな話もしてたけど…。ま、そんな星勘定ができるのもうらやましい。

6月25日
気持ちは伝わってきた前半。あれだけ激しく走ると、交代もポイントになってきそう。

日本の選手が倒れるたびに「倒された」と叫ぶのがうるさいな、このアナウンサー。松木、中山、名波のコンビネーションは絶妙なのだが。

ギリシャがどうあれ日本代表はこの試合で見せなくてはならないものがある。

香川と遠藤、失意の2ショット。中盤が日本の強みのはずだったが、相手がそこを潰しにきた時に乗り越える力はなかった。

攻撃でも守備でも一対一で勝てず、キープもできず、パスをやすやすと相手に渡してしまう。これが実力だと認めるしかない。右肩上がりの時代は終わり。中堅国になった今、ここから上に上がるのが本当に大変なのだろう。今日は気持ちは見えた。だが気持ちだけでは足りない。

3試合通しての結果は2006年と酷似しているけれど、意味合いは全然違うと思っている。2006年は単なる自滅。今回は持っているものを試しに行って負けた。メンタル面も含めて、多くの課題を露呈した。長谷部が言った意味とは違うだろうけど、20年後の礎になりうる大会になったのでは。

3試合を通じて、プレーの上でもコメントでも、いちばん納得できたのは内田だった。コンディションは決して良くなかったはずだけれども。何が違ったのだろう?経験値?

とりあえず「世界との差」ってのはやめませんか。コートジボワールと、ギリシャと、コロンビアと、それぞれどんな差があり、何を学び、どう埋めるべきなのか。漠然と「世界との差」とか言ってる段階では、もはやないはず。5大会連続で出てれば、すでに世界の一員ですよ、日本は。

@toronei そういう意味でも代表引退なんて言わずに、次のチームにいろんなことを伝えてもらいたいと思います。

ザッケローニは、これで母国の代表監督の目は消えたと思うから、どこかJリーグで監督してくれないかな。スタッフ込みだと高価すぎるか。クラブで改めて見てみたい気もするんだが。

ワールドカップで前評判が良く、台風の目になるのではと期待されながら、いいところなく敗退する国がしばしばいる(1994年のコロンビアとか)。前評判が良ければ警戒されるし研究もされる。それを跳ね返すほどの力はなく、備えもない。今大会の日本の立ち位置は、そんなところだったのかも。

@toronei CL経験者がJ監督になったり、日本人指導者が欧州リーグで監督になったりするには十分な時間ですね。16年って結構いい線かも。

@augustoparty 岡田さんについては「準備段階で負け続けたことに対する批判」と、大会後の「守備重視の試合内容に対する批判」との2段階がありましたね。

@augustoparty そこは事後も含めての話ですね。ひとつ前のツイートが事前の批判についてだったので、誤解したようです。

実は目下出張中なのだが、職場に何人かいる蘊蓄王(うち1人はS山S樹の受け売り大好き)の御託宣を聞かずに済むのは、不幸中の幸いである。

@May375 もう変わりましたけど、グループリーグ中の1時4時7時に試合開始というスケジュールは体に良くなかったですね。試合を見ながら寝落ちして、ゴールの絶叫に一瞬目が覚め、朝起きるとまた別の試合をやってる。人間を駄目にする大会ですw

6月26日
「ストライカー不在」「選手構成が多様でなかった」「個人技では限界」「競技感覚が落ちていた」「アジアサッカーは停滞」…辛辣ではあるが、日本を熟知する指導者の言葉だけに傾聴に値する。/明らかになった韓日サッカーの限界と課題 || 尹晶煥 http://japanese.joins.com/article/973/18973.html…

そうか、やっぱり新井が悪いのか>RT

@gorou_chang そうか、ザックジャパンに足りなかったのはムードメーカーでしたか!(ちがう)

@hello4020 お疲れさまです。ザッケローニ監督は素晴らしい人柄だと改めて感銘を受ける一方で、試合後の会見での発言内容も含めて考えると、この人は代表というよりクラブ向きの指導者だったのかな、という考えも湧いてきます(彼に託したのが失敗だったというつもりはありませんが)。

これが野球だと、誰もが「守備から入るのが基本」「投手力が大事」と口を揃えて、攻撃に偏ったチームは「四番打者を集めても勝てない」と蔑まれるのに、不思議です。 @nns_blackhand 何がそこまで、日本人に「守備サッカー」「糞サッカー」を嫌わせるのか。

野球は普及の初期に武道的な考え方を取り入れたため、自己犠牲をよしとする考えが今も支配的ですが、サッカーでは自己表現を尊び、「部活サッカー」が蔑まれる。対照的です。 @nns_blackhand その辺は「国民的スポーツ」としての歴史の差かもしれませんねえ

@augustoparty なるほど。ギリシャのあのサッカーをギリシャ国民は好きなのかどうかには興味があります。小国の自分たちが勝つためにはあれしかないと割り切っているのか。ギリシャとかイタリアとか、享楽的な国民性なのにサッカーは「粘り強く守り抜く」のが身上というのも興味深い。

@augustoparty 確かに。98年には「あのアルゼンチンを相手にここまで抵抗できた!」と感動しましたが、今の日本代表が同じことをしたら「5バックじゃ点は取れないよ!」とイライラしそう。見る側の自己評価(それが的を射ているかどうかは別として)にも左右されそうですね。

@augustoparty それも含めた宣伝戦というか、岡田斗司夫が昔言ってた「洗脳」が大事ということですかね。新しい戦術を取り入れた過渡期には、特に重要になりそうな。ただ、日本人の監督がそれを露骨にやると、刷り込みどころか「言い訳するな」と批判を浴びそうな気はします。

@augustoparty 広島でも浦和でも選手もサポーターもミシャを賛美してやまない理由がよくわかりましたw でもやっぱり岡田さんがトゥールーズで同じことを言ったら叩かれたような気はするなあw ちなみに5バックと言ったのは、試合当日のレキップ紙のスタメン配置図によるものです。

@augustoparty お雇い外国人も対戦相手もリスペクトしすぎてしまう、と(泣)

@augustoparty そういう批判を口にできるのは、自身もワールドカップの監督をやって1勝以上挙げた人だけだと思いますけどね。ところでコスタリカが90年以来のグループリーグ突破を決め、当時の映像が流れるのを見て、あれがミルチノビッチの声価を高めた大会だったと思い出しました。

@augustoparty とはいえ、自惚れと世間からのプレッシャーがあるからこそ世界一になれる、という面もあるのでしょうし…。サッカーでは、坂の上の雲を追って上り坂を歩いてきたけれど、尊敬と自惚れのバランスが難しい、踊り場にさしかかっているのでしょうね。

確かに。ただ、あれは「何連覇もしてるのに客が入らない」という特異な状況における贅沢な要望で、勝利優先の場合は、手堅く行かない方が批判されやすいと思います。@atsushigo @nns_blackhand ただ、野球にしても森監督時代の西武は「つまらん」と批判されてた気もします。

@hello4020 そんなザックさんだからこそ、マジック采配で嵩上げすることもなく、選手との軋轢を生じることもなく、今の日本の力をそのまま反映した大会になった気がします。この経験を次に生かしてこそこの4年間の意義がある…となると、確かに日本人コーチがいてほしかったですね。

6月27日
行きつけの書店に寄ったら、今となっては手にとる気が起こりにくい代表選手たちの自己啓発本を並べたW杯棚からだいぶ離れたスポーツ実用書棚に、永井洋一「脱パスサッカー論」BBMが平積みになっていた。5/31にこれを刊行した著者と版元に敬意を表して購入。今こそW杯棚に置けばいいのに。

6月28日
野球で日本がWBCで優勝した後、イチローらMLB組は現地解散だったけど、あのチームも「最後までバラバラ」だったのかね?現地で会見した本田が「逃げた」って?あほくさ。 【W杯】ザック日本、現地解散!海外開催では初、最後までバラバラ : http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/2140625-OHT1T50261.html…

承前)そもそも、試合後に囲み取材と監督会見があり、翌日に現地で会見をやって、なぜ帰国後にまた会見をしなくてはならないのか。慣例自体の意味がわからない。協会幹部や監督の会見くらいはやってもいいけど、選手は個別取材に対応すれば(しなくても)十分じゃないかね。さっさと家に帰してやれよ。

新聞各紙などにザッケローニ監督時代の日本代表総括がぼちぼち出ているんだけど、「監督が選手の声を聞きすぎた」とか「チームの方針をひとつに固めすぎた」とか、好成績を残せば「これが勝利の秘密だ!」と評されていそうな類いのことが多い。もっと試合内容に即した具体的な敗因分析が読みたい。

勝てば「建設的な話し合い」だが負ければ「内紛」。勝てば「選手が自主性を発揮」だが負ければ「造反」。勝てば「高い目標とモチベーション」だが負ければ「思い上がり」。ま、世の中そんなもんです。「勝てば官軍」とはよく言ったもので。

いきなり委員長は無茶だろう。加藤久の二の舞いになることを懸念する。実力会長のバックアップ(が良いかどうかは別として)も期待できないし。/宮本恒靖氏が技術委員長就任へ 37歳手腕に日本代表再建託す(スポニチアネックス) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-0000073-spnannex-socc…

それにしてもNHKは福西とか戸田とか、若手解説者の発掘と育成が巧いな。奈良橋、小島と、宮沢ミシェル以降、W杯を経験した世代では、スター性にこだわらず、守備的ポジションの選手を重用してる(森島もいるけど)。


そういえば「準備試合を弱小国とばかりやったのがいけない」という批判もあったなあ。コスタリカ強いじゃん。「同じ組なら良かったね」と言った人もいたけど。ザンビアも決して弱くはなかったし、ブラックアフリカの身体能力を相手にするレッスンになったと思うけど。

ちなみに2002年の本大会前の試合相手と結果は次の通り。ウクライナ○、ポーランド○、コスタリカ△、スロバキア○、ホンジュラス△、ノルウェー×、スウェーデン△。本大会の結果はベスト16。今年の相手国と比べて強い?弱い?

6月29日
@swimmerhagitomo ハギトモさん、よく「喝!」と言ってくれた! 「日本が負けたからもういいよ」なんて言ってたら五輪の100m中継がなくなってしまいます(笑)。

6月30日
素晴らしいリアリズム。<強心臓なんて誰が判断するんよ? ピンチに強い? ……そんなもんピンチつくらないほうがええに決まってるやんか(笑)>岡田彰布はブラジルW杯をどう見たか。「俺は野球のことしかわからんけどな」 #numberweb http://number.bunshun.jp/articles/-/82154…

この姉さんに応援団長を託すテレビ局があったら全力で支持する。<よく頑張った!なんて言いません。><だって勝ってほしいから。だって私たちにはできないことを、あなたたちに託しているのだから。>【西山繭子のBoa sorte日記(6)】http://www.sanspo.com/geino/news/2010625/oth14062519540028-n1.html…

<日本も厳しい取材制限を敷くことで記者は各国の幅広い取材を求められ、サッカー文化の醸成に繋がる>それはない。単に選手の家族友人知人恩師親類縁者の登場量が増えて、縁の薄い縁者に広がっていくだけ。 | フットボールチャンネル | http://www.footballchannel.jp/2014/06/30/pos45664/…

こういうのは各国のメディア事情が影響しているのでは。各国代表の対応が、なぜそうなるのかという背景が見えない。/しゃべりすぎた日本代表。対戦国密着取材から見えたメディア対応の違い。 | フットボールチャンネル | サッカー情報満載! http://www.footballchannel.jp/2014/06/30/pos45664/…

なぜ「それはない」かといえば、日本のメディアが求めているのは対戦相手の情報ではなく日本代表選手の情報だから(もっといえば、1面の見出しや番組紹介や中吊りに選手の名前を使いたいから)。少なくとも一般メディアはそうだし、サッカーメディアの方がもっと選手依存に見える。

<勝っても負けても「どうでもいい」>という層が渋谷や成田に現れたというだけの話では。テレビ視聴率は全体が下落傾向にあるので、過去の数字と単純に比較しても無意味。表層的なコラムだなあ。/帰国した日本代表への温かい出迎えに違和感 http://www.nikkansports.com/brazil2014/colmn/oggi/news/f-cl-tp0-20140629-1325561.html…

「違和感」と言いながら<罵声を聞きたいわけではない。もちろん、水をかけろというのでもない>って、では一体どうしてほしいの?97、98年並みに熱くなれ、と言うのなら、まだ納得できるけど。/帰国した日本代表への温かい出迎えに違和感 http://www.nikkansports.com/brazil2014/colmn/oggi/news/f-cl-tp0-20140629-1325561.html…


7月1日
<アギレ氏の優れた面として、対話により求心力を高める手腕がある>前任者は「選手の言い分を聞きすぎた」とか批判されてませんでしたっけ…。イタリアもサッカー先進国なんだけどね。/アギレ日本は多国籍軍 4カ国スタッフ http://www.nikkansports.com/soccer/japan/nws/p-sc-tp2-20140701-1326619.html…

@daijapan @HuffPostJapan サッカーW杯に限っていえば、あれほどいろんなメディアや企業、広告を通じて「応援しましょう」「感動しましょう」と呼びかけているわけですから、それに応じた人々が試合結果に失望したら、その負の感情も引き受けるのが筋ではないでしょうか。

「バドミントンが世界一になっても報道しないマスコミはけしからん」というツイートを目にしたが、してないわけではないですな。 http://www.asahi.com/articles/ASG5V3R7G5TKTQ203D.html… とか、 http://sankei.jp.msn.com/sports/news/14526/oth14052601060002-n1.htm… とか。ただ、たぶん通信社の記者しか現地に行ってない。

承前)マスコミも記者の人数は有限だから、あらゆる競技の世界大会に自前で取材者を出すことは不可能。W杯に人手を取られるこの時期は特に難しそう。有望競技から優先されるから、優勝の見込みが薄かった「奇蹟の勝利」ほど、見逃す可能性が高くなる。ただ、この優勝により、次の機会には出すかも。

承前)大手マスコミが取材に行かなくともフリーのライターさんが行くケースもある。小野伸二たちが準優勝した1999年のサッカーU-20世界選手権に日本から取材に行ったのは確か4,5人で、フリーの人の方が多かったと聞く。ただ、バドミントンにそういう書き手がいるかどうかは知らない。
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承前)マイナー競技が競技別大会で勝ってもあまり話題にならず、4年に1度のオリンピックだけが騒がれる、という実情はある。五輪でしか大扱いしないマスコミが悪いのか、国民が五輪にしか興味を持たないのか…。

承前)こちらの記事はバドミントン界の諸事情にも触れて興味深い。http://diamond.jp/articles/-/53966 タイミングの問題もあるでしょうな。松井秀喜の引退も、表明が年末ぎりぎりだったため、テレビは正月特番ぎっしりで割り込む余地がなかったのか、特集番組はほとんど作られなかった。

一般論として言えば、「日本のマスコミはこの大問題を隠している!」と大上段に振りかざして断罪しているツイートが主張する「大問題」は、ネットで検索すると、かなり高い確率で、新聞社や通信社が報じた記事を見つけることができる。

そういえば最近は「ググレカス」という定型の批判をめっきり目にしなくなったな。自分で検索しないままに「マスコミが隠している!」と騒ぐ人が増えたことと、何か関連があるのだろうか。必要なことはTLで流れてくるからググる必要もないのだろうか?

@gots_13 4年前のW杯中継に比べて、上からつり下げるスパイダーカムの扱い方が、ずいぶん複雑で技巧的になっていると思います。あれに代表される新技術に関心が行っている分、おっしゃるようなオーソドックスな映像にあまり力が入ってない印象はありますね。

「自分たちのサッカー」というキーワードで新聞記事を検索してみたら、まあ出るわ出るわ。Jリーグ発足以前から、高校サッカーの監督や選手の談話にわんさか出てくる。ともかく我々は、自分たちが「自分たちのサッカー」という言葉を大好きなのだということは、事実として受け入れた方がいい。

承前)代表監督で「自分たちのサッカー」を多用していたらしいのは加茂周、ジーコ、そしてザッケローニ。オシムの記事にはほぼ見かけない。岡田武史は第二期の予選では使っていた。監督がジーコからオシムに変わったら代表選手が「自分たちのサッカー」と言わなくなった、という記事もあった。

承前)高校サッカーで「自分たちのサッカー」という言葉が多用される件については、こちらの記事も参考になる。/自分たちのサッカーとは? 全国高校サッカー選手権出場校から、チームがめざす方向性を考える | サカイク http://www.sakaiku.jp/column/thought2013/004061.html…

ごもっとも。<“自分たちのサッカー”に正解やゴールはありません。自分たちがどうありたいか、何を目指すためにどんなサッカーをするのかを指導者や選手たちが常に考え続けることが大事なのではないでしょうか。>http://www.sakaiku.jp/column/thought2013/004061.html…

@gots_13 喜んじゃうのは映像が場内の画面に連動してるからでしょうね。野球場で昔からあるサービスですが、テレビ見てる側は無意識の表情を見たいですね。2002年大会でアイルランドが負けた時のサポーターのおじさんの、自国代表を誇りに思う気持ちに溢れた顔は、今でも忘れられません。

アジアカップは来年1月。今後もこの日程なら、W杯後に代表監督を変えるのはタイミングとしてうまくない。コンフェデ出場やW杯予選シードを考えると、かなり大事な大会なのだから、次の監督の契約の切れ目はアジアカップまでにした方がよいのでは?W杯でダメすぎたら例外的に変えるとしても。

7月2日
しかし、デシャンとかケシとかクリンスマンとかホンミョンボとか、サッカーでも現役時代を知っている監督が増えてきたなあ。今年のNPBでは代行も含めて14人全員知ってるし(伊原はプレーを見たことはないけど選手名鑑に載ってたのは覚えてる)が、サッカー見物歴も結構長くなってきたわけか。

フランスとドイツの駐日大使館の中の人がツイッターで和やかに「準々決勝よろしく」「28年ぶりだそうですね」などと挨拶しているが、さらにその4年前、スペイン大会のあの壮絶な準決勝の録画を見たら、こんなに和やかではいられなくなるに違いないw まさに「最後にドイツが勝つ」試合だった。

7月3日
アメリカ国内のテレビで「ワールドカップを見る、記録的な大群衆」がニュースになってるところを見ると、今大会は「見るスポーツ」としてのアメリカのサッカーにとって、画期的だったのだと実感する。時差の少ない南米開催も追い風だったかな。

@Mahal やるスポーツとしてはすごく普及していたと聞きますが、見る方がもうひとつ、という認識でした。ワールドカップのたびに「中継が見られない」というアメリカ在住の人のぼやきを目にした気もしますし。得点が、というより「アメリカが1位でない競技は見ない」という印象はありますねw

@yagihexe @Mahal あの国で4大プロスポーツ並みにお金と人材がサッカーに流れ込むようになったら、さらに厄介なほど強くなるかもしれませんね。

@Mahal @yagihexe そんなに入ってるんですか。野球が食われてるんだろうか…W

@Mahal しかも「1年後にリベンジ」という物語までついてきましたしねえ(泣)

>RT 為末さんが「敗れた日本代表を批判することの正当性はどこにあるのか」みたいな質問をして、回答した人に質問を重ねて行ったら、怒りだす人が何人もいるのが興味深い。自分がなぜ怒っているのか、考えたこともない人が結構多いのだなあ。日本代表はいったい何を代表しているのか。

承前)サッカー日本代表に関してはわかりやすい。W杯前にはテレビでもコンビニでも「応援しよう」「感動しよう」と呼びかけてくるし、選手もCM収入などで恩恵を受けている。感動の空手形を切りまくった以上、人々が「感動できなかったじゃねえか」と怒りだしたら、甘んじて受けるべきだろう。

承前)難しいのはオリンピックだ。メディアや広告はW杯と同様に空手形を切るし、選手もキャンペーンに動員されるが、選手の多くはプロではないし、キャンペーンの恩恵も小さい。メダルをとっても名誉以外のリターンは不明。負けると全国民から叩かれる。リスクとリターンが釣り合っていない。

@Mahal なるほど。そういう偶然は大きいですよね。「たまたまその夜は雨が降って大勢が家にいた」とかが決定的になる場合もある。

>RT 大会中に監督自ら(スタッフかも知れないけど)こういうツイートをするマメさ加減は立派。クリンスマンのこういうところもUSAでのサッカー人気向上に一役買っているのかも。

>RT このour countryは、やっぱりUSAのことだよなあw ドイツ代表監督時代からアメリカ在住だったようだから、気持ちは半ばアメリカ人なのかも。

承前)「日本代表選手は、いったい何を代表しているのだろうか」という疑問を初めて自覚的に抱いたのは千葉すずがシドニー五輪代表に選ばれずにもめた頃だったけど、いまだにこれという答えは見つからない。ただ、ジョホールバルでの「私たちそのもの」という山本アナの言葉には当時100%同意した。

@nobody_nobody7 国民はともかく、企業としてスポーツをスポンサードするのであれば、勝利を前提とすること自体が誤っています。そこで「騙された」というのなら、企業人としてはかなり能力が低いですね。そもそも8年前の前例から学んでいないのかと。

承前)たぶん、ある時期までは、国民そのものに(全員でないにせよ、かなりの割合を包括した)一体感があり、選手はそれを代表していたのでは。今は国民の利害も関心もばらばらで、むしろ五輪やW杯の時だけ一体感が醸成されている感じ。「代表選手」の意味合いがまったく変わっているのかも。

承前)スポーツの大会のキャンペーンで、「ひとつになろう」的な文言が、いつからこんなに頻発されるようになったのだろう。少なくとも前の東京五輪の頃にはなかったんじゃないか(広告キャンペーン自体がなかったかも知らんけど)。2011年以降増えたとは思うが、もう少し前からあった気も。

承前)クリンスマンのツイッターなどを見てると、チームUSAのキャッチフレーズもOneNationOneTeamというらしい。今の合衆国の現実と見比べると、これもまた意味深。さっきから日本について書いてることがそのままあてはまりそうな。

「勝って当たり前」「お家芸」のように言われる競技が負けると、自分自身が傷つけられたような気になるんだと思います。どんな競技に「自分自身」を感じるかは個人差もあると思いますが。 @daijapan @harunohi619 柔道が負けた時、批判される理由はなんだと思われますか?

承前)「日本代表」が自分自身の一部であると感じていれば、「日本代表」が負けると自分も傷つき、感情的になる。ただ、本当に「自分自身」と一体化していれば、自分も敗北を我が事と受け止めるだろう。現実には「勝てば自分の勝ち、負ければお前の負け」と無意識に使い分ける人が少なくない。なぜか。

承前)「日本代表」が勝った時には我が事として喜んでいる人が、負けると「あいつらが悪い」と突然他人事に切り替わってしまう、というのがこの問題のいちばん不思議で、興味深いところ。たぶん、やっている本人はそれを自覚していない。為末さんの質問はそれを露にするから、相手が怒り出すのだろう。

@augustoparty 党首さんくらいたくさんの試合を見ていると「勝っても負けてもたかがスポーツ」という認識が根底にあるんじゃないかと思いますが(私もそうですが)、代表が負けて怒る人というのは、もっと過剰なものをそこに託している気がします。掛け金が大きすぎるというか。

@augustoparty オリンピックでもそうですが、「ふだんその競技を見てない人ほど、負けた時に派手に怒る」というのはある気がします。今大会は「誰某が悪い!」「ああしておけば勝てたのに」みたいに、判りやすく怒りをぶつける対象が見つけにくい内容でしたし。

7月6日
「質問」と「批判」と「攻撃」の違いがわからない人が、こんなにたくさんいるのだなあ。/為末大さんdaijapanの「あなたの勝負が失敗した場合、私はあなたを責めてもいいのでしょうか? 」 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/687949

7月9日こんなことがあるのだろうか…。もはや試合とかサッカーとかいう次元でなく、ブラジルという国にこれから何が起こるかが恐ろしい。
posted at 05:35:20

これが海外での大会なら「国に帰れない」レベルの試合だが、よりによって自国開催の準決勝。彼らに逃げ場はない。この結果を受けて3位決定戦をやらなくてはならないことは、セレソンにとって雪辱のチャンスなのか、それとも死者に鞭打つ試合となるのか…。
posted at 05:54:22

決勝、客入るんだろうか…。チケット持ってるブラジル人たちが、この瞬間に全員破り捨てたりしてるんじゃないだろうか…。空席だらけになるのか、あるいはドイツへの恨みをぶちまけ続けるのか…。

ノイアー容赦ない…。
posted at 06:09:25

この試合、テレビ朝日が中継してたらどうなったんだろう。セルジオが泣き松木も沈黙、アナもパニックを起こしてうわ言を繰り返す中、ピッチサイドから名波が淡々とブラジル守備の穴を解説…って感じか。
posted at 06:14:59

ブラジルは空元気で攻めてるようだけど、ここでドイツがもう1点取ったら大崩壊しそうな予感がひしひしと。
posted at 06:18:20

6点目、7点目を失った時のジュリオ・セザールのがっくりきた表情が辛すぎる。2002年のカーンとはまた違った哀しみが。ああ、観客がドイツに声援を贈りはじめた…。
posted at 06:39:19

リプレイを見た印象ではオスカルのオフサイドだけど、もう誰も文句言わんわな。
posted at 06:48:24

ハイライト映像を見てると、ドイツがブラジルのペナルティーエリア前で左右にボールを動かしてるうちに、魔法のように点が入っていく。サッカーがものすごく簡単に見える映像だ。
posted at 07:05:10

「ドイツ代表に移民出身の代表選手が増え、昔よりもテクニックは巧みになったが、かつての不屈の魂が薄れたのでは」みたいなことを後藤健生とかが書いてたが、今朝の試合で見せた情け容赦のなさ、何点取っても黙々とタスクを実行し続ける姿は、まさにドイツ人そのもの。
posted at 11:41:11


7月10日
いやー、シレッセンのあの見るからに自信のなさそうな姿、あれじゃあ止められないだろうなと素人目にも思わせる。準々決勝でPK前に交代になったのもわかる。この大舞台で、触ったシュートを止められなかったとなると、もう一生止められないんじゃないか。相手にも舐められるし。
posted at 07:49:11

@ariaribababa こういうのは動物同士の喧嘩と同じで、いかに自分を大きく見せて相手を威圧するか、というのが大事なんじゃないかと思います。テレビで見てても、ロメロはゴールを塞がんばかりに大きく見えたし、シレッセンの時は逆にゴールが広く感じましたね。
posted at 07:55:28

ブラジルにサッカーがある限り永遠に続く屈辱を植え付けたドイツと、永遠の宿敵アルゼンチンが決勝。ブラジル人にとってはもはや「ワールドカップなんてやんなきゃよかった」レベルなのでは。

これはサッカーにも共通しそう。名コーチの卓見。「きれいなパスを投げるのはテクニック(技術)。どのタイミングでパスを出すかがスキル(熟練、能力)。日本人は技術に優れているが、スキルが足らない」/「汚い練習」が勝利を呼ぶ http://sankei.jp.msn.com/sports/news/14708/wcj14070810000001-n1.htm…

ホンミョンボにこんなこと言わせちゃいけないよなあ。韓国協会は切り札を使う時期を誤ったのでは。<ジミー・カーター元米大統領は、在任期間中、一番自分の役割を果たせなかった米国大統領だったが、任期後は最も立派な業績を築いた。私も努力する>http://www.pitch.co.jp/archives//1736

7月11日
「米国のスポーツ番組がスゴイ」って、これを読む限りNHKのW杯中継&ハイライトとほぼ同じなのだが。/W杯の高視聴率は、アイドルのおかげ? 米国のサッカー番組を見て思う、日本のガラパゴス事情 | http://toyokeizai.net/articles/-/40830

7月12日
ノイアーが最優秀選手の候補でなく、最優秀GKの候補になっているというのは納得しづらいなあ。

7月14日
同じ1-0でも、90年のあのつまらない決勝とは大違い。中身の濃い試合だった。試合後、メッシを先頭に何かを見つめて立ち尽くすアルゼンチンの選手たちの、涙も枯れ果てたような無表情が印象的だ。
posted at 07:18:12

MVPはメッシって、あの表彰されるときの白け切った本人の表情を見るだけで、どんなにけったいな選択かは明白だろう。やっぱりノイアーのダブル受賞でよかったんじゃないの。でなきゃハメス・ロドリゲスでも。

それにしてもドイツの選手たちがグラウンドに連れ込んで抱き合う彼女だか女房だかたちの美人すぎること…。

これは懐かしい。自分に取材パスを出さないとはけしからんとJFAへ文句をつけていた中条一雄氏を担ぐとは、さすが老人のsex特集が売り物の老人誌。/W杯惨敗 協会批判できない御用メディアにベテラン記者が喝(NEWS ポストセブン) http://brazil2014.headlines.yahoo.co.jp/wc2014/hl?a=2040713-00000018-pseven-spo…

今回のワールドカップ中継では、前回から本格的に使われたスパイダーカムの操作の成熟ぶりが目立った。スピードに乗ったカウンターをピッチ後方から追いかけてゴールする頃に真上に追いつく映像がダイナミック。試合前後は選手の周囲でぐるぐるしすぎで、いつか人にぶつかりそうな気もするが。

ブラジルを見習え的言説の中には傾聴すべきものもあるけれど、やたらと「監督をやめさせろ」と言うのだけは見習わない方がいい。長期的な戦略を立てることができず、有望な指導者が次々と傷物になり、利口者はその座を避けて、ベテラン再登板しかない…みたいな状況が理想的とは思えない。

ワールドカップの優勝国は8か国だが、自国開催での優勝経験がないのはブラジルとスペインだけ。5か国は初優勝が自国開催時で、うちイングランドとフランスは自国でしか優勝経験がない。そして、自国以外で初優勝したもうひとつの国が西ドイツ。ドイツは地元でも外でも強かった。

7月24日
メキシコ人指導者自体、Jリーグでもほぼ記憶にないので(選手もほとんどない)、アギーレ監督が就任したらどうなるのか推測のしようもない。今大会のメキシコ代表の監督を見ながら「あんなにアツい指導者は日本にはいないな」と思ったのは覚えている。日本一アツそうな城福浩の100倍くらいアツい。

これまでの外国人代表監督が話していた言語は、オフト=英語、トルシエ=仏語、ジーコ=ポルトガル語、オシム=クロアチア語、ザック=イタリア語で、アギーレはスペイン語。見事に全員違う。アギーレの次の本命はドイツ人か? そう言えばクラマーと岡野さんは何語で喋っていたのだろう。

7月25日
うわ、ファルカンを忘れていた!「黄金の4人」のうち2人が日本代表監督を経験しているのか。1人は鬼籍に入り、もはや可能性はない。残る1人は日本での指導実績が豊富。いつか代表監督になる日があるのだろうか。今の流れだとなさそうだけど。

前回は新監督決定が8月下旬までかかったら「遅すぎる」と批判されていた。今回は手回し良く7月中に決めたら「大会の総括もしないうちに」と批判されている。絶対的な正解はないけれど、育成から含めたグランドデザインを練り直す必要はあると思う。今から検討して、4年後から実行するくらいの。

承前)リーグ戦をプロ化し、ナショナルトレセンを整備するという改革によって、その後の20年の発展があった。今の日本のサッカー界は、今後20年を支える何かを準備できているだろうか?「世界を驚かす準備はできているか」とは、代表選手よりも代表監督よりも、協会に聞いてみたい質問だ。

これを読んで思うのは、この4年間の技術委員会は原ヒロミの個人商店だったのだな、ということ。それ自体は功罪ともにあるとしても、いつまでもそのままではいけないだろ。/原専務理事が語ったW杯の敗因とアギーレ氏招聘の経緯(ゲキサカ) - http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140725-0137571-gekisaka-socc…

ドイツに学ぶべきことはいろいろあると思うけど、例えば代表チームでもバイエルンでも、有力OBが結集している感があるのは羨ましい。日本もそろそろW杯や海外クラブを経験した人材が、協会や代表チームを支えてよい時期ではないか。98年に選手だったデシャンやドゥンガもすでに代表監督なのだ。

代表とJリーグを経験した監督といえば三浦兄、柱谷弟、長谷川、高木、森保、山口、秋田、田坂、相馬、代表はJ以前だが風間、柱谷兄、反町あたりか。コーチで井原、松永。実績からいっても森保は代表監督候補に挙っていいはず。海外経験も考慮すれば、もう少し若い藤田や名波に期待するところも大。

ブラジル代表監督、ホントに「再登板」しかなかったとは…。監督は変わったけど、ブラジルのサッカー界が変わろうとしているとはとても思えない。選手を叱れるタイプを連れて来ることで、国民の怒りを晴らそうとしているだけではないか?(ドゥンガが叱るだけの指導者かどうかは別として)。

@piroyon065 その2人も含め、この世代でJの監督として活躍した人たちは、今のところ主にJ2での実績が多いですね。元Jリーガーで、J1での優勝経験のある監督はストイコビッチ、ブッフバルト、森保一の3人です。

メキシコが勝負強いチームだったとして、それを率いたメキシコ人の監督が、日本に勝負強さを植え付けるということができるのだろうか。逆を考えてみよう。日本代表の特長が組織力にあるとして、日本人監督(例えば岡田武史)がそれを他国の代表に植え付ける能力を持っているのかどうか。

承前)本田圭佑が言うように、組織への適応が、日本人選手が生得的に持つ能力だとしたら、日本人監督はそれを前提としてチームを作る。日本人監督と選手にとって当たり前の前提だから、日本人監督は「組織への適応」を選手に教える必要がない(あっても容易)。とすれば彼にその能力は育ちにくいはず。

承前)となると、国民性に根ざしたメンタリティが代表チームの特長となっている場合、同国人の監督が他国にそれを移植することは、実はかえって難しいことなのかも知れない。ま、これは一般論。アギーレは海外でも仕事をしているから、メキシコ人の長所短所を相対化して把握してはいると思うけど。

承前)実際、ドイツ代表の「ゲルマン魂」あたりは、どこまで実体があるのかは疑問だけど、例えばパラグアイのあの異常な粘り強さが他国に移植できるとは考えにくい。

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それでもなお世界を驚かせる覚悟があるのなら。

 悔しい。

 もちろん敗戦は悔しい。ただ、今回の組み合わせが決まった時点から「絶対勝てない相手もいないが、楽勝の相手もいない。3連勝も3連敗もありうる」と考えてきた。コートジボワールに負けたこと自体は、ありえないことではない。

 悔しいのは、1-2で逆転負けを喫したこのブラジル大会の初戦で、日本らしさ、日本の良さがまったくといってよいほど表現されなかったことだ。
 日本がこれまで強豪国を倒した、あるいは苦しめた時にはいつも、守っては、高い位置からボール保持者に襲いかかり、敵が1人抜いても2人目3人目が食いついてくるしつこさがあり、攻めては3人目4人目がよい位置に動いて、短いパスを速いテンポでつないで相手を翻弄し、守備陣形に隙間をこじ開けたり裏側に走り込んだりしてゴールを奪ってきた。屈強な守備者と対峙しても、日本特有のアジリティーによって隙をついてきた。
 今回のチームは、まさにそういうサッカーをするための23人が選ばれ、その目的に最適ではないと判断された選手はどんなに素晴らしくとも外されてきたはずだ。
 それなのに、そういうサッカーができなかった。

 解説の岡田武史が、試合の序盤で「誰かが100%で守備に行かないとスイッチが入らない。今は全員が80%くらいでやっている感じ」と話していたが、結局、最後まで80%のままで終わってしまったような印象を受ける。
 高温、強い雨、午後10時という開始時刻。ピッチ上のコンディションがどんなに悪いものだったか、見ている者にはわからない。ただ、気候条件が悪ければ悪いほど、それでも試合終盤になっても激しく動き回って、消耗して足が止まった相手を圧倒する、というのも、日本が強い相手を倒したり苦しめた時には必ず見られた現象だった。今回はむしろ日本の方が、動きが重かったようにも見えた。
 ボール保持者に圧力をかけ、苦し紛れに出させたパスを出先で奪って高い位置から攻撃につなげる、というのがよい時の日本のペースへの第一歩。今日は、奪えなかったのではなく、そもそも保持者に圧力をかけていない。一歩目がなければ二歩目以降はない。
 
 理由はわからないし、誰かを断罪するつもりもない。
 ただ、「攻撃的な日本のサッカーを世界に披露する」ことがこの大会のテーマだとザッケローニ監督は公言していた。顔触れと時期からいっても、それは適切な設定だと思う。
 だとしたら、このパフォーマンスのままで大会を終えるのであれば、この4年間の冒険と努力は徒労に終わる。
 監督も選手たちも、そんなことは百も承知だろう。グループリーグの勝ち抜け云々よりも、次の試合でそこが修正され、日本らしい試合が見られることを期待している。

 ワールドカップの「結果」というのは、グループリーグを抜けたかどうかとか、ベスト16になれたか、ベスト8まで進んだか、という成績だけではない。ひとつひとつの試合内容も「結果」なのだ。
 グループリーグであっても、人々の記憶に残る試合、人々に感銘を与える試合というものはある。そういうものを見せてほしい。
 
 気になったのは、試合中の選手の表情や雰囲気が、どことなく2006年大会の日本代表に似ていたことだ。短時間に同点から逆転に至ったという経緯だけではない。リードしている時間帯にも、何かおかしい、何かうまくいってない、自分たちのペースではない、という訝しさを感じているような選手たちの表情が、よく似ていた。

 もしかすると、これは「失うものがあるチーム」だから起こる現象なのかも知れない。
 あの時は、いわゆる黄金世代がピークを迎え、史上最強の日本代表と呼ばれて、本大会前のドイツ戦でも非常によいパフォーマンスを演じた。本大会の初戦の相手はオーストラリアで、グループの中ではもっとも勝ちやすいと目されていた相手。はっきりいえば、勝って当然、くらいの空気があった。選手たちに楽勝ムードがあったとは思わないけれど、相手が格上だと思っている選手もいなかったことだろう。その相手に、どこかうまくいかない、というイヤな感じを持った試合が、イヤな結末に終わった。

 今回は、このところ負けていないとはいえ内容的には課題も多く、選手たちがそう楽観視していたとは思えない。ドログバやヤヤ・トゥーレの怖さもよくわかっている。世界有数の選手がいる強豪国で、その強さも弱さも理解したうえで、それでも自分たちが格下とは思わない。そういう認識の選手が多かったのではないかと思う。
 コートジボワールと対等のつもりとは日本代表も偉くなったものだ…と言うのは皮肉ではない。本当に偉くなったのだ。

 今や日本代表の半数は欧州組だ。ビッグクラブのレギュラー選手もいる。どんな相手にも名前負け、位負けはしないだろう。目標として「優勝」を堂々と掲げるだけの自信と強いメンタリティーも備えている。
 私がよく現場に足を運んでいた90年代の日本代表に比べると、ずいぶんと立派になった。運動会で我が子をハラハラしながら見守る親のような心境で試合を見ていた当時とはまるで違う。ジョホールバルで延長戦に入る前に山本浩アナウンサーが口にした言葉を借りれば、私にとっては今の日本代表は、「私たちそのもの」というよりも、立派になった頼もしい「彼ら」に見える。

 そこに油断があったとは思わない。だが、ひょっとしてペース配分を考えたりはしなかったか。このコンディションの中で試合後半に向けて体力を保持しておかなければ、という計算はなかったか。グループリーグ突破のためにはこの試合で勝ち点3を確保しておかなければ、という打算はなかったか。
 
 ○○しなければ、という意識は動きを重くする。
 メンタルが強くなった、世界の二番手あたりの仲間入りをした、とはいうものの、そういう計算をして、計算通り怜悧に試合を運んで、予定した結果を手にする、というほどの老練さは、日本にはまだないのかも知れない。
 なりふり構わず、必死で、後先考えずに、今、持てる力を出し切ることで、やっと強豪国と対等に、あるいは対等以上に戦える。日本の現在地は、そういうチームなのではないか。少なくともこれまではそうだった。相手や状況に合わせて戦い方を変える、などという器用な真似ができるようになるには、まだ時間がかかるのではないか(と今年のFC東京を見ていても思うわけだが…泣)。
 
 次の相手ギリシャは、守備が堅くカウンターを得意とするチームだ。初戦でコロンビアに大敗したから、次の試合の敗者は大会の部外者になることがほぼ確定する、という試合でもある。
 オシムの言葉を借りると「他人のお祝いを台なしにする能力がある」ギリシャという国に対して、全力で前に出て攻撃的に行くことは、もしかすると馬鹿げた行為なのかも知れない。
 それでも、できるだけ早い時期に、そういう自分たち本来の姿を思い出しておかないと、日本はこのまま、自分たちの良さを見せることができずに大会を去る羽目になるのではないか。それが目下の心配事だ。
 
 日本代表はしばしば、リードされても諦めない反発力で世界を驚かせてきた。今度は試合の中だけでなく、大会の中での反発力を見せてほしい。たとえばソチ五輪での浅田真央のように。
 
 
…と書いた後で、2006年の時はどんなことを書いてたかなあとバックナンバーを読み返してみたら、ずいぶんとよく似た内容なので我ながらいささかどんよりしてきた。進歩がないのは私なのか、日本代表なのか、それともそもそも日本人はこうなのか。サッカー界はその後、ずいぶんと成功体験も重ねて来たはずなんだが。

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もう「統一球」なんてやめちゃったらどうですか。

 昨年、規定を逸脱して飛ばなすぎたボールを内緒で品質改善したことが問題になったプロ野球の統一球が、今度は飛びすぎるというのでまた問題になっている。「プロ野球界の和田アキ子」とも言うべき存在である星野仙一楽天監督もお怒りのようだし、その楽天の正捕手にして選手会長の嶋も問題視している。

 もちろん、プロ野球の使用球は反発係数が一定の範囲となるよう定められているのだから、製造元であるミズノは、その規定に沿ったボールを納入する義務がある。各球団の指導者と選手は、ボールが規定に沿ったものであるという前提の上でプレーしているのだから、違った場合に文句を言うのは当たり前ではある。

 ただ、メディアで見られる監督、コーチ、選手、あるいは球団の経営陣の声は、怒りの感情の濃淡はあれど、「規定通りの球にすべし」という方向では一致している。となれば、ミズノが謝罪して、規定に沿ったボールを納入すれば一件落着ということになる。でも、それでいいんでしょうか。これはそういう問題なのか?
 


 そもそも統一球は何のために始まったのか。導入を決めた2010年8月にNPBが発表したプレスリリースをNPBの公式サイトで読むことができる。加藤良三コミッショナー(当時)の声明文に、こんな記述がある。

<2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などで選手、関係者が国際試合で日本のボールとの様々な違いに戸惑うケースがあることを目の当たりにいたしました。 それをきっかけに春季キャンプの視察などで現場からのボールに関する意見や要望をお聞きし、まずは国内の使用球を統一することにしました。その統一した結果として、国際試合でもNPBの選手のボールに対する違和感が少なくなることを期待しています。>

 そう、思い起こせば統一球が導入された主目的は、選手が国際試合で戸惑わないようにするため、ということだった。
 その効果はどうだったか。2013年のWBCの後には、こんな記事が見られた。

「似て非なる」ものだった統一球とWBC球(スポニチ)

<統一球を手にしたことのある松坂(インディアンス)は、握ったときの感触も含めたその類似度について「大リーグ球を10としたら、統一球は3くらい」と表現する。違和感を感じていたのは投手だけではない。内川は「打ったときにすかすかした感じ」と力が伝わらない様子を訴えた。さらに送球がすっぽ抜けて失策にならないように、低い球筋を徹底する指示も出ていた。>
<与田投手コーチは「全ての選手と言っていいくらい、苦しんでいた。滑ると思うあまり無意識のうちに力が入る。統一球ではあり得ない腕や肘の張りが出る」と指摘する。>

 統一球を公式戦で使っていたにもかかわらず、選手はWBCの使用球に、ものすごく戸惑った。加藤コミッショナーの意図は達成されていない。この段階ですでに「統一球」は失敗だったと言ってよい。
 
 
 統一球が始まったのが2011年。ミズノとの契約は2年間で、2シーズンを終えた時点で見直しを行うとされていたはずだった。だが、2012年オフにどの程度の話し合いが行われたのか明らかにされないまま、翌2013年にも統一球は使われ続け、そして「飛ばなかったボールを内緒で品質改善した問題」が発覚した。
 昨年、この問題が発覚した際には「飛ぶボール」という表現がずいぶんと使われていたので誤解している人がいるかも知れないが、昨年のボールは規定の反発係数の範囲内だった。規定外だったのは、その前の2年間である。つまり、「統一球」は最初の年からすでに、契約上のスペックを満たすことに失敗していた。
 そんな苦い経験をしたはずのメーカーが、今年再び品質管理に失敗したというわけだ。世の中にはミズノを罵る論調が目につくし、まあ非難されても仕方のないことだとは思うけれど、ここまで失敗続きだと、根本的な疑問が湧いてくる。

 そもそも現行のスペックを満たすことが、1メーカーに可能なのだろうか?
 
 日本のプロ野球では、2010年まではミズノを含む4社がボールを提供していた。球団ごとにメーカーを選んでいたので、社によって生産量は違ったのだろうが、いずれにしても、すべてのボールを供給している現在よりはずっと少なかったはずだ。
 統一球の導入が決まった時期の新聞記事によると、<12球団が昨年1年間で使用した一軍試合球は、練習やブルペンなどでの使用も含めて約2万5000ダース>(読売新聞2010年8月24日付、記事中の「昨年」は2009年のこと)だという。
 上述のNPBのプレスリリースには、ミズノが供給するボールの新旧スペックを比較した表がついている。これを見ると、原材料の牛革とウール糸は、それまでの国産から中国製に切り替えたことがわかる。同社は統一球を生産するために中国・上海に工場を作った。価格もそれまでから2割以上下げたというから、相当な企業努力をしたはずだ。というか、かなりの無理をしたんじゃないか。中国製=粗悪品と決めつけることはできないが、日本の熟練工が手縫いで作るボールと同じ品質のものを、始めたばかりの海外工場で作れるとも思えない。
 この生産体制の結果が、度重なる規定違反。となると、もはや「統一球」が求める量、品質、価格をすべて満たすことは、同社の能力を超えていると考えた方がよさそうだ。

 硬式野球ボールにおける国内シェアは知らないが、スポーツ用品メーカーとしてはミズノは押しも押されぬ大企業だ。そのミズノにして品質管理ができないのなら、一体どのメーカーにそれが可能なのだろう。


 MLBの使用球はローリングスが1社で供給している。<年間使用量は約11万ダース。工場はコスタリカにあり、不測の事態に備えて年間使用数の25%の備蓄がある>(読売新聞2010年9月1日付)という。
 この記事には<大リーグ機構(MLB)では「ケン・グリフィーが新人の時と、(今年の新人の)ストラスバーグが投げているボールは同じ」と、同品質の球を大量に安定供給し続ける能力を評価する>とあって、ローリングスは量と品質をともに満たしているように読めるけれど、アメリカに渡った日本人選手の評価はかなり異なる。
 例えばスポーツライターの二宮清順は、2012年春にこう書いている。
<多くの評論家が既に指摘していることだが、メジャーリーグの公式球は日本のそれと比べると滑りやすく、縫い目の山が高い。昨シーズン、ボルチモア・オリオールズからレンジャーズへ移籍した上原浩治は、物憂げな面持ちでこう語っていた。「日本の(高品質の)ボールに比べたら天と地ほどの違いがある。米国のボールはひとつひとつ全て違う。しかもツルッツル。まだ悩んでいます」>

Numberwebにもこんな記事があった。
<「日本のボール製造技術とメジャーの技術(メジャー公式球はローリングス社製でコスタリカの工場で生産されている)を比べると、製品の均一性では日本が圧倒的に勝っているんです」
 その関係者はこう案じていた。
「メジャーの場合は飛ばないといっても、データ上の数字と実際の数字ではムラがある。同じ公式球でも飛距離の差は10フィート(約3.04m)から20フィート(約6.08m)は当たり前という世界で、ときにはそれ以上のときもあるのが実情です。ただ日本の技術で飛距離を抑えた低反発のボールを作ったら、ほぼその規格で仕上がってくる。全部が飛ばないボールになるということです」>

 MLBのボールは、メーカーは統一だけど、日本人の目から見れば品質は統一されていないのが実情のようだ。

 長くなったので、話を整理する。

・統一球導入の目的は「選手が国際試合に戸惑わないこと」だったが、2013年のWBCでは、その効果はなかった。
・統一球の導入から4シーズンのうち3シーズンで反発係数の逸脱が著しく見られたことからして、現行の「統一球」が求める価格と品質と量のすべてを満たす能力はミズノにはない。日本の他社にあるかどうかは未知数。
・MLBのボールの品質のばらつきは日本よりも激しい。従って米ローリングス社がボールの品質を「統一」する能力は日本のメーカーよりも低そうだ。

 こうなると「統一球」は、実体のない概念に近い。そんなものはもはや幻に過ぎないと考えた方がよいのではないだろうか。
 NPBがこれ以上「統一球」に固執する意味が、どこにあるのだろうか。

 私は、「統一球」が規定の反発係数を逸脱したこと自体については、是正は必要だが、そんなに大声で非難するようなことだと思ってはいない。
 そもそも野球というのはアバウトな競技だ。屋根のないスタジアム(それが本来の姿だが)では、風の強さや向き、湿度によって飛距離は影響される。打席から外野フェンスまでの距離や、フェンスの高さも球場ごとに違う。MLBでは左翼と右翼で形状がまったく異なる球場を平気で使っている。内野の芝も、人工芝と天然芝では反発係数は相当異なるはずだ。そういう環境の中で、ボールだけを精密に品質管理しても、あまり意味はないんじゃなかろうか。野球は飛距離を競う競技ではないし、1試合の中で同じ品質のボールが使われている限り、両チームにとっての公平は担保されている。
 さらにいえば、反発係数を定めているのは公認野球規則ではない。それは、国内リーグのアグリーメント、つまり申し合わせ事項に過ぎない。各球団が合意すれば変更することも可能な数値である。もちろん、各球団の合意なく、またプレーする現場に知らせることなく変更してしまうのは「約束事」を破ったのと同じだから、各球団や現場には怒る権利があるし、逸脱は是正されるべきだ。しかし、透明性さえ確保されていれば、あとは定期的に粛々と点検し、間違いがあれば是正していけば、それでよいと思っている。

 「統一球」が導入される以前までは、NPBの試合球の品質はメーカーによってかなりのばらつきがあり、つまり主催球団によって使用球の品質も違った。ミズノの球はよく飛ぶと定評があったことも、こちらの小川勝の記事に詳しい。
 目下お怒りの星野仙一監督も、現役時代にはホームとビジターでは違う品質の球を投げていたはずだ。彼は昔からいろんなことに怒っていたが、ボールの品質に文句をつけていたという記憶はない。2010年までは誰もがそれでやっていたのだから、そこに戻ることに大きな問題があるとは思えない。
 
 「統一球」を試みたこと自体を批判しようとは思わない。試験的に導入したけれど、メリットが少ないので元に戻す。それでいいじゃないですか。
 幸い、このアイデアを始めたお方はすでに球界を去っているのだから、今やめても傷つく人はあまりいないだろうし。


追記(2014.4.16)
 この記事を見ると、2010年段階ですでに12球団すべてがミズノのボールを使っており(うち4球団は他社製品と併用している)、NPBにおけるシェアは圧倒的。統一球になったことで生産量は増えただろうが、たぶん倍増もしていないだろう。原材料を中国産に切り替えたことは、増産よりも値下げのためという意味合いが大きかったのかも知れない。


追記2(2014.4.22)
本日付の朝日新聞朝刊スポーツ面には、詳細な特集記事「FOCUS BASEBALL2014」<統一球「想定外」の連鎖>が掲載されている。興味深いのは以下の記述。
 
<反発係数を一定にするのは技術的に難しい。このため海外の主要プロリーグは反発係数を公表していない。関係者によると、韓国は4社による競合、台湾は1社独占だが、いずれも反発係数の測定結果は未公表だ。大リーグはローリングス社の独占だが、そもそも反発係数の測定すらしていないという>

 つまり、1国のプロリーグの公式戦で試合するボールのすべてを1社が提供し、反発係数を厳格に管理する、というような事業には前例がない、ということだ。そんなことが可能なのかどうかについては、以下の記述が大いに参考になる。

<日本車両検査協会によると「個体差があり、同じ1ダースの中でも反発係数に100分の1単位で幅が出ることもある」という>
 
 今シーズンのアグリーメントが定める反発係数は0.4034〜0.4234である。100分の2の間に収めることが要求されているのに<100分の1単位>で幅があるようでは、サンプル検査をした<同じ1ダースの中>にも違反球が含まれている可能性が高い。
 
 私がこの記事を読んで得た結論は単純だ。やっぱり無理なんじゃないの?

 

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