スポーツに国費が投じられることの意味。

 行政刷新会議の事業仕分けで、スポーツへの補助金が俎上に上った。11月25日に行われた仕分けで、「民間スポーツ振興費等補助金」に対し、「予算要求の縮減」という評価が下されている。
 もちろん、この国家財政窮乏の折に、スポーツ政策だけが聖域であるはずもないので、検討の対象となることに疑問はない。

 事業仕分けに対しては、主として科学技術分野での反発の声が目立っている。

 ときどき拝見している、理科系の研究者で大学教員らしい方の<発声練習>というblogでは、スポーツ補助金への仕分けについて、こんなふうに紹介されていた。

<たとえば、以下の記事をあなたはどう感じるだろうか?

 日刊スポーツ:仕分け人に斬られた JOC補助金縮減
 産経新聞:【事業仕分け】JOC、強化費削減に反対

スポーツが好きな方はこちらの意見にも賛成するかもしれないけれども、それほどスポーツに興味ない方は「不景気なんだし削減されてもしょうがないのでは?」「確かにマイナースポーツをそんなに支援しなくても良いよね」「オリンピック強化選手を支援するのは良いけど、そのやり方は非効率なんじゃない?」という感想を持つかもしれない。>

 科学技術分野も部外者からはそんな目で見られているんですよ、という例として引き合いに出されているわけだ。もっともな見解だと思う。

 ただ、引用した文章については、必ずしも同意しない。
 私はたぶん<スポーツが好きな方>に属すると思うけれど、<「不景気なんだし削減されてもしょうがないのでは?」「確かにマイナースポーツをそんなに支援しなくても良いよね」「オリンピック強化選手を支援するのは良いけど、そのやり方は非効率なんじゃない?」>という意見にはあまり異論がない。

 スポーツが好きだからといって、税金を湯水のごとくつぎ込んで、あらゆる競技で金メダルを目指すのが妥当だとは、私は思わない*。

 JOCの幹部は、日本ではスポーツに対する国の助成が少ない、もっと金を出せ、ということを機会があるたびに口にする。例えば、北京五輪の総括記者会見で、選手団団長を務めた福田富昭は、こう話している


<五輪は国と国との戦いに匹敵する。国策として強化しなければ難しい。(他国が)国のレベルで取り組んでいるのが分かった。中国は大変な支援を受け、韓国もナショナルトレーニングセンターの施設を毎年、充実している>
<(次回ロンドン五輪開催国の)英国はこの4年間で、競技団体に470億円が使われた。日本オリンピック委員会がもらっている強化費は27億円。比べものにならない。もし2016年を東京でやることになれば、ロンドンで(金メダル数で)4、5位につけないと、3位に食い込めない。思い切った策を政府がとらない限り、だめだ>

 福田団長が口にした<27億円>という数字は1年分の金額だから、英国の4年分の金額と並べること自体が詭弁の第一歩なのだが、それは措くとしても、「なぜ日本がメダルをたくさん獲得しなければならないのか」「なぜそのために国費を投じなければならないのか」という疑問に対する答えを、この会見から見出すことはできない。

 もちろん、終わったばかりの(そして彼らが予定していたほどにはメダルを取れなかった)大会の総括をする場で、そんな話をする必要はないのかも知れない。
 だが、国費獲得のための議論の場であれば、仕分け人の1人が口にしたという<「『五輪は参加することに意義がある』はずだったが、今はメダルに意義があるのか」>という質問にも答えるのが、予算を請求する側の責務だろう(文科省側は<「人間の限界に挑戦することも子供たちに夢を与える」と理解を求めた>という)。

 実際には、交付される側はどう反応したか。毎日新聞の記事から、事業仕分け結果に対するJOCと日体協幹部のコメントを引く。

<▼竹田恒和・日本オリンピック委員会会長の話 全体の仕分けで(JOC予算も)横並びにされた感じがある。簡単な議論で判定されている。内容をよく調べた上で声を大にして訴えていきたい。>

<▼市原則之・日本オリンピック委員会専務理事の話 縮減の中身が分からない。スポーツ予算も聖域でなく無駄な部分はあると思うけど、選手強化費は聖域だと思う。今後は民主党ともパイプづくりを考えていかないといけない。>

<▼岡崎助一・日本体育協会専務理事の話 スポーツは国民の活力に必要不可欠。無駄遣いではない。サッカーくじ助成事業は今は(売り上げが)いいからという限定で話している。悪くなったときはどうするのか。>

 記事の中では、以下のような市原専務理事の談話も紹介されている。
<「強化予算100億円を超える諸外国の流れに逆行している。これでは太刀打ちできない」>
<「国費だけでは足りないからやりくりしてる現状が理解されていない。不勉強だし無責任だ」>

 ずいぶんと高圧的なトーンの談話が並ぶ。

 事業仕分けの場での議論は、記録された評価コメントを見る限り、彼らが思っているほど不見識なものではない。
<スポーツ振興基金助成事業やtoto事業との関係を見直した上で効率的な支出を行うべきと考える>
<今日、体育協会の有り様は要検討、組織の陳腐化>
<天下りをなくす>
 それぞれ検討に値する意見だと思う。だが、上のコメントを見る限り、当事者たちはこれらの問いかけに真摯に答えようとしてはいない(あるいは、そもそも問いかけ自体を把握していないままにコメントしている)。
 
 
 事業仕分けの議論内容と、該当分野の人々の言い分を見比べると、スポーツ団体の幹部たちと、科学技術分野の専門家たちの反応は、よく似ている。
 彼らの発言の多くは、「この事業の目的は国家のために重要であり、事業が停滞することは国家にとって大きな損失となる」という論法をとる。

 だが、事業仕分けが問題としているのは、その事業の意義そのものではない。
 多くの場合は、意義を認めた上で「その目的を達成するために、この予算の使い方が最良なのですか? 無駄や無理があるのではないですか?」という問いがなされている。
 そして専門家たちは、その個別の質問には答えようとせず、反論は「この崇高な目的を理解すべきだ」という範囲にとどまっている。
 一言でいえば、噛み合っていない。

 科学技術分野での事業仕分けで象徴的な存在になっている次世代スーパーコンピューター開発については**、事業仕分けの論点として、たとえば以下の問題が指摘されている

<・特に本件は、共同開発民間3社のうち2社が本年5月に撤退を表明し、当初計画から大幅なシステム構成の変更を強いられており、見通しが不透明ではないか。
こうした状況の下、プロジェクトを強行しても、当初の目標を達成することは困難ではないか。
 ・重大な事情変更があったにもかかわらず、引き続きプロジェクトを継続し、本格的着手を行うことが妥当と判断したことについて、説得的な説明が必要ではないか。>

 事業仕分け以前に、そもそもうまくいっていないんじゃないか。そのまま大金を注ぎ込み続けることに不安を感じない方がどうかしている。
 だが、ノーベル賞・フィールズ賞の先生方の声明文討論会では、(当事者組織の長である野依氏も含めて)誰一人この点に答える人はいなかったようだし、それ以外の専門家直接の当事者からの説得的な説明も、私はまだ見つけられずにいる(たとえば情報処理学会の声明の中にも見つけられない)。

 どちらの分野でも、反論や声明がこの範囲にとどまっている限り、部外者からの共感や賛同や支援を得ることは、難しいのではないだろうか。
 
 
 スポーツの強化や普及が不要だとは、たぶん誰も言わないだろう。
 だが、今の日本において、どのくらいの国費を投じて、どのくらいの成績や普及を目指すのが妥当なのだろうか。
 そもそも国費を投じることが妥当なのか。

 JOCには、アマチュアリズムに固執して選手からビジネスチャンスを奪ってきた歴史がある。選手が自力で強化費用を調達することを制限しながら、選手強化のために国費を出せというのは、筋が違うのではないか。

 競技によっては、海外大会への遠征に、特に必要とも思えない競技団体役員がぞろぞろついてくるケースもあると聞く。自治体単位の体協から競技団体への不正受給もしばしば明らかになっている。各競技団体に交付した補助金の使われ方を、JOCや体協はきちんと把握しているのだろうか。

 日本の納税者の中には、オリンピックのメダルなんか要らない、という人もいるだろう。ならば、メダルをとってほしい国民からJOCなり日本スポーツ振興センターなりが直接お金を集める割合を増やしてもいいんじゃないか(スポーツ振興センターには募金制度があるようだが、たぶん、あまり知られてはいない)。

 生涯スポーツの重要性が語られる際には、多くの場合、総合スポーツクラブの普及によって医療費を減らしたドイツの事例が引き合いに出される。だが、医療費とのバーターを目指すのなら、文部科学省だけでなく厚生労働省の領域でもある。文部科学省がスポーツ行政を担当していること自体に無理があるのであって(この省がtotoの胴元を仕切っていることにも無理がある)、スポーツ省が必要なのではないか。

 ちょっと考えただけでも、いろいろ論点は出てくる。このように議論を具体的な領域に落とせば、国民の意見は分かれるはずだ。
 五輪に参加することの意義、スポーツの存在価値を人々に知らしめ、国費を投じることに理解を得るためには、この種の議論を避けて通ることはできないはずだ。JOC幹部のような立場の人たちにとっては、積極的に議論を喚起し、スポーツの意義を世の中にアピールし続けるのも、重要な責務だと思う。

 それをしないまま、ただメダルの枚数を目標に掲げて国費を要求しているだけでは、JOCは単なる補助金配分機関に過ぎない。
 今回の事業仕分けについては、スポーツに国費が投じられることの意味を考え直す機会を与えられた、というくらいの受け止め方を、JOCの偉い方たちにはしてもらいたい。

 自分が望んだわけではない五輪招致活動のために150億円を消費された東京都民としては、特にそう思う。

*
仕分け人の1人から<「ボブスレーやリュージュ」など具体的な競技名も挙げ、「マイナースポーツに補助金をつぎ込んでもメダルに届かないのでは」と質問>が挙がったことに反発する声もあるようだ。だが、JOCが競技団体に交付する強化費用は、メダルの取れそうな競技とそうでない競技にかなりの格差をつけているのだから、この質問にスポーツ界が反発する筋合はない(逆に、その点を批判される筋合もないわけだが)。

**
もちろん、本当に科学の発展を阻害しそうな仕分け評価もあるだろうから、そういう部分では大いに、そして個別具体的に反論していただきたい。


追記(2009.11.30)
為末大の公式サイトに「スポーツの仕分け」と題したエントリが記されている。ここでの議論とは違った角度だが、当事者ならではの貴重な意見。事業仕分けに対して、スポーツの現場からこのようにさまざまな議論が起こるとよいのだが。

追記2(2009.12.3)
体協やIOCと、自民党、文部科学省との関係性については、<永田町異聞>のエントリ<スポーツ助成を一本化し「toto」収益を選手強化に>に詳しい。なるほど、これまでは自民党べったりだったから<今後は民主党ともパイプづくりを考えていかないといけない。>なんて発言がJOCの市原専務理事から出てくるわけですな。
コメント欄にも書いたが、アマチュア選手たちの記者会見については同感。

<永田町異聞>は元社会部の新聞記者の方が書いているらしい。本来ならこういう言説がスポーツジャーナリズムから出てきてほしいのだが、本文中にリンクした2つの記事をはじめ、記者自身が選手やスポーツ団体幹部の目線と同化してしまった記事が目立つ。12/3付の報知新聞に掲載された石井睦記者のコラムも同じで、マイナー競技の選手は自腹切って頑張ってるんだから縮減とはけしからん、というばかり。スポーツに限らず、自腹切って頑張って文化活動をしている人は世の中に数え切れないくらいいる。五輪種目だというだけで国庫から金が出ることに、どういう合理性があるのか、という視点は皆無だ。当事者はともかく、記者がそれじゃまずいでしょ。

結局のところ、事業仕分けで指摘されたのは、スポーツジャーナリストたちが看過していた問題なのだ。その問いかけに対する見解も見せずに文句ばかり言っててどうする。そんな人たちが「スポーツは文化だ」「政治や経済より軽視されているのはおかしい」なんて口走ったところで説得力はない。
(とはいえ、玉木正之の日記を読むと、さすがにまともなことを書いていた)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

正力賞はもっと選手にあげてもいいんじゃないだろうか。今年は別ですが。

 2009年の正力賞受賞者が原辰徳に決まった。
 WBCの優勝監督であり、セントラル・リーグのシーズン優勝、CS優勝、そして日本シリーズの勝者。王貞治座長がいうとおり、「国民投票をしても1位になる」に違いない。原の受賞には何の異論もなく、祝福したい。

 ただ、記事に添えられた歴代受賞者リストを眺めると、いささか複雑な気分になる。2000年の松井秀喜を最後に、選手がいない。今世紀に入ってからは監督しか受賞していないのだ。今のプロ野球には「プロ野球界最高の賞」に値する選手がいないのだろうか。

 全体に監督が受賞する年が多いけれど、過去には選手の受賞も結構ある。
 近年の受賞選手は94、95年のイチロー、97年の古田敦也、98年に佐々木主浩、そして2000年の松井と続く。野球界の顔役とも言うべき重量級の選手が並ぶ。現在のNPBに、彼らに匹敵する重量感のある選手は、確かにいないかもしれない(もっとも、現時点で感じる「重量感」には、その後の彼らのMLBや選手会での足跡も加味されているので、当時の重さを思い出すのは難しいのだが)。

 だが、さらにさかのぼると、それほど重量感のある受賞ばかりでもなかった。
 83年の田淵幸一の成績は、規定打席にも満たない凡庸なものだ。西武ライオンズがジャイアンツを破って2年連続日本一になったことと、彼のそれまでの実績に対する功労賞という意味合いが感じられる。87年の工藤公康は、防御率1位とはいえ15勝4敗、それほど突出した数字ではないし、彼はまだ24歳だったから功労賞ということもない。92年の石井丈裕も工藤の例と似たようなものだ。

 反面、例えば90年代最高級の投手である野茂英雄、00年代最高級の投手である松坂大輔は1度も受賞していない。外国人選手の受賞もない(外国人監督では2005年にバレンタインが受賞している)。

 こうやって眺めてみると、もう少し賞を出す側がアグレッシブになっていいんじゃないか、という印象を受ける。
 賞が創設されて30年を超えたが、選考委員会は5人程度のプロ野球OB(とジャーナリスト1人)で、こぢんまりとしている上に、入れ替わりつつも高齢化が進んでいることも、影響しているのかも知れない(若返った沢村賞選考委員会とは対照的。若くても保守的な人もいるが)。

 高齢化そのものや、保守的であること自体を、非難するつもりはない。ただ、「これがなくても野球は成り立つ」という要素をひとつづつ除いていった時、最後に「監督」と「選手」が残ったとしたら、除くべきがどちらであるかは明白だろう。
 軽々しく与えては賞の権威を損なう、という考え方もあるかもしれない。だが、結果として野茂、松坂、金本知憲、さかのぼればランディ・バース、落合博満(07年に監督で受賞)といった一時代を作った選手たちの名が受賞者リストに並んでいないことは、この賞の権威をいささか損なっている(たとえば、筒井康隆に授与しなかったことが直木賞の、村上春樹に授与しなかったことが芥川賞の権威を、いささか損なっているように)。選考する人たちは、そういうことも少し怖れた方がよいのではないかと思う。

 正力賞が、その年のプロ野球に最も貢献した人物、という趣旨の賞であれば、まず選手の中から対象者を探し、適切な候補がいなければ監督を検討する、というくらいの段取りでもいいんじゃないだろうか。王さんが座長になったことで、次回からいくらか変化が現れることを期待する。

 しかし、この賞の第1回受賞者も王貞治なのだな。国民栄誉賞と正力賞という2つの(権威があるらしいけれど選考基準がはっきりしていないという共通点を持つ)賞は、どちらも1977年に王貞治に与えるために創設された、といってもよさそうだ。当時の王貞治が日本にとってどういう存在だったかを、改めて痛感する。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

「ジャイアンツファンのみなさま、ニッポンイチになりました!」

 ホントに勝ったの? これで日本シリーズ終わったの? もう闘わなくていいの?

 試合が終わっても、そんな気分がなかなか抜けない。
 勝利監督インタビューで、原監督が「ジャイアンツファンのみなさま、日本一になりました!」と高らかに叫んだところで、ようやく実感がわいてきた。
 ジャイアンツ、日本一。7年ぶりの日本シリーズ優勝。

 シーズン中も試合を見たことがなかったわけではないが(JSPORTSでは、よく朝から前夜のパ・リーグの試合の再放送をしていたりする)、こうやって毎日戦いながら、じっくりと見ていると、日本ハムは実によいチームだと改めて痛感する。
 どの打順からも打つ、二死からも打つ。小技も利くし、ミスが少ない。反対方向に打ちながら次打者へ次打者へと繋いでいく打線からは、じわじわと追い詰められる恐怖感を覚えた。
 そして守備が素晴らしい。スタジアムで見ていても、右中間、左中間に飛んだ打球は、どれほどよい当たりでも、グラウンドかフェンスに当たるまでは、誰かに取られそうで安心できない。田中―金子の二遊間はもともと定評があるが、三塁の小谷野は体型に似合わぬ機敏で柔らかい動きだし、一塁の高橋は捕手出身だけあって、こまめに投手に声をかける。
 野手陣には、どの選手も喧嘩が強そうな風貌と雰囲気があるし(鶴岡を除く)、ブルペンは若くて勢いがある。
 
 
 振り返ってみれば、1勝目はかろうじて逃げ切ったという記憶しかないし、2勝目も結果的には3点差がついたが8回表に山口が乱れた時は相当危なかった。3勝目は試合時間の大半を劣勢のまま過ごし、最後の数分間でうっちゃる展開だったし、4勝目の今日も、9回2死でなお一打同点、本塁打で逆転サヨナラ、打席にはシリーズでもっとも怖い四番・高橋、という局面だった。
 要するに、安心して見ていられた勝利などひとつもない。なかなか優勝の実感が湧かなかったのも当然だ。
 シリーズMVPに選ばれた阿倍の第一声は、お約束の「最高です!」だったが、まるで勢いがない(第5戦のサヨナラ本塁打の後とは大違いだ)。シリーズの感想を問われて、「苦しかったです」と言ったのは、掛け値なしの実感だろう。シリーズを通じて好調だった投手など思い出せない。
 いちばん良かったのは第2戦で内海の後を継いだ東野だが、その東野が先発した今日は、初回に高橋の打球を手に受けて降板。緊急登板の内海以下の5投手は、それぞれコントロールが定まらない。捕手としては精魂尽き果てたことだろう。

 
 両エースがどちらも故障で登板不能の見込みと伝えられていたシリーズ前には、それならジャイアンツの方が有利だと思っていた。ダルビッシュは日本ハムにとって絶対的なエースだが、グライシンガーはジャイアンツにとって有力なローテーション投手の1人に過ぎない。
 それだけに、第2戦でダルビッシュが登場した時には、情勢は逆転したように感じた。しかも始球式には新庄だ。札幌ドームが異様に盛り上がったのがテレビ画面からもありありとわかった。あそこで新庄を連れてくるとは、反則としか言いようがない(笑)。

 
 上述のように投手陣は安定感を欠き、打線は3・4・5番がもうひとつ、とりわけ四番のラミレスが冴えない。コンスタントに良かったのは二番の松本くらいで、シリーズ男と呼べるような存在は現れなかった。
 調子の良い選手が多かったわけでもないし、第4戦はシーズン中でもあまり見られない、集中を欠いたひどい試合だった。チームとしての完成度はまだまだだ。
 それでも、ジャイアンツは勝った。野村克也が昔から「勝ちに不思議の勝ちあり」と言うけれど、まさにそんな感じのシリーズだった。

 
 得点した場面を思い起こすと、効果的な本塁打もあったものの、集中打で走者を還した場面が目に浮かぶ。
 第1戦の決着をつけたのは代打・李のタイムリーだったし、第3戦、空中戦での均衡から抜け出したのは、二死からの坂本が選んだ四球がきっかけとなった。
 9回裏の本塁打2本でひっくり返した第5戦も、届かなかった1点差にようやく追い付いたのは、代打・李の韓国式避けない死球と、代走・鈴木の初球から当り前のように走った盗塁、そして代打・大道がしぶとく食らいついて二塁手・田中の頭を越えたタイムリー。今日も6本しか打てなかった安打のうち4本が得点に結びついている。
 シーズン中は3割近い猛威をふるった日本ハムの代打陣は結果が出ず、シーズン中はさほどの打率ではないジャイアンツの代打陣は、しばしば試合を決める働きをした(それはクライマックス・シリーズからの流れでもある)。
 ばたばたした局面もあったけれど、チームはここぞという場面で高い集中力を発揮した。

 
 原監督の胴上げは、いつまで続くんだろうと思うほど回数を重ねた(全部で10回だったらしい)。
 テレビ画面に映った胴上げの輪では、誰ひとり、外側を向いている者はいなかった。
 チームの誰もが同じ方向を見ていた。
 この苦しい競り合いの連続を抜け出す、最後のひと押しとなった何かが、胴上げの光景に現れていたような気がした。

 そして、その何かを築き上げたものは、きっと原辰徳の、どこまでも空高く抜けていくような明るい声と、あの笑顔だったに違いない。
 
 
 それにしても今週は贔屓チームが次から次へと優勝する。こんなことがあっていいんだろうか。
 
 
 あと、日本シリーズのラジオ中継で井端、テレビ中継で立浪の解説を聞いたが、2人とも実に説得力があり、他球団の選手のことをよく見ており、話も面白い。解説でもコーチでも今すぐ一流になれそうな選手が、2人も試合中のグラウンドにいたのだから、なるほど中日は強いわけだ。

| | コメント (6) | トラックバック (2)

松井秀喜の戴冠。

 今年のワールドシリーズは6試合目で決着がつき、ヤンキースがフィリーズを下した。新装ヤンキースタジアムで最初の、そしてチームとしては9年ぶりのワールドチャンピオン。
 第2戦に続いて、この試合でも決勝ホームランを放った松井は3安打6打点の大爆発で、シリーズMVPにも選ばれた。日本人として初めて、そして、DH専門の打者としても初めてのワールドシリーズMVPだ、とMLB.comの記事は伝えている。
 松井はアメリカで、ようやく彼にふさわしい称号をひとつ手にした。

 優勝が決まった直後のNHKのインタビューで、松井は「長かったですね」としんみりと語った。
 彼のことはプロ入り前から見ている。いつも取材には誠実に応対する選手だが、同時にいつも、どこか鎧を着たような喋り方をする。こんなに無防備で素直な口調で話す声を聞くのは初めてで、それ自体がこの優勝の実感を、何よりも明瞭に伝えていた。

 インタビューを終えた松井が、スタンドに沿って場内を一周する選手たちの列に加わると、勝利直後にマウンドのあたりでがっちりと抱き合っていたデレク・ジーターが、また松井に抱きつき、嬉しそうに隣を歩きながら、離れようとしない。この主将が、日本から来た僚友を、どれほど大切に思っているかが伝わってくるような姿だった。
 以前も書いたことがあるが、この2人の、試合に取り組む姿勢はよく似ている。彼らを大切にしていたジョー・トーリ前監督が去った今、2人にとっては互いこそが、チーム内での最大の理解者なのかも知れない。


 グラウンドのお立ち台で行われたMVP表彰でのインタビューは現地の映像と音声のままだったが、通訳を通していたので、日本語での質問と回答もそのまま伝えられた。

ーー受賞の気持ちは
 最高です。自分でも信じられません。
ーー日本でも優勝した経験があるが、違いますか
 また違った喜びがある。とにかく今は最高です。
ーー契約の満了年だが、ここでまたチャンピオンを目指すつもりは?
 そうなればいいと思っています。僕はニューヨークが好きだし、ヤンキースが好きだし、チームメイトが好きだし、ヤンキースのファンが大好きですから。

 最後の言葉が訳された時、スタンドは大いに沸いた。ニューヨークのファンもまた、彼を愛している。スーパースターなら飽きるほど見てきた彼らは、グラウンドで利己的に振る舞う選手と、チームの勝利のために尽す選手との違いを、よくわかっているのだろうと思う。


 渡米して7シーズン。20代の若者だった松井は35になった。
 渡米した2003年のシーズンに、彼の活躍もあってリーグ優勝決定戦を勝ち抜き、ワールドシリーズに進出して敗れた。98年からワールドシリーズに3連覇、2001年まで4年連続でシリーズに進出していたヤンキースのことだから、チャンスはすぐまた来るだろうと私は思っていたし、松井もたぶんそう思っていたことだろう。「長かった」という彼の言葉は、私のものでもあり、日米の数多くのファンのものでもある。

 ワールドシリーズで打った3本目の本塁打はリアルタイムで見ることができなかったが、後で見た映像で、2000年の日本シリーズで彼が打った本塁打を思い出した。
 ダイエーホークスと対戦し、「ON対決」と騒がれた日本シリーズの、初戦の1回裏の最初の打席に入った松井は、そこに立った時から特別な空気をまとっているように見えた。とんでもない速さでバットが一閃し、それからおもむろに打球が舞い上がって、ゆっくりとバックスクリーンの右に落ちていった。何か、人智を越えた予定調和を見たような気がした。
 「ON対決」などというのは中継のテレビ画面の中の概念であり、実際に東京ドームのグラウンドに君臨していたのは松井秀喜だった。
(次の打席からは、その空気は消えて、松井は一野球選手に戻っていたのだが)
 松井はこのシリーズで3本の本塁打を放ち、ジャイアンツを4勝2敗の優勝に導いて、日本シリーズMVPを獲得した。

 ヤンキースタジアムの2階席に舞い降りた本塁打も、あの日のそれによく似た軌道を描いていた。
 いろんなものを犠牲にして、願い続け、待ち続けた舞台に、満身創痍になってようやくたどりついた時、最高の状態が、彼に降りた。そんなふうに見えた。


 今季で松井とヤンキースとの契約は満了する。彼が来年どうなるかは、まだわからない。年俸を大幅に下げた1年契約が提示される可能性があると思うが、それを松井サイドが受け入れるかどうかもわからない。
 わからないことばかりの来シーズンだが、ひとつだけ、私が確信していることがある。
 松井が次にヤンキースタジアムの左打席に立つ時、スタンドは大きな拍手と、おそらくはスタンディングオベーションをもって彼を迎えることだろう。
 その時に彼が着ているユニホームが何色であろうとも。

 ヤンキースでの松井は、ディマジオやマントルにはなれなかった。
 だが、チームを去った後も、いつまでもファンから愛され、尊敬され続けたポール・オニールやティノ・マルティネスのような存在になった、とは言えるのではないかと思う。
 数多くのスター選手がやってきては、その多くが傷つき、惜しまれもせずに去っていくこのチームにおいて、それはきわめて希有なことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京の魂。

 FC東京、ナビスコ杯2度目の優勝。感無量。

 相手は現在リーグ首位、今季2戦して2敗のフロンターレ。こちらはカボレをオイルマネーに奪われ、石川をケガで失い、長友もベンチスタート。今シーズンのベスト布陣から3人を欠くという圧倒的に不利な状況が、かえってチームのやるべきことを明確にしたのだろう。先制し、相手のストロングポイントを潰し、前がかりになった相手からカウンターで追加点を奪い、最後はハーフコートゲームになっても構わずにディフェンダーをどかどかと投入し試合を壊して逃げ切る。戦力に不備のあるチームが勝つためのお手本のような試合展開だった。

 ゴール前へのハイボールに迷わず飛び出し、ことごとく跳ね返した権田、若い椋原、誰もが一瞬たりとも集中を切らすことがなかった。フロンターレの選手にとっては、かわしてもかわしてもディフェンスが湧いてくる、悪夢のような試合だったことだろう。そのピッチの中心部には、1人にかわされてもパスが出た先まで追っていく、ゾンビのような米本がいる。先制ゴールだけがMVPの理由ではないはずだ。

 表彰式でトロフィーを掲げる羽生がカボレ9のユニホームを着ているのに気付いて涙し、羽生に続いてチェアマン杯を受け取った藤山がキャプテンマークを巻いているのに涙し、またしてもベンチで優勝を見守る羽目になった塩田のはしゃぎぶりに、また涙。
 グラウンドに降りた塩田が満面の笑みで抱きついた相手は、たぶん引退を決めた浅利だったと思う。藤山も今季限りで東京を去る。
 でも、彼らが培ってきたものは、しっかりと若い衆が受け継いでいる。
 初めてFC東京の試合を見て、一生このクラブについていく、と決めてから10年が過ぎた。当時とは顔触れも戦術も変わったが、試合から受ける印象は少しも変わらない。それがたぶん、クラブの伝統とか魂とかいうものなのだろう。
 
 
…と、ここまで書いたところで、味スタで優勝報告会が開かれることに気付いて、飛田給に向かった。 決勝のチケット争奪戦には敗れたが、せめてチャンピオンたちに祝福を贈りたかった。京王線の車内は、国立から移動してきたと思われるサポーターたちで一杯だった。
 ぎっしり埋まったホーム側のゴール裏スタンドに挨拶に立った城福監督は、浅利について言及したところで、絶句した。感極まった、という形容がよく似合う表情だった。メモをとったわけではないのでうろ覚えだが、城福監督は、こんな話をした。

…僕は、サリをベンチ入りの18人に選ぶことができなかった。
 小平での練習で、いちばん良い準備をしていたのはサリでした。彼はその日、小平のロッカーで号泣したと聞きました。
 ウチのスタメン11人は、Jリーグでいちばん若いチームです。決勝の国立のピッチで、5万人の観衆を前にしたら、雰囲気に呑まれ、足がすくみ、普通のプレーなどできるはずがないと思っていました。
 僕は、サリに許可を貰わずに、試合前のロッカールームで彼のことを話しました。
 決勝のプレッシャーに勝るものは、サリの涙しかなかった。
 「『いい経験をしました』『頑張ったけど負けました』などという試合をして、サリに顔向けができるのか」、そう話しました。
 だから、試合が始まっても、スタンドの皆さんの姿は、彼らの目には入っていなかったはずです。見ているサリに恥ずかしくない試合をすることで、彼らの頭は一杯だったはず。
 2004年は、ジャーンの涙が勝たせてくれた。
 今日は、サリの涙が勝たせてくれました。  …

 今季限りでの退団が決まった藤山は「代表に呼ばれたこともない僕が18年もやれてよかった」というような話をしたと聞く。藤山も浅利もそんな選手だったが、しかし、彼らが紛れもなくチームの背骨だった。
 そんな選手がいるクラブ、そんな選手をおろそかにしない監督、そんな選手の背中を慕う若い選手たちを、嬉しく思う。


追記(2009.11.5)
優勝報告会における城福監督の挨拶は、サポティスタにYOUTUBE映像と、起こした文章(映像の3分18秒あたりから)がアップされている。
http://supportista.jp/2009/11/news04124102.html
私のうろ覚え記事は、大筋はともかく細部はかなり違うので、あとで修正しようと思います。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

楽天はどこへ行こうとしているのか。

 本当にユニホームを脱いで監督業を終わりにするのかどうか、いまだに半信半疑なのだが、クライマックス・シリーズに敗れ、胴上げされた後の囲み取材における脂っ気の抜けた語り口を聞いていると、野村克也監督自身は、少なくとも現時点では、これで監督業も終わり、と思っているようだ。もう次のオファーはないだろうと思っているからこそ、楽天での「もう1年」にあれほど固執したのかもしれない。

 長くお読みいただいている方はご存知の通り、このblogでは、野村克也という人物の言動、とりわけWBC代表監督をめぐる言動について、何度となく批判してきた。
 しかし、それはあくまで現場を離れた彼の言動に対するものであり、彼の指導者としての能力を否定するものではない。
 私はかつて、楽天初代監督の田尾が解任され、次期監督に野村の名が浮かんできた頃に、彼はこのチームの監督には適していない、とこのblogに書いたことがある。
 だが、その後、さしたる補強もないままに、チームをリーグ2位にまで浮上させた結果からいえば、間違っていたのは私だ。
 野村はかつて、戦力が充実しつつあったヤクルトでは黄金時代を築き、戦力が乏しかった阪神では最下位から浮上できなかった。楽天の状況では阪神の二の舞いだと予想していたが、今度は乏しい戦力でチームを2位にまで引き上げた。野村は齢70を過ぎて新境地を示した。

 彼が楽天で具体的に何をしてきたのかは知らないし、若手を育てたとか山崎武司を再生したとかいうのは、これまでもやってきたことだから驚きはしない。
 が、岩隈が復活を通り越して大きく成長したのには感嘆した。野村就任以後も2年間は故障を繰り返していた岩隈が、3年目には投手のタイトルを総なめにし、4年目の今年はWBCで活躍、その後のペナントレースでも昨年には及ばないにせよ、活躍と呼べる成績を残した。
 過去の故障の影響やWBCの疲れもあり、試合途中でマウンドを降りることの多かった岩隈に対し、野村監督は、メディアを通じてさんざん嫌味を言い続けていたけれど、逆に言えばそれは、岩隈(またはトレーナー)の希望した通りの投球数や登板間隔を守っていたことの現れでもある。たった2人しか信頼できる投手がいない中で、その2人を酷使して潰すことなく活かし切った。好投手を何人も解体したヤクルト時代の轍を踏まずに済んだのは、誰にとっても幸福な結果だった。

(なお、中村紀洋を褒めちぎって獲得したけれど再生しそこねた件については、世間のほとんどの人が忘れているようなので、深くは突っ込まないことにする)
 
 
 シーズン終盤からCSにかけての、自らの去就をめぐる言動は、これはもうこの人の仕様なのだ。球団フロントと駆け引きせずにはいられない性格なのだから仕方がない。
 ただし、ヤクルトや阪神と異なるのは、これが、野球界の中だけで生きてきた老将と、自分たちのビジネスの流儀を野球界でも押し通そうとする楽天の若い経営陣との異文化衝突でもある、ということだ。
 勝てば生き残り、負ければ追われる。勝負がすべての世界に生きてきた野村にとって、与えられた戦力から期待しうる成績を大きく上回る結果を残したにもかかわらず、任期満了の壁が越えられないという事態が、理解不能であっても不思議はない。
 
 
 プロスポーツのクラブにおいて、優秀な成績を残した指導者を解雇するという行為が正当化されるのは、経営陣が、現体制を維持する以上にチームを良くするためのビジョンを持っている場合に、ほぼ限られる。

 私の記憶の中から似たような事例をピックアップしてみよう。

 横浜ベイスターズは、97年にチームを2位に躍進させた大矢明彦監督を解雇し、投手コーチだった権藤博を後任に据えた。結果は1960年以来のリーグ優勝と日本一。以後も3年続けて3位とAクラスを維持した。
 当時は大堀隆という球団社長が、親会社からの出向にもかかわらず、優れた手腕を発揮して経営とチームを改革していた(本人が熱烈な野球好きで、自ら志願しての出向だったと記憶している)。

 千葉ロッテマリーンズは、95年にチームを2位に躍進させたボビー・バレンタイン監督を1年で解雇し、シーズン途中からヘッドコーチになっていた江尻亮を後任に据えた。翌年、江尻はチームを5位に落とし、1シーズンで退任した。
 当時のロッテは95年に広岡達朗がGMに就任。自ら招いたバレンタインとの間で指導法をめぐって対立し、好成績にもかかわらず1年で切った。江尻が千葉ロッテ入りしたのは、早大の先輩である広岡の誘いによるものと伝えられたから、広岡は、バレンタインと違って自分の言うことを聞く後輩を監督に据えたのではないかという憶測が成り立つ。結局、広岡もこの年を最後にGM職を退いた。

 さて、現在進行中の楽天のケースは、どちらに近いのだろうか。

 楽天の編成部長は2007年暮れから三村敏之が務めている。今年5月に、病気のため休養し楠城徹編成部長補佐が代行する、と報じられ、その後復帰したという話は聞かないが、ドラフト会議に顔を出すかどうかで明らかになるだろう。*

 後任監督は、今季まで広島カープを率いていたマーティ・ブラウンが有力らしい。野村監督が楽天の三木谷オーナーから聞いたと報じられている。ブラウンは三村が広島の監督に就任した時、現役選手として在籍していたから、この人事には三村も介在しているのかも知れない。

 楽天はコーチ8人の解雇も決めた。一軍スタッフ9人のうち6人が退くことになる。ヘッドコーチはもとより、打撃担当は2人ともいなくなる。野村監督の就任以来、二軍を任されてきた松井優典二軍監督も今季限りだ。野村が連れてきたヤクルト時代の人脈が一掃された、という印象は否めない(それなのに野村克則バッテリーコーチだけが残る**、というのも、何とも曰く言い難い印象を残す)。
 CS進出を逃した球団のいくつかは、すでに監督やコーチ陣の人事を発表している。だから、楽天を解雇されたコーチたちが「今の時期に言われても就職口が探せない」と嘆いている、とも報じられている。

 この球団は、創設初年度に、開幕から一か月でヘッドコーチと二軍監督を入れ替えるという人事を行ったことがある。当時、私はこのblogに<こんなことをやっていたら、この球団は今後、優秀な人材を集めることがどんどん難しくなっていくだろう>と書いたが、今回も感想は同じだ。
 直近の4年間は、野村監督の下で野球を勉強したいというモチベーションの人材がいたのだろうが、そのインセンティブは失われた。楽天コーチ陣の報酬額は知らないが、選手への金の使い方を見る限り、他球団に優るとは考えにくい。とすれば、指導者にとって、この球団で働くことにどんな魅力があるだろうか(東北出身者は別だろうが)。

 投手陣に関しては佐藤義則コーチが残るのだからさほどの問題はないかも知れないが、このチームの野手のほとんどは発展途上にある(大ベテランの山崎武司にだって、この形容はあてはまりそうな気がする)。本人に任せておけば大丈夫、と言えそうな選手はほとんど見当たらない。
 96年の千葉ロッテ、98年の横浜、いずれも後任監督は内部昇格だった。急成長したチームをさらに伸ばそうという目的があるのなら、急成長の過程に関与してきた指導者が継続性をもって指導するのが適切だろうという想像はつく。
 だが、楽天は監督もコーチも大半を外部から連れて来て、いままで接点のなかった選手たちを指導させようとしている。冒険的な人事、といって差し支えないと思う。
 
 
 ネットを眺めているうちに、楽天が田尾を解雇し野村克也を後任に据えた2005年オフに、三木谷浩史オーナーと島田亨球団社長がこの件について語っているインタビュー記事を見つけた。
 三木谷はこう語っている
<今年1年を経験し、『強くならなければいけない』と思い知ったのも事実。マスコミは『あんなに弱かったけれど人気はあった』というとらえ方をしています。でも、年間を通じたデータを厳密に見ていくと、『そうでもない』ことが分かってきたんです。>
<応援してくださった皆さんの気持ちは大変よく分かりますし、心から感謝しています。強い愛着を持ってくれるコアなファンはとても大事だと思っています。けれども、事業として進める以上は『ファンを増やす』ことがどうしても必要になる。その場合、やはりチームは強くなければいけない。>

 それを受けた島田社長の談話
<このチームは大急ぎで強くならなければいけない。今年1年を経験して、それを痛感したんです。そのためには豊富な経験や知識が必要だと、考えたんです>

 このような判断と構想によって田尾から野村へという交替を行った、という話は理解しやすい。事実、彼らはそのビジョンを実現した。前回の監督交替は成功だったと言える。野村の「任期満了」について、彼らがどんなビジョンを抱いているのかは、まだ明らかにされていない。

 一連のインタビューの中で、島田社長はこうも語っている

<1年を経験して分かったことがもう一つあります。それは、単純なお金の論理だけで、野球チームを強くすることはできない、ということです。ドラフトを通じて獲得できる選手には限りがあります。外国人選手にどれだけお金をかけても、その選手が金額通りに活躍するとは限りません。これは、これまでの歴史が証明しています。そもそも、選手獲得以前の問題として、このチームはどんな野球を目指すのかがはっきりしなければいけない。それをはっきりさせて、初めて、どんな選手がどれだけ必要なのかが分かるわけです。どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは監督の仕事だと思います。ですから今回、その仕事を即座にしていただける方に監督を引き受けていただきました。ここから、改めてチームづくりをスタートさせようと思ったわけです>

 もっともらしいけれども、ここには重大な誤解がある。
 <このチームはどんな野球を目指すのかがはっきりしなければいけない>のはその通り。だが、<どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは監督の仕事>というのは間違っている。
 理由は単純。監督はいずれいなくなるからだ。野村克也が打ち出した野球は、別の指導者には実現できない。監督が替われば白紙に戻ってしまう。

 だから、どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは、監督ではなく球団の仕事。こう話している島田自身の責務なのだ。島田にそれができないのであれば、それを託せる人物を経営陣に用意しなければならない(肩書きから見れば、それが三村編成部長ということになる)。
 
 
 かつて日本のプロ野球には、残り2試合で1勝すれば優勝できるという局面で、自軍のエースを呼び出して「勝ってくれるな」と話すような経営陣がいた(江夏豊が、岡田彰布との対談本「阪神はなぜ勝てないのか?」(角川oneテーマ21)の中で詳述している)。
 100敗寸前だったチームを4年で優勝争いするまでに育て上げた優れた指導者と契約を更新しないという楽天の選択からは、邪推すれば、当時の阪神と似た匂いが漂っているようにも感じられる。

 近く発表されるであろう新監督とコーチ陣の編成、そして来季に向けたドラフト・外国人・FA・トレード等の補強を通じて、楽天は<どんな野球を目指すのか>を示し、当時の阪神とは違うのだということを表現する必要がある。それが野村監督を惜しむファンへの責務というものだろう。
 そして、できれば経営陣には、楽天イーグルスがこの人事によってどんな球団、どんな野球を目指すのかについて、自分たちの言葉で明確にビジョンを語ってもらいたい。
 野球界の経営陣には、そんなことをする伝統はないが、ここは、彼らが育ってきたベンチャーの世界のやり方を、大いに持ち込んでもらうことを期待している。


追記)

 雑誌フラッシュ10/20号に、初代監督を務めた田尾安志の手記が掲載されていて、ここでの楽天経営陣への批判が興味深い。

<コーチ陣も10日で決めないといけなくて、予算も「これだけでやってください」と。他球団と比較したらかなり安かったです。僕が中心に人選して、給料も誰がいくらでと1人づつ報告しました>

<補強は最初に外国人をお願いしました。「日本人選手は絶対に劣りますので外国人の4つの枠をなんとか成功させたい」と頼みましたが、あまり出してもらえず、獲得したのは2千万〜5千万円クラス。平均以下で助っ人になるのはいなかった>

 上述したコーチの降格人事についても触れている。
<11連敗で僕が連れてきた2人のコーチを二軍に降格するというので、「負けは彼らのせいでもないし、そんなことをしても意味ない」と反対しましたが、世間に動いている姿を見せたいからと言われ、「わかった。しかし1人でもユニホームを脱ぐと位ったら、俺も辞めさせてください」と。>
 実際に1人が辞めると言い出して、田尾も辞表を出したが、そのコーチが結局は残ることになり、田尾も辞意を撤回したという。

<とにかくチームを作るにあたって毎日フロントとのやりとりがあって、グラウンドに立つまでが大変でした。結局は信頼関係だと思いますが、そのへんが難しかった。チームをなんとかよくしたいだけで、無茶なことは言ってないはずですが、三木谷さんの周りには僕みたいにはっきり言う人はいなかっただろうし、ここまで煩わしい人間とも思ってなかったでしょう>

 最後のくだりはちょっと可笑しい。田尾は現役時代から、指導陣やフロントに直言することが多い人物だという評判があり、それが実力も人気もあったわりにチームを転々とした理由だと言われていた(この手記を読めば、実際そうなのだろうと納得する)。楽天が、田尾を<ここまで煩わしい人物>と知らずに監督に選んだのであれば、それは単なるリサーチ不足だろう。
 <退団時に功労金を出すかわりに「球団批判をしない」という覚書も用意されて。それならいらないと断りました>というくだりも笑える。

野村も「あぁ楽天イーグルス」と題した書籍の出版を計画中と報じられた。名誉監督の肩書きと報酬を与え、息子を解雇しないという程度のことで、彼の口を塞げると楽天経営陣が思っているのなら、それもいささか甘いかも知れない。

*
三村編成部長はドラフト会議に出席したが、それから一週間も経たない11/3に急逝。驚いた。まだ61歳、若すぎる。ご冥福をお祈りする。

**
野村克則は、球団からは来年の契約を求められたが、かつて在籍したことのあるジャイアンツの二軍バッテリーコーチへの就任が内定した。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

吉見ニンニク注射問題についての個人的なメモ。

 中日の吉見投手がドーピング規定違反の疑いでNPBの調査を受けていると知ったのは、23日の新聞記事でだった。 「一部スポーツ紙」の報道が契機でNPB医事委員会が調査に乗り出したというので、報知か?と思ったら、報知にも「一部スポーツ紙」と書いてある。結局、中日スポーツだというので、何だかなあ、という気分。

 元の記事の実物は読めていないので報知からの孫引きになるが、最初に報じられた内容はこういうことらしい。

<一部スポーツ紙が、公式戦中の登板前後に通称「ニンニク注射」と呼ばれる疲労回復の点滴を受けていたと報道。>
<報道によると、吉見は今年7月途中から、登板前後にナゴヤドーム内の医務室で30分程度の時間をかけ、点滴を受けていたという。>
 
 
 これのどこがドーピング違反になるのかというと、注入した薬物ではなくて、点滴そのものが問題。

 NPB公式サイトにはアンチ・ドーピング・ガイドのページがある。
 主に選手向けのテキストを転載したものと思われ、平易な表現で書かれているが、何が禁止事項なのかは、これを読んだだけでは結局よくわからない。
 ただ、コラム欄の中に< 「元気が出る」注射や点滴は認められるか?>というのがあり、そこにはWADA(世界アンチ・ドーピング機構)の禁止表から、

<「いかなる薬物も、医学的に正当な適応に限って使用されなければならない (The use of any drug should be limited to medically justified indications.) 」>

という文言が引用された後、「正当な適応の医事行為」についてのNPBの見解が記されている。

< 1) 医師による診療記録があり、診断名、診断根拠、医薬品名及び使用量・使用方法などが明確に記載されている。
   2) 薬事法にもとづいて認可された医薬品を用いた治療であり、且つ適応内使用である。  >

 この2点を満たせばOK、というのがNPBの見解。それなら、中日のチームドクターがそれなりのカルテを用意すれば問題なさそうに思える。
 
 
 ただし、NPBのドーピングコントロール規則がWADAの規定に準拠するのだということであれば(報道によればそうらしい)、話はやや違ってくる。

 WADAの禁止リストは、JADA(日本アンチ・ドーピング機構)のサイトで読むことができる(最新版は英文のみ。日本語版は2009年まで)。
 ここで禁止リストを開くと、<Ⅰ 常に禁止される物質と方法>の中に、次の項目がある。<M2 化学的・物理的操作>の第2項だ。

<静脈内注入は禁止される。但し、外科的処置の管理、救急医療または臨床的検査における使用は除く。>

 つまり、原則として点滴はNGなのだ。
 吉見の場合、登板前後に定期的に注入していた、という報道が正しいのであれば、素人目には、ここに示された除外事項に該当するとは考えにくい。
(このあたり、WADAの最新の禁止リストと、NPBアンチ・ドーピング・ガイドの表現との間に、いささかの齟齬を感じる。今後の処分の是非を巡って、問題になってくるかもしれない)


 静脈内注入が問題になったケースとしては、Jリーグで2007年に川崎フロンターレの我那覇選手が処分を受けた事例がある。我那覇は処分を不服として、スポーツ仲裁裁判所に裁定を持ち込んだ。翌2008年に下った裁定は、Jリーグに処分取り消しを求めた。つまり、結論はシロ。
(その後のJリーグの対応には大いに疑問が残るのだが、ここでは触れない)

 このケースでは、吉見のように点滴を定期的に行っていたということではなく、発熱や下痢の症状に対する治療として行われた。そのため各クラブのチームドクターたちはJリーグの処分を不服とし、我那覇の支援活動を行っている。

 「川崎フロンターレ・ドーピング事件を検証して、日本に正しいアンチドーピングが実現することを願う会」のサイトに、JADAへの質問状とその回答がアップされている。
 ここで注目したいのは、<上記M2.2の事項における「正当な医療行為」とは、現場で担当の医師の判断にゆだねられるか否か>(註1)という質問だ。JADA側の回答は「現場の医師にゆだねられる」である。

 「現場の医師にゆだねられる」のがWADAおよびJADAの見解なら、吉見のケースは中日のチームドクターの判断によりOKということか?
 しかし、禁止リストの該当箇所の文言は、2007年と現在とでは異なる。上記の通り、2009年版では、除外されるケースを、より具体的に示している。現場の医師の判断の恣意性を制限している、とも言える。医師が、選手やチームの意を汲んだカルテを書くことを制限している、とも考えられる。
 従って、「我那覇がOKだったから、吉見もOK」とは言い切れない。

 
 NPBがこれまでにドーピング違反として処分を下したケースは3件ある。ガトームソン(ソフトバンク)、ゴンザレス(読売)、リオス(ヤクルト)。いずれも禁止物質が尿から検出されたケース。禁止方法の違反は、吉見が処分を受ければ今回が初めてとなる。
 化学的な検査が焦点となったこれまでとは異なり、点滴をしていた事実については、中日球団と吉見に争う姿勢はない。となれば、NPB医事委員会が結論を出すまでに、さほどの時間はかからないだろう。中日が日本シリーズに進出するようだと、処分の時期はデリケートな問題となる。
 
 
 気になるのは、元の記事(某所でコピペで目を通した)では、“ニンニク注射”が、プロ野球界でごく普通にそこら中で行われているかのように記されていたらしいことだ。本当にそうなのであれば、球界は違反者だらけ、ということになる。
 実際、ネット上では「清原はニンニク注射を打ってると公言してたのに、なぜ吉見だけ違反扱いされるのか」という疑義を数多く目にする。

 この件だけについていえば回答は容易だ。「昔は禁止されてなかった」のである。
 昔といってもそれほど古いことではない。NPBがドーピング検査を本格的に始めたのは2007年だ。清原がジャイアンツに在籍していた頃には、禁止事項ではなかった。

 中日球団の対応を見ていると、点滴が問題のある行為だとは認識していないようだ。一方、この件に対してジャイアンツの伊原ヘッドコーチは「誰だって(ダメだと)知っている」と批判している。

 どちらが正しいかは別として、球団によってこれほど認識に差があるということ自体、NPBのアンチ・ドーピング活動自体が、まだまだ行き届いていないことを示している。
 実際、中学生でもわかるような平易な文章で書かれているNPBアンチ・ドーピング・ガイドには、ニンニク注射の是非については明記されていない(コーヒーやアルコール、サプリメントについては記載があるのだが)。「ニンニク注射は、禁止って書いてないんだからいいんだろ」と解釈される余地がないとは言えない。

 これを機に、NPB医事委員会は、この種の医療行為に関する見解をはっきりと打ち出すべきだろう。アンチ・ドーピングに関心のない選手や、「明記されてなきゃいいんだろ」と判断したがる球団役員にも理解できるように、明確に。


 で、この件が報じられたその日の夜に、吉見はジャイアンツとのクライマックス・シリーズに先発した。
 もちろん、まだ処分が下されたわけではないから、登板を批判することはできない。
 落合監督はこういう状況を利用して、「俺たちは何も悪いことはしていない。(ジャイアンツに味方して)俺たちを非難する世の中を見返してやろう」みたいな空気をチーム内に醸成するのが得意そうに見える。
 だが、そうやって臨んだ試合に負けてしまった場合には、チームの空気は、より一層どんよりするだろうな、とも思われる。

 また、この件に関して落合監督は「俺は医者じゃない。診断もしてない」とコメントしたと伝えられる(確実なソースは未確認)。
 しかし、摂取する薬物の管理を医者任せにせず、選手自身やユニホーム組がアンチ・ドーピングに関してきちんとした意識を持つことが、現代のスポーツ界に求められているのだということは、少なくとも選手たちには自覚させた方がよい。毛生え薬によって選手生命を失う可能性だってあるのだ、という実例を、日本のプロ野球界は経験している。伊原の「普通の球団なら投げさせないよ」という嫌みは聞き流すとしても、「中日は認識が甘い」という批判には同感。

 なお、「ニンニク注射 清原」で検索していたら、ニンニク注射を実施している医療機関のサイトに、<ニンニク注射は、オリンピック金メダリストならびにオリンピック強化選手といった多くのトップアスリートにご愛用いただいております。>と記されていた。JOCは、強化指定選手たちが何をやってるのか、ちょっと心配した方がいいかも知れない。
  
 
註1)
WADAの禁止リストの文言はしばしば変更される。2007年版の該当部分は<正当な医療行為を除き、静脈内注入は禁止される。>とだった。


追記)2009.10.24

エントリ本文を書いていた頃には結論が出ていたらしい。
朝日新聞の記事を引用する。

中日・吉見投手、ドーピングに抵触せず 治療行為と結論
2009年10月24日16時21分

 日本プロ野球組織(NPB)の医事委員会(増島篤委員長)は24日、中日の吉見一起投手について、反ドーピング規定に抵触した事実は確認できなかったとの調査結果を発表した。

 吉見投手は22日の一部報道で、登板直前と翌日に疲労回復に効果があるとされるビタミン剤の点滴を受けていると伝えられた。そのため同委員会が本人と球団代表者に事情聴取した上で、カルテのコピーも取り寄せて検討したところ、「医学的な正当な適用による治療行為の範囲と判断した」(増島委員長)という。

 問題となった点滴は、いわゆる「ニンニク注射」と呼ばれるもの。点滴などの静脈注射はドーピングの痕跡を隠すために使われる可能性があり、世界反ドーピング機関(WADA)が正当な医療行為の場合を除いて禁止している。

(引用終わり)

本文にも記したが、静脈内注入に関するWADAの現在の規定は、「医学的な正当な適用」であるかどうかを問題にしてはいない。<外科的処置の管理、救急医療または臨床的検査>の3項目以外は禁止なのだ。そして、吉見のケースがこの3項目に該当するとは考えにくいのだが、NPBの説明は、この3項目には触れていないようだ。
まさにこの齟齬の隙間にはまりこむような結論となってしまった。

禁止リストの条文を素直に読めば、NPBの裁定はWADAの規定に反している。NPBのアンチ・ドーピング活動はWADAの規定には拘らず独自の判断によって行う、と表明したようなことになりかねない。

ちなみに、NPBはJADAの加盟団体ではない。野球の競技団体はアマチュアも含めてJADAにはひとつも加盟していない。だから、NPBがWADAの規定に準拠するというのは、自主的な判断であり、強制力はない。

とはいうものの、スポーツ界のアンチ・ドーピング活動において、WADAの規定は絶対的な基準といってよい。WADAの規定を離れて独自の判断を下すという行為は、競技そのものの信用に関わってくる。五輪競技への復帰を目指す競技団体のやることとは思えない。

もっとも、他の競技において、疲労回復を目的とした静脈内注入をWADAもしくはJADAが是認した、という事例が存在するのなら、吉見のケースも何ら問題はないということになる。私は寡聞にしてそういう事例を知らないが、心当たりのある方はぜひご教示いただきたい。
 
 
追記2)2009.11.11
11/10付読売新聞のスポーツ面に以下の記事が掲載されていた。ネットでは見あたらないので全文を引用しておく。

<吉見の点滴「規定に抵触」 WADA副会長が緊急性なしと指摘/プロ野球

 世界反ドーピング機関(WADA)のアルン・ルンクビスト副会長(国際オリンピック委員会医事委員長)は8日、読売新聞の取材に応じ、プロ野球・中日の吉見一起投手が受けた静脈内注入(点滴)について、「治療行為であっても、緊急性がない場合は認められない」として、WADA規定に抵触するとの見解を示した。
 ルンクビスト副会長は、「治療だというなら、事前にTUE(治療用除外)申請を提出し、点滴が不可欠で、それ以外の手法が採れないことを示せば、承認を受けることができる。事前のTUEなしに点滴が認められるのは、緊急治療時のみだ」と語った。
 日本プロ野球組織(NPB)は10月、「医学的に正当な治療行為」との理由で、ドーピング禁止規定違反に当たらないと発表していた。 >

 本文に論じてきた通り、WADAの規定を文字通りに読めば、これ以外の結論は考えられない。
 JADAやJOCの活動に関わってきた専門家であるNPB医事委員長が、なぜそこから逸脱した結論を出したのか、奇妙というほかはない。

| | コメント (17) | トラックバック (1)

で、東京は五輪招致活動を続けるのだろうか。

 2016年の五輪開催地に東京が選ばれなかったこと自体は、招致活動が始まったころから予想していたので驚きはない。落選を伝えるニュースの中では「北京の翌年では早すぎた」とか「『なぜ東京か』が見えなかった」などと敗因が語られているが、それらは立候補して計画書が発表された時点からわかっていたことだ。

 結局のところ、リオデジャネイロにおける「南米初の五輪」という単純明快なアピールポイントに勝る何かを、東京の招致活動に当たった人々は、提示することができなかった。
 最後は「環境」にポイントを絞ったようだが、すでに94年の冬季五輪で「環境に配慮したオリンピック」を掲げたリレハンメルが選ばれており、夏季大会はシドニーでも北京でも「環境五輪」をアピールしている。もはや環境に配慮するのは当然のことで、スローガンとしてのインパクトはない(だいたい、調査団にお台場の予定地を見せておいて「環境に優しい大会にします」と言っても説得力はなさそうだ。ま、お台場における環境改変はすでに終わっているので、そういう意味ではあの上に何を作っても「自然破壊」ではないだろうけど)。

 石原慎太郎都知事は、都庁サイト「知事の部屋」内の「都民のみなさんへ」というページで、先月初め、次のように語っている。

<誰が何を考えているか、本当にわからない。そういう点でね、まあやっぱり、どういうんでしょうかね、できるだけ冷静に、選手のためを思ってね、競技の進行がスムースに行って、安全に行われて、しかもそのための環境が整備されたりしないかってことは、あちこちのオリンピックを主催してきたIOC(国際オリンピック委員会)の連中ですから、そういう経験踏まえてね、冷静に正確に判断してもらいたい。それならば私は東京は自信を持っていいと思うんだけど、なかなかそうも言い切れない戦いだけに、非常に先が読めなくて、最後の努力をすべくコペンハーゲンに参りますが、これは、まあ、みなさんもひとつ応援に来てくださいと済むところじゃありませんから、日本で祈っててください。>(9/11更新分)

 財政、設備、運営技術、安全性といった面で、東京(あるいは日本の主要都市)に充分な開催能力があることは、おそらくIOC評議員の多くが理解していることだろう。だが、五輪開催地はそれだけで決まるものではない。北京で五輪が開催されたことも、単一競技の大会ではあるがサッカーのワールドカップが南アフリカ共和国で開催されることも、石原都知事が言うような面だけではない別の理由によって決まっているはずだ。
 それを広い意味でいえば「政治」である。長年政治家として生きてきた石原都知事がそれを理解していないというのは解せない。ついでに言うと、「南米で初の五輪を!」という単純で骨太の呼びかけが、どれほど理屈抜きで人の心を動かす力を持っているかについて、政治家より長く文学者として生きてきた石原慎太郎が理解していないらしいことも解せない。文学者というのは人の心を動かす専門家ではないのだろうか。

 と、都知事に対する嫌味はこのくらいにして、少しこの先のことを考えてみたい。

 終わった途端に2020年五輪の招致を話題にする向きもある。引き続き2020年の立候補を目指すかどうか、JOCはまだ態度を明らかにしてはいない。
 今回の尽力を無駄にしないためにも続けて立候補することが大事だ、という考え方はあるだろうし、実際、続けて立つことで開催を勝ち取った例もある。「北京が終わったばかりなのに」という印象も、次回にはいくらか薄れるだろう(それでも、アジアでは1964東京、1988ソウル、2008北京で20-24年周期という過去の実績に比べると、まだ早いのだが)。

 ただし、立候補するのはJOCではない。招致活動の主体はあくまで都市にある。
 だから、まず問題になるのは、東京都が引き続き次回を目指すのか、ということになる。

 都知事にとって、この落選の最大の問題は、150億円と言われる招致費用が無駄に終わった事実だ(150億全部が都の出費かどうかは知らないが)。
 現地での記者会見では、さっそく責任問題や辞意の有無を問う質問もあったと伝えられた。
 辞職については本人が即座に否定したようだが、私も辞職を求めようとは思わない。東京が国内候補地に決定した後に都知事選挙が行われて再選(三選)されたのだから、彼は「都民の信任を得た」と主張することができる。

 しかし、それでもこの落選が大きな失敗であることに変わりはない。7月の都議選で与党が過半数を割ったこともあり、今後の議会運営は非常に厳しいものになるだろう。
 石原は前回の当選時に4選への不出馬を表明しているが、任期は2011年4月まで続く。
 2020年五輪の国内候補地選考が前回の4年後だとすると2010年。来年だ。都はすぐにでも方針を固めなければなるまい。だが、議会はそれをすんなり認めるだろうか(そもそも都は他にも難題をいくつも抱えている。都民にアピールできそうな唯一のテーマが五輪誘致だったのだが、それもこの落選で難題に転じた)。

 この落選を経験した都民が、次の機会にどのような態度を示すかも、まだ予測がつかない。関心の薄かった都民にとって、この落選によって五輪招致が「悲願」に転じるのか(サッカーのワールドカップ出場が93年のいわゆる「ドーハの悲劇」によって国民の悲願に変わったように)。あるいは、そんなものに金をつぎ込むよりも今の生活を何とかしろ、と反発を抱くのか。
 
 そして、東京以外の都市の立候補となると、さらに事態は難しいように思える。
 第二の都市である大阪も財政状況は厳しいし、他の都市となればなおさらだ。オリンピックのような巨大プロジェクトを立ち上げる余力がそもそもない。
 そして、2016年の国内候補地選定において、JOCが福岡に対してどのような態度をとったか、そして破れた福岡の首長が市民にどう遇されたかを、各自治体の長たちは見ていたはずだ。それでも立候補しようという都市が現れるのかどうか。
 ま、現名古屋市長あたりなら、言い出しかねない気もするのだが。
 
 落選決定の翌日の報道を見ると、石原都知事の責任を論じる記事は散見するが、JOCに対する批判はほとんど見当たらない(石原都知事と竹田会長ではニュースバリューというか、ありていに言えばスター性にかなりの差があるという事情もあるのだろう)。
 だが、日本の落選の原因に、報道されているような「顔が見えなかった」「世界的スターの不在」があるのだとしたら、JOCの責任は大きい。プレゼンテーションで登壇した室伏広治や小谷実可子には失礼な言い方になるかも知れないが、あそこに北島康介や浅田真央が立っていたら、そんな問題はなかったはずだ(あるいは、村上春樹が登壇すれば相当なインパクトだったかも知れない。JOCにそんなことが可能かどうかは知らないが)。

 そもそも「去年、北京でやったばかり」の2009年に選考が行われるとわかっていながら国内で立候補を呼びかけたのもJOCだ。JOCがなぜ2016年の五輪招致活動を始めようと思ったのか、私にはいまだに合理的な理由がみつからない。

 私は東京五輪の計画に関して<東京のために五輪を利用しようという意図が目立ち、五輪のために何ができるのかという感覚が希薄>と批判したことがあるが、都市側がスポーツ界の事情や感覚からズレているのは、ある程度は仕方ない(コミュニケーションの達人であるオバマ大統領でさえ、「近所で五輪が開かれれば嬉しい」みたいな演説をしているのだし。もっとも、滞在時間などを見ても、彼にとって今回の招致活動の優先順位はさほど高くなかったようだが)。
 だからこそ、スポーツ界の住人であり、IOCの一員であるJOCが、その不備を補うことが必要だったはずだが、それは充分に果たされなかった。

 東京都知事には議会での質問が待っている(五輪招致に不満だとか、2020年招致に反対だという都民の皆さんは、地元の都議に陳情してネジを巻きましょう)。
 だが、JOCにはそのように、外部の第三者の目で検証される場がないし、そもそも内情もよく見えない。報道機関各位には、都知事に責任を問うのはひとまず都議会に任せて、JOCにこそ、じっくり総括を迫ってもらいたい。

追記)2009.10.4
石原都知事は帰国後の会見で敗因について語り、「政治的なもの」について言及したらしい。

<同知事は「目に見えない歴然とした政治的なものが絶対にある。昔の自民党の総裁選みたいなもの」とし、IOC内の力学で落選したとの認識を示した。>時事通信10月4日15時12分配信

 ここで都知事が言っている「政治」とはおそらくIOCの幹部や評議員の間の力関係ということだろう。「政治」というよりは「政局」に近い。私がエントリ本文中で「政治」と書いた時に想定していた概念はもっと広いものだが、ま、別に一致しなくてもよい。
 それにしても、政治を職業とする人物が、「政治的なもの」における争いに敗れた、と公言して恥じる様子もない、というのは奇妙な光景である。「政治的なものが絶対にある」って、そんなことも知らずに立候補して150億円も使ったのかこの人は。

| | コメント (15) | トラックバック (1)

横尾弘一『都市対抗野球に明日はあるか』ダイヤモンド社

 ややセンセーショナルなタイトルだが、内容との齟齬はない。
 雑誌「グランドスラム」などで社会人野球を取材してきたスポーツライターの著者が、社会人野球の歴史と現状、問題点などを手際よくまとめている。都市対抗や社会人野球の将来について考えようと思う人には必読書だと思う。

 私自身は数年に一度、東京ドームに都市対抗を見物に行く程度の半可通なので、本書で初めて知った内情も多く、いくつか驚かされたことがある。

 たとえば…

・都市対抗に出場するチームは1枚700円の「チーム券」という入場券を購入することで運営費を負担している。その額は1チームにつき1試合あたり4000枚、280万円分。
・週末に大勢の観客動員が期待できるチームは、一回戦に限り、自チームの試合を開催する日付を指定することができる「特定シード」という制度がある。特定シードを申請するためには15000枚=1050万円のチーム券の購入が必要(今年は12000枚=840万円)。
・都市対抗のスタンドの特徴をなす応援団やチアリーダーが、実は自前で用意できずに大学の応援部やチアリーダー部の“応援”を仰ぐケースが少なくない。

 チーム券の金額にも驚いたが、応援団が借り物だというのも驚きだ。
 都市対抗を見に行くたびに、どこかの企業の社内運動会の会場に紛れ込んでしまったような気恥ずかしさを感じる反面、あれはあれでひとつの文化なのだろうし、徹底的に内向きの盛り上がりというのも独特で面白いと思っていたのだが、その「盛り上がり」を作っているのが「身内」でないのだとしたら、あのスタンドで彼らが何のために何をやっているのか、よくわらかなくなってくる。形骸化というほかはない。
(もちろん、すべてのチームが形骸化しているとは思わない。優勝したHondaの応援席の人々の入れ込みぶりは、会社に動員されたお義理のものとは到底思えない、熱気のこもったものだった)
 
 
 近年増えてきたクラブチーム(野球連盟のチーム登録は「会社」と「クラブ」の2種類がある)や独立リーグとの摩擦についての記述も興味深い。
 
 千葉県でクラブチームを主宰している谷沢健一のblogを読むと、しばしば、県連盟が会社チームの都合を優先してクラブを迫害している(例えば、公式戦が平日の連戦になると、クラブチームには勤務の都合で出場できない選手が続出する)との不満が記されている。なるほど、と思っていたが、本書を読むと、連盟や企業の側にも言い分はあることがわかる(以下の記述はあくまで一般論で、千葉県や谷沢のクラブがあてはまるかどうかはわからない)。

 都市対抗における「チーム券」の存在からもわかるように、社会人野球の大会の運営は、金銭的にも人的にも加盟チームに負うところが大きい。しかし、クラブチームは金もなく人的資源も少ないため、同等の負担ができないことがある。にもかかわらず「日程をクラブの都合に合わせてほしい」と主張することに対して、著者は批判的だ。

<大会運営などに協力しなければならない時には「うちはクラブチームなので」という理由で企業チームに依存し、試合をやろうとすれば「クラブチームにも公平にしてほしい」と主張する。そうした社会人野球の意義を理解していないクラブチームが増えると、それは社会人野球の土台を揺るがしかねない>
<実際、企業チーム関係者にも、近年のクラブチーム増加を歓迎していない人は少なくない。それは、自分たちの経済的、また精神的な負担が増えてしまうという体験をしているからでもあるのだ>

 クラブチームや独立リーグという選択肢が増えたために、会社の同意なく移籍をする選手も増えたという。企業チームの新人採用は、会社に頼んで選手を社員として採用してもらっているという弱い立場にある。せっかく採用した選手に簡単に出ていかれては、企業内での野球部の立場がない。選手を送り出す学校にとっても、企業との関係を損ねる行為であり、歓迎されない。
 とはいうものの、それはあくまで企業や学校という組織の論理であり都合であって、それを理由に選手を縛ることは、現代の一般社会にはなかなか受け入れられないだろう(内定を受けた就職予定者にも履行する義務がある、という考え方はありうるかも知れないが)。
 クラブチームには選手を拘束する力はないし、独立リーグも選手の流動性は高い。野球とは無関係の「社員」という立場によって選手を拘束する企業内野球部の仕組みとは、根本的に相容れないといってよい。

 社会人野球の会社チーム(日本野球連盟の登録区分は「会社」と「クラブ」という名称だ)は、その経済的基盤のすべてを会社に負っている。
 もちろん、それで問題なく運営されているチームも、まだまだ健在ではある。
 都市対抗に出場している企業は、日本を代表する大企業ばかりだ。JR、NTT、自動車、電機、重工業。素晴らしい練習施設を持ち、プロ入りしてもおかしくないレベルの高校生や大学生を採用して、優秀な指導者のもと、選手たちを野球に専念させている。引退後には大企業の社員としての人生も保証されている(今のところは。経済情勢次第でどうなるかはわからない)。
 そんな素晴らしい環境を選手に与え、なおかつ都市対抗では試合のたびにチケットを大量に購入し(それを応援する観客に無償配布しているのか有料なのかは知らないが)、応援の観客には特製のウチワやタオルを配布し……いったいどれだけの費用がかかるのだろう。独立リーグやJ2のほとんどのクラブよりも、予算規模は大きいんじゃないだろうか。

 そう考えると、現在の社会人の強豪に匹敵するチーム運営のできる企業が、今後新たに現れるとは考えにくい。過去30年ほどの間に社会人野球に参入して注目を集めた企業にも、結局は撤退していったところが少なくない(プリンスホテル野球部も、野村克也が監督を務めたシダックス野球部も、もう存在していない)。

 そもそも、厳しい見方をすれば、経営状態の悪化を理由に、工場で働く派遣労働者や契約社員との契約を容赦なく打ち切る企業が、一方では上述のようにふんだんな資金を野球部に投入し、野球をするだけで生産活動に寄与しない人々を正社員として雇用している、という状況にも釈然としないものはある。
 かつて、社会人野球が隆盛をきわめた時代には、企業が野球チームを持ち、そのチームが活躍することが、企業にとっても、従業員にとっても、地域社会にとっても、大きな意義を持っていたのだろう。だが、企業経営をめぐる環境も、従業員と企業の関係性も、地域社会のありようも、それから大きく変わってしまった。
 現在、企業がスポーツに関わり、支援する場合は、プロのクラブをスポンサードするか、個人競技の選手と契約するか、大会や競技団体をスポンサードするか…というようなやり方が増えてきているように思う。団体競技は、野球に限らず、バレーボールでもラグビーでも、いくつもの伝統あるチームが廃部やクラブ化の道をたどっている。

 そういう時代の中で、社会人野球がどう存在価値を示していくか、というのも本書の大きなテーマで、著者は実例として、さまざまな「社会人野球人」を紹介する。それぞれ魅力も能力もある人物だとは思う。
 だが、私自身は正直なところ、登場人物たちや著者の熱意に、感心はしても、共感するものがない。結局は彼らが向いているのは会社の方であり、会社に野球部の存在価値をいかにして認めてもらうか、というのが最大のテーマだ。それは別に非難されることではなく、企業チームという枠組みの中では当然だが、そこに見物人の居場所はない。端的に言えば、見物人たる私は、社会人野球界にとってステークホルダーではない。

(一般的にいっても、アマチュアスポーツにとって見物人はステークホルダーではない。五輪代表クラスの選手なら公的資金の支援も受けるから無縁ではないし、逆に遠征費にも窮するようなマイナー競技であればファンが有形無形の支援という形で参加することも可能だろう。しかし、巨大企業が億単位の予算で運営している「アマチュアスポーツ」にとってのファンの存在とは何なのかは、突き詰めていくと、掴みづらいものがある)
 
 
 本書の中で数少ない「明日」を感じさせる事例は、熊本ゴールデンラークスというチームだった。
 ゴールデンラークスは熊本の「鮮ど市場」というスーパーの社員チームだが、チーム名には企業名が入っていないのは、県民球団という位置づけがあるからだ。
 2006年、会社の創立30周年を機にチームを立ち上げたのは、経営者の息子で専務の田中俊弘(GM兼監督)。日本通運で活躍した社会人の名選手だった田中は、引退後の2000年に、父が経営する「鮮ど市場」の経営に加わってから、こんなふうに考えるようになったという。

<将来、父から会社を引き継いだ時に、私の力になってくれる人材の必要性を感じました。色々と考えた結果、私が長くお世話になった野球を通して若い力を集め、自分の手で育てていくのがいいのではないかと思えたんです>

 だから、集めた選手はあくまで「鮮ど市場」で働く社員であることが前提。必然的に九州出身者が増えた。選手たちは午前中は一般の社員と同様にスーパーの店頭に立ち、午後は野球の練習に励む。そんなやり方で、ゴールデンラークスは創部2年目にして都市対抗に出場する。主将の谷本尚也は次のように話す。

<この生活が四年目になって感じるのは、僕たちが一番恵まれているということです。不況で仕事のできない人もいる時代に、僕たちには毎日仕事があり、しかも大好きな野球までできる。(中略)野球を終えて仕事に専念する将来のことも考える。でも、不安がないんですよ。鮮ど市場で仕事をするにしろ、転職するにしろ、仕事の厳しさや社会の仕組みはある程度わかっていますから>

 著者はこの項を、田中の次の言葉で締めくくっている。

<選手を集めて言いました。『うちには休部も解散もないぞ』と。なぜなら、野球部を作ってから会社が明るくなりましたし、選手たちの職場での評判もすこぶるいい。彼らは、社会人野球界に旋風を起こす以前に、鮮ど市場の社員として大きな存在価値を示しているんです。おかげ様で、我が社の業績も右肩上がりを続けている。監督で都市対抗に勝った時より、鮮ど市場の経営陣として選手たちに感謝しています>

 企業が野球チームを持つことにメリットがあるとすれば(宣伝効果が期待できる場合を別にすれば)、こういう形が本来の姿ではないだろうか。企業にとっては持続可能性が高いし、企業内の人々にとっては「一緒に働く仲間のチーム」という意識が持てる。行きつけのスーパーの店員が野球の全国大会で活躍すれば、地域社会に喜びをもたらすこともできるだろう。小売業という客と従業員の互いの顔が見える業種だからこそ、このチームには「見物人」の居場所もある。

 社会人野球に明日があるのだとすれば、その曙光は熊本から射しているのではないか、というのが本書を読んでの感想だ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

明日も太陽が昇るが如く。

 物心ついた頃は、読売ジャイアンツの全盛期だった。
 昭和39年に生まれた私が、野球というものを知ってから小学4年生になるまでの間、セントラル・リーグの本塁打王は王貞治のものだった。正確には私が生まれる前の昭和37年から13年間、王選手は本塁打王を独占し続けた(その後も1年の中断を挟んで、私が中学1年の年まで続いた)。

 王さんが3割40本を打ってホームラン王になるのは、明日の朝に太陽が東から昇るのと同じくらい自然なことだった。
 王さんの引退後、3割40本を打つ選手など年に1人現れるかどうか、という普通のペナントレースを何度か経験するまでは、それがどれほど特別で並外れたことなのか、理解していなかった。
 そして、その事実に気付いた時、「王さんを見られてよかった」「もっとよく見ておけばよかった」という相反する二つの思いが胸の奥から湧き上がってきた。もう、これほど並外れた選手を見ることはできないのだろうな、という寂しさが、そこにはあったように思う。
 
 
 王さんが引退してから29年。
 我々は今、王貞治に匹敵する、とてつもない選手と同じ時代に生きている。
 MLBで誰も達成したことのない、9年連続200安打。
 それだけでも凄いけれど、彼はそのスタートを切る前に、日本で7年続けて首位打者を獲っている。都合16年、彼は1年も欠かすことなく規定打席に到達し、たくさんの安打を打ち続けている。

 試合を多少休んでも首位打者は獲れる(実際、日本での最後の2年間は死球と故障でそれぞれ約30試合を欠場している)。だが、試合数の多いMLBにあっても、ほとんどの試合に出場しなければ200本は打てない。
 イチローが昨年までの8シーズンで休んだ試合は合計16だという(今年はすでに16試合に欠場している)。筋肉の塊のような大男たちの中でプレーしながら、打球を追ってフェンスに激突しても、三塁や本塁でクロスプレーを演じても、死球をぶつけられても、彼は大きなケガをすることなく、高い水準の打撃コンディションを保って、グラウンドに立ち続ける。何よりもその事実に圧倒される。

 いつかは彼にもバットを置く日が来る。
 その時はじめて見物人は、イチローという太陽が自然の力で天に昇っていたのでなく、創意工夫と弛まぬ努力と強い意志によって毎朝毎朝そこまで這い上がっていたのだと実感し、彼と同じ時代に生き、彼を見ることのできた幸運を知るのだろう。

 だが、今はまだ、太陽が明日も東から昇ることを、物心ついたばかりの子供のように信じることができる。そんな歓びをもってイチローを見ていられるのも、見物人にとっての幸福に違いない。

| | コメント (8) | トラックバック (1)

«続・プロ野球に二軍は必要か。