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2004年8月

誰が野球の側に立つのか。

 ネットで調べものをしていたら、今日、渋谷公会堂で「野球を愛する会」という団体の催しが開かれることに気づいた。池井優、谷沢健一、衣笠祥雄、広瀬一郎、玉木正之、村上忠則によるパネルディスカッションと、なかなか充実した顔触れだ。ちょうど渋谷に行く予定もあったし、入場無料でもあり、せっかくなのでのぞいてみた。

 演題は「語ろう!日本のプロ野球が進むべき正しい方向を。」とある。基調講演をした元電通マンの広瀬一郎氏(産業経済研究所)が「『正しい方向』という表現は危険。正解はひとつではないし、不正解もひとつではない」「プロ野球について語るべきことは無数にあるが、今は経営問題にフォーカスを絞って議論しなければ意味がない」と強調したのだが、その後のパネルディスカッションは、残念ながらそうならなかった。

 始まってみて判ったのは、この会は谷沢健一氏が、早大野球部の同期生だった川島という男性と2人で起こしたものだった。パネリストは皆、谷沢氏の依頼で集まったらしい。
 「親会社の事業報告書を読んでも、球団のことなんて虫眼鏡で探さなければ見えない程度にしか書いてない。親会社の赤字額は書いてあるが、球団の赤字はわからない」などという話が谷沢氏の口から出ると、へえっ、と思う。元プロ野球選手には珍しい。そういえばこの人は数年前、早大の大学院で、スポーツ経営について勉強していたのだった。
 村上忠則氏は、昨年の世界選手権で日本代表の監督を務めた人物で、元日産自動車監督。日産の営業畑の管理職でもあり、カルロス・ゴーンの下で改革を実践した経験談は、興味深いものだった。内容的にはビジネス雑誌等で紹介された域を出てはいないが、アマチュア野球界の中枢に(彼は日本野球連盟の理事でもある)、きちんとビジネス界でも戦っている人がいることに、新鮮な驚きを覚えた。
 ほかにも、「ドラフト会議が始まった一期生の時から裏金はあった」と衣笠氏が発言したり、空理空論の人だと思っていた玉木氏が冷静かつ建設的な発言をしていたりと、部分的には興味深いところも少なくなかったが、パネルディスカッションとしては、司会者が早大の学生だったこともあり、出席者が総花的にそれぞれの意見を述べるにとどまった。特に池井先生は、場違いな昔話を愉しそうに話し続けて、貴重な時間を空費させてしまった。失礼ながら、もはや彼は、こういう場所に招かれるべき人物ではないようだ。

 とはいえ、どんな司会者がついても、2時間くらいの議論でいきなり結論が出るわけもない。この催しに意義があったとすれば、谷沢、衣笠という野球界内部の人たちが、メディア上にコメントするのでなく、自分で場を作ってまで、議論をしようという姿勢を見せたことだろう。闇雲な「合併反対」「1リーグ反対」ではなく、より根本的な問題を解決するために冷静に議論しようという態度は貴重なものだと私は思う。

 このところ、合併や1リーグ制に反対する野球ファンの集会やデモが盛んに行われている。
 ここ一週間ほどは、著名ライターを前面に押し立てた「野球の未来を創る会」という団体が目立っている。こないだ発足したかと思ったら、もう集会とデモをやっている。公式サイトに掲載された発起人たちのコメントは方向性にかなりのばらつきがあり、組織として何を目指しているのか明確でないわりには、集会だデモだ署名だという示威行為には手際がよい。サイトにアップされたデモの写真を見ると、横断幕や幟まで揃えている(手書きではなく、業者の手によるものにしか見えない)。たぶん、その種の活動に慣れた人々が仕切っているのだろう。

 もちろん、誰が野球の未来について語ろうが主張しようが構わないのだが、やはり選手なり元選手なり、当事者たちが議論を深め、意思表示をし、イニシアティブをとっていかなければ、外からどんな改革が行われたところで根付きはしない。日本のプロ野球にもっとも欠けていたことのひとつが、「選手出身で経営者と渡り合える人材」だった。広瀬氏は「いかに野球界の外部から優秀な人材を連れてくるかが最大の課題」と強調していたし、それは正しいと思うけれど、それでも、経営者側でも労働者側でもなく、「野球の側」に立って物事を動かすのは、できれば元選手がふさわしい。
 谷沢氏のような動きがほかにも現れ、その中から強力な人材が現れるようになれば、野球は再び未来に希望を見いだすことができるはずだ。
 いささか褒めすぎかも知れないが、あえて期待を込めて。

追補
 SPORTS Yeah! No.101(2002/9/10)の「飯田橋の不夜城<こちら編集部>」で、次の一文を見つけた。

【8月某日】日比谷公会堂で「プロ野球の未来を創る会」。玉木氏や本紙連載中のやく氏も発起人に名を連ねているが、どう見ても会場周りは民主党の関係者のような方々ばかり。(中略)純粋なファン主体の合併反対運動はむずかしいのだ…と実感。

なるほどね。

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雫井脩介『犯人に告ぐ』双葉社

 何の予備知識もなく、書店の店頭で目に付いたので買った。タイトルと帯のコピーと推薦者(横山秀夫、福井晴敏、伊坂幸太郎)に惹かれた。コピーは以下の通り。
「『犯人よ、今夜は震えて眠れ』
 連続児童殺人事件ーー姿見えぬ犯人に、警察はテレビ局と手を組んだ。史上初の、劇場型捜査が始まる!」

 これを読んで、『身代金』というアメリカ映画を思いだした。息子を誘拐された成金実業家(メル・ギブソン)が、テレビ局のスタジオに、身代金として用意した札束を積み上げ、「この金はお前の懸賞金だ。身代金は、やるものか!」と恫喝する場面が鮮やかだった。犯人に追い詰められて破滅の淵に立っていたはずの被害者が逆ギレし、一瞬にして狩る者と狩られる者が逆転するという構図が印象に残っている。

 本書にも同じような場面がある。だが、テレビに出演して犯人に語りかけるのは、被害者でなく警察官だ。幼い男児4人が連続して殺される事件の捜査に行き詰まった神奈川県警は、着任したばかりの曽根本部長のアイデアで、捜査の責任者をテレビ出演させ、手がかりを集める奇策に出る。一歩間違えば生贄の羊となるであろうその役を担うために県警本部に呼び戻されたのは、曽根が刑事部長だった6年前、誘拐事件を現場指揮しながら犯人を取り逃がし、田舎の署に追いやられた過去を持つ、巻島警視だった…。
 組織内部に巣くう野心、欲望、敵意、保身、縄張意識、さまざまな思惑を知りつつ、あえて火中の栗を拾い、孤立無援の戦いに挑む巻島の人物像に惹かれる。捜査に失敗し、世間に敵視され、組織内部でも見捨てられ、それでも刑事であることをやめようとしない巻島と、彼を支える気概を持った、ほんの数名の部下たち。奇抜な捜査方法が引き起こす内外の反響をリアルに描きながら、物語はぐいぐいと進む。最後まで一気に読めた。

 警察内部の組織人たちの思惑、巻島という素材に対するテレビ局の反応や他局の対応、世間の風向きが変わったと見るや一転して冷淡になるディレクターの態度などが、いかにもありそうに描かれる。「劇場型捜査」という大嘘を突き通すためには、細部のリアリティが不可欠で、本書はその点で成功していると思う。
(逆の例を挙げれば、たとえば乱歩賞を受賞した『破線のマリス』。この作品の根幹をなす出来事は、職業として報道に携わった経験のある人間から見れば信じられないほど杜撰な行為なので、馬鹿馬鹿しくて読んでられないという気分になってしまう)
 そして、そんなもろもろの情報を盛り込みながらも、物語を通じて、事件解決に向ける巻島の信念という軸が一本通っていて、大きなブレがない。

 ただし、面白いことは面白いのだが、難を言えば、県警内部の裏切り者をめぐる動きに重心が寄りすぎて、本筋の連続殺人犯捜査の影が薄くなってしまった感が残る。もう少し、犯人との知恵比べ的な部分にウエートがあってもよかったのでは。
 そう感じるのは、巻島が左遷後のダメージから立ち直る過程で、部下の津田から、こう諭される場面があるからだ。
「犯人を怖がっちゃいけませんよ。ただの人の子なんです」
 これは実にいい台詞だ。本書の書き出し、
「刑事を続けていると、自分が追っているはずの犯人に、ふと、そこはかとない恐怖心を抱くことがある。たいていの場合、それは相手の姿が見えないからだ。」
という巻島の内面の記述を受けてもいる。
 せっかくよいモチーフを提示したのだから、最終的に、公開捜査そのものがこの津田の台詞に収斂していけば、より味わい深い物語になったのではないだろうか。

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井戸を掘った男たち <旧刊再訪>

山岡淳一郎『マリオネット』文芸春秋 2002
平塚晶人『空っぽのスタジアムからの挑戦』小学館 2002


 Jリーグが始まった年(正確にはその前年から)、ヴェルディ川崎(当時)にはペレイラというセンターバックがいた。すでに30代半ばに近かったが、高さがあり、読みに優れ、強烈なキック力を持つ、エレガントなディフェンダーだった。人格者でもあった。Jリーグの開幕戦で先発出場した彼が、青い鉢巻を締めて、歴史的なゲームに敬意を示していた姿が忘れられない。
 ヴェルディがチャンピオンシップを連覇した翌94年には、リーグMVPに選ばれた。Jリーグが始まって10年が過ぎたが、ディフェンダーがMVPに選ばれたのはこの時だけだ(96年にジョルジーニョがMVPになったが、鹿島での彼のポジションはボランチだった)。95年、横浜マリノスが優勝した年に井原にMVPをおくらなかった(受賞者はストイコビッチ)ことは、Jリーグ史に残る不見識だと思っていたが、歴史は繰り返す。2003年にも同じ横浜Fマリノスの優勝を支えた中沢がMVPに選ばれなかった(受賞者はエメルソン)。

 話を戻す。ブラジル代表のセンターバックにもひけをとらなかったペレイラほどの選手が、なぜ日本にいるのだろう、と私は当時、不思議に思っていた。
 『マリオネット』は、このペレイラ獲得にまつわるエピソードから始まる。本書の主人公、佐藤英男はヴェルディのスタッフとしてブラジルに飛んでいた。ペレイラ本人は日本行きを望んだが、クラブの会長がなかなか首を縦に振らない。あげくに会長は、交渉の席で佐藤に(冗談半分とはいえ)拳銃を突き付けるような真似さえする。ひとりのスタッフが命を賭けて、ようやくペレイラを連れてくることができたのだと知り、長年の疑問が腑に落ちた。

 『マリオネット』は、読売クラブの球団スタッフとしての佐藤の苦闘を描いた本だ。佐藤はラモスと同時期の77年、読売サッカークラブのフロント入りし、語学の能力(正確には、喋れるようになるまで努力する能力、だ)を生かして、通訳、外国人担当を中心にフロント業務全般に尽力する。ブラジルから来た名指導者ジノ・サニには息子のように可愛がられた。
 日本のサッカーを担う主体が実業団と大学だった時代に、ひとり敢然とプロ球団を目指した異端のクラブを、ブラジル人の監督や選手を連れて来て世話をする立場にいた若いサッカー馬鹿の視点から描く。読売クラブの歴史についてきちんと書かれた本は意外に少なく、本書はその中でも最良のひとつである。渡辺恒雄という特異な経営者の言動に惑わされて誤解している人も多いようだが、80年代までの読売クラブこそ、Jリーグの理念を先取りしたパイオニアであり、日本サッカー協会やJFL(とりわけ川淵三郎の出身母体である古河電工)はアマチュアに固執する「抵抗勢力」だったといってよい。にもかかわらず、読売クラブが夢見たプロリーグは、結局は彼らを抑圧していたJFLの主流派たちのリードで実現し、実現した時には読売グループは当初の理念を失い、迷走していく。何という皮肉。

 佐藤のいた読売クラブはJFLの異端児だった。では保守本流の“丸の内御三家”は、冬の時代にどうしていたのか。その一角であった古河電工の社員、木之本興三を通してJリーグの発足を描いたのが『空っぽのスタジアムからの挑戦』である。
 多少Jリーグの歴史に通じた人なら、日本のサッカー界は、川淵三郎が協会に復帰してから一気にプロ化に突き進んだ、という認識を持っているだろう。それ自体は事実に反しないが、一気に突き進むだけの下地が、木之本をはじめとするJFL各クラブの若手スタッフ有志たち(佐藤英男を含む)によって作られていたことを、本書は掘り起こしていく。川淵はある意味で神輿であり、ジグソーパズルの最後の1ピースであった。実務部隊が着々と準備を重ね、あとは川淵の剛腕を待つばかりという状況を作り上げていたからこそ、あれほど一気呵成な展開が可能になった、と、この本を読めば誰もが思う。

 どちらの本も、一般のサッカーファン全員が興味を持つことはないだろうし、持たなければいけないとも思わない。だが、これは書かれなければならなかった本だ。
 今はまだ、当時者たちも現場にいる。ベテランのサッカージャーナリストたちも「こんなことは知ってるよ」というだろう。だが、いつかは人々は現場を去り、忘れられて行く。その時では、もう遅い。井原にはまたMVPのチャンスがあるだろう、と思っているうちに、もう引退だ。10年というのは、そういう長さである。Jリーグ10年という今だからこそ、これらの記録が残ることに価値がある。

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改めて、長嶋不在を嘆く。

 アテネ五輪の野球でもっとも残念だったのは、長嶋監督の采配が見られなかったことだ。
 何を今さら、と思われるかも知れない。

 私は、このチームが立ち上がった時から、五輪代表を長嶋が率いることには懐疑的だった。ジャイアンツの監督として長嶋が展開してきた野球は、国際試合のトーナメントに必要なものとは掛け離れている。しかも、「ドリームチーム」の美名のもとに、野球界の組織間の対立や矛盾を覆い隠す接着剤として利用されていることが明白でありながら、嬉々として老人どもの企みに乗ってしまう長嶋その人に対しても、どうかしている、と思っていた。

 だが、昨年秋に札幌で行われたアジア最終予選を見て、そんな予断は表層しか見ていない軽薄なものだったと思い知った。長嶋は、ひとつも負けてはいけない3試合を通じて、ただ勝つことに徹しきった。多くのメディアの予想を裏切った初戦での上原起用、試合ごとの大胆な打順の入れ替え。そうした個々の用兵や作戦もさることながら、グラウンドで選手たちが表現したプレーのひとつひとつに、「すべては勝利のために」という精神性が貫かれていた。選手たちも子供ではない。このチームにまつわるさまざまな事情に、ある種のわだかまりやためらいを抱いて集まったであろうことは想像に難くない。そんな選手たちを、あれほどまでに試合そのものに集中させることができたのは、長嶋の力量以外の何物でもなかったはずだ。

 試合後の記者会見で、長嶋自身が「プロではお客さんを喜ばせる野球も必要だが、アテネに長距離砲はいらない。つなぐ野球に徹して臨みたい」という意味のことを話していた。大砲をコレクションして披露するのが趣味だと思われていたジャイアンツの監督は、そこにはいなかった。彼がジャイアンツを指揮する姿を、私たちは合計15年間も見てきたが、札幌で日本代表を指揮していたのは、見たことのない優れた指揮官だった。
 彼自身のプレーがそうであったように、ジャイアンツの監督としての長嶋もまた、勝つことと同じくらい、観客を楽しませることを目指していたのだと、私は初めて彼自身の口から聞いたような気がする。それは、ある意味で制約でもあったのかも知れない。そんな制約から解き放たれ、100%勝つことだけに集中した時、長嶋茂雄が、どういうチームを作り上げ、どのような野球を見せてくれるのか。私は大いに期待していた。

 だから私は、メダルの色よりも何よりも、長嶋茂雄の、これまで十分に表現されてこなかった能力がアテネで花開くするさまを目撃できなかったことが、残念でならない。仮に中畑代行のもとで日本代表が金メダルを獲得したとしても、そのことだけは変わらない。

 中畑代行が率いたチームは、予選リーグで景気よく本塁打を打ちまくりながら、準決勝ではタイムリーが出ずに敗れた。その華やかさと脆さは、長嶋が率いた読売ジャイアンツのようだった。

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西部謙司『監督力』出版芸術社

 総合スポーツ誌のサッカー特集を購入するか否かで迷った時、執筆者に西部謙司が名を連ねていたら、結局は買っていることが多い。
 私にとって、西部の文章はキラーコンテンツというわけだ。

 西部の文章は、いつも超然としている。
 日本人のサッカーライター全員の中で、ひとりだけ立ち位置が違う、という印象を受ける。立っている位置が違う以上、見えるものも違う。いや、見ようとするものが違うから、違う場所に立つことを選ぶのか。

 どっちでもいいんだが、とにかく西部を特徴づけているのは、その「目」だと思う。公開されている事柄の、ある連続性の中から、ひとつの文脈を見いだす力。
 特定の選手や指導者と親しくなって独占的にコメントを得るような取材活動の中からではなく、ただ真摯に、その場で起こることを見続けて、そこから何事かを読み解いていく。たとえば本書でいえば「南面する監督」「威張っているサッカー」という概念の立て方の秀逸さ。
 私は後藤健生の文章からサッカーの読み方を教わり、西部謙司の文章からサッカーの味わい方を教わったと思っている。

 サッカーの監督について論じるということは、まさに「公開情報の連続性の中からひとつの文脈を見いだす」行為だ。デルポスケ、デシャン、ラニエリ、オシムといった世界の名将を、西部は気持ち良さそうに論じている。ツボに入っている、という感じを受ける。

 それだけに惜しまれるのだが、本書の造本のダサさ加減は、ただごとではない。これで版元の名が「出版芸術社」というのは、悪い冗談としか思えない。
 高校生のラクガキのようなイラストを平然と載せていた同社での前著『サッカーがウマくなる!かもしれない本』よりはマシだが、スタイルのある西部の文章を、このようなパッケージで刊行する感覚は解せない。
 もうひとつ、内容の多くは雑誌に発表された文章の再録だろうから(いくつかは読んだ記憶がある)、加筆訂正をしているにせよ、初出情報を掲載していないのは、読者に対していささか礼を失したふるまいだと思うのだが。

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