井戸を掘った男たち <旧刊再訪>
山岡淳一郎『マリオネット』文芸春秋 2002
平塚晶人『空っぽのスタジアムからの挑戦』小学館 2002
Jリーグが始まった年(正確にはその前年から)、ヴェルディ川崎(当時)にはペレイラというセンターバックがいた。すでに30代半ばに近かったが、高さがあり、読みに優れ、強烈なキック力を持つ、エレガントなディフェンダーだった。人格者でもあった。Jリーグの開幕戦で先発出場した彼が、青い鉢巻を締めて、歴史的なゲームに敬意を示していた姿が忘れられない。
ヴェルディがチャンピオンシップを連覇した翌94年には、リーグMVPに選ばれた。Jリーグが始まって10年が過ぎたが、ディフェンダーがMVPに選ばれたのはこの時だけだ(96年にジョルジーニョがMVPになったが、鹿島での彼のポジションはボランチだった)。95年、横浜マリノスが優勝した年に井原にMVPをおくらなかった(受賞者はストイコビッチ)ことは、Jリーグ史に残る不見識だと思っていたが、歴史は繰り返す。2003年にも同じ横浜Fマリノスの優勝を支えた中沢がMVPに選ばれなかった(受賞者はエメルソン)。
話を戻す。ブラジル代表のセンターバックにもひけをとらなかったペレイラほどの選手が、なぜ日本にいるのだろう、と私は当時、不思議に思っていた。
『マリオネット』は、このペレイラ獲得にまつわるエピソードから始まる。本書の主人公、佐藤英男はヴェルディのスタッフとしてブラジルに飛んでいた。ペレイラ本人は日本行きを望んだが、クラブの会長がなかなか首を縦に振らない。あげくに会長は、交渉の席で佐藤に(冗談半分とはいえ)拳銃を突き付けるような真似さえする。ひとりのスタッフが命を賭けて、ようやくペレイラを連れてくることができたのだと知り、長年の疑問が腑に落ちた。
『マリオネット』は、読売クラブの球団スタッフとしての佐藤の苦闘を描いた本だ。佐藤はラモスと同時期の77年、読売サッカークラブのフロント入りし、語学の能力(正確には、喋れるようになるまで努力する能力、だ)を生かして、通訳、外国人担当を中心にフロント業務全般に尽力する。ブラジルから来た名指導者ジノ・サニには息子のように可愛がられた。
日本のサッカーを担う主体が実業団と大学だった時代に、ひとり敢然とプロ球団を目指した異端のクラブを、ブラジル人の監督や選手を連れて来て世話をする立場にいた若いサッカー馬鹿の視点から描く。読売クラブの歴史についてきちんと書かれた本は意外に少なく、本書はその中でも最良のひとつである。渡辺恒雄という特異な経営者の言動に惑わされて誤解している人も多いようだが、80年代までの読売クラブこそ、Jリーグの理念を先取りしたパイオニアであり、日本サッカー協会やJFL(とりわけ川淵三郎の出身母体である古河電工)はアマチュアに固執する「抵抗勢力」だったといってよい。にもかかわらず、読売クラブが夢見たプロリーグは、結局は彼らを抑圧していたJFLの主流派たちのリードで実現し、実現した時には読売グループは当初の理念を失い、迷走していく。何という皮肉。
佐藤のいた読売クラブはJFLの異端児だった。では保守本流の“丸の内御三家”は、冬の時代にどうしていたのか。その一角であった古河電工の社員、木之本興三を通してJリーグの発足を描いたのが『空っぽのスタジアムからの挑戦』である。
多少Jリーグの歴史に通じた人なら、日本のサッカー界は、川淵三郎が協会に復帰してから一気にプロ化に突き進んだ、という認識を持っているだろう。それ自体は事実に反しないが、一気に突き進むだけの下地が、木之本をはじめとするJFL各クラブの若手スタッフ有志たち(佐藤英男を含む)によって作られていたことを、本書は掘り起こしていく。川淵はある意味で神輿であり、ジグソーパズルの最後の1ピースであった。実務部隊が着々と準備を重ね、あとは川淵の剛腕を待つばかりという状況を作り上げていたからこそ、あれほど一気呵成な展開が可能になった、と、この本を読めば誰もが思う。
どちらの本も、一般のサッカーファン全員が興味を持つことはないだろうし、持たなければいけないとも思わない。だが、これは書かれなければならなかった本だ。
今はまだ、当時者たちも現場にいる。ベテランのサッカージャーナリストたちも「こんなことは知ってるよ」というだろう。だが、いつかは人々は現場を去り、忘れられて行く。その時では、もう遅い。井原にはまたMVPのチャンスがあるだろう、と思っているうちに、もう引退だ。10年というのは、そういう長さである。Jリーグ10年という今だからこそ、これらの記録が残ることに価値がある。
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コメント
blog開設おめでとうございます。ふくはらさんのところでお世話になっています、たむらんです。
アジアカップのMVPだって中澤がふさわしかったと思います、本当は。でも、「点取らなきゃ勝てないし」という考え方からなのか、どうしても前目の選手に持っていかれてしまう。
例えば0-0の試合のMOMだって、GKが選ばれることはあっても、DFがもらうことってほとんどありませんよね。
・・・なんてことを思うようになったのは、DF一筋25年になる夫とサッカーを見るようになってからです。DFの人達が何をしているのか、何が素晴らしいのか、理解するのは難しい(T_T)
サッカーファンになって10年ですが、まだまだ、前目の選手の動きに気を取られてしまいます。。。
これからも遊びに来ます。
投稿: たむらん | 2004/09/03 10:26
こんにちは。さっそくのご来訪、ありがとうございます。こんな感じでひっそりやってますので、たまにのぞいてみてください。
私はサッカー素人ですが、どういうわけかDFが好きで、長いことバレージのファンでした。誰もが「史上最低の決勝戦」という94年ワールドカップ・アメリカ大会の決勝120分プラスPK戦を、泣きながら見ていました(笑)。
中澤は「今はできないことでも、きっとできるようになってやる」という姿勢がプレーから感じられる(で、実際そのうち上手になっている)のが、いいですね。
投稿: 念仏の鉄 | 2004/09/03 11:21