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2004年9月

英智はいつも途方に暮れている。

 優勝が決まる前に中日を見ておこうと、神宮球場に行った。28日、マジック3で迎えた2位ヤクルトとの直接対決だ。中日は川上が力投し、珍しく2本のホームランで競り勝ち、マジックを1とした。
 四死球が両チーム合わせて4、エラーがゼロ。投手と守備がいいと、試合は引き締まる。好ゲームだった。この対戦は、「状況に応じた隙のないプレー」という日本野球の良さを、今年もっとも堪能できるカードかも知れない。

 ヤクルトも決して悪くないのだが、中日の守備は際立っている。一塁・渡辺はともかく、二塁・荒木、遊撃・井端、三塁・立浪と並んだ内野陣は、バウンドの高いゴロでも躊躇なく前に突っ込み、最短時間で捕球しようとする。バウンドを合わせようなどとは誰も考えないらしい。よほどグラブさばきに自信があるのだろう。
 外野の中堅・アレックス、右翼・英智は、内野に輪をかけて鉄壁だ。本来、右翼を守っているはずの福留(故障欠場中)も、五輪代表で随一の強肩・俊足だったから、福留が復帰し、英智が左翼に入った時の外野守備は、12球団一どころか、MLBに持っていっても相当高いランクになるのではないだろうか。
 アレックスと福留が巧いのは知っていたが、英智はそれ以上かも知れない。ケタ外れに広い守備範囲、フェンスを怖れない捕球、抜群のスピードとコントロールを誇る本塁送球。とんでもないファインプレーを軽々とやってのけて、当たり前のように坦々としている。もともと能力は高いのだろうが、去年までの蔵本という選手に何の印象も持っていなかった私にとっては、今年最大の発見だった。

 ところが、この英智という男、ボールを追っていない時の姿は、そんな凄まじい運動能力の持ち主には到底見えない。長身痩躯、顔だって男前なのだが、なぜかいつも途方に暮れているように見える。ベンチと守備位置を往復する時も覇気がなく、とぼとぼと力なく走る姿は頼りないことこの上ない。アフリカ系アメリカ人のスポーツ選手たちは、ただ走るだけで躍動感や弾性を感じさせるが、英智はそんなものとは無縁だ。外野でアレックスとキャッチボールする姿も、それほど肩が強そうには見えない。
 バットを持って打席に立っても、スイングは誰よりも弱々しく、とてもヒットなど生まれそうにないのだが、そのわりにどうにか二割五分は保っている。ただし、ホームランはゼロだ(この試合の中日のスタメンのうち、シーズン本塁打数が投手の川上を下回る野手が、英智を含めて3人もいた)。

 こいつ、何かヘンだぞ、と思ったのは、自宅で何となく見ていたスカパーから、ナゴヤドームでのヒーローインタビューが流れて来た時だったと思う。英智が決勝のタイムリーヒットを打って、お立ち台に招かれたのだが、とにかく表情はボーッとしているし、間がおかしい。話すのが下手なスポーツ選手は珍しくないが、見ている方がハラハラするほど言葉が出てこないケースはさすがにめったにない。
 しかし、よく聞いていると、訥々とした言葉ながら、なかなか味のあることを言う。この日の談話の中では、「自分は優勝争いに参加するのは初めての経験ですので、ファンの皆さんの応援で、自分の後押しをお願いしたいと思います」などと洒落たことを言っていた。

 ストが回避された9月12日の試合後には、唯一の得点を叩き出したタイムリーヒットによって、初完封勝利の山井と並んでインタビューを受けた。型通りの受け答えの後で、インタビュアーに「最後に一言」と言われると、英智はためらった末にマイクをつかんで、「新聞やテレビは、合併とかストライキとか、自分自身も少し嫌気がさしますけど、でも、古田さんとか皆さんのおかげでやれてるという感謝の気持ちを、改めて感じました」と言ってのけた。この時期、薄給の若手選手が公の場でストについて発言したのは、これだけだったのではないか(球団の公式サイトでの談話では、この部分は削られている(笑))。

 マイクを向けられてもすぐに言葉が出てこないのは、話すべき言葉を探しているからだろう。放送媒体が要求する話し言葉のテンポは、一般社会の会話よりも速い。選手がそれについていけないのであれば、責められるべきは選手本人ではなく、答えにくい質問をするインタビュアーの方だ(喋ることを職業としているのは、選手でなく彼または彼女なのだから)。
 勢いだけで、その場の収まりのいい言葉を適当に口走る選手は大勢いる。だが、そこで器用に妥協せず(あるいは、できず)、少々気まずい思いをしても自分の気持ちに忠実な言葉を探そうとする英智の愚直なまでの誠実さは、ボールをつかむためならフェンスにためらわずに飛び込んでいく彼の姿と、どこか重なって見えてくる。

 神宮での試合で、2点リードした9回表、英智は二死から右中間にヒットを打って出塁した。続く九番打者は、8回から三塁の守備固めに入っていた川相。その名がアナウンスされると、左翼側や三塁側スタンドから大歓声が挙がった。二死だからバントはない。数少ない打席で殊勲打を放ってきた川相に、中日ファンは期待で盛り上がる。と、その刹那、一塁走者の英智が牽制球に刺された。スリーアウト、チェンジ。岩瀬が裏を抑えれば、もう中日の攻撃はない。せっかく回ってきた打席が消滅して、川相は苦笑いしていたかも知れない。確か英智にとっては、盗塁数は唯一の個人的な数値目標だったはずだ。ちょっと意欲が強すぎたのかも知れない。

 中日ナインは9回裏の守りにつく。一塁ベースからベンチに戻り、グラブを持って出直す英智は、当然、いちばん最後になる。すでに三塁の位置につき、一塁手からの肩慣らしのボールを待っていた川相の後ろを通る時、英智は帽子のツバに手を添えて、小さく頭を下げた。相手が見ていないとわかっていても、そうせずにはいられない性格なのだろう。こういう選手が脇を固めているチームは面白い。


追記(2006.5.15)
その後、2005年は打率が一割を切るという極度の不振にあえいだが、2006年は好調で、5月はすでに3度のお立ち台を経験している。5/3のヒーローインタビューは一問一答が東京中日スポーツの一面に紹介されるなど、妙な形でブレイクしている(プロ野球ニュースでは高木豊が「僕は英智のインタビュー大好きです」と言ってたし)。以下は「東京ひとりぐらし」に紹介されていた東京中日スポーツの記事。
http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0504-1.htm
http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0505-1.htm
http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0511-1.htm

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進化する怪物。

 レギュラーシーズン大詰めのレッドソックス戦@フェンウェイパーク。松井秀喜がホームランを連発している。昨日はペドロ・マルティネスから、今日はティム・ウェイクフィールドから。どちらも昨年はまるで歯が立たなかった投手だ。ペドロからは、つい先日、19打席目にして初めてヒットを打ったばかりだった。
(ただし、昨年もプレーオフでは両投手から重要な場面で打っている)

 日本でも、こういう光景は幾度となく繰り返されてきた。ある時期は内角が打てなかった。ある時期は阪神の遠山、ワンポイントで登板する左のサイドスロー投手が打てなかった。ある時期にはヤクルト投手陣、というより古田のリードに翻弄されていた。
 だが、1、2年の後には、松井は苦手だったはずの相手を克服し、当たり前のような顔をして一塁ベースに立ち、あるいはダイヤモンドをゆっくりと走っていた。オフやキャンプの間に、相当なことをしていたはずだ。

 松井が読売ジャイアンツでの1年目を終えた93年秋、ある出版社が松井のムックを刊行した。編集者はムックに「進化する怪物」というタイトルをつけた。凡庸な成績に終わったルーキーを、それでも礼賛するための、多分に苦し紛れのコピーだったはずだ。
 だが、日米通算で12年目のレギュラーシーズンが終わろうとしている今、改めて思う。これは驚くべき卓見だった。

 記録面から見て、松井という選手の最大の特徴は「進化すること」にある。
 松井の年度別成績表をご覧になったことがあるだろうか。「松井秀喜野球の館」http://www.hideki.co.jp/のPlofileに日本での年度別成績が載っている(普通の年度別成績表と縦横が逆なので見づらいですが)。試合数、得点、安打、本塁打、打点、打率。主要な数字の大半は、常に前年を上回るか同程度だ。
 おおまかに言って、松井の打撃成績はプロ入り10年間、前年を下回ったことがない。どこかの数字が少し下がってるな、と思うと、その年は打撃タイトルを取っている。
 こんな選手はまずいない。打撃は水物だ。イチローのような100年にひとりの天才でさえ好不調はあるのに、松井の成績表には波がない。

 そして、その進化カーブは、MLBに入っても継続している。渡米初年の数字こそ日本時代の最後を下回るリセットの年となったものの、2年目の今年は打率、本塁打で着実に前年を上回った。出塁率や得点も増えた。ペドロの速球も、ウェイクフィールドのナックルボールも、もはや松井にとっては対応不能なボールではない。
 故障知らずの頑健な体、自分の課題を分析し打開策を編み出す頭脳、常に前に進もうとする意志。それらが健在である限り、時間の経過は松井の味方であり続ける。
 来年の今ごろ、松井が本塁打王を争っていたとしても私は驚かない。
 (折しも昨年から50本以上の本塁打を打つ選手が激減している。ドーピング検査導入の影響だとしたら、これは松井にとって明らかに追い風だ)

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二塁を蹴るイチロー。

 「イチロー、凄いよね。でも、あんまり好きになれない」
 イチローのシーズン安打記録への挑戦が話題に上るようになって、女性の友人知人から、こういう声をよく聞く。特に熱心な野球ファンではないけれど、テレビでやってれば見るし、たまには誰かに連れられて野球場に行くこともある。そういう、いわば標準的な日本人といっていい人々だ。

 テレビ画面に映される際の、イチローの取材者への素っ気なさが影響しているのだろうとは思う(あの愛想のいい松井秀喜がニューヨークに行ってからは、なおさらイチローの素っ気なさが際立ってしまう)。
 だが、それだけで彼女たちを「野球のわからない人たち」と決めつける気にはならない。正直言って、私の目から見ても、イチローはそんなに魅力のある選手ではない。テレビのダイジェスト映像で見ている限りでは。
 野球中継の基本画面であるセンターカメラは、百数十メートルという遠距離から超望遠レンズを使っているので、まるで遠近感がない。センター中心にゴロで打ち返すことが多いイチローのような打者の打球は、まるでスピード感がなくなってしまう。単なる内野ゴロに見えた打球が、画面が切り替わると外野に抜けている。そんな場面ばかり見ていても、何が凄いのかピンと来ないのは当たり前だ。

 だが、野球場のスタンドから見ると、彼の印象はがらりと変わる。
 打球の速さが納得できるというだけではない。走塁、守備、すべてにスピード感がある。彼がグラウンドに立っている限り、常に何かが起こる可能性を感じさせ、人の目を惹き付ける。

 私は、それほど数多くイチローの試合を見たわけではない。オリックス時代に東京ドームで何度か見ただけだ。いつも、外野スタンドが一杯だった。野球場の外野スタンドは、ホームチームのファンがライト側、ビジターがレフト側に棲み分けするのが長年のルールだが、当時のオリックス戦では(かなしいかな日本ハムの応援団の人数が少ないせいもあって)、ライト側スタンドのセンター寄りの席から、イチロー見たさの観客でぎっしり埋まるのが常だった。
 そんな観客の前で、左翼手の田口と右翼手のイチローが、肩慣らしのキャッチボールとしては非常識に長い距離を、嬉々として投げ合っていた。今となっては懐かしい光景だ。

 ある試合で、イチローが一塁に出塁した。私は一塁側のスタンドの外野寄りの席から見ていた。次打者がライト前にヒットを打つと、イチローは二塁ベースを回って三塁へ向かった。二塁ベースを蹴った瞬間、イチローの後ろ姿が、ぐん、と速度を増して見えた。宙を飛ぶように駆けていく加速感の美しさは忘れられない。

 野球の試合で起こるあらゆる場面の中で、もっとも心躍る瞬間は何かと問われたら、「走者が二塁ベースを蹴る時」は有力な候補になるのではないかと思う。
 一塁走者が右方向へのヒットで二塁を蹴って三塁へ向かう。あるいは、打球が右中間を破るのを見ながらホームを目指す。打者走者が、クッションボールの処理にもたつく外野手を見て、三塁を狙う。多くの場合、「二塁ベースを蹴る」という行為はリスクを含んでいる。そこに立ち止まれば安全が保証される二塁ベースをあえて後にして、先の塁を獲得するために走る。
 どちらに転ぶかわからないものを目指して懸命に走る姿の向こうには、その走者を刺そうと懸命に奔走する外野手の姿が二重写しに感じられる。広いグラウンドの離れた二か所で、別々の方向に必死で走りながら、しかし彼らは間違いなく相手の存在を感じ取り、相手と争っている。そんな重層的な意味を持つ全力疾走は、観る者にも高速の情報処理を要求する。そのスピード感も、また快い。

 イチローは間違いなく、そんな「二塁ベースを蹴る」動作がもっとも美しい野球選手のひとりだ。と同時に、右翼を守れば、二塁ベースを蹴る走者にとって、もっとも恐るべき狙撃手となる。こういう選手のプレーを見ても魅了されないというのであれば、その人は野球など見るのはやめて、他の娯楽を探した方がいい。

 しかし。走者が「二塁を蹴る」姿をテレビ画面で見る機会は少ない。皆無とは言わないが、しばしばそれは、すべてが終わった後に示されるリプレイ映像として扱われる。外野からの送球も然り。ニュースの中でイチローが安打を打つ場面をどれだけ見せたところで、それはイチローの魅力を伝えたことにはならない。
 「二塁ベースを蹴る」瞬間を目撃する快楽は、野球場のスタンドに座る観客の特権なのである。テレビで野球を見る時には、画面の外側で起こっていることを、推測によって補完する必要がある。

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ジョン・スポールストラ『エスキモーに氷を売る』きこ書房

 ライブドアの堀江社長は『マネー・ボール』を参考にチーム作りをしたい、という話をしている。もうひとつ、本書もぜひ読んでいただきたい。
 『マネー・ボール』が「金をかけずに強いチームを作る方法」の教科書だとしたら、本書は「弱いチームで儲ける方法」の教科書だ。

 著者は91年から4年間にわたって、NBAニュージャージー・ネッツのマーケティングを指揮した(2年間はコンサルタントとして、後半の2年間は社長兼CEOとして)。私はNBAには疎いが、本書の記述によれば、ネッツは最低のチームだった。著者が関わるようになる前の5年間の成績は最下位かその次、入場料収入は常に最下位。
 そんなチームが著者に率いられた途端に王者への道を歩み始めた……というわけではない。本書の類を見ないユニークさは、商品がどんなにひどくても、それを売ることはできる(しかも顧客を騙すことなく、満足を与えつつ)と主張している点にある。事実、ネッツの成績は相変わらずパッとしないにもかかわらず、著者は収益の大幅改善に成功してしまう。4シーズンの間に、ネッツの観客動員数は27位(最下位)から12位へ、スポンサー収入は40万ドルから700万ドル以上へ、そしてネッツの売却価値は5200万ドルから9200万ドルへ飛躍したという。

 著者は、「ネッツは素晴らしいチームですから見に来てください」と、ありもしない魅力を地域に訴えることをやめ、「ネッツと試合をするためにニュージャージーにやってくるマイケル・ジョーダンらのスーパースターを見ませんか?」と地域住民に働き掛け、好カードをセット化したチケット商品を売り込んだ。試合チケットを値引きする代わりに、プレゼントや食べ放題などさまざまな付加価値をつけた。顧客データベースを整備して、顧客にきめ細かい働きかけをしてシーズンチケットを販売した。さまざまな手をつかってスポンサーにアピールし、ひとたび契約したら必ず継続してもらうために、よく工夫された年次報告書を作成した。紹介されているアイデアの多くは、今日からでも導入できそうだ。著者は本書をスポーツマーケティングの本ではなく、どんなビジネスにも応用可能な「ジャンプ・スタート・マーケティング」の本だと規定している。

 著者の言が正しければ、「チームが弱いから客が入らない」という経営者たちの考えも、「リーグの繁栄のためには緊迫した好ゲームが必須で、そのためには戦力均衡が絶対条件」と言うスポーツ経営学者やライターたちの考えも、どちらも浅はかな思い込み、ということになる。
 堀江氏でも三木谷氏でも、次にプロ野球に加わる経営者には、ぜひ本書の理論を実践していただきたい。もちろん、既存の球団が実践してくれても大いに結構。私が球団オーナーなら、新しいアメリカ人選手に何億円か払う代わりに、とりあえず1年、スポールストラとコンサルタント契約を結ぶことを検討する。
(アメリカと日本の経営は違う、とお思いだろうか? 著者は何度も来日経験がある。ニュージャージーにある日系企業とスポンサー契約を結ぶために、本社の意思決定者にネッツをアピールすることが目的だった。その努力の結果、1年間で日系企業のスポンサーは1社から12社に増えたという。少なくとも著者は彼の流儀で日本企業から金を引き出すことには成功したわけだ)

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ドーム球場に降ったもの。

 ストで試合のない土曜日。NHKの午後7時のニュースでは、トップ扱いで、試合が予定されていた各球場の周辺の様子を延々と流していた。室内練習場などで練習する選手たち。「せっかく球場に来たのに」と嘆くファン。「二百万の売り上げがゼロ」と不機嫌な球場の食堂経営者。

 なんだか見たような光景だな、と、しばらく考えて気がついた。
 こんなのは雨が降るたびに繰り返されてきたことだ。珍しくも何ともない。

 20世紀の昔、野球の試合というのは、大雨が降ればなくなってしまう程度の、不安定な興行だった。
 球場の前まで来ながら雨天中止でがっかりして帰るのも、野球見物のうちだった。天気予報を睨みながら翌日の仕入れの量を決めるのが食堂の親父の勘の見せ所だった。
 台風でも来ようものなら、週末の2試合が流れるくらいのことは当たり前だった。

 もちろん、雨天中止になった試合は、なくなるわけではない。後日、代わりの試合が行われる。だが、たとえば9月中旬の首位攻防戦が雨で流れれば、代替日程は10月ごろになる。下手をすれば優勝決定後の消化試合、しかも平日のデーゲームだ。入場者数はおそらく数分の一に減る。秋風が吹けばビールも売れない。関係者はみんな大幅減収だ。前売り券を買っていた観客だって、都合がつくとは限らない。誰にとってもいいことはない。
 そういうことを含めて、それが野球というものだと思っていた。

 でも、21世紀にはそうじゃないんだな、とニュースを見ていて気がついた。今日、試合をする予定だった球場が次々と映る。札幌ドーム、ナゴヤドーム、福岡ドーム。ドーム球場ばかりだ。
 ドームに雨天中止はない。子供たちが泣きべそをかいて球場から引き返すこともない。テレビ局もラジオ局も「雨傘番組」を用意する必要がない。球場の食堂の仕入れ数は自動的に決まる。
 これぞ合理的で近代的な商売のやり方だ、と経営者たちが考えたのか何だか知らないが、ドーム球場は次々と増えて、現在では12の本拠地の半分に屋根がある。ドーム球場さえ作れば、彼らの商売に予定外のことは起こらないはずだったのだろう。

 そのドーム球場で、雨も降らないのに試合が止まる。
 小賢しい計算を、現実が超えていく。

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泣くな。

 プロ野球のストライキについて思うことはいろいろあるが、各局のニュースを見ているうちに、賢しらに何か書くのが空しくなってきた。今夜言うべきことは、ひとつだけだ。

 古田、がんばれ。

 あと、近鉄とオリックスの選手たちは、もうちょっとカメラの前で意味のある言葉を口にできないものでしょうか。この程度の人たちのために古田があんなにボロボロになっているのかと思うと腹が立つ。この土日の間によく考えてくれるといいんだが。

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藤井寺、日生、大阪ドーム。

 ふくはらさんのサイトhttp://blog.melma.com/00106993/のコメント欄(トラックバックの仕方がよくわかりません(笑)。こんなんでblog作っちゃいけないな)にもちょっと書いたが、Number誌の野球特集で藤井寺球場についての記事を読み、藤井寺に行った時のことを思いだした。

 私が訪れたのは一度だけだ。94年の5月の連休だったと記憶している。駅から住宅地を歩くと、球場が見えてくる。チケット売り場には意外なほど長い列ができていた。
 快晴なれど暑くはなく、野球日和だった。スタンドの入りは六分程度だったか。試合の内容はほとんど覚えていない。相手チームすら覚えていない(笑)。ただ、近鉄の先発は、おそらくまだ髪が豊富だったころの佐野で、早い回からめった打ちに遭っていた。スタンドの上の方から「しっかり投げんかい!こっちは生活かかっとるんや!」とドスの効いた低音の怒鳴り声がしたのを覚えている。なぜ佐野の投球に一観戦者の生活がかかっているのかについては深追いしないことにするが、「ああ、そういう土地柄なのか」とその時は思った。

 近鉄の試合は、日生球場でも見たことがある。これも一度だけ。91年か92年だった。ネット裏、ホーム側のベンチ近くというなかなかよい席で、平日のナイターだったが、周囲の席はサラリーマンで埋まっていた。ベンチの前で金村が素振りをした時、騒がしいスタンドの中にいたにもかかわらず、ぶうん、とバットが空気を切る衝撃が伝わってきたような気がした。
 先発は野茂だったが、あまり調子はよくなかったようだ。ルーキーの年のオフに西武球場の日米野球で投げる野茂を見たが、その時ほど速くはなかったように見えた。
 私は当時ブライアントが好きで、彼の豪快な本塁打を期待して見に行ったのだが、実際に見せてくれたのは豪快な空振り三振を3度ほど。考えてみると、神宮での日本シリーズも含めて、近鉄の試合を生で見た時はすべて負けている。相性が悪いらしい。
 日生球場はオフィス街の中で、こぢんまりとした球場だった。スタンドを一回りしてみたが、外野スタンドと内野スタンドの間に、コンクリートで覆われた斜面があり、なだらかで複雑な曲線を描いていた。そこに幼稚園児くらいの子供が数人入り込んで遊んでいた光景が、なかなかいい感じだった(セキュリティ上は問題があるかも知れないが(笑))。

 ついでに言うと、大阪ドームにも一度だけ行ったことがある(私は東京在住なので、すべて出張のついでに立ち寄った)。これは近鉄の試合ではなく、オールスターゲームだった。駅からずいぶん遠かった印象がある(実際は藤井寺や日生と大差ないのかも知れないが)。当日券で二階の内野席を入手した。
 階段が急だとか椅子が狭いとかいうのは、たいていの球場に共通しているから、今さら驚いたりはしない。だが、席についたら右翼手の姿が見えなかったのには、さすがに驚いた。どんな球場にも、席から死角になる部分はある。だが、定位置を守っている野手が見えないというのは考えられない。映画館にスクリーンの一部が見えない席があるだろうか?デパートの屋上に野球場も造ってみました、そんな雰囲気を感じた。

 たった一試合づつの印象ではあるが、藤井寺や日生は、ファンと選手との距離が近い球場だった。近鉄沿線ではない大阪ドームに移転したことで、近鉄バファローズは、物理的にも心理的にもファンから遠ざかってしまったのかも知れない。
 もう一度、藤井寺に引っ込んで、こぢんまりとした規模の経営から、やり直すことはできなかったのだろうか。今さらながら、そう思う。もちろん、大阪の中心部からは遠いし、近隣住民からの苦情もあるだろうし、現実的でないのはわかっているけれど。

 今は亡き大阪や平和台、西宮、川崎。昔の野球場は人々に近かった。それがプロ野球の強みだった。でも、いつしか弱みになってしまったのかも知れない。

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レイ・ブラッドベリ『華氏451度』ハヤカワ文庫

 マイケル・ムーアの『華氏911』の公開で久しぶりに脚光が当たったが、原著は1953年(ハヤカワ文庫の初版は1975年)。刊行から十数年後にフランソワ・トリュフォーによって映画化もされている。華氏451度は、「本のページに火がつき、燃えあがる温度……。」(本書扉より)だ。ムーアの映画の広告で「それは自由が燃える温度」とあるのは、もちろん、これを下敷きにしている。

 舞台は、ほとんどすべての本が禁書となっている未来のアメリカ。本を焼き捨てる「焚書官(原書ではFireman。「消防士」と同じ言葉だ)」のガイ・モンターグは、自宅近くの夜道で不思議な少女と出会ったことから、自分の仕事に疑問を抱き、書物を持ち帰って読みふけるという禁断の行為に手を染めるようになっていく…。一昨年作られたSF映画の佳品『リベリオン-反逆者-』の設定は、本書に酷似していた(禁止されているのは本ではなく「感情」だが)。半世紀を経て、なお強い影響力を持っている、ということだろう。

 小説の途中までは、書物や自由に関する議論がどうにも古くさく紋切り型で、率直なところ、読み進むのに努力が必要だった。だが、最後まで読み終えると、ちょっとそれだけでは済まない、という感じが残る。
 管理社会の思想統制の危険さを指摘し、自由と個人の尊厳を謳い上げた文明批判の名作。本書は、たいていはそんなふうに紹介される。そして、「自由」と「尊厳」を象徴するのが「書物」である、と。ところが、全部読み終えてみても、主役たる書物は、さっぱり印象に残らない。

 皮肉きわまりないことに、本書の中で書物が重要な役割を果たすのは、もっぱら人の口によって読み上げられた時だけだ。
 モンターグが書物と一緒に焼き殺してしまう老女が最後に口にする引用文。モンターグの迷いを見抜き説得しようとする上司、ビーティ署長が会話の端々に引用する書物の一節。ヴァーチャルリアリズム放送に狂騒する妻とその友人たちに苛立ったモンターグが、朗読して聴かせる詩。それぞれが、くっきりとした強い言葉として、聞かされた相手の心に楔を打ち込んでいく(このビーティという男が曲者で、彼自身、焚書官の仕事を通じて本に興味を持ち、古今東西の書物を読んで自在に諳んじながら、書物のくだらなさをこきおろすものだから、やたらに説得力がある。本書の実質的な主役は、実は彼なのではないか)。

 一方で、例えばモンターグが密かに自宅に持ち帰った書物を妻と2人で読みふける時、それらの書物は妻に対して何の影響も及ぼすことができない。反抗を決意したモンターグが傍らに持ち歩く書物は、しかし、1ページづつ破り捨てられ、投げ出され、落とされ、唯一役に立ったのは同僚の家に仕掛ける罠としてのみだ。ここでは書物は徹底して単なる「物」でしかない。
 これは、ほんとうに人々が言うように、書物の素晴らしさを謳い上げた小説なのだろうか?

 モンターグは逃亡の果てに、ある老人たちと出会う。彼らは、おのおのが一冊の書物を暗誦することで“生きた書物”と化し、再び書物を読むことが許される日まで、その中身を保存していこうという壮大な構想と数千の仲間を持つ地下組織だ。にもかかわらず、この人たちは何だかみすぼらしくて、少しも魅力的ではない。これは私だけの感想ではない。モンターグ自身が、失望感を表情に出してしまい、彼らのひとりに「表紙を見ただけで、書物の価値をきめなさるな」とたしなめられるのだ(笑)。リーダー格の老人も、「忘れてならぬ重要なことは、わしたちだけが衆にすぐれた存在だというわけでない点だ」などと妙に謙虚で、あまり世界を救いそうな雰囲気でもない。
 いったいブラッドベリはどういうつもりなのかと訝しくなってくる。ともかく小説全体を強烈なペシミズムが覆っている。

 その中でほとんど唯一、前向きな力のこもった言葉だと私が感じたのは、ラスト近くの、モンターグのモノローグだ。長くなるが引用する。

そうだ!おれたちは、きょうからでも、歩きだすことにしよう。そして、世の中を見、社会のうごきと、社会の語ることを知り、それがどのような現象をしめすか、事実を知らなければならぬ。おれはあらゆることを見たかった。それが、おれの胸のうちにはいりこんでくるあいだは、どれもこれも、不可解なものばかりであろうが、いつの日か、おれの胸のうちに、ひとつのまとまった形をとり、おれそのものとなることであろう。
 さあ、世間を見よう。おれのうちにある神よ、あの場所へ行って、おれの外へ出て、おれの外にある現実に触れるのだ。それだけが、最後にはおれ自身であるものに触れることのできる唯一の道である。それではじめて、それはおれの血液となる。日に、一万回の一千倍も脈動するおれの血液に。おれはそれをにぎりしめて、はなすべきでない。二度とおれの手もとから逃げ出さぬように。いや、かならずやってみせる。この世界をしっかりこの手ににぎりしめる日が、かならずいつか訪れる。いますでに、指を一本、それにかけた。これがおれの仕事の手はじめだ

 マイケル・ムーアが実際に本書を読んだかどうかは知らないが、彼がやっている仕事は、まさにこういうことだ。歩きだし、あらゆることを見て、この世界をしっかり手に握りしめようと、指を一本かける。
 ブラッドベリはムーアの映画について「私の政治的立場に反する無断使用だ」と怒ったそうだが(今でもそんなに元気だとは喜ばしいことだ(笑))、この部分の精神は、確かに受け継いでいると思う。
 ただし、本書はご覧の通り、ムーアの仕事のように単純明快ではない。未来社会のイメージの奔流、登場人物たちの無闇な饒舌さが渾沌に拍車をかける。いっそ、本書をそのまま脚本として、芝居として上演してみたら、『華氏451度』がどういう作品であるのか、明瞭に浮かび上がってくるのではないだろうか。
(と思ってネットで調べてみたら、3年前に木山事務所が俳優座で上演したそうだ。ネット上で見つけた感想文によれば、ビーティ署長の人物像が原作より膨らまされていたそうだ。唯一、陰影のあるキャラクターだから、そうしたくなる気持ちは判る)

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エースがマウンドを去る時 <旧刊再訪>

永谷脩『120キロの快速球』文藝春秋 1989
海老沢泰久『ただ栄光のために』新潮社(文庫)1985/2004(新版)

 山田久志は、私がリアルタイムで見た中で、もっとも好きな投手のひとりだ。
 何よりも、威厳があった。流れるようなアンダースロー。あれほど美しい投球フォームは、その後、日本でもアメリカでも見たことがない。
 負けることが絵になる投手だった。昭和50年代初頭、阪急ブレーブスが3年連続日本一を達成した時のエースであり、300近い勝ち星を積み重ねていながら、なぜか日本シリーズでは負け試合の印象が強い。昭和46年にジャイアンツの王貞治に打たれたサヨナラホームランは伝説となっている(私は見てはいないが)。昭和53年には、初戦に先発した山田が船田、大矢という伏兵に本塁打されたことからヤクルトのアップセットが始まる。昭和59年、広島との対戦では実に1人で3敗を喫し、草野進をして「山田が負けたシリーズとして記憶されるべき」と言わしめた。
 落合博満は自著の中でしばしば、山田との対戦を楽しみにしていたことを語っている。昭和50年代のパシフィック・リーグは村田、東尾、鈴木ら、各球団に球団史上最高レベルの名投手がいた時代だったが、その同世代の名投手たちの中でも、山田の存在感は屹立していた。

 そんな誇り高きエースにも、マウンドを去る日はやってくる。『120キロの快速球』は、もともと雑誌「Number」に連載されたものだ。著者にその意図があったかどうかは知らないが、結果的には、山田という大投手の最後の1シーズンの心の動きをビビッドに記したドキュメントとなっている。取材対象に密着する著者のスタイルが、この作品では強い効果を生んでいる。
 開幕投手から外された葛藤と、監督との信頼関係のゆらぎ。自分をあと数年生き延びさせてくれるはずの新球に賭ける心の強さに感銘を受け、ついにモノにならなかったそれが、引退を覚悟してから自由に操れるようになる皮肉に肅然とする。
 選手にとって引退とは何か、ということが、これほど実感できるテキストを私はほかに知らない。

 堀内恒夫もまた、リーグは違ったが、山田と同時代の名投手のひとりだ。というより、V9ジャイアンツのエースだった堀内は、同世代の投手たちにとって羨望の的であり、誰よりも倒すべき存在だった(堀内にしてみれば、投げるたびにそういう連中ばかりを相手にしなければならなかったのだから、巨人のエースも楽じゃないのだろうが)。

 『ただ栄光のために』は選手・堀内の全体像を描いた伝記だ。
 最後の1勝をあげた試合をプロローグに、堀内の現役引退までの人生が語られるが、海老沢の「小説」には珍しく、構成上の大きな山場は用意されていない。堀内は、なんとなくプロに進み、なんとなく勝ち進み、気がつくと衰えていて、華々しい復活を遂げることもなく、徐々に引退に向かう。いわゆるドラマらしいドラマは、ほとんどないといってよい。あまりに坦々と進むので、山場がないうちに落ち目に向かってしまうような印象を受ける。いい時の堀内は素質だけで勝っていたようなものらしいから、小説としては盛り上げようがないのかも知れない。

 そして同時に、実際の人生における時間の流れ方なんて、そんなものかも知れないとも思う。いい時も悪い時も1年は1年。ここが全盛期、などというのは後から決まることで、その最中は、まだまだ続くとしか思っていない。自分が下り坂にあると気づく時には、すでに半分くらい坂を下っている(そこから再び上りに転じる底力を持つ人間だっていないわけじゃないが)。
 40の大台に乗ったばかりの筆者にとっては、最後の1勝と、最後の登板のくだりが、いちばん胸に迫る。

 堀内の最後の登板となった試合はテレビ中継でしか見られなかったが、スタンドの何ともいえない温かく感傷的な雰囲気は、よく伝わってきた。消化試合の終盤の1イニングを投げただけなのに、打線の爆発によって予定されていなかった打席に立った堀内は、ゆったりしたスイングで打球をレフトスタンドに放り込み、自ら作ったダイヤモンドの花道を、祝福とともにゆっくりと走る。強打者としても知られた堀内にふさわしい最後だった。

 山田がどのようにしてマウンドを去ったのか、寡聞にして知らない。最終成績を見れば、山田の方が圧倒的に堀内を上回っているにもかかわらず。
 それが人気球団とそうでないチームの差だということもできるのだろうが、私は必ずしもそうは思わない。山田は大投手であり、堀内はスターなのである。どちらが本人にとって幸福なことなのか、私にはよくわからないが。

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『スチームボーイ』 大友克洋 原案・脚本・監督

 見終えた時の気分が、驚くほど『AKIRA』に似ている。壮大なスペクタクルに圧倒された後の心地よい疲れと、「へ?これで終り?」という肩透かしな物語に対する拍子抜け感と。世界を破滅に導きかねない大騒動を引き起こし、街を盛大に破壊しながらも、その核心にあるのは小さな身内の争い、という点も共通している(『AKIRA』では幼なじみ同士の喧嘩、『スチームボーイ』では親子三代の喧嘩だ)。

 19世紀末の英国という設定。世界の運命を握る「スチームボール」を天才科学者の祖父から託された少年というモチーフ。ロンドンの万国博覧会という舞台。いずれも、この上なく魅惑的で、それらが大友スタイルの緻密な映像美によって命を吹き込まれる様を眺めているのは、それ自体がひとつの快楽だ。代金1,800円は、それだけで償却されたと納得してもいい。

 だが、映像の圧倒的なリアリティに比べて、物語の何とリアリティを欠くことか。主人公はともかく、相手のやることが、まるっきり合理性を欠いている。どんなに力のある武器商人だって、万国博覧会の会場でスコットランドヤード相手にドンパチ始めたら、企業として存続することは不可能だ。ショッカーじゃないんだからさ。
 父と息子の反対を押し切って暴走する主人公の父は、どうやら自らの強大な科学力を見せつけること自体が目的で、その強大な力を使って何かをしようという意欲はないらしい。そんな父の姿が、物語そっちのけで破壊シーンを描くことに熱中している大友自身と、妙に重なって見えてくる。

 エンドロールには、本作の後日談の場面が、紙芝居のように(スライドショーのように、と言うべきか)現れては消える。この場面場面が実に鮮やかで、主人公たちの来るべき冒険を想像するとワクワクしてくる。だが、たぶん、こうやって想像を膨らませている段階が、観客にとっては、いちばん幸せなのかも知れない。

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で、誰か大阪ドームに行ったのか?

 1960年のことだ。日米安全保障条約が改定されたとき、反対する人々が連日国会周辺にデモをかけた。いよいよ日付が変われば自動更新、という夜。首相官邸を囲んだデモ隊は40,000人と言われた。
 時の総理大臣・岸信介は、首相官邸でナイター中継を見ながら、官邸に詰めていた新聞記者たちに、こう言い放ったという。
「君たちは議会政治が終末を迎え、日本が滅びるように心配しているが、私はそう思わない。後楽園球場に行ってごらん。何万人という観衆が野球を楽しんでいるではないか。日本が滅亡することはないよ」(毎日新聞1999年1月11日付)

 それから44年。「近鉄・オリックス合併反対」「1リーグ化反対」を唱える人々がデモ行進を行なっている。一方の野球場のスタンドはどうか。
 9月8日。両球団の合併を承認するオーナー会議が開催された運命の日の夜、大阪ドームでは近鉄-西武戦が行われた。ファンが意思を表明するには絶好の舞台だ。しかも予告された先発投手は、近鉄:岩隈、西武:松坂。パを代表するエースどうしの激突である。
 その試合に何人が入場したか。18,000人だ。大阪ドームの客席は半分も埋まらなかった(キャパシティは48,000人) 。

 もう少し長いスパンで見てみよう。大阪近鉄バファローズが今年限りでなくなるかもしれないと知った時、人々はどう行動したか。両球団が合併構想を公表した6月13日を境に、公表前と公表後の大阪ドームの平均観客数を算出してみた(Yahooスポーツの試合ごとのデータをもとにしている。近鉄球団の発表に基づいた数値と思われる)。

6月12日まで 1試合平均17,038人
6月13日以後 1試合平均20,657人(9月8日現在)

 約21%の増加ではある。ただし、後者は観客が増える夏休み期間を含んでいるので、過去数年間の同時期の比率と比較しなければ、この増加が合併発表の影響か否かは判断できない(そこまでのデータは、新聞の縮刷版を一日ごとにめくらないと手に入らないので、今の私には無理。誰かやってみたら、結果を教えてください)。

 過去の観客動員数と比較してみようと思ったが、近鉄の公式サイトには観客動員に関するデータがない(というより過去の記録に関するデータがない)。 ネット上で探してみたが、公式の数字は見つからなかった。個人サイトらしい日本プロ野球史探訪倶楽部によれば、1試合当たりの観客数は以下の通りだ。

2003年(7月31日まで)19,244人
2002年 19,286人
2001年  22,757人(この年はリーグ優勝)
2000年 16,882人

 ちなみに、今年9月8日までに大阪ドームで行われた近鉄の主催試合(58試合)の平均は19,034人。
 要するに、去年までと、ほとんど差がない。

(プロ野球の観客数は実数ではなく、かなり水増ししていると言われる。とはいえ、同一球団・同一球場での数字なら水増し率も似たようなものだろうから(笑)、時系列に沿った変化を見るなら、一定の信頼性はあるだろう)

 合併に反対する署名は100万人以上集まったという。デモ行進も行われている。しかし、合併構想が明らかになってから大阪ドームに駆けつけるようになった人は、ほとんどいない。資本主義の世の中では、消費者に必要とされていない商品は、消滅しても仕方がないのではないか?
 同じ大阪ドームでも、9月1日の巨人-横浜戦には48,000人も入っている。これではジャイアンツが思い上がるのも無理はない。

「お前はオーナーどもの味方か」と非難されかねないことを書いているのは判っている。だが、これは意見ではない。厳然たる数字なのだ。たとえば近鉄の社長(あの人の言動はまともな社会人のやることとは到底思えない)が、上記のような理屈を振り回したとしたら、ファンの側は有効な反論が可能だろうか。
「野球は公共財だから損得抜きで支えるべきだ」という主張をするのなら、交渉相手は私企業である近鉄球団や親会社ではなく、大阪市や大阪府や日本国にすべきだろう。近鉄にも長年の熱心なファンがおられるだろうけれど、残念なことに、彼らだけでは球団経営を支えることはできない。
(プロ野球が本気で生き延びるつもりなら、さしあたりは19,000人なら19,000人の熱心な固定客がいれば成り立つような、身の丈に合った経営にリストラクチャリングするべきだと私は思っている)

 Sports Yeah!のNo.100に掲載されたインタビュー記事の中で、岡田武史・横浜マリノス監督は、こう話している。
「サポーターはチームと共に闘うなかで感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う」
 さて、このごろマスメディア上やインターネット上で近鉄ファンを自称している人の中に、今年、近鉄の試合に有料で入場した人は、どのくらいいるだろうか。
 岡田の定義に従うならば、日本で野球ファンを自称する人のうち、かなりの割合はサポーターどころかファンですらない。デモや署名で合併反対を唱えている人々には、サポーターどころかファンですらない人もかなり含まれているのではないだろうか。*
 日比谷公園でデモするのもいいけど、まずスタジアムに行きましょうよ。


*(2009.11.11)
バイアウト氏から、元の表現が「球場に行けないファンに失礼だ」との指摘がありましたので修正しました。

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セバスチャン・モフェット『日本式サッカー革命』集英社インターナショナル

 おそらくは翻訳者の玉木正之の影響でそうなったのだろうが、全体的に「日本論」臭が強い造本になっている。サブタイトルは「決断しない国の過去・現在・未来」、帯には「サッカーによる日本社会の構造改革」とある(原題はJAPANESE RULES:Japan and the Beautiful Game)。実際そういう内容ではあるのだが、本書は「論」である以前に、まず日本サッカーの現代史だ。著者は日本在住15年に及ぶ英国人ジャーナリストだという。カズ、オフト、ジーコ、ベンゲル、ストイコビッチ、バクスター、ドゥンガ、城、中田英寿といった顔触れが登場しては去っていく様子は大河小説のようで、Jリーグにもこうして描かれるに足る歴史が積み重ねられてきたのだなと、しみじみと感じる。

 もっとも、登場人物は彼らのようなスターたちばかりでなく、著者はサポーター、高校サッカーの指導者、外国人指導者と選手、フリューゲルスの消滅など、いくつかのテーマを軸に、細かいエピソードを丹念に拾っている。とりわけ鹿島や浦和、柏のサポーターグループの動きについて、実に生き生きと記されていて感心する。帝京高校・古沼監督や東福岡高校・志波監督の指導法の変化について書いた章も、目配りが効いている。
 テーマの選び方、エピソードの描き方は、結局は<Jリーグの発足によって、日本のサッカーと、それを取り巻く環境がどう変化していったか>という大きなテーマに収斂していく。しかし、著者は、大上段からの自説を延々と書き連ねたり、自分の価値観に基づいて誰かを断罪したりするのでなく、あくまで「事実をもってテーマを語らせる」という姿勢を崩さない。

 玉木正之の「訳者まえがき」と「訳者あとがき」(だいたい、訳者が「まえ」と「あと」の両方に出てくるなんて野暮な真似は、普通はやらないものだ(笑))の押しつけがましさとは対照的に、著者の記述には抑制が効いており、日本のサッカー関係者、とりわけサポーターたちへの敬意と愛着が感じられるのが好ましい。造本や帯が説教臭いからといって敬遠したら損をする(笑)。もっとも、「日本論」を期待して手に取った人をも、本書は裏切らないはずだ。

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吉野家より高い署名用紙。

 「決意!」という本を買った。本というよりブックレットのようなものだ。A5判で100ページ弱。著者は「古田敦也会長&日本プロ野球選手会編」。
 ジャケットには、「緊急出版!」「合併・1リーグ制NO!宣言」「プロ野球を愛するすべての人に知ってほしいセ・パ12球団752人『たかが選手たち』の主張」などと派手な文字が躍っている。選手会が自分たちの主張を世間に訴えるための出版物、ということらしい。古田会長のロングインタビュー、一連の動きのまとめ、選手会主催のシンポジウムの記録、各界の人々の寄せる声、などが主な内容だ。巻末には「選手会公認署名用紙」なるものもあり、署名の送付を呼びかけている。
 ここで中身について多くを論じるつもりはない。私は、現時点では、選手会の言い分に大筋では理があると考えている。

 私が違和感を覚えるのは、これが500円(税込み)という価格をつけて売られていることだ。野球ファンに賛同してもらいたい、選手会の事情と主張を理解してもらいたい、というのが本書の趣旨だろう。いわば頼みごとをする相手から金を取ろうという感覚は理解できない。そんなことが通用するのは、活動体が資金難で、本の販売が募金を兼ねている場合だけだが、少なくとも一軍にいるプロ野球選手は世間一般の水準よりずっと裕福なのだ。新聞を一面買いきって、意見広告でも出せばよいではないか。

 百歩譲って、「書店に流通させるためには有料である必要があった」と解釈することにしようか(だとしても本書には印税の使い道が明記されていない)。
 それなら球場内では、この冊子はどう扱われているのだろう。プロ野球の入場料金は決して安いものではない。内野の指定席に座って、ビール飲んで弁当でも食えば、たちまち5000円以上の出費になる。それだけの対価を払って球場を訪れた人々から、さらに金を取って自分たちの言い分を聞かせようというのか? 署名用紙に値段をつけて売ろうというのか?

 もしそんなことをしているのであれば、経営者たちとは次元が違うにせよ、選手たちもまた世間の常識から遊離した感覚の人たちと思わざるを得ない。
 古田会長はファンに支持されていることに自信をもっているようだ。大勢の賛同者の声が、彼の耳に届いているのだろう。だが、事態の推移にうんざりしてプロ野球に関心を失いつつある人々は、いちいち声を挙げはしない。ただ黙って離れていくだけだ。

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チーム・ジャパンに千葉すずを思う。

 アテネ五輪の総括番組や記録集をながめていて改めて気づくのだが、今回の五輪で日本が存在感を示したのは主に個人競技だった(それも、柔道や女子レスリングなどのマイナー競技にとどまらず、水泳、陸上、体操などの主要競技でも)。団体競技でメダルを獲得した野球、ソフトボールなどはむしろ「もっとやれたのでは」という印象を残した。男子サッカーも同じだ。

 面白いのは、好成績を残した個人競技のいくつかで、選手たちが「チームの力」を強調していたことだ。
 水泳選手たちは男女を問わず主将の山本貴司に対する尊敬を隠さず、機会があるごとに彼のリーダーシップを称揚した。あの奔放に見える北島でさえ、公の場では常に山本を立てることを忘れない。リレーでメダルを獲得した時の彼らの喜びようは大変なものだった。
 陸上では、末続は得意の200メートルを捨ててリレーでの勝利をめざした。そこに朝原の存在があったことは無視できないだろう。体操では、当初から団体の金メダルを最大の目標とすることでチームの意志が統一されていたという(団体で出場する種目の練習に集中したあまり、何人かの選手は不得意種目の練習に時間が割けず、それが個人総合で表彰台を逃した理由だとしていた新聞もあった)。
 そして金メダルをとりまくった柔道でも、合宿を重ねて他の階級の選手と話す機会が多かったこと、そして井上康生という重鎮の存在感を指摘した選手が何人かいたと記憶している。

 実際に試合に臨む時はひとりであっても(もしかすると、ひとりで競技に臨まなければならないからこそ)、チームの一体感が支えとなって、選手たちは持てる力を発揮することができた。そんな好循環が感じられる。チーム・ジャパンの勝利、という言い方ができるかも知れない。
 (それは、たとえば野球や男子サッカーで、選手ひとりひとりは懸命に頑張っているのに、それがチームとしての力になれないまま終わってしまったことと対照的だ)

 ここで思い出すのは、シドニー五輪における千葉すずの落選だ。
 千葉が水泳の五輪代表に選ばれなかったのが、数字による冷徹な判定だったのか、巷間言われたように水連が千葉を排除したのか、私にはわからない。ただ、当時、スポーツライターの武田薫は「水泳はプロ競技ではない。ふだん外国にいてオリンピックの時だけ帰ってきて、チームになじもうとしない選手は、水連から疎まれても仕方がない」と指摘していた。その意味が、今になって理解できるような気がする。
 その千葉(旧姓ですが便宜上ここでは「千葉」と呼ばせていただきます)が、リーダーシップを讚えられる山本の姉さん女房というのも不思議な巡り合わせだ。
 だが、これを「皮肉にも」とは言いたくない。報道されるところによれば、若い選手たちの支えとなっている山本を、精神的にしっかりと支えているのが千葉だという。それなら千葉にも、いいチームリーダーになれる資質はあったのかも知れない。それなのに、彼女は競技生活のどこかでボタンを掛け違え、資質は表現されないままに終わってしまった。そんな気もする。

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