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エースがマウンドを去る時 <旧刊再訪>

永谷脩『120キロの快速球』文藝春秋 1989
海老沢泰久『ただ栄光のために』新潮社(文庫)1985/2004(新版)

 山田久志は、私がリアルタイムで見た中で、もっとも好きな投手のひとりだ。
 何よりも、威厳があった。流れるようなアンダースロー。あれほど美しい投球フォームは、その後、日本でもアメリカでも見たことがない。
 負けることが絵になる投手だった。昭和50年代初頭、阪急ブレーブスが3年連続日本一を達成した時のエースであり、300近い勝ち星を積み重ねていながら、なぜか日本シリーズでは負け試合の印象が強い。昭和46年にジャイアンツの王貞治に打たれたサヨナラホームランは伝説となっている(私は見てはいないが)。昭和53年には、初戦に先発した山田が船田、大矢という伏兵に本塁打されたことからヤクルトのアップセットが始まる。昭和59年、広島との対戦では実に1人で3敗を喫し、草野進をして「山田が負けたシリーズとして記憶されるべき」と言わしめた。
 落合博満は自著の中でしばしば、山田との対戦を楽しみにしていたことを語っている。昭和50年代のパシフィック・リーグは村田、東尾、鈴木ら、各球団に球団史上最高レベルの名投手がいた時代だったが、その同世代の名投手たちの中でも、山田の存在感は屹立していた。

 そんな誇り高きエースにも、マウンドを去る日はやってくる。『120キロの快速球』は、もともと雑誌「Number」に連載されたものだ。著者にその意図があったかどうかは知らないが、結果的には、山田という大投手の最後の1シーズンの心の動きをビビッドに記したドキュメントとなっている。取材対象に密着する著者のスタイルが、この作品では強い効果を生んでいる。
 開幕投手から外された葛藤と、監督との信頼関係のゆらぎ。自分をあと数年生き延びさせてくれるはずの新球に賭ける心の強さに感銘を受け、ついにモノにならなかったそれが、引退を覚悟してから自由に操れるようになる皮肉に肅然とする。
 選手にとって引退とは何か、ということが、これほど実感できるテキストを私はほかに知らない。

 堀内恒夫もまた、リーグは違ったが、山田と同時代の名投手のひとりだ。というより、V9ジャイアンツのエースだった堀内は、同世代の投手たちにとって羨望の的であり、誰よりも倒すべき存在だった(堀内にしてみれば、投げるたびにそういう連中ばかりを相手にしなければならなかったのだから、巨人のエースも楽じゃないのだろうが)。

 『ただ栄光のために』は選手・堀内の全体像を描いた伝記だ。
 最後の1勝をあげた試合をプロローグに、堀内の現役引退までの人生が語られるが、海老沢の「小説」には珍しく、構成上の大きな山場は用意されていない。堀内は、なんとなくプロに進み、なんとなく勝ち進み、気がつくと衰えていて、華々しい復活を遂げることもなく、徐々に引退に向かう。いわゆるドラマらしいドラマは、ほとんどないといってよい。あまりに坦々と進むので、山場がないうちに落ち目に向かってしまうような印象を受ける。いい時の堀内は素質だけで勝っていたようなものらしいから、小説としては盛り上げようがないのかも知れない。

 そして同時に、実際の人生における時間の流れ方なんて、そんなものかも知れないとも思う。いい時も悪い時も1年は1年。ここが全盛期、などというのは後から決まることで、その最中は、まだまだ続くとしか思っていない。自分が下り坂にあると気づく時には、すでに半分くらい坂を下っている(そこから再び上りに転じる底力を持つ人間だっていないわけじゃないが)。
 40の大台に乗ったばかりの筆者にとっては、最後の1勝と、最後の登板のくだりが、いちばん胸に迫る。

 堀内の最後の登板となった試合はテレビ中継でしか見られなかったが、スタンドの何ともいえない温かく感傷的な雰囲気は、よく伝わってきた。消化試合の終盤の1イニングを投げただけなのに、打線の爆発によって予定されていなかった打席に立った堀内は、ゆったりしたスイングで打球をレフトスタンドに放り込み、自ら作ったダイヤモンドの花道を、祝福とともにゆっくりと走る。強打者としても知られた堀内にふさわしい最後だった。

 山田がどのようにしてマウンドを去ったのか、寡聞にして知らない。最終成績を見れば、山田の方が圧倒的に堀内を上回っているにもかかわらず。
 それが人気球団とそうでないチームの差だということもできるのだろうが、私は必ずしもそうは思わない。山田は大投手であり、堀内はスターなのである。どちらが本人にとって幸福なことなのか、私にはよくわからないが。

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