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2004年10月

10月の西武ドームで聞いた音楽。

●フェルナンデスとカブレラが打席に入る時のBGMは、スペイン語圏の選手だけあって、激しいリズムのラテン音楽。場内は盛り上がる。
 しかし、音楽が終わるとスタンドはいったん静まり返り、しばらくして、「かっとーばせー、ほーせ」式の地味なリズムの応援が始まる。リセットせずに、ラテンのリズムのまま、つなげてやればいいのに。

●野田のテーマ曲は「マジンガーZ」で、細川は「きよしのズンドコ節」。それぞれに場内の世界が一変してしまうので、曲が終わるたびに、気を取り直して打席に集中しなければならない(選手が、ではない。観客の私が、だ)。西武の捕手陣、ちょっとどうかと思う。
 細川は、伊東監督に「氷川きよしに似てる」と言われたのがきっかけだと聞く。野田がマジンガーZに似てるかどうかは知らない。

●日本シリーズの三塁側スタンド。しばしば「燃えよドラゴンズ」の大合唱。もう30年近く歌い継がれている曲だ。選手名さえ入れ替えれば毎年使えるというシステマティックな歌詞が成功の要因だろう。応援歌には珍しいマイナーな旋律でもある。
 この曲では、節目ごとに
 「いいぞ がんばれ ドラゴンズ 燃えよドラゴンズ」
 という歌詞が入るわけだが、いちばん最後だけはリフレインで、
 「がんばれ がんばれ ドラゴンズ 燃えよドラゴンズ」
 と変わる。
 私は昔から、ここを聞くたびに不覚にも胸が熱くなってしまう(ドラゴンズそのものに肩入れしたことなど、落合が監督になる以前はなかったのだが)。
 頑張って欲しい気持ちの昂ぶりが最高潮に達し、遂に曲の定型から逸脱して暴走する瞬間、という感じがする。板東英二(最新版は水木一郎だそうだ)の歌に目頭を熱くしていていいのか>俺、という気がしないでもないが。

●パ・リーグのプレーオフ第1ステージの第2戦。左翼席の日本ハムファンは6回のチャンスに「北の国から」のスキャットを歌い始めた。さだまさしがゆるゆると歌っているアレを、火花の散るような無理やりのアップテンポで彼らは叫ぶ。歌声に乗せられたように、選手たちは連打連打で大量点を奪い、先制された試合をひっくり返していく。
 日本ハムは札幌に移転してよかったんだな、と実感したのは、その時だった。

 後で事情通の知人に聞いたところでは、いつも「北の国から」はチャンス・テーマとして用いられるが、あの試合では今シーズンもっとも長い間ぶっ通しで歌い続けたので、終わったときは皆、息も絶え絶えだったという。

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沈黙どころか…。

 2つ下のコラム「それでもまだ沈黙している人々。」に「もうひとつ、沈黙している組織がある。日本プロ野球選手会だ。」と書いたが、訂正する。
 今日10/27発売の週刊ベースボール(2004.11.8号)の連載「選手会通信Vol.83」は、「ドラフト制度再論ーー一場選手のこととドラフト制度のこれから」と題して、この事件を機に球団側は反省してドラフト制度を改正すべき(完全ウェーバー制導入を含む)という主張を展開している。
 この連載、誰が書いてるのか知らないが(常に無記名)、いつも、現役プロ野球選手の現場の体温がまったく伝わってこないという点ではオーナー会議や実行委員会と同じくらい味気ない。今回も、裏金問題にはまったく無関係な第三者という立場で正論が展開されているのだが、…以下は下のコラムの繰り返しになるので省略して、一言だけ感想を述べておく。

 恥ずかしくないのかな。

 これを読んでると、選手会のメンバーには裏金をもらってプロ入りした人間は一人もいないんじゃないかと、うっかり信じそうになってしまう。それならそれでいいんだけど、もしそうではないのにこんな文章を公表しているのだとしたら、まるで依頼人の利益のためなら犯罪者を無罪にすることも厭わない弁護士のようですな。

追記
 11/11付の各新聞に、以下の内容が報道された(引用は毎日新聞)。

学生野球協会:
不祥事の処分決定 2監督に無期謹慎−−ドラフト絡みが3件

 日本学生野球協会は10日、24件(高校21、大学3)の不祥事の処分を決めた。うち3件(高校1、大学2)がプロ野球のドラフト(新人選択)にかかわる金銭授受。02年ドラフトでヤクルトに入団した部員の契約金の一部を受け取ったとされる東農大生産学部の監督、同じ年のドラフトでヤクルトに入った系列大の部員の契約金の一部を一時的に預かった専大北上(岩手)の監督を無期謹慎処分にした。東農大生産学部の部長も1年の謹慎とした。また、プロ球団から部員が現金を受け取っていた明大について、「退部後も次々に受け取りが発覚した」として、部を警告処分とした。(以下略)

http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/ama/news/20041111ddm035050026000c.html

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藤沢文学なのか、山田映画なのか。

 『隠し剣 鬼の爪』という映画を、見ようか見まいかと迷っている。
 2年前、山田洋次が藤沢周平の小説を映画化した『たそがれ清兵衛』は、よくできた映画だった。江戸時代の日常を丹念に描いて、細部まで神経が行き届いており、出演者たちの演技も見事で、時代劇としては出色の出来ばえだった。おそらくこの第二弾も、よくできた映画なのだろう。新聞や雑誌で目にする評は、おおむね好意的だ。しかも私は松たか子が好きときている。

 ただ、そのよくできた『たそがれ清兵衛』には、どうにも納得のいかない箇所がある。そして、おそらくそれは『隠し剣 鬼の爪』にも継承されている可能性が高い。
 なぜなら、“それ”は山田洋次のミスではなく、彼の信念の発露であるに違いないからだ。

 『たそがれ清兵衛』は、藤沢周平の大半の小説がそうであるように、彼の故郷である山形県鶴岡市あたりをモデルにした小藩の下級武士の物語だ。
 たそがれ時になると、同僚の酒場への誘いに耳を貸すこともなく、一目散に自宅に帰っていく主人公(真田広之)を揶揄して、周囲の人々がつけた徒名が「たそがれ清兵衛」。原作では病気の妻を養うために金が必要という設定だったが、映画では妻はすでに亡く、幼い子供と、ぼけはじめた老母の面倒を見るために、清兵衛は自宅へ急ぎ、内職に精を出す。そんな男が藩命により意に染まない決闘に向かっていく姿を、映画は静謐の中に描く。

 「静謐の中に描く」と書いたが、しかし作品の中で、しばしば静謐さは破られる。
 山田は物語の時代設定を幕末に置き、事あるごとに幕藩体制の終りが近づいていることを強調する。ヒロインである朋江(宮沢りえ)は、清兵衛の親友の妹で、一度は他家に嫁いだが夫の暴虐に耐えきれず実家に戻ってきた。現代人を思わせる聡明な女性とされており、それゆえに因習に苦しめられていることが随所に示される。
 映画は岸恵子のナレーションによって進行する。清兵衛の幼い娘が、長じた後に、父と暮らした日々を回想しているという設定だ。映画の最後には、洋装の岸が清兵衛の墓に参り、一家の後日談を語る。
 それらはいずれも原作にはない、山田が付け加えた部分だ。そして、妙に物語世界から浮いている。少なくとも私には強い違和感があった。なぜ、こんな余計なことをするのだろうかと訝しい思いで見ていた。

 映画を見終わって、プログラムを読んで腑に落ちた。
 山田は物語の舞台を「人間が生き生きとして個性的であることが許されなかった時代」と書き、清兵衛が反逆者を討つ決闘シーンについては「すぐそこに新しい未来が迫っているのに闇の中で模索し続けている」と語る。要するに、この人は江戸時代を「庶民が抑圧された暗黒時代」と捉えているらしい。

 山田がそう考えるのは構わない。だが、藤沢周平の作品世界に、この手の「進歩史観」を持ち込むのは感心しない。似合わないからだ。
 藤沢の小説では、登場人物たちは与えられた環境を精一杯生き、そして死んでゆく。そこに著者が顔を出して、現代人の価値観から過去の時代を断罪するようなことはせず、読者がそれをどう思うかをコントロールする意思は感じられない。藤沢の筆はあくまで慎み深く、むきだしの文明批判や、あからさまな心理描写は、まず見られない。それらはあくまで、行間から立ち昇ってくる言葉にできないもの、という形で読者に伝えられる。

 そうやって藤沢がストイックに抑制し、読者に委ねている部分を、山田はことごとく台詞やナレーションで説明し、自分の解釈を観客に押し付ける。山田作品を見に来た観客にはそれでいいかも知れないが、藤沢作品を見るつもりだった私には迷惑だ。物語の中で進歩史観は消化不良気味だし、決闘前夜の清兵衛の姿を「刀を研ぐ父の姿が不気味でした」とナレーションで説明してしまうのは、一言でいえば「野暮」である。藤沢の文体とはまったく異質なものだ。
 なまじよくできている映画だけに、この異質さは堪え難く目立ってしまう。単なるダメな映画であれば、ここまで気になりはしなかったはずだ。

 だから、今度の『隠し剣 鬼の爪』でも、同じことが繰り返されるのではないかと怖れている。
 たぶん、この映画を好意的に評している人たちは、山田の進歩臭さが気にならないか、むしろ山田と同じように好きなのだろう。たとえば10月21日付の朝日新聞夕刊でこの映画を絶賛している秋山登という映画評論家は、『たそがれ清兵衛』との一番の違いを「時代の変化への目配り」とし、「清兵衛が時代に流されたのに比べると、宗蔵(引用者注:『隠し剣…』の主人公)は自覚的だ。藩という閉鎖社会、身分制度から自らを解き放とうとするのだ」と書いている。ふうむ、さすが朝日新聞。清兵衛が「時代に流された」などとは、今の今まで考えてもみなかった。

 そんなわけで、私は『隠し剣…』を、見たいような見たくないような、落ち着かない気分でいる。誰か『隠し剣…』を見た人がいたら、今度の進歩臭さがどの程度のものだか教えてもらえないだろうか(笑)。でも、さっきの秋山評を見ると、どうも前作以上のような気がする。ううむ。

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それでもまだ沈黙している人々。

 明大・一場投手がジャイアンツ以外の球団スカウトからも現金を受け取っていたことが発覚して、阪神と横浜もオーナーが辞職するらしい。ジャイアンツの行為が発覚した時に黙って口を拭っていたから、こういうことになる。

 メディア上では「再発防止のために、ドラフトの完全ウェーバー化を」という論調も目にする。ウェーバー制自体は(戦力均衡のためには)結構だが、それが裏金への抜本的な解決策になるのかといえば、実効性は疑問だ。

 一場投手について公になったのは本人が現金を受け取ったことだけだが、高校野球や大学野球の指導者の中には、スカウトに公然と金品を要求する人物が少なからずいる、という話も、よく耳にする(23日付の東京新聞社会面に、元スカウトの談話として詳しく書かれている)。
 クジ引き時代のドラフト制度でも、ウェーバー制と同様に、選手に選択の自由がなかった。それでも「○○以外には行きません」と公言することで指名球団をコントロールしようとする試みは行われ、ある程度は成功していた。実際にどの程度やっていたかは知らないが、選手にそう言わせるという部分では、球団側が関与する余地があったということだ。
 そして、その余地が残る以上、ウェーバー制に切り替えたところで、やっぱり上記のような指導者たちは、「○○にお宅の球団に行きたいと言わせたかったら、わかってるだろうな」と言い出すことが予想される。選手本人との接触が禁じられている高校野球においては、スカウトは監督を通さなければ何もできないのだから、この一言は強力だ。
 つまり、これはNPBの問題であると同時に、アマ野球の構造的問題でもある。

 だが、日本学生野球協会の長船騏郎常務理事(彼はアテネ五輪に長嶋茂雄とプロ選手を引っ張りだした張本人のひとりでもある)は「一場は退部した人だから協会には関係ない」というようなコメントを出しており、あくまで被害者の立場を崩す気はないらしい。協会のトップがそういう態度をとっている限り、金品を要求する指導者の行為が改まるはずはない。

 もうひとつ、沈黙している組織がある。日本プロ野球選手会だ。
 以前、紹介した『決意!』という本の中で、古田選手会長は、こう話している。
 「なぜパ・リーグの球団は経営が苦しくなったのか。赤字の原因はどこにあるのか。どれだけの収入があり、何に対してどれだけの支出があるのか。そうした本質的な部分はまったく明らかにされていないわけです。ドラフトで新人選手をとる場合の表向きの契約金以外に莫大な裏金が動いているといった問題もあります。いずれにしても、すべてがブラックボックスになっていて、球団の財務・経営状況の検証ができないのが実情です」(P.19)
 こういう文脈の中で裏金のことを持ちだす態度には、「盗っ人たけだけしい」という形容がふさわしい。

 だって、裏金を受け取ったのは選手でしょ。
 古田本人が受け取ったかどうかは知らないが、選手会メンバーの中には受け取った選手がいるはずだ。ブラックボックスも何も、自分たち自身がよく知っているだろうに。
 同書の「プロ野球発展のための古田私案」と題した部分でも、「ドラフトの完全ウェーバー制の導入」の項目の中で、それが必要な根拠のひとつとして裏金問題を持ちだしている(P.26)。そりゃあ筋が違うだろう。
 強引だが学校に例えて言えば、自らいじめに加担しておきながら、それが露見して問題になると、「再発防止のために」と称して自分たちに都合のよい学則を作らせようとするようなものだ。
 金科玉条のように「子供たちに夢を与える」と口にしている彼らに、こんな処世術を見せられては、夢も色あせる。

 百歩譲って、ジャイアンツの裏金が発覚した時には、シーズン中だし合併阻止で忙しかったし、裏金問題への対応まで手が回らなかったのは仕方ないとしようか。今はもう合併阻止交渉も終わったし、シーズンも最大2試合で終わる。今こそ選手会は衿を正して、裏金問題について立ち向かうべきではないか。
 個別の事例を公表しろとまではいわないが、匿名でアンケートを実施し、現役選手の中で何人が裏金を受け取り、金額は平均どのくらいになるのか、といった実態を明らかにすることは可能だろう(その結果、逆指名・自由獲得枠制度の導入前後での頻度に差があるのなら、彼らが望むウェーバー制導入の大きな根拠にもなりうる)。再発防止のために、当事者だからできる現実的な提言をすることにも意義がある。
 そして、選手会にとっていちばん大事なのは、金銭欲に目がくらんでおかしな行動をする周囲の大人たち(指導者だけでなく親や親戚等も含む)から身を守るにはどうしたらいいかを、これからそういう事態に直面するであろう後輩たちに教えることではないのか。
 それができないのなら、自分たちに都合のいい時だけ「裏金問題」などと口にするのは、やめた方がいい。

 アマ球界も選手会も、今は沈黙している。彼らが将来、「横浜や阪神の行為が発覚した時に黙って口を拭っていたから、こういうことになる。」などと言われることになるのかどうか、それはわからない。

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さらば、ヤンキース。

 ご存知の方もいるかも知れないが、『さらばヤンキース』というのは、デイビッド・ハルバースタムが書いたノンフィクションの題名だ(新潮文庫、1996年刊行。原著は1994年刊行)。原題は「OCTOBER 1964」だから、邦題は日本オリジナル。ま、直訳で「昭和39年10月」とすれば、日本の読者は東京オリンピックの本だと誤解してしまうに違いない。

 1964年10月、ニューヨーク・ヤンキースとセントルイス・カージナルスがワールドシリーズを戦った。この2つのチームのそれぞれが、いかにしてレギュラーシーズンを制し、そしてワールドシリーズをいかに戦ったかを、この本は克明に描いている。
 マントル、マリス、ルー・ブロック、ボブ・ギブソン、数多くのスター選手たちの逸話がぎっしりと詰まった列伝調の叙述の根底には、<若い黒人選手を積極的に起用し、スピード中心の野球に切り替えたカージナルス>が<名門の驕りゆえに黒人選手の登用が遅れ、老いた英雄たちに頼りすぎたヤンキース>を破ったというハルバースタムの時代認識が流れている。
 実際、この後、ヤンキースは長い長い低迷期に入る。再びワールドシリーズに姿を見せるのは、スタインブレナーがオーナーになり、スター選手をかき集めた70年代後半を待たなければならなかった。

 ヤンキースとカージナルスが今年のワールドシリーズで対戦することになったら、この本を紹介しようかと思っていた。両者の対決は、この1964年以来40年ぶりになるはずだった。
 当てが外れてしまった今は、本書の内容よりも、この題名の方が重くなっている。
 今回の敗退はトーリ王朝の終焉を告げるものになる。昨年もそう思ったが、今年はますますその感が強い。

 ジョー・トーリが96年にヤンキースの監督に就任して以来、主力としてチームを支えてきた生え抜きの選手たちがいる。先発投手アンディ・ペティート、クローザーのマリアーノ・リベラ、捕手のホーヘイ・ポサーダ、遊撃手のデレク・ジーター、中堅手のバーニー・ウィリアムズ。9年前には颯爽と売りだした若手だった彼らも、今や軒並み30代に入った。ペティートは昨年オフ、アストロズに去った。36歳のバーニーは衰えを隠せない。もはやリベラ(11月には35歳)の力が絶対的と言えなくなったことは今回のALCSでも明らかだ。チームの背骨とも言うべき彼らの時代に、終りが近づいている。

 そして、彼らに代わるべき人材は、いまだ兆しすら見ることができない。今のヤンキースのベンチには、伸び盛りの若手が座る余地がないからだ。
 このチームに世代交代が必要なことは去年の段階ですでに明らかだったが、ヤンキースが補強したのはシェフィールド、ロフトン、ケビン・ブラウンら30代後半の選手たち。そして、数少ない若手の有望株を2人(アルフォンゾ・ソリアーノとニック・ジョンソン)も放出してしまった(もっとも、この2人の代わりに加入したのはバスケスとA-RODで、かろうじて20代ではある)。

 どんな黄金時代にも終りはある。背骨がしっかりしたチームは強いが、その分、世代交代も難しい。
 さしあたり、これから数年間は、今年30歳になったジーターと松井がヤンキースを支えていくのだろう。健康に不安を抱えるトーリがヤンキースのベンチに座っていられる残り時間は、それほど長くはないはずだ。後任がベンチコーチのウィリー・ランドルフ(来季メッツの監督に誘われているという報道もある)になるのか、他の誰かになるのかはわからないが、いずれにしても、難しい役目を担うことになる。
 キャッシュマンGMもまた然り、だ。下のコラムでオルルッドの欠場を嘆いたが、このシリーズの最大の敗因は投手陣の弱さに尽きる。短期的には投手陣の再建、長期的にはチームの背骨の世代交代が、GMの課題になる。
 1964年10月と違い、今のヤンキースでは外国人や有色人種はむしろ多数派だ。しかし、有望な若手が欠乏している点では当時とあまり変わらない。

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静かなるヘルメットの男。

 ヤンキースは、とうとうレッドソックスに追いつかれてしまった。まったく、とどめを刺せる時に刺しておかないと、こういうことになる。明日はペドロ・マルティネスもカート・シリングも先発できないことだけが救いだが、油断してはいけない。2001年のワールドシリーズで3度先発したシリングの気性なら明日もリリーフ登板しかねないし、年長のシリングがそんなことを言い出せばペドロだって投げないわけにはいかないだろう。

 第6戦、ヤンキースの最後の打者になったのはトニー・クラークだった。走者2人を置いて三振。負け続けたこの3試合、肝心な局面になるとクラークに打順が回って三振、という印象がある。4試合に出場して19打数3安打、三振は9。強打者をずらりと並べたヤンキース打線だが、たったひとつ穴が開いただけで、こんなにも苦しくなるものか。クラークは、第3戦でペドロから本塁打を放ったジョン・オルルッドが、その後の打席で足を痛めて引っ込んで以降の代役だ。オルルッドがケガさえしなければ、と思っているニューヨーカーは多いことだろう(そもそもオルルッド自身がジアンビの代役一塁手として雇われたのだが、それはひとまず措かせてもらう)。
 実はオルルッドもALCSでは11打数2安打で、打率はクラークと大差ない。ただし、三振はゼロ。彼はバットに当てるのが滅法巧く、外野フライでいい場面では外野フライを、内野ゴロでいい場面では内野ゴロを打てる選手だ。もしヤンキースがこのままALCSを落とせば、オルルッドのケガが勝負の綾だった、ということになりかねない。

 NHK-BSがMLB中継を始めてから、今年が15年目になるそうだ。私が自宅でBSを見るようになったのは1990年からだから、ほとんど全期間にわたって見ていることになる。
 野茂がドジャース入りした95年以降は日本人選手が出場する試合を中心に放映するようになったが(野茂が投げない日は他のカードを中継していたから、当時ドジャースのエースだったラモン・マルティネス(ペドロの兄)が投げる試合はほとんど見ることができなかった(笑))、それまではさまざまなカードが放映されていた。それでもなぜか偏りはあって、91年からの数年間は、テレビをつければトロント・ブルージェイズの試合をやっていた、という記憶がある。

 たぶん偶然だと思うが(予測していたならNHKのスタッフは凄腕だ)、トロントは92、93年とワールドシリーズに連覇した。強い上に、個性あるスターが揃う魅力あるチームだった。ロベルト・アロマー、ジョー・カーター、ポール・モリター、デーブ・ウィンフィールドといったスター選手に混ざって、ひょろひょろと背の高い左打者が6番あたりを打っていた。強打者が守ることの多い一塁のポジションに、二割五分そこそこの若手がいるのが不思議だったが、もっと不思議だったのは、彼が守備についている時でもヘルメットを被っていることだった。大学時代に病気で脳の手術をした経験があり、頭を保護するためにヘルメットを被っているのだ、とアナウンサーは説明した。そんなハンデを背負いつつもマイナー経験なしでいきなりメジャーデビューしたのだから、相当なエリート打者と言ってよい。その後の成長は著しく、93年には三割六分三厘という高打率で首位打者を獲得した。

 それから10年以上経った今でも、彼、つまりジョン・オルルッドはヘルメットを被って一塁を守っている。頼りなげだった若者は、MLBでも屈指のミート(あちらの用語では確か「コンタクト」か)の巧みな打者に成長し、毎年のように三割前後の打率を残してきた。
 なぜか日本人選手とも縁がある。97年にメッツに移ると、翌年に吉井理人投手が加入。シーズン途中には野茂もドジャースから移ってきた。2000年にシアトルに移ったので、新庄とは入れ違いだったが、佐々木とイチローが相次いで加入してきた。日本では彼を「イチローの同僚」として知っている人が多いだろう。そして今年、シアトルを解雇されたと思ったら、ヤンキースに入って松井と同じベンチにいる。彼ほど数多くの日本人選手とチームメイトになったメジャーリーガーはいないだろう。
 日本人選手のいるチームは試合中継も増える。従って、94〜96年あたりを除けば、オルルッドは相当な頻度で日本でのテレビ中継に登場してきたはずだ。もしかすると、個人としては最多出場になっている可能性もある(そんな統計を出すのは気が遠くなるほど面倒くさいので、誰もやらないと思うが(笑))。たぶん、私自身がもっとも多く試合を見ているメジャーリーガーは彼だと思う。

 そんな長い付き合いではあるが、私は彼の人となりをほとんど知らない。まとまったインタビュー記事も読んだことがない。だが、おそらくは物静かな紳士なのだろうと思う。少なくともグラウンドの上で感情を荒げた姿を見たことがない。常にちょっと困ったような顔をして坦々とプレーする姿だけが印象に残っている。

 今年は打撃不振でシアトルを解雇されたが、ヤンキースに移ってからは.280と、まずまずの成績を残している。現在36歳だが、来年も現役生活を続けることは、おそらく可能だろう。そうなれば嬉しい。
 とはいうものの、目下は、そんな先の心配をしている場合ではない。せめて代打かDHでいいから、このヤンキースの窮地を救ってくれないものだろうか。

追記
 彼の人柄を示す記事をMAJOR.JPで見つけた。私が抱いていたイメージ通りの人物のようだ。

追記2
 第7戦の終盤、オルルッドは打席に立ったが、ヤンキースを救うことはできなかった。走者を置いて三振した彼は、例によって静かに、うつむいて何やら呟きながらベンチに戻っていった。

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今日からできるプロ野球改革。

 日本シリーズ第4戦は、台風のために中止になった。
 西武球場には屋根があるから試合そのものは実施可能だが、台風で電車が止まったら観客が帰宅できない。ただでさえ不便な立地なのだ(実は昨夜の第3戦を見に行ったが、山手線の最寄り駅からタクシーで5分の自宅に戻った時には、もう24時近かった)。中止の判断そのものは妥当だろう。

 第4戦以降の日程は、すべて1日づつスライドするのだという。つまり、最終戦までもつれこんだ場合、第7戦は月曜日になるということだ。チケットは、券面の日付ではなく、「第○戦」という表記の方が有効になるという。
 すべてナイターだから、平日になっても大した問題はない、という判断なのかも知れない。だが、チケットを持っている人々は、それを買う段階で、自分がスタジアムに行ける日付を選択しているはずだ。例えば、遠方に住んでいて「土曜の夜に泊まりがけで名古屋に行こう」と思っていた人は、さぞ迷惑していることだろう。だが、試合日の変更によって観戦が不可能になった人に対して、払い戻しを行なう様子はない(少なくとも上記のNPB公式サイトにも中日ドラゴンズ公式サイトにも、その告知はない)。

 西武ドームでの試合をスライドするのは仕方ない。だが、移動日までスライドする必要がどこにあるのだろう。所沢から名古屋まで、半日あれば動ける。どうせ試合は夜なのだ。移動日を潰して第6戦以降は(それが行われるならば)予定通りに試合を行なえば、観客もテレビ局も売店も、関係者のすべてが助かる。不利益を被る人がいるのだろうか。選手?このくらいの移動はシーズン中なら普通ではないか。逆に、土日の試合をスライドすることで利益を受ける人がいるのだろうか?私には想像がつかない。

 絶好の見本がある。アメリカで行われているリーグ優勝決定戦のうち、アメリカン・リーグの第3戦は雨で中止になった。ボストンで開催される3〜5戦は1日づつずらして実施されたが、ヤンキースタジアムでの第6戦は予定通りの日に実施された。移動日を潰したことで何か問題が生じた気配はない。どうして日本で同じことができないのだろう。

 西武ドームで気になったことが、もうひとつある。この球場のグラウンドは、ホームベースの後方にLionsのロゴが、一塁側ベンチの前にはレオの顔が、それぞれ描かれている。日本シリーズになっても、それは変わらない。
 誰か、ここに日本シリーズのロゴを描こうと思う人はいなかったのだろうか?

 球場で販売している公式プログラムの表紙には、NIPPON SERIES 2004のロゴと、プロ野球70周年のロゴが印刷されている。それぞれ悪くないデザインだと思う。これが日本シリーズを行なう球場の人工芝にくっきりと描かれていたら、スタジアムを訪れた観客は、どんなにか心弾むことだろう。プロ野球でもっとも大事な祝祭には、それにふさわしい雰囲気を作ってほしい。
 だが、西武ドームは(試合そのものを除けば)ふだんの公式戦と変わりのない、日常的な姿しか見せてくれなかった。始球式にトム・クルーズを呼んだところで、それは一瞬で消えてしまう出来事に過ぎない(だいたい、トムを実際に見た観客がどれだけいたのだろう。私は午後5時に都心を出たが間に合わなかったよ(笑))。

 アメリカでやっていることをすべて見習うべきだなどとは毛頭思わない。ただし、この2つは見習った方がいいと思っている。実施することでデメリットが生ずるとは思えないし、その気になればすぐに実施できる。さほどの困難もないだろう(日程をスライドさせる方がよほど手間がかかると思うが)。ストライキ交渉で話題に上った改革委員会を設けて諮るまでもなく、関係者さえその気になれば、今日から実行できる性質の事柄だ。実行すれば、ほぼ間違いなく観客は喜ぶ。
 「プロ野球改革」や「経営改善」とは、大勢で会議を開いて検討して進めるものだ、などと当事者たちが思っているのなら、プロ野球の近未来は、あまり明るいとは思えない。今日からできることは、今日から実施すればいい。今できることをやらない人たちは、明日も明後日もやらないだろう。しかも、明日やるべき課題の方が、はるかに難しいのだから。

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デービッド・ハルバースタム『静かなる戦争 』(上・下)PHP研究所

 皆さん、一国の政府がどのようにして戦争を始めるか、具体的な手順を知ってますか?
 私は知らない。半世紀以上も戦争を他人事扱いしてきたこの国に、それを具体的かつ実践的に知っている人物が、いるのだろうか。
 今や自衛隊が戦地に出ていく時代だ。戦争ができるように憲法を変えたがっていることを公言する政治家も増えてきたが、私は彼らに聞いてみたい。
 あんた方、戦争ってのはどう始めて、どう終わらせるものなのか、知ってるんですか?

 それを知りたかったら、たとえばこの本を読んでみるとよい。
 本書に書かれているのは、90年代のアメリカの外交と軍事政策だ(邦訳が出たのは2003年7月だが、原著は2001年夏に刊行されている。本書は9.11の前史として読むこともできる)。
 湾岸戦争が終結し、政権がブッシュ・シニアからクリントンに、さらにブッシュ・ジュニアに移った2001年初頭までの間、アメリカ政府は国際紛争(主にバルカン半島での紛争)にどうかかわってきたか。大統領、政府高官、軍幹部らの誰がいつ何を考え、どういう判断を下し、どう動いてきたか。大統領が軍を動かすためには、どんな準備が必要だったのか。司令官たちからは、どのような意見が上がってきたのか。そんなことが、この本には克明に描かれている。

 たとえば政治家の自己防衛、役人の責任回避、軍隊の組織防衛といった要因が含まれてくるところは日本とも似ている。だが、決定的に違うことがある。
 戦争というのは、あくまで外交の一部なのである。本書に登場する各国の政治家たちは、自国の世界戦略に基づいて外交交渉を行い、その手段のひとつとして戦争という選択肢を選ぶ(あるいは、選ばない)。クリントンの(あまり鮮やかとは言えない)戦争のやり方を追っていくと、そういうことが自然と飲み込めてくる。他国がすべてそういう力学で動いていることを踏まえていなければ「戦争をしない」という宣言を実現することはできないし、外交についての哲学もないままに戦争の準備だけしているようでは正気の沙汰ではない。

 この本には、日本のことはほとんど何も書かれていない。にもかかわらず、私はこの本を読んでから、日本の外交が実によく見えてきたような気がしている。
 正確に言えば、「日本の外交に欠落しているもの」が。

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滑り込んだ松井。

 ヤンキースとレッドソックスのアメリカン・リーグ優勝決定戦(ALCS)が始まった。去年のデジャ・ヴのようだが、ヤンキースのスタメンのうち5人は今年加入した選手。レッドソックスはチームの顔だったガルシアパーラが抜け、先発はシリング。それぞれに変化はある。

 去年のALCSで思いだすのは、やはり最終戦、松井の同点ホームインだ。日本で10年彼を見てきたが、あんなに興奮した姿は見たことがなかった。

 試合が終わってかなり経ってから、確か年末の回顧番組か何かであの場面を見て、おやっ、と思ったことがある。

 ポサーダの詰まった打球が二塁ベースの上空あたりを通過した時、二塁走者の松井は決然と走り出した。彼が予測した通り、打球は二塁手と遊撃手と中堅手が作る三角形の中央にぽとりと落ちた。
 打球を拾った中堅手のデイモンは、本塁には送球しなかった。捕手バリテックは、ホームベースのかなり手前で棒立ちになっていた。それは松井の目にも映っていたはずだ。にもかかわらず、松井は捕手から最も遠い位置に滑り込み、左手でベースを掃くようにタッチしている。
 誰が見ても、アウトになる可能性はほとんどない。立ったままベースを駆け抜ければ、それで済む。わざわざユニホームを汚す必要などなさそうだ。

 それでも松井はスライディングを選択した。諦めたふりをして走者を騙し、いきなりタッチに来る捕手もいる。棒立ちだから安全とは限らない。たぶん松井は、そこまで考えて、リスクを最小にするための判断をしたのだと思う。

 そう考える根拠は、松井自身が守備者として、去年のALCSの中で似たようなトリックを使ったからだ。
 走者を二塁に置いて大飛球が左翼を襲う。松井はグリーンモンスターと呼ばれるフェンスの前で振り向き、捕球できそうな体勢でボールを見上げる。二塁走者はベース近くに立ち止まって松井を見ている。捕球の体勢によってはタッチアップで三塁に向かうべきケースだ。
 と、不意に松井はグラウンドに背を向け、フェンスに当たって跳ね返った飛球を捕球して素早く本塁方向に投げた(たぶん、中継に入ったジーターに投げたはずだ)。もともとダイレクトで捕球できるような打球ではなかったのだ。
 走者二塁で左翼手の頭を越える長打が出れば、ホームインされて当然だ。しかし、松井のトリックプレーが功を奏して、二塁走者はスタートが遅れ、三塁までしか進めなかった。
 そんなプレーをとっさの判断でしてのけるような選手であれば、捕手が仕掛けてきそうなトリックを警戒しても不思議はない。

 あのホームインに松井がどれほど興奮したかは、その後の咆哮を見ればわかる。ベースの上で吼えた後、待ちかまえる仲間たちに、いちいち跳ね上がるようにしてハイタッチして、スキップするようにベンチに戻って行った。
 確か、この試合の最初の打席で、松井はボールカウントを間違え、ボール3で一塁に歩き出そうとした。常に落ち着き払った男がそれほど緊張する試合の、それほど重い1点にもかかわらず、松井はこの走塁で、スタートの判断からベースを触る瞬間まで、一瞬たりとも隙を見せていない。グラウンド上で何ひとつおろそかにしなかった彼の一年間にふさわしい集大成だった。

 さて、彼は今年もそんなプレーを見せてくれるだろうか。

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ベッカムに恋して、ミア・ハムに憧れて。

 六本木ヒルズで行われている「FIFA100」の写真展を見に行った。FIFA百周年を記念して、ペレが選んだ100人の名選手(を絞りきれずに119人になっている(笑)。にもかかわらずストイコビッチがいないことは承服できないが)を、世界の著名らしい写真家が撮影した肖像写真が並んでいる。アート的に凝った写真も多いが、それよりも、単なる横顔や正面の肖像写真の方が胸に迫ってくる。名選手はそれぞれに、いい顔をしているものだ。
 目を惹かれたのは、ミア・ハムの写真だった。アメリカの女子サッカー史上最高の選手だ。たぶん、「女子サッカー史上最高」と言ってもいいのではないかと思う。
 ゴールネットの脇に立って、カメラをまっすぐに見つめるミアの視線は、パイオニアに特有の、強い意志の力を感じさせた。その目に惹かれて、帰宅後にFIFA100の公式サイトからポスターの購入を申し込んだ。

 ミア・ハムのポスターを部屋に貼る、という思いつきから、ある映画の場面を思いだした。『ベッカムに恋して』という邦題のイギリス映画だ。主人公の友人ジュリー(キーラ・ナイトレイ)の部屋に、ミアのポスターがべたべたと貼ってあった。
 ジュリーはイギリスの女子サッカー選手、あるチームのエースストライカーだ。アメリカの女子プロリーグ(WUSA)入りを目指している。自分がスカウトの目に留まるためにはチームをもっと強くする必要がある、いい選手を集めたい、と思っている。そんなジュリーが公園で見つけたのが、男友達と草サッカーに興じていた、この映画の主人公ジェス(パーミンダ・ナーグラ)だった。

 ジェスはインド系移民の娘で、ボールを蹴ることが好きでたまらない。しかし、両親の期待は、成績優秀なジェスが大学に進学して弁護士になり、同時に伝統的なインドの良妻賢母になることだけで、サッカーなんて「あんな半ズボンで足を出して、とんでもない!」ということになる。両親にとって、世界はインド系コミュニティの中で完結しているのだ。ジェスはジュリーの誘いに応じて、両親に内緒でチームに入る。
 以後は、活発な少女に立ちはだかる頑迷な家族の壁に恋愛が絡むという少女漫画や青春映画の定石通りに展開していくが、ひとつひとつのエピソードが丁寧に愛情をもって描かれ(ジェスの障害となるインド系コミュニティについても、決して否定的に描かれてはいない)、見ていてとても気分の良い映画だった。

 で、ベッカムに何の関係があるのかといえば、主人公のジェスがベッカムの大ファンなのだ。部屋にはベッカムのポスターだらけ、ビデオでサッカーを見てばかりいるジェスに、母親は「こんな坊主頭!」と毒づく(当時はベッカムが坊主の時期だった(笑))。
 だが、ジェスは『ベッカムに恋して』いるわけではない。映画は、マンチェスター・ユナイテッド(だから2002年当時ですから)の一員となった自分がベッカムのクロスを受けてヘディングゴールを決める白昼夢から始まるし、原題はBend it like Beckhamという。ベッカムみたいに曲げてやる、とでも訳すのかな(私はサッカー英語をよく知らないのだが、『Bend it』という言葉はサッカー音楽を集めたCDのシリーズ名になっているくらいだから、かの国ではサッカー用語として定着しているのだと思う)。
 ジェスはベッカムのようになりたいし、ベッカムと一緒にプレーしたいと願っている。だが、彼女がベッカムのチームメイトになることはできないし、女子チームでプレーすることさえ両親から禁じられている。すべては手の届かない夢でしかない。

 一方、ジュリーが部屋にミア・ハムのポスターを貼ることは、意味がまったく違う。ジュリーは裕福で愛情あふれる両親に応援されながら(母親はサッカーには興味がなく、娘にはもっと女らしくしてもらいたいようだが、だからといってサッカーの邪魔をするわけではない)、現に女子チームでプレーしている。そこで活躍すればWUSAに入れる可能性もあるし、そうなればミア・ハムと同じピッチに立つこともできる。ジュリーにとってミア・ハムは現実的な目標なのだ。
 部屋の中がサッカー一色という点は同じでも、2人の少女が置かれた環境の違いが、部屋のポスターに象徴されている。なかなか巧い演出だと思った。

 だが、この映画が封切られてからわずか2年の間に、ベッカムは赤から白へユニホームを着替え、WUSAは資金難で活動を停止し、ミア・ハムはアテネ五輪で活躍して金メダルを獲得した後、代表からの引退を表明している。まったく、人生はあっという間に過ぎていく。

 私自身は、ミアのようになりたいわけでも、一緒にプレーしたいわけでもない。ただ、あのまっすぐな目を毎朝眺めていれば、私のような意志薄弱な男でも少しは真人間に近づけるのではないかと淡い期待を抱いただけだ。ベッカムのポスターは、貼ったことがない。

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あるアメリカ人の詭弁術−−三木谷浩史社長に捧ぐ。

 以下に記す文章は、2年前の冬に書いたものだ。どこかに発表しようと一気に書き上げたのだが、媒体やサイトの心当たりもないまま、面倒くさくなって、そのままほっぽらかしていた。批評の対象となっている文章じたいがネット上から消えてしまったので、このまま誰の目にも触れることなく、ハードディスクの肥やしとして消えていくはずだった。

 彼が、こんな形で脚光を浴びることさえなかったら。

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 マーティー・キーナートが気になっている。
いや、さほど影響力のある書き手ではないし、そもそも野球ファンでも知らない人が多いのではないかと思うくらいだから、いちいち論破する必要もないのだろう。彼がプロ野球ニュースのキャスターをたどたどしい日本語で務めていたのは、もうずいぶん前のことだ。

 が、それでも気になるのは、彼の論法は、アメリカを引き合いに出して日本を貶める人々の典型だからだ。
 MLBで日本人選手が活躍するにつれて、彼がメディアに登場する機会が再び増えてきた。こんなものを読んで、無辜の野球ファンがうっかり感心してしまっても困る。
 彼の論法がどのようなものであるのか、MSNジャーナルに掲載された「歴史を敬わない日本」というキーナートのコラムについての講釈をお読みいただきたい。

 2002年秋に行われた「日米OBドリームゲーム」というOBのオールスターゲームについて、正確にはこのゲームをメディアがどう扱ったかについて書かれたキーナートの文章は、<先日、「日米OBドリームゲーム」という試合があったことをご存知だろうか。日本のプロ野球界で活躍した往年のスターが勢ぞろいしたこのイベントは、残念ながらほとんど話題にならなかった。>という前置きに続いて、こんなふうに始まる。

<親友のマット・リフキンが、アレックス・カーの『犬と鬼──知られざる日本の肖像』という本を送ってくれた。さっそく11月30日から12月1日の週末に、広島県呉市へ行ったときに読んだ。呉ではプロ野球のOB戦があったのだが、悲しいことに、カーの主張と驚くほど重なる光景をスタジアムで目にした。
 カーは、官僚主導の土建国家は国中をコンクリートで覆い、まわりを取り囲んで、日本の伝統的な美しさを破壊していると嘆く。日本を愛するカーは、国土交通省は天下りした元官僚たちに金を落とすためだけに、ひたすら工事を続けていると指摘する。「作品のない美術館、乗客のいない鉄道、船のいないコンテナ港、テナントのいない新都心、大根畑のための空港」に不必要な金を浪費している、と。
 つまり、カーは日本の将来を憂う日本人に、自分たちの環境を汚染するのをやめて、歴史を敬って保存する努力をし、かつての「故郷」を取り戻そうと訴えているのだ。
 ところで、この話が野球とどんな関係があるのだろう。>

 紹介されたカーの本の内容自体は、ごもっともである。だからといって、キーナートが説明する野球との関係が「ごもっとも」である保証はない。

 キーナートは、この試合について、こう主張する。

<大きな問題があった。往年の名選手が勢ぞろいしたにもかかわらず、ほとんど話題にならなかったことだ。日本では、過去のスターは過去のニュースでしかない。12月2日のスポーツ新聞を見ても、「日米OBドリームゲーム」の記事が一行も載っていない新聞も少なくなく、あったとしても小さく埋もれていた。主催者はテレビ放映権を必死に売り込み、タダ同然の条件も出したが、残念ながら手を挙げたテレビ局はなかった。
 日本のスポーツ界では──日本の社会全体と同じように──歴史はあまり重視されないのだ。>

 読者はどう思われただろうか。「その通りだ。日本はもっと過去の歴史を大事にすべきだ」と思われただろうか。
 「歴史を大事にしろ」という主張そのものには、私も賛同しないでもない。だが、呉で行われた1つの試合が注目されなかったことが、そんなに大問題なのだろうか。

 そんなの、しょっちゅうやってるじゃないか…というのが私の感想だ。
 プロ野球のOB戦と銘打った試合は、毎年オフになると何試合も行われ、巨人阪神戦は恒例化してテレビでも放映される。名球会による催しもしょっちゅうテレビで観られる(が、観るに耐えない宴会モドキの遊びであることが多い。日本人が名選手を大事にしないとすれば、その理由のひとつは、こういうものを日常的にテレビで見せられているからである。歴史の側が、自ら威厳を台なしにしているのだ)。
 さらに、2001年オフからはマスターズリーグが始まって、毎週OBたちが試合をし、それなりに観客も入っている。
 呉で行われた試合は、そんな数多くの「いつでも見られる過去の歴史」の、ごく一部に過ぎない。
 キーナートは、そのような他の催しのすべてを無視し、呉で行われたたったひとつの試合がメディアで大きく扱われなかったことだけを理由に、「日本人は歴史を大事にしない」と批判する。

 ここで「日本人は」という場合、彼はアメリカを物差しにしていると考えられる。キーナートはアメリカ人であり、プロ野球のOB戦という催しはおそらく世界中でアメリカと日本でしか行われていないだろうからだ。
 キーナートがここまで言うからには、きっとアメリカでは、メジャーリーガーのOBによる試合が行われた場合、すべての試合がテレビや新聞で大きく報道され、すべての試合が15000人収容のスタンドを満席にするのだろう。ひとつの例外もなく、だ。
 キーナートが「日本のスポーツ界では──日本の社会全体と同じように──歴史はあまり重視されないのだ」と断言する根拠を、呉で行われたたったひとつの試合しか示していない以上、アメリカ側にひとつの例外が存在するだけで、この議論は論理的に破綻する。
 さて、キーナートはそれを立証するだけの裏付けを持っているのだろうか。持っていたとしても、彼はこのコラムの中でそれを示してはいない。


 キーナートはこのコラムを、次の文章で締めくくっている。やや長くなるが、丸々引用する。

<「ガイジン」組の先発投手はジーン・バッキーだった。ルイジアナ州ラファイエット出身のケージャン人のカウボーイだ。覚えているだろうか? 日本に住むようになって日の浅い外国人の読者は、知らないかもしれない。しかし、語り継ぐ価値のある栄光の歴史をあらためて振り返る、絶好のチャンスをみすみす逃すなんて、私に言わせれば日本のマスコミは許せないくらいだ。
 1964年はプロ野球史上最高のシーズンのひとつだった。バッキーは登板数353イニング、29勝(わずか9敗)、防御率は何と1.80で、いずれもセ・リーグ1位。阪神タイガースが日本シリーズに出場した原動力にもなり、リーグMVPは「笑顔のジーン」で決まりだと思った人も多かった。
 残念ながら実現はしなかった。というのも、その年は王が日本記録の55本塁打を放ったのだ。MVPの投票は、海の向こうから来た「助っ人」より日本の人気者に集まった。
 マスコミとファンがもっと関心を持っていれば、王とバッキーが栄光の1964年を語り合うという、夢の対談が見られたかもしれない。いささか議論も呼んだMVPの選出に納得しているかどうか、二人に聞いてみたかった。
 でも、何しろ38年前の話。日本では古代の歴史なのだ。ほかの文化と違って、この国ではスポーツの伝説的存在を称えて尊敬する人はあまりいない。野球界のOBも同じだ。過去の人。引退したら、忘れられる運命なのだ。>

 バッキーがこの手の催しで来日するのは、これが何度目になるだろう。私は彼の現役時代を知らないが、でっぷり太ってユニホームがはちきれそうな、陽気なアメリカのおじさんの姿なら何度も見たことがある。引退後のバッキーを訪ねた雑誌や新聞の記事も数え切れないくらい読んだ。それでも、2002年の来日を大きく扱わないことを、「私に言わせれば日本のマスコミは許せないくらいだ」とキーナートは憤慨している。
 まあ憤慨するのは彼の勝手だとしようか。人にはそれぞれ考えがあり、それを開陳することは、アメリカほど自由ではないらしい日本国でも、憲法で保証されている。
 しかし、その意見がさしたる根拠もなく他人を非難するものであれば、彼は反論を受け入れなければならない。言論の自由は、アメリカ人の彼にだけでなく、私にも保証されているはずだ。

 昭和30年代において、シーズン29勝、あるいは防御率1.80というのは、優秀な成績ではあるが、歴史的な大記録というわけではない。当時は1点台の防御率はそれほど珍しいことではなかったし、30勝を超える投手もしばしば現れた。わずか3年前には稲尾和久がシーズン42勝の記録を作っている。
 バッキーは優勝に貢献したからMVPに選ばれるべきなのか?これは今でもしばしば議論になる難問だ。
 かつて日本のプロ野球には、MVPを優勝チームから選出するという規定があったが、昭和38年のシーズンを前にプロ野球実行委員会によって撤回されている。そのため、昭和38年のパ・リーグMVPは、最多勝で西鉄を優勝に導いた稲尾和久ではなく、史上最多の52本塁打を放った南海の野村克也が獲得した。翌年のセで優勝チーム以外からMVPが出たとしても何の不思議もない。まして、野村の記録を超えるシーズン本塁打55本という空前の記録を打ち立てた王貞治がMVPを逃したとしたら、その方がスキャンダルである。
 昭和39年の出来事を「いささか議論も呼んだMVPの選出」というほど日本野球の歴史に詳しいキーナートなら、当時のそんな状況についても熟知しているはずだ。
(ちなみに、MLBにおいては、MVPの選出と優勝への貢献との間には、ほとんど関係がない。優勝チームからMVPを出すことは日本に独特の慣習のようだ。日本では、むしろ凡庸な個人成績に終わった選手が優勝チームにいたというだけの理由でMVPを獲得して議論を呼んだケースの方が、はるかに多い)

 にもかかわらず、王貞治がMVPを獲得したことに対して、キーナートは「MVPの投票は、海の向こうから来た「助っ人」より日本の人気者に集まった」と不当な外国人差別であることをほのめかす。

 念のため書いておくが、王貞治の国籍は日本にはない(少なくとも現役時代はなかった)。高校時代の王が、日本国籍を持たないために国体に出場できなかったことは有名なエピソードであり、入団当初は人種差別的なヤジもずいぶん受けたという。王が日本の国民的英雄になったのは、彼の同僚で、いまだに日本人に圧倒的に愛されている長嶋茂雄が引退し、通算本塁打数がベーブ・ルースやハンク・アーロンのそれを上回った昭和50年代以降のことだ。
 バッキーが日本プロ野球の歴史に残る選手であることに異存はない。だからといって、彼が来日するたびにマスコミの注目を浴び、40年を経た今でも残るシーズン本塁打記録を作った打者にMVPを奪われたのは不当ではないかという議論(仮にそんな議論が実在したらの話だが)を蒸し返されるべきであるとは、私には到底考えられない。


 キーナートの文章を読んで私が思うのは、「では、呉の小さなスタジアムに集まった数千人の観客は、どう感じていたのだろうか」ということだ。

 彼らは、かつて自分たちが目を輝かせて憧れた懐かしい英雄たちの名を大きな声で呼び、彼らのでっぷり太ってしまったカラダと鈍くなった動きに苦笑しながらも、喜びをもって迎えはしなかったろうか。彼らが活躍した時代の遠さを思い、彼らが与えてくれた思い出と自分自身の年月を慈しむような、温かな雰囲気に包まれてはいなかっただろうか。
 もし、その日の呉に、少しでもそれに近いものがあったのだとしたら、それでよいではないか。これはメディアの注目を浴びるための試合ではない。日本で活躍した日米の選手たちが旧交を温める場であり、同時に、集まったファンたちと旧交を温める同窓会なのだから。
 キーナートはスタンドが半分しか埋まらなかったことをもって「地方の小さな町でさえ、往年の名選手は彼らにふさわしい尊敬を集めることはなかった」と書く。
 しかし、もし私が想像したような雰囲気がそこに存在していたのであれば、そんな温かな空気こそ「彼らにふさわしい尊敬」ではないだろうか。この種の試合において、いちばん大事なのは、そういうことではないかと私は思う。

 現実には、私が想像したような光景がそこにあったのかどうか、私には知る由もない。キーナートの文章には、そのことが一切書かれていないからだ。
 呉まで駆け付けたにもかかわらず、キーナートは、現場の雰囲気についても何も書こうとしない。彼らの記録を数字で並べるだけで、目の前のプレーぶりや、スタンドの観客との交流ぶりについては、一切書こうとしない。いや、キーナート自身が選手たちと話した中身についてもまったく紹介されていない。冒頭に「呉市へ行った」という記述がなかったら、私は彼が呉の現場に行ったとは思わなかっただろう。この文章は、現場に行かなくても書ける内容だからだ。

 バッキーをあれほど擁護する記述がありながら、バッキー自身の見解が紹介されていないのは、不自然ですらある。
 「いささか議論も呼んだMVPの選出に納得しているかどうか、二人に聞いてみたかった」のであれば、直接、自分で聞いてみればよかったではないか。 「日米気質の比較や日本人の国際性に鋭く切り込む スポーツジャーナリストとして活動中」(MSNジャーナル記載のプロフィール)のキーナートこそ、誰よりもその役を果たすのにふさわしい。キーナートが書かずして誰が書くというのか。
 わざわざ呉に駆け付けて、選手たちと直接話す機会がありながら、「語り継ぐ価値のある栄光の歴史をあらためて振り返る、絶好のチャンスをみすみす逃すなんて、」キーナートは一体どうしてしまったのだろうか。「私に言わせれば」「許せないくらいだ」。

 もう、このへんでやめておこう。人にはそれぞれ都合というものがある。キーナートが現場に駆け付けていながら、元選手たちと話したくなかったのだとしても、それはそれで構わない。スポーツジャーナリストという肩書きを名乗って、日本のマスコミの無為を非難することさえしなければ。

 明確な根拠を示さず、雰囲気だけでなんとなく物事を批判するのは日本人の悪い癖で、アメリカ人というのはもっと明瞭かつ論理的な人々だと私は思っていた。どうやら、そうではないらしい。それとも、滞日期間が長いキーナートは、日本人の悪い癖も身につけてしまったのだろうか。

 以上のような趣旨の文章を、MSNジャーナルに示されたキーナートのアドレスに送ろうとしたが、なぜかうまくいかなかった。キーナート氏にはぜひこの小文を読んでいただき、反論したいならしていただきたい。その場合には、アメリカにおけるOB戦一般の視聴率や入場者数の統計を添えることもお忘れなく。


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 当時のMSNジャーナルは、今はMSN-Mainichi INTERACTIVEに引き継がれたようだ。キーナートのコラムのコーナーもあるが、MSNジャーナル時代のバックナンバーは読むことはできない。

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落合博満『プロフェッショナル』ベースボール・マガジン社

 有名なプロ野球選手が引退すると、とりあえず本を書くことが多い。引退直後だから、そうまとまったものにはなりにくい。自然と中身は、現役時代の体験談や交友録といったものになりがちだ。
 本書も、ざっと目次を眺めると、プロ野球関係者の名前がずらずらと並んでいて、その類いの本のようにも見える。98年限りで引退した落合が、翌99年に週刊ベースボールに連載したエッセイをまとめたもの(刊行は99年末)で、落合の長いプロ野球人生で関わりのあった人のことを書いている、という意味では、「その類いの本」には違いない。
 だが、人選と内容には、とりわけ中日をリーグ優勝に導いたばかりの今、読み返すと唸らされるものがある。

 たとえば、ロッテの新人時代に守備を教わったコーチ、河野旭輝について、落合はこう書いている。
河野さんの指導というのは、無駄のない動きで堅実なプレーを身に付けること」「何歩も動かなくても捕球できる守備位置、イージーな打球のさばき方、二遊間の素早いコンビネーション、確実なスローイング。挙げればキリがないが、これらの動作を基本から叩き込まれた
 監督・落合は、今春のキャンプで、連日、自らノックバットを握って、荒木-井端の二遊間コンビを鍛え上げた。監督自らノックをする場合、厳しい打球で選手を左右に走らせ、終わると選手はドロドロでフラフラということが多いようだが、テレビ報道で見た記憶では、落合監督は違った。荒木や井端に対して、真正面に近い、あまり強くない打球を繰り返し打っていたように思う。まさに、ここに書かれている河野流の通りだ。

 落合監督は、試合中にマウンドに行く時、いつもニヤニヤと笑っている。監督がマウンドに行くのはピンチの時ばかりだというのに、何とも肝の据わった人だ、と、テレビを見ていていつも思う。
 この、マウンドに行くタイミングについても、落合は技術として捉えているらしい。広島カープのコーチだった田中尊の項に、こう書いてある。
田中さんがマウンドに行った時は、相手に傾いた流れを食い止めたケースが圧倒的に多かった。加えて、対戦相手としては実に気分の悪くなるタイミングで試合の進行を止められていた。『あんな間の取り方はできないものか』と考えた私は、それからも田中さんの動きを見て覚えていくことにした
 落合は現役時代から一塁手として、投手に声をかけるタイミングの良さに定評があったが、それは田中コーチを見て学んだようだ。

 田中尊についての文章は、「野球学  考える野球の講師たち」と題した章の最初に紹介されている。その次に登場するのは佐藤道郎だ。落合の在籍中にロッテと中日の投手コーチを勤めた佐藤は、落合にとって投手研究の師だったようだ。
佐藤さんとの野球談義は、主にその日の試合の反省から始まる。(中略)私は口が悪いから、負けた日などは『何であんな場面で代えちゃうの?』とか『あんなピッチャー出したら駄目だよ』と佐藤さんにつっかかる。それに対し、佐藤さんは『俺はコーチなんだ。オチ、少しは立場をわきまえろ』と笑いながら、一つひとつ私の質問に答えてくれる。そして、『打者にとって、こういう攻め方はどうなんだ』などと逆に質問攻めにしてくる
 四番打者と投手コーチ、一見畑違いだが、だからこそ互いに学ぶところも大きかったのだろう。
 その佐藤道郎が、今季から中日の二軍監督を務めている。この人事は当然、監督の意向が反映されているはずだ。最も信頼を置いているであろうコーチのひとりを、ベンチ内ではなく二軍に置いていること自体に、落合の二軍観、組織マネジメントに対する考え方が現れている。だとすれば、今季の中日で、二軍から上がってきた選手が次々と活躍したことは、決して偶然や幸運ではない。それを可能にする体制を落合監督が準備したからに違いない。

 というわけで、本書の中には、落合流監督術の原点がいくつもちりばめられている。繰り返すが、引退した翌年に書かれた文章だ。引退してから指導者の勉強をした、というのではない。
 落合は現役時代から、野球を走攻守、さらにベンチワークやトレーニング方法まで含めた総合的なものと捉えて、貪欲に情報収集と思索を重ねていたことが本書からは伺える。
 野球界には「名選手必ずしも名監督ならず」という格言のようなものがある。だが落合の場合は、名選手になるために行なっていた準備が、そのまま名監督になるための準備として有効に機能しているようだ。

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三本の安打と、三塁手の悪夢。

 ジョージ・シスラーのシーズン最多安打記録に並ぶ、今年257本目のイチローの安打は、ワンバウンドで三塁手が頭上に伸ばしたグラブの上を抜けていった。
 この時、テキサス・レンジャースの三塁手ブレイロックは、三塁ベースのやや斜め前方、芝生に足がかかりそうな場所にいた。三塁手の一般的な守備位置は、二塁ベースと三塁ベースを結んだ線よりやや後ろだが、もし彼がそこにいたら、あれは単なるサードゴロだっただろう。

 ただし、あの時ブレイロックが、例えばイチローのバントヒットを警戒して前進するというような判断ミスを犯していたのかといえば、おそらくそうではない。
 イチローの次の打席で、258本目の安打がセンター前に抜けていった時も、ブレイロック三塁手は同じ場所に立っていた。つまり、そこがイチローに対する彼の定位置ということになる(ウィンなど足の速い打者に対しても同じ位置にいた)。その前のカードでは、オークランド・アスレチックスの三塁手も、やはりイチローの打席では同じ位置に立っていた。

 頭上を越されて安打にされるリスクを踏まえてもなお、三塁手はイチローに対して、浅めにポジションを取らざるを得ない。バントに対する備えというだけではない。緩い当たりの打球を深い位置で捕球していたら内野安打にされてしまうからだ。

 この日3本目、シーズン259本目の安打が、その傍証になるだろう。センター返しの打球が投手の頭を超える。遊撃手ヤングは二塁ベースやや後方でボールをつかんで一塁に投げる。一連の動作には何の遅滞もない。それでも、イチローをアウトにすることはできないのだ。またも内野安打。
 下がればバントを決められ、前に出れば左右や頭上を抜かれる。定位置でゴロを捕っても、ちょっとバウンドが高ければ一塁に間に合わない。これでは、どうにも守りようがない。すべての三塁手にとって、イチローは悪夢のような存在に違いない。

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