あるアメリカ人の詭弁術−−三木谷浩史社長に捧ぐ。
以下に記す文章は、2年前の冬に書いたものだ。どこかに発表しようと一気に書き上げたのだが、媒体やサイトの心当たりもないまま、面倒くさくなって、そのままほっぽらかしていた。批評の対象となっている文章じたいがネット上から消えてしまったので、このまま誰の目にも触れることなく、ハードディスクの肥やしとして消えていくはずだった。
彼が、こんな形で脚光を浴びることさえなかったら。
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マーティー・キーナートが気になっている。
いや、さほど影響力のある書き手ではないし、そもそも野球ファンでも知らない人が多いのではないかと思うくらいだから、いちいち論破する必要もないのだろう。彼がプロ野球ニュースのキャスターをたどたどしい日本語で務めていたのは、もうずいぶん前のことだ。
が、それでも気になるのは、彼の論法は、アメリカを引き合いに出して日本を貶める人々の典型だからだ。
MLBで日本人選手が活躍するにつれて、彼がメディアに登場する機会が再び増えてきた。こんなものを読んで、無辜の野球ファンがうっかり感心してしまっても困る。
彼の論法がどのようなものであるのか、MSNジャーナルに掲載された「歴史を敬わない日本」というキーナートのコラムについての講釈をお読みいただきたい。
2002年秋に行われた「日米OBドリームゲーム」というOBのオールスターゲームについて、正確にはこのゲームをメディアがどう扱ったかについて書かれたキーナートの文章は、<先日、「日米OBドリームゲーム」という試合があったことをご存知だろうか。日本のプロ野球界で活躍した往年のスターが勢ぞろいしたこのイベントは、残念ながらほとんど話題にならなかった。>という前置きに続いて、こんなふうに始まる。
<親友のマット・リフキンが、アレックス・カーの『犬と鬼──知られざる日本の肖像』という本を送ってくれた。さっそく11月30日から12月1日の週末に、広島県呉市へ行ったときに読んだ。呉ではプロ野球のOB戦があったのだが、悲しいことに、カーの主張と驚くほど重なる光景をスタジアムで目にした。
カーは、官僚主導の土建国家は国中をコンクリートで覆い、まわりを取り囲んで、日本の伝統的な美しさを破壊していると嘆く。日本を愛するカーは、国土交通省は天下りした元官僚たちに金を落とすためだけに、ひたすら工事を続けていると指摘する。「作品のない美術館、乗客のいない鉄道、船のいないコンテナ港、テナントのいない新都心、大根畑のための空港」に不必要な金を浪費している、と。
つまり、カーは日本の将来を憂う日本人に、自分たちの環境を汚染するのをやめて、歴史を敬って保存する努力をし、かつての「故郷」を取り戻そうと訴えているのだ。
ところで、この話が野球とどんな関係があるのだろう。>
紹介されたカーの本の内容自体は、ごもっともである。だからといって、キーナートが説明する野球との関係が「ごもっとも」である保証はない。
キーナートは、この試合について、こう主張する。
<大きな問題があった。往年の名選手が勢ぞろいしたにもかかわらず、ほとんど話題にならなかったことだ。日本では、過去のスターは過去のニュースでしかない。12月2日のスポーツ新聞を見ても、「日米OBドリームゲーム」の記事が一行も載っていない新聞も少なくなく、あったとしても小さく埋もれていた。主催者はテレビ放映権を必死に売り込み、タダ同然の条件も出したが、残念ながら手を挙げたテレビ局はなかった。
日本のスポーツ界では──日本の社会全体と同じように──歴史はあまり重視されないのだ。>
読者はどう思われただろうか。「その通りだ。日本はもっと過去の歴史を大事にすべきだ」と思われただろうか。
「歴史を大事にしろ」という主張そのものには、私も賛同しないでもない。だが、呉で行われた1つの試合が注目されなかったことが、そんなに大問題なのだろうか。
そんなの、しょっちゅうやってるじゃないか…というのが私の感想だ。
プロ野球のOB戦と銘打った試合は、毎年オフになると何試合も行われ、巨人阪神戦は恒例化してテレビでも放映される。名球会による催しもしょっちゅうテレビで観られる(が、観るに耐えない宴会モドキの遊びであることが多い。日本人が名選手を大事にしないとすれば、その理由のひとつは、こういうものを日常的にテレビで見せられているからである。歴史の側が、自ら威厳を台なしにしているのだ)。
さらに、2001年オフからはマスターズリーグが始まって、毎週OBたちが試合をし、それなりに観客も入っている。
呉で行われた試合は、そんな数多くの「いつでも見られる過去の歴史」の、ごく一部に過ぎない。
キーナートは、そのような他の催しのすべてを無視し、呉で行われたたったひとつの試合がメディアで大きく扱われなかったことだけを理由に、「日本人は歴史を大事にしない」と批判する。
ここで「日本人は」という場合、彼はアメリカを物差しにしていると考えられる。キーナートはアメリカ人であり、プロ野球のOB戦という催しはおそらく世界中でアメリカと日本でしか行われていないだろうからだ。
キーナートがここまで言うからには、きっとアメリカでは、メジャーリーガーのOBによる試合が行われた場合、すべての試合がテレビや新聞で大きく報道され、すべての試合が15000人収容のスタンドを満席にするのだろう。ひとつの例外もなく、だ。
キーナートが「日本のスポーツ界では──日本の社会全体と同じように──歴史はあまり重視されないのだ」と断言する根拠を、呉で行われたたったひとつの試合しか示していない以上、アメリカ側にひとつの例外が存在するだけで、この議論は論理的に破綻する。
さて、キーナートはそれを立証するだけの裏付けを持っているのだろうか。持っていたとしても、彼はこのコラムの中でそれを示してはいない。
キーナートはこのコラムを、次の文章で締めくくっている。やや長くなるが、丸々引用する。
<「ガイジン」組の先発投手はジーン・バッキーだった。ルイジアナ州ラファイエット出身のケージャン人のカウボーイだ。覚えているだろうか? 日本に住むようになって日の浅い外国人の読者は、知らないかもしれない。しかし、語り継ぐ価値のある栄光の歴史をあらためて振り返る、絶好のチャンスをみすみす逃すなんて、私に言わせれば日本のマスコミは許せないくらいだ。
1964年はプロ野球史上最高のシーズンのひとつだった。バッキーは登板数353イニング、29勝(わずか9敗)、防御率は何と1.80で、いずれもセ・リーグ1位。阪神タイガースが日本シリーズに出場した原動力にもなり、リーグMVPは「笑顔のジーン」で決まりだと思った人も多かった。
残念ながら実現はしなかった。というのも、その年は王が日本記録の55本塁打を放ったのだ。MVPの投票は、海の向こうから来た「助っ人」より日本の人気者に集まった。
マスコミとファンがもっと関心を持っていれば、王とバッキーが栄光の1964年を語り合うという、夢の対談が見られたかもしれない。いささか議論も呼んだMVPの選出に納得しているかどうか、二人に聞いてみたかった。
でも、何しろ38年前の話。日本では古代の歴史なのだ。ほかの文化と違って、この国ではスポーツの伝説的存在を称えて尊敬する人はあまりいない。野球界のOBも同じだ。過去の人。引退したら、忘れられる運命なのだ。>
バッキーがこの手の催しで来日するのは、これが何度目になるだろう。私は彼の現役時代を知らないが、でっぷり太ってユニホームがはちきれそうな、陽気なアメリカのおじさんの姿なら何度も見たことがある。引退後のバッキーを訪ねた雑誌や新聞の記事も数え切れないくらい読んだ。それでも、2002年の来日を大きく扱わないことを、「私に言わせれば日本のマスコミは許せないくらいだ」とキーナートは憤慨している。
まあ憤慨するのは彼の勝手だとしようか。人にはそれぞれ考えがあり、それを開陳することは、アメリカほど自由ではないらしい日本国でも、憲法で保証されている。
しかし、その意見がさしたる根拠もなく他人を非難するものであれば、彼は反論を受け入れなければならない。言論の自由は、アメリカ人の彼にだけでなく、私にも保証されているはずだ。
昭和30年代において、シーズン29勝、あるいは防御率1.80というのは、優秀な成績ではあるが、歴史的な大記録というわけではない。当時は1点台の防御率はそれほど珍しいことではなかったし、30勝を超える投手もしばしば現れた。わずか3年前には稲尾和久がシーズン42勝の記録を作っている。
バッキーは優勝に貢献したからMVPに選ばれるべきなのか?これは今でもしばしば議論になる難問だ。
かつて日本のプロ野球には、MVPを優勝チームから選出するという規定があったが、昭和38年のシーズンを前にプロ野球実行委員会によって撤回されている。そのため、昭和38年のパ・リーグMVPは、最多勝で西鉄を優勝に導いた稲尾和久ではなく、史上最多の52本塁打を放った南海の野村克也が獲得した。翌年のセで優勝チーム以外からMVPが出たとしても何の不思議もない。まして、野村の記録を超えるシーズン本塁打55本という空前の記録を打ち立てた王貞治がMVPを逃したとしたら、その方がスキャンダルである。
昭和39年の出来事を「いささか議論も呼んだMVPの選出」というほど日本野球の歴史に詳しいキーナートなら、当時のそんな状況についても熟知しているはずだ。
(ちなみに、MLBにおいては、MVPの選出と優勝への貢献との間には、ほとんど関係がない。優勝チームからMVPを出すことは日本に独特の慣習のようだ。日本では、むしろ凡庸な個人成績に終わった選手が優勝チームにいたというだけの理由でMVPを獲得して議論を呼んだケースの方が、はるかに多い)
にもかかわらず、王貞治がMVPを獲得したことに対して、キーナートは「MVPの投票は、海の向こうから来た「助っ人」より日本の人気者に集まった」と不当な外国人差別であることをほのめかす。
念のため書いておくが、王貞治の国籍は日本にはない(少なくとも現役時代はなかった)。高校時代の王が、日本国籍を持たないために国体に出場できなかったことは有名なエピソードであり、入団当初は人種差別的なヤジもずいぶん受けたという。王が日本の国民的英雄になったのは、彼の同僚で、いまだに日本人に圧倒的に愛されている長嶋茂雄が引退し、通算本塁打数がベーブ・ルースやハンク・アーロンのそれを上回った昭和50年代以降のことだ。
バッキーが日本プロ野球の歴史に残る選手であることに異存はない。だからといって、彼が来日するたびにマスコミの注目を浴び、40年を経た今でも残るシーズン本塁打記録を作った打者にMVPを奪われたのは不当ではないかという議論(仮にそんな議論が実在したらの話だが)を蒸し返されるべきであるとは、私には到底考えられない。
キーナートの文章を読んで私が思うのは、「では、呉の小さなスタジアムに集まった数千人の観客は、どう感じていたのだろうか」ということだ。
彼らは、かつて自分たちが目を輝かせて憧れた懐かしい英雄たちの名を大きな声で呼び、彼らのでっぷり太ってしまったカラダと鈍くなった動きに苦笑しながらも、喜びをもって迎えはしなかったろうか。彼らが活躍した時代の遠さを思い、彼らが与えてくれた思い出と自分自身の年月を慈しむような、温かな雰囲気に包まれてはいなかっただろうか。
もし、その日の呉に、少しでもそれに近いものがあったのだとしたら、それでよいではないか。これはメディアの注目を浴びるための試合ではない。日本で活躍した日米の選手たちが旧交を温める場であり、同時に、集まったファンたちと旧交を温める同窓会なのだから。
キーナートはスタンドが半分しか埋まらなかったことをもって「地方の小さな町でさえ、往年の名選手は彼らにふさわしい尊敬を集めることはなかった」と書く。
しかし、もし私が想像したような雰囲気がそこに存在していたのであれば、そんな温かな空気こそ「彼らにふさわしい尊敬」ではないだろうか。この種の試合において、いちばん大事なのは、そういうことではないかと私は思う。
現実には、私が想像したような光景がそこにあったのかどうか、私には知る由もない。キーナートの文章には、そのことが一切書かれていないからだ。
呉まで駆け付けたにもかかわらず、キーナートは、現場の雰囲気についても何も書こうとしない。彼らの記録を数字で並べるだけで、目の前のプレーぶりや、スタンドの観客との交流ぶりについては、一切書こうとしない。いや、キーナート自身が選手たちと話した中身についてもまったく紹介されていない。冒頭に「呉市へ行った」という記述がなかったら、私は彼が呉の現場に行ったとは思わなかっただろう。この文章は、現場に行かなくても書ける内容だからだ。
バッキーをあれほど擁護する記述がありながら、バッキー自身の見解が紹介されていないのは、不自然ですらある。
「いささか議論も呼んだMVPの選出に納得しているかどうか、二人に聞いてみたかった」のであれば、直接、自分で聞いてみればよかったではないか。 「日米気質の比較や日本人の国際性に鋭く切り込む スポーツジャーナリストとして活動中」(MSNジャーナル記載のプロフィール)のキーナートこそ、誰よりもその役を果たすのにふさわしい。キーナートが書かずして誰が書くというのか。
わざわざ呉に駆け付けて、選手たちと直接話す機会がありながら、「語り継ぐ価値のある栄光の歴史をあらためて振り返る、絶好のチャンスをみすみす逃すなんて、」キーナートは一体どうしてしまったのだろうか。「私に言わせれば」「許せないくらいだ」。
もう、このへんでやめておこう。人にはそれぞれ都合というものがある。キーナートが現場に駆け付けていながら、元選手たちと話したくなかったのだとしても、それはそれで構わない。スポーツジャーナリストという肩書きを名乗って、日本のマスコミの無為を非難することさえしなければ。
明確な根拠を示さず、雰囲気だけでなんとなく物事を批判するのは日本人の悪い癖で、アメリカ人というのはもっと明瞭かつ論理的な人々だと私は思っていた。どうやら、そうではないらしい。それとも、滞日期間が長いキーナートは、日本人の悪い癖も身につけてしまったのだろうか。
以上のような趣旨の文章を、MSNジャーナルに示されたキーナートのアドレスに送ろうとしたが、なぜかうまくいかなかった。キーナート氏にはぜひこの小文を読んでいただき、反論したいならしていただきたい。その場合には、アメリカにおけるOB戦一般の視聴率や入場者数の統計を添えることもお忘れなく。
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当時のMSNジャーナルは、今はMSN-Mainichi INTERACTIVEに引き継がれたようだ。キーナートのコラムのコーナーもあるが、MSNジャーナル時代のバックナンバーは読むことはできない。
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コメント
ふくはら君のblogにリンクされていたので飛んできました。
キーナート氏の印象については全く同感です。
個人的にはかなり胡散臭い印象を持っています。けれども彼には米での球団運営のノウハウがあり、日本球界とのこれまでの関係を考えると、両者の良いとこどりをやれる人物の一人ではあると思います。客観的には「あり」ですが、主観的には「ありえない」と思います。
また王貞治氏は多分日本国籍取得済みと思います。
でないと「国民」栄誉賞もらえないでしょう。
単なる勲章なら国籍に関係なく付与できると思いますが・・・。
投稿: エムナカ | 2004/10/06 06:00
三木谷さんは、どういう判断をしたのでしょうね。新聞記事を見ると、直接会って話したことはあるようですが。
プロフィールを見る限り、キーナート氏の日米野球界での経験はビジネス部門のものであり、野球そのものの戦力を扱うGMとして能力があるかどうかは未知数、という気がします。
王さんは今でも中華民国籍のはずです。
彼の国籍には複雑な事情があって、『百年目の帰郷』(鈴木洋史・小学館文庫)に詳しく書かれています。
国民栄誉賞というのは、彼がハンク・アーロンの通算本塁打数を超えた時に、当時の総理大臣が王人気に便乗しようとデッチあげたもので、第一号受賞者が日本国籍を持たないというのは、ある意味でこの賞のいかがわしさを象徴しています。アテネ五輪でも、あげるのあげないのと政治家たちが勝手なことを言ってたのは、正しい伝統というわけです(笑)。
もっとも、結果的に、国民に広く支持され愛された人物であれば国籍に関係なく表彰できるという前例ができたのは、よいことだと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2004/10/06 10:51
王氏の国籍とは関係なく国民栄誉賞を付与した件、大変勉強になりました。
まだまだですなぁ。世の中には知らないこと、わからないこと、不可解なことが多すぎる。
結局はパワーバランスが保たれる方向に収束していくんですからね。たとえそれが大衆から望まれない結果だとしても。
勲章や国民栄誉賞は権力を誇示するための手段の一つでしかないわけですから、与える側もインパクトあるように演出したいところなんでしょうね。
ところで今日の新規参入ヒアリング、どんな感じになったんでしょうかね。
投稿: エムナカ | 2004/10/06 20:54
彼が紹介することは事実だと思います。数字やアメリカのスポーツに関してのみ。しかしアメリカでの出来事や論理が日本人の感覚に通用するのか?いささか疑問です。
日本人のスポーツマネジメント力、ビジネス力アイデア力が低いのは事実です。これから発展していくかもしれませんが。だから彼がもし生きていけるのなら、それはアメリカ風のアイデアに日本人が同感するときだけです。もしそれが起これば彼は脚光を浴びるでしょう。
今批判するのではなく一度トライしてから考えるべきだと思います。僕もウップン溜ってますけどね。日本にアメリカ風の球場がありますか?一度やってみる時期ではないでしょうか。僕は彼がどうこうでなく、日本の野球界がうまく行くのなら誰がGMであろうと関係は無いと思います。
投稿: 036 | 2004/10/08 16:05
036さん、いらっしゃいませ。
>日本の野球界がうまく行くのなら誰がGMであろうと関係は無いと思います。
この点は、まったくおっしゃる通りです。
そして、プロ野球GMという職業に多様な人材が登用される機会が潤沢にあるのなら、キーナート氏を試してみる球団があってもいいとは思います。
しかし、現実には親会社と無関係な人物がGMに起用されるのはめったにない機会ですし、楽天には(加盟が認められれば)是非成功してもらいたいわけで、そういう日本野球にとって大事な局面を、よりによって彼に任せるのか、と思うと私は気が重いです(笑)。
(これが例えばMLBからGM経験者を連れてくるとか、広瀬一郎氏あたりを起用するというなら、未知数であることは同じでも、私は拍手して応援しますが)
とはいうものの、決まってしまった以上は、お手並み拝見ですね。
投稿: 念仏の鉄 | 2004/10/09 01:56