藤沢文学なのか、山田映画なのか。
『隠し剣 鬼の爪』という映画を、見ようか見まいかと迷っている。
2年前、山田洋次が藤沢周平の小説を映画化した『たそがれ清兵衛』は、よくできた映画だった。江戸時代の日常を丹念に描いて、細部まで神経が行き届いており、出演者たちの演技も見事で、時代劇としては出色の出来ばえだった。おそらくこの第二弾も、よくできた映画なのだろう。新聞や雑誌で目にする評は、おおむね好意的だ。しかも私は松たか子が好きときている。
ただ、そのよくできた『たそがれ清兵衛』には、どうにも納得のいかない箇所がある。そして、おそらくそれは『隠し剣 鬼の爪』にも継承されている可能性が高い。
なぜなら、“それ”は山田洋次のミスではなく、彼の信念の発露であるに違いないからだ。
『たそがれ清兵衛』は、藤沢周平の大半の小説がそうであるように、彼の故郷である山形県鶴岡市あたりをモデルにした小藩の下級武士の物語だ。
たそがれ時になると、同僚の酒場への誘いに耳を貸すこともなく、一目散に自宅に帰っていく主人公(真田広之)を揶揄して、周囲の人々がつけた徒名が「たそがれ清兵衛」。原作では病気の妻を養うために金が必要という設定だったが、映画では妻はすでに亡く、幼い子供と、ぼけはじめた老母の面倒を見るために、清兵衛は自宅へ急ぎ、内職に精を出す。そんな男が藩命により意に染まない決闘に向かっていく姿を、映画は静謐の中に描く。
「静謐の中に描く」と書いたが、しかし作品の中で、しばしば静謐さは破られる。
山田は物語の時代設定を幕末に置き、事あるごとに幕藩体制の終りが近づいていることを強調する。ヒロインである朋江(宮沢りえ)は、清兵衛の親友の妹で、一度は他家に嫁いだが夫の暴虐に耐えきれず実家に戻ってきた。現代人を思わせる聡明な女性とされており、それゆえに因習に苦しめられていることが随所に示される。
映画は岸恵子のナレーションによって進行する。清兵衛の幼い娘が、長じた後に、父と暮らした日々を回想しているという設定だ。映画の最後には、洋装の岸が清兵衛の墓に参り、一家の後日談を語る。
それらはいずれも原作にはない、山田が付け加えた部分だ。そして、妙に物語世界から浮いている。少なくとも私には強い違和感があった。なぜ、こんな余計なことをするのだろうかと訝しい思いで見ていた。
映画を見終わって、プログラムを読んで腑に落ちた。
山田は物語の舞台を「人間が生き生きとして個性的であることが許されなかった時代」と書き、清兵衛が反逆者を討つ決闘シーンについては「すぐそこに新しい未来が迫っているのに闇の中で模索し続けている」と語る。要するに、この人は江戸時代を「庶民が抑圧された暗黒時代」と捉えているらしい。
山田がそう考えるのは構わない。だが、藤沢周平の作品世界に、この手の「進歩史観」を持ち込むのは感心しない。似合わないからだ。
藤沢の小説では、登場人物たちは与えられた環境を精一杯生き、そして死んでゆく。そこに著者が顔を出して、現代人の価値観から過去の時代を断罪するようなことはせず、読者がそれをどう思うかをコントロールする意思は感じられない。藤沢の筆はあくまで慎み深く、むきだしの文明批判や、あからさまな心理描写は、まず見られない。それらはあくまで、行間から立ち昇ってくる言葉にできないもの、という形で読者に伝えられる。
そうやって藤沢がストイックに抑制し、読者に委ねている部分を、山田はことごとく台詞やナレーションで説明し、自分の解釈を観客に押し付ける。山田作品を見に来た観客にはそれでいいかも知れないが、藤沢作品を見るつもりだった私には迷惑だ。物語の中で進歩史観は消化不良気味だし、決闘前夜の清兵衛の姿を「刀を研ぐ父の姿が不気味でした」とナレーションで説明してしまうのは、一言でいえば「野暮」である。藤沢の文体とはまったく異質なものだ。
なまじよくできている映画だけに、この異質さは堪え難く目立ってしまう。単なるダメな映画であれば、ここまで気になりはしなかったはずだ。
だから、今度の『隠し剣 鬼の爪』でも、同じことが繰り返されるのではないかと怖れている。
たぶん、この映画を好意的に評している人たちは、山田の進歩臭さが気にならないか、むしろ山田と同じように好きなのだろう。たとえば10月21日付の朝日新聞夕刊でこの映画を絶賛している秋山登という映画評論家は、『たそがれ清兵衛』との一番の違いを「時代の変化への目配り」とし、「清兵衛が時代に流されたのに比べると、宗蔵(引用者注:『隠し剣…』の主人公)は自覚的だ。藩という閉鎖社会、身分制度から自らを解き放とうとするのだ」と書いている。ふうむ、さすが朝日新聞。清兵衛が「時代に流された」などとは、今の今まで考えてもみなかった。
そんなわけで、私は『隠し剣…』を、見たいような見たくないような、落ち着かない気分でいる。誰か『隠し剣…』を見た人がいたら、今度の進歩臭さがどの程度のものだか教えてもらえないだろうか(笑)。でも、さっきの秋山評を見ると、どうも前作以上のような気がする。ううむ。
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