イーストウッドは観客に泣くことを許さない。
『世界の中心で、愛をさけぶ』が無茶苦茶に売れた頃からだろうか。映画の広告や書店の店頭で、「泣ける」という宣伝文句が、やたらに目につく。
そりゃまあ、本や映画で泣くのは、相応に心を揺さぶられた結果ではある。泣きたいから映画を見る、という気分の時もあるだろう。
だが、泣くという現象は、ある意味では単純なメカニズムによって成り立っており、「泣ける」ことが映画や小説の品質を保証するとは限らない。蛇口をひねれば水が出るが如く、心の中の特定のスイッチを押せば、涙はあふれてくるものなのだ。
人間、生きていくうちには、いろいろな出来事に遭遇する。長く生きていれば、その分だけ「身につまされる出来事」も増えていく。女性に振られれば失恋シーンに動揺するようになるし、父親を亡くしてからは父子の交流を見ると涙が出るようになった。それは映画の出来とはあまり関係がなく、ほとんど自動化された反射現象に近い。「歳をとると涙もろくなっていけねえ」というのは、そういうことなのではないかと思っている。
こんなことを考えたのも、今年見た映画の本数を数えていて、『ミスティック・リバー』に行き当たったからだ。今年のベストに挙げたいような出来栄えでありながら、この映画は、泣けない。正確に言えば、泣きたくても泣けない。
物語は25年前のプロローグから始まる。ボストンに住む仲の良い3人の少年、デイブ、ショーン、ジミーに、ある悲劇が訪れる。デイブが2人の中年男に騙されて、他の2人の目の前で誘拐され、陵辱を受けたあげく、数日後に保護される。だが、デイブはこの事件で心に傷を負い、精神に小さな失調をきたす。大人になって家庭を持っても、完全に回復してはいない。
クリント・イーストウッド監督の隙のない演出は、この導入部を簡潔に、無駄なく、それでいて観客に理解させるべきことは充分に伝えながら、テンポよく進めていく。
久しく顔を合わせることもなくなっていた3人は、ある事件によって再会する。若い女性が惨殺され、公園で遺体が発見された。ジミーが被害者の父親であり、ショーンはこの事件を担当することになった州警察の刑事だった。そして、ジミーと姻戚関係(妻どうしが従姉妹)にあるデイブは、はじめジミーをなぐさめる旧友として登場するが、事件の夜の彼の不審な行動に妻が脅え始めたことから、事態は新たな悲劇に向かって急速に転がり始める…。
(未見の方のために、あらすじはここで止めておく。映画を見ていないと、この先の記述が判りにくいかも知れないが、ご容赦を。)
そして、すべてが終わった朝。
かつてデイブ少年が誘拐された路上で、旧友たちは再び出会い、事件の真相が、取り返しのつかない新たな悲劇を生んだことを知る。この場面で終わっていれば、『ミスティック・リバー』は、普通の「泣ける悲劇」になったかも知れない。
だが、その後のエピローグが、この映画にただならぬ凄みを与えている。
地元での祭りのパレード見物に、すべての主要登場人物が姿を見せ、人々はそれまで見せることのなかった様相をあらわにする。ある者は弱々しく崩れ落ち、ある者は神々しく光り輝き、ある者は安息を得て、ある者は慟哭する。
そして、新たな悲劇は清算されることがなく、皆がそれぞれに新たな十字架を背負って生きていかなければならないことを示唆して、映画は終わる。
観客には逃げ場もカタルシスも与えられない。むしろ、登場人物たちに課せられた運命の理不尽に対して、ある種の後ろめたさを抱かされてしまう。
涙は心の重荷を洗い流す。暗闇で思いきり泣くことができれば、映画館を出る時には、さっぱりと気持ちも軽く、現実に戻っていくことができる。
だが、『ミスティック・リバー』は、それを許さない。イーストウッドは、観客に泣くことすら禁じている。彼は、例の眩しそうな視線で観客を見つめて、ミスティック河の向こうにある善悪の彼岸から、この重荷を現実世界に持ち帰ることを要求しているに違いない。
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コメント
原作のデニス・ルヘインの大ファンなので映画化を知った時に小躍りしました。
小説と映画はだいぶ違うのですが(トリック面で)イーストウッド監督は近来まれに見る不愉快な画面を取る事に成功したなと思いました。(娘の遺体にショーン・ペンが近づこうとするシーン、結構きつくありませんでした?)お先真っ暗なみんなをパレードで登場させるってのは原作どおりです。文庫落ちもしましたし、是非、本をお読みになってみてください。
ちなみに公開当時、友人に勧めまくって顰蹙を買い捲りました。(後味が悪すぎる!って・・・)
投稿: koz | 2004/11/24 23:54
kozさん、いらっしゃいませ。
>ちなみに公開当時、友人に勧めまくって顰蹙を買い捲りました。
>(後味が悪すぎる!って・・・)
ご友人たちの気持ちもわかります。私の友人にも「一度不幸な目にあった人間は、ずっと不幸でいろということか」と怒っていた奴がいました。私はあまり映画をそういうふうには見ませんが。
>(娘の遺体にショーン・ペンが近づこうとするシーン、結構きつくありませんでした?)
見てて辛いですよね。予告編であの場面を見て「こりゃしんどいわ」と思いましたが、本編はそれ以上にしんどかった(笑)。
娘役の女の子が可愛いだけに、父親の気が狂いそうな気持ちに説得力がありました。
ミステリも多少は読むのですが、原作は読んでません。映画のあのしんどさを、また体験するのかと思うと二の足を踏んでしまいます(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2004/11/25 00:40