清原に見る「最後の昭和」。
16日付の日経の夕刊に、清原の去就に関する記事が載っていた。掲載されていた清原の年度別打撃成績を眺めて、しみじみと思った。
これは、一流選手の成績ではない。
よく知られているように、彼は打撃三大タイトルをひとつも獲得したことがない。「3割 30本塁打 100打点」をクリアしたことは一度もない。
ジャイアンツ移籍後に冷遇されたせいだ、と思っている人もいるかも知れないが、西武時代の最後の2年間の成績と、ジャイアンツ1年目のそれに大差はない。
そもそも、西武時代の彼は、それほどの大打者だっただろうか。チームは圧倒的に強かったが、清原が圧倒的に打ったわけではない。同時期に秋山やデストラーデは何度もタイトルを取っている。
西武時代の清原には、「チャンスに強い」「大舞台に強い」という評判があった。
確かに日本シリーズやオールスターゲームでは活躍した。レギュラーシーズンでも、試合を決める活躍をすれば、新聞の見出しになった。だが、そうでない試合を見ていた人が、どれだけいるだろう。「大舞台に強い」のは事実としても、「普通の舞台」での清原を知る人は少ない。
端的に言えば、西武の四番打者に一か月ホームランが出なくても、よほど熱心な西武ファン以外は気にも留めない。
だが、ジャイアンツの四番打者は、一週間ホームランが出ないと、あらゆるメディアに「不振」「どうした」「チャンスに弱い」と騒ぎ立てられることになる。
いい時だけ活字になり、悪い時には目立たない。西武時代の彼の「大打者」的なイメージは、多分にメディアの協力で作り上げられたものだったと私は思う。
印象に焼き付いているスポーツニュースの一場面がある。
彼が西武からFA宣言して移籍先を検討していたオフのある日、自宅から出て車に乗ろうとする清原に、テレビカメラを向けた取材陣が問い掛けた。
「ゆうべは、よく眠れましたか?」
清原は今にも泣きだしそうに表情を歪め、裏返りそうな声で、こう答えていた。
「眠れるわけないでしょう」
この時期、誰も彼を責めたり批判したりしていたわけではない。単に、大物打者の去就を注目し、追いかけていただけだ。
それでも彼は、これほどまでに消耗し、自ら追い詰められたと感じてしまっていた。高校生ではない。すでに11年間も西武の四番打者として君臨し、グラウンドの内外で誰よりも傲岸にふるまっていたキング・オブ・キングスである。
この神経の細さでは、ジャイアンツでは到底やっていけまい、と私は思った。開幕戦でホームランが出なかったら、たぶん一年間ダメなままだろう、と。
実際、ジャイアンツでの彼は、期待に応えたとは言えない。移籍一年目の97年が.249、32本塁打、95打点。以後、故障もあって規定打席に達しない年の方が多かった。四番打者を満足に務めることはできなかった。
ただ、彼はある時期に松井秀喜と張り合うのを諦め、松井の脇を固めるのが自分の仕事だと理解したのではないかと思う。それからの数年間は、彼にとってもジャイアンツにとっても幸福な時期だったのではないだろうか。やや奮わなかった松井の打撃を補い、自己最多の121打点を挙げた2001年が、ジャイアンツでの彼のベストシーズンだったと思う。
ただし、成績とは無関係に、彼はスタジアムのファンから絶大な支持を受けている。声援は年々高まっている気がする。
彼は「メジャーに行きたい」などと口走ったりはしない。日本野球が最高で、その中でもジャイアンツが最高だと信じている(今の清原人気は、原辰徳の晩年を思わせるものがある。彼らは、チームから失われゆく「ジャイアンツ的なるもの」を象徴する存在だ)。
清原は勝てば喜び、負ければ悔しがり、監督の起用法が気にいらなければ機嫌が悪くなる。勝っても負けても六本木で豪遊する(かどうかは知らないが、そういうイメージがある)。節制なんか知ったことではない(かどうかは知らないが、そういうイメージもある)。
清原は、常に感情むきだしのままだ。
そこが彼の魅力なのだろう。松井やイチローの超人的な自制心が、上原や高橋由伸や二岡のジャイアンツ愛の欠如が、彼には理解できないのだ。そして、彼と同じように感じているファンも、実は多いに違いない。
清原は、昭和の匂いを感じさせる最後の選手なのだ。
とすれば、彼を受け入れて、最後の一花を咲かせることができるのは、「西鉄ミサイル打線」で育ち、「近鉄いてまえ打線」を作り上げ、選手に率先して夜遊びに走ったという伝説を持つ、仰木彬監督を措いてほかにない。オリックス・バファローズは全力を挙げて清原獲得に動くべきではないか。合併球団の負のイメージを払拭する力を持っているのは、日本球界に彼しかいない。
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コメント
清原のことを書いてくださってありがとうございます。高校生の頃からずっと追い続けて(最近は新聞だけですけど)いるので、来シーズンはどうなるのか心配しています。彼がああなのは、本当に繊細で、小心者だからなのではないかと思っています。どこか抜けてたり、気にしなかったり、そういう人なら、もっとスゴイ選手になっていたかもしれません。でも、それだとつまんなかったかもしれないけど・・・。
キング・カズと、番長・清原は、私の中ではとても近いタイプです。でも、カズはあまり好きじゃなくて、清原は大好き、その違いは何なのかなぁー??
投稿: たむらん | 2004/11/17 15:04
僕はカズは好きです。フランスW杯前後では中田が好きでしたが、最近、歳を取るにつれ、カズや中山は偉いなぁとの認識を新たにしました。
カズと清原の違いはなんだろうなぁ。
カズは自分の力の衰えを認識しつつも口に出さず、プロフェッショナルなサッカー選手として、自分はどうあるべきかを常に考えている人だと思います。
清原は夢であった巨人に入るまでは、大きな挫折感を味わったことがなかった天才ですよね。清原にとって、巨人でプレーすることは絶対的な夢だったと思うんですよ。念仏の鉄さんがおっしゃるように、上原や仁志のように、巨人に入団することも含めて、自分の野球選手としての人生計画を冷静に遂行している選手がわからないんだと思います。これは世代間の差かもしれません。
でも、ある意味羨ましいですね。不祥事があったとはいえ、大学、高校のナンバーワン投手が北海道と東北の新興の球団に入団する時代なんですから。こういう理屈抜きのジャイアンツ愛を体現できる選手は清原が最後かもしれません。
投稿: ふくはら | 2004/11/17 18:40
>たむらんさん
清原ファンでしたか。途中までは彼を貶しているとしか思えない文章なのに、お礼まで言っていただいて恐縮です(笑)。
「記録より記憶」という表現、すっかり手あかがついてしまったけれど、彼にこそふさわしい言葉ですね。それに、野球選手においては、どんなに稀にしか発露されなくても、パワーは魅力です。2000本安打を打った後、ヤクルトの五十嵐からぶっ放した本塁打は見事でした。
カズと清原の違いを一言でいえば、カズは自覚的にああいう自分を作り上げてきた人で、清原は天然にああいう自分でしかいられない人なのではないでしょうか。
>ふくはらさん
>こういう理屈抜きのジャイアンツ愛を体現できる選手は清原が最後かもしれません。
ジャイアンツが好きだと公言する選手は、後藤や元木くらいになってしまいましたからね。みな引退間近だ。
今の主力で「メジャーに行く」と言い出しそうにないのは、阿部くらいかも(言い出したりして(笑))。
投稿: 念仏の鉄 | 2004/11/17 23:39
こんにちは
清原の年度別打撃成績を見て一流選手ではないと感じたと記載しておられますが、清原は本塁打や打点の通算成績は歴代でも5本の指に入る成績を残しているので一流選手なのではと感じていました。どのような点から一流選手ではないと思われましたか?確かに清原は単年での成績は突出してませんが、彼より本塁打を放ったのが球史で4人しかいないということは安定して成績を積み上げることは困難な事であり素晴らしいことだと思います。また、清原は現在流行りの選手をイメージではなく統計学を使って選手を評価するセイバーメトリクスでは優秀で、高い出塁率や長打率の高さはかなり高く評価されていると聞くので
過大評価されていたのではなく時代が経って評価されてきたのではないでしょうか?清原は派手なイメージとは違い玄人好みの選手であるため3部門でのタイトルの有無だけで一流ではないと判断はできないのではと感じています。
清原の現役時代を知らない学生なので、生の打席を見たことがある人しかわからない数字に表れない部分が抜け落ちてはいるかもしれませんが、選手として一流ではないという表現にどうしても引っ掛かりがあったので質問いたしました
投稿: 田中大貴 | 2023/03/13 20:10
Twitterで違う名を名乗って同じ質問をしてきた誰かに答えた通り、これは2004年シーズン終了時の清原選手について書いたもので、「一流選手ではない」というのも、その時点での現役選手としての彼に対する評価です。押しも押されもせぬ超一流選手という評価が一般的だった時代に、逆説として書いたものです。
19年後、清原が引退した後で彼の成績全体を評価しようとする人が、気にする必要などありません。
私がこの文章で「清原は過大評価されてきた」という意味のことを書いているのは、1983年に1年生でPL学園の四番を打って夏の甲子園で優勝してから2004年までの21年間、野球界とメディアが彼をどう遇してきたかという総体に対する評価です。例えば西武時代に秋山幸二に先んじて年俸1億円に到達したこと、ジャイアンツ時代に斎藤雅樹を上回る年俸を得ていたことなども含んでいます。
投稿: 念仏の鉄 | 2023/03/14 10:07
返信ありがとうございます。清原が不当に優遇されていたわけではなく、秋山と同じくらい清原が選手として優秀だったから、1億円に速くに到達したのでは?当時選手の全打席を記録をしていた黒江コーチは清原は無冠だったが得点圏では基本的にセンター返し、追い込まれたらバットを短く持って逆方向に進塁打を打つなど個人記録を犠牲にしてまでチームプレーに徹していたが、秋山は派手なプレーが多い反面淡白なプレーが目立っていたので首脳陣からの評価は秋山より清原の方が高かったとテレビで言ってましたし、伊原コーチも出塁率やOPSは清原の方が高く同点、逆転、勝ち越しの場面での殊勲打は毎年清原が秋山の倍であり勝負強かったので、どちらも良い選手だけどチームへの貢献度という面では清原の方が高かったのかな言っていたので、数字には表れにくいですが秋山よりも優れていた選手だったのではないでしょうか?またかつて西武に在籍した山崎裕之選手はライオンズは当時では珍しく進塁打の査定もあり打率2割3分だった年の契約更改でも君はチームプレーをしてくれたからと言われ年俸が上がったそうなので、西武は細かいところまで見て選手を評価していたのではと感じています。加えて清原が斎藤より年俸が高かったのは
清原がFAで加入したからなのでは?FA選手は年俸がかなり高騰するのが通常で、生え抜き選手より高額になる例は今でも沢山あるので、清原が実力以上に評価されていたわけではないと思います。特に清原の場合阪神が10年60億の大型契約を提示していたので競争で年俸が上がった側面もあると感じています。以前NHKの球辞炎という番組でデータアナリストの方が現在メジャーで選手査定で用いられているチームの勝利への貢献度を表す数値であるwarの通算は歴代12位で秋山幸二や阿部慎之介、金本、中村ノリよりも高く複数回タイトルを取った選手よりも優れていると述べてましたし、清原は球史に名を残す打者であり、現役時代の野球界やメディアからの評価は決して過大評価ではなかったと思います。
投稿: 田中大貴 | 2023/03/21 13:37