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グールド進化理論が示すイチローの価値。

 イチローはアメリカン・リーグのMVPに選ばれなかった。選ばれたウラジミール・ゲレーロ(エンゼルス)は、攻守にすぐれ、パワーも備えた素晴らしい外野手だし、打率、安打、本塁打、打点ですべてトップ4に入っているのは彼だけだ。今年加入したエンゼルスはリーグ優勝決定戦に進出した。ゲレーロの選出そのものは申し分のない結果だ(しかも彼は昨年まで弱小エクスポズにいたために、監督や選手の間では「もっとも過小評価されている選手」とさえ言われていた。ここらで報われてもいい頃だ)。
 ただし、イチローの得票数が7位というのは、いささか残念だった。もう少し上位でもいいんじゃないか、という印象は残る。

 MLBのMVP選考は、伝統的に、打点の多い打者に有利な傾向が強い。割を食っているのは安打製造機タイプだ。
 80年代から90年代にかけて両リーグの首位打者をとりまくったトニー・グウィン(首位打者8回)とウェイド・ボッグス(同5回)は、ともに一度もMVPになっていない。彼らの前、70年代に君臨したロッド・カルー(同7回)は一度だけMVPに選ばれたが、この年(77年)のカルーは、生涯最高の.388という高打率とともに、これも生涯最高の100打点を記録している。3人とも本塁打の少ない打者で、グウィンは現役時代から「コンタクト・ヒッターは不当に軽視される」と不満を漏らしていた。
 どうやらイチローも、彼らの列に並ぶ羽目になりつつある。むしろ、ルーキーシーズンにイチローがMVPに選ばれたことの方に驚くべきだったのだろう。

 アメリカ人がイチローのシーズン最多安打記録をどのように捉えているのかを直接知るすべは私にはないけれど、おそらく、ジョー・ディマジオの56試合連続安打に匹敵するほどの重要な記録だとは思われていないはずだ。少なくともSports Ilustlated誌は、新記録達成後にイチローを表紙にはしていない。
 「シスラーと同じ試合数までに記録を抜くことができなかったのだから無意味だ」と主張するライターもいるそうだ。ロジャー・マリスがベーブ・ルースのシーズン本塁打記録60本を抜いた時に受けた数々のいやがらせを思い出させる(マリスの記録はしばらくの間、レコードブックに「61*」と表記されていたという。試合数がベーブより多いという理由で、まるで参考記録のように扱われたわけだ)。

 もちろん、反論は可能だ。有色人種や外国籍選手の参加、試合数の増加による疲労、変化球の多様化など、シスラーの時代よりも不利な条件を数え上げることはできる。だが逆に、旧式の交通機関や冷暖房のない宿泊施設、品質の悪いバットやボールなど、当時の悪条件を持ちだして反論されることも予想できる。
 野球における記録は、対戦相手との力関係によって生じる相対的な数字だから、さまざまな解釈を許す余地がある。当時より有利だという説も、当時より不利だという説も、それぞれ相応の説得力をもつ。

 というわけで、双方が自説に有利な状況証拠を数え合っている限り、「昔の打者と今の打者はどちらが偉いか」という論争は不毛なのだが、この議論に、きわめて独創的な角度から光を当てた人物がいる。スティーヴン・ジェイ・ゴールド、古生物学や進化理論を専門とするアメリカの科学者だ。彼は『フルハウス 生命の全容』(早川書房)という本で、MLBの歴史から4割打者が消えた理由を、彼の進化理論をもとに論じている。

 グールドは、19世紀末から10年ごとに、すべてのレギュラー打者の平均打率、最高打率、最低打率をそれぞれ算出し、平均打率は一貫して.260前後で動かないのに対し、最高打率と最低打率の幅は、時代が下るごとに狭まっていることを示す。そしてそこから、4割打者が減少した理由は、打者の能力が低下したせいでも、打者を取り巻く環境が悪化したせいでもなく、野球選手全体のプレーが向上したために、打率の変異が広がる余地が狭まったからだ、という結論を導き出す。
(どうしてそう言えるのかを彼の進化理論を踏まえて説明しようとすると長くなりすぎるので、興味のある方は本書を読んでみてほしい。非常に面白く読みやすい本で、数字や統計が苦手な人でも大丈夫。グールドが本書で論じている進化理論を一言で言えば、「進化は進歩ではなく、予測不能かつ偶発的に生ずる多様性である」ということになる<注>。一言で言えてしまうところが素晴らしい。「およそ理論というものは、一言で要約できなければ理論の名に値しない」と書いたのは確か岸田秀だった)

 グールドは言う。
秀逸さが全般的に増加し、その結果として変異の縮小が起こっても、卓絶の可能性がなくなるわけではない。それどころか、以前よりも狭まった余地は今やそのような可能性に配分されるのだから、卓絶は以前よりもはるかに興味と興奮をそそるものとなるのだと、私は言いたい。しかも、よりいっそうの苦闘がなければ、それは達成できなくなるのだから。」
 彼が論じているのは4割打者で、安打数ではない。だが、MLBが4割打者を輩出した時期と、シーズン安打数ランキングの上位を占める記録が生まれた時期は、ほぼ一致している。もちろん、選手たちの顔触れも。とすれば、この議論をシーズン安打記録に援用するのは、それほど無理なことではないだろう。
 たいへん残念なことに、グールドは2002年5月に60歳の若さで亡くなっている。もし彼が健在であれば、イチローの「よりいっそうの苦闘」に、とても強い「興味と興奮」を表明したのではないかと私は思っている。

<注>
進化と進歩が別物だとすると、以前、私が絶賛した「進化する怪物」というコピーは科学的に適切ではない。お恥ずかしい限り(笑)。

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