器の問題。
今月初めに、毛皮族の公演を見た。
若い女性が中心の劇団で、名前のわりには半裸で舞台を駆け回ることが多い。エログロっぽい装いでストーリーがあるようなないような芝居を演じながら、唐突に昭和歌謡が流れると男装の麗人(座長の江本純子)が現れて、レコードの歌詞に重ねてデタラメな替え歌を歌ったりする舞台で、わけがわからないといえばわからないのだが、ジュンリーと自称する江本の強引きわまりないけれど強靱な愛嬌を感じさせる進行ぶりや、突き抜けた明るさが気に入っている(といっても、見るのは今回が二度目なのだが)。
ふだんは下北沢の駅前劇場を根城にしているグループだが、今回の公演「お化けが出るぞ!!」は新宿の全労済ホール・スペースゼロが会場だった。毛皮族にとっては、初めての中規模ホールでの公演だ。
客席に座ってみると、えらく違和感がある。会場が変わると、こんなにも雰囲気が違うものかと改めて感じた。
駅前劇場は、とにかく狭い。定員は180人、客席に通路らしい通路も少なく、椅子は前にも横にもくっついていて、客同士がひしめきあうように座ることになる。天井も低い。私が見た時は夏だったが、冷房もあまり効かない。ただ座っているだけで、むんむんと人いきれの熱気が充満してくるようだった。
スペースゼロは、天井が高い。定員は560人くらいで駅前劇場の3倍以上入るが、容積率では何十分の一という感じだ。多目的ホールのために客席の桟敷は仮設式で、床の下にも空間がある。そのためか暖房があまり効かず、師走のホール内は、いささか肌寒い。
観客の心理を形容する言葉には、「熱い」「熱気」「寒い」「冷えている」など、気温からの比喩が多い。もちろん心理面を表す言葉ではあるけれど、実際の体感温度が心理面にもたらす影響も、少なからずあると思う(サッカースタジアムのように、観客自ら歌って踊ってアツくなる場合は別ですが)。
公演初日のスペースゼロの客席は、文字通り寒かった。開演が40分も押して、心がすっかり冷えてしまったせいもあるのだろう。客は冷ややかで、ノリがもうひとつだった。出演者たちも、台詞や転換の段取りにおける細かなミスを連発して不安げだったが、同時に、このだだっぴろい空間を、どう御せばいいのか、戸惑っているように見えた。ステージの上では舞台装置や出演者の人数、演出に工夫をこらして、いつもより広い空間を埋めていたけれど、客席の広さは、どうにももてあましているようだった。才気と自信が全身からほとばしるような江本ほどの舞台人でも、こういうことがあるのか、と、いささか衝撃を受けた。
毛皮族の名誉のために書いておくと、一週間後の公演最終日にもう一度見に行った時には(我ながら物好きだと思うが)、台詞や段取りのミスはすべて解決し(当たり前だ(笑))、転換はテンポよく行われ、客席はいい具合に温まって、よく盛り上がった大団円となった。ふだんよりも広い器への適応を、彼女たちはどうにかやり遂げたようだった。
今週初めに、林英哲の和太鼓のコンサートを聴いた。
会場は、初台のオペラシティコンサートホール。
演奏が始まって、おや、っと思った。林のコンサートは3、4回聴いたことがあるが、聴き慣れた和太鼓の音とは全然違う。他所行きの音、とでも言えばよいだろうか。
だが、楽器も叩き方も、見たところ普段と変わりはない。どうやら、ホールの音響特性によるものらしい。
タケミツ・メモリアルの別名を持つこのホールは、97年にオープンしたコンサート専用ホールだ。ホームページを見ると、「現代の最新音響技術を用いて、設計いたしました。これにより、ホール自身が、分離よく明瞭に響き、引き締まった低音とメローで艶のある音色を持つ巨大な楽器となります。」と書いてある。
クラシック音楽に最適になるように設計されたホールに、和太鼓の音は想定されていなかったのかも知れない。残響が長すぎて、うわんうわんという唸りが強すぎる。アタック音も明瞭に聴き取れるのだが、要するに唸りとアタック音が分離して、肝心の「太鼓の音」らしい部分がどうも聴こえてこない。
一方で、共演者たちのマリンバや尺八の音色は実に味わい深く響く。土井啓輔の尺八が一節鳴っただけで、もう胸が熱くなるほどだ。確かにメローで艶がある。
そして、共演者クリストファー・ハーディが使うさまざまなパーカッションの無機的な音も、エッジが立って必要十分に明瞭に聴こえる。たぶん、この会場にはこういう楽器の方が合うのだろう。
私の席はステージに近かったので、太鼓の演奏の迫力は満喫できた。藤田嗣治をテーマにした新作の太鼓組曲は、林と若い仲間たちの演奏の充実ぶりを存分に示す力作だった。ただ、肝心の音に対する違和感は最後まで拭えなかった。
プログラムの曲目がすべて終り、カーテンコールに続いてアンコール演奏が始まる時、思い立って、最後列に移動してみた。
驚いた。ここでは、まぎれもなく「太鼓の音」がしている。前の方で聴くと、どうもしっくりこなかったフレーズが、最後列ではゾクゾクッと体を震えさせる。どうやらこのホールで和太鼓を聴くなら、あまりステージに近すぎない席の方がいいらしい。
クラシック用のホールはいくらでもあるが、和太鼓の音響特性を生かすために設計された音楽ホールなどというものは、どこにも存在しない。和太鼓奏者である林は、おそらくどこのホールで演奏する時にも、この種のギャップを埋める作業を繰り返しているのだろう。先駆者の苦心というものは、こういう見えないところにも存在する。
まるで関係のないふたつの舞台だが、どんなに美味しい料理も器を変えると、まるで別の味になってしまうことがあるのだと、それぞれに示していた。怖いものだ。
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