« ナカタが世界に売り出した頃。 | トップページ | 国を持たない人々の「ナショナル・チーム」。 »

エースは監督に向かないのか。

 清原はジャイアンツに残ることを決めたそうだが、それは彼にとって決して幸福な選択ではないと思う。さんざん報じられている通り、堀内監督との感情的なしこりが存在するのであれば、それはたぶん、解消できないだろうという気がする。

 清原に関する堀内の言動を見ていると、私は鈴木啓示が近鉄の監督だった頃を思い出す。鈴木は当時すでに大エースだった野茂に、独自の調整スタイルを認めず、抑圧し続けた。確か、野茂がもっとも信頼していたコンディショニング・コーチの立花龍司が解雇されたのもこの時期ではなかったか。
 野茂がもともとMLB行きを志望していたのは確かだが、最終的に近鉄と喧嘩別れしてアメリカに向かうという蛮行に至る引き金となったのは、鈴木の下ではやっていられない、という絶望感だったのではないかと思う。

 そのころ、鈴木と野茂の確執に関する記事を読みながら、きっと鈴木は自チームのエースと張り合わずにいられない性格なのだろう、と感じていた。
 鈴木が独特のエゴイズムの持ち主であることは、疑う余地がない。現役時代、ヤクルトから鈴木康二朗が移籍してきた時には、新聞に「鈴木啓」と記されるのを嫌って「近鉄の鈴木といえば私のことだ。あっちを鈴木康と書けばええでしょ」と言い放ったというエピソードがある。引退後、解説者になってからも、目の前の試合そっちのけで、私の時はこうでした、ああでした、という話をしていることが多い。
 そんな鈴木には、野茂の存在によって、自分の影が薄くなることが我慢できなかったのかも知れない。監督にとってエース投手は誰よりも自分を助けてくれる存在なのに、報じられた鈴木の言動からは、そんな気持ちは微塵も感じられなかった。

 堀内にもまた、似た匂いを感じる。
 長嶋茂雄が二度目のジャイアンツの監督に就任した93年、堀内はコーチとして指導陣に参加した。就任が決まった際のインタビューの中で、堀内は当時のジャイアンツの大エースであった斎藤雅樹のことを「サラリーマンのように何日かに一度出てきては、きちんと勝ち星を稼いでくれる、ベンチにとってはありがたい投手だ」と表現した。
 「ありがたい」と言ってはいるけれど、少しもありがたそうには聞こえない。ジャイアンツファンが聞けば、斎藤を小馬鹿にしているようにしか思えないだろう。テレビ解説者として口走るのならともかく、これから同じベンチに入って仲間になる相手に対して言う言葉ではない。
 堀内の談話はいつも、選手に対するこの種の冷淡さを感じさせる。言葉の上で何を話してはいても、その裏に「俺の方が上だ」という気持ちが透けて見えるような話しぶりである。

 では、投手出身者が監督に向かないのかといえば、そうとは限らない。80年代の終りごろには、投手出身の監督が脚光を浴びた時期もあった。
 星野仙一が中日を優勝させ、藤田元司が二度目のジャイアンツの監督となって二連覇を果たした頃だ。その後も、権藤博と東尾修が日本シリーズで戦ったこともある。
 しかし一方で、同じ投手出身でも、前述の通り鈴木が失敗し、オリックス二連覇のころは有能な投手コーチと見做されていた山田久志も、中日の監督としては十分な結果を残せなかった。
 鈴木が就任した時期の近鉄は、しばしば優勝を争う強豪だったし、山田の中日も、後を引き継いだ落合がさしたる補強もなしにリーグ優勝を果たしている。どちらも戦力不足だったとは言いづらい。もちろん、今年の堀内も然り。

 近年の成功組と失敗組の現役時代を比較すると、後者の3人はチームの大エースとして君臨し、先発投手のまま引退していった。大きな故障をしてシーズンを棒に振ったこともないし、チーム内での役割や投球スタイルを大転換して第二の投手人生を歩んだ経験もない。もちろんトレードされたこともない。
 前者の4人は、全盛期に大きな故障をして投手生命を絶たれたり、リリーフ専業としてチームを支えた経験を持っている。
 エース投手はチームの中で、常に配慮され、尊重される存在だ。あくまでそういう立場のままで(力が落ちて信頼されなくなった不満を抱きつつ)引退していった者と、エースの座から転げ落ち、尊重されない立場を経験して、それでも自らの努力で別の立場を作り上げた(あるいは、作り上げようとした)者の間では、チームを見る視野に差があるのは当然かも知れない。
 大雑把な仮説ではあるが、もしこれが当たっているとしたら、来季の堀内ジャイアンツに大幅な改善は期待しづらい。

 ジャイアンツの来季を占う上で、きわめて簡単な指標がある。堀内監督が宮崎キャンプでクローザーを決めるか否か、だ。私は、それでほとんど来季の命運は決まってしまうだろうと思っている。
 ジャイアンツには、伝統的に「先発至上主義」ともいうべき思想がある。
 <先発完投するのが一人前の投手。それができない半端な奴がリリーフに回る>
 そう考えているとしか思えないような投手の扱い方を、ジャイアンツは常にとってきた。近年では藤田元司に顕著だったように思う(もっとも、斎藤・槙原・桑田ほどの先発投手陣を揃えていれば、そのくらい豪語してもいいかも知れないが)。長嶋も口ではいろんなことを喋っていたが、クローザーをきちんと指名してシーズンに臨んだことはほとんどなかったし、あったとしても、その方針は彼自身によってあっさり覆された。
 近年の例外は、就任一年目の原辰徳くらいだ。原はキャンプイン早々に河原をクローザーに指名し、河原の活躍によって優勝を果たす。その河原がまったく通用しなくなったことで、原は二年目に優勝を逃し、辞任に追い込まれることになる。

 そのチームを引き継いだのだから、堀内がやるべきことは明白だった。にもかかわらず、堀内は「河原が復活するだろう」という根拠に乏しい期待を口にするだけで、復活しなかった場合の手当てをしなかった。フロントは一応シコースキーを獲得したが、千葉ロッテ時代の彼の仕事は、クローザーの小林雅につなぐセットアッパーだった。堀内の本心は、要するにそんなのは大した問題じゃない、と思っていたのではないかと私は疑っている。
 当然のように河原は復活せず、彼に代わるべき強力なクローザーも現れないまま、ジャイアンツはシーズンを終えた。打線はシーズン本塁打数を更新したが、投手陣は気前よく相手に点を与え続けた。
 この屈辱の一年から堀内が学習し、方針を変えるのなら、ジャイアンツが優勝することは、さほど難しくないはずだ。だが、現時点ではジャイアンツの投手陣に目立った補強はなく、堀内の口から来季のクローザー候補の名が挙がることもない。聞こえてくるのは「スピード重視」という抽象的な言葉だけだ。

 投手出身の監督といえば、牛島が横浜の新監督に就任した。彼はリリーフで売り出し、先発もこなし、トレードされて両リーグを経験、大きな故障を克服してマウンドに復帰したこともある。中日時代には日本シリーズでも投げた。およそ投手として経験できることは一通りしている。つまり、彼の経歴は「成功する投手出身者」の類型に近い。また、横浜のチーム事情はジャイアンツに共通するものがある。多村や佐伯が成績を大きく落とさず、ウッズに代わる新外国人打者が機能すれば、あとは投手陣の整備がチーム成績を左右するはずだ。

 来季の12球団で、投手出身の監督は、この2人だけだ。「大エース」vs「苦労人」、2人の動向は興味深い。

|

« ナカタが世界に売り出した頃。 | トップページ | 国を持たない人々の「ナショナル・チーム」。 »

コメント

巨人の場合はあくまでも大量点を取りにいく野球だから。投手出身なら、本来なら、点を取られにくい野球を目指すべき。巨人という球団では点を取られにくい野球は現実的ではない。

投稿: ぼっち | 2019/04/29 18:12

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エースは監督に向かないのか。:

« ナカタが世界に売り出した頃。 | トップページ | 国を持たない人々の「ナショナル・チーム」。 »