« 社会部というリアリズム。 | トップページ | 知は力なり <旧刊再訪> »

喉元過ぎたら怒りも忘れたか。

 年末だからログの整理でもしてみるか、と古い書き込みを眺めていたら、「野球の未来を創る会」という団体について、批判がましいことを書いたのを思い出した。

 気づいている方もおられるかも知れないが、私は自分の言動の一貫性にこだわる性格だ。その後、立派に活動しているようなら自己批判しなければならないかな、と、久しぶりに「野球の未来を創る会」公式サイトを訪ねてみて驚いた。
 2度目のストが回避された直後の9月27日を最後に、更新されている形跡がない。まだ楽天の新規参入も決まっていない時期だというのに、ずいぶんとせっかちに安心してしまったらしい。
 私は他人の言動の一貫性にもこだわる性格なので、こういう人々には、はっきり言っておく。

 野球をなめるんじゃない。

 人々に呼びかけ、大量の署名を集めておいて何もしないのは詐欺に等しい。彼らが集めたのは金ではなく「期待」だが、集めるだけ集めて放りだしていることに変わりはない。Year!の編集後記によれば、この会は民主党主導らしいが、こんなふうに一過性のブームを利用することばかり考える体質があるのなら、政権をとれないのも当然だろう。
 「スポーツと政治とは人々の意識の底でつながっている」とサッカーのチベット代表の項に書いたが、そういう本質的なことでなく、表面的な上っ面の政治性を利用しようとする手合いは、いくらでも存在する。サッカーのアジアカップの時には、スタジアムでブーイングを聞いたこともないであろう人々が、ただ中国の悪口を言いたいがために試合をダシにしていた。

 こういう連中は所詮スポーツの外側の住人だから、あまりとりあっても仕方がない。
 だが、喉元過ぎたら熱さを忘れてるんじゃないか、と言いたくなる言動が、肝心の選手たちにも散見するのはいただけない。

 下の「社会部というリアリズム」のコメント欄にも書いたが、選手会は経営側との闘争を通じて、「ファンのために」と言い続けてきた。
 それが本気の言葉だったのか、それともファンをダシにして自分たちの主張を正当化してきたに過ぎないのか。その後の言動によって、それを問われる立場にあることを、彼らはどれだけ気づいているのだろうか。
 日本一になった西武、金には困らないはずのジャイアンツをはじめ、多くのチームで年俸の切り下げが起こっている。ここまでの経緯からすれば、当然起こりうることだ。
 思ったほど増えなかったり、大幅に減らされた年俸提示を前に、では球団の収入を増やすためにどうしたらいいか、自分にはこういうことができる、と提言した選手が、どれだけいるのだろうか。
 契約更改の直後には記者会見があり、選手たちはメディアに直接語る場を持っているにもかかわらず、選手たちの発言に全体としては変化が感じられない。ボランティアやファンサービスに熱心な一部の選手と、そうでない大多数の選手がいる、という例年の風景と大差ないように感じる(克明に報道をチェックしているわけではないので、反証があれば教えてください。しかし、今年ならそういう話は目立つように報じられるはずだ。私には、根拠なくポスティングによる渡米を求めてゴネる選手ばかりが目立って見えて仕方ない)。

 例えばジャイアンツの上原は、五輪代表でもエース格の投手だが、契約更改においては「僕はいらないということですか」という増収額への不満の声だけが伝わってくる。一連の経営改革の一環として報酬や査定の体系を変える、という清武代表の方針に対して、あまりに素朴なリアクションである。上原の立場であれば、球団をどう変えていきたいかを代表と話しあうくらいのことを、このオフだからこそ、してほしい。上原の代理人は、そういうことをクライアントになぜ教えないのか。メディアが発言を歪めているなどという言い訳は上原クラスでは通用しない。

 「構造改革協議会」の最初の会合に、選手側の代表者が5人しか集まらなかった、というのも失望した。経営側は12球団から出席したにもかかわらず、なぜそういうことが起こるのだろう。古田会長は「人数が少なくても意見は言える。入口でごちゃごちゃ言うのはおかしい」というようなことを言って反発していたが、この件に関しては誠意を欠いているのは選手会の方だと私は思う。戦術として誤っている。

 このblogで私が選手会への苦言ばかり書いているものだから、念仏の鉄は選手会嫌いだと思っている方もいるようだが、そうではない。せっかく価値のある仕事をしようとしている時に、あまりにも脇が甘すぎるのが苛立たしいのだ。半ズボンにサンダル履きで公の場に入ろうとすれば、入口でごちゃごちゃ言われるのも仕方ない。Numberだか他の雑誌だか忘れたが、選手会の中で好戦的な発言を繰り返していたある選手について「彼は去年までサインしてくれたことがなかった」というファンの発言を紹介していた。選手とは、常に見られているものなのだ。見栄えのする場所でだけ恰好をつけていても、すぐに露呈する。
 選手会のブレーンであるらしい弁護士たちは、理屈を練るのと同時に、社会人のマナーを選手たちに教えてやって欲しい。それとも、彼ら自身もそういうものがわかっていないのか。

|

« 社会部というリアリズム。 | トップページ | 知は力なり <旧刊再訪> »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50507/2406910

この記事へのトラックバック一覧です: 喉元過ぎたら怒りも忘れたか。:

« 社会部というリアリズム。 | トップページ | 知は力なり <旧刊再訪> »