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中沢佑二という保証。

 中沢佑二がJリーグ2004年のMVPに選ばれた。ディフェンダーとしては94年のペレイラに次いで2人目。以前、ディフェンダーが評価されにくいことについて文句をつけたことがあったが、今回の受賞は喜ばしい。
 Jリーグでの仕事ぶりだけを考えれば、去年が中沢で今年がエメルソン(現実は逆)の方がふさわしかったと思うが、選考に当たった人々にも、その点で中沢に対してうしろめたい気持ちがあったかも知れない。2年連続でエメルソンもいかがなものか、というのもあったろう。
 そしてもちろん、アジアカップにおける中沢の鬼神の如き奮闘ぶりも、Jリーグの試合でないとはいえ、選考者たちの頭に残像となっていたことだろう。

 この中沢が、わずか2年前のワールドカップには出場していないというのは、今になってみれば不思議なほどだ。トルシエの下でシドニー五輪には出場し、A代表でも直前まではメンバーに入っていただけに、本人は悔しかったに違いない。ワールドカップを逃した中沢が大きく成長し、出場した松田は昨年一年間迷走し続け、ようやく復活してきた。大きな大会というのは、出場するしないにかかわらず大きな影響を選手に与えるものらしい。

 中沢の言動で印象に残っているのは、ワールドカップの前年ごろに雑誌のインタビュー記事で読んだ話だ。ワールドカップ・アメリカ大会の予選、いわゆる「ドーハの悲劇」の時に、中沢はテレビで試合を見ながら「俺がいないうちに出場するなよ」と思っていたという。
 その時点での彼は、何者でもない。年代別代表に選ばれたこともなければ、トレセンに呼ばれたこともたぶんなかったはずだ。同世代の小野伸二がそう思うならともかく、単なる無名校のサッカー部員の思いとしては誇大妄想に近い。

 そんな大それた野望の人でありながら、彼は常に謙虚でもある。自分に足りないものを自覚し、ここを強化しなければ、ということを口にする。大ベテランになっても相変わらず「僕は下手くそですから」と言い続ける中山に通じるものを感じる。
 そして、どうにかして上手くなろうという気持ちが、試合の中でも感じられる。ヴェルディで売り出した頃の中沢は、しばしば覚束ないドリブルでサイドを駆け上がり、スルーパスやクロスを試みていた。メディアに紹介される時には、判で押したように「フィードに課題」と書かれていた中沢が、今ではしばしば中村俊輔ばりのサイドチェンジを見せる。
 188センチという身長は、それだけでひとつの才能だ。中沢は身長という武器をもって自分を売り出し、人々がそこに目を惹かれているうちに、大急ぎで他の技能を伸ばして、バランスのとれたディフェンダーに成長した。そんな印象がある。

 日本が世界の強豪と戦えるようになるために即効性があるのは屈強なディフェンダーだ、と書いていたのは、確か武智幸徳だったが、今や我々はその通りの人材を得た。今回のチャンピオンシップの結果は、中沢・松田という国産ディフェンスラインの勝利でもある。
 今の日本代表は、たとえジーコが何をしようと(すまいと)、どんな相手とも、そこそこいい勝負ができるはず、と信じることができる。
 中沢がゴールの前に立ち塞がっている限り。


追記(2004.12.16)
 で、中沢がいないとドイツに0-3で負けたりする。頼むから2006年の夏まではケガしないでくれ。

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