知は力なり <旧刊再訪>
後藤健生『サッカーの世紀』 文藝春秋 1995
小関順二『プロ野球問題だらけの12球団』 草思社 2000年から毎春刊行中
日本でスポーツライティングにかかわる人物のほとんどすべては、3つのカテゴリーに分類することが可能だ。
1)スポーツ選手か指導者、スタッフの経験がある
2)スポーツメディア(新聞、雑誌、テレビ)に属していた経験がある
3)別の世界ですでに名をなしている(小説家、大学教授など)
あ、あと「外国人である」というのもありますね。しかし、セルジオ越後もマーティ・キーナートもフローラン・ダバディも、おおむね上記のどれかに分類可能だ。
小林信也は著書『スポーツジャーナリストで成功する方法』の中で、「お笑い芸人か、有名なスポーツ選手になるのが早道だよ。それが無理なら、経済力のある伴侶を見つけること」と書いている。言わんとするところは、ほぼ同じだ。
ではこの3つに属さない、単なるファンにチャンスはないのだろうか。
「なくもない」というのが正解である。
この2人がいるからだ。後藤健生と小関順二。
後藤健生がどのようにしてサッカーライターになったかについては、最近は彼自身の口から語られる機会も増えたようだ。スカパーのワールドカップジャーナルでかなり昔話をしていたし、早大サッカー観戦会での講演内容が、つぶさにネット上にアップされている。http://www.wasedawillwin.com/special/0104_goto/ 要するに、専門誌の記者でさえかなわないほど試合を見ていたので、原稿を頼まれるようになったということらしい。
私が最初に彼の文章に触れたのは「ストライカー」誌に連載されていたエッセイだ。92年ごろだったと思う。著書もほとんど読んでいる。
正直にいえば、私のサッカー観は、かなりの程度、後藤に影響されている。時間軸と空間軸を極大にとって、現在目の前で起こっている事象をその中に位置付けようとするならば、どうしたって後藤に似てくるはずだ。選手に密着するわけでもない後藤の文章は、基本的に公開情報に基づいて書かれている。それはつまり、一ファンの目から見えるものと大きな違いはない。後は料理の腕次第であり、彼の膨大な知識と圧倒的な観戦歴に培われたサッカーを見る目がモノを言う。
『サッカーの世紀』は、そんな後藤のスタイルが集約された傑作である。民族や文化の特徴と、その国のサッカーの特徴を関連づけて語るスタイルは、時には詭弁めいたところまで筆が滑ることもあるが、世界のサッカーを見る上でのバックボーンとして絶好の一冊だ。「処女作に作家のすべてがある」と言われるが、後藤の場合、これはかなりあてはまるように思う。
後藤は結論を急がない。フィリップ・トルシエが代表監督になってまもなく、サッカージャーナリズムの世界が「トルシエ是か非か」で二分されつつあった時期に、彼は「保留」と言い続けていた。理由は明解で「まだトルシエは守備の練習しかしていない。攻撃に関しては手つかず。評価を下すのはトルシエのサッカーが完成し、全貌を見てからでいい」という。その後、アジアカップで優勝した段階で、後藤は自分なりの評価を下す。歴史家なのである。
小関はアマチュア野球マニアだった。今でもそうかも知れない。
2004年9月に川崎で開かれた、サッカーと野球を対比して語るシンポジウムに、小関はパネリストとして招かれた。その日は、ちょうどプロ野球のストライキが実施された直後の月曜日(祝日)である。司会者えのきどいちろうに「プロ野球がなかったこの週末は、何してました?」と問われた小関は、土曜日はどこそこでこういう大会がありましてね…と嬉々として自分が訪ねたアマ野球の試合について話した。プロ野球がなくても野球はそこらじゅうでやっていて、自分はそれを見ればいい、というある種の覚悟のようなものが感じられ、凄みさえ感じた(たぶん、えのきどはこういう答えを予測して質問したのだと思う)。
「ドラフト会議倶楽部」という模擬ドラフトを行うサークルを主催したのが小関のキャリアのはじまりだった。小関は、単にメディアを通じて得た知識だけでは飽き足らず、自ら全国の高校や大学、社会人野球の大会を歩いて、有望選手を自分の目で見続けた。掘り出し物を探すのも楽しみになった。プロ野球球団からスカウトとして声がかからなかったのが不思議なほどだ(打診されたことも、なくはなかったようだが)。
ここまでのアマ野球マニアは、他にもいるかも知れない。小関がユニークなところは、同時にプロ12球団のドラフト戦略を分析し、「今年のこの球団には、こういう補強が必要だ」という判断をもとにドラフト批評をしてのけるようになったことだ。これは、単に「このポジションが弱い」というだけではない。現有戦力に年齢をプロットし、「3年後、5年後にはこのポジションが手薄になるから、この選手を獲得すべき」という予測を含めた分析を行うのだ。
言葉で説明するのは簡単だが、これが実際にできる人はめったにいない。各球団の二軍にどんな選手がおり、誰がどのように育ってくるかが予測できないからだ。しかし、小関は彼らをアマ時代から見ている。アマのいい時と現時点との違いがわかるから、この先どれだけ伸びしろがあるか、という予測もできる。
『問題だらけの12球団』は、その小関の仕事の年報のようなものだ。
ドラフト戦略は、経営戦略でもある。必然的に、小関の視野にはプロ野球の経営そのものも入ってくる。『問題だらけの12球団』2002年版では、日本ハムの札幌移転を予言している。予言というと大げさだが、そうでもしなければ生き延びられない、という必然性を、小関は感じ取っていたということだ。
彼は編集プロダクションに属していたから冒頭の2)にも該当するが、現在の小関の仕事が、ドラフト会議倶楽部の活動や、道楽としての野球観戦によって築かれたことは間違いない。
さきのシンポジウムで、えのきどは客席の大半を占めるサッカーファンに向かって、小関を「一言でいえば、野球の後藤さんみたいな人」と紹介した。
2人に共通することは、長い間、誰に頼まれるでもなく、勝手にスポーツを見続けてきたことだ。そして、自分の見たものや知ったことを自分なりに分析し、体系化してきた。それがひとつの形にまとまった時には、もはや余人の追随を許さない水準に達していた。
彼らの築いた体系を利用したり、真似することはできる。過去について語るのであれば、そのまま模倣することはたやすい。彼らの体系は、とてもわかりやすく整理されているから。
にもかかわらず、彼らの仕事は、模倣者に侵食される様子がない。スポーツ選手を焼き鳥屋に連れて行く場面から始まる本がベストセラーになった途端に、同じような原稿を書くライターが急増したような世界であるにもかかわらず。
本家と模倣者を厳然と隔てるものは、新しい事象が目の前に現れた時に、それを判断する能力である。「藤井システム」で知られる将棋の藤井猛九段は、「藤井システムを作ってみたら、システムとは無関係な局面でも強くなっていた」と語っている。「自分の手で一から体系を作る」という作業は、作った本人の力量を飛躍的に向上させるものらしい。
法律家は法律を通して世の中を見る。解剖学者は解剖学を通して人の営みを見る。そのような意味において、後藤や小関は、自らが作り上げた「スポーツ知の体系」を通してスポーツを見ており、世界をも見ている。
というわけで、「一ファンにチャンスはないのか」という問いへの回答は、正確に言えばこうなる。
「なくもない。後藤健生や小関順二のように、誰にも追随することのできないスポーツ知の体系を作り上げることができるのならば」
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コメント
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
このブログの記事を見て、9月のあのシンポジウムをタダで見せてもらった私たちはつくづく幸せもんだと思いました。
小関さんはこのシンポまで知りませんでしたが、本当に好感の持てる方でした。坂井さんやえのきどさんらも魅力的でした。
普通なら1000円以上の料金は取られてもおかしくない内容でしたし、タイミング的に本当に絶妙でした。
しかしあのストライキが球界の転換点になったと評価されるかどうかは、まさに今オフの契約更改が営業実績に比例した配分になるかどうかや来期のファンサービス等のアイデアがどの程度現実化するかに掛かっていますね。
スポルティーバのサラリーキャップシミュレーションで営業実績に一番近い年俸構成だったのは広島だけでしたから(もっとも赤ゴジラは少なすぎでしたから例外ですが)
投稿: エムナカ | 2005/01/03 20:42
エムナカさん、今年もよろしくお願いします。
あのシンポジウムについては、何よりも、熱意だけであの豪華なブッキングを実現してしまった主催者に敬意を覚えます。
「ストライキ以後」については、下のコラムにも書きましたが、現時点では、経営サイドに目に見える変化が現れているのに対し、選手の方は例年と大差ないのが気になってます。テレビの正月番組でも相変わらず芸人に弄ばれてヘラヘラ笑ってるようだし。あるクイズ番組に「大阪近鉄バファローズ」が参加しているのを見て驚きました。ちらっと見ただけなので番組の空気はよくわかりませんが、それでいいのか?
投稿: 念仏の鉄 | 2005/01/03 23:50