« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »

2005年1月

失われた「失言」。

 NHKの番組改竄問題は、すっかりNHK(と、その背後にいる自民党)と朝日新聞の対立になってしまったようで、もう勝手にやってくれとしか言いようがないのだが、この件で気になっていたことが、もうひとつある。
 チーフプロデューサー氏の記者会見で、「圧力をかけた」と名指しされた自民党の安倍晋三は「私が申し上げたのは『公平公正にやってください』ということだけだ」と言い続けている。どうやら、それで自分が圧力をかけていないことを証明した気でいるらしい。

 何事も露骨さが好まれないこの国では、権力者が下位者を意のままに動かそうとする時にも、すべてを具体的に言葉に示して指図するなどという野暮な真似はしないものだ。じっと目を見つめて「わかってるだろうな」と一言いえば、後は相手が勝手に忖度して動いてくれる。そういう洗練された作法が確立している。
 こういうやりとりを得意とするのは、たぶん政治家であり(だから彼らは「秘書が勝手にやったことです」と言い続けられるのだ)、三代続いて政権の中枢近くにいる安倍が、「公平公正にやってください」という言葉でNHKをどう動かせるか知らないとは到底思えない。それでも彼は、「公平公正」の一言で反論を封じ込めてしまう。こういう人物を前にすると、議論というものは、いかにも無力だ。

 議会制民主主義とは、一言でいえば「大事なことは公の場で話しあって決めよう」という制度である。この制度のもとでは、政治家にとって最も重要な能力は、話し合って相手を説得する技量である。つまり、「議論」であり、「言葉」だ。
 ところが、この国では、呆れるほど政治家の言葉が軽いものになっている。

 政治家の「失言」というものが死語になってしまったのは、いつごろからだろうか。
 少し前までは、公の場でうかつなことを口走って辞職に追い込まれる大臣が数年にひとりくらいはいたものだが、最近では記憶にない。小泉政権下で、失言で職を失った大臣がいただろうか?(覚えてる人がいたら、ご指摘ください)
 そうなったのはおそらく、小泉純一郎首相その人が、盛大に失言をしまくっているからだろうと思う。公約の不履行を指摘された総理大臣が「そんなのは大した問題じゃない」と言い放つのが許されるのなら、「失言」などという概念は消滅する。

 野党やマスコミの追及が甘い、という批判はできる。しかし、小泉純一郎の「失言」は、いささか次元を超えている。27日に民主党の菅直人が、小泉の過去の「失言」を一覧表にして反省を迫ったが、答弁は、列記された過去の言葉に輪をかけて非論理的なものだった。http://www.dpj.or.jp/news/200501/20050127_02kan.html
 「自衛隊のいる地域が戦闘地域」という答弁を無責任だと批判されて、「これは一番分かりやすい答弁だ」と平然と答えるような人物と、一体何を議論すればよいのだろう。小泉と議論しようとした人々はみな、言葉の迷路をぐるぐると彷徨っているような気分に陥っていくに違いない。

 つまるところ、小泉は言葉の使い方に長けている。ただしそれは、我々が考える「言葉の使い方」の概念とは相反するもので、むしろ言葉の持つ意味や機能を限りなく無化していき、自身の言葉に一切責任を持たずに済むようにするという、きわめて特殊な能力である。
 彼がそういうやり方で権力を行使し続けることによって、言葉が持つ重みは、どんどん失われていく。政策の良し悪しとは別の次元で、小泉は言語に対するテロリストである。表面的な言葉として何を口にしようと、詰まるところ、彼が伝えようとしているメッセージはひとつしかないのだ。“俺のやることに口出しはさせないぞ”と。
 総理大臣がこれほどデタラメな答弁を繰り返し続けても、選挙をすれば自民党が勝つ。「ペンは剣より強し」というけれど、彼の非言語コミュニケーションは、ペンに対して圧倒的に優位に立っている。言論でどうにか対抗しようと思っているうちは、小泉の思う壺なのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

代理人の本分。

 井口のホワイトソックス入りが決まったという。
 MLBの移籍市場は、12月上旬のウィンターミーティング期間から、急速に商談が活発化する。市場に出ていた大物FAたちの行き先が数週間でだいたい落ち着いた後、要補強ポイントの残るGMたちは、日本からの未知の才能にようやく本腰を入れて取り組むことになる。薮、井口が(もしかすると中村ノリも)相次いでこのタイミングで決まった背景は、たぶんそういうことだろう。

 井口とWソックスとの交渉は、昨年末ごろから、ずいぶん難航しているように見えた。井口の代理人リチャード・モスは「こんな安値は井口の能力に対して失礼だ」とWソックスの提示額を批判し、WソックスのGMは「何度電話を入れても代理人から返事が来ない。こんな侮辱を受けたのは初めてだ」と不満を表明し、それぞれがメディアを通じてののしりあっていたので、てっきり破談になるものと思っていた。
 Wソックスも提示額を上積みしたようだが、一説には、井口がモスを解雇してWソックスと直接話をまとめたとも報じられている。http://www.sponichi.co.jp/usa/kiji/2005/01/26/02.html これはにわかに信じがたい。他の代理人に乗り換えたというならともかく、井口がそんなに英語が達者なのかどうか(笑)。

 リチャード・モスは、かつて横浜ベイスターズの渉外担当として優秀なメジャーリーガーを次々と獲得した牛込惟浩が「信頼できる代理人」の筆頭に挙げた人物だ(梅田香子『スポーツ・エージェント』(文春新書)による)。MLBの選手組合がFA制度を勝ち取った1960年代後半から70年代にかけて、組合の顧問弁護士として活躍した人物でもある。それほどの大物でも、常に交渉がうまくいくとは限らない(年齢も70を超えているし、すでに一線を退いた過去の人なのかも知れない)。
 もっとも、松井稼頭央の契約には及ばないまでも、それなりの金額でそれなりの球団との契約が成立したのだから、今回のモスの仕事は(解任されていないのなら)、鮮やかではなくとも、失敗とはいえないだろう。

 いずれにしても、一連の経緯を見ると、結局はモスの駆け引きよりも井口本人の意思が、Wソックスと契約することを決めた、という印象を受ける。そうであったとしたら、それは正しいことなのだ。代理人は、あくまで本人の代理なのだから。

 一方で、サッカー界では日本人の代理人が話題になっている。浦和からマリノスに強引に移った山瀬功治、鹿島からマルセイユへの移籍が決定的になった中田浩二、物議をかもした2人の代理人が同一人物だというので、その代理人・田邊伸明のblog http://plaza.rakuten.co.jp/dairinin/に、浦和や鹿島のサポーターから、ずいぶんと非難のコメントが集中している。Jリーグの鈴木チェアマンも、中田浩二の移籍について「3者の妥協点を調整するのがエージェントだが、今回は若干の問題がある。どちらかが大損するようではいけない」とコメントした。
 チェアマンの談話は、代理人にそこまで要求するのは筋違いだろう。今回の件に限って言えば、クラブ同士のビジネス上の戦いに鹿島が敗れた(=国際的な移籍ルールに対する認識不足。広山が市原を出た時にも似たようなことがあったはず)ということであって、代理人が介在しようとしまいと同じことは起こりうる。

 田邊のblogへの書き込みで印象に残るのは、「中澤、山瀬、中田浩二と、あなたが手がける移籍は、どうしてどれも古巣から恨まれるようなやり方になるのか」という意味のコメントが繰り返し見られることだ。
 確かに、中澤のヴェルディからマリノスへの移籍も含めて、どれも強引かつワガママな移籍という印象は否めない。それが選手にどれほど好影響をもたらしたとしても、出ていかれるクラブとサポーターにとっては決して納得できるものではないはずだ。
 だが、逆に言えば、この3つの移籍は、どんな手を使ったところで、古巣の側が円満に送り出すという形が想像できない。チームにとっては絶対手放したくない選手ばかりなのだ。それでも移籍することが選手本人の意思なのであれば、移籍を実現させた田邊の手腕は、(たとえ遺恨を残しかねない乱暴なやり方であったとしても)選手にとっては有益ということになる。

 田邊に非難が集中するという現象は、選手への愛情の裏返しでもあるのだろう。選手本人を悪く思いたくない気持ちが、「あいつに吹き込まれたせいだ」と代理人を悪役に仕立ててしまう心理的メカニズムも感じられる。
 だとすれば、選手の代理としてファンの憤りを受け止めるのも、代理人の使命のうちなのかも知れない。blogへの書き込みに生真面目に答え続ける田邊のコメントを読むと、そんな気もしてくる。
 彼のやり方を全面的に肯定したり支持するわけではないけれど、例えばジャイアンツの上原が、球団と代理人交渉を続けていながら、同時に自分自身もHPやメディアを使って交渉内容に関わるコメントを発表するというやり方は、あまり釈然としない。あれでは球団との齟齬を深めるだけではないだろうか。代理人に戦略性が感じられないのが気になる。
 そういう半端な例に比べれば、汚れ役に徹して選手を守っている田邊の姿勢には、はるかに高いプロ意識が感じられる。
 もっとも、NPBの代理人に関する現行のルール(弁護士に限る。一人の代理人の顧客は一人まで)が存在する限り、日本野球界にまともなプロの代理人が育つはずもないのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

持て余す山本、育てるオシム。

 ほんとかよ、と思っていたが、とうとう決まってしまったらしい。
 ジェフ市原の村井と茶野の、ジュビロ磐田への移籍だ。
 守備の要で代表にも選ばれた茶野と、左サイドのスペシャリストで、代表に近いと目されていた村井(代表の試合で、左サイドでもたもたしているアレックスを見るたびに「ジーコはなぜ村井を呼ばない」とイライラした人は多かったはずだ)。
 そこを、ごそっと抜いていくのだから、ジュビロの補強は、えげつないの一言に尽きる。

 このオフ、もっとも積極的に補強に動いたのはジュビロだった。GK川口、FWチェ・ヨンス(彼も元ジェフだ)、そして、この2人。何が何でも優勝を取り戻すという不退転の決意が感じられる。
 問題は、それを使う監督にある。

 昨年のアテネ五輪の結果によって、一般国民(五輪の視聴者は「国民」以外に呼びようがない(笑))からは「ダメ監督」の烙印を押された山本昌邦監督を、ジュビロは「再建の切り札」として呼び戻した。もちろん、「いずれは山本で勝負」というのが近年のクラブとしての総意だったのだろうから、一度の失敗でそう簡単に路線を変えるはずもない。
 全面的にダメ監督かどうかは私にはわからないが、一言でいえば、「テストを終える前に本番が終わってしまった」というのが、アテネ五輪(とそこに至る準備)を見ての感想だった。

 山本監督の下、アテネ五輪を目指す代表チームが立ち上がってから本番まで2年以上あったと思うが、この間、いったい何人のキャプテンがチームを去ったことだろう。うろ覚えだが、前身のワールドユース代表では羽田だった。森崎(のどちらか)や青木がキャプテンだったこともあったような気がする。そして、最終予選で強靱なキャプテンシーを発揮した鈴木啓太が本番では外され、アテネに入ってからも那須が更迭されて最終的に小野伸二になった。2004年3月から8月までの、わずか半年だけでも3人である。
 キャプテンマークの行方に象徴されるように、このチームは、集合するたびに芯がごそっと入れ替わり、いつでも「昨日今日集まったばかりのチーム」のように見えた。もちろん、絶えず新しい戦力を加えるのは当然だけれども、山本はチームの根幹を平気でいじってしまう。最終的に、それまで全くチームに関与していなかった小野と高原を軸にしようとして失敗したのは周知の通りだ。

 要するに、山本という人は、選択肢があればあるほど迷ってしまう性格なのではないかと思う。彼がほとんど唯一、戦術と采配の妙を発揮したアジア最終予選では、選手の大半が胃腸をやられて、11人のスタメンを揃えることさえ困難だった。選択の余地がないから、迷う余地もなかったのである。
 そんな人物に対して、ジュビロはこれでもかとばかりに選択肢を増やし続けている。それが本当に彼らが望む結果につながる準備なのだろうか。おまけに今年は1シーズン制。「ファーストはテストでセカンドに勝負」というわけにはいかない。
 シーズンが終わった時、山本昌邦が「来季に向けて、いい経験を積むことができました」といういつもの台詞を繰り返す姿が想像できてしまうのは、私の偏見の故だろうか。

 さて、一方のジェフ。ただでさえ厚くない選手層から、生え抜きの主力2人をごそっと引き抜かれた。
 この2人の移籍がジュビロから正式発表される前日に、ジェフにとっては最大の懸案事項だった「オシム留任」が報道された。
 実は、オシムの去就がはっきりせず、2人の移籍が噂になっていた時期には、「2人がジュビロに移り、これじゃやってられないとオシムも手を引いたら、ジェフは壊滅だな」などと、いたましい気分でいた。

 とんでもない間違いだった。私にはオシムという人が全然わかっていない。
 留任決定のタイミングを見ると、むしろオシムは、2人がクラブを去ったからこそ、今季もジェフを引き受ける気になったんじゃないだろうか、とさえ思えてくる。
 オシムは選択肢がなければないなりにチームを作る。手持ちの戦力をやりくりし、不足分は選手を鍛えて育てあげ、どうにか闘える状態にもっていくという過程に、彼は監督としての喜びを感じているのだろうと思う。
 戦力の充実したチームでやりたいのなら、欧州からいくらでもオファーがあるはずだ。代表監督へのオファーだってあるだろう。それでも彼はジェフを選ぶ。

 かつて戦力を持て余して失敗した監督は、再び持て余さんばかりの戦力を与えられた。
 育成上手な監督は、ただでさえ少ない戦力をさらに減らされ、意欲を燃やしている。
 見事なまでに対照的な状況にある2人の監督が対決する今季の“遺恨試合”、今から楽しみだ。


追記:
尊敬する武藤さんが、2/25のエントリー「山本氏の収集癖」で、山本ジュビロの敵は「質量ともに抱え過ぎた選手なのではなかろうか」と書いておられる。意見が合って嬉しいのでTBさせていただきます。


さらに追記:
4/13に行われた今季最初のジュビロ-ジェフ戦は3-1でジェフの圧勝。茶野が退場、村井はジェフの3点目につながるミス、チェ・ヨンスは途中交代(代わったカレンが唯一の得点)。愛犬家の皆さんはさぞや溜飲が下がったことだろう。
試合後の会見でオシムはこう話している。
「ジュビロというのは一つの世代で成り立っていて、そこからチームを変えるのは難しいと思う。すごく彼らのいい時代というのが一つ区切りがついたのではないか。新しいチームを作るには時間が必要だ。ただ、ジュビロがいいチームになるということに疑いはない。以前のジュビロのようなエレガントなプレーはしないかもしれないが、ガツガツいくような強いチームにはなるのではないか。ただし、忍耐は必要だろう。」

| | コメント (5) | トラックバック (0)

テレビの時間。あるいは制作現場への圧力について。

 自民党の圧力によって自分が手がけた番組内容が改変された、とNHKのチーフプロデューサーが開いた記者会見は、ずいぶんと大きな話題になった。
 NHK幹部が自民党の圧力に屈したかどうかについては、私はほとんど興味がない。どうせ、日常的に屈しているに違いない。もちろん、それは正義に反することだけれども、「けしからん」と言ったくらいで安倍晋三が反省して態度を改めることはありえない(現にそんな兆候は微塵もない)。

 制作現場の人間にとって大事なのは、日常的にやってくる圧力に対して、どのような手練手管を用いて相手や上司の目をごまかし、やりたいことを実現するかに尽きる。
 具体的には、三谷幸喜が『ラヂオの時間』や『笑の大學』で繰り返し描いているようなことだ。『ラヂオの時間』の中で、ラジオ局の脚本懸賞に投稿して、当選した自作がラジオドラマ化されることになった主婦は、プロデューサーからの要請で脚本がズタズタに改竄されるのを目の当たりにしてブチ切れ、「ホンの通りにやってくださーい!」と絶叫する。彼女は三谷自身を投影しているのか、と聞かれた三谷は、「あの主婦は嫌いです」と答えていた。「それでも何とかするのがプロというものです」と。
 そういう文脈から見ると、NHKのチーフプロデューサーの今回の会見は、戦術としてはうまくない。彼の目的は「圧力に屈した上司」を告発することにあったのだろうが、具体的な政治家の名を挙げてしまえば、必然的に政治家たちの攻撃を受けることになる。しかも、それは伝聞情報に過ぎないのだから、むざむざ相手に攻撃材料を与えているようなものだ。もっとましなやり方はなかったものかと思う。

 一視聴者として、私がこの件についてもうひとつ態度を決めかねているのは、当該の番組そのものを見ていないからだ。もちろん、「表現の自由」の建前として、「内容にかかわらず政治家が番組内容に口出しするのはけしからん」とはいえる。しかし、いかなる政治的立場の人間が見ても公平を欠いているような番組だってありうるのであって、その点について番組を見ていない私は判断のしようがない。見ようと思っても手段がない。NHKのアーカイブセンターに行けば見られるのだろうか?だとしても、わざわざそこまで足を運んでいるほど暇でもない。

 だが、そもそもテレビというのは、そういうものではないかとも思う。送りっ放しだから「放送」という。放映した端から消えていくのが電波媒体の最大の特徴だ。最近ではアーカイブ化が進んだり、ネットを通じて録画された動画が流通したりと、多少は残留性を帯びてきてはいるけれど、図書館やデータベース、ネット書店を通じてたやすく追跡できる紙媒体に比べれば、問題の番組を見ることの困難さは、まったく次元が違う。ほとんど不可能といってよい。

 ここで、放送の非残留性を批判するつもりはまったくない。むしろ言いたいことは逆で、どのみち送った端から消えてしまうものを作っているのだから、件のチーフプロデューサー氏は、終わった番組のことなど忘れて、次の番組を作ればいいのに、と思う。
 4年も前のことをくどくど悩んだり蒸し返して揉めたりしている暇と労力があるのなら、それを新しい番組を作ることに費やせばよいではないか。彼が表現したいことを余さず表現し、上司や政治家が口を出す隙のない次の番組を作ればいいではないか。
 世間を巻き込んで騒ぎを拡げたところで、今さら番組の内容を元に戻して放映することはできないのだ。彼が誠意を尽くすべき対象は、いま手がけている番組と、これから作る番組であり、過去に作った番組ではない(現場でできることに限界を感じ、万策尽きて自爆テロとしての会見を開いた、ということなのかも知れないけれど。改竄どころか、そもそも同種の企画すら通らなくなっているのかも知れない)。
 実質的には、今回のことで、NHK内部で彼のプロデューサー生命は終わるのだろうと思う。暴論を承知で言うけれど、どうせ終わるのなら、たとえば、圧力を無視して元の番組を独断で放映し、「言われた通り公平公正にやりました!」とぬけぬけと言ってのけるような蛮行によって処分されることの方が、はるかに彼自身の目的に合致したものになったのではないだろうか。

 民放はこの問題をワイドショーやニュースショーでずいぶんと大きく伝えていた。水に落ちた犬を叩くのが大好きな彼らにとっては恰好のネタだったわけだが、もしかすると、それだけではない。たぶん民放の制作現場の人々は、政府のほかに、大小のスポンサーから絶えずくだらない干渉を受け続け、それをごまかしたり騙したり妥協したり、たまには無視して後で謝ったりしながら、日々番組を作り続けているはずだ(テレビに限らず、どんな仕事でも、責任者というものは、部外者からの干渉を逃れるための無数の些事に、かなりの労力を割いているはずだ)。
 そういう日常に比べれば、NHKのプロデューサーというのはずいぶんと青臭くて甘っちょろい商売だな、と民放の人々は思ったのではないかと、私は勝手に想像している。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

ティノがブロンクスに帰ってくる。

 2003年9月、私が初めてヤンキースタジアムを訪れた時のこと。
スタンドにいたファンの何割かは、ヤンキース選手の名前と背番号が書かれたTシャツを着ていた。JETER、GIANBI、POSADA、MATSUI……。「RUTH 3」や「GEHRIG 4」といった往年の名選手のTシャツも目に付いた(当時のユニホームには、名前は書かれていなかったはずだけれど)。

 私が座った席のすぐ前の男性は、「MARTINEZ 24」のTシャツを着ていた。この年のヤンキースの背番号24はルーベン・シエラ。だが、彼が支持していたのは、2年前にチームを去ったティノ・マルティネスだった。
 引退した選手ならともかく、ティノはセントルイス・カージナルスでプレーする現役選手である。「KAWAI 0」と書かれたTシャツを着て東京ドームに通う読売ジャイアンツのファンがいるだろうか(いたら敬意を表したい。というより自分が着たいくらいだ)。
 この地味な一塁手が、どんなにヤンキースファンに愛されているかを、改めて感じた。

 ティノへの愛着を最初に実感したのは、同じ年の6月だった。出張先のホテルで点けたテレビが、リーグ交流試合のヤンキース対カージナルスを中継していた。
  ビジターであるカージナルスの攻撃中に、突然、観衆から大きな声援がおこった。ティノが打席に立ったのだ。2001年を限りにニューヨークを去って以来、彼が初めてヤンキースタジアムを訪れたのが、この日だった。見慣れないユニホームに身を包んだ、見慣れた立ち姿に、ニューヨーカーたちは「ティノ! ティノ!」と大合唱を始めた。

 以前、このblogでトーリ王朝を支えた主力選手たちについて書いたことがある。ジーター、バーニー、ポサーダ、リベラ、ペティートというリストに、もうひとり付け加える名があるとすれば、それはティノだ。
 1995年、ヤンキースはポストシーズンのディビジョンシリーズで逆転負けを喫し、ALCS進出を逃した。そしてそのオフ、この時に敗れた相手であるシアトル・マリナーズから主力打者を引き抜く。その男、ティノ・マルティネスは期待通りに活躍した。
 毎年のように100打点を挙げたティノは、チャンスに強い四番打者として、トーリ監督の、チームメイトの、そしてファンの信頼を一身に受けていた。彼と同じ96年からヤンキースのユニホームを着たトーリが勝ち取った4度のワールドチャンピオンのすべてにティノは参加している。

 そんなティノがチームを去ったのは、アスレチックスから巨砲ジェイソン・ジアンビーが移ってきたからだった。同じ一塁手、同じ左打者であるジアンビーの控えに甘んじるのを嫌ったティノは、ナ・リーグのカージナルスに去った(おかげでジアンビーは「ティノを追い出した男」としてヤンキースファンに恨まれ、チームの一員と認められるまでかなりの時間を要した)。
 引退したマーク・マグワイアの後釜に、と期待されたものの、1年目の成績は凡庸なものに終わった。
 
 名誉挽回を期した2003年シーズンも、出足は決してよくなかった。ヤンキースと対戦した時点での打率は、2割6分前後に過ぎない。だが、この六番打者が打席に立つたびに、ニューヨーカーたちはティノの名を呼ぶ。Welcome Home TINO、いつでも帰ってきてくれ、とファンは叫ぶ。
 3連戦の2試合目、かつての僚友アンディ・ペティートから、ティノはライトスタンドに見事な本塁打を放った。球場中のファンが、立ち上がってティノに拍手を送った。アメリカの球場では、ほとんど考えられないことだった。
 ティノ、ニューヨークは君を忘れない。
 ヤンキースタジアムは、そう言っていた。

 2004年、ティノはタンパベイ・デビルレイズに移籍した。奇しくもヤンキースとの開幕2連戦が東京で行われ、始球式の捕手役を務めた後のゲームで、通算300号の本塁打を放った。
 このシーズン、タンパベイはチーム創設以来初めての70勝を挙げ、地区4位という、これも史上最高の成績を残した。若い有望株が揃ったチームの中で、歴戦のベテランであるティノが果たした役割は大きかったはずだ。
 だが、.262、本塁打23本、76打点という個人成績は、ヤンキース時代の実績と比べれば物足りないものだ。
 すでに37歳になった打者にとって、3年続けての不成績は不振ではなく衰えを意味する、と誰もが考えるはずだった。

 そのティノ・マルティネスと、ヤンキースは契約した。
 このオフ、ヤンキースは控え一塁手を一掃した。ジョン・オルルッドもトニー・クラークも解雇された。
 レギュラー一塁手であるはずのジアンビーは、ドーピング使用の発覚で現役生活の危機にある。キャッシュマンGMは公式には「彼はチームの一員だ。復帰を待つ」とコメントしているが、それが本心だとしても、そもそも昨年は原因不明の内臓疾患(もはや原因は明らかかも知れないが)によってシーズン後半を棒に振っており、今年まともにプレーできる保障はない。
 いったいヤンキースは一塁をどうするつもりなのか、と思っていたら、答えはここにあった。

 日本経済新聞1/11付夕刊のコラム「メジャーリポート」で丹羽政善が、昨年春の東京遠征の際、ティノがジーター、アレックスと一緒に寿司を食べに行った、というエピソードを紹介している。
 公の場では互いを「親友」と呼ぶジーターとA-RODは、しかし、A-RODがシアトルからテキサス・レンジャーズに法外な高額契約で移籍した際に、ジーターより自分の方が価値がある、という意味のコメントをした頃から微妙な緊張関係にあるらしい。丹羽はこう書いている。
 「後日、ニューヨークの記者にその話をすれば、やはり目を丸くした。『信じられない』」

 このオフ、ティノがFAになった頃、ホーヘイ・ポサーダは「復帰すれば正解だったということがたくさんあるだろう。本当に一緒にプレーしたいね」とティノの獲得を求めていたという。
 96、98、99、2000年と、トーリ監督の下で4度のワールドチャンピオンを勝ち取った時期のヤンキースは、決してスーパースター軍団ではなかった。投手陣こそ豪華だったが、野手陣のオニール、ブローシャス、ノブロック、ジラルディらは、現在も在籍するバーニー、ジーター、ポサーダも含めて、むしろ“仕事師”という印象が強い(元タイトルホルダーのボッグスやフィルダーは、すでに峠を越えていた)。
 全盛期のスーパースターをかき集めはじめたのは、一塁手をティノからジアンビに替えた2002年以降で、それ以来ヤンキースはワールドシリーズに勝っていない。
 組織の力で勝つのがトーリ監督のスタイルであり、ティノはその最盛期に要だった選手だ。打線の中心だっただけでなく、選手間の人望も厚かった。A-ROD、そして新たに加入するランディ・ジョンソンとはシアトル時代のチームメイトでもある。
 ヤンキース復帰が決まったティノは、ジアンビについて、こんなことを話している。
 「彼が復帰すれば僕はベンチだ。奇妙な状況だよね。僕は、それが何であれ、チームのためになることなら実現してほしいと思っている。彼が復帰すればチームを勝利に導くだろう。ならば、それを望むまでだ」
 こういうことをさらっと言える男がベンチに座っていれば、それだけでチームに好影響を及ぼすに違いない。
 丹羽の記事で、先のニューヨークの記者は、こうも話している。
 「ヤンキースは、彼のフィクサー的な力に期待して呼び戻したのかな」

 ジョー・トーリが信じている古い格言に、こういうのがあるそうだ。
 「きみをここまで連れてきた者とともに行け」
 ティノはまぎれもなく、トーリをここまで連れてきた者のひとりだ。
 前にも書いたように、トーリ王朝は確実に終焉に近づいている。ティノの現役生活も然り。最後の栄光に、彼らはともに挑もうとしている。

 春が来て、ブロンクスのグラウンドに、ピンストライプのユニホームを着たティノが立つ時。ヤンキースタジアムの観衆は、また立ち上がって彼を迎えるのだろうか。


追記
その日のヤンキースタジアムがどうであったかは、こちらのエントリを参照されたし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

誤読される流行語。 〜「負け犬」をめぐって〜

 東京新聞1/11付の特報面「本音のコラム」に、ノンフィクション作家の山下柚実が「負け犬問題」について書いている。新成人の意識調査で「早く結婚したい」という女性が2年前の11%から23.9%に急増したこと、それを伝える記事(が何のメディアのどの記事かは明記されていない)が、回答の背景を「『負け犬』になりたくないという心理が働いているのでは」と分析していたことについて、山下は次のように激しく反発する。

「『生きる』という複雑な現実を前にして、『勝ち・負け』という単純な二分割を、いまだに何の躊躇もなくあてはめるトンマな言説。単純な脅し文句に反応するその素朴さ、素直さ。質問を疑問なく受け入れる実直さは、うらやむばかり」

 ここで山下がむきになって否定しようとしているのが、酒井順子が思いついた「負け犬」(30代以上・未婚・子なし)という概念そのものなのか、早期結婚を望む新成人女性なのか、それを「負け犬になりたくない心理」と伝えたメディアなのかは、明確に記されていない。ただ、「トンマな言説」は『負け犬』という概念を、「脅し文句に反応」「疑問なく受け入れる実直さ」は新成人を、それぞれ批判しているのだと思われる。

 以前から気になっていたのだが、「負け犬」について言及する人々のうち、かなりの割合が、この概念を誤読しているのではないかと私は感じている。
 酒井順子の著書を熟読したわけではないのだが、彼女のエッセイやインタビュー記事などを読む限り、あれは「競争から降りた方が楽だよ」という提案なのだろうと私は思っている。

 前提として、「30代以上・未婚・子なし」の女性に対しては、周囲から「早く結婚しろ」「女は子供を産んで一人前」というプレッシャーが常にのしかかっている。それに対して「仕事が充実している」「結婚なんかしなくても全然困らない」といくら力説しても、既婚子持ち女性たちが抱いている優越感は微塵も揺るがない。
 どうせ議論が噛み合わないなら(しかも相手は論理を超越した確信に満ちている)、いちいち反論するのはやめて「へいへい私は負け犬でございます」と言ってしまった方が楽でいいじゃない、という、当事者なりのささやかな処世訓が、「負け犬」という諧謔的なレッテルに集約されている。相手に言われる前に、自分から言ってしまうところにポイントがある。自分の立場を相対化する視線によって、はじめて成立する概念でもある。

 従って、定義に該当する女性が「私は社会的に意義のある仕事をしている。結婚なんかする必要もないし、『負け犬』よばわりされる筋合はない」などと真正面から反論してしまったら、議論は振り出しに戻り、ひたすら不毛の循環が続くことになる(実際、それに近いことを力説している女性を見たことは一度ならずある)。

 もちろん一方では、「キミみたいのを『負け犬』って言うんだろ」とニヤニヤしながら寄ってくる半可通オヤジだの、「ウチ、○○さんみたいな『負け犬』になりたくないしー」などと更衣室で聞こえよがしに口走るコムスメOLだのといった無神経な人種が、当事者たちの神経を苛んでいることは想像に難くないのであって、そんな女性たちにとって『負け犬の遠吠え』は、酒井の意図に反して迷惑な本になってしまったのだろう。自分から言うのならともかく、他人から「負け犬」呼ばわりされるのは、そりゃ不快に違いない。


 このような流布のパターンから、「老人力」という言葉を思い出した。「負け犬」と違って神経質に怒る人が少ないので、気づかなかった人の方が多いかも知れないが、この言葉も誤読の多い流行語だった。

 「老人力」は赤瀬川原平の造語で、確か97年ごろに同名書によって提唱された概念だ。
 赤瀬川やその仲間内で、高齢化とともに物忘れが多くなったり動作が鈍くなってきた時期に、老化現象を「能力の低下」ではなく「新たな能力の獲得」と考えてみよう、という一種の思考実験的な遊びが流行したらしい。つまり、「記憶力が低下」したのではなく「記憶を忘れる力が向上」した、とみなすわけだ。それらの総称が「老人力」である。
 たとえば「いやあ、兄んとこの電話番号が出てこなくてね、私も老人力がついてきましたよ」「○○さん、歩くのが早すぎますよ、ちょっと老人力が足りないんじゃないですか」などという会話は想像するだけでバカバカしいのだが、誰もが嫌がり怖れる「老化」という現象を、こうやって弄んでしてしまおうという強靱な諧謔心に、この言葉の面白さがある。

 ところが、当時の新聞や雑誌、テレビ番組などでは、明らかに「元気な老人」「老人パワー」という意味で「老人力」を用いた例が、いくつも目に付いた。本来の意味とは正反対の誤用である。せっかく赤瀬川が転倒させた概念を、もう一度ひっくり返して元通りにしてしまう頑固な人が世の中には結構多いらしい。
 「負け犬」についてもまったく同様。酒井が転倒させた概念を元通りに置き直した上で、蔑称ととらえることによって、上述したようなセクシャルハラスメントや年増ハラスメントに用いられてしまう。

 要するに、諧謔が通じない人が、世の中には結構多いのだ。
 酒井が看破した通り、人は、結局は自分が理解したいようにしか物事を理解しない。皮肉な話だが、たぶんどちらの言葉も、多くの人々に誤読されることによって、はじめて流行語たりえたのだろうと思う。
 酒井にとっての誤算は、同じ立場の仲間に向かって発したはずの言葉が、外側の人々にも広く使われるようになり、誤読されたまま一人歩きされてしまったことではないだろうか。そして、山下もまた、そんな誤読者のひとりであるように私には感じられる。

 山下のコラムは、上記の引用のあと、次のように続いていく。

「私なんか、まじめに答える時間があったら、『勝ち・負け』の前提そのものを、かき回していじりたくなる。まさしくおふざけ系。そもそも猫派だから、犬にたとえられることそのものを、拒否しちゃうもん」

 軽い文体をねらったのであろう山下の「おふざけ」は、ここでは見事なまでに滑っている。「しちゃうもん」に至っては痛々しくさえある。酒井や赤瀬川の「軽み」を裏打ちしている「『私』を相対化する視線」が、ここには欠落している。
 山下の書くものの多くは生真面目すぎるほど生真面目な文体で、興味のあるテーマだと思って読み始めても、なかなか最後まで読み切れないことが私には多い。人にはそれぞれ資質というものがある。酒井のような文体をまねるのは、山下には似合わない。
(私見では、女性の社会進出や結婚に対する生真面目さの度合や肩肘の張り具合は、現在の40歳あたりを境に、かなりの温度差があるという印象を受ける。もちろん上の人々の方が激しく生真面目なのだが、山下と酒井は、ちょうどこの線の上下2年づつに位置している。ちなみにこの境界線は、就職活動時に1986年施行の男女雇用機会均等法が存在したか否か、という時期とほぼ一致してもいる)


 ただし。
 「負け犬」言説に対する苛立ちや、滑った「おふざけ」は、山下の「ノンフィクション作家」としての価値を損なうものではないけれど、冒頭に引用した意識調査に対する見解は感心しない。

 「早く結婚したい」と回答した新成人の女性が急増した調査結果は現実に存在するとしても、それが「『負け犬』になりたくないという心理」によるものだというのは、調査機関か記事を書いた記者の勝手な推測に過ぎない。女性が結婚を急ぐ理由は他にもいろいろあるだろう。結婚を急ぐ女性は2年前より増えたかも知れないが、4年前、6年前と比べたらどうなのか。そして何より、「早く結婚したい」という回答は、増えたとはいえ23.9%である。決して多数派ではなく、若い女性一般を代表する意見とは限らない。

 そのような諸条件を考えると、新成人の女性たちが「単純な脅し文句に反応」したと判断できるほどの材料は、ここにはない。非難するのは早計だ。
 そもそも「早く結婚したい」のは批判されるようなことだろうか。そう回答したというだけの理由で彼女たちを非難することは、<結婚する/しない>という「単純な二分割を、いまだに何の躊躇もなくあてはめるトンマな言説」ではないのか。「『負け犬』になりたくないという心理が働いている」という安易な推測を「疑問なく受け入れる実直さ」は、うらやましくはなく、単に軽率なだけだ。こういう調査結果をいちいち「負け犬」に結びつけたがるメディアが気に入らないのなら、そう書けばいいのだ(そういう批判ならもっともだと思うが)。

 山下の著作は、ふだんはこんなに軽率ではない。「負け犬」関係の記事がよほど癇に障ったのだろうが、しかし、だからといってここまで冷静さを失っては、「ノンフィクション作家」として書く文章の信頼性を損なってしまう。文章における「おふざけ」は、山下が思っているほど簡単なものではない。
 それと、私は犬派でも猫派でもないが(あ、ここにも「単純な二分割」が(笑))、たぶん猫という生き物は、犬に例えられたとしても、まるっきり気にも留めないのではないだろうか。


追記
 この文章をアップする前に念のためと思い、書店の店頭で『負け犬の遠吠え』を立ち読みしてみた。酒井は前書きの中で、本書における自分の立ち位置や基本的概念を明確にしており、私が上で「前提として…」以下に記した認識に、特に訂正の必要はなかった。
 また、「人生が単純に勝ち負けで割り切れるものではないとわかってはいるが、あえて乱暴に分けてみる面白さもある」という意味のことも書かれている。おまけに、あとがきには「負け犬負け犬と連呼しているうちに、勝ち負けなどどうでもいいような気になってきた。このどうでもいい感じを読者にも共有してもらえればうれしい」ともある(記憶で書いてるので正確な引用ではありません)。
 要するに、山下がここで書いているレベルの批判に対しては、すでに原著の中に反論が織り込み済みなのだ。そのことに気づかずに声高に批判すれば、原著の読者の目には滑稽に映るだけだ。
 そして、「負け犬」を連呼することで、なし崩しに勝ち負けを無化しようという酒井の成熟した戦略(結果的にそうなっただけかも知れないが)と比べると、山下の生硬な言挙げは、いかにも素朴で素直なものに見えてくる。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004年の言葉。とりとめもなく。

 年が明けてからこういう企画をやるのはいかがなものかという気がしないでもないが、さっき思いついたので勘弁してほしい。2004年のスポーツ界を象徴するというわけでもなんでもなく、ただ私自身がたまたま耳にして、頭にこびりついてしまった言葉を集めてみた。高橋洋二の『10点さしあげる』のようなものだと思ってください。


「ニュージーランドに帰る前に、釜石でやれてよかった」
 2月某日・ラグビー 釜石シーウェイブスのアンドリュー・マコーミック選手/最後の試合を終えて
 かつて東芝府中で活躍し、日本代表キャプテンも務めたアンガス。日本選手権で関東学院大に敗れ、現役引退となった後の会見で、「釜石はニュージーランドと似ている。選手の家族が集まってバーベキューやったり、子供にラグビー教えたりして楽しかった。ファンも熱い。いいプレーはほめるけど、悪いと文句言う(笑)」と最後の選手生活を過ごした土地への愛着を語った。経済的なことを棚上げして言えば、釜石は日本で唯一ラグビーのクラブチームが成立する土壌を持つ地域なのかも知れない。

「日本、勝ちました!」
 8月某日・NHK刈屋富士雄アナウンサー/アテネ五輪体操男子団体で。
 「…栄光への架橋だ!」というあまりにも有名な決まり文句は、NHKの五輪テーマソングにひっかけて準備してました、という感じが露骨で、あまり好きではない。それよりもその直後、判定の表示を待たずに「勝ちました!」と言い切ってしまったところに、スポーツアナウンサーとしての矜持を感じた。「小西さん、どうぞ泣いてください」という解説者への言葉も、単なる放送席の内輪話にとどまらず、体操ニッポンの大先輩が感涙にむせぶ様子を視聴者に伝え、同時に解説者が何も喋れなくなった事情を説明する言葉として、適切だった。

「新聞やテレビは、合併とかストライキとか、自分自身も少し嫌気がさしますけど」
 9月某日・プロ野球 中日ドラゴンズの英智外野手/ヒーローインタビューで
 詳しくは「英智はいつも途方に暮れている」を参照されたし。

「プロ野球のファンはヌルいよね。サッカーで同じことがあったら、とっくに文京区のあそこに火をつけられてるよ」
 9月20日・広瀬一郎/シンポジウムKAWASAKI FOOTBALL FORUM「Jリーグとプロ野球」で、プロ野球の合併問題について。
 サッカーファンが多い客席は爆笑したが、野球界から出席したパネリストの小関順二、坂井保之の両氏は、「文京区のあそこ」がJFAハウスを指すのだと知らず、ぽかんとした表情だったのが印象に残る。

「とてもエモーショナルな週末になるだろう」
 9月30日・MLB シアトル・マリナーズのメルビン監督/シーズン最後のホーム3連戦を前に
 イチローがシーズン最多安打記録に王手をかけて臨んだ最終3連戦は、シアトルの英雄エドガー・マルティネスの引退興行でもあったため、チームはぶっちぎりの最下位であったにもかかわらず多くの観客が詰めかけた。グラウンドには「サンキュー、エドガー」の文字が記され、イチローの新記録、エドガーの引退セレモニーと、確かに監督の予告通りに。引退試合となった10月2日の試合では、長くDH専門だったエドガーに、デビュー当時のポジションだった三塁を守らせる粋な采配も見せた。彼はシーズン終了後に解任されたため、メルビンにとっても最後の三連戦となった。いちばんエモーショナルだったのは彼自身かもしれない。

「今日は、ごめんなさい。リーグ戦も、ごめんなさい」
 11月某日・Jリーグ FC東京の原博実監督/ホーム最終戦の後、観客への挨拶の冒頭に。
 ジェフ市原相手に0-2とリードを許し、かろうじて追いついて引き分けたという、ややふがいない試合だったので、謝らずにはいられなかったのだろう。北関東なまりというのは荒々しく聞こえることが多いのだが、この人の栃木弁は、のどかな印象を受ける。

「総合格闘技を舐めてました」
 12月31日・柔道家の滝本誠/「PRIDE男祭り」でのマイクパフォーマンスで
 格闘技のことはよくわからないのだが、初めてグローブをつけて試合をする柔道家が、体重ではるかに勝る元相撲取り・戦闘竜と殴り合いの勝負に出るというのは、やはり豪胆なことだと思う。3ラウンドの間に、当初の戸惑いを消化して、みるみる適応していった滝本。舐めていてもこれだけやるのなら、本気で準備したらどうなるのか見てみたい。


追記(2006.6.8)
「ほぼ日刊イトイ新聞」が2006年6月に「NHKアナウンサー刈屋富士雄さんインタビュー オリンピックの女神はなぜ荒川静香に『キスを』したのか?」を全20回で掲載、第4回で、この 「小西さん、どうぞ泣いてください」について語っている。まだ4回分しか読んでないが、刈屋アナの仕事ぶりの奥深さを垣間見ることができる、見事なインタビューである。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

遊びはマジになってこそ。

 正月はサッカー、アメフト、駅伝等々、さまざまなスポーツ中継が放送されるのが常だが、私が毎年楽しみにしているスポーツ番組は、実は試合そのものではない。TBSが元日の夜に恒例にしている『壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』だ。
 野球、サッカー、アメフト、ラグビー、格闘技等々、各分野の一流のスポーツマンが集まり、ビーチフラッグスや跳び箱、インターバル走など、番組独自のさまざまな競技で競い合う。一種の運動会のようなものだが、長く続いているだけあって、よくできた番組だと思う(今回が28回目だそうだから正月以外にもやっているのだろうが、私はなぜか正月以外に見たことがない)。

 よくできている、という意味は2つある。
 ひとつは、構成の妙。パワー、スピード、アジリティ、持久力など、異なる能力が問われる競技を幅広く用意することで、出身スポーツによる有利不利が相殺され、総合得点が拮抗して、最後まで勝負への興味が持続するようになっている。
 逆に言えば、競技特性が明瞭に現れるところも面白い。野球選手の持久力、体操選手の瞬発力、アメフト選手のパワー。数年前に総合優勝したラグビーの大畑は、パワーとスピードを兼ね備えた圧倒的な身体能力を見せつけていた。あれを見て以来、私のラグビー選手に対する尊敬の度合はかなり高まった(サッカー選手の能力は、うまく発揮しづらいように見えるが)。

 もうひとつは、選手たちを乗せる力だ。
 この手の番組の成否は、参加者たちをどれだけ本気にさせられるかにかかっている。いい加減にふざけてやられたのでは、見ている方は面白くも何ともない。その点でも、この番組はうまくいっている。競技の内容が適度にシンプルで、参加者の能力がほぼ正当に反映されるという点で、彼らの競争心をうまくそそるようにデザインされているのだろう。
 特別企画として、ハンマー投げや砲丸投げの一流選手を集めて行われた「ガロンスロー(樽投げ)」の競技中に、室伏広治が「最初はみんな遊び半分だったけど、目の色が変わってきたでしょ」と笑っていた。
 ストイコビッチやジーコが周囲の人々に「ジャンケンでも負けるのを嫌がる」と言われていたのを思い出す。そうやってムキになることも、一流のスポーツ選手の才能のひとつなのかも知れない。だいたいがスポーツそのものも遊びの延長のようなものなのだから。大の大人が棒で球をひっぱたいたり蹴飛ばしたりすることに命をかける、ということ自体がすでに酔狂な話なのだ。

 スポーツ選手がタレントにいじられてヘラヘラと笑っている姿ばかりが目に付く正月の特別番組の中では特筆すべきことに、この番組には、競技への出場者とレポーター役のアナウンサー以外は一切出てこない。このストイックな姿勢はおそらく、番組を演出する上で、視聴者を競技そのものに集中させることがベストだと制作者たちが判断しているからに違いない。
 一方でこのテレビ局は、野球やサッカーの中継では、しばしば放送席にタレントを並べて無意味なコメントを求め、世界陸上では執拗に織田裕二を起用し続けている。本末転倒というか何というか…。

 いっそ一度、野球中継や世界陸上の放送も、筋肉バラエティのプロデューサーに任せてみてはどうだろうか?
 アナウンス原稿が大袈裟、やたらにCMまたぎを多用する、という点にさえ目をつぶれば、この手の番組の方が、よほどスポーツの醍醐味を伝える術を心得ている気がするのだが。
 (現実に両者の制作が別系統なのかどうかは、よく知りませんが)

 というわけで、今年も正月からスポーツ馬鹿です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »