奥田英朗『泳いで帰れ』光文社
東京オリンピックのころの新聞や雑誌を紐解いてみると、当時の名のある小説家たちが、競ってオリンピックの観戦記を書いていたことがわかる。
その38年後に開かれたサッカーのワールドカップは、東京オリンピック以来の、国民の多くが熱狂する大規模な国内スポーツイベントとなったが、では人気作家が大量に観戦に駆りだされたかといえば、あまり印象に残っていない。誰か書いてましたか。私が覚えているのは三谷幸喜(「劇」のつく作家ですが)が朝日新聞の連載エッセイに書いていたくらいだ。活字媒体を賑わしていたのは、スポーツライターか、もともとサッカーやスポーツについて書いていた小説家がほとんどだった。
これは文化現象一般における小説家の地位低下を示すものなのかも知れないが、昭和39年当時にはスポーツライターという職業は日本に存在しなかったから、コラムを頼む相手として小説家以外の選択肢はなかったというだけのことなのかも知れない。
最近のオリンピックでも、小説家の観戦記を目にすることは多くない。シドニー五輪では、村上春樹が本を出した程度だったと記憶している。
昨夏のアテネ五輪では、小説家による観戦記は、私が知る限り、この一冊だけだ。直木賞作家・奥田英朗が書いた『泳いで帰れ』。奥田はその夏に直木賞を受賞したばかり、旬の作家といってよい(実は奥田は、アテネ旅行の日程と重なったという理由で授賞式を欠席している(笑))。
奥田は、スポーツ全般に対して深い知見を持っているというわけではない。むしろ、野球以外はほとんど初心者に近い。本書を書くことになった経緯も、酒の席で「アテネで長嶋ジャパンを見たい」と話したら、編集者が本当に段取りをつけてしまったという、しごく衝動的なものだ。もちろん取材パスもない。宿や交通や試合チケットの手配は編集者がしてくれるという特典はあるけれど、一行(といっても2名)全体は、単なる旅行客に過ぎない。
もとより「長嶋ジャパンを見る」以外には大それたテーマなどないのだから気楽なものだ。はじめて見る競技やギリシャの風物、世界中から集まってくる人々について、奥田は独特の韜晦を交えながらも、興味津々に記述していく。「酔っ払いのオヤジ」としてアテネをうろつく軽妙な描写は、奥田の得意とするところだろう。
唯一、彼が本気になるのは野球を見る時だ。地中海独特の強い日差しと暑さに辟易しながら、奥田は日本代表の戦いぶりに一喜一憂し、そして、怒る。とりわけ、予選リーグ終盤から日本代表が多用しはじめたバントに怒る。
であるから、準決勝では烈火の如く怒りまくる。1点を追う九回裏、先頭の城島がセーフティーバントを試み、失敗。
「わたしは唖然とした。なんだって?バントだって?同時に猛然と怒りがこみ上げてきた。この初球セーフティーバントは、自分が何とかしようとする者の行為ではない。あとは頼むという、責任回避の行為だ。四番がこれか」
三位決定戦でも、日本代表は同じようにコツコツとバントを重ね、リードを広げる。場内の日本人観客は喜ぶが、奥田はひとり不機嫌だ。
『泳いで帰れ』という書名は、この時の奥田の心の叫びを意味している。
奥田は選手をなじる。居丈高な口調である。だが不思議なことに私は、たとえば村上龍や馳星周が居丈高に日本のサッカーをなじる時の不快感を覚えることがなかった。
奥田は居丈高ではあっても、無謬性の高みに自分を置いているわけではない。そこが村上や馳との違いなのだと思う。もっともらしい世界基準に照らして日本野球を批判しているのではない。奥田自身が考える野球選手のあるべき姿を満たしていないから怒っている。
それは、はるばるアテネまでやってきてスタンドで応援するファンの権利でもある。厳密に言えば奥田の自費ではないけれど、アテネまで持参してスタンドで着ていたという中日・福留のユニホームに免じて、そこは問わないことにする。
40代半ばの男性が幼少時から中日ドラゴンズの熱狂的ファンであったということは、彼が「優勝を争いながらも結局は勝てなかったペナントレース」を誰よりも多く経験してきたことを意味する。報われるのは10年に一度。だが喜びも束の間、日本シリーズではことごとく敗退し、そのまま屈辱の冬を過ごす。選手は入れ替わるが、ファンは何度でも同じ目に遭う。
中日ファンであるというのは、そういうことだ。勝利を熱望しつつ、しかも勝ち負けだけでない美意識や哲学を持たなければ、ファンである自分を支え続けることはできない。単なる「金メダル大好き」の五輪客とはメンタリティが異なるのだ。
(と想像するのですが、いかがでしょうか、中日ファンの皆さん)
他の競技で誰がどんな負け方をしようと、奥田は怒ったりしない。楽しみにしていた井上康生が敗退しても、驚き悲しむだけだ。野球場でのみ、態度が違う。奥田は「年季の入った中日ファン」の矜持をもって、長嶋ジャパンを罵倒する。それはどこかから借りてきた理屈ではなく、奥田の45年の人生の中から滲み出てくる必然性を伴った態度なのである。
もうひとつ、印象に残っていることがある。
開催期間中、あれほどテレビや新聞や雑誌でアテネの情報にさらされ続けていたにもかかわらず、奥田がだらだらと記すアテネでの日常は新鮮に映る。奥田が経験した会場の暑さやギリシャ料理の味など、出来事のひとつひとつは、たぶんどこかで私の目にも触れているはずなのに。
たぶん、マスメディアが細切れの時間や面積の中で伝えてくる断片情報をいくら集めたところで、決して全体像となることはないのだ。ひとりの人間を現地に放り込み、すべての体験性情報を、彼のフィルターを通過させることによって、はじめて全体性を伝えることが可能になる。そこにおいて、奥田という小説家の観察眼や筆力が生きてくる。
今では東京オリンピックの頃にはなかったスポーツ総合誌がいくつも生まれているが、そのほとんどで、同じような顔触れのスポーツ専業ライターが、同じような文体で、同じように選手の内面に寄り添おうとする。一般の新聞記事ですら、似たようなことになっている中で、本書は「作家の観戦記」というものの価値を再認識させてくれる一冊だ。
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