ドーハの「悲劇」が残したもの。
最近、と言っても、すでに1、2年前のことになるが、CS局フジテレビ739が「日本サッカー黄金伝説」と題して、93年に行われたワールドカップ・アメリカ大会最終予選を連続放映したことがあった。
この再放送で、日本-韓国戦を見ていて驚いたことがある。
ご承知の通り、この日韓戦はカズのゴールで1-0で勝ち、最後のイラク戦にアメリカ行きの希望をつなげた試合だった。
場面は1点をリードした終盤。何が何でも逃げ切りたい状況の中で、カズ(もしかしてラモスだったかも)がサイドからゴール前に放り込んだ。受ける者はいない。ボールは韓国側に渡った。
このクロスが蹴られた直後、オフト監督が血相を変えて立ち上がり、何やら叫ぶ姿が画面に映し出された。しかしアナも解説者も、このプレーやオフトの反応について、何も言及しない。何事もなかったかのようにゲームは進行し、試合終了とともに、中継は日本の勝利を祝った。
覚えている方も多いと思うが、この次に行われた日本-イラク戦でも、同じようなプレーが繰り返されている。
1点リードして、このまま逃げ切ればワールドカップ出場が決まるという終盤に、武田が右サイドから蹴ったクロスが、そのまま相手に渡り(正確にいえば一度取り返した後、ラモスの縦パスがDFに阻まれて)、逆サイドから反撃を受け、シュートをGK松永が辛くもはじいてコーナーキック。そして同点劇へと試合は進んでいった。
当時、右サイド深くでフリーになりながら相手DFにパスを出してしまった武田は、ずいぶんと批判を受けた。「じっくりボールをキープして時間を稼がなければならない状況で、相手にボールを渡すとは何事か」と声高に非難する人は多かったし、私も同じような不満を抱いた記憶がある。
だが。同じくらい食い入るように集中して見ていたはずの韓国戦で同じプレーがあったことについて、私は全く覚えていなかった。
私だけが間抜けだったのならいい。だが前述の通り、アナウンサーも解説者も、そのプレーを危険だと認識してはいなかった。
だとすれば、これは武田ひとりのミスではない。同じようなプレーはおそらくは他の試合でも繰り返され、見過ごされてきたのだろう。気づいた人もいたかも知れないが、修正されることはなかった(監督のオフト自身、気づいてはいても次の試合で防ぐことができなかった)。
メディアもファンも含めた日本サッカーの水準が、当時はその程度だったのだと考えざるを得ない。それが、「悲劇」と呼ばれたものの正体だった。
今では、U-20の大会や高校サッカーでも、リードした側の選手が試合終盤、相手コーナー付近でいやらしくボールをキープして時間を稼ぐというプレーが、当たり前のようにされている。たぶん、彼らは11年前に、テレビの前であのプレーを見たはずだ。あるいは、あのプレーを見た指導者に、リードした終盤の逃げ切り方について厳しく叩き込まれているはずだ。
あの時、ドーハのピッチに立っていた日本人は11人に過ぎない。だが、数えきれないくらいの日本人が己の痛みとして体験したあの瞬間は、日本サッカーそのものの記憶として刻み込まれている。ヴェルディの森本のように、当時小学校にさえ上がっていなかった年代の選手たちにも、それは何らかの形で共有されているのだろうと思う。
29日に行われたカザフスタン戦の結果に対して、「勝って浮かれ過ぎているだけでは、本番に突入した時に、痛い目に遭うことを忘れないでもらいたい」と声高に書き立てた辛口評論家がいた。これを読んで、金子達仁の「喜びすぎたチームは次に負ける理論」を思い出した。
この「理論」は金子の一種の持ち芸で、彼はワールドカップ・フランス大会のころから、何かといえば持ちだし続けてきた。日韓大会で日本がロシアに勝った翌日の新聞にも、金子は「喜ぶな」と書いた。
彼がこの「理論」の根拠として挙げるのは、たとえばドーハの「悲劇」であり、あるいはマイアミの奇跡的勝利の後の敗戦である。
そのドーハやマイアミの後、各年代の日本代表は何を経験してきたか。
99年4月、ワールドユース。グループリーグの初戦で敗れたが、続く2試合を連勝し、トーナメントを勝ち上がって決勝に進んだ。
99年7月、コパアメリカ。2敗1分、グループリーグ敗退。
2000年9月、シドニー五輪。グループリーグに2連勝しながら勝ち抜きが決まらない。3試合目のブラジルに負けたものの、得失点差で辛くも決勝トーナメントに進出。1回戦で延長の末PK負け。
2000年10月、アジアカップ。ほぼすべての試合に圧勝して、ぶっちぎりで優勝。
2001年6月。コンフェデレーションズカップ。グループリーグに2勝1分けで勝ち抜き、決勝進出。
トルシエが各年代の代表を率いた4年間だけをとってみても、日本代表は、およそグループリーグに起こりうる大抵のことを経験している。グループリーグにおけるヌカ喜びというものについても、彼らは実体験として、あるいは同時代的な記憶として、知り抜いている。もはや、同じ轍を踏もうとしても、油断することの方が難しいのではないか。
2002年大会でロシアに勝った日本代表に、泣いている選手は(テレビで見る限り)いなかったし、試合後のインタビューでは「もう少し笑えよ」と思うくらいに誰も彼もが淡々としていた。
次のチュニジア戦の結果については説明するまでもない。選手たちの経験は、4年前と同じ芸で原稿料を稼ごうとした無精なライターの想像を超えて、彼らを成長させていた。
現在の日本代表の主な顔触れも、当時とさほど変わらない。
ジーコが監督に就任してからの2年半は、決して順調に来たわけではない。格下の相手に苦しみ抜いた試合がいくつもあった。期待された結果を残せなかった大会もあった。それでも彼らは、2年間の歩みをアジアカップ優勝という成果に結びつけた。
もちろん、カザフスタン戦の内容は完璧とはいえない。修正しなければならない点は、いくつもあると思う。
だからといって、選手たちが勝利に浮かれているとも思えない。彼らは必要な準備を粛々と行なっているはずだ。
最終予選を楽観するつもりはない。だが、過度に悲観する必要もない。
私は彼らの力量を信頼している。
そして、日本サッカーのこの12年の経験もまた、恃むに足るものだと思っている。
少なくとも、最終予選に勝ち残ることを信じられる程度には。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
こんにちは、興味深い読ませていただきました。
ドーハのイラク戦を鮮明に思い出しました
>一度取り返した後、ラモスの縦パスがDFに阻まれて
このシーンです。僕はTVにむかって
「ラモス!なんでキープせぇへんねん」
って叫びましたよ。
案の定ですわ。。。
あれいらい代表戦を見てるときに、嫌な予感がしても声に出さないようにしています。
だってよく点とられたり、小野が怪我したり
結構よくないことが起きるもんで。
投稿: あっちゃん | 2005/02/01 13:35
>あっちゃんさん
いらっしゃいませ。
>「ラモス!なんでキープせぇへんねん」
>って叫びましたよ。
>
>案の定ですわ。。。
そう、それなのに批判されたのは武田ばかり。
親分格のラモスには文句も言えなかったのでしょうか(笑)。かわいそうな武田。
この場面、DVDで確かめたところ、武田のパスが相手に渡った直後にベンチから立ち上がって叫ぶ都並の姿が映っています。結果的には、彼のいない左サイドから失点してしまったわけで、これも「嫌な予感」だったのかも知れません。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/02/01 20:34