シュンスケ・コールが響く前に。
北朝鮮を埼玉スタジアムに迎える試合を前に、中村俊輔を先発で使わない、とジーコが言い出した時、3年前のある試合のことを思い出した。
2002年4月。自国開催のワールドカップまで2か月を切っていた時期に、横浜国際競技場で行われたコスタリカとの親善試合だった。短いパスをテンポよくつないで組み立てるコスタリカに苦戦した日本は、後半25分、明神が右サイドから上げたクロスがそのままゴールに飛び込み、幸運な先制点を挙げる。
経過はともあれ、1点リードして残り20分。試合巧者とはいえない日本にとって、僅差の厳しい終盤を逃げ切るための絶好のシミュレーションができる。そう思った矢先に、ピッチを取り囲むスタンドのすべてから大きなコールが沸き上がった。「シュンスケ!シュンスケ!」と呼ぶ声は、高く、柔らかいものだった。
この時期、代表における中村の立場は不遇だった。
2000年のシドニー五輪やアジアカップで力を発揮したにもかかわらず、トルシエ監督は中村をレギュラーに定着させようとはしなかった。中村は、若い女性と、スポーツメディアと、「個性至上主義」ともいうべき一部のサッカーライターたちから絶大な支持を受けていたので、トルシエはしばしば批判に晒された。
その夜も、中村は試合開始からベンチにいた。試合を中継したテレビ局のアナウンサーは、行われている試合そっちのけで「中村シュンスケはいつ登場するのでしょうか」「中村シュンスケがアップをはじめました」と彼の様子を伝え続けたという(代表に中村姓はひとりしかいないのに、なぜアナウンサーたちは彼をフルネームで呼ぶのだろう)。
トルシエが、この試合を勝ち切ることに重点を置くのなら、必要なのは別の選手だ。何年も代表でプレーしている中村を今さらテストする必要はない。
それでも女性客たちは、シュンスケを出せ、と要求し続ける。もはやすべてをワールドカップ本番の準備にあてる時期だと私は思っていたが、彼女たちにとってはシュンスケを見ることの方が大事らしい。「本番でこれをやられたら、かなわんな」と思いながら聞いていた。
スタンドからの音圧がピークに達した頃にコスタリカが同点ゴールを挙げたのは皮肉だった。その後、中村は後半37分に投入されたが、残り時間はあまりに短く、大量に選手が交替したため組織が落ち着く暇もない。見せ場を作ることもなく、そのまま試合は終わった。
中村の攻撃的MFとしての能力は、中田英寿や小野伸二と甲乙はつけがたい。この2人のいずれかが故障欠場すれば、中村はワールドカップに先発出場したに違いない。
だが、2人が健在ならチームに彼の居場所はないだろう、と私は思っていた。
途中から投入するなら、中田や小野とは大きくタイプの異なる選手の方が有効だ。試合に出なくても、練習に参加しベンチに座っているだけでチームに前向きの影響を与えることができる選手もいるだろう。
しかし、それまでの新聞や雑誌に見る中村の発言は、常に自分だけを向いていた。起用されないことへの愚痴、ポジションについての不満。活躍した時も、やはり自分のことだけを喋っているという印象を受けた。新聞の短いコメントだけなら歪曲されていた可能性もあるが、スポーツ雑誌にたびたび掲載された彼のロングインタビューも、やはり不満と愚痴で埋め尽くされていた。中田や小野が先発で使われなかったとしても、内心はどうあれ、記者に露骨に不平をこぼす姿は想像しにくい。
ベンチに置けば本人が不満をあからさまにし、スタンドの観客たちは戦況そっちのけで「シュンスケを出せ」「シュンスケを見せろ」と要求する。監督にとっては扱いづらい選手だ。しかもトルシエは、自分の仕事に口出しされるのを極端に嫌がる人物ときている。
「彼はレギュラーになれない場合は、テレビでワールドカップを見ることになる」
その年の春ごろにトルシエが口にしていた言葉を、私はそんなふうに理解していた。それが現実になった時には、「あのコールも逆効果だったんだろうな」と、ちらっと思った。
それから約3年。
トルシエは日本を去った。中村はイタリアのクラブに移り、ようやく安定した活躍を見せるようになった。舞台はワールドカップ最終予選の大事な初戦。
その試合で、中村はベンチに座っている。ピッチには中田も小野もいないが、この試合のためにイタリアから戻ってきた中村はベンチにいる。
だが、シュンスケと呼ぶ声は聞えなかった。彼の不満の声が報じられることもなかった。イタリアで「先発で使わない」と聞かされた彼が訝しがるコメントは伝えられたものの、帰国してジーコ監督と話し合った後は、今度は自分が出場選手を支える番だ、と明言した。
試合は前半4分、中村を差し置いて先発出場した小笠原の鮮やかなフリーキックで先制したものの、その後、自陣に退いて守備を固める北朝鮮の前に、日本の攻撃は停滞する。膠着した流れを変えられないまま、後半に入って猛然と攻勢をかけた北朝鮮に手を焼き、ついに同点ゴールを許してしまう。
シュンスケ・コールがスタジアムに響いたのは、そんな頃だった。焦れた観客が投入を要求したのではない。ピッチサイドに姿を現した中村に対する期待の声だった。
同じ帰国組の高原と相次いで投入された中村は、試合の主導権を奪い返し、限られた時間の中で何度もチャンスを作った。見る者が思わず唸るようなボールさばきやパスは格の違いを感じさせるもので、それは北朝鮮の選手にとっても同じだったろう。ロスタイムに大黒が挙げた勝ち越しゴールを「奇蹟」とは呼べない。得点するのは時間の問題だった。そして、それはかろうじて試合が終わる前に間に合った。
高原と中村の投入で、スタンドは燃え上がり、選手たちは活性を取り戻し、相手チームは自陣に引きこもった。今や、ピッチにいようとベンチにいようと、中村はこのチームにとって重要な人物だ。3年の歳月とイタリアでの経験によって、彼は代表の中で揺るぎない地位を築き上げた。彼自身も、それはわかっているはずだ。新聞に見る発言も、いつしか自分のことだけでなく、チーム状態を語るものが増えている。
もうスタンドから中村を呼びだす必要はない。シュンスケ・コールは、彼を鼓舞し、讚えるために沸き上がればいい。
選手も観客も、紆余曲折しながらも前に進んでいる。民放のアナウンサーが3年前と比べてどうだったかは、見ていないので知らない。
追記(2023.9.15)
テレビのHDレコーダを整理していて、遅ればせながら昨年11月のTBS「S☆1」で、引退会見を終えた中村俊輔に高橋尚子がインタビューした特集を見た。引退を決めた理由を問われた中村は「言ったことないな」と前置きして、こんな話をした。
「2002年のワールドカップに落ちた理由として、それはやっぱり大会中に試合に絡めない選手って、1人か2人いると。そういった時に、チームを鼓舞できたり、雰囲気をよくする選手が必要だった、という感じ。で、僕はそういうタイプじゃない。たぶんベンチにいたらブスっと座ってるし、試合早く出せよ、って。だから僕がたりないところはそういうところだった。どっちかというとだから、人間性、ですよね」
そして、2021年ごろの話。
「メンバー外の練習で、試合の当日に3人だけで練習するんですよ。若手、十何歳2人と、僕の43歳の3人だけとかって。でも俺は逆にほんと、嬉しくって。なんで俺がこんなベンチ外で、若いやつと3人だけで、ってふうにはならなかったので。ああ、だからチームも鼓舞できるし、あの時のことは克服できたのかな、っていうのは大きいですね」「で、やめれる、って」
「時間がかかりましたけどね、四十何歳で。ベンチも40歳で初めてなったし、ベンチ外も40か41歳でなったので。これ、来たな、という感じですね。サッカーの神様じゃないけど。ときどきそういうのはありますね」
この話を聞いた後、ずいぶん前に書いたこのエントリを思い出して読み返した。その後のセルティックや帰国後の活躍は言うまでもないし、ワールドカップでベンチで仲間を支える立場も経験した。実際にはとうに克服していたのだと思う。それでも、最後の最後、試合当日の3人での練習でそれを思い出さずにはいられないほど、彼にとっては重かったのだな、と改めて感じた。高橋尚子に、自分を一言で表現してください、と求められ、迷った末に彼が出した答えは、「忍耐」だった。
WOWOWで時々放送している久保建英との対談番組の彼はとてもよい空気を漂わせているし、久保のフリーキックを見ながらアドバイスする姿は、きっとよい指導者になるだろうと思わせるものがある(よい監督になるかどうかは、また別の話だけれども)。
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コメント
以前、中村俊輔についてもそのうち書きたい、とレスに書いて頂きましたが、ようやく読むことが出来ました。
まさにおっしゃるとおり、彼の人間としての成長ぶりは、テレビを通したインタービューでも明白ですよね。
彼がボールを持つと何かが起こりそうな予感がする・・、ルックスの良さとは対局(失礼かもしれませんが)にいる彼に対する女性ファンの絶大な人気は、女性ならではの感性でそれを敏感に感じ取っているのでは、とファンとしては都合良く解釈しています(笑)。
2001年頃だったかな、当時代表FWに抜擢されていた鹿嶋の平瀬に、ボランチの位置から60m近い5人抜きのスルーを通して1点となったパスです。司令塔の中田とポジションチェンジを繰り返して、見事な試合でした・・・。
更に成長して代表の真の柱となってもらいたいものです。
投稿: ペンギン友人です。 | 2005/02/10 18:13
的確な分析で感心しました。
僕も中村の人格が練れてきた結果代表になくてはならない存在となったと感じていました。
今回の先発はずしのジーコ発言を受けて中村がどういう対応を取るのか。彼の今後を占う試金石だろうと思っていました。
結果としてはスーパー・サブとして20分で試合の流れを掌握してしまった。
大黒による決勝点というおまけまでついて。
そして何よりも小笠原との関係が今後よいオプションになりうる可能性を感じさせたのが大きな収穫だったと思いました。
小笠原は確かに優れているけれど中村ほどのゲーム支配力ではまだまだ。
中村との組み合わせの中でさらに力を発揮しうるのかなという感じです。
支離滅裂になりましたが…この辺で
投稿: Martin 古池 | 2005/02/10 20:24
>ペンギン君のご友人さん
やっとお約束が果たせましたね。これも中村をベンチスタートさせたジーコのおかげです(笑)。
彼に女性ファンが多いのは、プレーそのものの魅力とともに、彼の性格の繊細さやフラジャイルなところが、彼女たちの「庇護したい気持ち」をそそっているのではないかと思いますがいかがでしょうか。
>Martin 古池さん
はじめまして。お褒めにあずかって恐縮です。
中村と小笠原で組む中盤というのは、確かに魅力がありますね。ある程度ボールを預ける相手がいる方が、小笠原の動きは生きてくると思います。ただ、現状では昨夜のように4-4-2でないと2人の併用は難しく、そうするとアレックスの左サイドバックという世にも恐ろしいものを見なければならないのが難点ですが。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/02/11 00:01
さっそく読ませて頂きました。高原、中村が入って動きが見違えましたものね。やはりポイントはここですよね~!
ところで、トルシエが中村俊輔を嫌った理由に某宗教団体とのつながりがある、と雑誌で読んだことが。でも、それこそ政治宗教とスポーツは別なのでどうでもいいことですが、今週も某雑誌が、楽天とこの宗教団体の関係を書いてますね。あれ?結構ボクは雑誌情報に毒されていますね?
民放はテレ朝の番でした。角沢アナはずーっとしゃべくりっぱなし、解説の松木もずっと吠えっぱなし。あまりにうんざりして、職場でみんなで見てましたが、後半はBS1にチャンネル替えました。テレ朝よりは静かでしたが、NHKは井原を解説に起用。これも?というコメント連発で、惜しかった。
試合直前にたまたま聞いたNHKラジオのアナは、80年代の対北朝鮮戦も含めすべて見て来たと自己紹介してました。当時のノートを持参して、「この監督は対日戦で1点決めた経験がある」「最近就任して、それまでの攻め重視、派手なスタイルから伝統的な守りのチームに転換した人なんです」「中心選手は軍隊主体の4・25です」などと詳しく話していて、好感がもてました。やっぱ、スポーツ中継におけるラジオアナの勉強ぶりというのは一目置かなくちゃな、と改めて思いました。
投稿: nipponiapenguin | 2005/02/11 01:15
>nipponiapenguinさん
某宗教団体のおかげでロベルト・バッジョが何度も来日してくれたということもありますので、私は文句は言いません(笑)。
若手解説者の中でいいと思うのは北沢ですが、惜しいかな声が聴き取りづらい。私がいちばん好きなのはハラヒロミ現FC東京監督。早期復帰を望む、とも言えないのが痛し痒し(笑)。
NHKラジオのアナというのは、今は解説委員か何かになってる山本浩さんでしょうね。NHKとTBSのアナは両方やる分だけ鍛えられる気がします。
野球やサッカーなら民放にも優秀なアナがいますが(サッカーでは局アナよりフリーの方が多いかも)、その他の競技ではNHKの独壇場ですね。五輪中継を見ていると、競技に対する理解度や経験の違いがよくわかります。アテネ五輪の体操の決め台詞で話題になった刈屋アナも、中継で話すことを聞いてると、この人は過去4年間、体操だけ見て暮らしてたんじゃないだろうかと思うほどでした。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/02/11 09:16
念仏の鉄様、こちらでははじめまして。
良い話を読ませていただきました。中村は成長しましたね。一人の代表ウォッチャーとして嬉しい限りです。
ところで、私のブログ「折り返して逆サイド」ですが、機能強化ということでサイドバーにリンクが貼れることになりました。そこで早速、「見物人の論理」を貼りました。ご覧下さい。よろしければこのまま相互リンクしたいと思います。
それでは今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 水谷秋夫 | 2005/02/12 11:00
>水谷秋夫さん
や、ようこそいらっしゃいました。
相互リンク、もちろん歓迎です。第一号とは光栄です。よろしくお願いします。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/02/12 11:54
ジーコが動き出した後半10分過ぎから試合が動いたのは紛れもない事実で、それには順次投入した3枚のカードがすべて有効に機能しました。このことには異論はありませんし、俊輔が大きく貢献したのも間違いありません。
ただ、彼等が投入される前にもう少しやりようがあった気もします。
特にボールの処理に難のあるGKにいっぱいボールを当てればこぼれ玉からのゴールは可能性が非常に高かったはず。決勝点もフィールド内にクリアボールを戻してしまったことが原因ですし。
ただ、ゴール前はかっちりマーク付かれていたので、福西や遠藤が中距離砲を放つしかなかったと思いますが・・・
まあ、そうしてしまうと俊輔にフォーカスがあたらないので、今回のテーマにはなりませんけど・・・
投稿: エムナカ | 2005/02/13 01:42
>エムナカさん
この文章はあくまで中村俊輔について書いたものであって、日本-北朝鮮戦の内容に私が満足しているわけではありません(笑)。
先制点の後、高原と中村が登場するまで、日本は北朝鮮のペースに合わせて試合を進行させてしまいました(それは「引いた相手を攻めあぐむ」という状況も含みます)。あの日の先発メンバーは、試合を自分たちが望む流れにコントロールする、という意欲に欠けていたように見えました。
先制点の後、おっしゃるようなミドルシュート、あるいは相手DFに挑んでいくドリブルといった強引な攻撃を交えて、早く2点目を奪いに行く、という選択もあってよかったと思うのですが、選手たちに「大事に行こう」という意識が強すぎたのかも知れません(開始早々に中沢が、彼の能力ならさほど難しいとは思えない状況でボールをピッチ外に蹴り出す場面が何度かあり、「今日はそういう試合なんだな」と感じました)。
3年前には、中村は途中から出てきて流れを変えられるタイプの選手ではないと思っていましたが、今回はそういう役割を(高原とセットでとはいえ)果たしていましたね。もっとも、2人を先発させていたらどうだったか、という気もしますが(笑)、そうなれば、このエントリーはありませんでした(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/02/13 09:03