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『ボーン・スプレマシー』ポール・グリーングラス監督

 ロバート・ラドラムの『暗殺者』をマット・デイモン主演で映画化した『ボーン・アイデンティティ』は見逃してしまったのだが、SFXやワイヤーアクション流行りのご時世にあってリアルな生身の戦いを丹念に描いた映画、と高い評価を受けていたのは知っていた。この続編も前評判が高いので、ちょっと空いた時間に映画館に入ってみた。

 前作で、記憶喪失なれど凄腕の戦闘能力を持つ謎の男として登場し、CIAの暗殺者という自分の正体を知った主人公ジェイソン・ボーンが、その後CIAの目を逃れ、恋人と2人でインドに隠遁生活をしているところから本作は始まる。始まった途端に2人の平和な生活は破られ、殺し屋に襲われて恋人は殺される。
 同じころベルリンでは、裏切り者の名を記したファイルを買い取ろうとしていたCIAが、そのミッションの現場を襲われ、工作員を殺され、ファイルと金を横取りされた。事件現場に残された不発の爆弾からボーンの指紋が検出されたため、ミッションを指揮していた女工作員パメラ・ランディはボーンを追う。しかし、怒りに燃えるボーンは包囲網を逆にたどってパメラに接触し、両者を陥れた陰謀の正体が徐々に明らかになっていく…。

 恋人を失ったボーンを追って、ドキュメント・タッチの映像はテンポよく進む。暑いインドから始まり、ナポリ、ベルリン、モスクワと、物語の舞台は、あたかもボーンの心象風景をあらわしているかのように、どんどん寒い土地に移っていく。
 ボーンは口数が少ないが、彼の行動を追っていれば、おのずと彼の狙いがわかるように描かれる。当初、襲撃をCIAの仕業と考えていたボーンは、あえてCIAの捜査網に身をさらし、自らを捕らえようとする動きから次々と手がかりを引きだして、ベルリン入りしたパメラやCIA支局の所在を割り出していく。この過程で見せる手際と知恵の、鮮やかで小気味よいこと。元同僚と殺し合う場面も双方ひたすら実用的で、プロの格闘はこういうものかな、と思わせる。
 そういえばインドでの日常を描いた冒頭、ボーンが砂浜を走る場面があるが、足元の悪い砂浜を走りにくそうなごつい靴で走りながら、まったく頭を上下せず、かなりの速度でぐいぐいと突き進んでいく。見事なものだ。マット・デイモンは、この映画のために相当に体を鍛えたのだろう。

 ラドラムの原作は、第1作の『暗殺者』は読んだ。面白かったという印象は残っているが、20年以上も前のことで細部は忘れた。本作の原作である続編の『殺戮のオデッセイ』は、上下巻の分厚さに怖れをなして読まずじまいだった。
 今でこそエンタテインメント小説は分厚い上下巻が珍しくないが、長尺のボリュームと盛り沢山のプロットで押しまくるジェットコースター小説というスタイルが定着したのは、このラドラムあたりからだったような気がする。
 彼の作品は何冊か読んだが、どれもこれもページが進むにつれてみるみる陰謀が巨大化していく大風呂敷作家という印象がある。いささか大味で、何度も読み返して味わうような作風ではない。そんな原作を、こういう質実剛健で、こぢんまりとした映画に仕立てるというのは、なかなか意表を突いている。無闇な大作にせず、1時間48分という手ごろな尺に収めたのも好ましい。とはいうものの、次々と状況が変転するページターナーぶりは、しっかり映画にも受け継がれている。

 映像は手持ちカメラを多用してボーンの足取りを追い、格闘シーンやカーチェイスではブレまくるアップ画像を多用しつつも、状況は常に明確にされ、観客を混乱させることがない。監督はドキュメント映画界の雄だったそうだが、なるほどと思わせるものがある。
 脚本もきちんと練られている。複雑なプロットを巧みに整理し、真相の解明とボーンの「自分探し」(記憶の回復が充分ではない)がシンクロしながら進んでいく。
 恋人が殺された復讐心に身を焦がしつつ、元暗殺者である自らの手もまた血に汚れている。そんな矛盾から目をそらすことなく、ボーンは正面から受け止めながら旅を続ける。そして映画の終盤で、ボーンは暗殺者としての過去に、ひとつの決着をつける(ただし脚本は、想定される最大の難問に彼を直面させることなく、巧みに逃げを打っている)。
 いくつかの局面でCIA間抜け過ぎないか?と思うところもあるが、全体としては引き締まった佳作。この手のものが好きな人にはお勧めできる。

 前作も見たくなって、映画館からの帰りに近所のレンタルビデオ店に寄ってみたが、『ボーン・アイデンティティ』は全部貸し出し中だった。連休中だし、仕方ないか。

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