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2005年3月

シュートを入れるという技術。

 ワールドカップ最終予選、日本-バーレーン戦の終盤。前半は抑え込まれていたバーレーンのカウンター攻撃がしばしば発動し、シュートまで持ち込まれて、ひやりとする場面があった。
 だが、バーレーンのシュートは、哀しいほど枠に向かわない。打っても打っても明後日の方向に飛んでいく。正直に言えば、私は途中から、シュートを打たれても、あまりひやりとしなくなっていた。楢崎がゴールに飛んだシュートをセーブしたのは、結局、2度ほどだったと思う。どちらも、そう難しいものではなかった。

 誰かが(確か日経新聞の武智幸徳だったと思う)書いていたが、「チャンスを作る能力」と「チャンスを決める能力」は別のものであり、チャンスを作りシュートをたくさん打ったから「あと一歩」だと我々は思いたがるが、実はそれはまだ得点への道のりの半分に過ぎないのだ、という説があった。この試合のバーレーンを見ていて、そのことを思いだした。
 それは同時に、日本にもあてはまる話だ。「シュートで攻撃を終わることが大事です」という解説者の決まり文句に洗脳されたせいか、走り込んできたボランチがゴール裏のスタンドにボールを蹴り込むことに対して、我々は妙に肯定的になってしまったが、本来あれはゴールの中に入っていくべきものではなかったか。

 ドイツサッカーのプロコーチ資格を持つが日本では評論活動で名高い湯浅健二は「攻撃の目的はシュートを打つこと」だという。得点することではない。シュートが入るかどうかは選手個々の能力の問題であり、組織としてできるのはシュートを打つところまで、というような説明があったと記憶している。
 では、「シュートをゴールに入れる」可能性を高める方法はないのだろうか。

 私の乏しいJクラブの練習見学経験の中では、シュート練習というのは常にDFのいない状態で行われていた。クロスに走り込んでフリーでシュートを打つ練習をしながら、それでもゴールマウスとは違うところに蹴ってしまう選手が結構いる、というのは驚きだった。まして、相手DFを背負いながら反転してシュートを打つ、というような局面を想定した練習は見たことがない。少なくとも、どのクラブでもルーティーンにやっている、というわけではなさそうだ。
 もしかすると、日本のサッカー界では「シュートをゴールに入れる」ことは個人の才能に属する事柄であり、独立した技術とは見做されていないのかもしれない。従って、その能力を高めるための練習メソッドも確立していないのではないだろうか。
 日本以外のサッカー界でどうなのか、ということも知らないので、想像として書くしかないのだが、もしそうなのであれば、「得点力不足」や「決定力不足」を嘆いていても、対策はしていない、ということになる。

 ジーコが代表監督に就任してから結構長い間、集合するたびにシュート練習ばかりしていたことを思いだす。最近はどうなのだろう。「そんなのは代表で練習することではない」と批判的に報じられることが多かったが、現実にシュートが入らない(あるいはもしかするとクラブではあまり練習していない)のであれば仕方ない、という気もしてきた。オフトが「アイコンタクト」とか言い出した時も「今さらそんなこと」と批判する声はあったが、やってみたら成果が挙がったところを見ると、知ってはいても実行していなかった選手が多かったのだろう。
 ただ、ジーコが監督になって2年半が過ぎたが、代表の試合で画期的にシュートが枠に集まるようになったという印象はないので、ジーコといえども特別なメソッドをもっているわけではなさそうだ。

 だとすると、日本がワールドカップに出場するために必要なことは、ひとつしかない。3バックか4バックか、海外組をどう使うか、そんなのは大した問題ではない。

 本当に大事なのは、久保が6月に元気に試合に出てくれること。
 それで問題の大半は解決する。

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美を採点するという困難。

 ちょっと前の話だが、False Startで、マイク松さんがフジテレビのフィギュアスケート世界選手権に対して激昂していた(いや、たぶん今もしてると思うが)。

 私はこのところ出張続きで、フィギュア選手権そのものも出張先のホテルで仕事しながら見ていたので、幸いにもアナウンサーの妄言にまで気が回らなかったのだが、試合前の夕方に、安藤美姫ひとりに密着した前触れ番組を延々とやっていたのには驚いた。一瞬、この大会に日本人は安藤しか出ていないのかと誤解しそうになった。
 自局のCMに安藤を引っ張り出して「きっかけは云々」と連呼させているのも感心しない。まして大会前のアマチュアの10代の選手に、あそこまでカメラがくっついていることは、決して本番でのパフォーマンスに益するものではないだろう(と結果が出てから言うのもナンだが、たとえ安藤が優勝したところで、この考えは変わらない。彼女はプロではないのだ。報道の範囲を超えてまで取材に協力するのは、彼女の仕事ではない)。
 株を買収されそうになるとトップが慌てて「報道の使命が云々」と口走るテレビ局が、人気競技の世界選手権中継をここまで台なしにしているようでは、お里が知れる。ライブドアの堀江社長がフジテレビを支配したとしても、あれ以上にちゃらちゃらした大会中継をするのは難しいに違いない。
 というわけで、松さんの怒りには同意する。

 ただ、正直なところを言うと、私は「芸術点」やそれに類する採点基準を備えた競技について、狭義のスポーツとはいささか異質なものではないのか、という考えを拭いきれずにいる。

 フィギュアスケートは、つぶさに論評できるほど詳しいわけではないが、カタリナ・ヴィットやビールマンに魅了され、スコット・ハミルトンやキャンディロロやヤグディンを楽しんだ、と何人かの有名選手の名を挙げられる程度には見てきた。
 いちばん好きなのは競技の後に行われるエキシビションだ。そこでは、戦いから解放された選手たちが滑る喜びを体いっぱいに表現し、のびのびと持てる技量を披露する。観客とも一体感があり、とてもいい雰囲気だ。
 一方、競技そのものでは、配点を計算したプログラムを順次消化しなければならないという制約があるし、何よりも勝負の重圧が動きを硬くする。緊張から、あるいは難しい技を試みてミスを犯す選手も多く、その意味を選手も観客も知っているだけに、雰囲気は重苦しくなっていく。競技を見る際の気分は、パフォーマンスを楽しむというよりも、ともすれば勝者と敗者が決する瞬間に向けた残酷な興奮に傾いていく。

 たとえばサッカー選手にも、大きな大会の決勝戦では互いの良さを封じ合って退屈なプレーに終始し、エキシビションマッチではそれぞれの技量を存分に発揮する、という現象が起こりうる。似ているといえば似ているけれど、サッカーの勝敗を分けるのは得点であって、身体表現ではない。
 フィギュアスケートは身体表現そのものを競う競技なのだ。チャンピオンシップという形式をとることが身体表現の魅力を減じるのだとしたら、それは本末転倒ではないか。本大会よりも余興の方が魅力があるというのは健全なことではない(余興の方がいいと思うのが私だけなら仕方ないけれど)。もちろん、そんな厳しい状況を乗り越えて持てる力を発揮する瞬間の美しさを、否定するものではないけれども。

 同じような印象は、新体操やシンクロナイズド・スイミングにも抱いている。
 シンクロナイズド・スイミングを見るたびに思うのは、あれほどの努力と鍛錬を重ねた成果が、あんなに滑稽なパフォーマンスでいいのだろうか、ということだ。この競技のルーツは映画『水着の女王』などに見る水中バレエと同根と聞く。映画の方は、さほど超絶的な技巧ではないけれど、素人目にも美しい。それが競技化されて高度な技を競ううちに珍妙な表現に向かっているのだとしたら、このスポーツは、全体としてどこかで道を誤ってはいないだろうか。

 フィギュアスケートや新体操は、幸いにも、そこまで行ってはいない。五輪や世界選手権での優勝争いは、普通の観客の目から見ても美しいと思える表現に留まっている。
 だが、ひところの新体操には、身体能力の高い少女の曲芸ばかりが上位を独占し、美しく豊かな演技力をもったベテラン選手は決してトップに立てない、という状況があったように思う。たぶん、採点基準が技術面に傾きすぎて、美しさが軽視された時期だったのだろう。
 新体操もフィギュアスケートも、採点基準は「技」と「美」との間を揺れ動いているように見える。「技」の配点を減らして「美」の配分を大きくすれば、採点者の恣意性に左右されかねない。恣意性を減らそうとすれば、採点項目の細分化が進み、選手をがんじがらめに縛り付けて、試合でのパフォーマンスは「美」から遠ざかっていく。

 つまるところ、それらはバレエやダンスといった身体芸術の一分野であることがふさわしいにもかかわらず、スポーツの枠組みの中にいるばっかりに、本来の魅力から離れたところに向かっているのではないか。いっそバレエやダンスのコンクールのように、細部は省いて最終的な順位だけを審査すれば、このジレンマは解消するが、それをやったらたぶん、五輪競技にとどまることはできなくなる。


 今年の正月、代々木体育館に「スターズ・オン・アイス」というアイスショーを見に行った。生まれて初めて会場で見るフィギュアスケートだったが、それはそれは素晴らしいものだった。アレクセイ・ヤグディン、サラ・ヒューズらソルトレイク五輪のメダリストたちが、美しい照明に演出され、観客を楽しませながら高度な滑りを見せてくれた。2万円を超えるべらぼうな金額のチケットだったが、一生に一度フィギュアを見るなら今日だろう、と腹をくくった甲斐があったと心底思う。

 近年のフィギュアスケートでは、欧米の五輪メダリストたちの多くはプロになり、アマ時代よりもはるかに長い期間にわたって活躍しているようだ。今やフィギュア選手にとって、五輪のメダルはプロへのパスポートのような位置づけにあるのではないか。プロに転向していないクワンやスルツカヤも、しばしばアイスショーに出演し、おそらくはかなりの収入を得ている。
 アマの間は修業期間で、五輪は顔と名前を売る場であり、表現する喜び(と収入)はプロ入りしてから味わえばよい。そういうふうに選手たちが割り切ってしまえるのなら、私がここまで書いてきたジレンマは無視することができる。観客にとっても、普段はショーを楽しみながら、時々行われる真剣勝負に別な楽しみを見いだす、という棲み分けが可能になる。
 それに、ここまでは五輪競技であることのデメリットばかりを書いてきたが、逆に五輪競技にとどまってきたからこそ、フィギュアスケートの技術が絶えず向上してきた、というメリットもあるに違いない。

 しかし、だとしたら日本人選手にとってのフィギュアスケートとは何なのか、という問題が残る。佐藤有香のようにアメリカに住んでプロに進む道を選べる選手は、そう多くはないだろう。
 五輪や世界選手権やグランプリの同じ舞台で競っていても、日本人と欧米の選手は、拠って立つところが全く違うのかも知れない。
 「スターズ・オン・アイス」には荒川静香、本田、高橋ら4人の日本人選手がゲスト出演した。滑る喜びを観客とわかちあうという点で、安藤は群を抜いていた。プロとしては大事な美質だ。だが、それは現在の彼女の戦場においては、さほど大きなウエイトを占めてはいない。

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長嶋のいない4月、または「昭和33年体制」の終焉。

 以前、上原についての文章の中でちらっと書いたが、渡辺恒雄・前オーナーは、ジャイアンツは「昭和9年に発足して、23年間も赤字を続けたんですよ」と話している。
 意外に感じた人もいるかも知れないが、日本の野球の歴史を調べると、この話は、さもありなんと思える。

 野球は明治時代の終わり頃からすでに人気スポーツであったけれど、人々が熱狂した対象は、まず早慶戦であり、次いで甲子園であった。
 大学野球や高校野球(当時は旧制中学)において、当時と今の最大の違いは、選手たちの社会的地位だ。
 戦前の教育制度の中では、旧制中学の生徒といえば地域のエリートだった。早稲田や慶応の学生といえば、もう庶民にとっては雲の上の人たちだった(早慶以前に日本野球界の盟主として君臨していたのは一高野球部、現在の東京大学である)。
 卒業後には国を動かす要職につくことが約束(あるいは期待)されるエリートたちが、学生時代に野球に打ち込む姿に人々は熱狂したのであり、彼らは野球をしなくても、もともと社会的に尊敬を受ける立場にあった。

 そんな状況の中で、野球そのものを本業にする若者があらわれた時、人々はそれをどう受け止めただろうか。ほとんどドロップアウトのようにみなされていたのだろうと想像はつく。
 戦前の職業野球は、決して現在のような人気スポーツではなかった。国民的娯楽となったのは第二次大戦の後だ。「娯楽といえば映画と野球くらいしかなかった」と当時を振り返る人は少なくない。
 慶大出身で戦前のジャイアンツの主力選手だった水原茂は、出征してシベリアに抑留され、昭和24年に帰国したが、帰還する船の中で「後楽園に三万の大観衆」と書かれた新聞記事を読んで、三千の間違いだろうと思ったという(記憶で書いているので数字は不正確かも。とにかく「万」と「千」の話だった)。
 戦前の職業野球しか知らない水原には想像もつかない人気だったのだ。
 そして、この人気によって、プロ野球をとりまく環境も、徐々に整えられていく。
 昭和21年の日刊スポーツを皮切りに、スポーツ新聞が続々と創刊され、全国に広がる。日本テレビがプロ野球中継を開始したのは昭和28年だ。川崎、大阪、駒沢、平和台といった、昭和のプロ野球のフランチャイズとなったスタジアムも、この時期に続々と作られた。
 新規参入を求める企業が続出し、プロ野球リーグが2つに分裂したのは昭和25年のことだった。

 ここで渡辺談話に話を戻す。
 昭和9年を起点に数えると、「23年間」の最後の年は昭和31年になる(ただし昭和20年にはプロ野球リーグは開催されていないので、営業年度が23年間ということであれば、1年後になる)。つまり、ジャイアンツは昭和32年あたりを境に黒字転換し、以後、ずっと黒字が続いていると推定することができる。
 この時期、ジャイアンツに何が起こったのか。答えは明白だ。長嶋茂雄が昭和33年にジャイアンツに入団している。
 立教大学のスター選手として、東京六大学リーグの通算本塁打記録を更新(8本。それまでは慶応大学の宮武三郎が持っていた7本だった)した長嶋は、六大学での人気を背負って、それをそのままプロ野球に持ってきた、と言われるが、この渡辺談話も、それを裏付けるエピソードといえそうだ。
 この昭和33年には、週刊ベースボールが創刊された。創刊号の表紙を飾ったのは、長嶋と広岡、ジャイアンツの三遊間コンビだった(ちなみに同誌ホームページを開くと、創刊号と100号、500号、1000号、1500号、2000号、2500号の表紙が次々と表示されるが、2500号以外はすべて長嶋が登場する)。

 要するに、現在のプロ野球を取り巻く環境のほとんどが、この時期までに形成されている。翌34年、日本プロ野球は史上初めての天覧試合を実施。そこで2本の本塁打を放ち、決定的なヒーローとなったもの長嶋である。この試合によって、日本プロ野球は「職業野球」と蔑まれた時代に決別し、社会的地位を確立したといっても過言ではない。
 長嶋茂雄のジャイアンツ入団は、日本の野球界における巨大な転換点なのだ。発達するメディアの後押しによって、長嶋を中心とするジャイアンツが野球界をリードする構造は、ここで完成した。
これ以後の野球界を、「昭和33年体制」と呼んでもいいと思う。

 以来、長嶋は常に日本プロ野球とともにあった。最大のスター選手であり、最強チームの中心選手であり、最大の人気監督であり、そしてジャイアンツを離れ、ユニホームを脱いだ時も、長嶋はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌と、さまざまな媒体の中でジャイアンツとともに、日本プロ野球とともにあった。
 Jリーグが開幕し、プロ野球の危機が叫ばれた1993年には、長嶋はジャイアンツの監督に復帰し、人々の耳目を野球に引き戻した。これを、「長嶋がプロ野球(あるいはジャイアンツ)を救った」と言うこともできるし、「自分が作り上げた「昭和33年体制」を自分の力で延命させた」と言うこともできるかも知れない。

 2度目の監督の座を去った後、長嶋はアテネ五輪を目指す日本代表チームの監督に就任し、コーチ選び、選手集め、そしておそらくはスポンサーへのキラーコンテンツとしての役割も含めて、全員プロ選手で結成される最初の代表チームのすべてを一身に背負い、日本プロ野球を側面から支援する役割を担った。
 そして昨年、夏の五輪に挑むその年の、プロ野球開幕直前に病に倒れたことは周知の通りだ。それでも長嶋はアテネ五輪代表監督の座を退くことはなく、結局は、その不在によって、野球界に大きな影響を及ぼし続けることになった。
 長嶋が姿を消した年に、プロ野球が未曽有の危機に直面したことは、私には偶然とは思えない。

 「ジャイアンツ一極集中体制」と人は言う。現象としては、確かにその通りだ。
 だが、選手もファンも球界の人々も、誰もがジャイアンツにひれ伏し、なびく、その背景には、実は長嶋茂雄の存在があったのではないだろうか。
 裏を返せば、長嶋だけが持つ巨大な求心力が失われたことによって、主力選手たちは「ジャイアンツ愛」の欠如を露呈しはじめ、ファンは球場に足を運ぶことをやめ、日本テレビにチャンネルを回すことをしなくなった。
 長嶋が作り上げた「昭和33年体制」であれば、長嶋とともに終わるのは必然なのかも知れない。長嶋という巨大な太陽が天の岩戸の陰に隠れたことで、誰もが自分の足で歩いていかなければならない状況が訪れた。
 その意味では、昨年の変化は「ジャイアンツ一極集中体制」が崩壊したというよりも、「長嶋一極集中時代」が終わったと呼ぶことがふさわしいようにも思われる。

 今週末にはすべてが出そろうプロ野球の2005年シーズンは、これまでに我々が経験したことのないシーズンになるはずだ。これを、さまざまな機構改革が行われた「改革元年」と考える人も多いだろう。
 それ以上に私には、「長嶋のいないプロ野球」がこれから始まるのだ、という気がしている。
 NPB70年の歴史は、昭和33年を境に時代区分をすることができる。「前長嶋期」と「長嶋期」だ。
 そして今から始まるのが「ポスト長嶋期」である。それが別の誰かの名を冠せられることになるのか、それとも人名ではない名前がつけられるのか。それは、いつの日か歴史が判断することになるだろう。

 では、今後、長嶋が健康を回復して再び野球界に姿を現したらどうなるだろうか?

 もちろん私は長嶋が健康を回復し、元気に姿を見せてくれることを祈っている。だが、それは、できればもう少し先であってほしい。誰もが自分の足で立つことに自信をつけ、しっかりと歩き出して、踏みしめた道が固まった時に、長嶋が天の岩戸から出てきた天照大神のように彼らを元気づけてくれれば、それがいちばんよいことになる。

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伊勢崎賢治『武装解除』講談社現代新書

 サブタイトルを「紛争屋が見た世界」という。
 「紛争屋」といっても傭兵ではない。国や地域の紛争処理のために国際社会が送り込む人材を、著者は露悪的にこう呼んでいる。ただし「紛争によって収入を得ている人々」という意味では、これは尊称でも蔑称でもない、単なる現実とも言える。
 で、その「紛争屋」の実態とは何か。著者紹介には、こう書いてある。
「国際NGOに身を置きアフリカ各地で活動後、東チモール、シェラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮。」
 これだけでは何やらわけがわからないが、著者が関わった紛争処理の中でも、特に「武装解除」に焦点を当てて書かれているのが本書だ。
 東チモールでは、国連による暫定政府の県知事として。
 シェラレオネでは、国連PKOミッションのDDR(武装解除・動員解除・復員)の統括責任者として。
 そしてアフガニスタンでは、日本政府の特別顧問として。
 異なる地域で、異なる立場から、それぞれに武装解除という困難なミッションに携わってきた著者の、実体験によるレポートだ。

 「目から鱗が落ちる」という形容があるが、この本を読んでいる間、鱗がぼろぼろと落ちっぱなしだった。何枚落ちたか数えきれない。紛争処理の現場というのは、戦争の現場よりももっと知られていないのではないかと思う。

 さまざまな軍事勢力が割拠する地域の中で、外からやってきて中立の立場を貫き、それぞれの軍事勢力を説得して武器を放棄させ、戦闘員を離脱させる交渉を、力のバランスを保ちながら少しづつ、粘り強く実行していく。離脱した戦闘員たちは社会復帰させるのだが、内戦で傷ついた地域では、親兄弟を殺した張本人が何の罪も問われずに職業訓練まで受けて村に戻ってくる、などということがいくらでも起こりうる。
「戦争を始めるのはたやすいが、終わらせるのは難しい」という言葉があるが、著者が取り組んできたのは、まさに「戦争を終わらせる」作業だ。さまざまな矛盾を呑み込んだ上、本当に終りがあるのかどうか誰にも確信できない作業でもある。

 下手なダイジェストを書き連ねるよりも、印象に残った言葉を抜き書きしてみたい。

「最も大切なのは、多国籍軍、特に戦闘部隊を“同じ現場”において文民統治する組織構造を作ることだ」
「多国籍軍に参加するとは、自国のものでない指揮下でどう自国の政治と折り合いをつけながら軍事行動をするか。すべてはここにかかっているのだ」

「日本の援助は、政治的なコンディショナリー(条件)をつけることを知らない。それを内政干渉とみなし、忌諱してきた伝統がある。でも、平和を願って出す血税が元の公的資金に色をつけるのは、平和憲法を戴く国家として当然のことではないだろうか」

「国際社会が“代償”として、被援助国に求めるのは、“民主主義”の構築である。独裁政権の独立に、国際社会は(表舞台では)絶対金を出さない」
「その“民主主義”が新国家建設に求めるものは、有権者の政治参加と多数政党制、つまり民主選挙である。有権者としての自意識が、歴史的にまったくその国民に存在しなくても、国際社会はそれを“教育”してまで、選挙をやる」

「イラクをはじめ、日本の自衛隊の派兵は、この現場でのシビリアン・コントロールの確保に敏感になるべきだ。平和憲法を戴く日本は、他国以上に敏感になる責任があると思う。イラクにおいて、イラク暫定政府からも、国連ミッションからも司令を受けない、そして連合国占領統治局(CPA)もなくなった後の米主導の多国籍軍のシビリアン・コントロールは?」

「国際援助の世界では伝統的に、留置場、刑務所等の“体制系”インフラは、小学校や病院等の“癒し系”インフラに比べ、極端に支援国の興味を引きにくい」「アフガニスタンでも、警察も裁判所も整備されていない状況で、小学校建設だけが進むという、(中略)奇妙な現象が起きている」

「米国が始めた戦争が犠牲にしたもう一つの人類共通のモラルは、民主主義だと思う。」「弱小国にとって民主主義の選択は、当事者の内発的な発意によるものではなく、『言うことを聞かねば最後に武力でねじ伏せる』と、後ろで銃をちらつかせて強制するものになってしまった」

「僕は、仕事柄、米連合軍の司令官クラス(少将、中将のレベル)と日常的なやり取りがあったが、『彼らは日本の資金的貢献をしっかり評価している』というのが実感である」
「本来、国際協力の世界では、金を出す者が一番偉いのだ。それも、『お前の戦争に金だけは恵んでやるから、これだけはするな。それが守れない限り金はやらない』という姿勢を貫く時、金を出す者が一番強いのだ。しかし、日本はこれをやらなかった」


 実際に国際紛争の現場で体を張って「平和」の実現に向けて実務を執ってきた人物の言葉には、いわゆる「日本は平和ボケ」論とはケタ違いの説得力がある。それぞれの言葉がどういう状況について記され、どういう現実に裏打ちされているのかは、ぜひ本書を読んでみていただきたい(アフガニスタンで日本が武装解除を主導している、などという実情を、私は迂闊にも本書を読むまで知らなかった)。
 とりわけ、イラクに派遣された自衛隊が多国籍軍の指揮下に入らず、かつ日本の在外公館が現地の情勢に基づいて独自の政治判断を下せる体制にないのなら、「文民統治を現場でどう担保するのであろうか」「こんな軍隊は“ゲリラ部隊”と見なされてもしょうがないのだ」という指摘には唸らされた。当たり前すぎる話なのだが、こんなことにも気づかないのでは、確かに我々は(少なくとも私は)軍隊についてあまりにも知らない。

 露悪的で挑発的な物言いも多いのだが、根本的にこの人は信用できそうだと思うのは、東チモールでの仕事を綴った前著『東チモール県知事日記』(藤原書店)での記述からだ。
 伊勢崎は、知事という絶対的な権限の魔力、それに惹かれて手放すのが惜しくなってくる自分自身の欲望や弱さを隠さずに告白し、なおかつ、そのことを批判的に記す。自分の弱さを認めた上で、そこに逃げ込むことを自分に許さず、精神論でなく技術的にそれを克服しようとする。実務家として、筋が通っているのである。

 どの著書でも、伊勢崎はしばしば国連のエリート主義、現場軽視、事大主義といった欠点を批判する。巨大化した組織に特有の陥穽からは、国連も逃れられないようだ。
(実は、下の方にある「国連幻想を育んだ東宝特撮王国。」というエントリーは、本書の紹介の前振りを兼ねるつもりだったのだが、間があきすぎた上に、内容もほとんど関係なくなってしまった(笑))

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代理人の名誉。

 以前、「代理人の本分」というエントリーで言及したサッカー代理人・田邊伸明のblogは、彼が手がけた移籍に怒る人々の書き込みが殺到して手に負えなくなったようで休眠状態だったが、今月に入って再開されている。山瀬、中田浩二のそれぞれのケースについて彼の立場からの説明が書かれており、特に中田のケースでは、欧州との移籍制度の違いについての説明が興味深い。

 再開後のエントリーを読んで思うところがあったので、田邊のblogのコメント欄に感想を書き込もうとしたら、「楽天広場に登録しなければコメントできない」と拒否された。そのためだけに楽天に登録する気にもならないので、ここに書くことにする。「代理人の本分」と重複気味の話になるが、そういうわけなのでお許しを。

 2つの移籍が非難を浴びたことについて、田邊にも言いたいことはいろいろあるようだ。山瀬のケースの説明に、こう書いている。

「何故、田邊の取り扱う選手は問題になるんだ」というご指摘がありますが、正直、私も何故だかわかりません。チームにとって主力選手だということ以外、特に思い当たることはありません。

 傍目には、その理由は明白であるように思える。
 中澤、中田浩二、山瀬。どのケースをとっても、移籍は唐突に表面化し、誰からも納得のいく説明はなされない。選手自身の意思が見えないままにファンは疑心暗鬼に陥っていき、そして結局は、懸念された通りの結末に至る。さんざん心配させられたあげくに最悪の結果が待っているのだ、そりゃあ感情的にもなるというものだ。
 要するに、唐突で強引だから、騒ぎになる。

 田邊は、これらの移籍に際して、メディアやファンに向けて何か対策をしたのだろうか。
「クラブや選手に説明する意思がなければ、それを差し置いて私が説明するのはどうかと思ってきました」と田邊は書いているが、クラブはともかく、選手は彼の顧客だ。説明しないことが選手自身に不利益をもたらすのなら、その点について助言することは代理人の職務だろう。そこで手を打とうとしないままメディアに文句をつけているのであれば、その代理人はたぶん、自分がショービジネスの一角で生きているという自覚がないのだろう。

 ただし、この3人の移籍では、どれほど周到なメディア対策を行なったとしても、ファンから非難を浴びることは免れなかったに違いない。田邊自身が書いている通り、彼らはチームの現在と近未来にとって欠かせない主力選手だったからだ。

「チームにとって主力選手だということ以外、特に思い当たることはありません。」と田邊は書く。前後の文脈からすると、田邊は「主力選手だということ」が問題の原因だとは思っていないようだが、主力選手がチームの意に反して出ていくことをファンが快く思うはずがないのだから、それだけで十分に騒ぎの理由になりうると私は思う。何の不思議もない。

 もちろん、田邊は選手の意思を実現するためにベストを尽くしたのだろう。そして、不可能としか思えなかった移籍を実現させてきた。見事な手腕といってよい。彼は誇らしげに、こう書いている。

 私は選手のエージェントとである以上、これからも「プレーヤーズファースト」の精神を貫いていきたいと思います。

 それはそれで結構だ。彼の顧客は選手なのだから、選手の方を向いていればいい。ただ、もし彼が、選手だけでなく、ファンにも愛されたり尊敬されたりしたいと思っているのなら、それはお門違いというものだ。
 田邊の文章を読んでいると、彼は代理人として懸命にベストを尽くしているのにファンに非難されるのは理不尽だ、と考えているような印象を受ける。
 だが実際には、代理人がベストを尽くし、いい仕事をすればするほど、彼に反発するファンは増えていく。代理人の「いい仕事」は、しばしばクラブやそのファンの利益に反するからだ。中澤や中田浩二や山瀬のケースのように。

 では、そのファンからの反発や憎悪を、代理人は選手に代わって受け止めるべきなのだろうか。
 それは正解のない問題だと思う。それぞれの選手と代理人との間で、あるいはそれぞれの代理人自身が決めることだろう(一時期の団野村は、確実にそういう役回りを引き受けていた。自覚的にやっていたのかどうかは知らないが)。
 だから、田邊がどうするかは、田邊が決めればいいことだ。blogのコメント欄を書き込み禁止にしたとしても、私は別に非難はしない。
 ただ、以前、田邊について「汚れ役に徹して選手を守っている」と書いたことがあったが、再開後の書き込みを読むと、どうやら彼にはそこまでの覚悟があるわけではなさそうだ。ファンに対して中途半端に理解を求める文章が目に付くし、騒ぎの責任を選手に転嫁しようとしていると解釈されかねない表現も、いくつか見られる。
 もっとも、プレーヤーズファーストに徹しきれず、そんなふうに田邊自身の感情が噴出してしまうところが、彼のblogの面白いところでもあるのだが。

 MLBにも大物代理人は大勢いるが、人格を讚えられるような代理人は多くはない。異常なまでの高額契約を勝ち取ることで有名なスコット・ボラスの渾名は「吸血鬼」だ。
 スポーツ代理人とは、本質的には汚れ仕事なのだと思う。選手を無垢に輝かせておくために、ファンに見せたくない部分を代行する仕事なのだから。アメリカの4大スポーツに顧客を持つロン・サイモンは、著書『スポーツ代理人』の中でこう書いている。
「私は悪者で結構だ。罵詈雑言を甘んじて受けよう。私はスポーツ代理人であり、それが私の職業なのだ」

 最近出版されたサニーサイドアップに関する本に目を通してみた。この会社の初期の重要なクライアントであった前園も登場するのだが、なぜ彼を選手として大成させることができなかったのかについては言及されていなかった。まったく経験のない海外移籍に取り組んだ苦労については書かれているが、素人がプロの領域に素手で踏み込んだことへの反省は記されていない。
 前園が大成しなかったのは、一義的には前園の責任だろう。だが、選手の生活も人生もすべてを預かると謳っている企業にとって、前園のケースが失敗であることは疑う余地がない。その失敗を失敗と認めずに、この会社の歴史を語ることができるのだろうか。中田との成功は、前園との失敗の上に築かれたものではないのだろうか。
 この本が、前園の事例を総括し反省し克服するという過程を記さないまま、ただ会社そのものを称揚していることが、私には理解できない。
 代理人自身がクライアントを踏み台にしてスターになることに、何の意味があるのだろうか。

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桑原耕司『公共事業を、内側から変えてみた』日経BP社

 「ろくでもない商慣行日本一」を国民投票か何かで決定する選手権を実施したとしたら、「道路公団のファミリー企業独占」や「金融機関の護送船団方式」などと争う有力な優勝候補は、たぶん「公共事業における土建業界の談合」だろうと思う。公の場で談合を容認する人は、業界人を含めて誰もいないと思うけれど、現実には一向に止まらない。改革好きのIT起業家も、この分野の改革には興味がないらしい。

 そんな公共工事を、かなりリーズナブルな価格で実施することに成功したケースがあるという。
 本書の著者は、岐阜市で希望社という建設会社を営んでいる。清水建設に18年務めた後、「いいものを安く建てる」という理想を抱いて同社を設立し、15年かけて民間工事に独自のノウハウを確立してきた。そんな著者が、佐賀市長の依頼により、佐賀市の小学校校舎建設工事の発注マネジメントを請負い、談合によって受注価格を引き上げようとする業者たちを相手に、大幅なコストダウンを実現するまでの一部始終が、本書には書かれている。

 読む前には「プロジェクトX」のようなものを想像したが、意外に淡々と記されている。著者は派手な正義をふりかざすわけでもないし、黒い魔の手が迫ったりもしない。関係者が熱い涙をこぼすような場面もない。筆致は冷静だ。
 考えてみれば、このプロジェクトにおける著者の目的は、「談合をなくすこと」や、まして「社会正義を実現すること」そのものではない。佐賀市におけるプロジェクトの目的は「きちんとした建物を、予定の工期内に、適正な価格で建設すること」である。それを談合が妨げるから排除しているだけで、最終的には、施工業者もパートナーなのだ。無闇に敵対的な態度をとっても益するところはない。

 桑原が提唱するJCM(日本型コンストラクション・マネジメント)という方式に、驚くような特異な面はない。特徴といえるのは次のようなことだ。

・見積もりに際しては、見積内訳明細書のフォーマットを発注者が用意し、参加会社がこれに記入する
・発注者が、下請けの専門工事会社からも直接見積もりをとって選定を行なう。元請けが見積内訳明細書に記入した金額を下回る額を出してきた下請け業者がいた場合は、そちらを採用する
・着工後もVE(ヴァリューエンジニアリング)という過程を設け、発注者と工事会社の間で定期的に設計見直しの機会を設ける

 部外者から見れば当たり前と思うようなことばかりだが、これが当たり前でないのがゼネコンの世界なのだろう。細部をブラックボックスにしておくことで、元請けは過剰な利益を得てきた。JCMは、それをさせない仕組みといってよい。ここまでは、ちょっと考えれば誰でも思いつくことだ。

 わかっていても談合やゼネコンの暴利がなぜ止められないかといえば、主な理由はたぶん2つある。
 第1に、公共工事の発注者である首長や自治体職員が、政治献金その他の支援によって業界側に取り込まれていて、そもそも改革するつもりがない。
 第2に、自治体職員には、工事全体の作業工程を把握したり(それができなければ見積内訳明細書は作れない)、個別の金額が適正かどうかを判断する知識や能力がない。
 だから、談合は消えることなく続いている。

 ここで「業者が悪い」「業者は考え方を改めるべきだ」と言うのは簡単だ。その言葉自体は正しいかも知れないが、現実に対しては力を持ちえない。
 桑原は声高に正義を語るのではなく、発注の方式を改善することで、実務的に談合を無力化しようとする。

 本書は、談合を無力化するには、先の2つの理由さえ覆せばよいと示している。つまり、必要な要因は2つだ。
 ひとつは、談合を止めて建設コストを適正(無駄な出費はないが、業者にも相応の利益が出る金額)なものにしようという強い意志を持ち、そのための労を惜しまない首長と職員がいること。
 もうひとつは、建築業務の全般について専門知識を持ち、その時点での適正なコストを熟知している助言者がいることだ。発注サイドが「あなた方は口を揃えて『この工事は○○円かかります』というけれど、ホントは半額でできるでしょ」と確信をもって言えるなら、これをごまかすのは従来より難しくなる。
 本書の事例においては、前者が佐賀市長と佐賀市職員であり、後者が希望社だった。

 どんな分野のことであれ、改革というのはたぶん、こんなふうにして行われていくのだと思う。総論で正義を唱えても、それだけでは仕方がない。大事なのは各論であり、実現のための道筋となる具体的な事例なのだ。法律や規則や通達で上から縛ろうとしたところで、現場レベルでなし崩しにされてしまうことは珍しくない。逆に、こういうステップを踏めば実現できる、という実例を現場で示すことができれば、それを真似る者も出てくるだろう。少々手間がかかったとしても確実に利益が上がるのであれば、それは必ず広まっていく。
 たぶん、そのようにして物事は変わっていく。華々しく世間の耳目を集め、新しさをアピールし、軋轢を生みながら突き進むことだけが、改革ではない。

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清原ファン必見。村田真一ファンも必見。

 ポッカコーヒーがスポーツ紙に時々載せる、清原の広告が気に入っていた。
 プレー中の清原の何気ない写真を大きく使い、ボディコピーがぎっしりと詰め込まれている。ジャイアンツOBの村田真一が清原を語り、ついでのようにポッカコーヒーも語る、という形式で、なかなか味のあることが書いてある(ポッカを褒めた部分の文章は、とても村田の考えとは思えないが(笑))。

 この、村田が「キヨ」を語る言葉が、何ともイイ感じだ。

「今年は『蓮の花を咲かせたる』そうだ。なんで『花』やなくて『蓮の花』やねん、と聞いたら『村田さん、知らんのか。蓮の花は泥水に咲くんやで』だと。」
「名古屋で応援ボイコットされて泣きながら東名を飛ばして帰った、あの頃以来のつらい時期が去年の秋やった。それを過ぎて、もう周りを気にしてられんぐらい本気なんだと思う。」

 はっきり言ってクサい。だが、このクサさが、清原にも村田にもよく似合う。

 なにしろ清原同様、村田自身が浪花節の人なのだ。
 大好きな村田のエピソードがある。デーブ大久保がどこかで話していたのだが、彼が西武から移籍して、先発で起用されるようになった頃のこと。大久保はシーズン途中の移籍だったから、対戦相手のデータどころか、自チームの投手の持ち球や特徴さえ把握していない。そんな時期に、村田は大久保にそれらを丁寧に教えた。大久保は言う。
「ふつう、そんなの教えませんよ。僕が村田さんのポジションを奪ったわけですから。でも、村田さんは教えてくれたんです。『みんなで幸せになるんや』って」

 大久保がジャイアンツに移籍したのが1992年。村田は81年に入団してから長い間、山倉の控え捕手にとどまり、プロ入り11年目の91年、初めて出場試合数が100試合を超えた。92年というのは、そういう年である。30歳を前にようやく正捕手に手が届こうという矢先に、それを横からさらっていった年下の男の手助けをする。並みの人間にできることではない。村田真一が、あのごつい顔で「幸せになるんや」と口にする姿を想像するだけで、目頭が熱くなってくる。
 後に原辰徳がジャイアンツの監督をやめた時、原に乞われてコーチを務めていた村田もジャイアンツをやめた。侠気の人なのである。
 そんな男だからこそ、清原とも気が合ったのだろう。同じ関西人どうしとか、先輩だとかいう以上の結びつきが、この広告の文章からも感じられる。

 「清原道、ポッカ道」と名付けられたこの広告シリーズ(全4回)は、現在、ポッカのHPで公開されている。 
 期間限定らしいので、お早めに。これを読むと、つい清原に肩入れしたくなってくる。

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国連幻想を育んだ東宝特撮王国。

 2月最後の週末に、スカパーの日本映画専門チャンネルで「24時間まるごと東宝特撮王国」という企画があった。
 『ローレライ』の亀山千広プロデューサーと樋口真嗣監督が選んだ東宝の(ゴジラ以外の)特撮映画11本を24時間かけて連続放映する、という豪快な企画で、『海底軍艦』とか『マタンゴ』とか『ガス人間第一号』とかが並んでいる。亀山と樋口が11本の予告編を見ながら、それぞれのみどころを語る2時間の対談企画のおまけつきだ。

 これを拙宅のHDレコーダーに24時間全部録画して、1本づつ見ている(馬鹿と呼んでいただいて結構です)。前後にチャンピオンズリーグの試合がたくさんあったりするので、なかなか見終わらないのだが、何本か見ているうちに気づいたことがある。
 どの映画にも、やたらに国連が出てくるのだ。
 だいたいパターンは似ていて、怪獣とか異星人の襲撃とかいう地球全体の危機に際して、国連の会議場で日本の科学者が感動的な演説をし、各国の出席者から感激の拍手を浴びたり、握手を求められたりする。
 典型的なのが『妖星ゴラス』(1962)という怪作(いや、そう言ってしまえば全部怪作なのだが)。急接近してきたブラックホールになりかけのゴラス星から地球を守るため、上原謙演じる科学者が国連の科学委員会で「ゴラスを破壊するか、地球を動かすしかない」と演説をして、各国の出席者から大きな拍手を受ける。具体策を提案するのは池部良だ。そして、上原と池部の主導で各国の科学者たちが協力し、南極に巨大なロケットを建設して、地球を軌道からずらしてゴラスを避ける、という荒技に出る。

 こういう場面が、いくつもの映画に登場する(樋口は「立派なセット作っちゃったものだから、使い回ししてるんですよ」と身も蓋もないことを言っていたが)。
 他の映画でも、例えば海底のムー帝国と戦うために海底軍艦を召還するのも国連だし、沖雅也の宇宙パイロットが所属する機関は国連宇宙局日本支部だ。
 地球の危機に立ち向かう主体は、常に国連なのだ。

 これらの映画が数多く作られた時代から、すでに40年くらい過ぎているが、日本の政治家たちは相変わらず「日本は世界に尊敬される国家を目指すべきだ」と真顔で言う。だが、その「尊敬される国家」の中身がどういうものであるのか、彼らの話を聞いていても、さっぱりわからない。
 案外、彼らの頭の中にある具体的なイメージは、「『妖星ゴラス』の上原謙」なのではないか? あれはまさに「世界に尊敬される日本」を絵に描いた光景そのものだった。大人たちの心に敗戦のダメージが刻印されていた昭和30年代には、それが日本人の夢だったのだろうし、今でも大して変わっていないのかも知れない。

 日本人は国連に過大な期待を抱きすぎる、との批判がある。ここ数年のイラクへの対処ぶりから現実を思い知った人も多いだろうとは思うけれど、依然として我々には「国連は正しい」「国連のやることには協力して当然」と考えたがる癖があることは否めない。
 そんな気風が形成される上で、これら東宝特撮映画が一役買っている可能性は大いにあると思う。

 昔の作品ばかりではない。
 ゴジラの最新にして最終作と銘打たれた『ゴジラFINAL WARS』(2004)では、宝田明が国連事務総長、菊川怜が国連の科学者を演じているし、『ゴジラvsメカゴジラ』(2002年版)でメカゴジラを作ったのも国連の機関だ。
 東宝特撮王国の中では依然として、国連は、地球をゴジラその他の脅威から守る主体であり続けているようだ。現実のイラクやアメリカの脅威に対しては、無力に近いにもかかわらず。

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イチローは視線に脅えている。

 『百年の誤読』という本がある。ライターの岡野宏文と豊崎由美が20世紀の日本のベストセラー100冊を読み返した書評対談なのだが、これを読んでいたら、豊崎が高村光太郎のことを、「典型的な自分大好き人間。イチローか、お前は。」と言い出したので、あまりの唐突さに、電車の中で吹きそうになった。
 豊崎はわざわざ「イチロー」の脚注までつけて、
「野球選手の中で唯一絶対股間をかかないことで有名。常に『かっこいいオレ』を意識し、守っている最中は少しすがめた目で遠くを見つめ、男っぽくてクールなオレを演出。今、日本で一番有名な自分大好き人間でありましょう。」
と書いている。そんなに嫌いなら、見なきゃいいのに(笑)。

 豊崎がそう言いたくなる気持ちは、わからないでもない。
 私はイチローのプレーを見るのは好きだが、彼のインタビュー記事を読んだり、テレビで彼がしゃべるのを見るのは、あまり好きではない。自分のプレーについて語る口調は独特で、何ともいえない違和感を感じることが多い。
 ただ、それは「自分大好き人間」という言葉では形容し尽くせない。
 強いて言えばそれは、自分が撮った映画のパンフレットの中で、事細かに「あの場面にはこういう意味がある」「このキャラクターはこれを象徴している」などと語り、自作の鑑賞の仕方を観客に教育しようとする映画監督を連想させる(って、『もののけ姫』での宮崎駿のことなわけだが)。イチローという選手の観賞法をコントロールしたいという欲求が、彼の言葉の端々に感じられる。
 岡田斗司夫もどこかで力説していたが、本やマンガは読者が、映画や演劇やスポーツは観客が、自分なりに受容することによって、はじめて作品として完成する、というのが当blogの立場である(なにせ「見物人の論理」ですから)。
 だから私は、作者や演者に「ここを見てくれ」と言われる分には喜んで見るけれど、「こう見るのが正しいんだぞ」と口うるさく指図されるのは癪に障る(笑)。

 しかし、最近のイチローの発言は、そこからさらに別の次元に入りつつあるような気がする。
 驚愕したのは、週刊ベースボール2/14・21合併号の巻頭に掲載されたインタビューの冒頭だ(聞き手は小西慶三)。
 昨年の最多安打記録更新についての現在の心境を問われて、イチローはこんなふうに答える。


「街に出たとき、周りの反応とかがちょっと異常な状況もあったりして、いつもと違うことは感じさせられます。テレビをつけたら自分の映像が出てくることもしばしばあって、そんなことはこれまでにもほとんどなかった。自分があの時見ていた映像はだれとも違うもの。それが今、人と同じ映像を自分が見る。見え方がまったく違いました。」
−−見え方が違う、とは?
「あの時、雰囲気は感じられても、細かいチームメートの表情とかは漠然としか分からなかった。そういうのは後から細かく見たとき、チームメートがお愛想で出ていたように見えたりとか、ひょっとしたら残念な気持ちになることもあるじゃないですか。そうじゃないと感じられたのでよかったです。」


 あの日、イチローが新記録の安打で一塁ベースに立つと試合は中断され、彼はチームメートのひとりひとりと抱き合って祝福を受けた。彼は子供のような笑顔を見せていた。試合後のインタビューでは、みんなが出てきてくれるとは思わなかった、うれしかった、という意味のことを話していた。
 そんな幸福な思い出に対して、「ほんとはあいつら、俺のことを喜んでなんていなくて、付き合いで仕方なく出てきただけなんじゃないのか」という可能性を彼は気にしているらしい。この懐疑心は何なのだろう。仮に何人かそういう奴がいたとしても、いちいち気になるものだろうか。彼には実際にそんな経験でもあるのだろうか。
 この談話、単なる韜晦というより、見てはいけない精神の暗部を垣間見てしまったような印象さえ受ける。

 何がイチローをそうさせるのか。
 文芸春秋3月号に掲載されているインタビュー記事「イチロー 日本人の誇りを胸に」は、聞き手が、彼がもっとも信頼しているライターと思われる石田雄太であるためか、自分の弱みについても率直に語っている部分がいくつかある。中でも興味深いのは、甲子園に出場した時のプレッシャーを問われての答えだ。


「甲子園でのプレッシャー……そういえば、ありましたね。当時は僕のことを何千万人もの人が見てるんだって勝手な解釈をしていたんですよ。でも、実際には僕を見てる人なんてごく一部。だから、自分だけで気にしてた感じがしますね。」


 プレッシャーは第三者の数が増えればそれだけ大きくなるのか、と問われて、イチローは「たぶん、そうでしょうね」と答えている。今回の記録は野球好きな人だけでなく、ワイドショー好きの人たちまで「巻き込んだという実感がありましたから、それだけプレッシャーもかかったような気がします。もし達成できなかったらどうなったんだろうと考えると、恐ろしい」と言う。
 確かに今は、本当に何千万人もの人が彼を見ている。太平洋を越えて。


「日本からの目というのは脅威ですよ(笑)」
「日本人は報道のされ方にものすごく敏感で、関心のないことでも、大きく取り上げられているというだけで、そこに殺到してくる傾向がある。二百本って何のことっていう人まで、あの時(引用者註:MLBシーズン最多安打記録に迫っていた時期)には記録まであと何本かを知っていました。だから、アメリカ人に対しては野球に関心のある人たちだけを対象に考えればいいんですけど、日本人に対してはそういうわけにはいきません。そのパワーは、まさに脅威です。」


 ここで語られているのは、視線への恐怖心だ。
 他人にどう見られているか、ということが、彼には気になって仕方ないらしい(スーパースターになってカメラやマイクに追い回されるようになる以前から、その萌芽があったことを先の談話は示している)。
 視線が怖いからこそ、他者が自分に向ける視線を自力でコントロールしようという欲求が高まり、さまざまな言動として噴出してくるのだろう。
 以前から彼は、取材者を厳しく峻別したり、ファンについて「ついてこられる人はついてくればいい」などと話したり、一言でいえば「客を選ぶ」傾向が強かった。自分を理解できる人だけに自分を見る資格がある、とでも言いたげだった。
 それは裏を返せば、自分に理解できなかったり、自分の好みに合わない視線を、できるかぎり遠ざけたいという気持ちの現れなのだろう。
 だが現実には、そうする試み自体が、豊崎や私のような反発をも生んでいく(豊崎はプレーも気に入らないらしいが(笑))。


 さっき、「イチローの発言は別の次元に入りつつある」と書いたが、もうひとつ、彼は近ごろ、やけに他の選手のことをとやかく言いたがるようになったという印象もある。
 とりわけ俎上に上がるのが松井秀喜だ。石田雄太は、そのことも率直に訊いている。


−−ところで、イチローさんは去年のオフから何度かヤンキースの松井秀喜さんに対して厳しいことをいくつかのメディアで仰ってきました。「記者を育てるのが選手だとしたら、松井さんの取材対応では記者が甘んじてしまう」とか。それは、なぜだったんですか。
「もちろん、期待をしているからです。(中略)日本人の野手としてレギュラーでメジャーの試合に出続けた選手は僕と彼だけでしたから、僕らにはそれだけの影響力があると考えています。だからこそ期待をしてきたし、今も期待をしているからこそ、ああいう言い方になってしまうんです」
「彼にはもっと周りを見て発言をして欲しいし、広い視野で物事を捉えて欲しい。軽い気持ちで言ったことが、どれほどの影響力をもって世の中に伝わっているのかということを意識していて欲しいとは思います」
「一年目の初めの頃の言葉と、去年の最後の頃の言葉を比べても、あまり違いを感じない。あれだけの選手が、メジャーで二シーズンも戦って、何かを感じていないはずがないんだから、それをしっかりと伝えてもらいたいんです」


 イチローが一連の発言の中で松井に何を要求しているのか、私にはいくら読んでもわからない。松井以上に「広い視野で物事を捉えて」、「周りを見て発言を」する野球選手がいるだろうか。
 石田が質問を重ね、イチローが饒舌に語れば語るほど、話は見えにくくなっていく。この話題の締めくくりはこうだ。


「松井秀喜という選手は、何もかもが僕とは正反対なんです。僕にないものが彼にあって、彼にないものを僕が持っている。だから、もっとガツガツして欲しいし、ホームランをガンガン打って欲しい。走り方も投げ方も不細工な方がいいんです。それでも、誰よりも打球を遠くへ飛ばしてしまう、というところが彼の魅力でしょう」


 この言葉が、その前に引用した部分とどう結びつくのか、私にはわからない。だいたい、「不細工な方がいい」なんて、はっきり言って余計なお世話ではないか(笑)。
 イチローは、もともと禅問答のようなモノの言い方を好む選手ではあるけれど、それでも、この10ページにわたるインタビューの中で、松井秀喜に関するやりとりだけが、突出して意味不明といってよい。

 イチローは、なぜこれほど松井に対してムキになるのか。
 ここで、さっきから論じてきた「視線」という補助線を引くと、案外すんなりと答えが出そうな気もする。
 松井秀喜は、他者からの視線に対して、きわめて強い耐性を備えている。高校を卒業してジャイアンツに入り、連日大勢の記者に囲まれる生活になっても、彼はまったく痛痒を感じているようには見えなかった。視線をコントロールしようなどという意欲を表に出したことは、まずない。東京スポーツに、松井のエロビデオコレクションに関する記事が載り続けても、松井が怒ったとか止めたとかいう話は聞いたことがない(だから、いまだに時々載っている(笑))。
 そういう性格でなければ、ジャイアンツの四番打者としてすべての試合に出場し、タイトルと優勝の双方を同時に争う、などということはできない。記者たちに囲まれた彼の表情や態度、話す言葉は、ヤンキースの2年間どころか、プロ入り以前からほとんど変わっていないのだ。

 イチローは「何もかもが僕とは正反対」という言葉を、あくまでプレー上の要素について話しているが、私はむしろ、この2人がもっとも異なるのは、この「他者の視線」への対応ではないかと思っている。
 そして、自分にとってどうしようもないストレスである「他者の視線」に対して、まるで何とも思っていないらしい松井の存在が、イチローには不可解で仕方ないのではないだろうか。もしかすると、嫉妬心さえ抱いているかも知れない。
 「松井の人気にイチローが嫉妬している」という類いの風評は週刊誌等で時々目にする。それが当たっているかどうか、私には確かめるすべもない。ただ、もしイチローに嫉妬心があるとしたら、それは「松井が記者に囲まれること」に対してというよりも、「松井が記者に囲まれても平然としていられること」に対してなのだろうと思う。

 だとしたら……イチロー、ちょっと可愛いかも(笑)。
(こんなこと言われるのも、彼はきっと死ぬほどイヤなのだろうが)


 可愛いといえば、文芸春秋のインタビューには、こんなやりとりもある。


−−では、イチローさんはどういう男のことをカッコいいと思いますか。
「たとえば飲み屋に気に入った女の子がいるのに、何度その店に行っても彼女には一切触れずにいて、そのうち向こうから触れて欲しいと言わせる男。それ、カッコいいですねぇ。」


 うーん。週刊文春の対談じゃないんだからさ。イチロー、カッコよくないぞ。

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関川夏央・谷口ジロー『事件屋稼業』双葉社ほか

 「BSマンガ夜話」で『事件屋稼業』が採り上げられたのを記念して、勝手に番組に協賛し、以前、ある雑誌に書いた雑文を(多少手直しして)アップすることにする。
 『事件屋稼業』というマンガを読んだことのない人には、まるっきり意味不明の文章だと思いますが、どうかご容赦を。

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 自称名探偵・深町丈太郎が初めて読者の前に姿を現したのは、1979年のクリスマスの前だった。サーファーカットとハマトラ姿のおねえちゃんが颯爽と歩く街に、深町のトレンチコートとハンチングはいかにも野暮ったい。
 あらかじめ時代に取り残されることを約束された探偵は、その後のバブル経済とその崩壊を経て、ますます生きた化石の度合を深めていく。
 年増歯科医が大家の古ぼけたビルに間借りして事務所兼自宅を構え、浮気調査で糊口をしのぐ。エリート女医の別れた妻に未練たらたらながら、決して頭を下げようとはしない。ハードボイルドを日本語に訳すと?と問われて「痩せ我慢」と答えた作家は誰だったか。まこと深町丈太郎の人生は痩せ我慢の連続である。

 カタギになろうと試みて、スカウトに応じ警備会社に入社したこともある(「市民の生活」)。しかし、裏ではサラ金に融資し、手を汚さずに利を掴む経営実態を知った深町は、社長に三行半をつきつける。社長は言う。
「法に触れますか?危ない橋を渡りたがるのは彼らです。わたしは出資しただけです」
 深町は答える。
「法には触れません。しかし、あたしの気持ちにさわります」
 そして、最後に言い放つ。
「いつか、あなたも危ない橋を渡りたくなるでしょう。そのときは橋を下から揺すぶってあげますよ…あんたのようなひとが市民ってやつだとしたら、おれは七回生まれかわっても市民にはならない。首輪のない猟犬でいる方がずっといい」
 時に85年。バブル経済真っ盛りの時期にこういうことを言う人間は、決して金持ちにはなれない。深町の友人であるインテリヤクザの黒崎は、組の企業化を推し進め、株や事業で成功したりバブル崩壊で没落したりと忙しいが、深町は一貫して貧乏だ。

 79年から94年までの15年間、関川夏央と谷口ジローは単行本にして6冊分、深町とそのろくでもない友人たちを描いてきた。
 深町が登場したころ、谷口ジローの描く主人公は、誰もが刺すような目をしていた。昏い、鋭い、獣の目が、紙の中からこちらを睨みつけ、「お前の生き方なんざクソだ」と恫喝してきた。
 同じ鋭さでも、狩撫麻礼の原作作品では、光の加減は微妙に異なる。『LIVE!オデッセイ』の、アメリカで出会った黒人歌手に打ちのめされた、飢えたロックンローラー。『青の戦士』の、死に場所を求めて世界を放浪する無敵のボクサー。主人公たちの目は、出口を求めて荒れ狂う過剰なエネルギーの窓だった。オデッセイはマネジャーに言う。
「俺とあんたは一枚のコインの裏表さ。心の中に手のつけられねえ暴れ馬が眠っている」

 関川夏央が創り出した男たちは違う。『リンド3!』の冒険者たちも、『無防備都市』の刑事たちも、他人のトラブルに深入りしながらも、最後はすべてを呑み込んで沈黙するしかない傍観者。それでも抑えきれない情緒のかけらが、彼らの目の光に、僅かにのぞく。深町の目も同じだ。
 「生者の驕り」では、自動車事故で妻と子を失った中年男が深町の事務所を訪ねる。生きながら炎上する妻子を掲載した写真週刊誌の編集長に復讐心を抱き、彼のスキャンダルをつかむことを依頼する。
 深町は編集長の不良娘を尾行しているうちに意気投合し、編集長の目の前で娘に飛び降り自殺を決行させる(無論、パラシュートで無事着地するのだが)。
 後日、娘は深町に、父親は反省したようだが、3日もしたら再び死体探しに精を出し始めた、と伝える。
「あれで仕事辞めるようならオトナはつとまらないよ。あたしだって経済的に困るしね」
「そんなもんか」
「そんなもんよ。あのおじさんは?あんたに仕事頼んだひと」
「会社辞めてどっかへ行っちゃったよ。やっぱり気分がすっきりしないってさ」
「そんなもんかな」
「そんなもんさ。そういうオトナもいるさ…いなきゃ困るよ、お嬢さん」
 こういう科白を口走る時の深町の無表情は、デ・ニーロや山崎努のそれに似て、言葉にし難い何かを雄弁に語っている。

 90年代に入ると、『「坊ちゃん」の時代』や、『犬を飼う』などの叙情的な作品群を経て、谷口ジローの描く目は、穏やかなものに変わってきた。
 深町とその友人たちも、老後を心配し安定を求めて足掻きはじめる。深町の目に、かつてのギラギラした光はなく、ときに透明感すら帯びている。
 だが、悪徳刑事・五島田は歯医者に求婚しても振られ、若い女性新聞記者と結婚した黒崎は、披露パーティーで落下した巨大シャンデリアの下敷になって息絶える。安定した老後も家庭の安らぎも、しょせん彼らには無縁の世界でしかないのだ。もちろん、深町にも。

 深町は確か今年で58歳になる。もう10年も会っていないけれど、相変わらず都会の底を彷徨しているはずだ。老人と呼ばれる齡になった深町の目を、谷口ジローがどう描くか。いつか見せてほしいと願っている。


追補:
その「BSマンガ夜話」で、関川は「これは終わったわけじゃない。長ーい休みをもらっているだけ」と言いながら、60歳近い年齢で糖尿の気もある深町の、新作の構想を語っていた(笑)。

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堀江社長が考える「意思のない新聞」とは。

 ニッポン放送やフジテレビがライブドアの傘下に入ろうが入るまいが、私にとってはどちらでもいいのだが、堀江貴文ライブドア社長がマスメディアを使って何をしたいのか、という点は気になっている。
 その意味で興味深く読んだのは、江川紹子ジャーナルに掲載されている堀江社長インタビューだ(このインタビューの存在は「ネットは新聞を殺すのかblog」で知った)。

 アップされたのは2/10だが、インタビューが実施されたのは去年の12月なので、まだニッポン放送株の買収は始まっていない。ライブドアがメディアを持つことについて始まったインタビューは、江川自身が新聞記者出身で活字畑の人であるせいか、堀江の新聞構想について突き進んでいく。

 インターネット時代の金融会社を大きくしていくためにはどうしたらいいのかっていう流れの中で、メディアを持たなきゃいけないっていう話になったわけですよ。発想はブルームバーグさんと全く一緒。

 堀江にとってのメディアは、商売の一環でしかないらしい。新聞を持つことに対して、金融事業にハクを付けるという以上の意義を感じてはいないようだ。

——今までのメディアとの違いが見えてくるのは、もう少し先になりそうか。
 う〜ん、まあ。それ(=違い)がメインなんじゃなくて、我々がメディアを作ることがメインなんです。やりたいのは、そこ。

日経と同じようなロゴで「東京経済新聞」って書いてあって、全く同じような体裁で出ていたら、分かんないじゃないですか。ああなんか格がありそうだな、とか思うでしょ?

 そういう考え方が、江川には承服できないのだろう。何度否定されても報道の意義や志を問い続けるため、堀江はいらだち、身も蓋もない言い方をエスカレートさせていく。

——今までにない内容の報道をやりたいというのもない?
 ないですね(笑)。いいんでよ、別に。内容が(今までのメディアと)違うかどうかは。それが目的じゃない。

——出すからには、こういうモノを出していきたいというのはないのか。
 そういうのは、おせっかいですよ。読者は別にそんなもの求めていない。そんなもの押しつけたくもないし。

 このインタビューの中で、堀江が語る新聞の編集方針らしきものは、「人気投票」に尽きる。

——ある程度の方向性がないと、何でも載せますというわけにはいかない。
 いいんじゃないですか。自分で判断して下さい、と。それで、世の中の意向はアクセスランキングという形で出てくるんですから、その通りに順番並べればいいだけでしょ。
 

——例えば、イラクのこととか、新聞ではもうあまり載らない。でも……
 いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。

 新聞には通常、「ニュースを集める」機能と、「集めたニュースの価値を判断し、軽重をつけて紙面化する」機能がある。
 堀江はここで、後者を不要だと切り捨てているわけだ。
 「意思なんて入れる必要ないって言ってるんですよ。」「情報操作をする気はない。」と堀江は江川に向かって力説する。江川をはじめ、ジャーナリズムに携わる人の大半は、自身の存在価値を全否定されたと感じて猛反発することになる。それは、このところ堀江がテレビ出演するたびに繰り返されている風景と同じだ。


 私は堀江が「殺す」と言っている旧メディアに足場を置く人間ではあるが、堀江の主張の是非を問う前に、思考実験として、「意思」や「情報操作」を切り捨てた新聞がどのようなものになるのかを考えてみたい。

 まず、このライブドア新聞(とりあえずこういう名前で呼ぶことにする)が、自前の記者を雇うのかどうかが気になる。全面的に通信社が配信する記事だけで紙面を埋めるのか、少しは自前の記者も持つのか。
(現在のサイト上のライブドアニュースは既存の新聞が配信するニュースが大半を占めているが、それらをライブドア新聞に転載することは各社が認めないだろう。おそらく使用可能なのは通信社の記事だけだ)。
 自前の記者を持つ場合、彼らが取材をする対象や分野には物理的・能力的な限界がある。とすれば取材対象はどこになるのか。
 普通のメディアであれば、会社が重要だと判断する分野に、重点的に自前の記者を投入する。だがライブドア新聞はニュースの価値判断をしないので、記者の守備範囲をどのように決めるのかは興味深い。これも人気投票だろうか。やり方次第では可能なのかも知れない。

 また、自社の記者が書く記事と、同じ話題について通信社が配信する記事との間には、区別をつけるのだろうか。
 自社の記者が書いた記事を通信社の記事とは別格に扱うのであれば、そこでライブドア新聞の「意思」と「操作」が働いたことになる。
 逆に、両者を同等に扱い、すべてを人気投票に委ねるのであれば、アクセス数で通信社の記事に負けた場合は、自社の記者の記事でも掲載されないということが起こりうる。
 だとしたら、記者たちはアクセス数を増やそうとして記事の内容を偏向させたり、捏造に近いことを行なう可能性が強まるだろう(少なくとも、この新聞のトップは「真実を追究する」ことに価値を認めていないのだから、記者もそんなものには興味を持たなくなるだろう)

 記事内容が事実かどうかを編集者がチェックするといっても限界がある。一級品のスクープというのは、その記者以外に確認できる者がいないからスクープなのである。スクープは不要という方針をとり、編集者が事実関係を確認できない記事は掲載を拒否するのであれば、記者にとっては生活権の侵害になる。普通の新聞社と違って、ライブドア新聞では、記事へのアクセス数が記者の収入に直結するのだから(アクセスされない記事には金を払わない、という堀江の発言がある)、人気投票の候補にエントリーされなければ大打撃だ。
 自前の記者を一切雇わず、通信社の配信記事とパブリックジャーナリストの投稿だけで紙面を作るのだとしても、ここで述べた記事内容の偏向・捏造や生活権の問題はパブリックジャーナリストに同じように発生するだろう。

 分野の設定についても問題は生ずる。
 現在、ライブドアニュースは「主なトピックス」「国内」「海外」「経済」「芸能」「スポーツ」「コンピュータ」「地域」「写真」「動画」といった項目に分類されている。仮にこの項目がライブドア新聞でも継承されるとして、項目ごとにアクセス上位の記事が新聞のそれぞれの面に掲載されるのだとする。
 ある日のアクセスランキングで、例えば「海外」の1位になった記事のアクセス数が、「芸能」の30位程度でしかなかった場合、それでもライブドア新聞は「海外」の1位を「海外面」のトップ記事にするのだろうか。それはライブドア新聞社の「意思」によって「操作」していることにはならないか。

 すべての記事が同じ条件で「人気投票」を待つことも、現実には難しい。
 ネットの読者が、ある記事にアクセスするか否かは、見出しの文章を読んで判断するしかないからだ。
 例えば、少し前に、若い女性タレントがテレビ番組の中で万引き経験を得々と告白したことが問題視されている。私はこのタレントを知らないし、彼女の犯罪には何の興味もないので、見出しに彼女の名前が書かれていれば記事を読むことはない。だが、「人気女性タレントがテレビで万引き告白」とあれば、誰だろう?という下世話な好奇心から、読んでみようかという気になる。
 つまり、見出しの文言によってアクセス数を操作することは可能なのだ。
 というよりも、操作するつもりはなくても、つけられた見出しの上手下手が、否応なしにアクセス数に影響してしまう。ここを完全にニュートラルにすることは不可能といってよい。

 こうやって突き詰めていけば、「意思」と「操作」を完全にゼロにすることが可能であるとは、私には思えない。編集という作業は、何らかの価値観が入り込むことなしには成立し得ないからだ。このインタビューで、堀江がそこまで深く考えずに発言しているのか、わかっていても敢えて相手を挑発しているのか、単にまともに答えるのが面倒くさくなって江川を弄んでいるのか、それは私にはわからない。


 とはいうものの、そこまでの厳密さを求めないのであれば、今の新聞よりも「意思」や「操作」の度合がはるかに小さいものを作ることは不可能ではないだろう。
 ライブドアニュースでは現在、アクセス数の総合ランキングと分野別ランキングを公表しているから、その順番通りに(あるいはアクセス数に比例するように)紙面上のスペースを配分していけば、とりあえず新聞の形にはなるはずだ。
 そんなふうにしてできあがった新聞は、従来の新聞とどれだけ違うのだろうか。
 こればっかりは見てみないとわからない。私自身にとってはあまり興味が持てないものになりそうだが、「それで充分」という人も世の中には結構いるかも知れない。ただし、そういう人たちは、そもそも新聞を金を払って買うだろうか。この新聞が、一体どういう人たちに需要があるのか、私にはよくわからない(冒頭に紹介した堀江の発言が示唆しているように、金融ニュースだけが重要でその他の一般ニュースは付け足しというものなら需要はあるかも知れないが、それはいわゆる新聞とはちょっと違うものになるだろう)。

 反面、堀江が言うような新聞が実現すれば、それは逆に、ジャーナリズムというものが持っている機能や、その値打ちを明らかにしてくれるかも知れない、という気もしている。
 現在のジャーナリズムに携わる人々がもっとも大事だと思い込んでいるものを抜き去った時、新聞に何が残るのか。それでも新聞は成立するのか。やっぱり(旧メディアの人たちが想像しているように)ろくなものにならないのか。
 それが明らかになった時に、逆に新聞が持つ独自の価値(があればの話だが)が明確になり、既存メディアがインターネット社会の中で生きる道も見えてくるのではないだろうか。

 ただし、「人気投票」には別の懸念も残る。
 私の記憶が確かならば、昨年9月ごろにライブドアが新球団の名称を公募した際、人気投票の結果に忠実に命名されていれば、球団名は「仙台ジェンキンス」になっていたはずではなかったか?
 これと同じことがライブドア新聞に起こらないという保証はどこにもない。
 もし防止しようとするなら、それはまさに「意思」と「操作」によってしかできないことなのである。

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