ニッポン放送やフジテレビがライブドアの傘下に入ろうが入るまいが、私にとってはどちらでもいいのだが、堀江貴文ライブドア社長がマスメディアを使って何をしたいのか、という点は気になっている。
その意味で興味深く読んだのは、江川紹子ジャーナルに掲載されている堀江社長インタビューだ(このインタビューの存在は「ネットは新聞を殺すのかblog」で知った)。
アップされたのは2/10だが、インタビューが実施されたのは去年の12月なので、まだニッポン放送株の買収は始まっていない。ライブドアがメディアを持つことについて始まったインタビューは、江川自身が新聞記者出身で活字畑の人であるせいか、堀江の新聞構想について突き進んでいく。
インターネット時代の金融会社を大きくしていくためにはどうしたらいいのかっていう流れの中で、メディアを持たなきゃいけないっていう話になったわけですよ。発想はブルームバーグさんと全く一緒。
堀江にとってのメディアは、商売の一環でしかないらしい。新聞を持つことに対して、金融事業にハクを付けるという以上の意義を感じてはいないようだ。
——今までのメディアとの違いが見えてくるのは、もう少し先になりそうか。
う〜ん、まあ。それ(=違い)がメインなんじゃなくて、我々がメディアを作ることがメインなんです。やりたいのは、そこ。
日経と同じようなロゴで「東京経済新聞」って書いてあって、全く同じような体裁で出ていたら、分かんないじゃないですか。ああなんか格がありそうだな、とか思うでしょ?
そういう考え方が、江川には承服できないのだろう。何度否定されても報道の意義や志を問い続けるため、堀江はいらだち、身も蓋もない言い方をエスカレートさせていく。
——今までにない内容の報道をやりたいというのもない?
ないですね(笑)。いいんでよ、別に。内容が(今までのメディアと)違うかどうかは。それが目的じゃない。
——出すからには、こういうモノを出していきたいというのはないのか。
そういうのは、おせっかいですよ。読者は別にそんなもの求めていない。そんなもの押しつけたくもないし。
このインタビューの中で、堀江が語る新聞の編集方針らしきものは、「人気投票」に尽きる。
——ある程度の方向性がないと、何でも載せますというわけにはいかない。
いいんじゃないですか。自分で判断して下さい、と。それで、世の中の意向はアクセスランキングという形で出てくるんですから、その通りに順番並べればいいだけでしょ。
——例えば、イラクのこととか、新聞ではもうあまり載らない。でも……
いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。
新聞には通常、「ニュースを集める」機能と、「集めたニュースの価値を判断し、軽重をつけて紙面化する」機能がある。
堀江はここで、後者を不要だと切り捨てているわけだ。
「意思なんて入れる必要ないって言ってるんですよ。」「情報操作をする気はない。」と堀江は江川に向かって力説する。江川をはじめ、ジャーナリズムに携わる人の大半は、自身の存在価値を全否定されたと感じて猛反発することになる。それは、このところ堀江がテレビ出演するたびに繰り返されている風景と同じだ。
私は堀江が「殺す」と言っている旧メディアに足場を置く人間ではあるが、堀江の主張の是非を問う前に、思考実験として、「意思」や「情報操作」を切り捨てた新聞がどのようなものになるのかを考えてみたい。
まず、このライブドア新聞(とりあえずこういう名前で呼ぶことにする)が、自前の記者を雇うのかどうかが気になる。全面的に通信社が配信する記事だけで紙面を埋めるのか、少しは自前の記者も持つのか。
(現在のサイト上のライブドアニュースは既存の新聞が配信するニュースが大半を占めているが、それらをライブドア新聞に転載することは各社が認めないだろう。おそらく使用可能なのは通信社の記事だけだ)。
自前の記者を持つ場合、彼らが取材をする対象や分野には物理的・能力的な限界がある。とすれば取材対象はどこになるのか。
普通のメディアであれば、会社が重要だと判断する分野に、重点的に自前の記者を投入する。だがライブドア新聞はニュースの価値判断をしないので、記者の守備範囲をどのように決めるのかは興味深い。これも人気投票だろうか。やり方次第では可能なのかも知れない。
また、自社の記者が書く記事と、同じ話題について通信社が配信する記事との間には、区別をつけるのだろうか。
自社の記者が書いた記事を通信社の記事とは別格に扱うのであれば、そこでライブドア新聞の「意思」と「操作」が働いたことになる。
逆に、両者を同等に扱い、すべてを人気投票に委ねるのであれば、アクセス数で通信社の記事に負けた場合は、自社の記者の記事でも掲載されないということが起こりうる。
だとしたら、記者たちはアクセス数を増やそうとして記事の内容を偏向させたり、捏造に近いことを行なう可能性が強まるだろう(少なくとも、この新聞のトップは「真実を追究する」ことに価値を認めていないのだから、記者もそんなものには興味を持たなくなるだろう)
記事内容が事実かどうかを編集者がチェックするといっても限界がある。一級品のスクープというのは、その記者以外に確認できる者がいないからスクープなのである。スクープは不要という方針をとり、編集者が事実関係を確認できない記事は掲載を拒否するのであれば、記者にとっては生活権の侵害になる。普通の新聞社と違って、ライブドア新聞では、記事へのアクセス数が記者の収入に直結するのだから(アクセスされない記事には金を払わない、という堀江の発言がある)、人気投票の候補にエントリーされなければ大打撃だ。
自前の記者を一切雇わず、通信社の配信記事とパブリックジャーナリストの投稿だけで紙面を作るのだとしても、ここで述べた記事内容の偏向・捏造や生活権の問題はパブリックジャーナリストに同じように発生するだろう。
分野の設定についても問題は生ずる。
現在、ライブドアニュースは「主なトピックス」「国内」「海外」「経済」「芸能」「スポーツ」「コンピュータ」「地域」「写真」「動画」といった項目に分類されている。仮にこの項目がライブドア新聞でも継承されるとして、項目ごとにアクセス上位の記事が新聞のそれぞれの面に掲載されるのだとする。
ある日のアクセスランキングで、例えば「海外」の1位になった記事のアクセス数が、「芸能」の30位程度でしかなかった場合、それでもライブドア新聞は「海外」の1位を「海外面」のトップ記事にするのだろうか。それはライブドア新聞社の「意思」によって「操作」していることにはならないか。
すべての記事が同じ条件で「人気投票」を待つことも、現実には難しい。
ネットの読者が、ある記事にアクセスするか否かは、見出しの文章を読んで判断するしかないからだ。
例えば、少し前に、若い女性タレントがテレビ番組の中で万引き経験を得々と告白したことが問題視されている。私はこのタレントを知らないし、彼女の犯罪には何の興味もないので、見出しに彼女の名前が書かれていれば記事を読むことはない。だが、「人気女性タレントがテレビで万引き告白」とあれば、誰だろう?という下世話な好奇心から、読んでみようかという気になる。
つまり、見出しの文言によってアクセス数を操作することは可能なのだ。
というよりも、操作するつもりはなくても、つけられた見出しの上手下手が、否応なしにアクセス数に影響してしまう。ここを完全にニュートラルにすることは不可能といってよい。
こうやって突き詰めていけば、「意思」と「操作」を完全にゼロにすることが可能であるとは、私には思えない。編集という作業は、何らかの価値観が入り込むことなしには成立し得ないからだ。このインタビューで、堀江がそこまで深く考えずに発言しているのか、わかっていても敢えて相手を挑発しているのか、単にまともに答えるのが面倒くさくなって江川を弄んでいるのか、それは私にはわからない。
とはいうものの、そこまでの厳密さを求めないのであれば、今の新聞よりも「意思」や「操作」の度合がはるかに小さいものを作ることは不可能ではないだろう。
ライブドアニュースでは現在、アクセス数の総合ランキングと分野別ランキングを公表しているから、その順番通りに(あるいはアクセス数に比例するように)紙面上のスペースを配分していけば、とりあえず新聞の形にはなるはずだ。
そんなふうにしてできあがった新聞は、従来の新聞とどれだけ違うのだろうか。
こればっかりは見てみないとわからない。私自身にとってはあまり興味が持てないものになりそうだが、「それで充分」という人も世の中には結構いるかも知れない。ただし、そういう人たちは、そもそも新聞を金を払って買うだろうか。この新聞が、一体どういう人たちに需要があるのか、私にはよくわからない(冒頭に紹介した堀江の発言が示唆しているように、金融ニュースだけが重要でその他の一般ニュースは付け足しというものなら需要はあるかも知れないが、それはいわゆる新聞とはちょっと違うものになるだろう)。
反面、堀江が言うような新聞が実現すれば、それは逆に、ジャーナリズムというものが持っている機能や、その値打ちを明らかにしてくれるかも知れない、という気もしている。
現在のジャーナリズムに携わる人々がもっとも大事だと思い込んでいるものを抜き去った時、新聞に何が残るのか。それでも新聞は成立するのか。やっぱり(旧メディアの人たちが想像しているように)ろくなものにならないのか。
それが明らかになった時に、逆に新聞が持つ独自の価値(があればの話だが)が明確になり、既存メディアがインターネット社会の中で生きる道も見えてくるのではないだろうか。
ただし、「人気投票」には別の懸念も残る。
私の記憶が確かならば、昨年9月ごろにライブドアが新球団の名称を公募した際、人気投票の結果に忠実に命名されていれば、球団名は「仙台ジェンキンス」になっていたはずではなかったか?
これと同じことがライブドア新聞に起こらないという保証はどこにもない。
もし防止しようとするなら、それはまさに「意思」と「操作」によってしかできないことなのである。
最近のコメント