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関川夏央・谷口ジロー『事件屋稼業』双葉社ほか

 「BSマンガ夜話」で『事件屋稼業』が採り上げられたのを記念して、勝手に番組に協賛し、以前、ある雑誌に書いた雑文を(多少手直しして)アップすることにする。
 『事件屋稼業』というマンガを読んだことのない人には、まるっきり意味不明の文章だと思いますが、どうかご容赦を。

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 自称名探偵・深町丈太郎が初めて読者の前に姿を現したのは、1979年のクリスマスの前だった。サーファーカットとハマトラ姿のおねえちゃんが颯爽と歩く街に、深町のトレンチコートとハンチングはいかにも野暮ったい。
 あらかじめ時代に取り残されることを約束された探偵は、その後のバブル経済とその崩壊を経て、ますます生きた化石の度合を深めていく。
 年増歯科医が大家の古ぼけたビルに間借りして事務所兼自宅を構え、浮気調査で糊口をしのぐ。エリート女医の別れた妻に未練たらたらながら、決して頭を下げようとはしない。ハードボイルドを日本語に訳すと?と問われて「痩せ我慢」と答えた作家は誰だったか。まこと深町丈太郎の人生は痩せ我慢の連続である。

 カタギになろうと試みて、スカウトに応じ警備会社に入社したこともある(「市民の生活」)。しかし、裏ではサラ金に融資し、手を汚さずに利を掴む経営実態を知った深町は、社長に三行半をつきつける。社長は言う。
「法に触れますか?危ない橋を渡りたがるのは彼らです。わたしは出資しただけです」
 深町は答える。
「法には触れません。しかし、あたしの気持ちにさわります」
 そして、最後に言い放つ。
「いつか、あなたも危ない橋を渡りたくなるでしょう。そのときは橋を下から揺すぶってあげますよ…あんたのようなひとが市民ってやつだとしたら、おれは七回生まれかわっても市民にはならない。首輪のない猟犬でいる方がずっといい」
 時に85年。バブル経済真っ盛りの時期にこういうことを言う人間は、決して金持ちにはなれない。深町の友人であるインテリヤクザの黒崎は、組の企業化を推し進め、株や事業で成功したりバブル崩壊で没落したりと忙しいが、深町は一貫して貧乏だ。

 79年から94年までの15年間、関川夏央と谷口ジローは単行本にして6冊分、深町とそのろくでもない友人たちを描いてきた。
 深町が登場したころ、谷口ジローの描く主人公は、誰もが刺すような目をしていた。昏い、鋭い、獣の目が、紙の中からこちらを睨みつけ、「お前の生き方なんざクソだ」と恫喝してきた。
 同じ鋭さでも、狩撫麻礼の原作作品では、光の加減は微妙に異なる。『LIVE!オデッセイ』の、アメリカで出会った黒人歌手に打ちのめされた、飢えたロックンローラー。『青の戦士』の、死に場所を求めて世界を放浪する無敵のボクサー。主人公たちの目は、出口を求めて荒れ狂う過剰なエネルギーの窓だった。オデッセイはマネジャーに言う。
「俺とあんたは一枚のコインの裏表さ。心の中に手のつけられねえ暴れ馬が眠っている」

 関川夏央が創り出した男たちは違う。『リンド3!』の冒険者たちも、『無防備都市』の刑事たちも、他人のトラブルに深入りしながらも、最後はすべてを呑み込んで沈黙するしかない傍観者。それでも抑えきれない情緒のかけらが、彼らの目の光に、僅かにのぞく。深町の目も同じだ。
 「生者の驕り」では、自動車事故で妻と子を失った中年男が深町の事務所を訪ねる。生きながら炎上する妻子を掲載した写真週刊誌の編集長に復讐心を抱き、彼のスキャンダルをつかむことを依頼する。
 深町は編集長の不良娘を尾行しているうちに意気投合し、編集長の目の前で娘に飛び降り自殺を決行させる(無論、パラシュートで無事着地するのだが)。
 後日、娘は深町に、父親は反省したようだが、3日もしたら再び死体探しに精を出し始めた、と伝える。
「あれで仕事辞めるようならオトナはつとまらないよ。あたしだって経済的に困るしね」
「そんなもんか」
「そんなもんよ。あのおじさんは?あんたに仕事頼んだひと」
「会社辞めてどっかへ行っちゃったよ。やっぱり気分がすっきりしないってさ」
「そんなもんかな」
「そんなもんさ。そういうオトナもいるさ…いなきゃ困るよ、お嬢さん」
 こういう科白を口走る時の深町の無表情は、デ・ニーロや山崎努のそれに似て、言葉にし難い何かを雄弁に語っている。

 90年代に入ると、『「坊ちゃん」の時代』や、『犬を飼う』などの叙情的な作品群を経て、谷口ジローの描く目は、穏やかなものに変わってきた。
 深町とその友人たちも、老後を心配し安定を求めて足掻きはじめる。深町の目に、かつてのギラギラした光はなく、ときに透明感すら帯びている。
 だが、悪徳刑事・五島田は歯医者に求婚しても振られ、若い女性新聞記者と結婚した黒崎は、披露パーティーで落下した巨大シャンデリアの下敷になって息絶える。安定した老後も家庭の安らぎも、しょせん彼らには無縁の世界でしかないのだ。もちろん、深町にも。

 深町は確か今年で58歳になる。もう10年も会っていないけれど、相変わらず都会の底を彷徨しているはずだ。老人と呼ばれる齡になった深町の目を、谷口ジローがどう描くか。いつか見せてほしいと願っている。


追補:
その「BSマンガ夜話」で、関川は「これは終わったわけじゃない。長ーい休みをもらっているだけ」と言いながら、60歳近い年齢で糖尿の気もある深町の、新作の構想を語っていた(笑)。

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コメント

また連載するとしたら泣いてしまうな。
黒崎はどうなるのかな。

投稿: 通りすがり | 2011/06/04 14:51

深町ももう60代ですな。著者たちはそれぞれ健在でご活躍してますから、連載はともかく単発で復活するくらいの可能性は、きっとあるのだろうと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2011/06/06 23:16

再度もお願いしたいし、偽出版の『原作屋稼業』も
ゼヒ完成させて欲しい。

投稿: ま~に | 2013/05/17 22:05

谷口ジローの逝去により、それも見果てぬ夢と化しましたね……

なぜ、もう少し早く実現できなかったんでしょうか。

投稿: | 2017/08/12 14:27

>2017/08/12 14:27の名無しさん

残念半分、それでよかったのかもという気分も半分、というのが私の心境です。
谷口ジローの描く線は、散歩モノ以後、良くも悪くもすっかり変わったので、
晩年の彼が「事件屋稼業」を描いたとしても、
我々の腑に落ちるような深町像にはならなかったかもしれません。

投稿: 念仏の鉄 | 2017/08/13 07:51

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