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清原ファン必見。村田真一ファンも必見。

 ポッカコーヒーがスポーツ紙に時々載せる、清原の広告が気に入っていた。
 プレー中の清原の何気ない写真を大きく使い、ボディコピーがぎっしりと詰め込まれている。ジャイアンツOBの村田真一が清原を語り、ついでのようにポッカコーヒーも語る、という形式で、なかなか味のあることが書いてある(ポッカを褒めた部分の文章は、とても村田の考えとは思えないが(笑))。

 この、村田が「キヨ」を語る言葉が、何ともイイ感じだ。

「今年は『蓮の花を咲かせたる』そうだ。なんで『花』やなくて『蓮の花』やねん、と聞いたら『村田さん、知らんのか。蓮の花は泥水に咲くんやで』だと。」
「名古屋で応援ボイコットされて泣きながら東名を飛ばして帰った、あの頃以来のつらい時期が去年の秋やった。それを過ぎて、もう周りを気にしてられんぐらい本気なんだと思う。」

 はっきり言ってクサい。だが、このクサさが、清原にも村田にもよく似合う。

 なにしろ清原同様、村田自身が浪花節の人なのだ。
 大好きな村田のエピソードがある。デーブ大久保がどこかで話していたのだが、彼が西武から移籍して、先発で起用されるようになった頃のこと。大久保はシーズン途中の移籍だったから、対戦相手のデータどころか、自チームの投手の持ち球や特徴さえ把握していない。そんな時期に、村田は大久保にそれらを丁寧に教えた。大久保は言う。
「ふつう、そんなの教えませんよ。僕が村田さんのポジションを奪ったわけですから。でも、村田さんは教えてくれたんです。『みんなで幸せになるんや』って」

 大久保がジャイアンツに移籍したのが1992年。村田は81年に入団してから長い間、山倉の控え捕手にとどまり、プロ入り11年目の91年、初めて出場試合数が100試合を超えた。92年というのは、そういう年である。30歳を前にようやく正捕手に手が届こうという矢先に、それを横からさらっていった年下の男の手助けをする。並みの人間にできることではない。村田真一が、あのごつい顔で「幸せになるんや」と口にする姿を想像するだけで、目頭が熱くなってくる。
 後に原辰徳がジャイアンツの監督をやめた時、原に乞われてコーチを務めていた村田もジャイアンツをやめた。侠気の人なのである。
 そんな男だからこそ、清原とも気が合ったのだろう。同じ関西人どうしとか、先輩だとかいう以上の結びつきが、この広告の文章からも感じられる。

 「清原道、ポッカ道」と名付けられたこの広告シリーズ(全4回)は、現在、ポッカのHPで公開されている。 
 期間限定らしいので、お早めに。これを読むと、つい清原に肩入れしたくなってくる。

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コメント

こんにちわ。いつも書き込んでいただいてありがとうございます。

実は私は村田真一の大ファンです。ポッカのHPも読ませていただきました。頭にデッドボールを受けた事、その彼の復帰を願って清原の提案でみんながヘルメットに「9」シールを張ったこと、日本シリーズで奮闘した事、いろんな思い出があります。いくら頑張っても「巨人は捕手が弱い」と言われてしまっていた村田真一。しかし彼の弱点はスローイングだけで、リード能力は古田や伊東を除いては見劣りするものでは決してなかった。それでも文句も言わずチームのためにひたすら頑張る。そんな姿は私にとって「男の中の男」でした。

思えば村田真一、斉藤雅樹、槙原寛己の引退あたりを境に私は巨人から離れ始めた気がします。川相もそうでしたが、村田も、清原も、現代野球が置き忘れている大切なものを持っている気がしています。野球は変わらなければならない、でも変わっていけないものも忘れてはいけない、そんなことを考えました。

投稿: アルヴァロ | 2005/03/15 02:59

アルヴァロさん、こんにちは。そうですか、村田ファンでしたか。村田ファンに悪い人はいませんね(って猫好きか俺は)。

>思えば村田真一、斉藤雅樹、槙原寛己の引退あたりを境に私は巨人から離れ始めた気がします。川相もそうでしたが、村田も、清原も、現代野球が置き忘れている大切なものを持っている気がしています。

この時期に監督になった原辰徳が「ジャイアンツ愛」と言い出したのは、そういう面での危機感のあらわれだったはずです。彼がコーチにした吉村、村田、斉藤の3人は、まさに「ジャイアンツ愛」を体現してきた選手でした。その原が2年で解任され、この3人が(そして川相も)同時にチームを去ったことは、ジャイアンツの歴史の中で決定的な分岐点になるのだろうと思います。

ただ、90年代には、村田が「古くさい選手」と見なされていたことも確かです。昭和40年代の川上巨人で滅私奉公が強調されすぎた反動からか、その後の野球界では、選手が監督の駒になるような戦術はあまりメディアから好まれず、個性が称揚される傾向がありました。トルシエ/ジーコ論争ほど明確な対立だったわけではないですが(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/03/15 10:44

村田さんの話が聞けてうれしかったです。
ポッカのポスターは見れませんでしたが、
現役時代の話も聞けてよかったです。

投稿: oo | 2005/05/01 19:29

>ooさん
書き込みありがとうございます。ポッカHPでの公開は終わってしまったようですね。残念。
ooさんも村田ファンのようですね。「村田真一」で検索してここを訪ねてくれる方、結構多いです。引退して何年もたつのに、彼を忘れない人が多いのは嬉しいことです。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/05/02 00:33

はい、「村田真一」の検索できた一人です。
彼は良い捕手でした。
もう一人村田という名の捕手が巨人にいましたが、うちの父は彼の事を「偽村田」真一さんの事を「本村田」と言っていたのを思い出しました。
その偽村田も今年で引退との事。
本村田さんも打撃コーチとしてがんばってらっしゃるようなので、2008年日本シリーズ制覇を楽しみにしております。

大昔のエントリにレス付けてスイマセン。

投稿: みゆみゆ | 2008/11/03 00:14

>みゆみゆさん
びっくりしましたが、昔のエントリを読んでいただけるのは嬉しいです。
村田が打撃コーチでいいんだろうか、という気もしますが(笑)、若手が伸びてきてますし、ベンチ内で原監督の近くに彼の顔があるのは単純に嬉しいです。

村田善は確か松井秀喜の同期生でした。松井もそういう年齢なのかと思うと複雑。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/11/03 00:43

こんにちは。かなり前の記事に今頃コメントしてすみません^^; 村田真一さん、かっこよくて人望があって大好きでした。出場している試合はテレビで村田さんを目で追い、引退と同時に野球をみることも無くなったくらいで。とても素敵な話で感動しました。ありがとうございます。最近はYouTubeでも村田さんを拝見できるようになり、相変わらずの人柄の良さで「やっぱり村田さん好きだわ〜」とあの頃を思い出しています。

投稿: | 2021/11/01 22:14

>2021/11/01 22:14の名無しさん

こういうコメントは何年後にいただいても嬉しいものです。
村田真一さんは、由伸監督時代はチーム不振の責めを一身に受けて大変そうでしたが、今の解説者生活は肩の荷が降りた感じですね。

投稿: 念仏の鉄 | 2021/11/06 12:08

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