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伊勢崎賢治『武装解除』講談社現代新書

 サブタイトルを「紛争屋が見た世界」という。
 「紛争屋」といっても傭兵ではない。国や地域の紛争処理のために国際社会が送り込む人材を、著者は露悪的にこう呼んでいる。ただし「紛争によって収入を得ている人々」という意味では、これは尊称でも蔑称でもない、単なる現実とも言える。
 で、その「紛争屋」の実態とは何か。著者紹介には、こう書いてある。
「国際NGOに身を置きアフリカ各地で活動後、東チモール、シェラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮。」
 これだけでは何やらわけがわからないが、著者が関わった紛争処理の中でも、特に「武装解除」に焦点を当てて書かれているのが本書だ。
 東チモールでは、国連による暫定政府の県知事として。
 シェラレオネでは、国連PKOミッションのDDR(武装解除・動員解除・復員)の統括責任者として。
 そしてアフガニスタンでは、日本政府の特別顧問として。
 異なる地域で、異なる立場から、それぞれに武装解除という困難なミッションに携わってきた著者の、実体験によるレポートだ。

 「目から鱗が落ちる」という形容があるが、この本を読んでいる間、鱗がぼろぼろと落ちっぱなしだった。何枚落ちたか数えきれない。紛争処理の現場というのは、戦争の現場よりももっと知られていないのではないかと思う。

 さまざまな軍事勢力が割拠する地域の中で、外からやってきて中立の立場を貫き、それぞれの軍事勢力を説得して武器を放棄させ、戦闘員を離脱させる交渉を、力のバランスを保ちながら少しづつ、粘り強く実行していく。離脱した戦闘員たちは社会復帰させるのだが、内戦で傷ついた地域では、親兄弟を殺した張本人が何の罪も問われずに職業訓練まで受けて村に戻ってくる、などということがいくらでも起こりうる。
「戦争を始めるのはたやすいが、終わらせるのは難しい」という言葉があるが、著者が取り組んできたのは、まさに「戦争を終わらせる」作業だ。さまざまな矛盾を呑み込んだ上、本当に終りがあるのかどうか誰にも確信できない作業でもある。

 下手なダイジェストを書き連ねるよりも、印象に残った言葉を抜き書きしてみたい。

「最も大切なのは、多国籍軍、特に戦闘部隊を“同じ現場”において文民統治する組織構造を作ることだ」
「多国籍軍に参加するとは、自国のものでない指揮下でどう自国の政治と折り合いをつけながら軍事行動をするか。すべてはここにかかっているのだ」

「日本の援助は、政治的なコンディショナリー(条件)をつけることを知らない。それを内政干渉とみなし、忌諱してきた伝統がある。でも、平和を願って出す血税が元の公的資金に色をつけるのは、平和憲法を戴く国家として当然のことではないだろうか」

「国際社会が“代償”として、被援助国に求めるのは、“民主主義”の構築である。独裁政権の独立に、国際社会は(表舞台では)絶対金を出さない」
「その“民主主義”が新国家建設に求めるものは、有権者の政治参加と多数政党制、つまり民主選挙である。有権者としての自意識が、歴史的にまったくその国民に存在しなくても、国際社会はそれを“教育”してまで、選挙をやる」

「イラクをはじめ、日本の自衛隊の派兵は、この現場でのシビリアン・コントロールの確保に敏感になるべきだ。平和憲法を戴く日本は、他国以上に敏感になる責任があると思う。イラクにおいて、イラク暫定政府からも、国連ミッションからも司令を受けない、そして連合国占領統治局(CPA)もなくなった後の米主導の多国籍軍のシビリアン・コントロールは?」

「国際援助の世界では伝統的に、留置場、刑務所等の“体制系”インフラは、小学校や病院等の“癒し系”インフラに比べ、極端に支援国の興味を引きにくい」「アフガニスタンでも、警察も裁判所も整備されていない状況で、小学校建設だけが進むという、(中略)奇妙な現象が起きている」

「米国が始めた戦争が犠牲にしたもう一つの人類共通のモラルは、民主主義だと思う。」「弱小国にとって民主主義の選択は、当事者の内発的な発意によるものではなく、『言うことを聞かねば最後に武力でねじ伏せる』と、後ろで銃をちらつかせて強制するものになってしまった」

「僕は、仕事柄、米連合軍の司令官クラス(少将、中将のレベル)と日常的なやり取りがあったが、『彼らは日本の資金的貢献をしっかり評価している』というのが実感である」
「本来、国際協力の世界では、金を出す者が一番偉いのだ。それも、『お前の戦争に金だけは恵んでやるから、これだけはするな。それが守れない限り金はやらない』という姿勢を貫く時、金を出す者が一番強いのだ。しかし、日本はこれをやらなかった」


 実際に国際紛争の現場で体を張って「平和」の実現に向けて実務を執ってきた人物の言葉には、いわゆる「日本は平和ボケ」論とはケタ違いの説得力がある。それぞれの言葉がどういう状況について記され、どういう現実に裏打ちされているのかは、ぜひ本書を読んでみていただきたい(アフガニスタンで日本が武装解除を主導している、などという実情を、私は迂闊にも本書を読むまで知らなかった)。
 とりわけ、イラクに派遣された自衛隊が多国籍軍の指揮下に入らず、かつ日本の在外公館が現地の情勢に基づいて独自の政治判断を下せる体制にないのなら、「文民統治を現場でどう担保するのであろうか」「こんな軍隊は“ゲリラ部隊”と見なされてもしょうがないのだ」という指摘には唸らされた。当たり前すぎる話なのだが、こんなことにも気づかないのでは、確かに我々は(少なくとも私は)軍隊についてあまりにも知らない。

 露悪的で挑発的な物言いも多いのだが、根本的にこの人は信用できそうだと思うのは、東チモールでの仕事を綴った前著『東チモール県知事日記』(藤原書店)での記述からだ。
 伊勢崎は、知事という絶対的な権限の魔力、それに惹かれて手放すのが惜しくなってくる自分自身の欲望や弱さを隠さずに告白し、なおかつ、そのことを批判的に記す。自分の弱さを認めた上で、そこに逃げ込むことを自分に許さず、精神論でなく技術的にそれを克服しようとする。実務家として、筋が通っているのである。

 どの著書でも、伊勢崎はしばしば国連のエリート主義、現場軽視、事大主義といった欠点を批判する。巨大化した組織に特有の陥穽からは、国連も逃れられないようだ。
(実は、下の方にある「国連幻想を育んだ東宝特撮王国。」というエントリーは、本書の紹介の前振りを兼ねるつもりだったのだが、間があきすぎた上に、内容もほとんど関係なくなってしまった(笑))

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コメント

いつもながら、鉄さんの鋭い書評に敬服いたします。リアルな現場で生きている気がしても、どこか嘘っぽい。それがいまの日本の現実。この人、会ってみたいな~

投稿: ペンギン本人 | 2005/03/23 00:36

この人の著書は他にも2冊ほど買って読んでみましたが、どれも迫力があります。市民運動家に対して挑発的な言い方をするので、たぶん毀誉褒貶もあるだろうとは思いますが。

日本の中でも、それぞれの現場で誠実に生きればいいとは思うけれど、外への視野と想像力を持ちつつ目の前のことに取り組むことが大事なのでしょう。
ただ、軍事だけは、現場は海外にしかないので、国内だけで神学論争をしているのは空しい。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/03/23 01:26

むむむ、面白そうですね。読んでみたいです。戦争を終わらせたり武装解除させたりする地道な活動は、意外に日の目を見ていないんですね。知りませんでした。

投稿: ペンギン友人 | 2005/03/24 19:46

>ペンギン友人さん

私が無知なだけかも知れませんが、アフガニスタンへの一連の空爆が終わった後は、国際ニュースの焦点はイラクに移ってしまって、それからアフガニスタンがどうなってるかなんて、選挙くらいしか話題になってないんじゃないでしょうか。喉元過ぎれば何とやら。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/03/25 00:03

こんにちは。

どんな世界でもですが、現場を地に足をつけて生き抜いている人の話は一味違いますね。こういう当事者の意見に、上のというか私たち全員でしょうか、はどれくらい耳を傾けているのか、と疑問に思い恥ずかしくなりました。

少し話がずれるかもしれませんが、私の世代は日本のことをあまりに知らなすぎることを感じます。自衛隊について意見を言うにも、本来は上のような実態を知ってからであるべきなのに知らない。東南アジアの国の人々が日本からどんな影響を受けて、日本がどんな風に思われているのかも最近まで知らずに彼らと接してました。私達の勉強不足も確かにありますが、同時に日本の歴史教育に「温故知新」という言葉はないのか、と思いました。

長くなりましたが、「中の人の価値」にコメントを今更ながら書かせていただきました。

投稿: アルヴァロ | 2005/03/27 09:36

>アルヴァロさん
いらっしゃい。レス遅くなってすみません。出張に出ていて通信不如意でした。パが開幕して2日も経つのに、いまだ試合中継をまったく見ていないという、スポーツ系blog執筆者にあるまじき状況です(笑)。

>現場を地に足をつけて生き抜いている人の話は一味違いますね。

そう、現場を見ている、知っているというだけでなく、そこから組み立てて、ひとつの物の見方考え方を形成している、というところが肝要ですね。

>私の世代は日本のことをあまりに知らなすぎることを感じます。

私はたぶんアルヴァロさんより20年近く長く生きているのですが、お恥ずかしいことに、まったく同じことを感じています。歴史教育についていえば、現在と隔絶された単なる知識としてしか教えられていないことが、最大の難点なのかもしれません。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/03/28 00:28

 伊勢崎さんの講演(といっても、ほんの20人ぐらい参加の小さな市民集会でしたが)の話を、聞いてきました。

 前半はアフガン武装解除の様子に密着した「情熱大陸」の録画、つづいてシエラレオネでの武装解除の現実。最後に参加者と若干の質疑をしました。

 まず覚えた言葉はD・D・R。
 ディスアーマメント・ディスモビリゼーション・リインテグレーション(武装解除・動員解除・復員と社会的再統合)。
DDRと聞いて、日本の若者の間で数年前に一世を風靡した、ゲームソフト「ダンス・ダンス・レボリューション」を連想してしまった。お恥ずかしながら。

 シエラレオネの話が印象的だった。西アフリカ沿岸の小国。人口400万人の国で、内戦の10数年間で50万人が虐殺されていた。命じたのは革命統一戦線のフォディ・サンコ党首だ。伊勢崎さんは言う。「彼に比べたらビンラディンもフセインも軽犯罪者でしかない」
 そういったニュースを僕は何も知らなかった。伊勢崎さんはいう。「アメリカ人の命も日本人の命もアフリカの人の命も、価値はすべて等しい、なんて言うつもりはない。たぶん、アフリカの命は安いんでしょう。でなければこんなことは起こりえない」。


 そしてシエラレオネでは、平和を得るために、正義を犠牲にした。つまり、和平合意至った時、サンコの戦争責任をまったく問わず、革命戦線の兵士にも全面的な恩赦を与えた。

 正義と平和の実現がいかに難しいことか。つまり、いまの日本がいかに平和で秩序が保たれているか、考えさせられました(ホントに平和か?というと、これだけ北朝鮮や中国の脅威にさらされていて平和といえないんじゃないか、という人もいるでしょうが)

 質疑の時間になり、「武装解除では、どこの武器が多かったですか」と聞きました。
 すると、「ロシア製か中国製がほとんど」とのことでした。小銃・小火器といえばアメリカ製が多いかとおもったら、それはゼロ。
 伊勢崎さんは「だから、日本政府外務省は、もっと、ロシアや中国に対して、武装解除にお金を出せ、と主張するなど、外交カードとして使うべきだ。そういうことを全然していない」と話していた。
 少なくともアフガンは、日本の血税で武装解除した、とも言っていました。

 それと印象的だったのは、「和平合意」というのは何もきれいごとではない、ということ。ここを誤解しないでしっかり考えてほしいと強調していたこと。
 「戦争の悲惨さに気づいたとか平和の尊さに思い至ったのが和平、と勘違いしがちだが、全然違う。互いの勢力の利害調整、妥協でしかない。武器を置くことで何らかの見返りが得られるか、が大事」とのことでした。

 また、紛争地帯武装解除において、現行法律内で、とりあえず日本ができることは?との問いに、「在外公館の武官(自衛官)の数が少なすぎるし、地位が低い。防衛庁と外務省の仲が悪すぎる。アフガンでさえ武官が一人いるだけ。あまり活発に動きすぎるとアメリカのCIAのような過度な諜報活動になってしまうが、現状だと、軍事的観点からの解析がまったくできない。平和な軍隊を組織するために日本の自衛隊の知恵を生かすべきだ。文民統制などを教えるために、軍事顧問団をどんどん入れたらいい」と答えていました。

 また、日本の海外派兵に対する海外からの不安をどう考えたらいいか、という議論では、東チモール県知事時代に、同じ任務についていたアジア他国の軍人からは、自衛隊に対するちょっとした警戒感、不信感は感じた、という。だがその一方で、現地チモール人からは皆無だった、と話した。

 ではどうやってアジアの人の不信を取り除くか、という提案としては、「例えば、日本国憲法の中国語版や韓国語版をつくって、ホームページに載せておくなどの宣伝しているかというと、聞いたことがない」。


 とにかく、体験をもとに、ずばりと物を言う方でした。
 短躯ながら胸板がっちり、丸メガネ。なんとなく、中央アジアで亡くなった秋野豊・筑波大助教授に似ている方でした。

投稿: penguin本人 | 2005/06/05 17:07

>penguin本人さん

貴重なレポートをありがとう。そういう集会で彼を呼ぶ方も、実際に地方まで行く方も、なかなかのものですね。

>そういったニュースを僕は何も知らなかった。伊勢崎さんはいう。「アメリカ人の命も日本人の命もアフリカの人の命も、価値はすべて等しい、なんて言うつもりはない。たぶん、アフリカの命は安いんでしょう。でなければこんなことは起こりえない」。

映画『ホテル・ルワンダ』も同じようなブラック・アフリカの内戦と大虐殺を描いているけれど、この事件も欧米ではほとんど顧みられなかったようですね。日本公開も未定なんじゃないかな。

>「ロシア製か中国製がほとんど」とのことでした。

この世界で圧倒的に使われているのはロシア製の自動小銃カラシニコフ。構造が単純、手入れが楽で故障しにくいという長所があるそうです。そのあたりは、この銃を狂言回しに世界の紛争地帯を描いた松本仁一・朝日新聞記者のルポ『カラシニコフ』に詳しい。


>「例えば、日本国憲法の中国語版や韓国語版をつくって、ホームページに載せておくなどの宣伝しているかというと、聞いたことがない」

こんなのは然るべき立場の人がその気になればすぐできるでしょうにね。もっとも翻訳にはものすごく慎重にならなければいけませんが。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/06/06 10:06

初めて書き込みさせていただきます。

金光教では毎年、その時々の社会が抱えている問題や課題をテーマに取り上げ、各分野の専門家を招聘して「こんこう文化講座」を開催しております。
今回は『武装解除』の著者である伊勢崎賢治氏(立教大学大学院・21世紀社会デザイン研究科教授)をお招きして開催いたします。
テーマ:武装解除
    -紛争屋が考える平和論-日時:10月13日(木)18:30~20:30
場所:全水道会館 4階大会議室
   電話03-3816-4196
   JR中央緩行線水道橋駅東口下車徒歩2分
   都営地下鉄三田線水道橋駅A1出口より徒歩1分

内容は・・・世界の紛争地に入り、武装勢力の間に立って、あらゆる方法を用いて武器を取り上げる専門家“紛争屋”。日本政府の依頼を受け国連平和維持活動として東チモール、シエラレオネ、アフガニスタン等紛争地にあって武装解除及び治安維持活動を指揮して来られた伊勢崎氏の講演です。
 机上の空論でない、紛争の現場で求められている真の平和とは何なのか、共に考えていきたいと思います。
というものです。ぜひご聴講下さい。
なお、お席に限りがあります(約100席)ので、10/12迄にメール・電話・FAX等でお申し込み下さい。参加費は無料。
お問い合わせ先 金光教東京センター
電話03(3818)6321
FAX03(3818)6323
伊勢崎先生の御著書の紹介でしたので、書き込みさせていただきました。どうぞよろしくお願いします。

投稿: 金光教東京センター | 2005/09/21 15:44

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