長嶋のいない4月、または「昭和33年体制」の終焉。
以前、上原についての文章の中でちらっと書いたが、渡辺恒雄・前オーナーは、ジャイアンツは「昭和9年に発足して、23年間も赤字を続けたんですよ」と話している。
意外に感じた人もいるかも知れないが、日本の野球の歴史を調べると、この話は、さもありなんと思える。
野球は明治時代の終わり頃からすでに人気スポーツであったけれど、人々が熱狂した対象は、まず早慶戦であり、次いで甲子園であった。
大学野球や高校野球(当時は旧制中学)において、当時と今の最大の違いは、選手たちの社会的地位だ。
戦前の教育制度の中では、旧制中学の生徒といえば地域のエリートだった。早稲田や慶応の学生といえば、もう庶民にとっては雲の上の人たちだった(早慶以前に日本野球界の盟主として君臨していたのは一高野球部、現在の東京大学である)。
卒業後には国を動かす要職につくことが約束(あるいは期待)されるエリートたちが、学生時代に野球に打ち込む姿に人々は熱狂したのであり、彼らは野球をしなくても、もともと社会的に尊敬を受ける立場にあった。
そんな状況の中で、野球そのものを本業にする若者があらわれた時、人々はそれをどう受け止めただろうか。ほとんどドロップアウトのようにみなされていたのだろうと想像はつく。
戦前の職業野球は、決して現在のような人気スポーツではなかった。国民的娯楽となったのは第二次大戦の後だ。「娯楽といえば映画と野球くらいしかなかった」と当時を振り返る人は少なくない。
慶大出身で戦前のジャイアンツの主力選手だった水原茂は、出征してシベリアに抑留され、昭和24年に帰国したが、帰還する船の中で「後楽園に三万の大観衆」と書かれた新聞記事を読んで、三千の間違いだろうと思ったという(記憶で書いているので数字は不正確かも。とにかく「万」と「千」の話だった)。
戦前の職業野球しか知らない水原には想像もつかない人気だったのだ。
そして、この人気によって、プロ野球をとりまく環境も、徐々に整えられていく。
昭和21年の日刊スポーツを皮切りに、スポーツ新聞が続々と創刊され、全国に広がる。日本テレビがプロ野球中継を開始したのは昭和28年だ。川崎、大阪、駒沢、平和台といった、昭和のプロ野球のフランチャイズとなったスタジアムも、この時期に続々と作られた。
新規参入を求める企業が続出し、プロ野球リーグが2つに分裂したのは昭和25年のことだった。
ここで渡辺談話に話を戻す。
昭和9年を起点に数えると、「23年間」の最後の年は昭和31年になる(ただし昭和20年にはプロ野球リーグは開催されていないので、営業年度が23年間ということであれば、1年後になる)。つまり、ジャイアンツは昭和32年あたりを境に黒字転換し、以後、ずっと黒字が続いていると推定することができる。
この時期、ジャイアンツに何が起こったのか。答えは明白だ。長嶋茂雄が昭和33年にジャイアンツに入団している。
立教大学のスター選手として、東京六大学リーグの通算本塁打記録を更新(8本。それまでは慶応大学の宮武三郎が持っていた7本だった)した長嶋は、六大学での人気を背負って、それをそのままプロ野球に持ってきた、と言われるが、この渡辺談話も、それを裏付けるエピソードといえそうだ。
この昭和33年には、週刊ベースボールが創刊された。創刊号の表紙を飾ったのは、長嶋と広岡、ジャイアンツの三遊間コンビだった(ちなみに同誌ホームページを開くと、創刊号と100号、500号、1000号、1500号、2000号、2500号の表紙が次々と表示されるが、2500号以外はすべて長嶋が登場する)。
要するに、現在のプロ野球を取り巻く環境のほとんどが、この時期までに形成されている。翌34年、日本プロ野球は史上初めての天覧試合を実施。そこで2本の本塁打を放ち、決定的なヒーローとなったもの長嶋である。この試合によって、日本プロ野球は「職業野球」と蔑まれた時代に決別し、社会的地位を確立したといっても過言ではない。
長嶋茂雄のジャイアンツ入団は、日本の野球界における巨大な転換点なのだ。発達するメディアの後押しによって、長嶋を中心とするジャイアンツが野球界をリードする構造は、ここで完成した。
これ以後の野球界を、「昭和33年体制」と呼んでもいいと思う。
以来、長嶋は常に日本プロ野球とともにあった。最大のスター選手であり、最強チームの中心選手であり、最大の人気監督であり、そしてジャイアンツを離れ、ユニホームを脱いだ時も、長嶋はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌と、さまざまな媒体の中でジャイアンツとともに、日本プロ野球とともにあった。
Jリーグが開幕し、プロ野球の危機が叫ばれた1993年には、長嶋はジャイアンツの監督に復帰し、人々の耳目を野球に引き戻した。これを、「長嶋がプロ野球(あるいはジャイアンツ)を救った」と言うこともできるし、「自分が作り上げた「昭和33年体制」を自分の力で延命させた」と言うこともできるかも知れない。
2度目の監督の座を去った後、長嶋はアテネ五輪を目指す日本代表チームの監督に就任し、コーチ選び、選手集め、そしておそらくはスポンサーへのキラーコンテンツとしての役割も含めて、全員プロ選手で結成される最初の代表チームのすべてを一身に背負い、日本プロ野球を側面から支援する役割を担った。
そして昨年、夏の五輪に挑むその年の、プロ野球開幕直前に病に倒れたことは周知の通りだ。それでも長嶋はアテネ五輪代表監督の座を退くことはなく、結局は、その不在によって、野球界に大きな影響を及ぼし続けることになった。
長嶋が姿を消した年に、プロ野球が未曽有の危機に直面したことは、私には偶然とは思えない。
「ジャイアンツ一極集中体制」と人は言う。現象としては、確かにその通りだ。
だが、選手もファンも球界の人々も、誰もがジャイアンツにひれ伏し、なびく、その背景には、実は長嶋茂雄の存在があったのではないだろうか。
裏を返せば、長嶋だけが持つ巨大な求心力が失われたことによって、主力選手たちは「ジャイアンツ愛」の欠如を露呈しはじめ、ファンは球場に足を運ぶことをやめ、日本テレビにチャンネルを回すことをしなくなった。
長嶋が作り上げた「昭和33年体制」であれば、長嶋とともに終わるのは必然なのかも知れない。長嶋という巨大な太陽が天の岩戸の陰に隠れたことで、誰もが自分の足で歩いていかなければならない状況が訪れた。
その意味では、昨年の変化は「ジャイアンツ一極集中体制」が崩壊したというよりも、「長嶋一極集中時代」が終わったと呼ぶことがふさわしいようにも思われる。
今週末にはすべてが出そろうプロ野球の2005年シーズンは、これまでに我々が経験したことのないシーズンになるはずだ。これを、さまざまな機構改革が行われた「改革元年」と考える人も多いだろう。
それ以上に私には、「長嶋のいないプロ野球」がこれから始まるのだ、という気がしている。
NPB70年の歴史は、昭和33年を境に時代区分をすることができる。「前長嶋期」と「長嶋期」だ。
そして今から始まるのが「ポスト長嶋期」である。それが別の誰かの名を冠せられることになるのか、それとも人名ではない名前がつけられるのか。それは、いつの日か歴史が判断することになるだろう。
では、今後、長嶋が健康を回復して再び野球界に姿を現したらどうなるだろうか?
もちろん私は長嶋が健康を回復し、元気に姿を見せてくれることを祈っている。だが、それは、できればもう少し先であってほしい。誰もが自分の足で立つことに自信をつけ、しっかりと歩き出して、踏みしめた道が固まった時に、長嶋が天の岩戸から出てきた天照大神のように彼らを元気づけてくれれば、それがいちばんよいことになる。
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コメント
上のスケート論もそうですが、ほんと鉄さんの文章って骨太で、大胆かつ精緻、大きく構えて、外すところがない。
単なる引用や批判に終わらず着想豊か、読んで得した気分になる。どこかの社説とは大違い。
紙幅の制約から解放された、ブログというメディアの特性をじゅうぶん使い切っている。
批評の王道ここにありってかんじですね。
誰もがすでに論じている手あかのついたテーマでも、鉄さんが論じるとどこか新しい。
これは、一朝一夕になせる技ではない。
ぜひ、論考集として、出版して下さい!
先日、NHKで、ちょうど長嶋プロデビューの開幕試合を中心に、詳しく解剖してましたね。あれは見ごたえがあった。金田とか稲尾に詳しくインタビューして、配球まで詳しく。あれを文字でやったのは山際淳司でしたね。江夏の21球でしたか。あの番組を見たこともあって、長嶋一極体制論、すごく面白く読みました。
今は、すごいスターはメジャーに輸出する体制に組み込まれましたから、ポスト長嶋時代は、ほんとどうなっていくんでしょうね。
とにかくスターを育てても、すぐアメリカへ拍手で送るシステムになっている。善良で忠実な子会社状態ですね。
それが嫌なら、、、そうですね、、、もっと力がつけば、チームごとメジャーに進出してくとか。あるいは、アリーグ、ナリーグ以外に、にリーグ(にっぽんリーグの仮称)の3リーグ体制になるとか。
SFマンガの世界ですが、子どもの頃読んだ、寺沢武一の「コブラ」で、アメフトと野球が融合したようなスポーツが描かれていたっけなあ。選手はみなインカムつけてた。
投稿: penguin本人 | 2005/03/31 01:53
>penguin本人さん
いらっしゃい。そんなに褒めても何も出ませんよ(笑)。ただ、
>誰もがすでに論じている手あかのついたテーマでも、鉄さんが論じるとどこか新しい。
こう感じて貰えるのであれば、それはとても嬉しいです。そうでなければ、こうやって人様にお見せする甲斐がないですからね。
>紙幅の制約から解放された、ブログというメディアの特性をじゅうぶん使い切っている。
うーん、紙幅の制限がないのはインターネットの特性だけれども、blogの特性であるTB機能は、あまり活用できてませんよね。
まあ、それでも、考え方の似たblogとのお付き合いも少しづつ増えてきましたから、もう少し自分からもTBを打って行こうと思います。打ち方がわかれば(爆)。
>今は、すごいスターはメジャーに輸出する体制に組み込まれましたから、ポスト長嶋時代は、ほんとどうなっていくんでしょうね。
この点について早くから問題提起していたのは、豊田泰光さんでした。「日本野球はMLBのマイナーになるしかない」とか「ご破算で一から出直せ」とかラディカルなことを言い続け、最近は「どうせみんな行ってしまうのだから若年層の育成を真剣にやって新しいスターを育てろ」と言ってます。結局、ここに落ち着くしかないのでは。
必要なのは、四国の独立リーグのような下部組織が充実していくこと(できれば既存の社会人野球を組み込んで)と、本気のワールドカップを実現することでしょうね。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/03/31 07:46
はい。
ボクも、高校野球について、生き残る道は、ワールドカップ化しかないと思っております。
まずは野球人口が多い(と勝手に想像)、アメリカの各州で高校同士地方大会を開いてもらう。
その代表と、甲子園の覇者が、どこかで戦う(それが甲子園なら尚いいが、、、)。
同じように、韓国、台湾でも代表校を決めてもらい、戦う。オーストラリア、イタリアあたりもすぐ参加してくるだろう。
このまま国内だけでやってても、少子化の折り、じり貧。また、道州制になったら、どうやってトーナメントするんだろう、という心配もありますし(?)
あとは、男女混合とか、女子高校野球とかでしょうか。女子高校野球は、人気でそうだなあ。いや、春の高校バレーの二の舞でしょうか??
(男子の春高バレーは、今季初めて見ましたが、それなりにスピーディで見ていて面白い気がしました)
投稿: penguin本人 | 2005/04/02 20:39
>penguin本人さん
高校野球については私は違う考えを持っています。書いていたら長くなったので、別のエントリーにしました。ご覧いただければ幸甚。
>あとは、男女混合とか、女子高校野球とかでしょうか。
たまに野球をやってみて思うのは、他のスポーツと比べて、野球は一定水準の筋力と技術がなければ、試合自体が成立しません。普通の成人男性でも、三塁の定位置から一塁までノーバウンドで送球できる人は多数派ではないと思います。硬球を扱うとなるとなおさらなので、男女混合は現実には難しいでしょう(男性並みにプレーできる女性がいれば、選手になることを妨げる理由はないと思いますが)。
女子だけの野球ならありうると思いますが、現実にはソフトボールがこれだけ普及し、しかも五輪競技に採用されているので、人材はそちらに流れてしまうでしょうね。
ただし、普及の観点からいうと、将来母親になる人たちが野球をプレーする経験を持つことは大事でしょうね。
アメリカでは、野球とは父から息子に伝えられるものだそうですが、日本の子供は母親と一緒にいる時間の方が圧倒的に多いですから、キャッチボールの相手をしてくれるお母さんを育てることを、野球界の人々は真剣に考えた方がいいのでは。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/04/03 10:21
鉄さん
久しぶりに(数日ぶりに)来てみたら、独立したスレッド(?)がたっていて、びっくり、というか光栄というか、うれしいというか。
地味に、こちらに感想書いておきます。
確かに、大会日程と選手の疲労を考えたら、どこにワールドカップなんかやる余裕があるんだ!となりますよね。はい。
ボクがワールドカップ化を発想したのは90年代中盤でしょうか。客も選手も「高校野球離れ」が進んでいたころです。人気回復への打開策、というイメージでした。
リーグ戦は、試合数を底上げするにはいいアイデアですよね。でもそのかわり、野球部員は、もっと勉強する時間がなくなるか、、、。
確か甲子園でベスト16?8?に入ると、秋の国体でも試合するんですよね。その頃は互いに長髪になった球児たちが、夏を懐かしんで、再戦する。では、同様に、ワールドカップを秋やる、ということになると、それまで3年生は現役を続けなくちゃならない。3年生の2学期は進学や就職に振り向ける最後の時間。そこさえ奪う、、、。やっぱワールドカップ化は無理か。
それよりも、サッカーのU-19のように、セミプロチームだけが参加して(実際、強豪校はみなセミプロみたいなもの)、高校級大会をやればいいか。そうすれば学業との両立で悩む必要もなくなる。
そういえば、甲子園で勝ち残ったチームから選ばれたベストナインは、9月には日米高校野球もこなすわけですしよね。まるでご褒美のように。もしかしたら、監督と高野連の連中が海外で遊びたいから設定しているのかな。毎年、制度的な発展も感じられないし、マンネリ。あの日米野球は、ほんと意味ない気がしますね。
将来のプロ野球の人材育成に、確かに朝日・毎日は責任感が薄いかもしれませんね。悪意、までは感じませんが、結果的にスカウトがそういっているとしたら、それは日本の野球全体にとっていいことじゃないですよね。そこは同感です。
投稿: | 2005/04/08 01:10
名前は書いてないけど、penguin本人さんですよね(笑)。まっこうから否定してしまったようで失礼しました。
>客も選手も「高校野球離れ」が進んでいたころです。人気回復への打開策、というイメージでした。
なるほど。今はどうなんでしょうか。
テレビ視聴者の立場としては、朝MLBを見て、夜にNPBを見てたら、その間の甲子園までは手が回らない(笑)。
ただ、甲子園の盛り上がりというのは、野球ファンのエネルギーというより、むしろ郷土愛が源泉なのでは。アイルランドがワールドカップに出ると、世界中のアイルランド系移民が集まってくると言われますが、甲子園にはそれに近い雰囲気がある。都会にいる地方出身者が安心して郷土愛を炸裂させられる唯一の場だったような気がします。
だとすると、例えば山形県のチームの主力がブラジル出身者、という現状では、「郷土愛を背景とした人気」が低下するのは仕方ありません。ブラジルは極端な例ですが、甲子園に出てくる学校で、地元出身者が少数派というチームは珍しくもないわけですから。
私は野球留学そのものは否定しませんが、人気とは両立しないでしょうね。
身も蓋もない言い方ですが、学生スポーツに人気を求めること自体が、あまり健全なことだとは思いません。
Jリーグのような形で郷土愛の受け皿が現れてきた今、相対的に甲子園の人気が薄れるのは避けられないのではないでしょうか。それで野球人口が減ってしまうようだと、野球界は別の手を講じる必要が出てきますが。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/04/08 09:12
こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
長嶋茂雄さんが出ている昔の広告もとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
投稿: kemukemu | 2007/02/03 19:40