ジーターを見ていればわかること。
私がニューヨーク・ヤンキースに肩入れするようになったのは、2003年に松井秀喜が加入してからだ。はっきりいえば「松井がいるチーム」だからという理由に過ぎない。初年度の松井がマイナー落ちしていたら、私はコロンバス・ヤンキースに肩入れしたはずだ。
それまでは、私にとってヤンキースは、いけすかない敵役だった。カート・シリングとランディ・ジョンソンの剛腕がヤンキースを下した2001年のワールドシリーズでは、ダイヤモンドバックスの勝利に快哉を叫んだものだ。
そのころ、ヤンキースについて不審に思っていたことが、ひとつある。デレク・ジーターはどうしてあれほど高く評価され、人気があるのだろうか、ということだ。
当時、アメリカン・リーグは空前の遊撃手豊作時代だった。2年連続首位打者のノマー・ガルシアパーラ(レッドソックス-現カブス)、50本塁打を楽々打つアレックス・ロドリゲス(マリナーズ-レンジャーズ)。ミゲル・テハーダ(現オリオールズ)もアスレチックスで売り出したころだ。3割15本くらいのジーターは、好打者とはいえ、ガルシアパーラやA-RODの打棒に比べると影が薄い。オールスター出場もゴールデングラブ賞も、この2人が分け合うことが多かったと記憶している。
それでもジーターは彼らと並び称されていた。人気の上では上回っていたかも知れない。ジーターは「ニューヨークでもっとも女性にもてる独身男性」と呼ばれる当代のスーパースターで、それがなぜなのか、私にはよくわからなかった。日本でも似たような現象が起こるように、ニューヨークの人気チームにいることで得をしているのだろうかと思っていた。
2003年、松井がヤンキースに加わったことで、NHK-BSでヤンキースの試合を見る機会は格段に増えた。そして、毎日彼のプレーを見ているうちに、私は、なぜジーターがそれほどまでに評価されるのか、だんだんとわかるような気がしてきた。
まず目に付くのは、守備の巧さだ。
守備範囲が広く、捕球が巧みなだけでなく、ジーターはどんな体勢からでも正確に送球することができる。バックステップしていようが、飛び上がっていようが、逆足だろうが関係なく、ジーターの送球はまっすぐに一塁手に向かっていく(あの下手なジアンビが一塁手として務まってきたのは、ジーターの送球の正確さに負うところが大きいと思う)。よほど腕が強く、強靱な方向感覚を備えているのだろう。
そして、走塁には、単に巧みだとか速いとかいう以上の凄みがある。
2003年7月のインディアンス戦だった。速球投手サバーシアに手こずっていたヤンキース打線は、5回裏にやっとチャンスを作る。3-4と追い上げて二死満塁、打者ジアンビ。カウントは3-2。一塁走者のジーターは、投手が足を上げた途端に全力疾走する。ジオンビーは2球続けて三塁側にファウルを打ち、そのたびに二塁ベースを駆け抜けたジーターは、ゆっくりと一塁に戻る。「シングルヒットでも帰って来るのでは」とアナウンサーが揶揄する。
次の球をジアンビがセンター前にはじき返すと、ジーターは本当にホームに帰ってきた。クロスプレーではない、楽々の生還だ。「走者一掃のセンター前ヒット」など、そうしょっちゅう見られるものではない。
フルカウントからの投球にスタートを切るのは当然にしても、ジーターは3度とも、本塁まで走り抜くつもりでスタートを切っていたとしか思えなかった。
サッカーで湯浅健二が言う「クリエイティブな無駄走り」に該当するプレーが野球にあるとしたら、それがこれだ。そして、ジーターはそんなプレーを忠実に、手を抜かず、機会がある限り何度でも、全力でやり通す。
ほんの4年前の出来事なのに、すでに伝説と化したプレーがある。
舞台は2001年のディビジョンシリーズ第3戦。ヤンキースはアスレチックスに2連敗を喫していた。1-0でリードした七回。守っていたヤンキースは、二死一塁からライト前にヒットを打たれる。右翼手スペンサーからの本塁送球が、一塁ファウルグラウンドに大きくそれた。誰もが同点を覚悟した時、ジーターがこの送球を拾って本塁にトスし、走者を仕留めた。ヤンキースはこの試合を逃げ切り、3連勝で逆転でALCSに駒を進めた。
これは、ありえないプレーだ。一塁側ファウルグラウンドは、遊撃手が足を踏み入れるエリアではない。いるはずのない場所に、しかしジーターは走り込んでいた。彼が常に集中力を絶やさず、次に起こることに備える姿勢を持った選手だからこそ、外野手の暴投に瞬時に反応することができた。
ここに、ジーターの真骨頂があり、卓越したリーダーシップの源泉がある。
ジーターは優勝する人気チームにいるからもてるのではない。チームを優勝させる選手だから、もてるのだ。私はそう思うようになった。
MLBにもそういうタイプの選手がいるのだということ、そして、その選手を高く評価し、揺るぎない信頼を寄せる監督がいるのだということは、私にとって大きな発見だった。
ご存知の通り、松井もまた、ジーターに似た価値観で動いている選手である。
2002年秋の松井に幸運があったとしたら、それはヤンキースに入団できたことではない。入団したヤンキースに、松井の価値を理解し評価することのできるジョー・トーリ監督とデレク・ジーター主将がいたことだ。
2003年夏の終わりごろ、いささか打棒に疲れの見えた松井について報道陣から聞かれたトーリは、「毎日見ていれば、彼の良さがわかる」と答えた。その言葉は、そのままジーターにもあてはまる。
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