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見物人の節度。

 昨日の朝、ボストンで行われたレッドソックス-ヤンキース戦の中継を見ていたら、ヤンキースの右翼手ゲーリー・シェフィールドが、いきなりスタンドの観客に殴りかかったので驚いた(しかもボールを送球する前に)。フェンス際に転がる打球を処理していたシェフィールドに、観客が手を出して邪魔したということらしい。

 さすがに暴力沙汰に至るケースは珍しいけれど、フェンス際の打球と観客をめぐるトラブルは、MLBではしばしば起こる。つい数日前にも、フェンスから客席に手を伸ばしてファウルボールを捕ろうとしたイチローが、先にボールを捕ってしまった観客を、一瞬、睨みつけていた。
 MLB中継を見ていると、一塁線や三塁線を抜いてファウルグラウンドを転がる打球に対し、グラウンドに身を乗り出してつかもうとする観客の群れを、よく目にする。私は、こいつらが不愉快で仕方がない。インプレー中のボールに手を出すことの意味をまったくわかっていない(わかっていてやっているのなら、さらに不愉快だ)。MLBの観客のマナーを褒め称える人は世の中に多いけれど、彼らの目には、こういう妨害者たちは見えていないのだろうか。

 観客の捕球が、試合の行方を左右するケースもある。
 一昨年のプレーオフだったと思うが、シカゴのリグレーフィールドで、カブスの左翼手アルーが捕球しようとしたフェンス際のファウルボールを、地元の観客が手を伸ばしてつかんでしまった。アウトを取り損ねた投手は、そこから連打を食って大量失点。シカゴは逆転負けを喫し、結局、そのシリーズを失った(この観客はネットで実名や住所をさらされて大変な目にあったらしい。応援しているはずの地元チームの邪魔をするのだから世話はない)。

 この種の事件を防ぐのは簡単で、日本の球場のように客席とグラウンドを隔てる防護ネットを張ればよい。だが、実際には、それぞれの事件は一時的には話題になるものの、「ではフェンス際にネットを張って再発を防止しよう」という話には一向にならず、いつまでたっても客席からグラウンドに手を伸ばす観客はいなくならない。

 ネットがなければ、観客自身にも危険がある。一、三塁ベースの斜め後方あたりの客席には、痛烈なライナーのファウルボールが飛び込む。それもジアンビーやプホルスの打球である。並みの速さではない。ボールに当たってケガをする人がいないはずはないと思うが、それが大問題になったという記憶もない。「熱いコーヒーをこぼして火傷したのは店の責任」などという理不尽な訴訟がまかり通る国なのに、野球場でのケガに関する訴訟が大きな話題になったという記憶もない。

 たぶん、アメリカ人にとっては、「野球というのは、そういうもの」なのだろう。理屈ではなく、昔からそういうものだと決まっているのだ。時にはプレーの邪魔をする不届き者がいたり、打球に当たってケガをする不運な人がいたりもするけれど、だからといって野球を「そういうもの」でなくしてしまうことはできない。それが関係者にとっての、あるいは国民にとっての合意なのだろう。

 日本でも今シーズンから、ネットのない観客席を設ける球場が増えてきた。
 従来のスタンドの内側に、防護ネットのない内野席エキサイトシートを設けた東京ドーム。内野席のネットをなくした横浜スタジアム。フルキャスト宮城でも、外野のファウルグラウンドを極端に狭くし、フェンスを低くしている。
 メディアはこれらの試みを「グラウンドと観客を一体化する」と好意的に伝えている。私もいずれ座ってみたいものだと思っている。
 だが、これらの席には、いつか必ず痛烈なライナーが飛び込む。一定の確率でケガ人が出ることは避けられない。清原やローズがフルスイングした打球を、誰がよけられようか。また、選手が捕るべきボールを先につかんでしまう不心得者も、いずれ現れることだろう。

 そんな事件が発生した時が正念場だ。球団や球場は、自分たちの決断を疑わずにいられるだろうか。メディアは、掌を返して「主催者の管理責任」を追及するいつもの習慣を、我慢できるだろうか。
 それはつまり、我々は「野球というのは、そういうものだ」という合意を形成できるだろうか、ということでもある。

 観客はボールの行方から一瞬たりとも目を離さず集中すべきだ、選手と一緒に戦え、ビールなど飲んでいる場合ではない等々と主張する「ネット不要論者」も世の中にはいるようだが、すべての観客がそうあるべきだとは、私は思わない。野球はそもそも退屈な時間の多い見世物であって、ビール飲んで弁当食って友人たちとお喋りしながら見物するにも適している。そういう楽しみを否定してしまうのは惜しい。
 それに、実際にスタンドに座って見ていると、ファウルボールが近くに飛んできた時、アメリカの観客はほぼ例外なくボールをつかもうと争うけれど、日本の観客は必ずしも全員がそうではなく、ボールから逃れようとする人も結構いる。別に、どちらが正しいというわけでもない。ただ、そこで逃げてしまうような人が、うっかりネットに守られていない席に座ってしまうような宣伝や売り方は、しない方がいい。
(その意味で、エキサイトシートに萩本欽一という老人を座らせた日本テレビは、間違ったメッセージを視聴者に伝えており、感心できない)

 要は、それぞれが求める楽しみにふさわしい席を得られれば、それでいい。
 歌と鳴り物で応援したい人は外野席へ。弁当とビールと談笑を楽しみたい人はネット裏へ。一投一打に集中して観戦したい人だけが、ネットのない内野席へ。そんな社会的合意ができていれば、ネットのない席でファウルボールに当たってケガをする人が出たとしても、それが「防護ネット復活キャンペーン」につながる可能性は下がる。

 ネットを外すという試みは、責任回避を重視する日本の組織にとっては、簡単にできることではないと思う。フルキャスト宮城は県営球場、横浜スタジアムは第三セクター、どちらも自治体がかかわっているだけに、なおさらだ。
 おそらく打球の危険性については、それぞれの組織内部で相当厳しく指摘され、それでも実現するという決断を誰かが下しているに違いない。
 だとすれば、その勇気に敬意を表し、支持をする覚悟を、メディアも観客も持つべきだろう。我々は、MLB100年の伝統に匹敵する合意を、これから形成していこうという立場なのだから。

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