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2005年5月

今江の構え。

 今シーズンはなかなか野球場に行く時間が取れなかったが、せめて交流戦くらいは、と巨人-千葉ロッテ戦に行ってきた。26日の試合だ。
 レフトスタンドから東京ドームを制圧したマリサポ合唱団の歌声については別の機会に書こうと思うが、それを除いて最も印象に残ったのは、千葉ロッテの三塁手・今江の守備だ。上手とか下手とかではなく、構え自体が変わっている。

 守備位置での今江は、右足を思い切り後ろに引いて、体を完全に三塁側スタンドの方に向けてしまう。顔だけはバッテリー方面を見ていて、投手の手からボールが離れるのとほぼ同時に、足を戻して打者に正対する。変わった打撃フォームというのはいろいろあるが、変わった守備体勢というのは、あまり見たことがない。珍しいことを思いつくものだ。

 と書いてから思い出したが、2000年の開幕戦でニューヨーク・メッツの一塁手として来日したトッド・ジールは、一塁に走者がいる時にベースを離れて守っていた。これも珍しい。ただ、ジールの場合は、走者と投手の間に立って、走者から投球動作が見えないように邪魔することでスタートを遅らせようという意図が想像できた。今江の構えにはどういう意味があるのか想像もつかない。面白いものだ。誰か理由をご存知なら教えてください。

 今季ソフトバンク・ホークスに加わったバティスタは、右打席で左足を大きく三塁側に引いた極端なオープンスタンスで構え、投球動作と同時に足を戻してベースに正対する。千葉ロッテ-ソフトバンク戦でバティスタの打席をレフトスタンドから見ると、投球動作と今江とバティスタの動作がシンクロして、なんだかとても忙しい光景になるに違いない。

追記)
 パシフィック・リーグのプレーオフに勝利してリーグ王者となった夜に出演したテレビ東京の番組で、守備の巧さについて聞かれた今江は、こんな風に話していた。
「僕はプロに入ってから三塁手をはじめて、打球のスピードになかなかついていけないので、人と違う構えをしています」
 しかし、司会の女子アナは「違う構え」について質問することなく渡辺俊介に話を振り、渡辺には「余裕がないので構えまで見てませんけど」と言われる始末(笑)(続けて「落ち着いて守ってくれてます」と褒めてはいたけれど)。もっと詳しく聞いて欲しかったのだが、ま、優勝特番だから仕方ないか。とにかく、あの構えは今江自身の工夫らしい。(2005.10.18)

追記2)
アジアシリーズの第1戦を見に行ったら、守備時の今江はごく普通の構えに変わっていた。残念。(2005.11.10)

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野球殿堂に現れる彼らの本音。

 ちょっと調べものがあって、野球体育博物館に行ってきた。
 ご存知の通り、ここには野球殿堂の間がある。

 昔は野球体育博物館は後楽園の敷地内に独立した建物として建っていた。洒落たデザインの落ち着いた建物で、館内の空気感が私は好きだった。殿堂にも重みが感じられた。
 後楽園球場が東京ドームに建て替えられた時に、この建物も壊され、野球体育博物館はドーム内に収容されることになった。今の方が館内は広いらしいのだが、かつての重厚さや風格が失われたのは残念だ。

 で、調べもののついでに、殿堂の間をのぞいてみた。前からちょっと気になっていたことがあって、確かめてみたかったのだ。

 先に結果から並べてみる。

仰木彬 オリックス・ブルーウェーブ
関根潤三 ヤクルト・スワローズ
根本陸夫 福岡ダイエーホークス
大杉勝男 ヤクルト・スワローズ
広岡達朗 読売ジャイアンツ
張本勲 読売ジャイアンツ
野村克也 不詳
金田正一 読売ジャイアンツ
西本幸雄 近鉄バファローズ
別当薫 毎日オリオンズ
三原脩 西鉄ライオンズ
若林忠志 西鉄ライオンズ

 これが何かといえば、「複数の球団で高い業績を残した人物が、野球殿堂のレリーフで被っている帽子・ヘルメットの球団名」である。
 本人(故人の場合は遺族)の意向に反して殿堂側が勝手にレリーフの絵柄を決めることもないだろうから、レリーフにおける帽子やヘルメットは、そのまま本人の帰属意識を反映していると推定される。

 そんな事情を踏まえて、上のリストを振り返っていただきたい。
 今さらながら、ジャイアンツが好きなんだなあ、と思う人たちがいる。金田の勝ち星、張本の安打の大半は、それぞれの最初の所属チームで記録されたものだが、2人とも晩年に短期間を過ごしただけのジャイアンツの帽子を誇らし気に被っている。

 この2人については引退後の言動からも予想できるが、広岡がジャイアンツというのは意外だ。
 広岡の選手としてのキャリアはすべてジャイアンツのものだが、彼が殿堂に選ばれた主たる理由は、ヤクルトと西武の監督としての両リーグ制覇だ。ジャイアンツとは川上監督とのケンカ別れに近い形で退団し、その後も(今でも)一貫してジャイアンツに批判的な態度をとっている。にもかかわらず、殿堂の中では広岡はジャイアンツの選手なのである。
 同じような立場の人物に、今年殿堂入りが決まった森祇晶がいる。レリーフが展示されるのは今年の夏からだが、森がジャイアンツと西武とどちらの帽子を被っているかは興味深い。

 野村がなぜ「不詳」かといえば、レリーフの中の野村は捕手のスタイルでマスクを外した設定だから、ヘルメットは後ろ向きに被っていてマークが描かれていない。これにはなかなか微妙な事情がある。
 彼が捕手としてのキャリアの大半を築き、監督として最初のリーグ優勝を遂げたのは南海ホークスだが、このチームからは、最後は石をもて追われるようにして決別したという経緯がある(大阪球場跡地の商業ビル内に作られた南海ホークスのメモリアルコーナーには野村の展示がないと聞く。まったく大人げない話だ)。
 それを踏まえてレリーフを見ると、「生涯一捕手」をアピールしたいが南海のマークはつけたくない、という心理を満たしつつ絵柄として不自然ではない、という実によく考えられた抜け道で、いかにも野村らしい屈折が感じられるのだ(笑)。

 また、野球体育博物館のホームページには「投手と野手でオールスター出場」と紹介されている関根さんが、現役時代を過ごした近鉄ではなく、成績だけなら殿堂入りする価値など皆無の(笑)ヤクルトの監督時代の姿でレリーフになっているところも味わい深い。

 昨年はイチローが日米通算2000本安打を達成し、野茂も今年中に日米通算200勝に届くだろう。仮に届かなかったとしても、彼らが引退した後には、いずれは日本の野球殿堂に招かれることになるだろう。その時、彼らが自分のレリーフにどの帽子を選ぶのだろうか。やはり日本での球団になるのだろうな。この2人については、MLBのホール・オブ・フェイムに表彰される可能性もあるのではないかと思っている。

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星新一のメディア・リテラシー論。

 一世を風靡した小説家でも、世を去って数年経つと、書店から著作が消えてしまう、ということはよくある(だからといって価値がない、とは限らないのだが)。一方で、何年経っても文庫の棚に一定の地位を占め続ける小説家もいる。SF作家の星新一は、後者に属しているようだ。

 70年代を小中学生として過ごした私は、本を読む習慣を持つ同世代の人たちの多くがそうであるように、星新一の著作を浴びるように読んで育った。そして、この世がままならぬことばかりであること、人生がほろ苦いことを教え込まれた(手塚治虫についてもそうだが、星の著作を「子供に夢と希望を与えた」と形容する人がいるというのが、私は不思議で仕方ない)。

 現在でも新潮文庫をはじめ、いくつかの文庫で彼の著作を読むことができるようだが、カタログを見ると、収録されているのは小説ばかりだ。私は彼のエッセイが好きだった。

 実物が手許になく、上述の理由で再入手も難しそうなので、うろ覚えの記憶で書くしかないのだが、印象に残っている記述がある。幼い頃、彼が父だか叔父だかに、どこかの名所旧跡を案内された時の思い出として書かれていた一節だ。
 星の父(か叔父)は、幼い星のために、名所の案内板に書かれた解説文を読み上げては、最後に「…ということになっとる。」と付け加えるのが常だったという。
 公の権威ある情報として記されている情報であっても、鵜呑みにはしない。かといって、無闇に疑ってかかるのでもない。「一応は書いてあることを受け入れるけれど、間違っているという疑いを捨てるわけではない」という姿勢を、「…ということになっとる。」の一言は示している。
 
 SFの特徴は物事を相対化して見ることにあるのだ、と星は書いていた。誰もが何の疑いもなく信じている前提を崩してみたらどうなるか。確かに、星が書いていた小説は、そんな一種の思考実験が多かった。そんな文脈の中で、このエピソードも紹介されていたと記憶している。

 メディア・リテラシーと呼ばれるものの要諦は、この「…ということになっとる。」にあるのではないかと私は思っている。
 新聞を読み、ニュースを聞いて、「…ということになっとる。」と言った後はどうなるか。自分で考えるしかない。
 この記事ではこういうことに「なっとる」、でも次の記事ではああいうことに「なっとる」、ちょっと辻褄が合わんぞ……。
 ひとたび「…ということになっとる。」と呟いてしまったら、そこから先は、あらゆるニュースを付きあわせて検証しながら読まざるを得なくなる。これは、ものすごく面倒くさい。

 「…ということになっとる。」は、判断を留保するということだ。
 入力した情報を確定せず、修正可能なままにしておく。コンピュータ上でそういうことをやりすぎると、ものすごくメモリを食う。データを確定してハードディスクに保存していかなければ、いずれパンクしてしまう。
 人の脳でも事情は同じだ。人間が物事を信じやすくできているのは、脳のワーキングメモリの負担を軽減するためだと聞く。「とりあえず信じる」という形で処理していかなければ日常生活が立ち行かなくなるし、火急の際に判断が遅れかねない。

 だから、限度はある。あるけれど、それでもニュースに接するたびに、「…ということになっとる。」と心の中で呟いてみることは、無駄ではない。
 ひとつの情報源を鵜呑みにせず、自分なりに検証したうえで、納得できれば受け入れる。そこまで手間をかけていられない場合は信用しておくが、「とりあえず」という留保を忘れない。その面倒くささに耐えて、はじめて自分なりに世界を把握することができる。

 …というようなことを、私は星新一から教わったつもりでいる。実際に星が、新聞やテレビに接する時に「…ということになっとる。」と思いなさい、と勧めていたかどうかについては、あまり記憶に自信がないけれど、このところメディアについていくつか書いたり議論したりしていてこの挿話を思い出したので、とりあえずまとめておく。

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誰が守備要員やねん(笑)。

 私が多忙にかまけているうちに、弱かった読売ジャイアンツは息を吹き返し、ヤンキースはあっさり借金を返済してしまった。矢野はいいですな。ジャイアンツ球場にこういうイキのいい若い衆がごろごろしているのなら、ばっさり世代交代してみる価値はある。小久保さえ残ってればそれなりにチームらしくはなるのだから。

さて本題。同様にアップしそびれていたが、ボストン・レッドソックスの公式サイトに5月2日、こんな記事が出た。

Notes: Olerud a unique weapon
Defensive specialist will see late-inning duty at first base

予想された通り、ジョン・オルルッドはボストンとマイナー契約し、トレーニングに入っている。やはり、守備のうまい左打者という点が評価されたようだ。

しかし、いくらミラーやオルティーズの控えとはいえ、オルルッドがDefensive specialistとは贅沢なチームだこと。もっとも、ヤンキースでも守備要員だったはずのティノが大爆発中だから、何が起こるかわからない。オルルッドのメジャー昇格を楽しみに待つことにする。

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「非当事者」であるということ。

 ひとつ下のエントリーに対して、stoneさんから「記者の末席に身を置く者として、『非当事者であることの自覚』という一文が心に鋭く突き刺さりました。」というコメントをいただいた。私も紙媒体に属する身だが、メディアというのは本質的に「人の褌で相撲を取る商売」だということを忘れてはいけないと思っている。記者会見でJR西日本の幹部を罵倒したという記者氏(私自身はその会見の映像を見ていないので、どれほど醜悪だったかを直接は知らないのだが)は違う考えを持っていたようだが。

 stoneさんへのコメントとして、私はこんなことも書いた(繰り返しになるがご容赦を)。
「と同時に、読者・視聴者の『非当事者』としての節度についても、以前から気になっています。私は、大きな事件事故の現場に花や菓子類が山のように(時にゴミとみまがうばかりに)供えられているのを見るたびに違和感を覚えます。身内の方や近所の方が花を供えるのは理解できるのですが、何の関係もない人がこういう形で事件に『参加』することを無条件に肯定してよいのかどうか。何かが違うと思うのですが、どう違うのか、うまく説明ができずにいます。」

 この手の現象は、常に「いい話」として報道されるし、たぶん世間の大多数の人も「いい話」と受け止めるのだろう。


 一方で、誰もが眉をひそめるような「イヤな話」がある。

JR西に暴言や暴行が相次ぐ

 尼崎JR脱線事故のあった4月25日から5月7日までの間に、JR西日本の駅や電車内で「JRは人殺しだ」などの暴言が160件、駅員や乗務員に対する暴行も6件あったことが10日、西日本旅客鉄道労働組合(JR西労組)などのまとめで分かった。 (中略)
 まとめによると、脱線事故以降、乱暴な言葉を投げ掛ける嫌がらせや、殴ったりする暴力行為が多発しているほか、置き石や自転車の放置などの妨害行為が18件あったという。 (後略) 〔共同〕 (2005/5/10 21:28)


 かつて、「隣人訴訟」と呼ばれる民事訴訟があった。20年くらい前のことだったと思う。
 ある母親が外出する際、自分の幼い子供が隣の家で遊んでいたので、そのままにして出かけていった。ところが隣人が目を離した隙に子供たちは家から外に出ていき、外出した家の子供が溜め池に落ちて溺死した。無念の両親は、「保護義務を果たさなかった」として隣人を訴え、いくばくかの損害賠償金を勝ち取る判決を得た。
 この判決が報道されると、訴えを起こした両親の家に、罵倒や非難の電話と手紙が殺到した。あまりの凄さに、両親は訴訟を取り下げようとした。ところが被告(隣人)が取り下げに同意しない。訴えられたことで傷つき、感情を害していたのだろう。
 そのことが報道されると、今度は罵倒や非難の矛先は隣人に向かう。こちらも耐えきれずに取り下げに同意し、結局、訴訟はなかったことになった。
 おおむね、そんな経緯だったと記憶している。

 今、JRに嫌がらせをする人たちと、うんざりするほど似ていると思いませんか。

 そして、たとえば殺人現場に過剰な供物の山を作ってしまう人々の心性も、「非当事者である出来事に対して見境を失っている」という点において、これらの「イヤな話」と表裏一体なのではないか、という気がして仕方がない。
(念のため言っておくが、ここではあくまで、無関係な通りすがりの他人による「過剰な」供物について書いている。たとえば故人をよく知る隣人が命日ごとに花を供える行為をどうこう言うつもりはない。だが、そうやって置かれた花に便乗して、赤の他人が食べかけの菓子や飲みかけの缶ジュースにしか見えないようなものを野ざらしに置いていくような行為が慰霊や鎮魂になるとは、私には思えない)

 メディアが人々を扇動しているとかミスリードしているということだけではないと思う。そういう面があることは否めないが、たとえそうでない報道が実現したとしても、たぶん嫌がらせはなくならない。人々に、遠くの無関係な出来事を「ご近所に起こった悲劇」や「我がムラの恥さらし」のように感じさせてしまう機能が、たぶんメディアにはあるのだろう。
 ニュースを報じる側も、ニュースに接する側も、メディアが持つそういう危うさを、たぶん気にかけてはいない。だから、同じような事象が何度でも繰り返される。


追記(2005.5.13)
件の罵倒記者氏は、ネット上で実名を晒され、罵倒の嵐を浴びているようだ(松岡美樹さんの「すちゃらかな日常」に詳しい)。批判する人とされる人がループ化していく現象が、ここにも見られる。「なんか後味悪いよなあ。」という松岡さんの言葉に同感。

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森達也を読みながら。

 このところ、森達也の著書を立て続けに読んでいた。
 洋泉社新書の新刊『こころをさなき世界のために』を手に取ったのがきっかけで、近くの書店に置いてあった森の著書全部(といっても4冊だが)を買い求めた。オウム真理教を内部から撮影したドキュメンタリー映画『A』もDVDで見た。我ながら重苦しい連休を過ごしたものだが、まあ、本というのはそういうもので、読むべき時に読むべき本に出くわすと、関連のある本を次から次へと読みふける羽目になる。

 角川文庫版『A』の中に、こんな文章がある。ちょっと長くなるが引用する。
「メディアは決して軽薄でも不真面目でもない。たまたま志の低い人種がメディアに集まったわけでもない。メディアは僕たち社会の剥き出しの欲望や衝動に、余計なことはあまり考えずに忠実に従属しているだけだ。自らの空白に、『グル』ではなく『組織』への大いなる意思を充填させて、自分の言葉で思考することを放棄して、他者への情感と営為への想像力をとりあえず停止させただけなのだ。地下鉄の車両でビニール袋に傘の先を突き立てる行為も、被害者である河野義行さんを何のウラも取らず犯人と断定する行為も、エイズ感染の危険性を熟知しながら血友病治療の非加熱血液製剤の輸入を黙認していた行為も、不当逮捕の瞬間を撮影されていることを知りながら逮捕した信者を釈放しようとしない行為も、すべては同じ位相なのだ。」

 この結語、「すべては同じ位相なのだ。」の前には、「わずかな遅延を取り戻すために大勢の乗客を乗せた列車を高速でカーブに突入させる行為も」「大事故を起こした列車に乗りあわせていた運転士が、上司に指図されるままに、被害者の救出を放棄して現場を離れ通常勤務に向かう行為も」「同じ社内とはいえ事故現場から遠く離れ、仕事上の接点もない人々のささやかな送別会までをあげつらって非難し謝罪を強要する行為も」などの文言を挿入することもできる。
 ひとつ前のエントリーのコメント欄で、ペンギン君友人さんから「JR脱線事故報道について何か書くように」とのリクエストをいただいたのだが(そういう意味ですよね(笑))、私に何か書くことがあるとすれば、この一文にほとんど言い尽くされてしまう。

 で、この「同じ位相」について考え始めると、どんどん気が重くなる。
 『A』を見たり読んだりしていると、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした1995年に感じた、何ともいえないイヤな感じを思い出す。
 あの年には、ありえないことが次から次へと起こった。
 阪神大震災に始まって、起こるはずのないことが起こり、越えてはいけないはずの一線が踏みにじられていった。都市部での無差別大量殺人、警察トップの狙撃、彼らを取り締まるために警察が行った無茶な捜査の数々。ひとたび踏み越えてしまえば、こんなにあっけないものなのか、と思った。なし崩しのように、何でもありの世界が目の前に広がっていく。
 意識するまでもない絶対的な前提として社会を支えていたはずの何かが液状化し、足元が崩れていくような、そんな不安感を覚えた。

 それから10年経って、「イヤな感じ」は、ますます高まっている。
 森は『下山事件 シモヤマ・ケース』で、日本の共産化を阻止するためなら、どんな手でも使った昭和24年の政府や警察の姿を描く。彼らはその時、確かにその一線を踏み越えていた。
 私はこれまで、それらの事件は敗戦直後の混乱という特異な状況下だから起こり得たことだと認識していた。ずっと後になって生まれた自分にとっては他人事のように思っていたが、どうやらそんな甘いことではない。
 今回の事故の背景とされているJR西日本の労務管理にしても、それが成立した歴史を遡っていけば、きっと下山事件までつながっているに違いない。ここで詳述はしないが、昭和24年に政府が一線を踏み越えてまで共産化を阻止したことが、今の日本につながっている、と森は書く。

 以前、小泉純一郎首相の言葉の使い方について書いたことがある。彼が総理大臣になってから率先して暴言ばかり吐いているので、失言で辞任する政治家がいなくなった、という話だ。あの「イヤな感じ」は、たぶん、ここにつながっているのだと思う。小泉もまた、なし崩しに一線を越えた人なのだ。

 …というようなことを書いているうちに、「権力を監視せよ!」みたいな文脈に近づいていきそうな気がするが、そこに回収されてしまうと、逆に大事なものがこぼれ落ちる。根幹はあくまで森が言う「同じ位相」にある。森が『こころをさなき…』で書いているこんな文章に、私は深く共感する。

「重要なことは、当事者への想像力と同時に、非当事者であることの自覚です。ところがいまの日本社会は、誰もが被害者の痛苦を表層的に共有したような錯覚に陥って、『許せない』とばかりに、加害者を憎悪します。要するに、被害者への過剰な感情移入が、いつのまにか主語を社会や国家に委ねていることに気づかない。(中略)その憎悪を、非当事者が引き受けてはならない。」
「個々が強い主体性を持った明るく健全な社会を作りましょうなんて主張するつもりは、僕には全然ない。そんな社会は不気味です。ためらいや葛藤でいいんです」
「白か黒かを自分で判別できないのなら、当たり前だけど判断は保留します。基本的に多数派は信用しません。世の中って六対四くらいが自然なはずなんです。」

 すぐに結論の出ないことは、宿題にしておくしかない。宿題ばかりが増えていくけれど、それが我々の暮らしている世界なのだから仕方がない。追いつきそうになくても、考え続けていくしかない。

 こんな歯切れの悪い話なんですが、いいでしょうか、ペンギン君友人さん(笑)。

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ブルペンを嗤う者がブルペンに泣く。

 読売ジャイアンツが弱い。
 前にも少し書いたが、今年のジャイアンツが勝てるかどうかは、頼りになるクローザーを用意できるかどうかにすべてがかかっている、と私は思っていた(去年も一昨年もそうだったけど)。
 従って、ミセリがダメだった時点で、すでに事態は絶望的だ。シーズンは始まったばかり、などと慰めても意味はない。現有勢力から「頼りになるクローザー」が出てこないことは、昨年のうちに実証されている(ルーキーの三木あたりが化ければ別だが)。
 先発投手陣も打たれっぱなしではあるが、クローザーが確立すれば、先発陣にもある程度は好影響を与えることができるだろう。どんな仕事でも、終りが見えないのは辛いものだ。「6回までリードを保てば逃げ切ってくれる」と思うことができれば、ずいぶん心理的な負担は減るに違いない。

 投手陣の再編成が必要なことは素人目にもわかるけれど、このチームは伝統的にブルペンの役割分担を嫌う。連日リリーフ投手陣が定見なくつぎ込まれ、全員揃って疲弊していく起用法も、すでにすっかり見慣れたものになってしまった。
 こういう投手起用は、かつては「長嶋のやることだから仕方ない」と認識していた人が多かったようだが、長嶋監督の下で長く投手コーチやヘッドコーチを務めた堀内現監督が同じ過ちを犯しているのを見ると、彼にも相応の責任があったのだろうと改めて感じられる。

 もっとも、監督ひとりに責めを負わせるわけにもいかない。
 ジャイアンツのフロントが、いかにリリーフを軽視しているかを示す傍証として、以下の数字をご覧いただきたい。

中日   104(26)
ヤクルト 21(21)
読売   22(7.3)
阪神   105(52.5)
広島   41(20.5)
横浜   132(66)

西武       2(2)
福岡ソフトバンク 32(16)
北海道日本ハム  28(14)
千葉ロッテ    79(39.5)
オリックス    155(77.5)
東北楽天     4(4)

 これは、各チームの一軍コーチ陣(監督を含む)の通算セーブ数の合計と、1人あたり平均セーブ数(もちろん投手出身者に限る)である。球団によって投手出身者の人数がまちまちなのでばらつきが激しいものの、セではジャイアンツがとびぬけて少ないことはおわかりいただけると思う。
(パには極端に低いチームが2つあるが、西武は、投手陣のやりくりを知り抜いた名捕手・伊東勤が監督を務めることでカバーできるという考えなのだろう。東北楽天は、そもそも投手出身のコーチが一軍・二軍とも1人づつしかいない)

 要するに、ジャイアンツの一軍コーチ陣には、リリーフ投手として成功した経験を持つ投手がいない(阿波野秀幸はジャイアンツで、香田勲男は近鉄で、それぞれ中継ぎ投手として過ごした時期はあるけれど、いずれも力の落ちた晩年だった)。

 そんなことがチームの強弱に関係あるのかとお思いかも知れない。少なくともジャイアンツにおいては関係らしきものが見られる。
 90年代以降にジャイアンツが優勝した年のコーチ陣を調べると、長嶋監督時代の94年、96年、00年には「8時半の男」と呼ばれた宮田征典がおり(00年には水野雄仁も)、原監督で優勝した02年には通算セーブポイント数3位(216)の鹿取義隆がいた。
 彼らが具体的にどのような役割を果たしたのか、一介の見物人には知る由もない。だが、先発投手とリリーフ投手の職種が違うことはわかる。セットアッパーとクローザーでも微妙に違うはずだ。調整法も日々の生活も最適なメンタリティもそれぞれに異なる以上、それぞれの仕事に熟知した人物が指導する方がよいだろうという推論が成り立つ。
 例えば、一軍に4人の投手コーチ(これは飛び抜けて多い人数だ)を抱える中日は、森繁和チーフと小林聖始の2人が最優秀救援投手のタイトル保持者だ。佐藤道郎二軍監督も2度のセーブ王経験がある。このチームがいかにブルペンを大事にしているかが、こんなところにも現れている。

 もちろん、近年の優勝チームのすべてがリリーフ出身の投手コーチを置いている、とは言い切れない。
 しかも、現在のジャイアンツがブルペンに最大の問題を抱えているということは、知らぬ者のない事実だ。にもかかわらず、この球団にはリリーフ専門のコーチを補強するという発想が出てこない。監督もフロントも、その必要性を認識していない、ということになる。

 これまでのような、先発で起用しても勝てない投手をリリーフに回す、という起用方針を変えない限り、ジャイアンツの投手陣が好転するとは思えない。キャンプで準備していないものが、シーズンに入ってからバタバタしたところで間に合うとも思えない。
 いろんな選手の消長を見ていると、クローザーという役割には、競争の中から徐々につかんでいくというよりも、抜擢して役割を任されることによって、はじめてクローザーにふさわしい能力が育つ、という性質があるような気がする(捕手にもそういうところがある)。
  しかし、最下位という状況下では、実績のない若手を抜擢したとしても、その選手の成長を待つ余裕が今のジャイアンツにはない。
 ここまで来てしまったら、上原浩治をクローザーに回すくらいの荒療治をやらなければ、チーム全体を蝕む「ブルペン蔑視症候群」は治癒しないのではないだろうか。

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『必殺仕置人』とその時代。

 私がこのblogでハンドルネームに用いている<念仏の鉄>という名前は、テレビドラマ『必殺仕置人』『新必殺仕置人』で山崎努が演じた殺し屋の名から僭称しているものだ。

 本家・念仏の鉄は、もともと僧侶だったが、檀家の女房との密通が発覚し、佐渡に流された。金山での重労働を生き延びた後、無宿人として江戸に流れ着き、観音長屋の怪しげな住人たちの中で、骨接ぎをなりわいとして暮らしている。
 琉球出身の一本気な「棺桶の錠」(沖雅也)、巾着切りの「鉄砲玉のおぎん」(野川由美子)、瓦版屋の「おひろめの半次」(津坂匡章)らは長屋の仲間。町人たちに袖の下をたかってばかりいる北町奉行所同心の中村主水(藤田まこと)は佐渡以来の腐れ縁だ。
 そんな小悪党たちが、奉行と盗賊の共謀により父親を犠牲にされた田舎娘と知りあったことから、金で恨みを晴らす仕置人稼業へと踏み込んでいく。

 念仏の鉄は、素手で人を殺す。相手の頚椎や脊椎を指で折って殺す(医学的に、それで即死するのかどうかは疑問だが)。あるいは肩や肘の関節を外して戦闘不能にする。刃物に素手で立ち向かい、血を見ずに敵を倒す。
 鉄は、好色で、横柄で、金に汚く、はっきりいえば、ろくな人間ではない(笑)。若い錠が、単純な正義感に駆られて銭金抜きで悪い奴をやっつけようと憤るのに対し、年嵩の鉄はドライで、金にならねえことはやらねえよとうそぶく。悪い奴らを殺したり、いたぶったりすること自体を楽しんでいるふうでもある。
 そのくせ、佐渡時代の命の恩人が江戸に現れれば礼を尽くし、反面、そいつが団子屋を乗っ取ろうと老いた老夫婦を殺したと知ると容赦なく殺す。憎からず思っていた遊女を陥れた女衒に対しては、怒りを爆発させる。そんな人情も持ちあわせてはいるのだが、本人は素直に認めようとはしない。

 世の中の汚い部分を見聞きし、過酷な体験を重ねて、大抵のことは何とも思わなくなっている。自分でもちょっとした悪事は平気で働く。そんな男にも、許せないものはある。
 山崎努の無表情や、何を考えているのかわからない作り笑顔、そして張りのある声が、念仏の鉄というキャラクターを印象的に作り上げている。とりわけ台詞回しや口跡は、何度聞いても飽きがこない。不自然に張り上げなくとも、よく響く。つぶやくような台詞も、誰よりもくっきりと聴き取れる。声そのものに力があるのだろう。

 最終話「お江戸華町未練なし」では、主水を除く一味の人相書きが江戸中に張りだされ、半次が捕らえられてしまう。鉄と錠は一か八か刑場に殴り込みをかけ、首をはねられる寸前の半次を助け出した。
 もはや長屋に戻ることもできず、江戸から逃げ出そうと集まった隠れ家に、旅支度の主水が現れる。
 「俺もおめえたちと一緒に行くぜ」と言う主水を一味は口々に止めるが、鉄が「別れるのはおめえだけじゃねえ。みんなここで別れるんだ」と宣言すると、今度は半次やおきんが「ひとりぼっちになるのは嫌だ」と拒む。話はまとまりそうもないと見て、鉄が言い放つ。
 「じゃ、これで決めよう」
 取りだしたのは銭だ。
 「表が出たらみんな一緒に道中だ。裏が出れば別れる」
 はじかれた銭が土間に転がり、倒れて止まる。裏。
 「今度会うのは地獄だろうぜ。あばよ」と言い残して鉄が去り、無言のまま錠が続く。半次とおきんも渋々と出て行き、後にはひとり、主水が力なく立ち尽くす。
 カットが変わり、旅路を行く鉄。さっきの銭を取り出すと、張り合わせた面をふたつに割いて呟く。
 「世の中、裏目ばっかりよ」
 裏しか出ない、インチキな銭だったのだ。鉄は、にたりと笑うと銭を投げ捨て、すたすたと歩いていく。家族のある主水を気づかう、乾いた友情とでもいうべきか。この数年後、2人はさらに乾いた再会をすることになる。


 『必殺仕置人』は、人気番組『必殺仕掛人』の続編として企画され、昭和48年に大阪・朝日放送系で放映された番組だ。『仕掛人』には、池波正太郎の『仕掛人梅安』シリーズという原作(かなり脚色されていたけれど)があったが、『仕置人』はオリジナル。ここから、いわゆる『必殺』シリーズが始まる。

 この3月から、時代劇専門チャンネルで『必殺仕置人』が放映されていた(今夜が最終回だ)。
 久しぶりにエピソードをひとつづつ見てみると、なかなか贅沢にできていると思う。ゲスト陣も豪華で、中尾彬、津川雅彦という「殺され役」の常連たちも、前作『必殺仕掛人』に続いて登場し、派手にやられている(特に、第9話「利用する奴される奴」で、次から次へと女を食い物にする津川の強烈な「色悪」ぶりには舌を巻く)。
 映像もいい。斬新なアングルの連続に、カメラマンの知人が感心していた。

 脚本も凝ったものが多い。仕置人グループが奉行所に見つかり仲間が捕らえられる、というような、普通ならクール後半にもってくるような大ネタ(最終回もそうだが)を、いきなり3話目あたりで使っている。第15話「夜がキバむく一つ宿」は、甲州での仕置に成功した帰り道、大雨で川が氾濫し、山中の廃屋に閉じこめられた鉄と錠が、雨宿りに居合わせた人々とともに謎の殺人者に狙われる、という密室劇で、全編、異様な緊張感に満ちている。
「秘密の私設警察グループが、金で人の恨みを晴らす」という明確な物語の型があるにもかかわらず、こうやって定型から逸脱したエピソードを次々と繰り出してくるというのは、脚本陣に勢いがあり、楽しんで書いていたことをうかがわせる。一言でいえば、スタッフに元気があったのだ。

 この時期、昭和40年代後半から50年代初頭というのは、テレビドラマにとって、ひとつの頂点であったのだろうと思う。
 理由はいろいろあるのだろうが、はっきりしていることがひとつ。
 『必殺仕掛人』第1回の監督は深作欣二だった。脚本の池上金男は、かの『十三人の刺客』の脚本家で、後の時代小説家・池宮彰一郎だ。
 『必殺仕置人』の最終回を撮ったのは、その『十三人の刺客』の工藤栄一監督。ほかにも、三隅研次、蔵原惟繕らの映画監督たちが、シリーズ各作品でメガホンをとっている。要するに、かなりの映画人がかかわっている。

 昭和40年代、日本映画は急速に市場が縮小し、製作本数は減少の一途をたどった。プログラム・ピクチャー体制の崩壊によって映画を作れなくなった人々が、テレビ界に大挙して流れ込んだのだろう。彼らが作り上げたのがこの『必殺』であり、市川崑の『木枯し紋次郎』であり、神代辰巳や工藤栄一の『傷だらけの天使』であり、初期の『太陽にほえろ』であり、あるいは、名作・傑作として後世に名を残すことはなかったけれど、異様な情念に満ちて見る者の心の奥に焼き付いて離れないようなドラマの数々であったのだろうと思う。
(このへんの話に興味のある方は、A5判時代の「映画秘宝」のVol.4『男泣きTVランド』およびVol.5『夕焼けTV番長』を、どうにかして入手してご覧になるとよいです。どちらも96年刊行。ただし、紹介されている番組の大半は見るのが困難なので、余計に欲求不満に陥ること間違いなし)

 もちろん、テレビはテレビとして独自の歴史を持ち、独自の才能をはぐくんできたものの、社会的には、映画に比べると一段低いジャンルと見做されてきたことも確かだ。
 いつの時代も、創造力と才能と意欲のある若者は、その時代にもっとも勢いのある分野に流れ込む。昭和30年代まで、それは映画だった。その目標がテレビ界に代わり、映画の代わりとしてではなく最初からテレビドラマを目指した人々が才能を開花させるようになるのは、『必殺仕置人』よりも、もう少し先のことになる。そして今や、東宝特撮映画を見て育ったフジテレビの亀山千広が、『ローレライ』をプロデュースする時代になったというわけだ。

 この分節点以降も、マンガ、アニメ、インターネットと、さまざまな分野が栄枯盛衰を繰り返している。文芸も滅んだわけではない。これからの才能が、今、どの分野に集まりつつあるのか。私のような古い人間には見えないところで、すでに動きは始まっているのだろう。


 念仏の鉄が再登場する『新必殺仕置人』のことを書きそびれた。そちらについては、別の機会に。これも時代劇専門チャンネルで放映してくれないかな。

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新聞より遅い楽天公式サイト。

 楽天イーグルスは30日、キーナートGMや山下大輔ヘッドコーチの降格を中心とする人事異動を発表したという。
 感想は下の「楽天に関根さんを。」に書いた通りだが、付け加えるとすれば、こんなことをやっていたら、この球団は今後、優秀な人材を集めることがどんどん難しくなっていくだろう。だいたい、目先の勝利が欲しいのなら、コーチ陣をいじるよりアメリカから優秀な投手と打者を買ってくる方が、よほど実効が期待できる(ま、松井優典をヘッドコーチにすることには意義があるかも知れないが)。

 まあ、そんなわかりきったことを、くどくど書く気はない。
 本日の驚きは、5月1日午前零時現在、楽天イーグルスの公式サイトに、この情報が一切アップされていないことだ。トップページでは、いまだにキーナートGMがにこやかに笑っている。
 三木谷オーナーの一連の現場介入については、「インターネット業界の人はスピード感覚が違うから、性急に結果を求めるのだろうか」などと数日前に友人と話したが、全然間違ってましたね。新聞より遅い。
 楽天公式サイトの情報の遅さについては、分配ドラフトの頃にも指摘したが、半年経っても進歩がない。他の球団ならともかく、ITとの融合を売り物にプロ野球に参入してきた楽天(ソフトバンクもだが)の公式サイトがこういうペースでは、言ってることに著しく説得力を欠く。

 Jリーグでは、この種の人事情報は、かなり迅速に公式サイトに発表されているという印象がある。サポーターに一刻も早くきちんと説明するという姿勢が、野球界よりも浸透しているのだと思う。プロ野球オーナーの中で唯一Jリーグのオーナーを兼ねている人物が、そういうことを理解できていないのは残念だ。


追記(2005.5.2)
今日になって楽天公式サイトのトップページからオーナー・監督・GMのあいさつが一斉に消えたが、GM降格・コーチ陣担当変えの人事ニュースは依然として掲載されていない。

さらに追記(2005.5.5)
ヴィッセル神戸が5月2日付でコーチングスタッフの入れ替えを行なっている。こっちも現場とフロントのシャッフル状態(「ガラガラポン」という表現がふさわしいか)。別にこんなところでイーグルスと連携しなくてもよさそうなものだが。ま、サッカーの方は公式サイトできちんと説明している。奇しくも同一グループ内で、上記の印象が実証されたわけだが、別に嬉しくはない。

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