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星新一のメディア・リテラシー論。

 一世を風靡した小説家でも、世を去って数年経つと、書店から著作が消えてしまう、ということはよくある(だからといって価値がない、とは限らないのだが)。一方で、何年経っても文庫の棚に一定の地位を占め続ける小説家もいる。SF作家の星新一は、後者に属しているようだ。

 70年代を小中学生として過ごした私は、本を読む習慣を持つ同世代の人たちの多くがそうであるように、星新一の著作を浴びるように読んで育った。そして、この世がままならぬことばかりであること、人生がほろ苦いことを教え込まれた(手塚治虫についてもそうだが、星の著作を「子供に夢と希望を与えた」と形容する人がいるというのが、私は不思議で仕方ない)。

 現在でも新潮文庫をはじめ、いくつかの文庫で彼の著作を読むことができるようだが、カタログを見ると、収録されているのは小説ばかりだ。私は彼のエッセイが好きだった。

 実物が手許になく、上述の理由で再入手も難しそうなので、うろ覚えの記憶で書くしかないのだが、印象に残っている記述がある。幼い頃、彼が父だか叔父だかに、どこかの名所旧跡を案内された時の思い出として書かれていた一節だ。
 星の父(か叔父)は、幼い星のために、名所の案内板に書かれた解説文を読み上げては、最後に「…ということになっとる。」と付け加えるのが常だったという。
 公の権威ある情報として記されている情報であっても、鵜呑みにはしない。かといって、無闇に疑ってかかるのでもない。「一応は書いてあることを受け入れるけれど、間違っているという疑いを捨てるわけではない」という姿勢を、「…ということになっとる。」の一言は示している。
 
 SFの特徴は物事を相対化して見ることにあるのだ、と星は書いていた。誰もが何の疑いもなく信じている前提を崩してみたらどうなるか。確かに、星が書いていた小説は、そんな一種の思考実験が多かった。そんな文脈の中で、このエピソードも紹介されていたと記憶している。

 メディア・リテラシーと呼ばれるものの要諦は、この「…ということになっとる。」にあるのではないかと私は思っている。
 新聞を読み、ニュースを聞いて、「…ということになっとる。」と言った後はどうなるか。自分で考えるしかない。
 この記事ではこういうことに「なっとる」、でも次の記事ではああいうことに「なっとる」、ちょっと辻褄が合わんぞ……。
 ひとたび「…ということになっとる。」と呟いてしまったら、そこから先は、あらゆるニュースを付きあわせて検証しながら読まざるを得なくなる。これは、ものすごく面倒くさい。

 「…ということになっとる。」は、判断を留保するということだ。
 入力した情報を確定せず、修正可能なままにしておく。コンピュータ上でそういうことをやりすぎると、ものすごくメモリを食う。データを確定してハードディスクに保存していかなければ、いずれパンクしてしまう。
 人の脳でも事情は同じだ。人間が物事を信じやすくできているのは、脳のワーキングメモリの負担を軽減するためだと聞く。「とりあえず信じる」という形で処理していかなければ日常生活が立ち行かなくなるし、火急の際に判断が遅れかねない。

 だから、限度はある。あるけれど、それでもニュースに接するたびに、「…ということになっとる。」と心の中で呟いてみることは、無駄ではない。
 ひとつの情報源を鵜呑みにせず、自分なりに検証したうえで、納得できれば受け入れる。そこまで手間をかけていられない場合は信用しておくが、「とりあえず」という留保を忘れない。その面倒くささに耐えて、はじめて自分なりに世界を把握することができる。

 …というようなことを、私は星新一から教わったつもりでいる。実際に星が、新聞やテレビに接する時に「…ということになっとる。」と思いなさい、と勧めていたかどうかについては、あまり記憶に自信がないけれど、このところメディアについていくつか書いたり議論したりしていてこの挿話を思い出したので、とりあえずまとめておく。

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コメント

 村上龍の小説だったでしょうか、登場人物に「ただで手に入る情報に価値はない」「世の中の情報の中で正しいものはほとんど無い」と言わせていましたが、世の中がとても複雑になって、何に価値をおいて生きればいいかがわかりにくくて、それでも情報の洪水は水位をどんどん上げていて・・・。
 そんな現代に「一応、そうなっている」とつぶやくことは大切なことですね。
 角度が少し変わるかもしれませんが、個人的には判断を左右するような情報、先の方向性について考えたいときには、出来るだけ現場に足を運ぶこと、関係している人の話を聞く機会を設けることを心がけています。そうすると机の上でイメージしていたモノクロ写真が急に色鮮やかなカラーに変化します。「出来るだけ直接体験すること」が自分なりの情報に対するひとつの行動規範になっています。もっともそれでうまくいくことばかりではなく、むしろ先入観が増幅されるときもありますが(苦笑)、きっと洞察力や想像力の優れた人は、そういう段階を踏まずに様々なものを見通せるのかもしれませんね。

「そういうことに(一応)なっている」
忘れがちな、大切な感性を思い出させてくださりありがとうございます。

投稿: ペンギン君友人 | 2005/05/23 19:28

追伸
書き忘れました。
「とりあえず信じる」って、悪くない態度ですよね。
「人生が、生きるに値すると信じる」
なんて。

投稿: ペンギン君友人 | 2005/05/23 19:33

>ペンギン君友人さん

>村上龍の小説だったでしょうか、登場人物に「ただで手に入る情報に価値はない」「世の中の情報の中で正しいものはほとんど無い」と言わせていましたが、

そりゃそうでしょうね。ただし、「支払った対価が高いほど情報の信頼性は高まる」という考え方は、いつしか「高い金払ったんだから信用できる」という形に転倒して判断を誤ることになりかねないと思いますが(笑)。ある問題について十分なバックグラウンドを持っていれば、新聞のベタ記事からでも相当なことがわかるものです。

>きっと洞察力や想像力の優れた人は、そういう段階を踏まずに様々なものを見通せるのかもしれませんね。

私が知る範囲で最も洞察力に優れた人は、最も徹底して現場を踏むことにこだわります。判断力や洞察力というのは、かなりの部分が、その問題についてかけた手間と考えた量によって決まるのだろうと思います。
私に関して言えば、手間をかけて失敗した数よりも、手を抜いて失敗した苦い経験の方がはるかに多いですし(笑)。


>「とりあえず信じる」って、悪くない態度ですよね。
>「人生が、生きるに値すると信じる」
>なんて。

これこそまさに「考えることのコストが高すぎる」問題ですね。
仮に「値しない」が正解なのであれば、正解を知ったところで何一つ良いことはないので、私なら「とりあえず値すると信じる」ことを選びます。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/05/23 22:07

鉄さんが先の記事で挙げられているような物事の多角的な検証を私自身が自ら行った最近の出来事は、プロ野球スト騒動の渦中のナベツネ発言ですね。

特に「たかが選手」については、自ら文芸春秋に寄稿した文で、それを即座に打ち消す発言をしたことを語っていましたが、自らもメディアの一員である氏は自分たちの都合の良いように言葉の一部のみを切り取って伝える手法にまんまとはまってしまったことをかなり後悔していましたね。もちろんそういうマスメディアの性格を知り尽くしているので、氏はしばらくは沈黙していましたが、なれてない人ならむきになって反論してかえって収拾つかなくなるもの。そういうところは巨大メディアのドンの風格を感じます。

報道されている出来事について私が一つだけ心がけていることは「所詮メディアで伝えられる報道は物事の一部分でしかないので、それを根拠にその道のエキスパートの人たちへ直接的なアクションを起こすべきでない」と言うことです。

たとえば楽天の田尾監督や巨人の堀内監督についてメディアが「監督失格」と煽ることや、それに乗っかって居酒屋でプロ野球の話を語ることまではOK、しかし球団事務所に監督解任を求める意見書を出すのは素人がやったら暴走行為と思うのです。

暴走行為の実例としては、サッカー日本代表監督のジーコ氏の解任要求デモが挙げられると思います。もっともこういう根の浅い、煽られただけの集団催眠みたいな事例は、一つのゲームの結果であっという間にトーンダウンしてしまいましたけれども(苦笑)。

ともかく反射神経を問われるようなことでなければ、ゆっくり落ち着いて反応すれば良いのだと思います。

投稿: エムナカ | 2005/05/23 22:33

こんばんは。このことを心がけようとしながらも、最近チケットの話でミスをしてしまったアルヴァロです。

スポーツで言うと、「そこで何が行われているのかを知る最善の方法は自分の足でスタジアムに行くことだ」と最近できた生徒たちに必死に説いています。行くことが出来なくても、それで得られる情報というのは限界があると。それを表すのがまさに「…ということになっとる。」という言葉なのだと思います。星新一氏は名前しか知らなかったのですが、勉強になりました。
ちなみに私はこの重要性を初めて知ったのはFC東京の村林常務の話でした。


そういえば、私の世代でスポーツを勉強をしている人たちはたくさんいるにも関わらず、スポーツ観戦を全くしない人が意外に多いことがわかってきて、少々気になってます…。

投稿: アルヴァロ | 2005/05/23 23:25

 ニッポン代表への不安

 先日、新潟スタジアムにサッカーキリンカップを見に行きました。

 緊張感のない、ほんと貴様らJ2か?と錯覚しそうになるほど(J2ファンの皆さんに失礼ですね)の、つまらん試合でした。
 日本代表の試合って初めてナマで見ましたが、実際、あんなにつまんないものなんでしょうか。
 テレビではいつも絶叫型のアナウンサーに誘われてついつい興奮して見てしまうのかなあ。

 ほんと、うららかな陽気に誘われ、途中で寝そうになりました。
 隣の席の人もあくび連発。特に前半は、緊張感ないな~って感じが伝わってきました。

 こういう互角のチームだと後半勝負ってことで、前半は力を温存するものなのでしょう。が、それにしても国内組はアピールのチャンスなのに、そういう気迫が希薄でした。

 後半も、稲本が入って、少しは鋭いパスが供給されるようになったが、基本的に攻め手に欠く。
 このまま引き分けか、と気のゆるんだロスタイム、あっけなくちょろりと1点入れられてしまいました。

 試合後の宮本の談話がふるってます。
 「反省はしなくてはいけない。だけど誰も下を向く選手はいないし、修正していきたい云々。

 おいおい、こういう負け方をした時こそ下向けよ、って思いました。
 もう北朝鮮に勝ったつもりでいるんでしょうかね。多少、心配です。もしかしたら、ドイツ行けないかも。それはそれで、いい薬かもしれませんが。
 会見していたジーコも、負けても、あまり痛くもかゆくもなさそうでした。
 覇気がない。日本代表をいかに育てるか、彼の中でも万策尽き果てたんではないかなあ。いくら言っても成長しない連中、と。。。
 高い年棒もらってるし、ドイツ切符を日本に手渡したら監督勇退ってことも十分ありうるんじゃないでしょうか。ならば次は岡ちゃん、頼むぜ?
 
 それとも、キリンカップって、興行だから、勝っても負けてもいいんでしょうかね。国際Aマッチと言いながらも。
 キリンといえば、サッカー協会出身の役員がいるとか(その逆かな)。サッカーファンを育ててきた自負があるんでしょうが、あんまりつまらない試合をやらないように、きちんとサッカー協会に言わないといけないですね、スポンサーとして(まあ言えないでしょうけど)。

 鉄さん、「キリンの功罪」を斬って下さい!

投稿: penguin本人 | 2005/05/23 23:31

>エムナカさん
>しかし球団事務所に監督解任を求める意見書を出すのは素人がやったら暴走行為と思うのです。

うーん、それはどうでしょうか。人としての礼節をわきまえた方法を取る限り、ファンが球団に意思表示をすることには何の問題もないと思います。
当blogは「見物人の論理」ですから(笑)、「素人」たる見物人もステイクホルダーとしての地位を相応に有していると私は考えます。

例として挙げておられる「ジーコ解任デモ」についても、その意味で私は肯定します。
さらに言えば、あのデモは、その時点までにジーコが結果・内容ともに貧弱な試合を繰り返していたにもかかわらず、あまりにも肯定的かつ楽観的な報道に終始していたマスコミに対して、サッカーファンが危機感を表明したものだと私は理解しています。
「ジーコ監督のままではドイツ行きが危うい」という彼らの判断の正しさは、その後のワールドカップ予選が証明する通りです(結果的に予選を通過できたとしても、その過程が「危うい」ものであったことは誰にも否定できないでしょう)。
というわけで、

>根の浅い、煽られただけの集団催眠みたいな事例

というご意見には私は賛同しません。少なくとも、「報道に煽られた」と考えておられるのなら、それは事実に反します。今は「日本のメディアはジーコに甘すぎる」と説教がましいセルジオ越後が、就任以来のジーコに対してどれほど甘かったかをご記憶ではありませんか?
(ただし、あのデモが「ネット上の『祭り』に煽られた」という面を含んでいたことは否定できませんが)

>ともかく反射神経を問われるようなことでなければ、ゆっくり落ち着いて反応すれば良いのだと思います。

インターネットは、反射的な反応速度を利用者に要求するような特性を持っているので、誤解が急激に拡大しやすい。「スローネット」のような動きが望まれるのかも知れません。このblog自体がすでにスローネットですが(笑)。


>アルヴァロさん
>スポーツで言うと、「そこで何が行われているのかを知る最善の方法は自分の足でスタジアムに行くことだ」と最近できた生徒たちに必死に説いています。

武田薫氏が「体感情報」という言葉をよく使いますね。メディアを通した情報量が、現場で得られるそれに比べて圧倒的に限定されたものだ、ということを認識していれば、メディアを通した情報に接する時に誤った判断をする可能性を減らすことができるのだと思います。

>そういえば、私の世代でスポーツを勉強をしている人たちはたくさんいるにも関わらず、スポーツ観戦を全くしない人が意外に多いことがわかってきて、少々気になってます…。

最近ちょっとコンサートホールについて調べているのですが、自分でチケットを買ってコンサートに行った経験がほとんどないままにホールを設計する建築家が結構いるらしいです(笑)。いや、笑いごとじゃないんですが。
しかし、観戦しない人がなぜスポーツビジネスを勉強しようなんて思うんでしょうか。不思議だ(笑)。

>penguin本人さん

>日本代表の試合って初めてナマで見ましたが、実際、あんなにつまんないものなんでしょうか。

私はジーコ就任以来、6試合くらい生で見てるはずですが、つまんなかったです(予選だからハラハラはしたけれど)。

ペルー戦は見ていないので一般論として言いますが、今回のキリンカップは、勝敗も面白さも二の次で、予選の役に立ちさえすればよい、と思います。だから、「予選のためにどういう目的を設定したのか」「それがどの程度達成されたのか」が大事なのですが、ジーコの試合はこれが常に不明瞭なので、見ていてストレスがたまる一方です。

>鉄さん、「キリンの功罪」を斬って下さい!

上にも書いた通り、今回のキリンカップは、日程を見る限り「6月のワールドカップ予選のためのスパーリング」という位置づけで組まれています。そうやって年に何度か、代表の強化のために試合を組む予算がある、というのはいいことではないでしょうか(去年8月のアルゼンチン戦のように、代表強化の上では、まったく意味がない試合もありますが)。

ただ、今や欧州各国はリーグは忙しすぎるし、南米の中堅国でも一流選手は欧州リーグにいる。シーズンのサイクルが違うこともあって、ある程度しっかりした実力のある国が主力選手を揃えてしっかりした試合をする、ということがなかなか難しくなっているように見えます。ジャパンカップという名でスタートした当時は、日本代表がアジア以外の代表チームと戦う数少ない機会でしたが、もはや歴史的な役割は終わったのかも知れません。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/05/24 01:10

>penguin本人さん
はじめまして、鉄さんでもないのにレスしてしまってすいません。

>日本代表の試合って初めてナマで見ましたが、実際、あんなにつまんないものなんでしょうか。

正直、私もつまらないです。Jリーグの方がはるかに面白いです。親善試合ではともかく、困ったのがW杯予選(シンガポール戦とインド戦を観戦しました。後者はお祭りでしたが…)であってもそう感じてしまったことです。

ネット上で言われていることで私もそう思うのが、生ぬるい雰囲気を出している観客もつまらなさに一役買ってしまっているのではということです。これだけ日本代表というのが巨大なキラーコンテンツになってしまい、いろんな人が試合を見に来るようになりました。いいことなんですが、スタジアムの雰囲気として逆に真剣勝負の時にも緊張感が薄れている気がします。W杯がまだ未知で、みんな必死に応援していた8年前は日韓戦など、バックからメインから全員総立ちで応援していたと友人は言ってます。今はみんな日本が勝つと「信じる」というよりは「楽観視」しているのではないでしょうか。

選手に必死さが足りないとか、少なからずそれを受けているのかも…と思うのです(本来はプロなんだからそれもどうかという話ですけど)。


>念仏の鉄さん
>しかし、観戦しない人がなぜスポーツビジネスを勉強しようなんて思うんでしょうか。不思議だ(笑)。


まず、スポーツが楽しいのは多くの人が感じることですが、それを仕事にすることの楽しさに重ねようとしている気がします。そこはまぁ私も似たようなものなのですが(笑)、ところが中にそれを一般の小難しい(ように見える)社会よりも楽で楽しそうだと短絡的に考える人がいるようです。そういう人は意識も高いわけではないのに、机の上での勉強だけで平気で「Jリーグで働きたい」とか言ったりします。ものすごく大きな勘違いだと思うのですが…。

あと、意外に部活出身者にもスポーツ観戦しない人はいますね。「するスポーツ」と「見るスポーツ」の違いで後者は興味がない、ということかもしれません。

どちらにしろ、私個人としてはスポーツビジネスの勉強というのはスポーツを「実際にする」「スタジアムで見る」「学んで考える」ことをバランスよくたくさんこなすことだと考えているので、彼らが理解できないのが本音です(苦笑)


長くなってしまって申し訳ありません…

投稿: アルヴァロ | 2005/05/24 02:25

>アルヴァロさん
ありがとうございます。私のようなサッカーを横から見る人間ではなく、ゴール裏で声を出している人の意見だけに重みがあります。

>生ぬるい雰囲気を出している観客もつまらなさに一役買ってしまっているのではということです。

一次予選が始まってから、ずっとスタンドのヌルさを感じています。北朝鮮戦をメインスタンドで見たのですが、大黒が勝ち越し点を取る前に帰った観客がいたのには驚きました。さいたまスタジアムがいくら不便だとはいえ…。やはり代表の試合には、ふだんサッカーを見ない人が大挙して来るのでしょうね。

ただ、ゴール裏の応援ぶりも変わったと思います。私がスタジアムに通い始めた93年ごろは、状況に応じてコールや歌を使い分けることで試合を有利に運ぼうとする応援を(野球に比べて)新鮮に感じたものですが、最近の応援はやや単調で、野球場に似てきました。ゴール裏の人たちも代替わりしたのでしょうか。

>W杯がまだ未知で、みんな必死に応援していた8年前

確かにあの年の予選の雰囲気は凄かったけれど、「初出場」というのは一度きりです。「初出場」「地元開催」という特殊な状況を経て、我々は初めて「普通のワールドカップ」に臨んでいるわけで、それに見合った姿勢というものを、これから作っていかなければならないのでしょうね。

だいたい、選手もほとんど20代ですから、「ワールドカップに出られない日本」というものに実感がわかないんじゃないだろうか(笑)。


>そういう人は意識も高いわけではないのに、机の上での勉強だけで平気で「Jリーグで働きたい」とか言ったりします。ものすごく大きな勘違いだと思うのですが…。

なるほど。多少意地の悪い見方をすれば、スポーツビジネスを教える大学や専門学校が増えている背景には、そういう勘違いした人たちを相手に商売しようという肚もあるのかも知れませんね(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/05/24 08:49

>「ジーコ監督のままではドイツ行きが危うい」という彼らの判断の正しさは、その後のワールドカップ予選が証明する通りです(結果的に予選を通過できたとしても、その過程が「危うい」ものであったことは誰にも否定できないでしょう)。

と言うところはさすがに同意できません。

これは感情論でなく、ロジカルにそうなのです。
実は今回のアメリカ大会以降の予選の中で条件が一番ゆるく、一番突破が楽な大会なんです。

ドーハのときは2枠をセントラル方式でサウジアラビア、韓国、日本、イラン、イラク、北朝鮮で争いました。

フランス大会は5カ国ずつ2組各組最上位がまず突破(サウジアラビアと韓国)、各組の2位がプレーオフで勝利すれば第3代表獲得、敗者もオセアニアとのプレーオフで出場権獲得、日本が第3代表、イランがオーストラリアに勝って第4代表になったことはご存知かと思います。

韓国-日本大会は予選免除なのでパス。

そしてドイツ大会はご存知の通り各組4ヶ国2組の上位2ヶ国ずつ4ヶ国がまず代表権獲得し、3位同士のプレーオフの勝者が北中米カリブとのプレーオフを戦います。

すなわち

アメリカ大会:2/6=0.33
フランス大会:3.5/10=0.35
ドイツ大会:4.5/8=0.56

ですから今回の予選は先の2大会に比べて一次予選の重要性が極めて高く、最終予選の関門は低いのです。

ワールドカップの予選で1位突破することはあまり意味がありません。韓国-日本大会では南米予選を1位突破したアルゼンチンはグループリーグ敗退で2位だったブラジルは優勝。
この事例も予選順位が問題ではないことを示しています。

苦戦して見えるのは確かですが、グループ2位でも予選突破という事実について真正面から向き合えないでいる人が多いように感じます。「絶対に負けられない戦い」と煽り立てる某TV局のキャンペーンのせいですかね(苦笑)

従いまして、予選突破に関しては私はかなり楽観しています。

第一、試合の当事者である監督や選手達の方が見物人であるわれわれよりワールドカップへの思い入れはあるはずですから、かなりしっかりした根拠がなければ素人の意見に左右されることはないでしょう(中にはそういうところを最も気にする人もいるでしょうけど)。

ジーコ解任デモについては、呼びかけの主体者や参加者が顔出しをためらっている時点で本気度がかなり低めだと私は感じていましたので、最終予選の突破に失敗することがなければふたたび盛り上がることはないと思います。もちろん予選突破に失敗すれば、世論の反応を待たずにJFA幹部が即座に解任するはずですが。

「解任デモ」を起こした人、参加した人のなかで、今の時点でもう一回この運動を盛り上げようと主体的に行動している人がいたら、その人のご意見を一度じっくり伺いたいものです。

ともかく、予選突破は6戦中3戦終わった時点で2位なので、前半3戦と同じ星勘定が出来れば2位はキープできるのですから、もうすこし楽観的に考えても良いのだと思いますよ。

>うーん、それはどうでしょうか。人としての礼節をわきまえた方法を取る限り、ファンが球団に意思表示をすることには何の問題もないと思います。

「つまらない、見ていてハラハラする」って感想は一種のファンレターと思うので、そういう範囲なら私も問題ないと思います。

ただ直接的な作戦や人事に関わることを感想として述べたり、酒場の話題にするのでなく、球団に要求するのは私にとってはファンとしての一線を越えた行為にしか思えません。もっとも意見書が届いたところで読む読まないは受け側の自由ですから、意見書が確実に球団幹部の目に留まるかどうかはわかりませんけれど(「たかがファンの分際で」と吐き捨てる人もきっといるでしょう(苦笑))。
ここの線引きについてはやはり今回はお互い譲れない部分がありそうですね

投稿: エムナカ | 2005/05/25 22:19

>エムナカさん

>と言うところはさすがに同意できません。

私は、試合結果だけでなく、マネジメントや試合内容の危なっかしさ(風邪をひいて発熱中の選手を複数先発させるとか)を含めて「その過程が『危うい』ものであった」と書いたつもりでしたが、そうは伝わらなかったようですね。不適切な表現をおわびします。

予選通過そのものに対しては、現時点では私も楽観的です。ジーコ監督が最良の選択かどうかは、また別の話です。
また、最終予選の関門が低いのはご指摘の通りですが、解任デモが行われたのは、1位にならなければ通過できない一次予選が始まった直後でした。


>ただ直接的な作戦や人事に関わることを感想として述べたり、酒場の話題にするのでなく、球団に要求するのは私にとってはファンとしての一線を越えた行為にしか思えません。


エムナカさんがお書きになった通り、

>意見書が届いたところで読む読まないは受け側の自由

であるからこそ、社会的に容認される範囲内での意思表示に何ら問題はないと私は思います。


「ジーコ解任デモ」については、24日の私の書き込みの趣旨は、

・ファンによる競技団体や球団への意思表示を容認する。従ってデモも容認する。
・デモ実施時点まで、サッカーメディアはジーコに肯定的な論調が主流だった。従ってデモが報道に「煽られた」とは考えにくい。

という2点です。当時とまったく状況が異なる今になって、解任運動が「ふたたび盛り上がる」とは私も思いません。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/05/26 11:07

星新一さんは大好きでした。お亡くなりになったとき、縁あって宇宙塵という同人誌に追悼ショートショートを載せてもらえました。私の公刊された唯一の創作作品です(笑)。
http://www.din.or.jp/~aoyama/uchujin195.html

星さんのエッセイもたいていは読んでいるのですが、本エントリにご紹介いただいたエピソードは残念ながら記憶にありません。ただ、いかにも星新一さんが書きそうなことだと思います。また、「…ということになっとる。」と付け加えたのは、間違いなくご父君の星一氏だという確信めいたものがあります。星一という人物は、そういうふうに世の中を見ている人であったと思います。

投稿: 馬場 | 2009/04/01 11:32

>馬場さん

ま、いかにも星さんが書きそうな話ではありますよね。
それにしても、宇宙塵ってまだ続いてるんですか。凄いな。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/04/02 00:22

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