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斎藤雅樹について、もう少し。

 下のエントリーを書いていたら、斎藤雅樹の話を、もう少し続けたくなった。

 斎藤がエースにふさわしい働きをしたのは、実質的にはこの96年が最後だった。
 毎年のように2ケタの完投を記録していたタフな男にも、限界は訪れる。97年以後の斎藤は、度重なる故障に悩まされた。球威で勝負するタイプであったからこそ、体の衰えは致命的だったようだ。モデルチェンジもままならないままに、斎藤はいつしかブルペン要員へと立場を変えていく。

 2000年、ON対決と騒がれたダイエーとの日本シリーズで第4戦に先発し、7回2/3を1点に抑え、対戦成績を2勝2敗の五分に戻して逆転優勝に貢献したのが、最後の輝きだったかも知れない。翌2001年には故障で出遅れ、シーズンの大半を二軍で過ごした。一軍に呼ばれたのはペナントレース大詰めの9月。与えられた役割は、中継ぎだった。
 90年代を代表する大エース、誰よりも先発完投が似合う男が、来る日も来る日も誰かに踏み荒らされたマウンドに向かう。だが、その姿は一片の哀愁も感じさせず、むしろ斎藤の表情は嬉々として見えた。36歳にして初体験の5連投も黙々とこなす。これほど精神的にタフな人だったのかと改めて感銘を受けた。
 それでもこの年、ジャイアンツは優勝に届かなかった。投手・斎藤にとっても、長嶋監督にとっても、最後の年となった。

 終わってみれば、「安定」と「信頼」こそ、斎藤を形容するのにもっともふさわしい言葉のような気がする。
 投球だけでなく、情緒的にも、ずばぬけて安定していた。スキャンダルもなく、失言もなく、トラブルもない。不満を漏らすこともまずない。確か学生時代の同級生と結婚し、家庭も円満だったようだ。
 
 通算180勝96敗。防御率2.77は、この世代の投手としては驚異的というほかはない。最多勝を5度獲得した投手は、日本のプロ野球史上、斎藤ただひとり。金田にも稲尾にもできなかった偉業だ。
 そんな実績に見合うだけの待遇を、球団が彼に与えていたとは言いづらい。5度目の最多勝と3度目の最優秀防御率、3度目の沢村賞を獲得し、チームをリーグ優勝に導いた96年オフには、球界最高年俸になると噂されながら、結局はその冬にフリーエージェントで加入した清原の年俸を下回った(しかも清原は複数年契約だ)。

 翌97年からしばらくの間、ジャイアンツが優勝から遠ざかった理由のひとつは、球団フロントが序列を誤ったことにもあるのではないかと私は想像している。
 89年以降のジャイアンツを支えたのは、間違いなく強力な投手陣だった。89、90、94、96年の4度の優勝を遂げた8年間に、ジャイアンツの野手陣が獲得した打撃タイトルはクロマティの首位打者(89年)だけだ(野手のタイトルとしては、ほかに緒方が盗塁王2度)。一方、投手陣のタイトルは斎藤ひとりで10個。斎藤が最多勝と最優秀防御率の二冠に輝いた年は3度あるが、すべてジャイアンツは優勝している。
 この8年間のジャイアンツは投手力のチームであり、突き詰めれば斎藤のチームであったと言っても過言ではない。
 その斎藤が、打撃タイトルを一度も取ったことがなく、直近2年間の平均打率が.251の清原よりも格下と査定されたことは、おそらく投手陣を大いに憤慨させ、チームのバランスを狂わせたのではないだろうか(少なくとも当時の私は大いに憤慨した)。翌年から斎藤は大きく成績を落とし、チーム防御率も3.47から3.69へと落ちた。

 それでも、斎藤本人が不満を漏らしたという報道を、私は見た記憶がない。そういう人だったのだとしか言いようがない。彼もまた、古き良き時代の野球選手だったのだ。あの村田真一とこの斎藤がバッテリーを組んでいたということ自体が、今となっては黄金の日々のように思える。

 野球というプロスポーツの最大の特性は、「毎日やっている」ことにある。
 半年間、ほぼ毎日試合が行われるリーグ戦という形式は、プロ野球を他競技ではありえないレベルにまで日常化させ、ファンの生活に溶け込んだものにしている。
 そういう環境の中で、斎藤はシーズンを通して休むことなく登板し、その多くに勝ち、そうでない場合も試合の終盤までマウンドに立っていた。大舞台にはさほど強くなかったかも知れないが、日常的な舞台には圧倒的に強かった。
 何か確かなものが、そこにある。そんな安心感を与えてくれる投手だった。

 そんな記憶が刻み込まれているせいだろうか。解説者となった今も、斎藤の大きな体と満面の笑顔をテレビ画面に見るたびに、なぜか私は心安らぐような気分になる。引退後の2年間、ジャイアンツで投手コーチを務めた彼が、再び現場に戻る日が来るのかどうかはわからないが、この「安心感を与える」力は、指導者として貴重な資質になるかも知れない。

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コメント

長くなりそうだったんでトラックバックさせていただきました。

大舞台についてですが、彼は3年連続開幕完封を達成してますし、落合も「今日負けたら優勝が絶望的になるという試合にことごとく勝利し、エースの務めを十分に果たしてくれた。」と言っているので一概には言えなさそうです。
でも、オールスターや日本シリーズでは2000年のダイエー戦以外いい思い出がないです(笑)

投稿: アルヴァロ | 2005/06/02 23:43

>アルヴァロさん

TB先拝見。力の入った文章になりましたね。

>大舞台についてですが、彼は3年連続開幕完封を達成してますし、落合も「今日負けたら優勝が絶望的になるという試合にことごとく勝利し、エースの務めを十分に果たしてくれた。」と言っているので一概には言えなさそうです。

チームにとって大事な試合と、スポーツ紙の見出しになるような試合は、微妙に違うこともあるのでしょうね。
斎藤の場合、勝つ時は危なげなく勝つので、印象に残りにくいのかも(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/06/03 22:29

勝率 斎藤雅樹で検索していたら偶然発見しました、おじゃまします。斎藤の投球を相撲に例えてみました。
豪快な突き押しもなければウルフスペシャルのような一撃必殺技もない。胸を出して相手の当たりを受けると両まわしを引きつける。身動きとれなくしてじんわりと寄り切る。まあこんなとこでしょうか。
平成の大横綱・貴乃花が以前こう言っていました、見た目におもしろくないのが本当の横綱相撲だと。それを体現していたのが斎藤雅樹だと思います。

投稿: | 2010/08/13 22:08

>2010/08/13 22:08の名無しさん

全盛期の投球そのものもですが、体格や、本人が醸し出す雰囲気も、斎藤を横綱になぞらえるのは、なんとなく納得できてしまいますね。

投稿: 念仏の鉄 | 2010/08/16 02:14

私も同じ気持ちで斉藤投手の試合を毎日、毎マウンド見ていました。
斉藤投手をみて野球というスポーツが好きになりました。
そして彼の姿勢をみていまでも謙虚に積み上げていく大切さを学んだように思います。
今でも神宮では時々ブルペンで斉藤さんをお見かけするたびに斉藤さんから学んだこと、そして彼のくったくない笑顔と飛び上がるように投げ込む投球ホームを思い出します。時々投手交代の時には斉藤さん、代わりに登板してください!と思うほどです。今日はコンンアすてきな斉藤さんに関する文章を拝見でき本当にうれしい気持ちでいっぱいです。

投稿: Fumi | 2013/05/10 11:49

>Fumiさん

 懐かしいエントリーにコメントいただき、ありがとうございます。私にとっても好きな文章ですし、今でも斎藤投手(や村田真一捕手)のファンだった、という人に会うと嬉しくなります。

 野球でもサッカーでも、日本代表や海外のチームで活躍する選手は脚光を浴びるけれど、そういう評価軸とはまったく関係なく、そのチームのファンやサポーターが最も信頼し、大事に思う選手が、それぞれのチームにいるものです。斎藤や村田はジャイアンツにとってそういう選手だったのだと思います(もちろん、斎藤はタイトルを取りまくった大選手で、当時、日本代表があればエースになったはずですが、それでもそんなふうに思えるのが彼の人徳なのでしょう)。

投稿: 念仏の鉄 | 2013/05/11 14:04

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念仏の鉄さんが斉藤雅樹について2本も書いてくれたので、自分も彼について書こうと思う。彼は昭和の終わりと共に頭角を現し、90年代最強のエース。平成の大エース、ミスター完投勝利の異名を誇ったのだが、同時に巨人史上最も華のないエースだった。そもそも、私の同年代...... [続きを読む]

受信: 2005/06/02 23:30

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