斎藤雅樹が見せたエースの真価。
5月28日の中日-ソフトバンク戦。中日の先発・山井は6回、ズレータに本塁打を許して5点目を奪われ、0-5とされた。落合監督はマウンドに足を運んだが、山井に続投を命じた。落合は、「ここからお前の真価が問われる」と話したという(29日付東京新聞から)。
この記事を読んで、今から9年前に見た、ジャイアンツの斎藤雅樹のピッチングを思い出した。
全盛期の斎藤は、観客にとって、そう面白い投手ではなかった。
同じジャイアンツで同時期に活躍した槙原寛己のように、テレビで見ても驚くほど速い球で三振の山を築くわけではない。斎藤の球がスピードガン表示で150キロを超えることはめったになかったと思う。
かといって桑田真澄のように、丹念に変化球をコーナーに散りばめて打者を追い込んでいくタイプでもない。まして、マウンドを離れた言動に特徴があるわけでもない。
三本柱と呼ばれた他の2人と比べると、どこがいい投手なのか、説明しづらかった。サイドスローから投げ込まれる球そのものに威力があったのだろうが、それはテレビ画面からは伝わりづらい。
ただ、ボールが手を離れた後に体が跳ね上がるように動く時の斎藤は調子が良かった。あの大きな体が躍動する姿は、とても力強く見えた。
若いころの斎藤は、精神的に弱いと言われていた。89年に監督に復帰した藤田元司が、ちょっと打たれるとベンチの顔色をうかがいはじめる斎藤を、あえて突き放すことで一本立ちさせたというエピソードは、よく知られている。この年、先発ローテーションに定着した斉藤は、初の20勝を挙げて主力投手の座を確立する。
この年の夏。ナゴヤ球場での中日戦で、斎藤が力投し、8回を終わってノーヒットノーラン、という試合があった。ジャイアンツが3点リードした9回表、斎藤は代打・音に初ヒットを許し、四球の後、仁村のタイムリーで
1点を失う。そして一死一、二塁から打席に立った落合に、何と逆転サヨナラ本塁打を食らう。水に落ちた犬を叩きのめす呵責のなさは、いかにも落合らしい。それまでの自信満々の表情に比べて、打たれはじめてから息の根を止められるまでの斎藤の表情は、明らかに浮き足立っていた。落合は、打席に入る前から勝利を確信していたに違いない。
それでも、斎藤はこの年、翌年と2年続けて20勝を挙げる。いくつもの修羅場をくぐり抜けていくうちに、心身ともにタフなエースに成長していった。
私がこの投手を尊敬するようになったのは、96年の夏の、ある試合を見てからだ。
8月30日、ナゴヤ球場で行われた中日−巨人戦だった。首位に立つ広島と三つどもえの優勝争いを繰り広げるライバル同士の対戦だった。
この日、斎藤は不調だった。夏の盛りだというのに、過去3度の登板では、いずれも130球以上を投げている。ミスター完投と呼ばれたタフな男にも、疲労は蓄積されていたのかも知れない。初回、二死からの3連打で先制され、2回にはコールズに満塁本塁打を喫して、たちまち0-5と大量リードを許してしまう。
にもかかわらず、長嶋監督は斎藤をマウンドから降ろそうとしなかった。走者を出しながらも、斎藤は3回以降を無失点で切り抜けていく。ジャイアンツ打線は奮起して元木の3点本塁打などで追い上げ、5回には遂に同点に追いつく。5-5のまま試合は延長に入り、12回表にルーキー清水の三塁打などで3点を奪ったジャイアンツは、その裏の反撃を2点に抑えて逃げ切り、単独首位に立った。
斎藤は8回まで投げて計12安打を浴びた末、9回表に代打を送られて役割を終えた。勝利も敗北もつかない151球。耐え抜いた、と形容するしかないような投球だった。しかし、遂に6点目を与えなかった斎藤の投球が、勝利の目を引き寄せたことに、疑う余地はなかった。
どんな職業にあっても、失敗したとわかっているプロジェクトに従事しつづけるほど辛いことはない。このままどれほど頑張ったとしても報われる見込みはほとんどない、という状況に置かれてしまえば、誰しも「早くここから離れて次の仕事を始めたい」と考えるようになる。「立ち上がりに大量失点した先発投手」の心境も、似たようなものではないかと思う。
だが、この試合の斎藤を見ていて、私は深く感じ入った。
投手は降板することによってその試合から逃れることができるが、野手は最後まで試合を続けなければならない(もちろん打者個人の打撃成績のためでもあるけれど)。
壊れかけた試合であっても、単なる尻拭いの場にさせまいと投手が踏みとどまればこそ、周囲の人々にも、もう一踏ん張りする力が湧いてくる。
斎藤は無言のうちに、そういう心理の機微を体現していた。
5点失っても6点目はやらない。6点目を失っても7点目はやらない。
いついかなる状況にあっても、次の1点をやらないために全力を尽くす。
それができる投手だけが、エースと呼ばれる価値を持つ。
この試合で、落合は一塁手として斎藤のピッチングを見ていた。93年オフにフリーエージェントとなり、中日からジャイアンツに移籍して3年目だった。
以前紹介した落合の『プロフェッショナル』という本には、中日時代は桑田がジャイアンツのエースだと思っていたが、中に入ってみたら斎藤こそエースだと気がついた、という意味のことが書いてある。
山井に続投を告げた時、落合の頭の中に、斎藤のあの日のピッチングが浮かんでいたのかどうか。結果的に山井はさらに打たれ続け、7回を投げて8失点。本人もチームも、浮上のきっかけをつかむには至らなかった。
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コメント
斉藤は主力投手へ脱皮するまでちょっと回り道をしましたが、脱皮した後はジャイアンツの真のエースだったと思います。
球は速く調子がよければめっぽう強いが時に不安定な面を見せる槙原寛巳、体格に恵まれず投球術に磨きをかけてローテーションを守った桑田、その二人に比べると常に安定した力強いピッチングでマウンドに立ち続けた斉藤雅樹が、エースという存在を体現したようなピッチャーだと、当時感じました(広島戦に関しては、まぁその…)。
投稿: ひげいとう | 2005/06/01 02:22
>ひげいとうさん
こんにちは。書き込みありがとうございます。
派手な試合に強く、私生活も派手だった槙原・桑田に比べると、斎藤はもうひとつ印象が薄かったように思います。その安定感ゆえに、スポーツ紙的な、あるいはNumber的なドラマには嵌め込みづらかったのでしょうね。斎藤のような選手の価値をきちんと伝えることができなければ、それこそスポーツメディアの価値が問われる、という気がします。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/06/01 09:29
彼のファン(以前村田真のファンだといいましたが、自分は当時の巨人では原はもちろん、斉藤村田川相駒田あたりが好きでした)の1人として嬉しいコラムでした。中学生の頃に神宮で彼に握手してもらったことがありますが、実はものすごく背が高いんだなと驚いたを覚えてます。
巨人史上最も華のないエースでしたが(笑)、彼の作った11連続完投勝利は完投が難しくなった今、破るのは相当困難な記録でしょうし、自分の中では偉大な存在です。デーブ大久保は全盛期の斉藤を「どんなに適当にリードしても打たれなさそうだった」と言ってました(笑)
唯一残念なのが、彼の衰えの始まりが150勝のために無理をしてしまった試合(12回まで180球近く投げきり、泣く泣く交代したが仁志のサヨナラホームランで無事達成)でした。試合はすごく感動したのですが、そこを境に故障が多くなり始めたのがすごく複雑でした…
投稿: アルヴァロ | 2005/06/01 13:37
すいません。日本語がおかしいですね。
『唯一残念なのが、彼の衰えの始まりが150勝のために無理をしてしまった試合「だったことです」』
が正しいです。
投稿: アルヴァロ | 2005/06/01 13:41
>アルヴァロさん
斎藤もお好きでしたか。以前「村田ファンに悪い人はいない」(笑)と書きましたが、斎藤ファンにも悪い人はいない、という気がします。両方揃ったら絶対だ(笑)。
>デーブ大久保は全盛期の斉藤を「どんなに適当にリードしても打たれなさそうだった」と言ってました(笑)
そのへんが「球威の人」らしいですね。困ったらど真ん中に投げておけばいい、という感じ。
96年ごろまでは200勝到達間違いなし、という感じでしたが、1試合あたりの球数が多かったのが長期的には応えていたのかも知れませんね。
斎藤については、もう少し書きたいことがあるので、後で続きを載せようと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/06/01 21:49
>その安定感ゆえに、スポーツ紙的な、あるいはNumber的なドラマには嵌め込みづらかったのでしょうね。
と言うか、藤田監督が斎藤を突き放して成長させた話については2、3号前のNumberで読みました。
ちょうどNumber Webにもその冒頭部分が紹介されていましたので、リンクしておきます。ご参考まで。
確かに槙原にはパーフェクトやバックスクリーン3連発被弾というネタがあり、桑田の場合はグラウンド外での話やひじ手術とカムバックというネタがあるのでスポーツ総合誌として取り上げやすいのは彼等のほうです。
ただ1989年ごろは投手の中5日ローテーションが確立され始めたころではなかったかとおもうのですが、130試合制だった当時に20勝するには、シーズン通してローテーションを守りきり、勝率8割勘定で行かないと難しいのですからこれは大した物だと思います。
沢村賞の選考で「先発が主で20勝以上」の基準を満たす投手が現れずに準じた成績で獲得した投手や該当なしが当たり前だった頃です。
もっとも全体の試合数は増えても中6日ローテーションの今日では20勝の重みも増していますけれども
投稿: エムナカ | 2005/06/02 01:50
>エムナカさん
うまく表示されないようですが、Numberの記事とはこのことですね。
http://number.goo.ne.jp/baseball/npb/626/20050428-f2-1.html
「ベストゲームを語る」という企画に、斎藤の最大の特徴である「安定感」とは掛け離れた試合が選ばれているわけですから、やっぱり「スポーツ紙的な、あるいはNumber的なドラマ」に嵌め込みづらい投手なのだろうと思いますが(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/06/02 10:37
この試合 覚えてますよぉ
仕事から帰って テレビつけたら、5対5
5点取られてるのに 斎藤が投げてる なんで?
リリーフで出てきたん?
って思ったら 打たれたのに 投げ続けていた
チームが一つになってるって感じがしましたねぇ この時の巨人
斎藤の投げる試合で負けるわけにはいかない
斎藤もそれがわかってる って感じで
普通の完封勝利とかは 覚えてないのに この試合の記憶は残ってます
投稿: RAYLA | 2008/06/30 08:06
>RAYLAさん
こんにちは。
優勝が決まるとか日本シリーズとかの特別な状況ではなかったけれど、心に残る試合でしたよね。
単なるシーズン百数十分の一だったはずの試合が、目の前でどんどん特別なものに化けていく、というのは、プロ野球を見ていてもっとも心弾む体験のひとつだと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2008/06/30 12:49
味方打線を信頼して先発投手をかえなかったんだと思います。突き放したのではなく、先発起用したのは監督だから監督の責任で投げさせたのだと思います。
投稿: ぼっち | 2019/04/29 18:18