三角ベースの復権。
最近、40代後半の知人と話していて、やはりそうなのか、と、やや暗い気分になったことがある。
彼は、ちょっと時間が空くと、都内の河川敷を自転車で走る、という習慣を持っている。彼はその川の近くで生まれ育ち、幼少の頃からよく遊んでいた。昭和30年代から40年代にかけて、小学生の男の子というのは、原っぱや空き地があれば草野球をするという習性をもつ生き物だった。もちろん、彼も同じだ。人数は適当、服装はバラバラ、グラブが人数分そろわなくても、とにかく野球をやった。見物していたおじさんが「俺にも打たせろよ」などと飛び入りしてくることもあった。
「でも、草野球というのは滅びてしまったようですよ。少なくとも、この河川敷では」と彼は言う。
現在、河川敷で彼が目にする少年たちの「野球」は、それとは似て非なるものだ。原っぱや空き地ではなく、整備された野球専用グラウンドで、子供たちは揃いのユニホームに身を包み、コーチの号令のもと、綺麗なダウンスイングで「野球」をプレーする。今や河川敷には、そういう「野球」しか存在していない、と彼は言う。
この話は、20代前半の知人(って、「アトレチコ東京」のアルヴァロさんのことだが)から聞いた話とも符合する。
「僕らより下の世代は、男でも野球やったことない奴がすごく多いんです」とアルヴァロさんは言う。
私は身近に子供がいないので確信を持って語れるだけの実感はないけれど、路地裏や公園で野球やそれに類する遊びに興じている子供を見る機会は、めっきり少なくなったように思う。多くの公園で野球やキャッチボールを禁じていることの影響も大きいのだろうし、昭和40年代までは首都圏や近郊に存在した「空き地」が消滅してしまったことも痛手なのだろう。
路地裏で遊ぶなら、少ない人数、小さなスペース、ひとつのボールでできるバスケットやサッカーの方が向いている、専用球場とさまざまな道具と9人×2チームを必要とする野球は不便だ、という説明に、納得する人は多いのではないかと思う。
だが、昭和40年代に小学生だった私にとって、野球というのは、そんな堅苦しいものではなかった。
その日その時にたまたま集まった仲間たちが、利用可能な空き地を探し、その日の顔触れを割り振って、戦力が均衡しそうな2チームを作り、持ち寄ったグラブやボールやバットを使い回し、その日の条件に則したグラウンドルールを決めて、その時に実現可能なゲームをする。それが私たちにとっての「野球」だった。
設定されたダイヤモンドの中に木が生えていれば、「当たればアウト」(あるいは「当たればヒット」)という形でゲームの中に織り込む。年齢の離れた幼児や女の子が参加する場合は、優遇措置をとる。攻撃側チームの人数が足りなくなれば「透明ランナー」(今ふうに言えば「ヴァーチャルランナー」だ)を起用し、次打者の結果に応じて進塁させる。極端に言えば、私たちは3人いれば「野球」ができた。草野球とは、そんな融通無碍なものだった。
今の子供たちは、そんなふうにして遊んではいないのだろうか。
実は、さきほど記した「専用球場とさまざまな道具と9人×2チームを必要とする野球は不便だ」という説明は、野球が国際的に普及しない理由として語られる常套句だ。私自身も、そういう考え方を受け入れていた。
ところが、「それなら、まず草野球を普及させればいい」と考え、実行に移している人々がいる。
「三角ベース普及プロジェクト」がそれだ。
解説が必要なのかどうかわからないが一応書いておくと、「三角ベース」というのは、守備側の人数を省略するために、二塁をなくし、一塁と三塁だけでダイヤモンド(すでにダイヤモンド型ではないのだが(笑))を構成する草野球の一形態だ。こうすれば、投手、一塁手、内野手、外野手の4人もいればチームが作れる(捕手は攻撃側の選手が代用する)。10人前後が2チームに分かれて野球をするには手ごろな形式だった。
海外で野球の施設や道具や人数を揃えるのが難しいのなら、まず三角ベースを普及させて、野球の楽しさを知ってもらえばよい、というのが「三角ベース普及プロジェクト」の考え方だ。卓見である。金のかからない実用的な普及方法であると同時に、三角ベース出身の私たちは、その効果を身をもって知っている。
推進しているのは、「アフリカ野球友の会」。主宰者の友成晋也はかつてJICA職員として駐在していたガーナで、野球ナショナルチームの初代監督を務めた人物だ。私とほぼ同世代だから、彼もまた三角ベースから始めた1人なのだろう。帰国後にこの会を設立して、アフリカへの野球の支援と普及活動を始めた。その経緯は友成自身の著書『アフリカと白球』(文芸社)に詳しい。
日本にいるアフリカからの留学生に野球を教えて交流を深めるとともに、帰国後に彼らが野球の伝道師になってもらうことを期待する。気の長い話といえばそれまでだが、スポーツの普及というのは、もともとそのようにして始まったものではなかったか。
NPBや日本アマチュア野球連盟とはほとんど関係のないところで、こうやって壮大な事業に着手している人々がいるということに、日本野球の底力を感じる。
そして、その「日本野球の底力」の源泉もまた、三角ベースの草野球にあるのではないかと私は思っている。
日本の野球を支えているのは、各年代における大勢のプレーヤーとともに、かつて三角ベースのプレーヤーだった男性たち(いや、女性もいた)である。
少年時代に草野球に興じた人々が、長じてグラウンドから離れた後も、視聴者として、観客として、野球を楽しみ、支え続けている。当時の肉体的記憶が、いくつになっても彼らの心を躍らせる。打つ快楽、ホームインの興奮、捕る楽しさを知っているから、彼らは野球を見ることを好む。
現在の40代以上の日本人男性で、少年時代に草野球を経験していない人は、たぶん少数派だろうと思う。だが、10年経ち20年経ったころに同じことが言えるのかどうか、私には自信がない。
Jリーグが始まって間もないころ、高校の野球部員の数が、サッカー部員やバスケット部員を下回ったと報じられたことがあった。その時には「野球離れ」が危機感をもって語られていたが、後に部員数1位に返り咲いたこともあり、現在の日本では「野球の普及」が切迫した課題であるとは、あまり考えられていないように感じる。
もちろん、NPBが普及活動にそれなりに力を入れていることは否定しない。
だが、テレビや新聞で報じられるプロ野球選手やOBたちの「少年野球教室」では、教えられる少年たちは常に揃いのユニホームに身を包んでいる。つまり、普及の対象者は、すでに少年野球チームに入って日常的に野球を教えられている子供たちに限定されていることになる。
それでは野球人口は増えない。
かつての私たちのような草野球少年は、選手登録もしなければユニホームを買うこともなく、せいぜいグラブやバットの売上げという形でしか数字にならないから、30年前と現在との違いを統計で示すことはできないかも知れない。だが、そういう草野球少年を含めた「野球人口」の圧倒的な多さこそが、日本の野球を現在の隆盛に導いたのではなかったか。その「見えない野球人口」が減っていくのだとしたら…。
三角ベースを普及させなければならないのは、アフリカよりも、まず日本なのかも知れない。
追記
関連エントリ 「『三角ベース普及プロジェクト』からの呼びかけ。」があります。
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コメント
いつも興味深く楽しく拝見させていただいております。
私も30年代前半の生まれですので、近所の原っぱひろっぱで三角ベースをして育った世代です。透明ランナー、懐かしい言葉ですね。小学校低学年でグローブを買ってもらう→近所の友達達に仲間に入れて貰う、という儀式をみんな踏んだものでした。野球はもちろん好きでした。家では父親がなによりもボクシングの世界戦中継と野球を楽しみに見ており、当時は一家にTVは1台が常識でしたから、一緒に父親のうんちく(解説)を聞きながら見ていました。
しかしながら、そのように育った我々といえども、いまプロ野球にそれほど興味が持てるか、といったら否でしょう。そうなってしまうと、テレビのゴールデンタイムを広く独占する中継や、(関東であれば1局ですが、西日本に行けば2~3局も!)11時過ぎにすべての局で現れる野球結果ニュース時間帯は、ただただ待つだけの苦痛の時間ですらあります。
単に日本の野球人口はかつて多すぎたのだと思います。
いまでも多いと思います。メディアの扱いはさらに現状を無視した大きさです。それは野球から興味を失うにつれて痛感することなのです。他のスポーツの情報がまったく足りないとメディアに関しては思います。
ましてや、外国にまで野球を伝導するような意味があるのか、私にはわかりません。物資の少ない地域であれば、ボール一個あれば(ブラジルの少年達はまともなボールさえなくとも)広場はいやというほどあるのですから、サッカーに興じればそれでいいのではないでしょうか。そこに野球を持ち込むことにどのような意義が?
我々は野球で楽しく育って野球が好きなのだだから次世代も野球好きになれ、というのは単なるオトナのセンチメンタリズムかもしれません。時代によって役目を終えていくものはたくさんあります。ドメスティックな競技である野球人口が縮小(なくなることはあり得ないと思います)していくのを普通に見守っていればよいのでは、と私などは思うのです。
投稿: じじいさま | 2005/07/22 03:47
>じじいさまさん
はじめまして。書き込みありがとうございます。こうやって、初めての方から傾聴に値するご意見をいただけるのは、blogをやっていて楽しいことのひとつです。
>外国にまで野球を伝導するような意味があるのか、私にはわかりません。物資の少ない地域であれば、ボール一個あれば(ブラジルの少年達はまともなボールさえなくとも)広場はいやというほどあるのですから、サッカーに興じればそれでいいのではないでしょうか。そこに野球を持ち込むことにどのような意義が?
おっしゃる通り、アフリカで野球がサッカーにとってかわる、ということはたぶん起こらないでしょう。『アフリカと白球』の中にも、友成氏が、ガーナで野球を教えることに何の意味があったのか、と自問する場面がありますが、彼はガーナの少年のこんな言葉に救われます。(手許に実物がないので正確な引用ではありません)
「野球は打席に立つと自分が主役になれるから好きだ。サッカーはボールが回ってこないから面白くない」
なるほど、と思いました。敗戦後の日本を回想する人々がよく言う「野球が民主主義の象徴だった」という言葉にも通じるものがあります。ボール一個と棒切れ一本あれば、彼らはサッカーにはない楽しみを味わうことができる。ささやかですが、それはひとつの意義であろうかと思います。
それぞれの競技に、それぞれ特有の良さがあるわけで、マイナー競技にしかなりえないものは伝えても意味がない、と断じてしまわなくてもよいではないですか。
日本にも、たぶんメジャーにはなりえないだろうと思われるスポーツを熱心に楽しんでいる人は大勢いますし、それぞれの競技者たちが仲間を増やそうとするのは自然なことでもあります。そのような多様性は、その社会にとってよいことなのだろうと私は思います。
>時代によって役目を終えていくものはたくさんあります。ドメスティックな競技である野球人口が縮小(なくなることはあり得ないと思います)していくのを普通に見守っていればよいのでは、と私などは思うのです。
すでに相撲がおっしゃるような状況にありますし、野球もまた、我々の時代のような圧倒的メジャーの座からは降りつつあります。そんな流れを変えたいとか変えられるとは、私も思いません。
ただ、もし次世代が「ユニホームを揃え、コーチに教えられる野球」しか知らないのであれば(これはあくまで仮説ですが)、そうではない野球があることも伝えたい、というのが本稿の趣旨のつもりです。子供たちがテレビゲームをコーチに習う時代が来るなんて、想像つかないじゃないですか。野球がそんなふうになりつつあるのだとしたら、その流れにだけは逆らってみたい気がします。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/07/22 09:18
読んでいて、つい最近聞いた、近所の少年野球チームの話を思い出しました。
いま、全国で、高校野球の地方大会が佳境を迎えています。
あるリーダー格の少年がチームのみんなに呼びかけました。
「みんなで、高校野球の準々決勝を見に行こうよ!」
(準々決勝4試合は、その年のベストゲームを効率よくみることができるチャンスですものね)
ところが、40人近いそのチームのなかで、手を挙げた少年は、たったの2人だったそうです。
ちなみにこの少年たち、小学校高学年。中学に行ったらサッカー部に入るんだ、と言っている子がほとんどだそうです。
そういえば、昨秋ごろでしたか、地元のサッカースタジアムで、Jリーグサッカーの試合を見た時のことも思い出しました。
なんと野球のユニフォーム姿のまま観戦している高校球児がいましたっけ。聞いたら、部活の帰りだって言ってました。
またまた思い出しました。
その地元Jチームは、女性サッカーチームの育成にも熱心です。
理由を聞くと、「女性サッカーは、サポーターも女性が多いから。将来、こうした女性たちはサッカーに理解があるお母さんの予備軍になる可能性を秘めている。そういうお母さんなら自分の子どもにサッカーをごく自然に教えるでしょ?」とのことでした。
少子化を踏まえた、遠大なる普及・拡大策という点で、野球は、もっとがんばらなくてはならないんでしょうね。
その点、女子野球ってのは、どうなっていくんでしょうか。一度鉄さんの論考をお願いいたします!?
投稿: penguin | 2005/07/22 20:33
>penguinさん
野球少年たちの2つのエピソードは、それ自体はいいも悪いもない話ですが、野球にとっては、なかなか厳しい現実ということになりそうです。
>その地元Jチームは、女性サッカーチームの育成にも熱心です。
そのチームに限らず、Jリーグ全体が以前から同じ理由を掲げて女子サッカーに力を入れています。
>その点、女子野球ってのは、どうなっていくんでしょうか。一度鉄さんの論考をお願いいたします!?
現状を把握しているわけではないので論考というほどのものはありません。軟式の全国大会が毎年開かれているようだし、先ごろ大学初の硬式女子チームも発足したし、普及は急激でなくとも着実に進んではいるのでしょう。ただ、ソフトボールとの競合は避けられないでしょうから、そこが最大の課題になるのでは。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/07/23 01:22
念仏の鉄さん、丁寧なご返事ありがとうございます。
さて、先日小さな男の子の母親である人と話していて「最近は子供は三角ベースとかやらないんだってね」ということを言ったところ、とてもリアルな現実を教えてもらいました。それは、近年の子供を遊ばせる親のスタイルが昔とはまったく違うことが大きく影響しているそうです。子供に対して、それぞれの親が必ず見張りにつくのが基本型なのだそうです。私は子供がいないのでよく知らなかったのですが、そう言われてみれば、近所の公園などでは子供達が遊んでいる周囲に親の集団が常にいるようであります。(親の立場の人からしたら常識なのでありましょう)。子供同士を勝手に遊ばせておいて「ゴハンよ~」の一言でみんなが三々五々帰って行くというスタイルは消滅しているのだと。
年長者からミソっかすまでが混在した近所の子供チーム、というのが成立しないのだそうです。となれば三角ベースで遊ぶということもなくなるでしょう。その母親が言うには「空き地(原っぱ)はなくはないのよ」とのことでもありました。
また、そろいのユニフォームでコーチがついた少年野球が流行りというのは、これも親の立場から見て、子供を“秩序”の中に入れておけば安心、ということなのではないでしょうか。
私も、小さな頃、お前はおミソな、と言われてみんなの遊びに混ざらせてもらってことをかすかに覚えています。また、塀の上にみんなが登っていて、ボクも登る~といって真似をしたあげく、今度は降りられなくなって泣き出してしまい、年長者のどこかのお兄さんに助けてもらったことは、強く記憶に残っています。今であれば、親が飛んできてくれるのでしょうね。
投稿: じじいさま | 2005/07/24 16:51
>じじいさまさん
うーん、野球がどうこうという次元の話ではなくなってきましたね。「子供の安全」と「野球の盛衰」を天秤にかければ、親にとって前者が重いのは当たり前です。
ただ、成長のどこかの段階で、子供は「見張り付き」から自立することが必要ですが、そのタイミングを自力で見極めるのは、親にとってはなかなか難しそうな気がします。しかし、そこをうまくやらないと、今の「安全」を重んじるあまりに、終生にわたって自力で「安全」を確保する能力の発達を阻害する、ということになりかねない。我々の親は、たぶんそんなことをいちいち考えなくてもよかったのでしょうけれど。
以前、阪神大震災とオウム真理教による地下鉄テロが相次いで起こった95年を境に世の中の足場が崩れた、と書いたことがありましたが、「世の中一般に対する信頼感」も、その頃から失われていったように思います。もともと漠然とした感覚だけに、回復するのはものすごく難しい。互いの顏が見える地域内・グループ内という小さな単位から構築していくしかないのかな、と思います。
テロリズムの怖さというのは、爆弾等による直接的な被害もさることながら、一発の爆弾が人々の「心配」「怯え」「疑心暗鬼」という感情を刺激して、社会を内側から揺るがすことにあるのだと思います。その意味では、爆弾テロから数日で平常に戻ってしまったロンドンの人々は凄い。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/07/25 09:38
昭和50年代に小学生になった僕にとっても三角ベースは身近な遊びでした。缶蹴りも、泥棒警察も。
そういえば、裕福なうちの子がバッティングマシンデラックスという、穴の空いた卓球ボールを小さなピッチングマシーンで発射して、プラスティックのバットで打つというおもちゃを持っていまして、その穴の空いたボールで、その裕福な家の子の庭で三角ベースやりました。
ボールの穴の方向に注意して投げると、すごく変化して、アンダースローでフォークを投げて、里中投手(トカベンの)になったような気がして・・・。懐かしいなあ~・・・と単なる思い出話でした、すみません。
投稿: ペンギン君友人 | 2005/07/27 21:06
こんにちは。ご無沙汰しております。
昔のいろんな思い出がよみがえってきて懐かしくなりました。
>その日その時にたまたま集まった仲間たちが、利用可能な空き地を探し、その日の顔触れを割り振って、戦力が均衡しそうな2チームを作り、持ち寄ったグラブやボールやバットを使い回し、その日の条件に則したグラウンドルールを決めて、その時に実現可能なゲームをする。
私が小学生の頃は、団地の駐車場前の道の上で野球をやっていました。形が四角でない場所で、マンホールとか駐車場の番号をベース代わりにしてました(ホームベースは駐車禁止の「禁」マークでした。笑)。だから内野の形はダイヤモンドですらありませんでした。後はほとんど上記と同じようにやっていましたが、それが楽しかったです。透明ランナーも私には通じる言語です(笑)
学校でも休み時間にはキックベース(しかもベースは1塁だけ)とか「手打ち」野球をやり、帰ると上のように遊ぶ。私たちにとっては人数がいなかろうがルールを変えようが、全て野球でした。コラムに載っている私のコメントにもありますが、そういうことをやっていたのは私たちが最後の世代なんだなぁ、とよく思います(他の地域ではもうなくなっていたのかもしれませんが)。
どうして草野球が消えてしまったのかは、サッカーとか社会情勢とかいろいろあるでしょう。しかし寂しいのは、子供たちが少年野球チームでは味わえない「自由に」「考えて」野球を楽しむことをしなくなったことです。これは余談ですが、ジーコが目指すと言われている、自分たちで考えて決めていくサッカーは野球でいう「草野球」の延長上、それを否定する人たちの考え方は「学生野球」の延長上に私には映ります。ジーコはブラジル人であり、彼の子供の頃の環境がどちら側だったか、それは言うまでもありません。彼にとっては当然なのでしょう。そして誰にも束縛されないサッカーの経験が少ない多くの日本人にとってはそれは受け入れがたい、というのが今の日本サッカーの構造ではないでしょうか。私がジーコのやっていることをいろいろ言いながら支持できたのも、多分無意識的に野球でそういうことを学んだからなのかな、と思います。少なくとも日本サッカーの歴史において、草野球に当たる存在はここまでありませんでしたし。
投稿: アルヴァロ | 2005/08/05 19:10
>ペンギン君友人さん
>ボールの穴の方向に注意して投げると、すごく変化して、アンダースローでフォークを投げて、里中投手(トカベンの)になったような気がして・・・。
ピンポン球でも軟式テニスの球でも、やたらに変化させたがる奴がいて迷惑しましたね(笑)。打者が打てない球を投げるのはルール上は勝利なのに皆が嫌がっていたので、やはり野球というのは打ってナンボのゲームだったんだなと思います。
>アルヴァロさん
講演、お疲れさまでした。
>少なくとも日本サッカーの歴史において、草野球に当たる存在はここまでありませんでしたし。
なるほど。確かに私の小学校時代に草サッカーはなかったな。同級生で後にJリーガーになった男がいましたが、彼は少年団でサッカーをやっていました。
最近は都心のちょっとした公園でフットサルに興じている若い人をよく見かけるのですが、こういう動きは、今のところプロリーグや代表チームとは直接関係がありません。ただ、彼らはいずれ自分の子供たちにボールを蹴ることを教えるでしょう。日本に草サッカーが生まれるのはこれからなのかも知れません。
>ジーコが目指すと言われている、自分たちで考えて決めていくサッカーは野球でいう「草野球」の延長上、それを否定する人たちの考え方は「学生野球」の延長上に私には映ります。
なるほど。確かにそれは日本のサッカーに不足している何かを言い表しているように思います。
ただし、草サッカーと自由をジーコと結びつけてしまうと、ジーコにおけるそれ以外の要因を見えなくさせてしまう危険もはらんでいるように思います。私がジーコに批判的なのは、試合中のマネジメントもさることながら、試合に至るまでのマネジメントにあまりにも無頓着であることが主な理由でした(熱のある選手を試合に出すとか、前回のコンフェデで全試合を同じメンバーで戦ったこととか)。
「自由」という言葉はある種の錦の御旗で、定義が曖昧なわりには、反論を許さない絶対的正義として通用してしまうところがあるので、よくよく気をつけて使わないと、議論を不毛な方向に導いてしまいかねないと私は思っています。かつて「トルシエ=管理」vs「ジーコ=自由」という比較論が盛んに行われていましたが、この時にも、両者の実態を離れて「管理vs自由」という図式にのめりこんでいた論者がいたように思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/08/06 09:36
確かに、ジーコのそれ以外の要因は複雑ですよね。私も、試合中のマネジメントは(今回の東アジアは否定的でも)一応良いかなと思うのですが、先発起用についてはあまりの固定に不満がある、とかあります(まぁそれが「いろいろ言いながら」のいろいろの中身なんですが…)。
そういったものを全く考えずに塞いでしまうものとして自由という言葉は使ってほしくないですし、そうしないように注意しなければならないですね。そういう意味では図式化はあまりよくないことかもしれませんね。
投稿: アルヴァロ | 2005/08/06 10:00
はじめまして。アフリカ野球友の会の友成です。
貴ブログでの三角ベースについての記載を当会のメンバーが見つけてくれました。
アルヴァロさんのおっしゃるとおり、三角ベースは日本国内でこそ必要だと思っております。
実は、すでにそのプロジェクトは発足しました。
「習志野発!三角ベース復活プロジェクト」と銘打って、野球どころ千葉県の習志野市を拠点に、全国の公園や空き地で三角ベースを楽しめるようにしていこうというものです。
習志野市とアフリカ野球友の会で協定を結んで実践していきます。
三角ベースの復活、再普及は「母親」がキーであると考え、親子、老若男女で一緒に楽しむ「遊び」として紹介していきます。
このプロジェクトについては、8月16日付け朝日新聞夕刊社会面にカラー写真入りで大きく取り上げてもらっていますので、ぜひご参照ください。(掲載写真のバッターボックスで子供に打ち方を指導しているのは、アフリカ野球友の会のメンバーです)
私も1964年生まれ。
ご指摘いただいたように、まさに三角ベースから野球に入った者です。
野球は民主的なスポーツ。厳しい環境に生きるアフリカなどの発展途上国にこそ、公平に打席が回ってきて、ヒーローになれる機会を与えてくれる野球のような特殊なスポーツが必要だとガーナでの野球普及を通して実感しました。
発展途上国は、ますます貧富の格差が激しくなり、社会システムは民主主義でも、実際子供たちはまともに教育を受けられず、夢ももてないのが現実です。
そんな中、野球は彼らに夢を与えてくれる。
ひとつの文化として、少しでも多くの子供たちに楽しんでもらいたいと思います。
ところで、アルヴァロさんのブログの文章はすばらしいですね。
参考になるいい表現がいっぱいです。
一度メールをいただけませんでしょうか?
三角ベースプロジェクトは、ひとりでも多くの理解者が必要です。ぜひ、一度連絡ください。
よろしくお願いします。
投稿: 友成 | 2005/08/18 08:43
>友成さん
こんにちは。ご本人のご来訪とは光栄です。
えー、誤解があるようですが、当blogの管理人は「念仏の鉄」と申します。アルヴァロ君は友好関係にある別のblogの管理人さんです(笑)。
朝日の記事は気がつきませんでした。習志野市、やりますね。ぜひ拝見したいと思います。
後ほどメールさせていただきますので、しばしお待ちください。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/08/18 09:41
念仏の鉄さんこんにちは。
私は、先日友成くんにより紹介されました、「ならしの三角ベース復活プロジェクト」の代表をしています、木村と申します。
もともと、私と友成くんは前職の同期です。
たまたま今年同期会があったとき、私は習志野のまちおこしとして「野球」に注目しており、友成くんに何かいいアイディアがないかと話したことが、このプロジェクトの発端になりました。
今では単なる「まちおこし」のような小さな考えではなく、「社会問題の解決のための一つの有効な策」ととらえて、習志野市長等の市の幹部と、いかにしてこのプロジェクトを成功させられるか検討しております。
私達は
・子供達を公園に戻す
・世代を超えた交流の場を作る
・野球の底辺を拡大する
・国際交流をする
事を「三角ベース」というツールを使って実現していきたいと考えています。
理想の姿は市内のつづ浦々に「三角ベース認定原っぱ」を作り、そこを地域の交流の場にする事です。
近所の方に「三角ベース普及委員」になっていただき、広場で子供達と一緒に遊んでもらう。
お父さんやお母さん達も一緒に遊び、世代を超えた交流をする。
そんな事を通じて、今弱くなっている人と人との絆を築けないかと考えています。
大きなテーマなため、朝日新聞やNHK等のマスコミが社会問題の解決を「大人と行政が一緒に考えているプロジェクト」として注目してくれています。
また習志野高校OBの谷沢健一さんなどの、そうそうたる方々の応援も頂いています。
しかし、理想は高く、注目も大きいものの、現実的な心配は「子供達が本当に公園で遊んでくれるか」「世代を超えて一緒に楽しめるのか」という、極めて根本的なものです。
そのためにどこからこのプロジェクトを進行するか、どうやって仲間を作るか等、頭を悩ましております。
現在、普及活動を
・小学校の学童保育(1年から3年生)
・千葉ロッテとの協働(Jリーグのようにトップチームの底辺として三角ベースリーグを作る)
・地元の少年野球チームの下部組織(幼稚園から基礎を教える)
・総合型地域スポーツクラブ(習志野に3団体ある地域密着の3世代参加のクラブ)
あたりからはじめていこうと思っていますが、「で、誰が教えるの?」等、問題が山積みです。
現在友成君は名古屋に赴任しており、習志野におけるプロジェクトは私が中心となって(というよりほとんど一人で)動かしています。
こういった場で、みなさんのご意見を頂けると大変参考になりますので、是非ご意見をいただければと思います。
よろしくお願いします。
投稿: 木村真治 | 2005/09/03 21:31
新年明けましておめでとうございます。
たいへんご無沙汰しておりますが、11月24日から休んでおりましたブログをぼつぼつと再開することに致しました。そこで早速(予告したのからいえば、全く早くありませんが……)、プロ野球の将来について書いた拙文の中で「三角ベースボール」に触れさせていただきました。随分と鉄さんに影響を受けておりますため、知らず知らずかぶったところも多いかと思いますが、ご容赦ください。
12月始め頃から殆んどwebの閲覧もしておりませんので、何か浦島太郎になったような気分です。本年もよろしくお願い申し上げます。
投稿: 考える木 | 2006/01/08 03:00
>考える木さん
今年もよろしくお願いいたします。
だいぶお忙しいようですね。ずいぶんと寒い冬になりましたし、ご無理なさらぬよう、ご自愛ください。
当blogは12月に遂に「荒らし」さんのご来訪を受けたりもしましたが(笑)、まあ相変わらずですので、いつでもお気軽にお立寄りいただければ幸いです。気軽にコメントしづらそうなエントリばかりなのが難点ですが(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/08 09:34
そういえば1/6の読売朝刊にアフ友と三角ベースの記事が紹介されていました。
「街を変えよう」という特集記事の4回目です。
たぶんご存知かと思いますが、一応念のため。
投稿: エムナカ | 2006/01/08 09:44
>エムナカさん
出てましたね。公式サイトを見ても順調に広がっているようで喜ばしいことです。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/08 23:12
私が草野球をしていたのは、今から25年ほど前までのことです。
子供の数も多く、地域の交流センターや駄菓子屋の周りには、常時20名近い小学生が遊んでいました。当然野球が定番であり、道具を持ち寄って、近くの田んぼ(稲刈り後の、切り株だけの時に限る)や空き地に線を引き、地形に合わせたルールを決めていました。
ゴムボールを使うため、「ランナーに投げつけ」てもタッチアウト。
また周辺に河や池、民家があることから、
「打球が池に入るとアウト」
「水を張った田、稲刈り前の田に入ってもアウト」
「家の屋根に上がったらエンタイトル2塁打」
「他人の家に打球が入れば試合中断、謝りに行く」
といったルールも決めていました(笑)。
当時は町ごとに「サッカーの町」「野球の町」が分かれていましたが、いつごろからか少年野球チームが相次いで結成され、さらにJリーグ以降は全町にサッカーチームができました。
その結果、草野球・草サッカーは見る影も無く、やりたければ「チームに入る」というのが常識化してしまいました。
さらに、一旦チームに入れば勝利至上主義の下で特訓され、体育の授業を除き、ドロップアウトすることはそのスポーツとの「決別」を意味します。
チームが結成されることによって、スポーツの普及が加速した一方で、才能を開花し結果を残したものにはプロへの道が開かれるという、一種の「ピラミッド」に彼らも組み込まれてしまうことになり、単に「楽しみたい」だけの野球少年・サッカー少年にとっては、チームに入らなければ面子が揃わず、「敷居が高い」ものになってしまっている印象があります。
投稿: はたやん | 2006/01/08 23:18
>はたやんさん
>その結果、草野球・草サッカーは見る影も無く、やりたければ「チームに入る」というのが常識化してしまいました。
うーん、やっぱりそういう現実があちこちにあるんですね。
>単に「楽しみたい」だけの野球少年・サッカー少年にとっては、チームに入らなければ面子が揃わず、「敷居が高い」ものになってしまっている印象があります。
たとえばJリーグが常々唱えている総合スポーツクラブ構想のようなものは、そういう少年や大人が楽しみのためにスポーツをできる場を提供するところまで行って、はじめて完成といえるのだと思います。それはスポーツ団体にとって「ファンを育てる」という意味で大事なことです。
ただ、それはたぶんスポーツの側だけでなく、行政や学校や企業を含めた地域社会、そして家庭、それぞれの課題でもあるように思います。竹とんぼやコマなど昔の遊びを今の子供に伝えようという活動はよく目にしますが、今や、三角ベースのような「ちょっと前の遊び」も伝えなければ途切れてしまうという現実を、よく考える必要がありますね。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/09 10:50
私は小学5年までサッカー少年団にいたのですが、試合一辺倒の練習に疑問を感じ辞めたのです。
その後、釣りや友人と遊びに行ったり「新しいライフスタイル」を満喫していたのですが、サッカーへの興味が残っていることに気づき、本屋でサッカー雑誌を読みふけることが多々ありました。
しかし「辞めたくせに!」と、サッカーの世界に対して「二度と敷居をまたぐな」という論調でののしられることもあり、サッカーに触れることは誰に話すことも無く、寂しいものでした。
私は試合に勝つことよりも、三角ベースのように「プレーを楽しむ」ことを求めていました。だから、些細なことでチーム内で野次を飛ばしあうような雰囲気に嫌気が差していました。
子供のスポーツは、「遊び心満載」であってほしいですね。
投稿: はたやん | 2006/01/10 00:39
>はたやんさん
野球におけるリトルリーグの勝利至上主義に対する批判はしばしば目にしますが、少年サッカーも似たようなことになっている、ということでしょうか。
ひたすら勝利を目指すタイプの指導を全面否定することはできませんが、それしかないというのは辛いですね。大学に体育会とサークルが併存しているように、あるいはサッカー場にゴール裏とメイン(バック)スタンドがあるように、それぞれの希望に応えられる選択肢があることが大事なのだと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/10 09:12
おはようございます。
仕事の関係で、今日は早々と帰宅しています。
少年サッカーにも、勝利至上主義は存在していると思います。
但し、私が所属したチームも元々は「サッカー教室」レベルのものであり、ゲームはするけど「サッカーを楽しむ」というものでした。
変わり始めたのは、町内で大会を行うようになってからです。それまで地域有志が指導していたのが、いつごろからか学校の教員が部活のごとく、放課後にサッカー指導をしていました。
教員の定期異動において、サッカー指導者のローテーションがあったくらいです。この頃から、「クラブ活動」と「社会体育」の垣根が曖昧になっていました。
私がサッカーをやめる頃には部員が多くなり、学年ごとに「Aチーム」「Bチーム」がありました。
私は勝利至上主義に嫌気がさしており、ある程度「楽しみながら」が維持されていたBチームに所属していました。
投稿: はたやん | 2006/01/10 10:49
>はたやんさん
> 但し、私が所属したチームも元々は「サッカー教室」レベルのものであり、ゲームはするけど「サッカーを楽しむ」というものでした。
> 変わり始めたのは、町内で大会を行うようになってからです。それまで地域有志が指導していたのが、いつごろからか学校の教員が部活のごとく、放課後にサッカー指導をしていました。
このへんが怖いところですね。最初は仲間内の楽しみでやっていたことが、規模が大きくなると組織化されて「大会」のような体裁が作られ、それが一度できあがると一人歩きをはじめて、「大会」で勝つことの方が目的になってしまう。サッカー以外の目的に利用しようと入り込んでくる大人も増えることでしょう。
「遊び」「楽しみ」そのものだけでは物足りない人が多い、というのが困ったところかも知れません。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/11 11:17
みなさん、お久しぶりです。アフリカ野球友の会の友成です。
1月6日の読売新聞の記事を読んでいただいた方、ありがとうございます。
おかげさまで、その後順調に進捗しています。
習志野市の方では、市の関係機関の公式行事に三角ベースを取り上げるなど着々と市民権確保に向けて歩を進めています。
また、2月には、ガーナでの普及のため、5人程度のチームを派遣して、三角ベースのデモンストレーションを行う予定です。
ホームページなどで詳細を報告してまいりますので、どうぞご注目ください。
投稿: アフ友・友成 | 2006/01/13 19:54
>友成さん
皆さんの試みが着々と進んでいるようで喜ばしい限りです。
ここ1年ほどの間に、欽ちゃん球団や谷沢さんのところをはじめ、全国各地でプロ野球関係者や芸能人が野球のクラブチームを次々と立ち上げています。ほとんどが「地域貢献」を標榜しているので、大人のチームだけでなく、三角ベースを取り入れて子供たちも巻き込むような形にしていくと、より目的にかなったものになるはず。三角ベース普及プロジェクトの存在を知らせてあげたら、本気で地域貢献を考えているクラブは興味を示すかも知れませんね。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/14 10:44
ガーナから帰国いたしました。
ご報告代わりに、当会のHPのブログ「週刊アフ友!」をご覧ください。
2月4日から2月12日までの期間、フォトレポートとして、写真をふんだんに使って、さーっと見ることができます。
ご一読いただければ幸いです。
自分で言うのもなんですが、大きな成果を挙げてまいりました(照笑)。
これからガーナの子供たちの間では三角ベースがブームになるかもしれません。
昭和50年代の日本のように・・・。
投稿: アフ友・友成 | 2006/02/27 23:12
>友成さん
お疲れさまでした。レポート読んでます。
着々と事を進めていかれる実行力、素晴らしいですね。
皆さんが蒔いてきた種が実ることを祈ります。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/28 00:20