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神話に著作権者はいない。 〜「バットマン」と「スターウォーズ」〜

 渡辺謙の出番が少ないことを除けば、『バットマン ビギンズ』は面白い映画だった。「恐怖心の克服」と「正義のありかた」という2つの軸を通したことで、長い物語にうまくまとまりをつけている。
 主役のクリスチャン・ベールは例によって表情の乏しい演技だが、執事アルフレッド(マイケル・ケイン)やウェイン社の応用科学部長フォックス(モーガン・フリーマン)など、味のありすぎるおっさんたちが周囲を固めたことで、ベールの無表情が若いブルースの生硬さを際立たせることになった。ほかにもリーアム・ニーソン、ルトガー・ハウアー、ゲイリー・オールドマンに渡辺謙と、よくまあこれだけ芸達者のおっさんを集めたものだ。

 暴漢に両親を殺されたブルース少年がバットマンになるまでを描くからには、映画の中で、おなじみの小道具や設定が成立する経緯を見せる必要があるが、活動の動機から、コウモリのコスチュームである理由、小道具の由来、バットモービルの原型、そしてあのサーチライトで雲にコウモリを映し出す連絡方法まで、「なるほど、そう来たか」と唸らされるような工夫が加えられている。
 「なるほど」と唸りながら、私は、もうひとつの「なるまで」映画のことを考えていた。
 『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』は、アナキン・スカイウォーカー少年がダース・ベイダーになるまでを描いた三部作の完結編で、いわば「ダース・ベイダー ビギンズ」である。と同時に、エピソード4-6という旧三部作に話をつなげる最後の鎖でもある。

 アナキンはフォースの暗黒面に落ちてダース・ベイダーとなる。パルパティーン議長がシスの暗黒卿となって共和国をのっとり帝国を作る。ジェダイ騎士団は滅ぼされ、ヨーダとオビ=ワン・ケノービは辺境に落ち延びる。パドメは男女の双子を生み、離ればなれに育てられる。
 この映画が、これらの出来事を収容しなければならないということを、製作サイドはもとより、観客のほとんど全員も、あらかじめ知っていた。

 そこまで手の内を明かしておきながら、なおかつ観客を楽しませ、わかっていながらも「おおっ、そう来たか」と唸らせ、しかもきっちりと辻褄を合わせるという芸当をやってのける超絶技巧を持つ脚本家も、たぶん世の中には存在するだろう。
 だが、ジョージ・ルーカスには無理だった。ルーカスにできたのは、かろうじて辻褄を合わせることだけだ。この映画は、アナキンが暗黒面に落ちるに至る心の動きを描くことにかなりの時間を割いているが、にもかかわらず、その過程には蓋然性が感じられず、共感もできない。ジェダイ騎士団の間抜けさ加減にも失望する。
(細かい指摘はネタバレになるのでやめておく。書き連ねても楽しくはないし、それは読む方にとっても同じだろう)

 しかし、ことSWにおいては、脚本や演出のあら探しをするのは空しい。ルーカスの脚本や演出が下手なのは、第一作ですでにわかっていたことだ。彼がすべてを手がけたエピソード1と2の出来を見ていれば、『シスの復讐』も予想された範囲内のものでしかない。
 むしろ興味深いのは、SWがこれほどの超大作でありながら、これほど杜撰で欠陥だらけの脚本が通用してしまう点にある。
 ハリウッドの映画制作において、脚本はもっとも重要な部分のひとつだ。脚本を作る段階から大金と労力が費やされ、プロデューサーのOKが出るまで何度でも書き直させられる。脚本家じたいが交代することも珍しくない。そういう世界で、この『シスの復讐』の脚本が決定稿として通用するとは、まず考えられない。

 にもかかわらずSWでは通用してしまうのは、最終決定権がルーカス自身にあるからだ。20世紀フォックスのファンファーレで始まるけれども、この映画はハリウッドで作られているわけではない。映画作りはもとより、資金もマーチャンダイジングも、すべてはルーカスフィルムが自前で手がけている。一言で言えば、SWというシリーズは「史上最大の自主映画」なのである(第一作を除く)。フォックスはただ、できあがった映画を配給しているに過ぎない。
 この映画におけるルーカスの立場は、監督・脚本・製作総指揮である。プロデューサーを務めるのはリック・マッカラムという人物だが、彼は資金とスケジュールのマネジメントに徹して、映画の内容には口出しをしない立場だと聞く。内容についての一切の決定権は、ルーカスひとりが握っている。
 旧三部作のエピソード5、6は別の監督や脚本家を立てたけれど、新三部作では、ルーカスは自身で監督をすることにこだわった。ルーカスだけがSW銀河の唯一絶対の造物主というわけだ。
(このへんの仕組みについては、映画秘宝7月号に武田英明が書いた「エピソード1&2で振り返るSWプリクェルの謎」に詳しい)

 『バットマン ビギンズ』の物語や設定は、この映画のためのオリジナルで、監督クリストファー・ノーランとデイビッド・S・ゴイヤーの共同脚本によって作られたものだ(ゴイヤーは『ダークシティ』や『ブレイド』を手がけた、この手の作品にかけては手練れの脚本家だ)。
 バットマンはコミックのシリーズ作品であり、もともと複数の脚本家と画家が書き継いできた。テレビシリーズも、映画作品も、それぞれが別の映像作家によって作られ、それぞれ微妙に(あるいはかなり)異なる世界が展開している。そんなゆるやかな枠組みが存在するからこそ、新しい才能がバットマン世界に新しい価値を加えることが可能であり、今回の『バットマン ビギンズ』の成功がある。

 SWは違う。SWは一から十までジョージ・ルーカス個人のものであり、ルーカスが認めないエピソードは決して加わることはない。逆にルーカスが望むものであれば、どんなにつまらないキャラクターやエピソードも正規の物語となっていく。
 SWの世界は、出版社が権利を持つバットマンとは違い、ルーカス個人が作り上げたものなのだから、それは彼の正当な権利ではある。

 だが、法律上の権利と別の次元で言えば、ルーカスはゼロからSW世界を作り上げたわけではない。彼は過去のさまざまな物語や映画から、さまざまな要素を引用してきた。もっとも有名な引用は、黒澤明『隠し砦の三悪人』の藤原釜足と千秋実を真似てR2-D2とC3POのコンビを作ったことだ。そんな細部だけでなく、物語の構造そのものも、過去に下敷きがある。
 「僕は、神話からこの物語のモチーフを得た。西洋だけでなく世界中のあらゆる神話に共通する要素を抜きだしている。神話学者ジョーゼフ・キャンベルの研究も参考にしている」とルーカス自身が話している。だからこそ、SWはこれほど多くの人々の心を惹き付けたのだ、と言うこともできるだろう。

 神話に著作権者はいない。神話は人から人へと語り継がれ、その過程でさまざまに変化し、長い年月をかけて、普遍的に人々の心に訴える物語として練り上げられてきた。
 「現代の神話を作りたい」という動機でSWを作り始めたジョージ・ルーカスは、当初は既存の神話の力を借りて物語を作り始めたが、年月を経るにつれて、SWという世界を自分の所有物として扱うようになっていった。
 だが、ルーカス個人は万能ではない。見たこともない映像やキャラクターを作り上げることにかけては今も天才的な力を持っているのかも知れないが、こと「語ること」においては凡人だ。SW物語がどんどんやせ細っていくのも無理はない。

 ルーカスが尊敬すると言われる黒澤明は、上述の『隠し砦の三悪人』の脚本を作る時、共同執筆者の菊島隆三、小国英雄、橋本忍と4人で旅館に泊まり込み、缶詰めになって論じ合った。そして、主人公たちが窮地をいかにして脱するかを考える際には、それぞれが考え抜いた原稿を持ち寄り、もっとも優れたアイデアを採用したという。
 ルーカスは、できあがった後の神話や映画から引用することには熱心だったけれど、それらが作られる過程を真似ることはしなかった。

 ルーカスに対して厳しい書き方をしてはいるが、彼を非難することが本稿の趣旨ではない。現代の資本主義の仕組みや著作権法の下では、彼のやり方は正しいというほかはない。それに、なんだかんだ言っても、我々がSWを楽しめるのはルーカスのおかげなのだ。
 ただ、『シスの復讐』、あるいはエピソード1-3すべてについていえることだが、ルーカスが自分の作ったSW世界を、別の優れた脚本家や演出家に預ける度量があれば、我々はたぶん現存するそれらよりもはるかに面白い映画を観ることができただろう。私はただ、それが残念なだけだ。


追記(2005.9.3)
「細かい指摘はネタバレになるのでやめておく」と書いたが、もう封切りから2か月たったし、構わないだろう。コメントをいただいたさわやか革命さんのblog「ひねくれ者と呼んでくれ」「私の愛した「スター・ウォーズ」−−はもう存在しない!」における指摘にほぼ同感なので、自分で書く代わりにご案内しておく。無精ですみませんが(笑)。

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コメント

 みんなが愛するスターウオーズに、大胆に、辛口に斬り込みましたね!

 これはもう、誰も悪く言う人がいない世界ですから、G党に対する批判、なんてものの上をゆく、勇気と慧眼、と申し上げたいです。

 スターウオーズが次第にダメになってきたのだとしたら、批評が機能しないぐらい、デカい存在になってしまった、ということでしょうか、、、。キャラクターグッズとか諸々の経済効果を考えたら、みんな、SWで食っているんでしょうから。

 そして、先の「長嶋」論と似てますが、我々スターウオーズ世代としては、もう、すり込みとして、見ずにはおれない訳ですよね。
 特に今回なんか「遂に完結!」なんてあおられると、見ないでいるとなんだか気持ち悪くて。
 だから、作品の出来不出来は二の次という、作品にとっては、評価からスポイルされた、誠に不幸な状態ですよね。

 製作の背景までよく知りませんでしたので、参考になりました。
 
 確かにいつも、圧倒的な映像の迫力に満足して「ああ今回もすごかった」と思いながら劇場を後にするわけですが、「あそこの会話はよくわかんなかったな。編集が荒いよな」などと頭の片隅で思い、ついついビデオ化されたら借りて確認してました。
 もしかしたらそれも、銀河帝国の作戦だったのか、、、、?

 モチーフについていえば、元老院の共和制から帝国、皇帝の出現、それに対する反乱軍なんてのは、完全にローマ政治史のパクりですもんね。
 
 確か、ものの本だと、4.5.6.の後に今回の1.2.3.を製作した。そして実は、話としては7.8.9.があるんではなかったかしら。
 いずれ世論が盛り上がったら、作る、と言い出すんでしょうか。

 ルーカスの私物でもなんでもいいので、こうなったら、死ぬまで作ってほしいですね。寅さんみたいに、「スターウオーズ・銀河下町純情編~今回のマドンナは?!」みたいなノリで。

投稿: penguin | 2005/07/16 00:29

>penguinさん

>これはもう、誰も悪く言う人がいない世界ですから、G党に対する批判、なんてものの上をゆく、勇気と慧眼、と申し上げたいです。

ふうむ、そういうものでしょうか。
「映画秘宝」ではいつも、かなり辛いことを書いてますけどね。あれは特殊雑誌なんだろうか(笑)。

新聞・雑誌の映画評で絶賛の嵐なのは、こういう事情もあるようです。

<とにかく、この映画に関して活字になったものは
 すべて検閲を受けたものであるという事実を皆さんは知ったほうがいいよ。
   〜ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記〜>
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050611


ネット上を眺めても、個人blogや映画サイトの感想は絶賛の嵐。ただ、感想をよく読むと「中身はともあれ歴史的作品に立ちあえて感動」みたいな人も少なくないようです。
私自身は、SFファンとして第一作を封切りで見ているので、SWの歴史的意義を同時代的に知ってはいるつもりですが、それと映画単体への感想は別です。

>キャラクターグッズとか諸々の経済効果を考えたら、みんな、SWで食っているんでしょうから。

作品そのものを別にすれば、ルーカスの最大の炯眼は、第一作のキャラクターグッズの権利を映画会社に譲らず、自分で握っていたことです。ヒットと同時に莫大なキャラクター収入を得たことで、エピソード5以降の作品を「自主映画」として作ることが可能になりました。キャラクターグッズが巨大な収益を生む構造そのものが、SWによって成立したといっても過言ではないと思います。
その意味では、SW自体が産業といってもいい。エピソード3のプログラムに、製作のリック・マッカラムのこんな談話が載っています。
「我々にとっての最大の恐怖は、『スター・ウォーズ』が終わったら何をするんだろうということなんです」

投稿: 念仏の鉄 | 2005/07/16 02:54

TBさせていただいたことにつき、私のブログへのお返事コメントありがとうございました。

 TBしてくださったmoju3さんの記事へのコメントで次のように書きました。

>本当はスターウォーズ・ファンなんて罪のない人たちにケンカ売りたいわけじゃないんですよね。
> 私が嫌いなのは、多数派であることに拠りかかって他者を排除する、人間の心性一般です。
> ですから、子供文化の力なき消費者たちに八つ当たりしている私は、今回、ちょっとずるいことをしているかもしれません。

 念仏の鉄さんの記事に触発されて書いた、私の記事はそんなものですが、鉄さんのエッセイの価値にはなんの関わりもないものです。

ところで、私のブログ、システムエラーらしく、記事もコメントも書き込めなくなってしまいました。
それを機会に、かねてより思うところあり、しばらくブログをお休みしようと思います。今の時点では閉鎖も反映されず、閉鎖告知メッセージも書き込めない状態のため、直近にメッセージいただいた鉄さんにお知らせしておきます。

投稿: にゃん | 2005/07/18 15:32

>にゃんさん

ご丁寧に恐縮です。

>かねてより思うところあり、しばらくブログをお休みしようと思います。

そうですか。blogというのは無理に頑張って続けるようなものでもないのでしょうし、それがにゃんさんにとって良い結果になれば、それでいいのだと思います。
当blogの方は、仮に更新頻度が落ちることがあっても、細々と続いていく見込みですので、いつでもお立寄りください。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/07/18 22:03

このエントリを書いた後で、中学の同級生が鼻歌で歌っていた「帝国はー とーても つーよい」という歌を半端に思い出してしまった。
続きが気になったのでネットで検索してみたら、大したもので、そこら中に転がっている。

帝国はとても強い
戦艦はとてもでかい
ダース・ベイダーは黒い
トゥルーパーは白い
デス・スターは丸い

…という歌詞だったようです。作詞者不詳のまま、こんなに普及したというのは凄い(万が一ご存じない方は「帝国マーチ」に合わせて歌ってみてください)。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/07/21 00:37

ご無沙汰しております。なかなかばたばたしており、コメントできませんでした。とはいえ、スターウオーズは隙間を縫って見に行っちゃいました。
なるほど、鉄さんの分析にまたしても唸りました。僕も、「なんかしょぼいなポイント」をいくつか発見し、友人に携帯メールで送ってみたりしていたのですが、「これで終わりか」とか「第1作目は中学のときの○○と観に行ったっけな」などと感慨深く、「なんかしょぼいポイント」について考えを巡らすことをやめてしまっていました。
とはいえ、いい年齢をして、出張の合間に一人で観に行ってしまうとは、僕が子供なのか、なんだかんだ言っても魅力があるのか、それとも世の中全体が幼稚化しているのか・・・。
ところで、シスの台詞に米国の今を感じたのは僕だけでしょうか。

投稿: ペンギン君友人 | 2005/07/27 20:57

>ペンギン君友人さん

ご無沙汰しておりました。お元気そうで何より。当方もこのところ多忙かつ体調不良で、なかなか更新できずにいます。

>ところで、シスの台詞に米国の今を感じたのは僕だけでしょうか。

シスもですが、オビ=ワンの台詞に「民主主義を守れ」みたいな言葉が唐突に出てきて、すごく違和感を覚えました。
ルーカスが政治色を出したいのなら、むしろエピソード6の後が面白いのではないかと思います。
革命というのはたいていの場合、成就した後が大変ですから、帝国を倒した後の共和国軍をレーアがどう切り盛りするのか、自由人ハン・ソロはその夫という立場に耐えられるのか、ルークは新政府どう関わっていくのか、うっかり反体制勢力や帝国の残党に担がれてしまったりしないのか…などを描くエピソード7-9も考えられそうですね。1-3よりもさらに辛気くさくて救いのない話になりそうですが(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/07/27 23:27

初めまして。
『コーチ・カーター』と『SWエピ3』の感想にリンクさせてもらいました。えぴ3については数少ない同意見ですね。(苦笑)

投稿: さわやか革命 | 2005/09/03 09:11

>さわやか革命さん

いらっしゃいませ。リンクありがとうございます。エピソード3へのご意見にはほとんど同感ですが、ホントにネット上では少数意見のようですね。いささか気味が悪いくらいです。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/09/03 10:48

バットマン ビギンズは本当によくできた作品でした。ジョージ・クルーニーが主役のときに、このシリーズは一体どこへ向かっているのか?アニメ化か?と危惧しましたが、製作スタッフや役者にヨーロッパ人が多かったせいか、とても味のある、唸らせる作品でした。
スターウォーズはただのイベントというか、お祭りですかね。バットマン ビギンズと違い、もう一度観ようとかいう気にはなりませんでした。でもこの2作品、不思議(または当たり前)なことに日本の興行収入では明暗が分かれてますよね...残念!

投稿: スポーツ侍 | 2005/09/04 11:31

>スポーツ侍さん

おや、これは珍しいエントリへようこそ(笑)。

>スターウォーズはただのイベントというか、お祭りですかね。

そういう感覚で映画館に行く人は、たぶん多いのだと思います。エピソード1が大方の予想通りにヒットした時、「みんな勝ち馬に乗るのが好きなんだな」と感じたのを思い出しました。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/09/04 19:30

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受信: 2005/07/18 01:01

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