ピーター・ジェニングスの死。
2001年9月11日に、ニューヨークで世界貿易センタービルが破壊されたのは、ちょうど私の父親が1年半ほど続いた闘病生活を終えようとしていた頃だった。夜の病室で意識のない病人の傍らに座り、何をするでもなく眺めていたテレビ画面の中では、懸命の救出活動が続いていた。
NHK-BSではアメリカのテレビ放送をそのまま流していた。スタジオに画面が切り替わると、いつもは隙なくスーツを着こなしたニュースキャスターが、珍しくワイシャツ姿でスタジオにいた。事件発生から出づっぱりだったのだろう。疲労の色は隠せなかったが、それでもキャスターの落ち着いた声には、人々の動揺を鎮め、勇気づけるエネルギーが感じられた。
ウチもたいへんだが、あっちはもっとたいへんだな。
私がそんなふうに考えたのは、たぶん、そのキャスターを何年もの間、毎日のように見てきて、信頼と親近感を抱いていたからだと思う。
今でもそうだが、NHK-BS1では、毎朝、世界主要国のニュースを同時通訳付きで放映している。彼は、その中の番組のひとつ、abcワールド・ニュース・トゥナイトのアンカーを務めるピーター・ジェニングスだった。
とはいえ私は漫然と番組を眺めていただけで、彼がどういうキャリアを持った人物であるのかは、つい最近まで知らなかった。ただ、ニュースを伝える姿を毎日見ているだけで、頼もしい人物だと思わせるだけの何かが、彼にはあった。
9.11直後と並んで印象に残っている場面がある。
米軍がイラクに侵攻する直前の2003年3月。ジェニングスは自らクウェート入りして、司令官インタビュー等の取材を行なった。
迷彩服に身を包んだジェニングスから、どこか浮き立つような興奮が感じられたことは否めない。ベイルートで輝かしいキャリアの基礎を築いた彼にとって、中東の紛争はホームグラウンドのようなものだ。
それでも、いや、だからこそジェニングスは、米軍との間に一線を引くことを、忘れてはいなかった。彼はレポートを、こんな言葉で締めくくる。
「ジャーナリスト数百人が米軍の部隊に同行し、生活をともにする。abcでは戦闘を生中継する見込みだ。これはかつてなかったことだ。abcでは放送する内容を事前にチェックするつもりだが、軍では、そのままの映像を伝えることを望んでいる」
そのピーター・ジェニングスが亡くなった。8月7日。67歳だった。肺ガンのため今年4月に番組を降板してから4か月しか経っていない。
彼の経歴を、cnn.co.jpの死亡記事から引用する。
<カナダ・トロント出身で03年に米国市民となったジェニングスさんは高校中退後、銀行の窓口係などを経てテレビ報道に進出。1961年のベルリンの壁構築などを現地取材した後、1964年にABCニュースに入社した。翌年には26歳で「ピーター・ジェニングスとニュース」の司会に抜擢されるが、取材経験を積みたいと本人が申し出て、68年に米国テレビ初のベイルート支局長となる。1972年のミュンヘン五輪とイスラエル選手団殺害事件などの現地報道をはじめ、ローマ、ロンドン支局を経て、1983年に「ワールドニュース・トゥナイト」のメーン司会に着任。以来、米国のニュースの顔として、多大な影響力を発揮した。>
NHK-BS1では昨夜(8/22)、abcワールド・ニュース・トゥナイトの追悼番組に続けて、ジェニングスへのインタビューを含む『イラク戦争とメディア』を再放送した。今年3月20日に放映された番組で、イラク戦争をアメリカのテレビ・新聞がどう伝えたかを検証する特集だ。今になって見れば、彼が肺ガンで番組を降りる直前である。登場するジェニングスの声は、心なしかいつもより、か細く感じられる。
米軍がバグダッドに侵攻し、フセイン像が倒され、周囲でイラク人たちが気勢をあげる。このよく知られた映像に、ジェニングスは当時、ニュースの中でこんなコメントをかぶせている。
「街は混乱しています。解放を喜ぶ人もいますが、アメリカ軍がとどまることを恐れているイラク市民もいます。この日を待ち望んでいた人も、混乱や復讐を恐れる人もいます」
9.11以来、大政翼賛化が進んでいたアメリカのネットワークの中では希有な発言といってよい。中東取材の長いキャリアを持ち、歴代の大統領からも一目置かれるほどの大物キャスターだからこそ言える言葉かも知れない。
abcのイラク戦争報道に対して、視聴者からは「愛国的ではない」「忠誠心が足りない」と批判の声も届いた、と番組は伝えている。ジェニングスは語る。
「(愛国的報道姿勢が目立った)Foxのキャスターは、開戦当初から襟に星条旗のバッジをつけていました。しかし、我々が自分が何者かを示すために、星条旗は必要ない。我々の愛国心とは、質の高い、公平で誠実なジャーナリズムだと考えています」
「同時多発テロ事件の後、高まった愛国主義は、本当の愛国主義ではなく、ナショナリズムなのではないかと思います。政府や軍のすることは何であろうと支持する、そんな傾向が強いのです」
だが、abcニュースは、この戦争を通じて視聴者の5.8%を失ったという。
90年代のアメリカの軍事行動を克明に描いた『静かなる戦争』で、著者のデービッド・ハルバースタムは、「変貌するマスコミ」という章を設けて、80年代から90年代にかけて、アメリカのテレビ・ネットワークが海外のニュースに関心を失い、内向き・愛国的に変化していく様子を描いている。
「八〇年代には、テレビ局の記者も大きく変わる。かつては、第一線の特派員が困難極まる取材を敢行し、まず重要な海外ニュースを伝えることで名声を築いたものだった。ところが新世代の記者は、男女を問わず、なによりもテレビ映りがよい。また『マガジン』と呼ばれる総合ニュース番組のために働き、三面記事的な軽いニュースを扱う。アメリカが『内向き』になった証拠である。記者という職業が大きく変貌したのだ」
「海外特派員のテレビ出演がしだいに難しくなり始めた。その結果、かつては花形だった海外派遣の希望者は激減する。もはや優秀な若者は、興味をそそっても、危険な場所には行きたがらなくなってしまった」
この本が出版されたのは2001年。9.11の数か月前だ。その後、アフガニスタンやイラクへの攻撃に関する報道は大量に行われたが、視聴者に支持されたのは、米軍の軍用車に乗り込み、米軍を「われわれ」、イラク軍を「敵」と呼ぶ、あくまで「内向き」な姿勢を貫いたFoxニュースだった。
そんな流れの中で、「三大ネットワークの中でただ一人、海外特派員として名を馳せ、今でも海外ニュースに情熱を持っていた」(『静かなる戦争』)とハルバースタムが形容したジェニングスが退場することは、ひとつの時代の終焉を、強く感じさせる。
abcの追悼番組の中で、同僚たちが語るジェニングスは、厳しく、しかし優しく、いつも周囲を見守り、温かく励ます、そんな人物だったようだ。「メディアの使命は市民に代わって政府を監視することだ」という発言が似付かわしい、良き時代のジャーナリストだった。
アメリカ国民はおそらく、彼の死を、まるで父親を喪ったように感じているのではないだろうか。
追記(2006.9.14)
スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』の中で、ミュンヘン五輪選手村のイスラエル選手虐殺事件を伝えるテレビニュースが映る場面があるが、どうやら当時の本物の映像を使っているようで、若き日のピーター・ジェニングスの声も聴くことができる。
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コメント
こんにちは。富井と松です。
ピーター・ジェニングスをとりあげるあたり、このブログの真骨頂ですね。さすが鉄さんです。
NHKはジェニングスの大ファンで、未だに海外特派員が充実しているのは彼をロールモデルにしているからではないでしょうか。2時間以上も追悼番組を作るあたり、その思いが感じられました。
"abc World News Tonight"はもう"with Peter Jennings"がペアになっていたほどだったので、個人的にもとっても残念です。NHKにも彼くらいの名アンカーはなかなかいませんね。
投稿: 富井と松 | 2005/08/25 12:46
>富井と松さん
過分のお言葉を恐縮です。
ネットで検索してみても、彼を大事に思っていた人がたくさんいたんだな、というのが実感できます。
あまり余計なことは言わないけれど、言う時は言う。
言葉の重みというものを感じさせてくれた人でした。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/08/25 21:28
先日は、私のブログにお立ち寄り下さいましてありがとうございました。
前回、前々回の大統領選挙の結果にも見て取れるように、通商問題を除く国際情勢に無頓着なアメリカ国民が多数います。(実はパスポートを所有している国民はほんの数割で、その多くが所謂ブルー・ステートに集中しています。)だからこそ今回のイラク戦争でも基幹ネットワークが内向きな報道に傾倒し、それが国民にも受けたのだと私は考えていますが、そんな中にあって常に鳥瞰的な視点から報道を続けたジェニングス氏は本当に貴重な存在でした。鉄さんも書いてらっしゃいますが、似非パトリオティズムはナショナリズムに過ぎないとバッサリ切り捨てるあたり、まさに彼らしい洞察でした。アメリカが世界のリーダーではなくボスになってしまった今こそ、彼のような視点が必要であったのにと思うと、早すぎる死が残念でなりません。
くだらないブログですが、こちらにもまたお運びくださいませ。
投稿: SeqMom | 2005/08/26 15:24
>SeqMomさん
お越しいただき、ありがとうございます。
>通商問題を除く国際情勢に無頓着なアメリカ国民が多数います。
シーハンさんの反戦運動が盛り上がりつつあるようですが、あれは「アメリカ人兵士が死ぬこと」に反対しているので、イラク人が何人死のうが興味がないことの裏返しにも見えます。
>アメリカが世界のリーダーではなくボスになってしまった今こそ、
うーん、これはものすごく実感の湧く表現ですね。
>くだらないブログですが、こちらにもまたお運びくださいませ。
私は専門家の方からご自分の仕事についての話を伺うのが好きなので、SeqMomさんのblogは興味深く拝見しています。またお邪魔させていただきます。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/08/26 23:29
こんばんは。
興味深く読ませていただきました。
イラク戦争のときは、スカパーにかじりついてみていたものの、ピーター・ジェニングスのことは知りませんでした。当時、BBCや、まあCNNはともかくとして、FOXその他の米系メディアの翼賛報道ぷりに、すげーと、飽きれるのを通り越して、感嘆すらしていたのですが、そういうジャーナリストもいたんですね。
ところで、僭越かつ、ご存知かもしれませんが、「勝負のわかれめ」(角川文庫)という本をご存知でしょうか。この本では、アメリカメディアが内向きになっていくことにあわせて、メディアの現場に資本の論理が入っていくことも変容の大きな原因であること、そしてそれが日本のメディアでも進行していくであろうことを掘り下げて取材したノンフィクションです。著者の下川進という方はもと文春のライターで、その後、コロンビア大のジャーナリズムスクールで学んだ経験を持っています。(コロンビアでは、ハルバースタムの授業もとっており、交流があったとか)
実に骨太なノンフィクションで、最近のホリエモン騒動をすでに予言している響きすらあり、僕は、密かにこの著者は、”日本のハルバースタム”じゃないかと思っています(いいすぎかもしれませんが)
数十年もかわることなく、”報道被害”やら、手垢のつかい”社会派ノンフィクション”とやらを目にするたびに、この本のすごさを思い知ります。もし、ご存知でなければ、気が向かれたら、一読をお勧めします。
僭越ですが。
では、また時々お邪魔させていただきます。
投稿: farwest | 2005/08/30 19:09
>farwestさん
コメントありがとうございます。
>そういうジャーナリストもいたんですね。
ただ、そんな彼でも限界はあったようです。9.11後の報道については、視聴者の声に押されて、いくらか愛国的に軌道修正した時期があった、とジェニングス自身も認める発言があったと記憶しています。
『勝負の分かれ目』は、新刊として出た当時に気にはしていたのですが、分厚さに恐れをなして、結局読みそびれていました。文庫になっていたとは知りませんでした。ありがとうございます。
日経については20年くらい前に、コンピュータ製版への移行をテーマにした杉山隆『メディアの興亡』という作品があり、興味深く読んだのを覚えています。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/08/30 19:43
はじめまして。
ピーター・ジェニングスについて自分のブログに書くにあたり、
検索したところ鉄さんのこの記事を見つけました。
アメリカ国民だけでなく、私も父を失ったように感じています。
実の父の病状が重いのに、それよりショックなくらいでした。
日本でもこんなに慕われていたんですね。
他の皆さんのコメントも興味深く拝見しました。
知的好奇心を満足させるブログに出会えてラッキーでした。
また寄らせていただきます。
投稿: naze-haishi | 2005/10/13 00:30
>naze-haishiさん
こんにちは。アメリカでabc world news tonightを見てらしたんですね。毎晩、彼の伝えるニュースを見ながら一日を締めくくるというのは、うまく言えませんが、正しい日常の姿、という気がします。
『ピーター・ジェニングスからのメッセージ』が放映された直後の時間帯には、2晩ともアクセスが増えました。あの番組を見て、改めて彼を知りたいと思った人も多いようです。こんな日本の一視聴者の感想文でなく、ちゃんとした本でもあればよいのですが、アマゾンで検索しても、何も出てこないのが残念です。
岐阜の路面電車の事情は寡聞にして知らないのですが、路面電車そのものは全国でも見直されているところが多いようですね。ご健闘と、お父様のご回復を祈ります。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/10/13 07:51
はじめまして。「ピーター・ジェニングス」で検索をしていて念仏の鉄様のこの投稿を発見し、当方のブログでも紹介させていただきました。ありがとうございます。
投稿: mastermind0710 | 2006/09/14 11:40
>mastermind0710さん
こんにちは。ご紹介ありがとうございます。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/09/14 23:59
そのニュースキスターがABC放送のピーター・ジェニングスという人だったと一昨日の朝日新聞で知りました。すでに昨年亡くなったと知り寂しさを感じました。
2001年の9月11日。私は出張でHoustonにある現地工場に出社していました。
9時ころから社員の間でうわさが流れ始め、現地従業員は国からの指示で子供を学校にひきとりにいくこととなり11時頃には全員退社指令がでました。
日本の運送会社からは「まだ米国上空を連絡のとれない航空機が13機飛んでいる」といった情報が入っていました。
残った10人程度の日本人駐在員と4名ほどの出張者も連絡先を会議室の黒板に書き、とりあえず自宅待機となりました。
宿泊先のホテルに帰ってもなにもすることもなく、テレビを見ていたのを覚えています。
報道規制されていたらしく、ほとんどなにも分からない報道が繰り返されており、いっこうに現れないブッシュ大統領にいらだっていたのを覚えています。
午後の4時ころリーダー不在の合衆国民を安心させるためか、ワシントンの議事堂かなにかのまえに国会議員たちが集合して国家を合唱したのがアメリカらしいなと感じました。
そんななかで、憔悴の色は隠しきれないものの、ぶっとおしでスタジオに陣取り、袖まくりワイシャツ、ノーネクタイ姿で報道を続けていたのが、今思い出すとジェニングス氏でした。
ときどき見ていた人でいつもはキチンとしたスーツ姿だったので、その服装から相当心身の疲労と戦いながら放送しているのだなと想像できました。
史上初めての米国本土襲撃におびえる国民に終始落ち着いた静かな語り口で報道をつづけていた氏の放送は、英語が良く分からない私をも安心させてくれました。
大変強く印象に残っています。
翌朝になってもまだ放送していたと思います。
その後の世界の変貌を見るにつけ「でもまだあの人がニュースをやっているのなら」と、希望をつないでいました。
亡くなってしまったのですね。まだ若かったのに。
アメリカの良心が死んでしまったような気がします。
投稿: 紅の豚 | 2006/10/01 22:49
>紅の豚さん
こんにちは。アメリカ国内であの放送をご覧になっていたのですか。それもまた忘れられないご経験でしょうね。
阪神大震災の時、日本では現地をうろついて興奮しているキャスターが目立ちましたが、私には、スタジオに座ったまま入ってくるニュースを延々と伝え続けていたNHKのアナウンサーが最も強く印象に残っています(そして、終始冷静だった彼が、生田神社が潰れた映像を見て一瞬絶句した様子も)。
非常事態に際してこそ、キャスターには落ち着いた物腰と口調が必要なのだろうと思います。そんな中からでも人々との共感、連帯感は伝わってくるものです。
>その後の世界の変貌を見るにつけ「でもまだあの人がニュースをやっているのなら」と、希望をつないでいました。
そう思わせるだけのものがある人でしたね。
朝日の記事は何だろうと検索してみたら(みつかりませんでしたが(笑))、NHKのスタッフが彼の本を平凡社から刊行していることを知りました。入手しようと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/02 11:32
はじめまして
筑紫哲也さんの訃報に接して
ここにたどり着きました
良心・誠実・ジャーナリズムの王道
スピークアウトできる巨星たちに
哀悼の気持ちを禁じ得ません。。。
投稿: | 2008/11/08 22:17
>2008/11/08 22:17の名無しさん
肺ガンが2人の共通点ということになりますね。
ただ、テレビキャスターとしてのスタンスは
かなり異なっていたように思います。
私の知る限り、ジェニングス氏が番組内で自分の意見を述べたり
ニュースを論評することは少なかったと思いますが、
筑紫さんはやたらに意見を言う人でした。
これはジェニングス/筑紫両氏の個人の資質や性格というより、
日米のキャスターの在り方の違いなのでしょうけれど、
久米宏・筑紫哲也両氏が作り上げたその日本風スタイルを、
私はあまり好きになれません。
投稿: 念仏の鉄 | 2008/11/09 19:49