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2005年9月

矢島裕紀彦『大矢明彦 ベイスターズの真実』小学館文庫  <旧刊再訪>

 下のエントリおよびコメント欄で、野村克也が楽天イーグルスの監督として不適格である理由ばかり並べたてているうちに、だんだんうんざりしてきた。人の悪口を書いていても楽しくはない。このblogの読者は誰も信じてくれないかも知れないが(笑)。

 野村が向かないなら誰が向いているのか、と自問自答してみたら、答えは案外あっさりと出た。現在、日本プロ野球で監督・コーチ職についていない人物の中では、元横浜ベイスターズ監督の大矢明彦がベストではないかと私は思う。

 大矢は1996年から2年間、ベイスターズの監督を務めた(その前に3年間コーチをしている)。
 96年は前年からひとつ順位を下げて5位となったが、97年には終盤までヤクルトと優勝を争った末に2位。いよいよ来年こそ勝負…というオフに、いきなり解雇されて、後任には投手コーチだった権藤博が就任した。ずいぶんと大胆な球団の決断だと驚いた記憶がある。
 翌98年に権藤ベイスターズが日本シリーズを制したため、すっかり陰が薄くなってしまったようだが、万年Bクラスのチームを、優勝を争うレベルにまで引き上げたのは大矢だった。

 当時のベイスターズの野球を、私がそれほどつぶさに観察していたわけではない。大矢の手腕に気づいたのは、彼がベイスターズ監督の2年間にやったことをじっくりと語った『大矢明彦 ベイスターズの真実』を読んでからだ。98年のオフに刊行されているから、ベイスターズ優勝に便乗した本と言えなくもないが、これだけの内容が出版物として残ったのだから、むしろ便乗商法に感謝したい。元監督が書いたり話したりした本はたくさんあるが、選手への指導内容をここまで克明に記したものを私は知らない。


 大矢が楽天の監督に向いていると私が考える理由を、本書の大矢発言を引きながら挙げてみる。

1)弱体投手陣を率いる術を知っている

継投する場合というのは、あまりプレッシャーがかかった場面だと、次のピッチャーがなかなか力を出せないですよね。基本的に言うと、僕は(中略)次に投げるピッチャーができるだけ有利な状態で行かせるというのを一番の条件にしてた。なるべく傷口が大きくならないうちに代えてやる。やっぱりその方が、思い切って力を出せますからね
いちばん消耗するのは精神力なんです。(中略)慌ててピッチングやって『また行かされるのかな』と思って、結局『またおれじゃない』と。そういうのが中継ぎはすごく大変ですよ。だから、もうその場面で使わなかったら、その日は使わないということをブルペンに言ってやる
先発に比べると、中継ぎというのは当然力が落ちる人ですよ。だから、余計に考えてやらないと

 当時のベイスターズも投手陣が強力とは言えなかった(佐々木という絶対的なクローザーがいたという点では恵まれていたが)。本書の中でも、大矢が当時の投手たちの特徴を、技術面から性格面まで、こと細かに把握していることに感心する。現役時、ヤクルトの捕手として駒不足の投手陣を支え、78年ヤクルト初優勝の立役者のひとりとなった眼力が、今も生きているのだろう。そして、そこから個々の適性を判断し、力が出せる場面で使うことを考え抜いていたことがうかがえる。
 権藤ベイスターズでは「中継ぎのローテーション」が話題になったが、大矢もそれに近いシステムを作っていたことも本書には紹介されている。引用したような配慮をしながら若い投手陣を使っていけば、その投手が持つポテンシャルを最大限に引き出せる可能性は強まると思う。


2)若手選手を育成する能力がある

石井はあれだけ幅広い動きができて、肩があって、野球に対する考え方もすごくまじめ。何とか自分でもっとうまくなりたいという部分をいつも持っている選手だし、こういう選手にやっぱり一番大事なポジションを任せるようにしないと、チームの土台ができないというのが僕が考えたことですね
 石井琢朗を三塁手から遊撃手にコンバートした理由。石井は期待通り、リーグを代表する遊撃手になった。

僕が鈴木にいちばん何を言ったかっていったら、守ることですよ。」「あいつの守備、えらい下手くそでしたから。『スーさん、おまえに守備固めを出すようだたら、クリーンアップは打たせられないな』ってことを、僕は言いましたね。」
 レギュラー定着前の鈴木尚典に対して。彼は97年に首位打者を獲った。

あんまり頭から谷繁に難しいことは言わなかったんです。やっぱりゲームに出て経験して自分で掴んだものがいちばん確かだし、身につきますから
 バッテリーコーチ就任時にはチーム内で評価が低かった谷繁について。大矢は監督に就任すると谷繁を正捕手に抜擢し、彼は後にリーグを代表する捕手になった。

 大矢の話には、とにかく選手に対するネガティブな評価が出てこない。欠点を指摘することはあっても、「…だから、こんなふうに使ってやらなければいけない」と続く。あらゆる選手に何らかの可能性を見いだし、戦力として生かそうとするのと同時に、試合の中でも成長させていこうと考える。
 本書には、二死一、二塁の場面で二塁走者の石井が三盗を試みて失敗したエピソードが紹介されている。石井が「三盗したい」とベンチにサインを送り、希望通りに走らせたら刺された。打者がローズだっただけに、新聞では批判されたという。
石井なんて、ここ一発っていうときに絶対スチールを成功させてほしい選手なんだ。そういうの、選手がやる気になって、やろうってときにやらせとかないと、ほんとにプレッシャーのかかる厳しい場面では走れませんよ」「失敗しても、それはそれでいい。僕の方は、そういう野球をしたかったから
 もちろん、当時の大矢は、そんな説明を新聞記者にしたりはしない。黙って批判に甘んじるだけだ。失敗を恐れない大矢の姿勢が、チームを変えていった。

そういう気持ちにならないと、やっぱり野球が生きてこない」「みんなある程度、自分たちが今までやれなかったこと、思ってもみなかったことに、チャレンジしだしたんです
そういう積極的な気持ちで野球ができるようになって、ゲームの中で動ける。そうなれば、十分戦えますよ。強いですよ。それこそ、そんなにアベレージが上がらなくたって、点が取れるようになるでしょ

 こういう指導者に、これから楽天を支えていくべき若手選手たちを預ければ、数年後には着実に成果が期待できそうだ。


3)明るいチームづくりができる

 大矢の人柄を私はよく知らないが、プロ野球ニュースを見る限り、温厚そうな人物だ。
 もっとも、ここで「明るい」と書いたのは、人柄の話ではない。積極的で攻撃的なチームを大矢は指向しており、それを「明るいチーム」と形容してみた。

 本書の白眉は、以下のくだりだと私は思っている。
ヤクルトがなんかやってくることに関しては、やられたらやられたで相手がうまいんだからしょうがないと。その代わり、相手がやってきそうな、俺が予測できることは、防ぎ方は全部、おまえたちに教えるから、防ぐことだけでいい。だから、自分たちが俺の言ったことを怠らないようにしてくれれば大丈夫だと、そういう話はしてました

 野村ID野球が猛威をふるっていた時代である。策士・野村が何か仕掛けてくるのではないか、こちらの出方はすべて読まれているのではないか、そんな疑心暗鬼に陥って、相手チームが勝手に自壊していく。そんな印象さえあった。
 そういう時期に、大矢はこう言い切っていた。頭脳戦では負けない、と言ったも同然である。そして、その上でなお、違う野球を目指すのだ、と。

僕は、やっぱり、お客さんが見て、ファンの人たちが見て楽しい野球を目指した。相手の裏をかいて、なんかこすっからくやるっていうよりも、今いる選手たちが一生懸命やって、はっきり言えば、打って、走って、点取って、それでピッチャーの人が抑える。そういうわかりやすい野球でいいと思った。その幅は、こっちでどんどん広げていくことはできますから。まず選手たちに、怖がらないでプレーをしてもらわなきゃね。僕はそれがいちばん大事だと思ってたんです

 選手の気持ちを大切にし、選手の中から積極性が出てくるように、しむけていく。
 こういう姿勢の監督こそが、あのフルスタの雰囲気には似つかわしいと私は思う。


 これほど言葉に説得力があり、実際に弱小チームを強くした実績を持つ指導者が、指導の現場にいないのは、実にもったいない話だと思う。なぜどの球団も彼を雇おうとしないのか、私には不思議に思える。大矢自身が何らかの理由でオファーを断っているというのなら別だが、新聞辞令でも候補に上ったという記憶がない。

 これほどチームにうってつけの指導者が野にいるにもかかわらず、楽天野球団は見向きもしないらしい。過去2年間、監督と野球の質の低下に苦しんだ某在京球団あたりも、こういう人材に目を向けてみればどうかと思うのだが。

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負けたからこそ、変えてはいけない。

 楽天が田尾監督の解任を決めたことについて何か書こうと思ったが、結局は春先のキーナートGM解任とコーチ人事改造の時に書いたことと、私の言いたいことは変わらない。長い引用になるが再録しておく。

 「こんなことをやっていたら、この球団は今後、優秀な人材を集めることがどんどん難しくなっていくだろう。だいたい、目先の勝利が欲しいのなら、コーチ陣をいじるよりアメリカから優秀な投手と打者を買ってくる方が、よほど実効が期待できる」

「プロスポーツクラブに必要なのは、『弱くてもそれなりに儲かって経営は回っていく。強い時には、もっと儲かる』という状態を作ることだ。実際にJリーグには、そういうクラブもいくつか実在している。三木谷オーナーには、そういう球団経営を目指し、これからの球団経営のモデルケースになってもらいたいと思っていた」

 後者のエントリには、次のようなことも書いた。

「実際のところ、今年の楽天ほど、負けることが社会的に許容されるチームは珍しい。
 戦力が足りないことは、誰もが知っている。まさに協力を惜しんだ球団たちが、楽天を叩きのめし続けている。地元の判官びいき感情を育てるには絶好の筋書きではないか。しかもJリーグと違って、パ・リーグに入れ替え戦はない。たとえ100敗したところで、来シーズンはやってくる。
 それならば、負けても、いや、負ければ負けるほど世間の関心や人気が高まり、観客が押し寄せる、そんなチームを狙うことさえ、今年の楽天ならば可能なのだ。そして、最低最悪の初年度からスタートすれば、来年以降は、ちょっと勝っただけで誰もが幸せになれる。「地元ファンとともに苦難を乗り越える成長物語」の条件を労せずして手に入れることができるのだ(浦和レッズの優勝があれほど盛り上がったのは、初期の「Jリーグのお荷物」状態からの歴史も一役買っているはずだ)」

 先日、フルキャスト宮城を見てきた印象は、まさにこの通りだった。負け続けるチームを地元の人々は暖かく応援している。この愛着を大切に大切に育てていくことが、このチームには必要だと感じた。
 ドラスティックなチーム改造をして勝つことが、そのために有効であるとは考えにくい。それは大きな賭けだ。いきなり来年優勝でもできれば、さすがに田尾のことなど忘れてしまう人も多いだろうが、順位がひとつふたつ上がるとか勝ち数が20かそこら増える程度の中途半端な積み上げでは、むしろマイナスになる可能性が高い。
 監督や選手がごっそり入れ替わってしまったら、「苦難を乗り越える成長物語」を地元ファンと共有する主体がいなくなってしまうではないか(キーナートが失脚したために、球団フロントがこの主体となることはすでに困難になっている)。弱いスタートだからこそ、監督を変えてはいけない。せめて2年は続けなければ「物語」の継続性が失われる。

 ここ数日、次期監督候補として名前が挙がっている野村克也が、このチームの監督にふさわしいかという点にも、私は大いに疑問を感じる。
 彼はそれなりの戦力が整っていた南海とヤクルトでは監督として成功を収めたが、戦力不足が明白だった阪神では成果を上げられなかった。
「野村再生工場」の美名のもとに、「乏しい戦力をやりくりして勝つのが上手な監督」であると思われているようだが、見落とされている現実もある。彼がヤクルトの監督に就任した時には、すでに池山・広沢という日本有数の強打コンビがおり、西村、川崎、岡林、伊藤ら若くて優秀な投手が次々と供給された。そして、それらの投手たちを野村は酷使し、次々とパンクさせた。彼らの屍の上に監督・野村克也の栄光があるのであって、私は「再生工場」どころか「解体屋」だと思っている。

 楽天イーグルスの首脳陣は、現在の陣容にはベテラン選手が大勢在籍しているから、「再生工場」を設置すれば勝てると思っているのかも知れないが、「解体」の対象となれるほどの優秀な若手投手は、一場くらいしか見あたらない。岩隈も、あの体つきを見る限り、野村のハードな起用に耐えうるとは考えにくい。つまり、野村監督にとっての車の両輪が、このチームには揃っていない。
 そして、仮に再生に成功したところで、そのベテラン選手が5年10年とチームを支えてくれるわけではない。野村監督の起用は、短期的に成功をおさめたとしても、長期的に見れば、「一将功成って万骨枯る」を絵に描いたような惨状が待っている可能性がある。
 戦力が充実し、成績も上がって、いよいよ上位進出をねらえる、という状況にあるチームが野村のような監督を雇えば、大きな成功を収めることができるかも知れない(ヤクルトがまさにそうだった)。だが、今の楽天が一発逆転をねらって野村を雇うのであれば、それは感心できない。

 そんな星勘定よりも大事なのはファンの心だ。
 フルスタの観客たちの愛情が注がれる器は、選手であり、監督だ。だが、最初から超高齢化チームとして出発した楽天にとって、最初の何年間かは選手が大きく入れ替わるのは避けがたい宿命だ。従って、選手ではなく監督がチームの顔となって、ファンの応援と愛着を注がれる受け皿となる必要がある。
 ほかのことはともかく、この点においては、田尾は楽天の初代監督として立派に役割を果たした。そして、そういう存在として、野村が田尾の代わりを務めることができるとは、私には思えない。

 繰り返すが、初年度に負けに負けたからこそ、もう一年、田尾が監督を続けるべきであったと私は思う。

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アンバランス・ゾーンに惹かれる。

 ひところほどの勢いは失ってしまったようだが、今季、「おかわり君」こと西武の中村剛也が名前の通りの剛打をふるって人気を博したのは、なかなか痛快な出来事だった。確か2年前の秋、日本ハムが東京ドームを本拠地とする最後のホームゲームを戦った時に、いきなり四番打者で登場し、勝ち越しタイムリーを放ったのを覚えている。体型は当時から変わらない。

 彼のような「太っているが、よく打つ」タイプの選手を見るのは久しぶりだ。日本人では、同じ西武からジャイアンツに移籍したデーブこと大久保博元あたりが最後だったような気がする。
 最近は、球場の大型化に伴ってか、太ったプロ野球選手は激減した。足・肩ともに一定の水準を超えた、いわゆる“三拍子揃った選手”が、特に外野手においては当たり前となっている。
 だが、四半世紀くらい前までは、どの球団にも1人くらいは“打つだけの選手”がいたものだ。晩年の張本勲をはじめ、遠井吾郎、高井保弘、大杉勝男といった人々が代表格。日本にやってくるアメリカ人選手にも、このタイプが多かった。
 彼らは主に一塁か外野を守り、クリーンアップの一角に座って、長打力を誇った。しかし、日本野球をメジャーリーグと比較する人々は、彼らの存在を日本の後進性の証拠と決めつけた。本塁打と盗塁とを両立させる秋山幸二の登場が、彼らの時代の終焉を決定づけたような気がする。

 太っているからといって守備や走塁で著しく劣るとは限らないが、たいていはそうである場合が多い。指名打者制度のないセントラル・リーグでは、よほど並外れた打力を備えていなければ、このタイプの選手が生き延びることは難しい。
 昭和50年代に、例えば張本が試合終盤になると守備要員の二宮至と交代するのを見るたびに、日本野球の未熟さを露呈しているような気がして、あまりいい気分ではなかった。
 だが、彼らの多くが駆逐されてしまった今となっては、三拍子揃ったアスリートだらけの野球場というのも、なんだか味気ないような気がする(我ながら勝手なものだと思うが(笑))。

 近年の「太った外野手」に、1999年から3年間にわたって読売ジャイアンツに在籍したドミンゴ・マルティネスがいる。マルティネスは、丸々と太った体型と穏やかな人柄でファンに親しまれ、“マルちゃん”と呼ばれた(大相撲のアメリカ人横綱・武蔵丸の愛称からの転用かも知れない)。
 その前に在籍していた西武ライオンズではもっぱらDHだったが、ジャイアンツはセ・リーグでDHがない。故障で長期欠場した一塁手・清原和博の代役としてシーズン中に急きょ入団したという経緯から、主として一塁を守ったが、清原が復帰すると代打に回った。
 しかし、長嶋茂雄監督はマルティネスの強打を惜しんで、しばしば左翼手としても起用した。左の松井秀喜、高橋由伸に加えて、清原、マルティネスという右の強打者をも同時にラインナップに並べる超攻撃的打線というわけだ。

 目論見通りに打った日もあれば、不発だった日もある。いつも変わらなかったのは、マルティネスのたどたどしい守備ぶりだ。見るからに走るのが苦手そうな体型だけに、左翼に飛球が飛ぶたびに、巨人ファンはハラハラする羽目になった。平凡なフライでもマルティネスが捕れば歓声がわく。意外な強肩を発揮し、本塁送球で走者を刺してみせた時には、もうその試合のヒーロー扱いだった。彼を見ていると、誰もが心配性のお母さんのようになってしまったのである。それはそれで、見る者を楽しませる姿ではあった。

 下手な守備を売り物にするのは、見世物としては程度が低いと言えるかも知れない。だが、プロ野球選手といえども、全員がすべての分野においてバランスの取れた能力を持っているわけではない。球団においても然り。ひとつの球団にあらゆるポジションで攻走守揃った選手ばかりを揃えられるわけではない。何かが突出し、何かが劣っている選手たちを組み合わせてチームを作るのが常であり、その中で、「攻撃力優先」という方針を持つチームがあってもいい、と私は思う。
 近年のジャイアンツはしばしば「四番打者ばかり集めてつまらない」という批判を受け続けているが、私は、長距離打者をラインナップにずらりと並べること自体は、非難されるようなことではないと思っている。チームのセールスポイントを明確にするのは悪いことではない。ただ、その長距離打者たちがまったくいいところを見せられずに負けてばかりいる、というプランと結果との齟齬が、非難に値するだけだ。

 サッカーにおいては「守備を少々犠牲にしても攻撃を優先する」というタイプのチームは非常に高く評価され人気もあることが多いのに、野球で同じことをすると、たとえ勝率が高くとも批判を受けることが多いのは解せない。「守備を固めてコツコツと1点を取る野球」がもっとも価値があると無条件に考えている人が日本には多いように思う。極端な守備偏重のチームを「バランスが悪い」と批判する声は、ほとんど聞いた記憶がない(私は、どうせならこの2つのタイプの強豪が激突するような試合を楽しみたいと思っているので、昨年の日本シリーズは中日とダイエーでやってほしかった)。

 サッカーの話を、もう少し続けたい。サッカーの試合では、しばしば終盤の力攻めを見ることがある。
 何が何でも1点を取らなければならない場面で、リスクを冒して、例えばヘディングに強いディフェンダーを相手ゴール前に上げてゴールを狙わせる、というようなプレーだ。(ワールドカップ/フランス大会予選のウズベキスタン戦終盤で、岡田武史監督が、センターバックの秋田豊をゴール前に上がらせたケースなどがこれに当たる)
 この究極的な形態として、ゴールキーパーが上がってしまう場合がある。もちろん、上がりっ放しでは試合にならない。コーナーキックなどのセットプレーの時に、ゴールキーパーが攻撃参加するのだ。

 横浜マリノス時代の川口能活は、このプレーを好む選手だった。アトランタ五輪のハンガリー戦の終盤では、コーナーキックの際に相手ゴール前に駆け上がっていた。この時は上村が見事にヘディングシュートを決めて同点ゴールを挙げた。川口自身がボールに触れたわけではないが、突然のキーパーの乱入に相手ディフェンダーのマークも多少は混乱して、間接的に上村のゴールを支援した効果があったかも知れない。同じ年のJリーグの試合では、同じような場面で実際にヘディングシュートし、惜しくもゴールポストに当たって阻まれたものの、Jリーグ初のGKによるゴールを記録する寸前までいった。
 川口としても、自分自身でゴールを決められる、と本気で思っているわけではないだろう(もちろん真剣に狙ってはいるだろうが)。自身が上がって行くことによって相手DFに与える影響、そしてそれ以上に、味方に喝を入れる、という効果を狙っているのではないか。
 何が何でも点を取らねばならぬ、という捨て身の意思統一。そんなものを作り出したい、と川口は考えていたのだと思う。

 それは、ディフェンダーを上がらせる監督にしても同じだ。サッカーでは、試合中に監督が選手に指示を徹底させることはきわめて難しい。そのため、用兵に巧みな監督は、しばしば、選手の交代や配置替えによって、この局面ではこういう試合運びをするんだ、という意思を選手に伝える(日本代表の試合で中山雅史が途中出場する場面に居合わせた経験のある人は、一瞬でスタジアムの雰囲気が変わってしまうことを肌で感じているはずだ)。
 2002年ワールドカップでベスト4という空前の好成績をあげた韓国のフース・ヒディンク監督は、同点あるいはリードを許した試合の終盤で、守備的ポジションの選手を引っ込めて、フォワードを次々と投入する采配を見せていた。守備の要にして精神的支柱である洪明甫を下げてフォワードの選手に交代した時はさすがに驚いた。そうやって、彼は「攻めるしかない」という状況を選手たちの間に作り出したのだと思う(実際には万能選手のユ・サンチョルがMFからポジションを下げて洪の去った後をカバーしており、ユの存在がヒディンクの用兵を可能にしていたわけだが)。

 マルティネスをレフトに起用するという長嶋監督の用兵にも、同じ意思表示があったのかも知れない、と今にして思う。長嶋は、そういう起用の好きな監督だった。第一期監督時代には外野手の柴田勲に三塁を守らせたり、左打者にワンポイントの左投手をリリーフに送る間、先発投手の小林繁に外野を守らせたこともあった。
 バランスを崩しても、それ以上に点を取って勝つ。長いシーズンのすべてでそういうやり方をしても成功することは難しいかも知れないが、特定の試合や状況における戦術としては、ありうることだ。

 現在、プレーオフ進出が危機に瀕しているニューヨーク・ヤンキースは、このところ、アレックス・ロドリゲスを2番打者として起用し続けている。MLBには強打者を2番に使う監督もいるとはいえ、チーム三冠でトップに立ち、本塁打王を争っている最強打者が2番というのは、さすがに聞いたことがない。
 先発投手陣が故障に次ぐ故障で崩壊し、それ以上にブルペンが当てにならないチーム状況の中で、この打順は「もはや打ち勝つしかない」というジョー・トーリ監督の強い意思表示なのだと思う。その打順のもとでヤンキースは打ちまくり、シーズン終了を前に、首位レッドソックスに手のかかるところまで来ている。

 チームのバランスを保つことが大事なのは言うまでもない。安定した土台を築かなければ、長いシーズンを戦い抜くことはできない。
 だが、すでにリードを許した状況においては、バランスを保っているだけでは差を詰められない場合もある。
 そんな時、追いつき、追い越すために自らバランスを崩して攻撃に出るという決断は、見る者の心をも沸き立たせる。その瞬間の絶妙のスパイスとして、アンバランスな選手には、捨てがたい魅力がある。
 だからといって、中村剛也に「もっと太れ」とは言わないが。

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それでもJリーグ・オールスターを惜しむ。

 Jリーグのオールスターが、今年は代表の欧州遠征の日程と重なったために、物議をかもし続けてきた。両方に選ばれた宮本や中沢は、ずいぶんと無茶な日程で移動することになっている。(注)
 以前からオールスター不要論はあったが、そんなわけで今年はとりわけ厳しく槍玉に上がっているようだ。

 不要とされる理由には、主に「日程が過密でそんな暇がない」「代表がオールスターチームのようなものだから、それで充分」「スターは海外に出ていってJリーグに残ってないのだから無意味」「テレビの視聴率だって低いし」などがある。
 それぞれごもっともではあるけれど、日程は工夫すれば何とかなる可能性があるし、代表に選ばれず海外にも行かない好選手も大勢いるし、そういう選手をクラブのサポーター以外の人々に披露する機会はそれなりに貴重なものだし、視聴率が低いのにテレビ中継してくれるなんてJリーグには貴重な機会なのだから頑張って人気を上げることを考えた方がいいんじゃないだろうか。
 サッカー界にとっての優先順位が高くないことと、不要だということは、必ずしもイコールではない。

 英国人のサッカーライター、ジェレミー・ウォーカーはオールスターを「アメリカ的」と呼び、「サッカーの世界では、このコンセプトはとても異質なもので、意味も重要性もあまりないように思える」(2004/07/08 私のオールスター不要論)と言っているのだが、それはいささか短絡的な考えに聞こえる。
 2002年に、イングランドやブラジルのユニホームを着てスタジアムに集まった日本人を見て、サイモン・クーパーはいたく感激していた。欧州のサッカー文化にないものだからこそ価値がある、という場合だってあるのだ。「異質だから不要だ」と言うロジックが正しいのなら、90年代初頭に聞こえていた「日本にプロサッカーはなじまない」という声に圧されて、Jリーグは始まらなかったかも知れない。

 今年についていえば日程調整の失敗は困ったものだと思うし、昨今のサッカー界は行事が多いから日程上の困難は恒常化している。今年などは休んでしまってもよかったのかも知れない。
 それでも私は、できればオールスターは続けて欲しいと思っている。ストイコビッチほどの偉大な選手があれほどムキになって出場し活躍していた試合が、何の意義もないものだと考えたくはない(感情論です、はい)。

 近年は見逃してしまうことが多いので大きいことは言えないが、最初のオールスターゲームは、よく覚えている。東軍のMFはラモスと木村和司とリトバルスキーとサントスの4人だった。まさに夢の中盤で、ここからカズと武田の2トップにパスが出るのだ。見ているだけで幸福だった。

 スタジアムに見に行ったことも一度だけある。98年のワールドカップ・フランス大会の後の8月、横浜国際で開かれた試合だ。東軍は小野伸二とラモスのコンビ、西軍はドゥンガ、ストイコビッチ、名波浩のトリオが、それぞれ楽しかった。フランス大会直前に代表を外されたカズと北沢も揃って出場していた。大ベテランのラモスが、親子ほども歳の離れた高卒ルーキーの小野に丁寧にボールを預けるのを見ているだけで、ある種の感慨が湧いてきた。


 今は、代表の中心選手の多くは海外リーグに所属しているし、ドゥンガやストイコビッチのような世界的スターもJリーグにはいない。人々の興味が薄らぐのは仕方ない。にもかかわらず、従来通りの東西対抗という枠組みを漫然と続けていることに、問題があるのだと思う。そこからは何の対立軸も生まれない。

 頭を働かせれば、今のJリーグの中からも、人々の興味を引くような対立軸を見いだすことはできるはずだ。
 20代半ばの代表選手の多くが海外リーグに去ったのであれば、今のJリーグにいるのは、主に「老練な元代表選手」と「若いスター予備軍」ということになる(外国人選手の多くも、このどちらかに属している)。それなら、その両者を対決させてみたらいい。26歳あたりに線を引いて、その上下でオールスターを投票で選ぶ。代表歴のあるなしで分けてもいい。
 今それをやれば、たぶん「ほぼフランス大会代表」VS「ほぼアテネ五輪代表」になるだろう。これは結構面白そうではないですか。

 Jリーグオールスターといいながら対象がJ1だけ、というのも解せない。J1とJ2のオールスターを戦わせてみたらどうだろう。J2オールスターをカズが率いてJ1オールスターと戦ったら…。J2の存在感を世間にアピールし、リーグの階層化というプロ野球にはない特性を知らしめる効果もある。もしJ2が勝ってしまえば、次の対戦はさらに盛り上がるだろう。
 ほかにも、静岡で開催する年には「静岡県出身者選抜」VS「その他選抜」にするとか、組み合わせはいろいろあるはずだ。

 これは純然たる見世物なのだから、従来の形式に囚われる必要はまったくない。年度ごとの継続性など必要ない。むしろ、毎年新しい組み合わせを持ってきて、今年は何が見られるだろうかと期待させるくらいでなければ、ファンに飽きられても仕方がない。代表の劣化コピーのようなチームでなく、代表の試合とは違うものを見せることを考えなければ。

 私がオールスターの継続にこだわるのは、今のJリーグのシーズンが、なんとなく始まってなんとなく終わってしまう印象があるからだ。
 今年の2月から3月にかけて、サッカー界の最大のイベントはワールドカップ最終予選だった。去年は一次予選とアテネ五輪最終予選が並行して行われていた。どちらの年も、Jリーグの開幕はそれらの陰でかすんでいた。来年の春には、世間はドイツ大会のことしか考えていないだろう。
 シーズンの終わりはどうか。天皇杯と日程がかぶるのはいつものことだ。そして、今年からはチャンピオンシップもない。優勝を争う2、3のチームが注目されて、それで終わりだ(降格争いもあるけれど)。

 いつのまにか始まって、毎週試合をして、年末近くにどこかが優勝して、それで終わる。そんな、いささかメリハリに欠ける長いシーズンの中に、Jリーグ全体が集結するお祭りのような機会があってもいいのではないか。代表選手以外は一般メディアからろくに相手にされないという風潮に抗う機会にもなるはずだ。Jリーグの顔役たちが一堂に会する機会が、年末の表彰式だけというのでは寂しい。

 多くの人が言うように、今のオールスターには、あまり魅力はない。だが、まだ工夫の余地はあると思う。「このまま続けるか、やめるか」という二者択一のほかにも、選択肢はある。


注)
「両方に選ばれた宮本や中沢」という記述は勘違い。結局、ジーコはオールスターに選ばれた選手を東欧遠征から外し、ワールドカップ予選等のために日程上かなり協力してもらったJリーグに今回は譲歩した、という形をとった。(2005.9.27)

追記)
「折り返して逆サイド」経由で、オールスター擁護のfootさんの意見を読んだ。クラブへの愛情に満ちたいい感じの文章です。ご一読を。

「ボールとその周りのこと:Jリーグ オールスターについてその2」
「折り返して逆サイド:素晴らしきオールスター」

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「馬鹿な若者が自民党を勝たせた」のか?

 東京新聞に「こちら特報部」という見開きの特集面がある。日々のニュースの中から特定の話題について紙幅を割いて紹介する欄だ。見たことのない人は、週刊誌の2〜3ページの特集記事を想像していただけばよい。複数の識者に意見を聞いてコメントを並べただけで掘り下げ不足の日もあるが、拙速を恐れずに旬のテーマを採り上げているので、たいていはそれなりに面白く読める。

 9月13日付のこの欄のテーマは、「若者はなぜ自民党に投票したのか」だった。
 今回の衆院選では、従来あまり投票しなかった「都市部」「若年層」が動いたことで投票率が上がり、その多くが自民党を支持したと言われている。
 記事の中で根拠として示されている共同通信の出口調査によれば、全国11の比例ブロックのうち、20代前半は、北海道を除く10ブロックで自民党支持者が最多だったという。30代の8ブロック、40代の9ブロックより多いと書いてある。20代後半については言及されていないのは何故なのだろうか(笑)。
 と、まあデータはいささか怪しげだけれども、「若者が自民党に投票した」こと自体は、ここでは疑わないことにする。

 記事は2ページにわたっているが、右半分は12日に渋谷と秋葉原の街頭でつかまえた若者のコメント、左半分はいわゆる識者のコメントで構成されている。それぞれをかいつまんで引用する(カッコ内は私が補足した)。


<若者の声>
●22歳・女性・飲食店員/渋谷
「小泉さんがいいと思ったのは、おれは死んでもいいと言ったこと。格好いいなと思った」「いつその言葉を聞いたのかは忘れたけど…命がけでやってるというのが顏から伝わってきた。だから入れた」
(郵政民営化の中身はよくわからないが)「でも分からなきゃ投票しちゃいけないってわけじゃないでしょ。ほとんど分からないままじゃないの?」

●25歳・男性・会社員/渋谷
「ネットでみんなが自民党を支持してた。何となく行かなきゃと思って」

●21歳・不明・コンビニ店員/渋谷
「亀井さんとか自民党の中の悪いのを敵にしてやったんでしょ、今回は。そういうのをズバッと切ったんでしょ。なんかクールっていうか格好いいじゃない」

●20歳・不明・大学生/秋葉原
(岡田は)「小泉さんに比べて本気度が足りないことが透けて見えてしまっていた。手法は強引でも、やっぱり小泉さんの方がリーダーとして頼りがいがある」

<識者の声>
●藤竹暁・学習院大名誉教授
「今の若者は大学に入りたければ苦労せずに入ることができるし、ニートであってもアルバイトする口はいくらでもある。快楽が簡単に手に入り不満も感じていない。一方で、新しい方向性をほしいとも考えている。そんな若者の気質に小泉的な手法がうまく同調した」
(野党は)「政策を訴えるとしながら、小選挙区でやっていたことは自民党と変わらないドブ板選挙。政策、政策という野党の姿勢が浮いてしまった」

●矢幡洋・矢幡心理教育研究所所長
「個人が何か強い決断をするというドラマを好むようになった。特に今の二十代は、いじめ問題をくぐり抜けてきた世代で、目立てばいじめられるため角が立つことに対する恐怖感がある一方で、強い者の決断を、内容を問わずにリスペクト(尊敬)する。つまり思考放棄だ」

●千石保・日本青少年研究所所長
「改革を止めるなっていうキャッチフレーズは若者言葉。元気がいい。ただし中身は問われていない。まさに流行だしファッションなんだが、ある意味小泉首相自身が若者化していると思う」
「本来ならば外国との関係はどうするのかや、財政問題はどうかといった、いろんなことを考えた上で投票すべきだが、そんな余計なことを持ち出したってスパッと割り切れないから面白くないと排除されるだけ。民主党がテーマにした年金問題は確かに大事な問題だが、若者向けの言葉になじまなかった」


 記事は結論らしい結論を明記してはいないけれど、「こちら特報部」が、「若者が馬鹿だから自民党が大勝した」と考えていることは明白だ。
 東京新聞は従来から市民寄り・人権重視の姿勢が強い新聞だ。社としても個々の記者も、自民党の圧勝をネガティブに感じていることは想像に難くない。だが、だからといって、こんなふうに、はじめに結論ありきの記事をお手軽にでっちあげることで民主党の敗因を糊塗しようという姿勢はいただけない。

 右半分のページ(若者の声の部分)では渋谷と秋葉原の若者の声を紹介している。上に引用した談話のうち、最初の3人は渋谷だ。渋谷では何人と話し、うち何人が自民党を支持したのかは明らかにされていない。
 秋葉原では、声をかけた約30人のうち自民党に投票したと明言したのは、上記談話の1人しかいなかったという。それなら若者の大多数は自民党を支持していないではないか(笑)。
 記事の末尾で、記者は「きちんと意見を話す若者のほとんどが野党の支持者だ。雰囲気から自民党に入れたなと感じられた若者もいたが口は重かった」と総括している。
 たぶん、彼らの口が重かったのは、自民党に入れたと言ったら、この記者に説教されそうな嫌な雰囲気を察したからではないだろうか(笑)。

 後半の識者たちの声も、かなり恣意的な感想というほかはない。例えば、千石保という人の「改革を止めるなっていうキャッチフレーズは若者言葉」という談話には、どのような根拠があるのだろうか。
 彼らの言葉はパターン化された若者像をなぞっているだけで、具体的な裏付けが感じられないし、示されてもいない。「思考放棄」「スパッと割り切れないから面白くないと排除されるだけ」という彼らの言葉は、彼ら自身にもあてはまるように思う。そして、この記事全体に対しても。
 彼らが暗に示している結論そのものは、もしかすると正しいのかも知れないが、仮にそうであったとしても、結論に至る過程が杜撰でよいというものではない。

 この、ある意味でありふれた記事について長々と批判してきたのは、「電波なる日記(改)」というblogの「野党の驕り」というエントリを興味深く読んだばかりだからだ。管理人のホームス氏は22歳の大学生(院生かも)。今回の衆院選で、地元の民主党代議士の選挙運動を手伝った経験を通じて、民主党の敗因を厳しく描き出している。


 例えば、選挙戦術の一つで、旗を持ってみんなで声を挙げながら商店街などを練り歩く、俗に「桃太郎」と呼ばれるものがあるのだが、私はここでもとてつもない違和感を感じていた。掛け声の内容がおかしい。

「サラリーマン増税に反対の(代議士の名)でーす」。
増税反対か。国債の額をみれば増税やむなしの状況のはずだが。国民も既に覚悟している気配があるのに、そんな事いって、実現性を信じてもらえるのだろうか?
「地下鉄7号線延伸を推進する(代議士の名)でーす」。
 何か、利権政治家っぽいな…。
「中学卒業まで子供手当て。(代議士の名)でーす。」
 バラマキにしか聞こえないのですが…。
「政権交代で日本を変えます。(代議士の名)でーす」。
 この状況で政権交代ができるとでも?聞いている人は嘲笑していることだろうな…。

 こんな調子。耳障りの良い言葉ばかり公約に掲げて実現したことのない旧社会党候補みたいだ、と感じていた。 


 彼が働いていた選挙事務所の幹部たちは、公示段階でも極めて楽観的で、「今回の小泉ブームはただの風にすぎない。2週間の内に有権者も気がつくだろう」という空気が事務所内を支配していたという。気がついていなかったのは彼らの方だった、ということだ。

 東京新聞の記事で藤竹暁が「小選挙区でやっていたことは自民党と変わらないドブ板選挙」と話していたことの実態が、まさにこれである。貴重なレポートだ。全国の選挙事務所で同じことが行われていたのなら、大敗は必然だった。

 優れた観察眼と批評眼(と文章力)を備えているホームス氏も22歳、「若者」の1人だ。もし東京新聞の記者が渋谷の街頭で彼に出会っていたら、記者は彼の談話をどう扱っただろうか。少なくとも「こちら特報部」の視野の中に、ホームス氏のような「若者」は入ってはいない。

 私は東京新聞の報道姿勢について、(時々懸念を感じることはあるけれども)基本的には高く評価している。だからこそ、こんなお手軽なでっち上げ記事で、敗因を若者に押し付けてよしとして欲しくはない。この記事からは、ホームス氏が民主党関係者たちに感じたような「驕り」の匂いが漂ってくる。

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フルスタに観客がいるうちに。

 9月11日は仙台にいた。
 東北出張の帰りに、フルキャスト宮城で楽天イーグルスの試合を見てきた。13時からのデーゲーム、相手はソフトバンク・ホークス。
 ボールパーク構想をぶちあげてスタートした野球場がどのようなものか、初年度のうちに一度見ておきたいと思っていた。

 フルスタの最大の長所は、仙台駅からシャトルバスで5分、徒歩でも20分弱という立地だろう。試合が終わってから歩いて仙台駅まで行くことがまったく苦にならない距離だ。
 試合前の球場外には、さまざまなテントの屋台が並び、一般参加らしいダンスパフォーマンスも行われていた。賑やかな雰囲気は悪くない。試合中もチケットさえあれば出入り可能で、場外の屋台村は賑わっていた。ホーム側である三塁側スタンドの外側には、東北名産の屋台のほかに、足湯につかりながらテレビで試合中継が見られるテントなどもある。レフトスタンドの背後には芝生に覆われた小山があり、ここで観戦することもできる。山の裾では子供たちが跳ね回って遊んでいた。

 という具合になかなかいい雰囲気もある反面、ネット裏スタンドの下では、試合開始15分前にはすべての弁当ブースが売り切れになっていた。食品の持ち込みを禁じておきながら供給できないのでは話にならない(球場内の売店の軽食は売られていたから飢えることはなかったけれど)。
 開幕前にこのblogでネット裏の座席幅が話題になったことがあったが、結論から言えば、他の球場の椅子と大差なく狭い。成人男子が並んで座れば接触を避けるのは難しいから、座り心地は快適とは言えない。値段のせいもあるのだろうが、他のエリアよりも空席が目立つ。リンク先に引用した三木谷オーナーの考えは、現時点では絵に描いた餅に過ぎない。
 結論としては、部分的には工夫していい雰囲気を作っている面もあるけれど、全体として他球場よりも画期的によいものを提供しているというほどではない。「ボールパーク構想」は道半ば、というところだろう。
 印象に残ったのは、球場のハードウェアや球団のサービスよりも、フルスタに集まった観客の方だった。

 7回表のソフトバンクの攻撃中のことだ。スタンドのあちこちで、ボンッ、ボンッと音がする。
 昼間から花火でもあるまいし、何だろうと思ったら、風船が破裂する音だった。
 7回の攻撃に先立ち、それぞれのチームのファンが、それぞれのチームカラーの細長い風船を飛ばす風習は、ここ仙台の地にも移植されていた(私はこれがあまり好きではないが、今は棚上げにする)。
 どうせ球団歌が流れた後で飛ばすのだから、7回表が終わってから膨らませても間に合いそうなものだが、楽天ファンの多くは、7回表が始まった途端に風船を膨らませて待機していた。ところが、力んで空気を吹き込みすぎるのか、ソフトバンクの攻撃が長すぎたせいなのか、あちこちで風船が破裂してしまう。5人や10人ではない。私の耳に聞こえただけでも30や40は鳴っている。
 スタジアムで風船を飛ばす場面には何度も居合わせたが、こんなに破裂させてしまうのは珍しい(フルスタではトランペット等の鳴り物が禁止されているのでよく聞こえた、という可能性もあるけれど)。

 きっとこの球場の観客は、野球を見ることに慣れていないのだろうな。
 そう思い至った途端に、いくつもの場面が思い当たった。
 狭い座席幅にもかかわらず思い切り足を広げて座る、隣の席のおっさん。楽天の打者の凡フライにも大声で騒ぎ立ててしまう、その隣の席のおっさん。インプレー中に人の前を横切って買い物に行くおばさん。私の周囲だけでなく、あちこちで似たような光景が目に付いた。
 もちろん他の球場でもそういう手合いはいるけれど、ここでは遭遇する確率が異常に高い。いずれも野球や野球場に慣れていないために起こることだといってよい。

 もちろん、四半世紀の空白の後に、突然球団ができたばかりなのだから、不慣れなのは当たり前だ。逆に、野球を見慣れていないが故に起こる、いい面もある。

 試合は楽天が一場、ソフトバンクが新垣の先発で始まった。一場がいきなりコントロールを乱して4失点するも、楽天はその裏すぐに3点取って追いすがり、2回以後は両投手も踏ん張って0行進が続く。6回裏、楽天は守備の人・酒井の鮮やかな本塁打で追いつくが、追撃ムードの高まった7回表に、ホークスは城島の3ラン本塁打で突き放す。試合はそのまま9回へ。楽天の敗色は濃厚だ。
 だが、9回裏になっても、観客はほとんど帰ろうとしない。先頭の吉岡が三塁線を破ると、スタンドの盛り上がりはこの試合で最高潮に達した。そしてそれは、最後の打者がアウトになるまで続いた。

 夢一杯の開幕直後ではない。すでにペナントレースの趨勢が決した9月である。敗戦に敗戦を重ね、最下位を独走し、プレーオフ参加権への争いからも脱落したチームが、9回裏に3点をリードされてなお、球場全体から大きな声援を受ける。鑑賞モードの観客は少なく、ネット裏でもほとんどが楽天を応援して手を叩き、声をあげる。
 ホーム側外野席だけでなく、すべてのスタンドでいい大人がユニホームを着用している割合は、たぶん他球場よりも高いと思う。こんな幸福なチームは他にない。

 他にないと思いつつ、ではこのチームは、この初心で無邪気な観客たちに幸福をもたらしているのだろうか、ということも考えてしまう。
 勝利の喜びを与えることはめったにない。一目見られれば満足というほどのスーパースターもいない。個人成績で突出した数字を残している選手もいない。しょっちゅう試合をしてはいるけれど、「ああ、今日はあれが見られて良かった」と観客に思わせるほどの何かが起こることは、おそらくは多くはないだろう。
 それでいいのだろうか。

 選手個々の能力が足りないのは仕方のないことだ。2割5分の打者が、仙台に引っ越して気合を入れたからといって、いきなり3割打てるようになるわけではない。チームが勝てないのも、ある程度は仕方ない。
 しかし、どんな選手にも「頑張る」ことはできる。

 周囲のおっさんたちが叫ぶ声を聞いているうちに、このチームの選手たちに求められていることは、「わかりやすく頑張ること」なのではないかという気がしてきた。
 サッカーでいえばFC東京のように、とにかく一生懸命に走ること。内野ゴロでも一塁に全力疾走し、捕れそうにない打球にも体を投げ出して追いすがる。攻守交代の際にも走る。
 口の悪い言い方をすれば、少々高度なプレーをしたところで、フルスタの観客の多くには理解できないだろう。その打球が捕球可能なのか難しいのか、などということを判断できる観客も、おそらくはほとんどいない。ただし、選手がその打球を捕るためにどれほど必死になっているかは、誰にでもわかる。それなら、誰にでもわかるようなプレーをしてみせるのが、この無償の声援に応えることではないのだろうか。

 観客の特性を抜きにしても、楽天の選手は大人しすぎる。ベテランが多いせいもあるのだろうが、「闘将」とか「突貫小僧」とか「火の玉」などと渾名されるようなタイプの選手は皆無といってよい(強いて言えば、中日で活躍していた頃の関川ぐらいか)。みな、淡々と静かにプレーしている。どんな不甲斐ない試合をしても9回裏まで応援し続けて貰えることに、特にありがたみを感じているようにも見えないし、だからファンのために頑張ろうと思っているようにも見えない。
 選手たちも、心の中では深く感謝しているのかも知れない。だが、スタンドからプレーを見る限り、それはあまり伝わってこない。そして、観客にとってはそれがすべてなのだ。プレーを通じて感謝を表現できるような選手が、せめて1人や2人くらい出てこないものだろうか。

 厳しい言い方をすれば、フルスタの声援は選手にとってはぬるま湯だ。勝てなくても、打てなくても、変わらぬ声援を送ってくれる(宮城県出身の水谷秋夫さんは、仙台には穏やかな人が多い、と書いている)。
 だが、それがいつまでも続くという保証はない。もし、それが観客たちの経験不足によるものだとしたら、今のような試合が続いていけば、いつかはイーグルスのファンたちも、ベガルタサポのように怒りを露にするか、あるいはフルスタに足を運ぶことをやめてしまうことになる。
 それがプロ野球選手にとって、球団にとって、どんなに怖いことであるのか、まさに身をもって体験してきたのが楽天の選手たちではなかったか。あらゆる手を尽くして観客をスタジアムに惹き付け続けなければ、自分が野球をする場を失うのだということを知っているはずの彼らが、1年も経たないうちに、惰性のようなプレーをしてしまうのでは、まったく救いがない。
 今、試合に出ている選手が大人しい性格ばかりで、わかっていてもできないというのであれば、編成サイドのこのオフの最大の課題は「闘将」「突貫小僧」系の選手を獲得することだろう。

 ただし、獲得したとしても、現場がその選手を重用するかどうか、という問題も残る。田尾監督をはじめ、今の楽天のコーチ陣の中に、現役時代に闘志を剥き出しに戦っていた人物は見当たらない。楽天の現在のチームカラーには、首脳陣のそんな肌合いも影響しているように思える。

 楽天が優勝を争うようなチームであれば、ここまでは言わない。だが、勝つことでファンを喜ばせる見込みのほとんどないチームである以上、勝利の代わりに何をもってファンを喜ばせ、満足させるのかについては、真摯に考える必要があると私は思う。フルキャスト宮城が観客で埋まっているうちに、そこに思いが至らなければ、いずれ空席が増えていく。そうなってからでは遅いのだ。
 今、スタンドに座っている観客に「また来よう」と思わせるのと、「楽天の試合なんかつまらない」という判断を下してしまった元観客の気持ちを再びフルスタに向かわせるのと、どちらがより困難であるかは言うまでもないのだから。


追記(2005.9.12)
フルキャスト宮城のハードウェア面については、楽天イーグルスの公式サイトよりも、施工にあたった鹿島のサイト内にある特集「フルキャストスタジアム宮城に行こう」が詳しい。このオフ以降の改装計画についても紹介されている。来シーズンになれば客席も増設される予定だが、今でさえ満席になってはいない。

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再び、小泉純一郎の言葉について。

 以前、「失われた『失言』」というエントリで、小泉純一郎の言葉の使い方について書いたことがある。小泉が首相になってから失言で職を追われる政治家がいなくなったのは、小泉自身が率先して失言しまくっているからだ、という趣旨だった。

 4月に刊行された保阪正康『戦後政治家暴言録』(中公新書ラクレ)は、吉田茂、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘ら戦後の政治家たちの主な失言・暴言を、その時代背景とともに紹介しているが、保阪もやはり、小泉の暴言を、従来とは質の異なるものだと感じているようだ。小泉だけでなく、小泉政権下で石原都知事や田中真紀子やその他の政治家たちが口走ったさまざまな暴言・失言を分析した後、本書の末尾近くに保阪はこう記す。

「この社会から真面目に討論する、議論するという姿勢が失われてしまったために、用いられる言葉はますます限られてきて、言論はしだいに死滅していく。政治家にとっても、言葉は命綱ではなく、サービス業者がしばしば用いるおためごかしのツール(道具)と化しているという時代に入っている。」

「政治家と有権者の間の緊張感は常に必要である。その緊張感から逃げているのは有権者である私たちなのかもしれない。だから政治家は言論を軽視し、有権者と握手をし、泣を涙し、絶叫すれば当選するとの錯覚をもつのだろう。その錯覚が、小泉政権下の政治家の暴言・失言につながっていると見れば、私たちは不気味な時代に生きていると気づいてくるではないか。」

 政治家の言葉が「おためごかしのツール」であるのは今に始まったことではないから、ここに引用した保阪の見解は、小泉純一郎に対する説明としては、いささか古臭く感じられる。
 むしろ、そういう嘘臭い政治家たちの中では、彼の言葉が異彩を放っていたからこそ、小泉は多くの人々に支持された。そして、その魅力は今回の選挙でも発動され、再び人々の心を捉えている(少なくとも現時点での世論調査結果においては)。

 だが、例えば「郵政改革さえできずに、どんな改革ができるというのか」という類いの彼の言葉の「強さ」は、国会でイラクのどこが非戦闘地域なのかと問われて「そんなこと今私に聞かれたってわかるはずがない」と答弁した時の、身も蓋もない「強さ」と、どこか似通っている。
 彼の言葉の「強さ」は、事態を極限的に単純化することから生まれる。それは、議論を矮小化し、人々の注意を一点に引きつけ、相手の言葉を無力化するための武器として用いられる時、強い威力を発揮する。それ自体は、彼の政治家としての能力の高さを示すものと言えるだろう。
 だが、彼の言葉は、議論を深め、新しい何かを生み出す方向には向かおうとしない。彼の言葉は、自分と他者との間に線を引き、自分を丸ごと受け入れる者だけを認めることで、人々を峻別する方向に向かう。むしろ、公約不履行を問われて「この程度の約束を守らないことは大したことではない」と答えるような杜撰な言葉を繰り出すことは、「それでも自分を選べ」と人々に踏み絵を踏むことを迫っているような印象さえ受ける。

 小泉の前任者である森喜朗も失言の多い首相だったが、それはあくまで森自身の人間性に属するものでしかなかった。
 しかし、小泉の言葉の軽々しさ(具体例については『戦後政治家暴言録』や前エントリをご参照いただけれ幸甚)は、ひとり小泉の人格にとどまらず、首相という地位や国会という場を無力化していく力を備えているように思えてならない。それらの発言は正式な答弁として記録され、前例としてスタンダード化していくことになる。彼の後任者たちが似たようなことをやりはじめた時、止めることは難しくなる。

 8月に衆院が解散してから、郵政民営化の是非であるとか、小泉政権が残してきた実績であるとか、「小泉改革」と呼ばれるものの内容が米国政府から要求されている「年次改革要望書」とどれだけ似ているかとか、いろんなことについて浅薄ながらも考えてきた。

 だが、結局のところ私にとって、小泉純一郎とは「構造改革者」や「郵政民営化論者」や「靖国参拝者」である以前に、「言語を紊乱する者」である。
 言葉というものの重み、議論というものの意義を、これほど強い影響力をもって破壊し続けている人物は他にいない。石原慎太郎や田中真紀子の暴言とは次元が違う。私には、それが怖い。

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「三角ベース普及プロジェクト」からの呼びかけ。

 一月半ほど前に書いた『三角ベースの復権』というエントリの中で、「アフリカ野球友の会」による「三角ベース普及プロジェクト」について紹介したところ、どういうわけか「アフ友」会長の友成晋也氏の知るところとなり、ご本人からコメントをいただいた(なんだか気恥ずかしいものがありますが)。

 本日、その三角ベース普及活動をしている木村真治氏から、『三角ベースの復権』のコメント欄に長文の書き込みをいただいた。過去のエントリのコメント欄よりは、新しいエントリを立てた方が多少なりとも人目につくだろうと思うので、こちらに転載しておく(木村さん、万が一ご異存がありましたら削除しますのでご連絡を)。

*************************

念仏の鉄さんこんにちは。

私は、先日友成くんにより紹介されました、「ならしの三角ベース復活プロジェクト」の代表をしています、木村と申します。

もともと、私と友成くんは前職の同期です。
たまたま今年同期会があったとき、私は習志野のまちおこしとして「野球」に注目しており、友成くんに何かいいアイディアがないかと話したことが、このプロジェクトの発端になりました。

今では単なる「まちおこし」のような小さな考えではなく、「社会問題の解決のための一つの有効な策」ととらえて、習志野市長等の市の幹部と、いかにしてこのプロジェクトを成功させられるか検討しております。

私達は
・子供達を公園に戻す
・世代を超えた交流の場を作る
・野球の底辺を拡大する
・国際交流をする
事を「三角ベース」というツールを使って実現していきたいと考えています。

理想の姿は市内のつづ浦々に「三角ベース認定原っぱ」を作り、そこを地域の交流の場にする事です。
近所の方に「三角ベース普及委員」になっていただき、広場で子供達と一緒に遊んでもらう。
お父さんやお母さん達も一緒に遊び、世代を超えた交流をする。
そんな事を通じて、今弱くなっている人と人との絆を築けないかと考えています。

大きなテーマなため、朝日新聞やNHK等のマスコミが社会問題の解決を「大人と行政が一緒に考えているプロジェクト」として注目してくれています。
また習志野高校OBの谷沢健一さんなどの、そうそうたる方々の応援も頂いています。

しかし、理想は高く、注目も大きいものの、現実的な心配は「子供達が本当に公園で遊んでくれるか」「世代を超えて一緒に楽しめるのか」という、極めて根本的なものです。

そのためにどこからこのプロジェクトを進行するか、どうやって仲間を作るか等、頭を悩ましております。

現在、普及活動を
・小学校の学童保育(1年から3年生)
・千葉ロッテとの協働(Jリーグのようにトップチームの底辺として三角ベースリーグを作る)
・地元の少年野球チームの下部組織(幼稚園から基礎を教える)
・総合型地域スポーツクラブ(習志野に3団体ある地域密着の3世代参加のクラブ)

あたりからはじめていこうと思っていますが、「で、誰が教えるの?」等、問題が山積みです。

現在友成君は名古屋に赴任しており、習志野におけるプロジェクトは私が中心となって(というよりほとんど一人で)動かしています。

こういった場で、みなさんのご意見を頂けると大変参考になりますので、是非ご意見をいただければと思います。

よろしくお願いします。


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 活動の詳細は「三角ベース普及プロジェクト」および「アフリカ野球友の会」を参照されたし。
 ご意見その他は本エントリのコメント欄にどうぞ。

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今日が日本の敗戦記念日。

 日本が第二次大戦に敗北した日は、何月何日でしょうか。

 そう問われたら、ほとんどの日本人が8月15日と答えるだろうと思う。
 8月15日は、昭和天皇が敗戦を受け入れることを、ラジオ放送を通じて国民に呼びかけた日だ。いわゆる「玉音放送」である。

 昭和天皇と日本政府がポツダム宣言を受諾することを決め、連合国軍に向けてその旨を通告したのは8月14日。そして、東京湾までやってきたアメリカの戦艦ミズーリ号の上で、日本の代表が降伏文書に署名したのは、今日9月2日だ。
 イラク戦争のように敗戦国の政府が瓦解して降伏する主体が存在しない場合には、戦争の終わりを特定するのは難しい。しかし、日本の場合はそうではなく、極めて明瞭な形で日付が特定できる。アメリカ合衆国は今でも日本に対する戦勝記念日(VJ-Day)を9月2日としている。

 それなのに日本人が「8月15日」を「終戦記念日」にしているのはなぜか、という問題については、佐藤卓己『八月十五日の神話』(ちくま新書)が詳細に分析している。一言でいえば、それは戦後メディアが作り上げた「神話」だ、というのが佐藤の考えだ。そして、メディアがなぜそうしたかといえば、旧盆という死者を追悼する伝統行事との結びつきが大きい、と佐藤は考えている。卓見だと思う。

(スポーツ系blog(笑)としての関心から言えば、夏の甲子園もまた事実上お盆の行事の一環であり、それ故に坊主頭や女人禁制が長年守られ、頑ななまでの倫理性が要求されるのだ、という佐藤の考えは傾聴に値する。ただし、旧日本軍が、上官が理不尽に一兵卒を殴りまくることが日常化した組織であったことを考えると、甲子園の優勝校で部長が部員を数十発殴っただけで優勝を取り消すの取り消さないのという騒ぎになるのは、いささか皮肉な現象でもある)


 「8月15日」を「終戦記念日」とする風習には、2つの点で、まやかしがある。

 ひとつは、上述の日付の問題。
 戦争には必ず敵が存在する。敵がなければ始まらないし、終わりもしない。その意味で戦争とは、徹底的に国際関係の中に起こる現象である。
 だが、「玉音放送」をもって戦争の終結とする認識の中に、相手国は存在しない。あれは日本国民に向けた内輪の宣言であり、対戦国に対するものではない。「玉音放送」がそのまま世界中に放送されたと思っている人はいないだろうが、ではアメリカやイギリスや中国はいかにしてそれを知りえたのか、という疑問は、例えば甲子園の黙祷中継の中からは生まれようがない。

 もうひとつは「終戦」という言葉の持つニュアンスだ。
 「終戦」は、勝敗に対してニュートラルであり、まるで自然現象として戦争が勝手に終わったかのような印象を与える。「敗戦」の苦々しさは、そこからは綺麗に漂白されている。
 日本がアメリカと戦争をして敗けたことを知らない若者が一定数存在するらしいという噂をしばしば耳にするが、これが「敗戦記念日」と呼ばれていれば、少なくとも日本が戦争で敗けたことだけは自動的に認識されるはずだ。

 この2つのまやかしに共通する心性は、「徹底的に内向き」であることだ。日本人の外交感覚の欠如は、例えばこのような事象によって日々涵養されているのだろうと思う。

 8月15日に黙祷を捧げることをやめろとは言わない。死者を悼む儀式は必要だ。上述の本の中で佐藤卓己は「ひとまずは戦争責任の議論と戦没者の追悼は、その時空を切り離して行なうべきだと考える。そのためには、お盆の『8月15日の心理』を尊重しつつ、夏休み明けに『9月2日の論理』をもつべきだろう」と書いている。
 「八月一五日を『戦没者追悼の日』、九月二日を『平和祈念の日』としたい。八月一五日のお盆に慰霊供養を行い、九月二日には近隣諸国との歴史的対話をめざすべきだ、と私は考える。すなわち、民俗的伝統の『お盆=追悼』と政治的記憶の『終戦=祈念』を政教分離するのである」
 9月2日の存在を国民に認識させることが、まず必要だと私も思う。8月15日だけでは足りない。

 偉そうに書いてきたが、私自身も、敗戦が確定した日が9月2日であることをはっきり認識したのは、つい数年前に過ぎない。私が間抜けなだけならよいけれど、そういう人が圧倒的に多いのだとしたら、それはやはりいささか間違ったことだと思う。今日のテレビ欄に、敗戦に関する特集番組は見当たらない。8月15日前後には、あんなにたくさんあったのに。

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