矢島裕紀彦『大矢明彦 ベイスターズの真実』小学館文庫 <旧刊再訪>
下のエントリおよびコメント欄で、野村克也が楽天イーグルスの監督として不適格である理由ばかり並べたてているうちに、だんだんうんざりしてきた。人の悪口を書いていても楽しくはない。このblogの読者は誰も信じてくれないかも知れないが(笑)。
野村が向かないなら誰が向いているのか、と自問自答してみたら、答えは案外あっさりと出た。現在、日本プロ野球で監督・コーチ職についていない人物の中では、元横浜ベイスターズ監督の大矢明彦がベストではないかと私は思う。
大矢は1996年から2年間、ベイスターズの監督を務めた(その前に3年間コーチをしている)。
96年は前年からひとつ順位を下げて5位となったが、97年には終盤までヤクルトと優勝を争った末に2位。いよいよ来年こそ勝負…というオフに、いきなり解雇されて、後任には投手コーチだった権藤博が就任した。ずいぶんと大胆な球団の決断だと驚いた記憶がある。
翌98年に権藤ベイスターズが日本シリーズを制したため、すっかり陰が薄くなってしまったようだが、万年Bクラスのチームを、優勝を争うレベルにまで引き上げたのは大矢だった。
当時のベイスターズの野球を、私がそれほどつぶさに観察していたわけではない。大矢の手腕に気づいたのは、彼がベイスターズ監督の2年間にやったことをじっくりと語った『大矢明彦 ベイスターズの真実』を読んでからだ。98年のオフに刊行されているから、ベイスターズ優勝に便乗した本と言えなくもないが、これだけの内容が出版物として残ったのだから、むしろ便乗商法に感謝したい。元監督が書いたり話したりした本はたくさんあるが、選手への指導内容をここまで克明に記したものを私は知らない。
大矢が楽天の監督に向いていると私が考える理由を、本書の大矢発言を引きながら挙げてみる。
1)弱体投手陣を率いる術を知っている
「継投する場合というのは、あまりプレッシャーがかかった場面だと、次のピッチャーがなかなか力を出せないですよね。基本的に言うと、僕は(中略)次に投げるピッチャーができるだけ有利な状態で行かせるというのを一番の条件にしてた。なるべく傷口が大きくならないうちに代えてやる。やっぱりその方が、思い切って力を出せますからね」
「いちばん消耗するのは精神力なんです。(中略)慌ててピッチングやって『また行かされるのかな』と思って、結局『またおれじゃない』と。そういうのが中継ぎはすごく大変ですよ。だから、もうその場面で使わなかったら、その日は使わないということをブルペンに言ってやる」
「先発に比べると、中継ぎというのは当然力が落ちる人ですよ。だから、余計に考えてやらないと」
当時のベイスターズも投手陣が強力とは言えなかった(佐々木という絶対的なクローザーがいたという点では恵まれていたが)。本書の中でも、大矢が当時の投手たちの特徴を、技術面から性格面まで、こと細かに把握していることに感心する。現役時、ヤクルトの捕手として駒不足の投手陣を支え、78年ヤクルト初優勝の立役者のひとりとなった眼力が、今も生きているのだろう。そして、そこから個々の適性を判断し、力が出せる場面で使うことを考え抜いていたことがうかがえる。
権藤ベイスターズでは「中継ぎのローテーション」が話題になったが、大矢もそれに近いシステムを作っていたことも本書には紹介されている。引用したような配慮をしながら若い投手陣を使っていけば、その投手が持つポテンシャルを最大限に引き出せる可能性は強まると思う。
2)若手選手を育成する能力がある
「石井はあれだけ幅広い動きができて、肩があって、野球に対する考え方もすごくまじめ。何とか自分でもっとうまくなりたいという部分をいつも持っている選手だし、こういう選手にやっぱり一番大事なポジションを任せるようにしないと、チームの土台ができないというのが僕が考えたことですね」
石井琢朗を三塁手から遊撃手にコンバートした理由。石井は期待通り、リーグを代表する遊撃手になった。
「僕が鈴木にいちばん何を言ったかっていったら、守ることですよ。」「あいつの守備、えらい下手くそでしたから。『スーさん、おまえに守備固めを出すようだたら、クリーンアップは打たせられないな』ってことを、僕は言いましたね。」
レギュラー定着前の鈴木尚典に対して。彼は97年に首位打者を獲った。
「あんまり頭から谷繁に難しいことは言わなかったんです。やっぱりゲームに出て経験して自分で掴んだものがいちばん確かだし、身につきますから」
バッテリーコーチ就任時にはチーム内で評価が低かった谷繁について。大矢は監督に就任すると谷繁を正捕手に抜擢し、彼は後にリーグを代表する捕手になった。
大矢の話には、とにかく選手に対するネガティブな評価が出てこない。欠点を指摘することはあっても、「…だから、こんなふうに使ってやらなければいけない」と続く。あらゆる選手に何らかの可能性を見いだし、戦力として生かそうとするのと同時に、試合の中でも成長させていこうと考える。
本書には、二死一、二塁の場面で二塁走者の石井が三盗を試みて失敗したエピソードが紹介されている。石井が「三盗したい」とベンチにサインを送り、希望通りに走らせたら刺された。打者がローズだっただけに、新聞では批判されたという。
「石井なんて、ここ一発っていうときに絶対スチールを成功させてほしい選手なんだ。そういうの、選手がやる気になって、やろうってときにやらせとかないと、ほんとにプレッシャーのかかる厳しい場面では走れませんよ」「失敗しても、それはそれでいい。僕の方は、そういう野球をしたかったから」
もちろん、当時の大矢は、そんな説明を新聞記者にしたりはしない。黙って批判に甘んじるだけだ。失敗を恐れない大矢の姿勢が、チームを変えていった。
「そういう気持ちにならないと、やっぱり野球が生きてこない」「みんなある程度、自分たちが今までやれなかったこと、思ってもみなかったことに、チャレンジしだしたんです」
「そういう積極的な気持ちで野球ができるようになって、ゲームの中で動ける。そうなれば、十分戦えますよ。強いですよ。それこそ、そんなにアベレージが上がらなくたって、点が取れるようになるでしょ」
こういう指導者に、これから楽天を支えていくべき若手選手たちを預ければ、数年後には着実に成果が期待できそうだ。
3)明るいチームづくりができる
大矢の人柄を私はよく知らないが、プロ野球ニュースを見る限り、温厚そうな人物だ。
もっとも、ここで「明るい」と書いたのは、人柄の話ではない。積極的で攻撃的なチームを大矢は指向しており、それを「明るいチーム」と形容してみた。
本書の白眉は、以下のくだりだと私は思っている。
「ヤクルトがなんかやってくることに関しては、やられたらやられたで相手がうまいんだからしょうがないと。その代わり、相手がやってきそうな、俺が予測できることは、防ぎ方は全部、おまえたちに教えるから、防ぐことだけでいい。だから、自分たちが俺の言ったことを怠らないようにしてくれれば大丈夫だと、そういう話はしてました」
野村ID野球が猛威をふるっていた時代である。策士・野村が何か仕掛けてくるのではないか、こちらの出方はすべて読まれているのではないか、そんな疑心暗鬼に陥って、相手チームが勝手に自壊していく。そんな印象さえあった。
そういう時期に、大矢はこう言い切っていた。頭脳戦では負けない、と言ったも同然である。そして、その上でなお、違う野球を目指すのだ、と。
「僕は、やっぱり、お客さんが見て、ファンの人たちが見て楽しい野球を目指した。相手の裏をかいて、なんかこすっからくやるっていうよりも、今いる選手たちが一生懸命やって、はっきり言えば、打って、走って、点取って、それでピッチャーの人が抑える。そういうわかりやすい野球でいいと思った。その幅は、こっちでどんどん広げていくことはできますから。まず選手たちに、怖がらないでプレーをしてもらわなきゃね。僕はそれがいちばん大事だと思ってたんです」
選手の気持ちを大切にし、選手の中から積極性が出てくるように、しむけていく。
こういう姿勢の監督こそが、あのフルスタの雰囲気には似つかわしいと私は思う。
これほど言葉に説得力があり、実際に弱小チームを強くした実績を持つ指導者が、指導の現場にいないのは、実にもったいない話だと思う。なぜどの球団も彼を雇おうとしないのか、私には不思議に思える。大矢自身が何らかの理由でオファーを断っているというのなら別だが、新聞辞令でも候補に上ったという記憶がない。
これほどチームにうってつけの指導者が野にいるにもかかわらず、楽天野球団は見向きもしないらしい。過去2年間、監督と野球の質の低下に苦しんだ某在京球団あたりも、こういう人材に目を向けてみればどうかと思うのだが。
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