再び、小泉純一郎の言葉について。
以前、「失われた『失言』」というエントリで、小泉純一郎の言葉の使い方について書いたことがある。小泉が首相になってから失言で職を追われる政治家がいなくなったのは、小泉自身が率先して失言しまくっているからだ、という趣旨だった。
4月に刊行された保阪正康『戦後政治家暴言録』(中公新書ラクレ)は、吉田茂、岸信介、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘ら戦後の政治家たちの主な失言・暴言を、その時代背景とともに紹介しているが、保阪もやはり、小泉の暴言を、従来とは質の異なるものだと感じているようだ。小泉だけでなく、小泉政権下で石原都知事や田中真紀子やその他の政治家たちが口走ったさまざまな暴言・失言を分析した後、本書の末尾近くに保阪はこう記す。
「この社会から真面目に討論する、議論するという姿勢が失われてしまったために、用いられる言葉はますます限られてきて、言論はしだいに死滅していく。政治家にとっても、言葉は命綱ではなく、サービス業者がしばしば用いるおためごかしのツール(道具)と化しているという時代に入っている。」
「政治家と有権者の間の緊張感は常に必要である。その緊張感から逃げているのは有権者である私たちなのかもしれない。だから政治家は言論を軽視し、有権者と握手をし、泣を涙し、絶叫すれば当選するとの錯覚をもつのだろう。その錯覚が、小泉政権下の政治家の暴言・失言につながっていると見れば、私たちは不気味な時代に生きていると気づいてくるではないか。」
政治家の言葉が「おためごかしのツール」であるのは今に始まったことではないから、ここに引用した保阪の見解は、小泉純一郎に対する説明としては、いささか古臭く感じられる。
むしろ、そういう嘘臭い政治家たちの中では、彼の言葉が異彩を放っていたからこそ、小泉は多くの人々に支持された。そして、その魅力は今回の選挙でも発動され、再び人々の心を捉えている(少なくとも現時点での世論調査結果においては)。
だが、例えば「郵政改革さえできずに、どんな改革ができるというのか」という類いの彼の言葉の「強さ」は、国会でイラクのどこが非戦闘地域なのかと問われて「そんなこと今私に聞かれたってわかるはずがない」と答弁した時の、身も蓋もない「強さ」と、どこか似通っている。
彼の言葉の「強さ」は、事態を極限的に単純化することから生まれる。それは、議論を矮小化し、人々の注意を一点に引きつけ、相手の言葉を無力化するための武器として用いられる時、強い威力を発揮する。それ自体は、彼の政治家としての能力の高さを示すものと言えるだろう。
だが、彼の言葉は、議論を深め、新しい何かを生み出す方向には向かおうとしない。彼の言葉は、自分と他者との間に線を引き、自分を丸ごと受け入れる者だけを認めることで、人々を峻別する方向に向かう。むしろ、公約不履行を問われて「この程度の約束を守らないことは大したことではない」と答えるような杜撰な言葉を繰り出すことは、「それでも自分を選べ」と人々に踏み絵を踏むことを迫っているような印象さえ受ける。
小泉の前任者である森喜朗も失言の多い首相だったが、それはあくまで森自身の人間性に属するものでしかなかった。
しかし、小泉の言葉の軽々しさ(具体例については『戦後政治家暴言録』や前エントリをご参照いただけれ幸甚)は、ひとり小泉の人格にとどまらず、首相という地位や国会という場を無力化していく力を備えているように思えてならない。それらの発言は正式な答弁として記録され、前例としてスタンダード化していくことになる。彼の後任者たちが似たようなことをやりはじめた時、止めることは難しくなる。
8月に衆院が解散してから、郵政民営化の是非であるとか、小泉政権が残してきた実績であるとか、「小泉改革」と呼ばれるものの内容が米国政府から要求されている「年次改革要望書」とどれだけ似ているかとか、いろんなことについて浅薄ながらも考えてきた。
だが、結局のところ私にとって、小泉純一郎とは「構造改革者」や「郵政民営化論者」や「靖国参拝者」である以前に、「言語を紊乱する者」である。
言葉というものの重み、議論というものの意義を、これほど強い影響力をもって破壊し続けている人物は他にいない。石原慎太郎や田中真紀子の暴言とは次元が違う。私には、それが怖い。
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コメント
鉄さん怒りの鉄拳、ですね(笑)
小泉は、自民党をぶっ壊すだけじゃなく、民主主義までぶっこわしてしまいそう。
独裁に走りそうで、困りますね。
国民が、世界が、あれよあれよと見てる間に、かのヒトラーも、権力を集中させて行ったのではなかったかな。
それでも小泉自民に大勝させるとしたら、日本の有権者の知的レベルも相当困ったものです。ヨン様現象と同じかもしれない。平和に飽きてるのか、政治が自分の暮らしと直結しているってことが実感できないからこそ、面白ければいいって感覚で政治を見てしまうのかな。
新聞各紙には、自民党大勝の勢い、と出てましたが、最後はそれほど自民に勝たせないと思うのですが。有権者はこれまで、絶妙のバランス感覚を発揮してきましたから、、、。
また、特に田舎では、どちらにも風は吹いていないようです。今回は都市部で自民への風が強いですね。やはり都市部の有権者はバ●なのか、本当に小泉に期待しているのか、、、。
それと、最近思うのは、小泉があれほど好きなアメリカでの、ハリケーン被災。
短絡的には言えないはずとは思いながらも、ついつい、あの弱者が救済されない様を見ていると、「あれが小泉政治の行きつく先」と思えてしまう。
世界の超大国のはずなのに。
米軍は、イラクに派兵してる暇あったら自国民を救えば?とか、これだけ世界中でひんしゅく買ってたら、やっぱり「アメリカ国民を救え」的な、救援の手をさしのべる動きは鈍いだろうなあ、とか思ってしまう。
映像に出る被災者も、なんだか肥満気味な方が多いのも、なんとも皮肉です。
そういえば中越地震の際、誰もパニックを起こさず犯罪も起きませんでした。「日本人は被災者も支援者も世界一」と、危機管理の専門家が言ってました。非常時にこそ、その人間の本性、「裸特性」があらわになる、、、。
(私も暴言、しちゃいました)
投稿: penguin | 2005/09/07 12:12
しばらく更新もコメントもできないと思ってたんですが、出張先の地元の図書館でインターネット使い放題(30分限定だけど)であることを発見しました(笑)。
penguinさん
>鉄さん怒りの鉄拳、ですね(笑)
penguin君の文章の方がよほど「怒りの鉄拳」っぽいですが(笑)。
私の言い分は、「ああいう物の言い方が通用する世の中になっては困る」ということに尽きます。
>そういえば中越地震の際、誰もパニックを起こさず犯罪も起きませんでした。
阪神大震災でも、暴動は起きなかったし、犯罪も目立ちませんでした。それがどれほど特異的なことであるのか、今回のことで改めて感じています。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/09/07 16:09
いつもながらの透徹した論理、感服しました。
記事の趣旨からずれた文脈で引用しているかも知れない、と思いつつ、自分の記事の中に、こちらへのリンクを入れさせていただきました。
お知らせとしてトラックバックします。お気に染まないようであれば、言っていただければ、私の記事からリンクを削除します。
投稿: にゃん | 2005/09/13 00:03
何故かトラックバックが成功しないので、記事のurlを貼ります。
http://nyanchan.cocolog-nifty.com/blog2/2005/09/post_be15.html
言っていただければ、本当に記事中のリンクは削除します。
投稿: にゃん | 2005/09/13 00:11
>にゃんさん
リンクしていただいたエントリは夕方拝見しました。光栄です。私の方は何ら問題ありませんので、お気になさらずに。
トラックバックができないという話は、少し前にもありました。私は何の制限も設けていないので、サーバーの問題なのかも知れません。困ったものだなあ。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/09/13 01:04