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2005年10月

日本シリーズに見た、バントの怖さ。

 日本シリーズ4試合を通じて呆れるほど打ちまくった千葉ロッテだが、私には、初戦で見せた2つのバントが印象に残っている。

 ひとつは今江のバント。
 1-0とリードした3回裏。四球で出塁した西岡が、初球から走って二塁に刺された。チームを牽引してきた盗塁王の失敗が悪い影響をもたらすのでは、などと考える間もなく、今江は次の球を三塁方向に巧みに転がして、頭から一塁に滑り込んだ。内野安打。井川を翻弄した今江の小技は、得点には結びつかなかったものの、盗塁死の嫌な印象を一瞬で払拭した。

 もうひとつは、その西岡が見せたバントだ。
 同点に追いつかれた5回裏、先頭の渡辺がヒットで出た。勝ち越しの走者を一塁において、西岡は右方向に強めのバントを転がした。一塁手シーツは普通の送りバントを予想していたのだろう。反応は遅かった。投手と一塁手の間を緩やかに抜けたボールにシーツが追いついた時には、西岡は一塁に駆け込んでいた。チャンスは無死一、二塁と広がり、続く今江とサブローのタイムリーで、ロッテは再び4-1とリードする。

 今江はもちろん、西岡のプレーもベンチからのサインではない(「『打て』のサインだった」と西岡は話している)。高卒4年目の今江、同じく3年目の西岡が、それぞれ自分の判断で状況を変えようと試みたバントは、試合の流れをぐっとロッテに引き寄せた。


 阪神の命運が尽きた第4戦でも、2つのバントが印象に残っている。

 3連敗で土俵際に追い込まれて迎えたこの試合での阪神は、藤川、ウィリアムス、久保田と出し惜しみしていたリリーフ陣を繰り出し、今岡と桧山のタイムリーで2-3と追いすがって、終盤に希望をつないだ。
 8回裏に先頭の鳥谷が出塁すると、3番シーツはバントを試みる。西岡のプッシュバントを真似たような動きだったが、高目の球に無理に当てた打球は力なく上がってしまう。投手・薮田はこれを難なくキャッチして落ち着いたのか、続く金本、今岡を連続三振に取った。

 9回裏にも同じような光景が繰り返された。小林雅英が先頭の片岡を歩かせると、このシリーズの阪神で唯一当たっている矢野が送りバント。しかし、初球は大きく後ろにそれるファールとなった。2球目も低めの球に慌てたのか小飛球となり、思いきりよく突っ込んできた今江が投手と捕手の間に落ちた球をダイレクトに捕球。即座に一塁に送球すると、代走の久慈は戻ることさえできなかった。二死無走者。ピンチは一瞬で消滅し、小林は、続く藤本から三振を奪うだけでよかった。

 テレビ画面を通して見る阪神の選手たちは、硬直していた。この試合、チャンスは作るものの、ほぼ同じ数の拙攻が繰り返された。矢野が四球で出塁して牽制で刺される。金本に待望の初安打が出ると、今岡が併殺打。ほのかな希望が生まれては、即座に潰えていく。選手たちは悔しさを表現することさえ禁じられたかのように、能面のような無表情でベンチに戻っていく。
 2年前のリベンジを目論み、日本一を目指していたはずなのに、満員の甲子園のファンの前で1勝もできないまま、日本シリーズを去ろうとしている。そんな重圧が、選手たちから表情を奪っていったように思う。

 2つのバント失敗も、そんな緊張から起こったもののように見えた。「無死一塁の同点走者」という手持ちの財産を失いたくない気持ちが透けて見えるようだった。
 何かを失うことを恐れるあまり行なった行為によって、まさにそれが失われてしまう。松本清張の小説によく出てくる、過去の犯罪の発覚を怖れながら暮らす人間を内側から苛む黒い陰のようなものが、阪神の選手たちを覆っているようだった。


 送りバントという行為には、投手と打者との間で行われる暗黙の取引のようなところがある。
 送りバントを多用する監督が「つまらない野球」という批判を受けやすいのは、バントが行われる時のグラウンドから緊張感が失われるからだろう。アウトひとつと引き替えに走者を次の塁に進める、という予定調和に陥りかねないプレーであることは確かだ。
 しかし、一方のチームがその「暗黙の談合」を破棄し、交渉のテーブルを蹴り倒すようにして予定調和を覆すと、局面はたちまち衝撃と緊張に満ちたものに変わる。予定調和に安住しようとした隙を突かれたショックは、勝負に臨んで敗れた時よりも、大きなダメージとなる。

 ロッテの野球は、予定調和に安住してはいなかった。この試合でイ・スンヨプは、ウィリアムスと対戦した第3打席で、打球がセンター赤星の頭を越え、フェンスに跳ね返って赤星と逆方向に逸れたと見るや、果敢に三塁を目指した。結果的には完全にアウトだったが、ベンチに戻ったイは、まるでタイムリーでも打ったかのように僚友たちに迎えられ、悪びれずに握手に応じていた。プレーオフと日本シリーズを通じて、イやベニーのように決して足が速くない走者にも、隙あらば失敗を怖れず次の塁を目指すという果敢な姿勢が徹底されていた。
 そんなチームだからこそ、攻撃の際にも守備の際にもバントを通じて相手を攻める姿勢を保ち、バントを封じることで相手の心をくじいたり、バントを用いて相手守備陣を混乱に陥れたりすることができるのだろう。使い方次第で、バントは大砲より怖い凶器となりうる。


 日米のプロ野球でもっとも数多くの送りバントを成功させた川相昌弘は、「サラリーマンの鑑」のように言われてきたが、実はものすごく闘争的な性格の持ち主らしい。自分がミスをした後、しばしばベンチの裏で灰皿や壁を殴ったとか蹴ったとかいうエピソードがあるし、ジャイアンツ時代には、ヘッドコーチだった堀内恒夫前監督と殴り合いの喧嘩をしたこともある(赤坂英一『バントの神様』等による)。
 送りバントを命じられた時(とりわけ、あからさまにバントのためだけに代打に起用される時)、川相の表情は誰よりも真剣だ。予定調和を予定調和のままで破綻なく終わらせるのが、どんなに困難なことであるのか。それが破れた時、どんなに悲惨な事態が待っているのかを、たぶん川相は誰よりもよく知っているのだと思う。

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マシュー南なんて奴は知らん。

 阪神タイガースが勝てば1985年以来、千葉ロッテマリーンズが勝てば1974年以来の日本一。
 死闘と呼ぶに相応しいプレーオフを勝ち上がった千葉ロッテの牙城に、満を持したタイガースが乗り込んで行われる第1戦の始球式に現れたのは、金髪のカツラをかぶり、黄色い縦縞のスーツを着た、性別もよくわからない人物だった。
 妙にカラダをくねらせながら投げたボールは、赤星のはるか上を通りすぎた。マシュー南という名のこの人物は、投げ終わった後もマウンドにしゃがみこんで居座り、土の上に指で何やら書いていた。日本シリーズの開幕戦で開幕投手が第一球を投じる前のまっさらなマウンドを芸のネタのために荒らすというのがどういうことだか、わかった上でやっているのだろうなマシュー。

 マシュー南というのは、この試合を中継しているテレビ朝日のバラエティ番組の、番組内キャラクターらしい(そこそこ名の売れた芸人が扮しているのだと思うが、あまりにむかついたので名前を思い出す気にもなれない)。
 日本シリーズのホームゲーム始球式の人選をテレビ朝日に売り渡した千葉ロッテに対しても不満はある。しかし、こんな醜悪な見世物を試合前の儀式の場に押し込んでくるテレビ朝日の傲岸さに対する怒りには遠く及ばない。テレビを見ていて殺意を覚えたのは久しぶりだ。

 試合を中継しているアナウンサーは、この始球式の様子をきわめて事務的に描写し、終わった途端に何もなかったようなふりをした。画面はマウンドに何やら書いているマシューの指先をアップで映そうとはしなかった。
 少なくともスポーツ番組を作っている現場は恥を知っているということだ。それが、せめてもの救いだった。

 こんなくだらないことを書いてるうちに今江のホームランを見逃してしまった。余計に腹が立つ。そんなに金髪のカツラを出したいのならせめて『アストロ球団』のバロン森にしておけテレビ朝日。


追記)
日本時間の翌朝行われたワールドシリーズ開幕戦、シカゴのUSセルラーフィールドでの始球式のマウンドには、ルイス・アパリシオら過去の名選手がずらりと並んだ。捕手役は、自身もスターOBであるオジー・ギーエン監督が務めた。第2戦では、ボー・ジャクソン、ロビン・ベンチュラの若手OBだった。(2005.10.23記、10.26修正)

追記2)
「野球を心から愛し、今季は特にOBや子供ファンを始球式に起用してきた千葉ロッテ球団の職員は、この屈辱的な事態に心底悔しそうだった。彼らの名誉のために、この人選は球団の意向ではない、ということをここで明言しておきたい」(週刊ベースボール2005.11.7号p.22「日本シリーズ雑記帳」から)

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今年できたはずのプレーオフ改革。

「片方のチームが(試合を)待ってることがないようにしてもらいたい。極端な話をするなら4位チームを引き込んだりしてね。2週間待ってはコンディション的に難しい。敗軍の将は兵を語らずと言うが、あえて言わせてもらう」

 王監督が試合後にこのような談話を残した影響もあるのだろう。千葉ロッテのリーグ優勝を伝える新聞記事の中には、プレーオフ制度の欠点を指摘する声もかなり混ざっていた。
 現行制度が完全でないことは言うまでもない。2年目の見直しは、あらかじめ予定されているはずだ。今後、来年に向けた見直しが行われることだろう。

 ただし。そんな抜本的な改革をするまでもなく、現行制度のままでも、王監督の悩みを緩和する方法はあったように思える。
 下のエントリのコメント欄に書いているうちに思いついた改善案は以下の通り。繰り返しになるが、ご容赦を。


 まずリーグ戦の最終日を定め、全チームが一斉にシーズンを終えるようにする。すると、現行制度のままでも、以下の日程が可能になる。

0日目 リーグ最終日
1日目 プレーオフ開催準備
2日目 第1ステージ第1戦
3日目 第1ステージ第2戦
4日目 第1ステージ第3戦
5日目 第2ステージ第1戦(以下略)

 今年のソフトバンクには13日もの空白があったが、これなら1位チームが試合をしないのは4日間だけ。屋根のない球場の3連戦が雨で全部中止になれば、ペナントレースでも起こりうる程度の空白だ。王監督も、そして「2週間も間隔が空くなんてばかげている」と怒ったズレータも、このくらいなら納得してくれるのではないだろうか。
 その分、第1ステージから勝ち上がるチームにとってはタイトな日程になるが、1位チームにさしたるアドバンテージがないのだから、そのくらいのハンデがあってもいいだろう(初戦から連勝すれば4日目は休めるし)。シーズン中でも6連戦くらいは普通にやっているのだから、過重な負担になるとは思えない。

 営業サイドからは、「シーズン最終日にプレーオフ進出チームが決まったら、準備はどうするのか」という意見も出そうだ。MLBの日程を見ればわかることだが、あちらではリーグ最終戦から中1日でプレーオフが始まっている。チケット販売やテレビ放映など営業・制作上の技術的課題を自力で解決できないのなら、MLBに教えてもらえばいい。どう考えても、シーズン終了から第1ステージ開始まで1週間以上も空ける必然性があるとは思えない。
(第2ステージの会場はリーグ戦終了時点で確定するので、第1ステージと第2ステージの間には準備日は必要ないものと思われる)

 このような日程を組めば、現行の大会規定を大きく変えなくても、1位チームの空白という不利をかなり解消することができる。
 私自身も後から思いついたのだから、あまり声高に関係者を批判するわけにはいかない。だが、昨年からすでに、ただ待っている1位チームが不利になるという指摘はあったのだから、この矛盾を避けるために当事者たちが知恵を出し尽くしたとは言えそうにない(ホークス自身も含めて)。
 新聞各紙にとっても、今年の日程自体はあらかじめ判っていたのだから、その時に何も言わず、終わった後で王監督の談話に便乗して制度批判しているようであれば、専門記者の態度としてはお粗末だ(第1ステージ開幕前に指摘していたメディアがあるのなら、それは評価したい)。


 プロ野球に抜本的改革が必要だ、と声高に叫ぶ人は多い。しかし、はっきり言って、今のプロ野球にそんな大きなことをするだけの体制はない。1年前にやめると言ったコミッショナーがいまだに居座っているという一事を見ても、抜本的改革が遠いことは明らかだ。
 だが、抜本的改革をしなければ何一つできず破滅に向かうだけかといえば、私はそんなことはないと思っている。千葉ロッテマリーンズがよい例だ。
 この球団は、野球協約など何も改正されなくても、トップがビジョンを描き、広く人材を集めて、それぞれが知恵を絞り、アイデアを実行に移すことによって、チームは優勝し、営業面でも成果を挙げている。
 今の枠組みの中でも、精一杯の企業努力をすれば、強化と増収とファン拡大を同時に達成することが可能なのだと、この球団は実証しつつある。千葉ロッテの成功そのものが、プロ野球改革なのだ。そして、こういう球団が増えて、実力と発言力を増していけば、死に体のコミッショナーを追いだして、抜本的改革を実行できる後任者を連れてくることも初めて可能になるのではないか。

 現在の条件の下でできることを目一杯やる。そういう姿勢を備えた人や組織だけが、改革の成果を手にすることができる。今さしたる努力をしていないのなら、改革後もしないだろう。
(去年の日本シリーズの後でも、ほとんど同じことを書いていたのを思いだした。進歩がないのは私なのか、NPBなのか(笑))

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その試合に懸かっているものの重さ。

 最終戦にして初めての安打に、一塁ベースを回る前から吠える松中。
 抜ければ同点になる打球を左翼手に好捕され、一塁ベースの上にへたりこんで動けない西岡。
 マスク越しにも目が吊り上がっているのがわかる的場。
 捕球する三塁手に激突して同点の走者を出してしまい、足をひきずりながら定位置に戻る川崎。
 次打者のライナー性の右前打に辛くも二塁に滑り込んだ後、戦国武将が武具を調えるような風情でユニホームの裾を直す初芝。
 勝ち越しのホームに滑り込んだ、そのままの体勢でレフトスタンドに振り返り両拳を振り上げる福浦。
 中前打が本塁送球される間に二塁を陥れ、興奮するベニー。
 わきあがる昂りを抑え、懸命に自分を信じようとする小林雅英。
 試合が終わると、目を真っ赤に見開き、鳥の嘴のように唇を尖らせて、一切の表情を失ってしまった王監督。
 タオルで顔を覆う的場の背後に松葉杖をついて近寄り、肩に手を置く城島。
 この3試合、どんなに凡退を繰り返しても表情を変えなかったのに、胴上げの後で泣きじゃくっていたサブロー。

 パシフィック・リーグのプレーオフ第2ステージ最終戦を見終えた今、脳裏に焼き付いているのは、プレーというよりも選手たちひとりひとりの姿だ。
 大の男たちがこれほどまでに何もかもかなぐり捨てて、なりふり構わず勝利を目指す試合を見たのは、いつ以来だろう。


 中日の落合監督が、パのプレーオフ制度を批判したという。

 「大反対です。何のためのペナントレースなのか」「100試合以上やって数試合で運命が決まるのはおかしい」

 落合の理屈は、いつもの通り正しい。
 レギュラーシーズンの136試合と、プレーオフの7試合。数字の上では比較にならないかも知れない。
 だが、プレーオフの1試合1試合には、それぞれがレギュラーシーズンの5試合にも10試合にも匹敵する重みがある。戦った選手たちにとっても、球場に詰めかけたサポーターたちにとっても、単なる見物人にとっても、それが実感だろうと思う。

 プレーオフの緊迫感は、おそらくは、失うものの大きさから来ているのだろうと思う。
 このシリーズに敗れたら、このシーズンのすべてがふいになってしまう。
 日本シリーズなら、負けてもリーグ優勝が残る。シリーズ自体が優勝のご褒美のようなものでもある。
 だが、プレーオフに負けたら何も残らない。それは、昨年のレギュラーシーズンを1位で終えながらリーグ優勝を逃したホークスのスタッフと選手たちが、誰よりもよく知っている。
 だからこそプレーオフはこれほどまでに緊迫し、試合は白熱する。
 ある意味で、これは人工的に演出された難関であり、残酷な見世物とも言えよう。それを見て喜んでいる見物人もまた、酷薄な生き物なのかも知れない。

 それでもこの催しを私が肯定するのは、この演出された重圧が、選手たちのプレーのひとつひとつを、より高いレベルに押し上げているからだ。シーズン中にはありえないような重圧を克服して、殊勲打を放ち、あるいは打者を葬った経験は、おそらくは彼らの野球人生の中でも、もっとも光り輝く記憶となって残るのではないだろうか。

 そこで行われる試合そのものが、戦った選手たちにとっても、彼らを支えたサポーターにとっても、たまたまテレビの前にいた見物人にとってさえも、忘れられない輝きを放つものであり続ける限り、私はこのプレーオフ制度を支持する。落合が何と言おうが知ったことではない。

 プロスポーツにとって、「いい試合を見せること」以上に大事なことなどあるものか。

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プロ野球再編の鍵は、横浜市が握っている。

 パのプレーオフが白熱する一方で、スタジアムの外では、再び球団再編が取り沙汰されている。村上ファンドが阪神電鉄の筆頭株主になってタイガースの経営に口を出し、楽天は(横浜ベイスターズの親会社である)TBSの株式を大量に取得して経営統合を申し入れている。

 昨年の近鉄-オリックスの合併は、近鉄本体の経営不振が背景にあったにせよ、直接的には大阪近鉄バファローズ球団の赤字が原因であり、あくまで野球界の出来事だった。
 だが、阪神のケースにしても、楽天-横浜のケースにしても、根本的には親会社の経営問題であり、球団はそれに付随する要因に過ぎない。
 楽天が欲しいのはTBS本体で、ベイスターズはその目的達成の上ではむしろ障害だ。TBSにベイスターズを手放してもらえば済むことだ、と楽天側は考えているだろう。仲の良い経営者に売却できれば、12しかないオーナーの席に仲間を増やせるというメリットも出てくる。
 阪神については、村上ファンドの言い分がいろいろ変化しているので判断しづらいところもあるが、ファンドである以上、阪神電鉄や阪神球団の経営に長期的に関与するとは考えづらい。目的は阪神電鉄の株価を上げて売却することであり、阪神タイガースはあくまでそのための道具であるはずだ(ただし最も重要な道具であるから、村上氏も阪神ファンに気を遣った発言を続けている)。

 株取引のルールについてはよく知らないので確信を持って言うことはできないが、どちらもそう短期間で決着がつく性質のことではなさそうに見える。村上ファンドに対しては「日本シリーズに冷や水を浴びせた」という非難の声も多いが、日本シリーズがどうとか、オフシーズン中の決着がどうとか、そういう野球界のカレンダーと今回の事態とはどうやら無関係で、両者とも株式市場のルールとカレンダーの上で合理性のある進め方をしているようだ(楽天はプロ野球のインサイダーなのだし、村上ファンドもタイガースを株価向上の核と考えているのだろうから、少しは遠慮しろよ、という気はする)。

 従って、これらの問題に対して、野球界の内部でできることは、ほとんどない。死に体のコミッショナーが何か言ったところで村上ファンドは痛くもかゆくもないだろう。せいぜい阪神ファンが村上ファンドに反対の声を挙げる程度だ(しかし、村上ファンドのおかげで老朽化した甲子園球場を修復または新築してもらえるのなら、阪神ファンにとっても結構な話ではないだろうか。「阪神電鉄がオーナーでいる限りタイガースに未来はない」と阪神ファンが嘆いていたのは、そう遠い昔のことではなかったはずだ)。


 というような問題の構造を考えていると、つくづく野球サイドは無力だと感じる。
 考えてみれば西武鉄道の経営も、いまだ再建途上にあり、球団売却の可能性が消えたわけではない。めったに出物がなかった野球チームという商品が、昨秋に続いて、この秋も売りに出されそうな気配、というわけだ。だからといって、いい買い手がつくのかどうかはわからない。昨年、新規参入に手を挙げたのはライブドアと楽天の2社だけだった(もっとも、あの時はゼロから立ち上げる新球団というコストの高い買い物だったわけで、その後に売りに出た福岡ダイエーホークスの方がはるかに優良物件だったから、新規参入に関心を示さなかったソフトバンクも手を挙げたのだろう)。

 日本のプロ野球チームは、原則として単独のオーナー企業に支配されている(株式の一部を別の企業が所有しているケースもあるが、経営そのものにはタッチしていない)。オーナー企業が経営不振等の理由で球団を保持しきれなくなったら手放して、その時々の景気のいい業界の企業が引き取る、というリレーを繰り返してきた。鉄道会社を多数派として始まったリーグに、戦後は映画会社が参入し、さらに食品・サービス・流通といった業界に引き継がれてきた。昨年からインターネット企業2社が加わったことも、基本的にはこの流れから外れてはいない。

 それで70年やってきたわけだが、ここにきて2つの大きな問題が表面化してきた。
 ひとつは、球団経営のコストが大きくなりすぎて一企業では支えきれなくなってきたこと。もうひとつは、親会社そのものの経営問題がダイレクトに球団経営に影響してしまうことだ。
 昨年から野球界が取り組んでいるさまざまな改革は、突き詰めれば球団の経営改善を目的としている。これによって前者の問題を解決することはできるかも知れない。
 だが、球団そのものがどれほど良好な経営をしていても、後者の問題を避けることはできない。というよりも、なまじ球団経営が良好だと、かえって後者の問題を呼び込みかねないことを、今回の阪神のケースは示している。仮に球団経営にまったく関心のない企業に親会社が買収された場合には、とりあえず売れるものは現金に換えようと、主力選手をFAや金銭トレードで売りさばいた上に球団そのものを再売却してしまうことさえ、理論上は起こりうる。

 そのような事態を避けるためにどうしたらよいかといえば、考えられるのは集団オーナー方式だろう。
 複数の企業が出資し、ある程度の独立性を保持しながら球団が経営されていれば、オーナー企業のひとつが経営不振に陥り、あるいは買収されても、球団経営そのものへの影響は一部にとどまる。できれば地元自治体も出資していることが望ましい。要するに、現在、Jリーグが目指しているような経営スタイルだ。発足当初は親会社が100%出資していたクラブも、それぞれが出資者の数を増やし、共同経営に近づけようと試みている。
 MLBでも、こういう経営形態をとる球団は少なくない(任天堂アメリカがオーナーの一員であるシアトル・マリナーズもそうだ)。日本の野球界でも、いきなり全部は無理にしても、そういうモデルケースがそろそろ生まれてきていい頃ではないかと思う。

 ここから先は空想に近い話になる。
 地元企業と自治体による集団オーナー方式が成立しうるフランチャイズ地域は、そう多くはないだろう。ある程度以上の規模の企業が集中し、観客動員も見込める、という条件が必要だ。
 そんな条件を満たす数少ない立地のひとつが、実は横浜なのではないかと思う。この際、横浜ベイスターズは、TBSの単独所有から、横浜を拠点とした集団オーナー制を目指してみたらよいのではないだろうか。TBSも完全に手放すのでなく、その集団オーナーの一員として残り、テレビ局としてメリットのある部分に絞って経営に関与していけばよい。球団経営に対する影響力が薄まれば、野球協約上の特例として認められる可能性は強まる。

 「横浜ベイスターズは…目指してみたら」と書いたが、今のベイスターズの社長はTBSからの出向者であり、集団オーナー制を目指す主体には、おそらくなりえない。実際に出資する企業を集められるのか、誰が球団を経営するのか等々、実現への課題は多い。
 誰が主導権をとるべきかといえば、横浜市しかないのではなかと思う。TBS以外の企業であれば、まず単独所有を目指すだろうし、別の企業の所有物である球団(もしかするとその企業名を冠するかもしれない)に出資するメリットが大きいとも思えない。
 あくまで横浜市に本拠地を置く「横浜ベイスターズ」という枠組みを維持してこそ、複数の企業が出資する値打ちが出てくる。

 では横浜市にとってのメリットは何か、となると、一見、何もないように思える。
 従来は、横浜スタジアムの使用料金が1試合単価×試合数という安定した形で入ってきて、付帯的な営業収入も見込むことができた。確かチケット販売の営業権もスタジアムが持っていたと記憶している。スタジアムを所有する横浜市にとっては、何のリスクもなくリターンだけがある、という美味しい存在だったはずだ。そこに、新たに資金や労力を提供するというのは抵抗があるかも知れない。
 しかし、それはあくまで従来と比較した場合の話だ。
 もし球団が横浜を去るとなればどうだろう。年間70試合近いスタジアム使用料はゼロになる。チケットの営業収入もなくなる。売店・広告収入もプロ野球の試合に付随的に生まれるものだから、大幅に減るだろう。空いた日を一般向けに貸し出したところで、使用料金は格段に安い。単純に収支だけを比較しても、大幅なマイナスが生じるだろう。
 まして、市民の娯楽や憩い、市のシンボルとしての役割といった金銭に換算できない部分では、マイナス面ばかりだ。「球団に逃げられた自治体」という悪いイメージも残ってしまう(プロ野球やプロサッカーが存在する欧米諸国には、国内以上に悪い印象を持たれるかも知れない)。
 1試合平均13,370人の観客動員はプロ野球チームとしては少ないが、それでも年間976,004人の観客が訪れたチームである(地方開催の7試合も含めて主催した全73試合の統計)。98年に日本一になった時、このチームを誇りに思った横浜市民は少なくないはずだ。

 これはあくまで仮定の話だ。どんな企業がベイスターズを手に入れたところで横浜を動くはずがない、と横浜市は楽観しているかも知れない。
 だが、昨年オフに起こった動きを見れば、チーム招致に熱意を持っている都市は、多くはないが確実に存在する。結果的に新球団は仙台に落ち着いたが、その過程では長野県知事も招致に手を挙げていた。四国に独立リーグが発足し、東北でも設立の動きがある。昨年秋、新潟では「新潟に県民球団を創る会」が設立された。
 特に新潟には、サッカーでビッグスワンを埋める熱狂的な観客という土壌がある。仮にどこかの企業がTBSから球団を買い取った時、新潟県が、新たに建設する野球場における営業権譲渡を条件にフランチャイズの移転を誘ったら、これは相当に魅力的に映るのではないか。「新潟アルビレックス」の名を冠し、オレンジ色のユニホームに身をまとった野球チームが出現したら、新潟県民はサッカークラブに注ぐ愛情を野球チームにもわけてくれるかも知れない。

 つまり、日本プロ野球の歴史の中で70年目にして新たに登場した経営上の要素は、もうひとつあるのだ。「都市どうしの競争」だ。
 MLB球団が、公設スタジアムから生ずるさまざまな商売の権利を手にしているのは、地元自治体との交渉において、「移転」という切り札を持っているからだ。MLBチームを欲しがっている都市は全米に数多くあるようだ。球団はその気になればいつでも今の本拠地を離れて新天地に移ることができる。だから、自治体はチームを地元に引き止めるために、大金を投じて次々と新しい球場を造り、経営上のさまざまな便宜を与えている。それが住民へのサービスであると議会も認めているということになる。
 一方、日本では、プロ野球チームが本拠地を置ける都市は限られていると思われていた。球団は今の都市と球場にしがみつくしかない。ここを離れたら、かつてジプシー球団と呼ばれたロッテのように野球場を求めて放浪するしかない。だから、自治体が球団経営に何の便宜もはかろうとせず、むしろ高額な使用料を取り続けても、それに甘んじるしかなかった。

 しかし、昨年の近鉄消滅と新球団誕生をきっかけに、球団誘致に意欲を持つ都市が現れた。当初の10年間は都会よりも地方の小都市を拠点に発展してきたJリーグの影響もあるだろう。各地にプロ野球開催が可能なスペックを持つ野球場が建設されたことも大きい。そして、福岡における福岡ダイエーホークスの成功、札幌における北海道日本ハムファイターズの成功、仙台における東北楽天ゴールデンイーグルスの(営業と観客動員とファンの熱意における)成功も、そうした意欲を支えている。東京や大阪でなくてもプロスポーツチームを持つことはできるのだ。ならばわが都市にも、と考える地域が出てきても不思議はない。

 既得権にあぐらをかいてきたのは従来のオーナー企業だけではない。実は地元自治体も同じだった。そして、遂にその既得権が脅かされる時が来た。これまでまったく見通しが見えなかった広島市民球場の改築問題が突如として進展したのも、このような情勢と無縁ではないように思う。
 横浜市の中田宏市長も、もしかするとこの冬、球団を失う危機に直面することになるかも知れない。今のうちから球団への出資や共同経営、あるいは横浜スタジアムの指定管理者制度適用や、税制面等での優遇を求める「プロ野球特区」の申請など、検討してみてはどうだろうか。

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田口壮の矜持。

 一読して、とにかくあらゆる人に読んでもらいたくなった。田口壮オフィシャルサイトのmail from Soから、リーグ優勝決定戦の開幕を控えた10月11日の日記だ。

明日からいよいよナリーグ・チャンピオンシリーズです。
 
練習後、ヒューストンの先発が左ということで、何人かの記者さんに「先発があるのでは?」と聞かれました。 「ラリー(ウオーカー・外野手)も、ちょっと調子悪いしね」と。
 
僕の答えは「ない」です。この先も、当分なし。むしろ、僕が先発するような事態(=レギュラーに怪我人が出る)になっては困るのです。
 
チームの総合力がモノを言うペナントレースに対し、レギュラー陣の爆発力と、投手力が明暗を分けるポストシーズン。
 
これまで怪我で出場機会を控えていたラリーやレジー(サンダース・外野手)の経験、爆発力が、まさに今必要なのです。
 
ラリーの当たりが少し止まっていたって、そこに存在するだけで、すでに相手を威圧できるのです。ついでに言えば、ラリーがガンガン打ち始めるのは時間の問題。カージナルスファンの心配には及びません。
 
「今までずっと穴埋めしてきたのに、いまさら控えだなんて」と、口を尖らせる人もいます。
 
「もう99番のジャージ買ったのに、なかなか出ないんだもん」
 
 
それは、すまん。ベンチのほう見て手でも振っといて。
 
僕はここにたどり着くまでの長いシーズン、間違いなくチームのけが人の穴を埋めてきた、という自負があります。
 
ひとつの歯車として、僕は僕の役目を十分に果たしたから、これからは真打登場で、ラリー、レジーにがんばってもらわねば!
 
今年は有言実行。カージナルスは絶対に勝つ。
 
 
ミズーリ州セントルイスにて 田口壮 


 誰かこの文章を英訳してラリーとレジーに読ませてやってくれ。きっと彼らは、たとえ足が折れていても試合に出ると言い出すに違いない。ソーのために打たなくちゃならないんだ、と。
 よその文章の全文引用は控えるようにしているのだが、このサイトの日記は数日すると更新されて消えてしまうので、あえてさせてもらう(注)。長期間にわたって読まれる価値があると思うからだ。関係者は許されよ(もしダメなら部分引用にしますので、ご連絡ください)。


 この田口の心根を、日本語で「矜持」という。
 試合の終盤に守備固めで出場することに対し、あるいは代打で登場してバントや進塁打を打つことに対し、これだけの高い意識を持っているからこそ、田口はそれらの仕事を完璧にこなし、なおかつスタメン起用された時にはレギュラーに匹敵する活躍をすることができる。
 地味で目立たない仕事を受け持つ人々が矜持を持っている組織は強い。そして、そういう人々に矜持を抱かせることのできる指導者は、間違いなく優秀だ。田口ひとりを見ているだけで、トニー・ラルーサがどういう監督であるのか、ある程度は想像がつく。そして、その監督に信頼されている田口の戦術眼も。

 かなり前に一度書いたことがあるが、田口にはできれば引退後もアメリカに残って、指導者になってもらいたいと夢想している。最初の日本人MLB監督の最有力候補だとも思っている。
 だが、ワールドシリーズが先だ。私もセントルイスに住んでいたら、99番のジャージを着てベンチに手を振りたい。あんたは最高だ。


注)もう消えている(笑)。昨日読んでおいてよかった。(2005.10.15)

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待つ身はつらい。

 松井が加入してからの3年間、ヤンキースのシーズンオフは少しづつ長くなっている。1年目がワールドシリーズ出場。2年目がリーグチャンピオンシップ敗退、そして3年目はその前のプレーオフ敗退だ。原因を分析するのは空しい。昨年の今ごろ書いたことと、結局はほとんど同じ文言を連ねることになる。先発ローテーションが故障で全滅するという異常事態の中では、プレーオフまで駒を進めるのが精一杯だったということだろう。同時に、ここ数年の補強思想の限界を露呈したとも言える。
 アメリカン・リーグは、ホワイトソックスとエンジェルス、どちらが勝っても“スモール・ボール”を旨とするチームをワールドシリーズに送り込むことになる。ナショナル・リーグの本命カージナルスも、大艦巨砲を並べてはいるものの、田口が重用されていることでもわかるように、細かい野球をおそろかにはしないチームだ。
 そんな時代の流れの中で、次のシーズンのヤンキースには、ブレイクスルーが必要になる。たぶん、松井自身にも。そうでなければ、初年度のチームが最高で以後は瓦解する一方というイチローの二の舞いになりかねない。

 それはそれとして、松井がいい当たりをアースタッドに捕られたり、井口がヒーローになったり、大塚と田口が勝敗とはあまり関係のないところで黙々と役割を遂行したりしながら、MLBのプレーオフは着々と進行している。日本でも今日から千葉ロッテが福岡に乗り込んで、ソフトバンクと雌雄を決する(前夜のスポーツニュースで局アナに「目が離せませんね」などと言わせておきながら、民放テレビ局が例によって試合を中継しないことについての苦言は割愛。来年も繰り返すようなら、また文句をつけることになるだろうが)。

 日本で日常的にテレビ中継されている4つのリーグのうち、3つまではプレーオフが白熱している。その間、セントラル・リーグの優勝チーム、阪神タイガースは何をしているのだろう。公式サイトのスケジュール欄は、日本シリーズまで空白のままだ。親会社の株式をめぐる戦いは白熱しているようだが、チームに直接の関係はない。
 セ・リーグはこのオフから検討委員会を作り、2007年からのプレーオフ導入を目指すのだそうだ。来年から実施しないことに何か理由があるのかどうかは知らない。検討するのに、なぜ一冬で足りないのだろう。今年はストも合併もないのだから、そんなに忙しいとも思えないのだが。

 経営上の事情は別にして、この非対称は、野球の勝負そのものにも影響を及ぼす可能性がある。
 現行方式が初めて導入された昨年、北海道日本ハムと西武の勝敗が決するのを待っていた福岡ダイエーと、パのプレーオフが終わるのを待っていた中日は、いずれもその次の戦いに敗れた。巌流島の決闘の例を引くまでもなく、待たされた方が不利という結果が出ている。
 昨年の苦い教訓を生かして、ソフトバンクは今年、プレーオフ第一ステージの間も練習試合を重ねてきたという。阪神はどうだろうか。三谷幸喜の芝居『巌流島』では、待たされるのを嫌った佐々木小次郎が、宮本武蔵を旅籠まで迎えに行ってしまうのだが、まさか阪神ナインが福岡に乗り込むわけにもいくまい(考えることが荒唐無稽になっているのは、たぶん『アストロ球団』の最終回を見たばかりだからだ)。

 もし今年の日本シリーズで昨年と同じ結果が出てしまったら、それでもセはプレーオフ2007年導入の方針を見直すことがないのだろうか。ないのだろうな。
 

追記)
「片方のチームが(試合を)待ってることがないようにしてもらいたい。極端な話をするなら4位チームを引き込んだりしてね。2週間待ってはコンディション的に難しい。敗軍の将は兵を語らずと言うが、あえて言わせてもらう」
プレーオフ第2ステージに敗れ、2年続けてレギュラーシーズンを1位で終えながら優勝を逃したソフトバンク(旧福岡ダイエー)ホークスの王貞治監督は、試合後にこう語った。(2005.10.17)

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私憤です。

NHK:「土スタ 朝ドラ・風のハルカ特集」
日本テレビ:「堺正章&くりぃむ爆笑世界一行きたい修学旅行」
TBS:「日本語チャンピオン決定戦!'05史上最大の全国統一国語テスト」(再放送)
フジテレビ:「F1グランプリ予選」
テレビ朝日:「来週火曜よる7時からロンドンハーツ2005秋」
テレビ東京:「ドキュメント 大家族子育て戦争」

 東京のキー局で本日の午後2時に放映されていた番組名である。ちばテレビとテレビ埼玉も、仲良く競馬中継と競輪中継をやっている。

 昨年に続いて、今年もパシフィック・リーグのプレーオフ第1戦は、地上波でテレビ中継されることがなかった。
 初めての試みだった昨年のプレーオフが、高い評価を受けたにもかかわらず。
 そして、一方の当事者である千葉ロッテマリーンズのチーム成績・マーケティング両面での躍進が、さまざまなメディアで称賛されているにもかかわらず。
 プレーオフ第一ステージは、渡辺俊介と松坂大輔の対決は、来週火曜の番組の予告編やバラエティの再放送にも劣るらしい。

 テレビ各局は今後、口が裂けても「パ・リーグの灯を消すな」などと口走らないように。
 パ・リーグの灯は燃え上がっている。冷や水を浴びせているのは、あんたたちだ。

 それにつけても千葉マリンの前売り券を買いそこなったのが悔やまれる。結果的には仕事が忙しくて行けなかったと思うけど。


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トーリの「信頼力」がヤンキースを導く。

 エンジェルスとのプレーオフ初戦、ヤンキースは二死満塁からロビンソン・カノの左越え二塁打で3点を先制した。
 打席での彼は、いつも感情表現が少ない。喜びも動揺も、あまり示すことがない。ヤンキースがワールドシリーズまで進めばシリーズ中に24歳の誕生日を迎える若さであり、守備では未熟さを露呈することもあるが(例えばこの試合の9回、二塁寄りの高いバウンドのゴロをバックハンドで捕ろうとして合わせ損ない、センター前タイムリーにしてしまったプレーは、軽率なものだった)、打者としては、打っても打ち損じてもポーカーフェイスを崩さない。
 それはもしかすると、スーパースター揃いのチームの中にひとりだけ混ざっていることの重圧から来ているのではないか、と想像することもある。だから、たまにベンチ内で彼の無邪気な笑顔が映ると、やっぱり若いんだな、と妙にほっとする。

 カノの抜擢は、今年のヤンキースのひとつの分岐点だったと思う。
 ヤンキースの出足は最悪だった。4月を終わった時点で10勝14敗、.417。5月は17勝10敗と持ち直したものの、6月は12勝14敗で、再び負け越し。夏まで続いた低迷ぶりを考えると、地区優勝したこと自体が奇蹟に近い。

 投手陣が故障者続出で崩壊し、打線はそこそこ打っているけれど波が激しい。そんな病状に対するトーリ監督とキャッシュマンGMの処方は、若手の抜擢と投手の緊急補強だった。さほど悪くはなかったウォーマックを二塁から外野に回し、マイナーから引き上げたロビンソン・カノを二塁に起用する。同じく若手の王建民を先発ローテーションに加える。さらに夏場にはスモール、チャコーンといった投手を獲得し、先発グループに加えた。彼らは期待に応えて活躍し、主力の欠けたチームをよく支えた(この時期に野茂英雄がチャンスを掴めなかったのも、ご承知の通り)。

 改めてトーリの起用に感心するのは、選手をひとたび抜擢したら、何があっても使い続けるところだ。
 カノが最初に試合に出場したのが5月3日のタンパベイ戦で、この日はノーヒット。2試合目に初安打を含む2本の安打を放つが、その後は6試合続けてノーヒットに終わる。四球すらない。
 しかし、トーリはそのままカノを先発で起用し続ける。8試合目にようやく2安打したカノは、続く4試合で11安打と打ちまくり、そのままシーズンの終わりまでレギュラーとして定着する。月別打率を見ると、6、7月は3割を上回ったものの、8月は.207と著しく低迷。エラーを繰り返した試合もあったように思う。それでもトーリは揺るがない。すると9月には再び.384と打ちまくり、しばしば貴重な本塁打でチームの危機を救う。
 結局、初出場以来、カノはほとんどの(もしかするとすべての)試合でレギュラーとして起用され、最終的にそれにふさわしい成績を残した。

 ここまで極端ではなくとも、王やスモール、チャコーンらの起用も同じで、先発ローテーションに組み込んだら、簡単には外さない。代打で試して…などという起用法を、トーリはあまり好まない。使うとなればいきなりスタメンだ。そして、すぐによい結果が出なくても使い続ける。
 トーリは、おそらくは熟慮を重ねた末に決断し、一度決断したら迷わない。そういう人なのではないかと思う(ベテラン内野手のウォーマックを外野にコンバートするというのは、かなり思いきった決断だ)。

 トーリという監督を特徴づけているのは、選手への揺るぎない信頼だ。
 それは、もともと力のあるベテランが多いヤンキースというチームには合っているし、若手育成に際しても成長を促しやすいやり方といってよいだろう。
 カノも王も、シーズン前から有望視されていた選手だった。一時の勢いによる活躍ではない。トーリの揺るぎない信頼が、彼らが持てる力を発揮する上では大きな支えになったのではないかと思う。一昨年のルーキー、ヒデキ・マツイにとっても同じだったはずだ。
 また、シェフィールド、シエラ、A-RODという、行く先々の球団でトラブルを起こしてきたスターたちが、チームプレーヤーとして(少なくとも目立ったトラブルを起こさずに(笑))活躍しているのも、トーリの力によるのではないかと私は思っている。

 東京にある、選手構成の似たチームの監督にも、たぶんこういう人物がふさわしいのだろう。実績のあるベテランと、実績のない若手、いずれも「信頼」抜きに力を発揮することは難しい。従来の、とりわけ最近2年間の監督には、それが欠落しているように見えた。
 金も出すが口も出すオーナーがメディアを通じてプレッシャーをかけても、トーリは敬意は示すが采配は曲げない。外からの圧力に対して選手を守る姿勢を備えた監督だけが、選手の信頼を受けることができる。

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三冠王を抹消した球団史。

 関西出張のついでに、なんばパークスに行ってきた。
 かつて大阪球場があった土地に南海電鉄が建てた、大型の商業施設である。
 以前、ちょっと話題にしたことがあるが、ビル内に設けられた「南海ホークス メモリアルギャラリー」が目当てだった。

 ブランドショップがひしめく商業ビルや庭園、高層オフィスビルで構成された敷地内に、かつて野球場があった面影はまったくない。記念碑のひとつくらい建っていると嬉しいのだが。
 「メモリアルギャラリー」は、商業ビルの7階にあった。レストラン街の奥の壁面にパネルが直接描かれ、さらに奥まった位置にショーケースがある。知らない人が見れば、パネルも単なる壁の彩りだと思うかも知れない。ショーケースの中にはペナントやユニホームが飾られているが、バットやボールやグラブやスパイクはない。
 週末の午後、足を止める人は少ない。ホークスがこの地を去ってから、すでに16年が過ぎている。

 以前も触れたように、ここには野村克也についての資料が展示されていないと聞いていた。いずれ、自分の目で確かめようと思っていた(何だって俺は野村克也のことばかり書いているのだろうかと我ながら思うが、まあこれも成り行きというものだ)。

 聞いていた通りだった。いや、想像していた以上に徹底していた。
 在籍した主な選手の写真を並べたパネルの中に、野村の姿がない。ここまでは予想の範囲内だ。
 だが、球団の年表の中にも野村の名はない。年表には各年の勝敗数と順位、監督名が記されているが、1970年から77年までの間だけ、監督名が書かれていない。73年にはリーグ優勝を果たしているというのに、優勝監督が誰だかわからないのだ。不自然きわまりない。
 選手紹介のパネルが、守備位置別ではなく「投手」「打者」「野手」という奇妙な分類になっているのも、個人タイトルについての展示が見あたらないのも、すべては野村克也の名を記さないためだと思われる。

 選手としてはMVP5回、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、そして三冠王1回。最多試合出場・最多打数のプロ野球記録を持ち、打撃部門の通算記録の多くでトップ5に位置する大打者。監督としては70年から77年の8年間にわたってプレーイングマネジャーを務め、リーグ優勝1回。
 球団史を代表する選手を1人選ぶなら間違いなくこの男、という人物を、あたかも存在しなかったかのように抹消したために、球団史の展示そのものが大きく歪んでいる。
 長嶋茂雄のいないジャイアンツ史、山本浩二のいないカープ史。そんなものがありうるだろうか。想像もつかない。

 ウィキペディアには「本人の許可が下りなかったからとされる」と書かれているが、写真や記念品はともかく、年表に名を記すのに許可が必要だとも思えない。仮に野村が自分の名を消すよう要望したという事実があったとしても、その通りに抹消する側も大人げないというほかはない。
 77年オフに野村が監督を解任されて南海ホークスを去った時、南海球団や南海電鉄、あるいは球団OBたちと野村との間にどんな確執があったのか、詳しくは知らない。だが、それからもう四半世紀以上も経っている。当事者の多くは一線を退いたか、すでに世を去っているだろう。
 確執の舞台となった球団も、球場も、すでに存在していない。ただ恨みと憎しみだけが世代を越えて引き継がれ、亡霊のように球場の跡地を漂っている。

 いかなる経緯があるにせよ、この「南海ホークス メモリアルギャラリー」という展示は、野球そのものに対する敬意を欠いている。そして、亡きホークスを懐かしんでこの場所を訪れるであろう、かつてのファンたちに対する敬意をも著しく欠いている。それが哀しい。

 なんばパークスは、南海電鉄や地下鉄のなんば駅から歩いて数分の位置にある。梅田から地下鉄で4駅、10分程度の距離だ。残念なことに私は大阪球場を見たことがないのだが、これほど絶好の立地にあった野球場を、日本の野球界は維持することができなかったのだと思うと、それもまた寂しい。
 もっとも、そのおかげで福岡に素晴らしい球団と観客が生まれたことを思えば、結果的には良かったのかも知れないが。
(皮肉なことに、ソフトバンク・ホークス公式サイトの中には、まだ部分的にではあるが、前身の南海ホークス以来の歴史を克明に記した球団史コーナーが設けられている)


 地下鉄で梅田に戻り、地上に出ると、阪神百貨店の外側に長い列が延びていた。
 優勝記念セールが行われるタイガースショップへの入場を待つ人々だった。

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