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三冠王を抹消した球団史。

 関西出張のついでに、なんばパークスに行ってきた。
 かつて大阪球場があった土地に南海電鉄が建てた、大型の商業施設である。
 以前、ちょっと話題にしたことがあるが、ビル内に設けられた「南海ホークス メモリアルギャラリー」が目当てだった。

 ブランドショップがひしめく商業ビルや庭園、高層オフィスビルで構成された敷地内に、かつて野球場があった面影はまったくない。記念碑のひとつくらい建っていると嬉しいのだが。
 「メモリアルギャラリー」は、商業ビルの7階にあった。レストラン街の奥の壁面にパネルが直接描かれ、さらに奥まった位置にショーケースがある。知らない人が見れば、パネルも単なる壁の彩りだと思うかも知れない。ショーケースの中にはペナントやユニホームが飾られているが、バットやボールやグラブやスパイクはない。
 週末の午後、足を止める人は少ない。ホークスがこの地を去ってから、すでに16年が過ぎている。

 以前も触れたように、ここには野村克也についての資料が展示されていないと聞いていた。いずれ、自分の目で確かめようと思っていた(何だって俺は野村克也のことばかり書いているのだろうかと我ながら思うが、まあこれも成り行きというものだ)。

 聞いていた通りだった。いや、想像していた以上に徹底していた。
 在籍した主な選手の写真を並べたパネルの中に、野村の姿がない。ここまでは予想の範囲内だ。
 だが、球団の年表の中にも野村の名はない。年表には各年の勝敗数と順位、監督名が記されているが、1970年から77年までの間だけ、監督名が書かれていない。73年にはリーグ優勝を果たしているというのに、優勝監督が誰だかわからないのだ。不自然きわまりない。
 選手紹介のパネルが、守備位置別ではなく「投手」「打者」「野手」という奇妙な分類になっているのも、個人タイトルについての展示が見あたらないのも、すべては野村克也の名を記さないためだと思われる。

 選手としてはMVP5回、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、そして三冠王1回。最多試合出場・最多打数のプロ野球記録を持ち、打撃部門の通算記録の多くでトップ5に位置する大打者。監督としては70年から77年の8年間にわたってプレーイングマネジャーを務め、リーグ優勝1回。
 球団史を代表する選手を1人選ぶなら間違いなくこの男、という人物を、あたかも存在しなかったかのように抹消したために、球団史の展示そのものが大きく歪んでいる。
 長嶋茂雄のいないジャイアンツ史、山本浩二のいないカープ史。そんなものがありうるだろうか。想像もつかない。

 ウィキペディアには「本人の許可が下りなかったからとされる」と書かれているが、写真や記念品はともかく、年表に名を記すのに許可が必要だとも思えない。仮に野村が自分の名を消すよう要望したという事実があったとしても、その通りに抹消する側も大人げないというほかはない。
 77年オフに野村が監督を解任されて南海ホークスを去った時、南海球団や南海電鉄、あるいは球団OBたちと野村との間にどんな確執があったのか、詳しくは知らない。だが、それからもう四半世紀以上も経っている。当事者の多くは一線を退いたか、すでに世を去っているだろう。
 確執の舞台となった球団も、球場も、すでに存在していない。ただ恨みと憎しみだけが世代を越えて引き継がれ、亡霊のように球場の跡地を漂っている。

 いかなる経緯があるにせよ、この「南海ホークス メモリアルギャラリー」という展示は、野球そのものに対する敬意を欠いている。そして、亡きホークスを懐かしんでこの場所を訪れるであろう、かつてのファンたちに対する敬意をも著しく欠いている。それが哀しい。

 なんばパークスは、南海電鉄や地下鉄のなんば駅から歩いて数分の位置にある。梅田から地下鉄で4駅、10分程度の距離だ。残念なことに私は大阪球場を見たことがないのだが、これほど絶好の立地にあった野球場を、日本の野球界は維持することができなかったのだと思うと、それもまた寂しい。
 もっとも、そのおかげで福岡に素晴らしい球団と観客が生まれたことを思えば、結果的には良かったのかも知れないが。
(皮肉なことに、ソフトバンク・ホークス公式サイトの中には、まだ部分的にではあるが、前身の南海ホークス以来の歴史を克明に記した球団史コーナーが設けられている)


 地下鉄で梅田に戻り、地上に出ると、阪神百貨店の外側に長い列が延びていた。
 優勝記念セールが行われるタイガースショップへの入場を待つ人々だった。

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コメント

甲子園に行ったときに難波に寄っていろいろ歩き回っていたのですが、まさかそこに大阪球場があったとは知りませんでした。惜しいことをしました。

野村氏の解任というか、彼と南海の話については例の手記を読むまで全く知らなかったのですが(というか杉浦忠という名前も知りませんでした)、「スポーツにも政治があるとは思わなかった」という彼が当時言った言葉にその泥臭さを感じました。

ソフトバンクの公式には、「往年の名選手」の杉浦氏の紹介部分に野村の名前が一度だけ出てきていますね。ただ、捕手を「保守」と間違えているのはわざとではないと思いたいです(苦笑)

投稿: アルヴァロ | 2005/10/03 00:33

もう6、7年前に南海OBの広瀬叔功氏に昔の話しを聞いたことがあります。広瀬氏は野村克也氏、故・杉浦忠氏とともに南海の黄金期を支えた方です。野村氏が南海を追われることになった時の話しも色々と話していただきました。詳細は省きますが、広瀬氏は当時、野村氏の行動を色々と諫めていたが、それがうまく伝わらなかったことを残念がっていました。その時、野村氏のことを思って色々と注意していた姿から2人は犬猿の仲だと一般的には言われています。でも、その話しを私がうかがった時は、ちょうど野村氏の奥さんが色々とワイドショーで騒がれている時期でしたが、そのテレビを見ながら広瀬氏が、野村氏のことを心配している非常に姿が印象に残っています。当時のいきさつはどうあれ、南海というプロ野球史の中でも重要な一角を占めるチームの球団史がこういう形になっているのは残念なことだと思っています。

投稿: stone | 2005/10/03 04:45

>アルヴァロさん

>甲子園に行ったときに難波に寄っていろいろ歩き回っていたのですが、まさかそこに大阪球場があったとは知りませんでした。惜しいことをしました。

あそこに野球場があったら、どんなにいいだろうと思いませんか?(笑)

>「スポーツにも政治があるとは思わなかった」という彼が当時言った言葉にその泥臭さを感じました。

政治というより、親分子分のしがらみの中で物事が動いていたという感じでしょうか(親会社と球団、監督と選手、それぞれの関係性に言えることです)。

>ソフトバンクの公式には、「往年の名選手」の杉浦氏の紹介部分に野村の名前が一度だけ出てきていますね。

各年の歴史を記述した部分には、普通に出てきてます。「往年の名選手」欄に野村の項がないのは、コーナー自体が工事中だからなのか、意図してのことなのか、まだわかりません。


>stoneさん

>もう6、7年前に南海OBの広瀬叔功氏に昔の話しを聞いたことがあります。

それは貴重な機会でしたね。
広瀬さんという人は、上述のような「政治性」からは少し距離を置いた、わりとさっぱりした人柄の方という印象を持っていましたが、stoneさんのお話からも、そういう雰囲気が伺える気がします。

>当時のいきさつはどうあれ、南海というプロ野球史の中でも重要な一角を占めるチームの球団史がこういう形になっているのは残念なことだと思っています。

南海を愛していた人ほど、この展示を見れば苦々しい気分になるのではないかと思います。
ソフトバンクホークスが南海時代からの歴史を引き継ごうとする姿勢は好ましいものですが(西武ライオンズは福岡時代の歴史を完全に切り捨てています)、チームとは別に、地域に属する歴史というものもあるはずです。しかし、この展示は結局は球団を南海電鉄という一企業の所有物としてしか捉えていないことが明白で、大きく言えば、企業としての限界を露呈した展示と感じます。


投稿: 念仏の鉄 | 2005/10/03 10:06

はじめまして。考える木と申します。
最近このブログの存在を知り、以来興味深く読ませていただいております。
どの記事にも、心のどこかで感じながらも明確には認識できていない真実に気付かされ、己の考えの至らなさを反省することしきりです。「野にこれほどの書き手が……」と鉄さんの慧眼には毎度新鮮な驚きを感じずにはおれません。
ところで、噂では聞いておりましたが、南海はひどいことをやっていますね。野村氏への恨みを伝えたくて展示をしているのでしょうか。良識を疑います。
私、今は東北楽天を応援していますが、かつてヤクルトを応援していたことがあります。当時は関根氏が監督をしていたのですが、そこへやってきたのが野村氏でした。ですから今回もまた、やってきたな……(笑 という感じです。
ヤクルト時代の野村氏には、選手に恵まれたということ以外は、投手交代が遅れがちで傷口を広げることが多かったこと、苫篠を苛めたことなどと殆んど良い印象がありません。
なるほど南海ホークスの監督の頃には、江本、山内、松原(福士)、江夏などピッチャーを次々に発掘・再生しましたが、それは監督としての力量というより捕手としての力量だったのではないでしょうか。
清原を獲るような素振りを見せていながら、内定が決まった後では獲らないよと発言をするなど、早速したたかな野村節が炸裂しているようですね。田尾氏を切った罰があたったようで、ちょっと嬉しい気分(笑 です。
長々と駄文をすみませんでした。また、機会があったらお邪魔します。

投稿: 考える木 | 2005/10/04 19:00

>考える木さん

書き込みありがとうございます。過分のお褒めを頂戴して恐縮です。「考える木」さんのBLOGも拝見しましたが、いろいろと考え方に共通する部分があるように思います。それにしても池永をご覧になったとはうらやましいです。私の記憶は辛うじて山口高志あたりから始まっていますので。

>ヤクルト時代の野村氏には、選手に恵まれたということ以外は、投手交代が遅れがちで傷口を広げることが多かったこと、苫篠を苛めたことなどと殆んど良い印象がありません。

バッテリー以外にも飯田や土橋を育てたとは言えますが、代わりに栗山や笘篠をダメにしたので差し引きゼロという気もします(笑)。

>清原を獲るような素振りを見せていながら、内定が決まった後では獲らないよと発言をするなど、早速したたかな野村節が炸裂しているようですね。田尾氏を切った罰があたったようで、ちょっと嬉しい気分(笑 です。

別のコメント欄にも書きましたが、野村監督はフロントと駆け引きをするのが好きな人ですから、楽天野球団の若い幹部たちの手に負えるかどうか、興味深いものがありますね。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/10/04 22:11

はじめまして。
大阪球場の事がかかれていたので思わず当時を振り返り、書き込ませて
頂きます。
それは、自分が当時高校生の時でした。「南海」という球団が無くなる
ことをうけ、同時に大阪球場での最後の試合となる日、勿論普通の授業
を受けていた自分たちのクラスの6割が学校を抜け、南海最後の試合を
観戦しに大阪球場に駆けつけました。
他の人は知らず、当時は特に南海に対して興味はありませんでしたが、
目の前で野球を繰り広げているチーム、そしてこの球場がプロ野球から
無くなるとはとても思えませんでした。
大阪球場はビルの建ち並ぶ難波の中にぽっかりとした空間を生み出して
いて、周りの喧噪を遮断した何か不思議な異空間のようでした。
今は大阪を離れていますが、元の球場が再開発されるとの話を聞くと、
あの時の記憶がよみがえり、どこかもの悲しさがわいてきます。
ファンでも無かった自分がいうのも何ですが、あんな立地の良い球場が
無くなるなんて、残念ですね。

投稿: hide | 2005/10/30 17:45

>hideさん

いらっしゃい。書き込みありがとうございます。

>「南海」という球団が無くなることをうけ、同時に
>大阪球場での最後の試合となる日、勿論普通の授業
>を受けていた自分たちのクラスの6割が学校を抜け、
>南海最後の試合を観戦しに大阪球場に駆けつけました。


お近くの高校だったのでしょうか。いい話だなあ。当時の南海は、普通の高校生の関心を引くほどの魅力は残念ながら感じられないチームだったけれど、当たり前にそこにあったものがなくなるのは辛い。こんな喪失感は、できれば二度と味わいたくないものです。
88年は南海と阪急、戦前から続いていた関西の2球団が身売りするという寂しい秋でした。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/10/30 20:09

「野村克也は本当に名将か」(工藤健策著)という本には、「南海ホークス メモリアルギャラリー」に関して、「南海電鉄は「野村関係の写真などを展示する許可を求めたのだが、沙知代が断固拒絶した」ので展示できなくなったと書かれいます。NHKが南海ホークスの歴史をまとめたビデオを作りたいと言ってきたときも、断ったとあります。南海ホークスは野村さんを解任はしたけれども、それが一大騒動になったのは、野村さん側の反応によるものだったわけで、確かに南海電鉄としては何も野村さんを歴史から排除する必要はないわけで、これは事実ではないかと思います。「参考文献」として、「野村セオリー」(野村沙知代著)が挙げられていますので、この件はそこに記述されているのではないでしょうか。

投稿: nomura-nigate | 2013/07/27 08:55

>nomura-nigateさん

写真や記念品が展示されないのは野村さんサイドの意向なのでしょうが、エントリ本文にも書いた通り、年表に名前がないというのは異様です。当時の監督として名前を記すことに本人に拒否権があるとは思えません。控えめに言っても「どっちもどっち」という印象を受けました。
 
以下はレスというよりは独白です。

ところで、ユニホームを着た試合中の写真を、球団が非営利事業に用いることを、本人が拒否するだけの権利があるのかどうかは、ちょっと興味深い。
もちろん南海球団はすでにないが、当時球団が保持していた各種の権利は、100%出資者だった親会社に引き継がれるのか、消滅するのか、あるいは後進たるソフトバンクホークスに引き継がれるのか。

そもそもプロ野球の親会社が変わる際には、元の法人を買い取るのか、新法人を設立して指導者や選手との契約を譲渡するのか。法的な地位はどうなってるんだろう。あまり考えたことがなかったな。

投稿: 念仏の鉄 | 2013/07/29 11:40

お返事ありがとうございます。つい思いつきでコメントしてしまい、申し訳ありませんでした。書き込む前に「野村セオリー」という本で内容を確認しておくべきでした。昨日近くの図書館で検索したところ蔵書にありましたので、借り出して読んでみました。以下に本から関係する箇所をすこし抜き出します。

「 かつての南海ホークスの栄光をとどめようという女々しい考えで、そんな施設を造ったようです。優勝トロフィーや優勝したときの写真などが飾られてある中で、南海の一番の貢献者である主人の写真などは一切ありません。その施設を造るときに南海電鉄から連絡がありましたが、私がすべて断ったからです。
「二十数年ぶりで、やっとあなたたちにカタキが取れます。主人の名前は入れないで結構です。優勝当時の写真があったら、そこから主人の顔を消してください。…」
その電話があったことは主人には伝えませんでした。…
「オマエは執念深いな」
そのことを知った主人も、ポツリとひと言言ったきり。… 」

本によると、野村夫妻は「野村克也」個人を商標登録しているそうです。結局、南海電鉄に対して野村さんの名前を使うことまで拒否したのかどうかは文面では分かりませんでしたが、たしかに、「当時の監督として名前を記すことに本人に拒否権があるとは思えません」というご意見はもっともだと思います。あるいは、南海電鉄側も意地になったのかも知れませんが、結果的に異常な展示会場にしてしまい、造ったこと自体良かったのか悪かったのか…。南海電鉄にはこの件で抗議も多いとこの本に書かれています。

>当時球団が保持していた各種の権利は、100%出資者だった親会社に引き継がれるのか、消滅するのか、あるいは後進たるソフトバンクホークスに引き継がれるのか。

南海ホークスのビデオを造りたいと言ってきたNHKは、その際、ソフトバンクの許可を得ていると言ったそうです。球団の親会社が変われば、選手の記録などもそのまますべて新会社に譲渡ということになるようです。しかし野村さんは商標登録していることを理由に断ったということですので、退団した選手の肖像権などは球団の自由にはならない、本人との間に新たな契約や話し合いが必要とされるのでしょう。そういえば、新聞社で出す過去の有名選手の写真集(たとえば長嶋茂雄さんの場合)などは、ちゃんと本人の許可と協力を得た上で出されていますね。ということは、(元)選手の側に拒否権があるということなのでしょう。

どうも長々と失礼いたしました。

投稿: nomura-nigate | 2013/07/31 13:47

>nomura-nigateさん

こちらこそ不躾なレスで失礼しました。
野村監督が南海ホークスを追われた時の主な理由は、夫人をグラウンドに出入りさせる公私混同、ということだったと記憶しています。ご紹介いただいた著作も、野村さんというより、夫人自身が抱えた恨みの大きさを感じさせる内容ですね。

権利が新会社に引き継がれるということだと、南海ホークスに関する権利はソフトバンクホークスに引き継がれ、南海電鉄には何もない、ということになるんでしょうね。まあ、球団を手放すというのはそういうことで、当然といえば当然か。夫人の<女々しい考え>という表現もそのへんのことを言っているのでしょう。

選手の肖像権の扱いは時代によっても変化しており、野村さんの現役時代には選手の権利意識も希薄で、おそらく球団が好き勝手に何でもできたのだろうと思います。2002年に選手会が、ゲームソフトの肖像権侵害についてコナミとNPBを訴えており、その頃からだいぶ変わって来たのでしょうね。
個人的には、ゲームソフトのような商業利用で権利を主張するのはよいとしても、このメモリアルギャラリーのような、無償かつパブリックな性質を帯びた使用について、肖像権を振りかざすというのはあまり感心しません(まあ、これがパブリックかどうかという点では異論もあるでしょうが)。

投稿: 念仏の鉄 | 2013/08/06 08:22

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