トーリの「信頼力」がヤンキースを導く。
エンジェルスとのプレーオフ初戦、ヤンキースは二死満塁からロビンソン・カノの左越え二塁打で3点を先制した。
打席での彼は、いつも感情表現が少ない。喜びも動揺も、あまり示すことがない。ヤンキースがワールドシリーズまで進めばシリーズ中に24歳の誕生日を迎える若さであり、守備では未熟さを露呈することもあるが(例えばこの試合の9回、二塁寄りの高いバウンドのゴロをバックハンドで捕ろうとして合わせ損ない、センター前タイムリーにしてしまったプレーは、軽率なものだった)、打者としては、打っても打ち損じてもポーカーフェイスを崩さない。
それはもしかすると、スーパースター揃いのチームの中にひとりだけ混ざっていることの重圧から来ているのではないか、と想像することもある。だから、たまにベンチ内で彼の無邪気な笑顔が映ると、やっぱり若いんだな、と妙にほっとする。
カノの抜擢は、今年のヤンキースのひとつの分岐点だったと思う。
ヤンキースの出足は最悪だった。4月を終わった時点で10勝14敗、.417。5月は17勝10敗と持ち直したものの、6月は12勝14敗で、再び負け越し。夏まで続いた低迷ぶりを考えると、地区優勝したこと自体が奇蹟に近い。
投手陣が故障者続出で崩壊し、打線はそこそこ打っているけれど波が激しい。そんな病状に対するトーリ監督とキャッシュマンGMの処方は、若手の抜擢と投手の緊急補強だった。さほど悪くはなかったウォーマックを二塁から外野に回し、マイナーから引き上げたロビンソン・カノを二塁に起用する。同じく若手の王建民を先発ローテーションに加える。さらに夏場にはスモール、チャコーンといった投手を獲得し、先発グループに加えた。彼らは期待に応えて活躍し、主力の欠けたチームをよく支えた(この時期に野茂英雄がチャンスを掴めなかったのも、ご承知の通り)。
改めてトーリの起用に感心するのは、選手をひとたび抜擢したら、何があっても使い続けるところだ。
カノが最初に試合に出場したのが5月3日のタンパベイ戦で、この日はノーヒット。2試合目に初安打を含む2本の安打を放つが、その後は6試合続けてノーヒットに終わる。四球すらない。
しかし、トーリはそのままカノを先発で起用し続ける。8試合目にようやく2安打したカノは、続く4試合で11安打と打ちまくり、そのままシーズンの終わりまでレギュラーとして定着する。月別打率を見ると、6、7月は3割を上回ったものの、8月は.207と著しく低迷。エラーを繰り返した試合もあったように思う。それでもトーリは揺るがない。すると9月には再び.384と打ちまくり、しばしば貴重な本塁打でチームの危機を救う。
結局、初出場以来、カノはほとんどの(もしかするとすべての)試合でレギュラーとして起用され、最終的にそれにふさわしい成績を残した。
ここまで極端ではなくとも、王やスモール、チャコーンらの起用も同じで、先発ローテーションに組み込んだら、簡単には外さない。代打で試して…などという起用法を、トーリはあまり好まない。使うとなればいきなりスタメンだ。そして、すぐによい結果が出なくても使い続ける。
トーリは、おそらくは熟慮を重ねた末に決断し、一度決断したら迷わない。そういう人なのではないかと思う(ベテラン内野手のウォーマックを外野にコンバートするというのは、かなり思いきった決断だ)。
トーリという監督を特徴づけているのは、選手への揺るぎない信頼だ。
それは、もともと力のあるベテランが多いヤンキースというチームには合っているし、若手育成に際しても成長を促しやすいやり方といってよいだろう。
カノも王も、シーズン前から有望視されていた選手だった。一時の勢いによる活躍ではない。トーリの揺るぎない信頼が、彼らが持てる力を発揮する上では大きな支えになったのではないかと思う。一昨年のルーキー、ヒデキ・マツイにとっても同じだったはずだ。
また、シェフィールド、シエラ、A-RODという、行く先々の球団でトラブルを起こしてきたスターたちが、チームプレーヤーとして(少なくとも目立ったトラブルを起こさずに(笑))活躍しているのも、トーリの力によるのではないかと私は思っている。
東京にある、選手構成の似たチームの監督にも、たぶんこういう人物がふさわしいのだろう。実績のあるベテランと、実績のない若手、いずれも「信頼」抜きに力を発揮することは難しい。従来の、とりわけ最近2年間の監督には、それが欠落しているように見えた。
金も出すが口も出すオーナーがメディアを通じてプレッシャーをかけても、トーリは敬意は示すが采配は曲げない。外からの圧力に対して選手を守る姿勢を備えた監督だけが、選手の信頼を受けることができる。
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