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2005年11月

王監督まで見殺しにするのか。

WBC出ません 竜戦士決断  ペナント奪回が最優先

 来年3月に開催される「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」に、中日からの参加がゼロになる可能性が出てきた。15日までに6選手に出場要請が届いているが、うち5選手が固辞。理由はそれぞれだが、共通するのは『ペナントを優先したい』という思い。断腸の思いで“名誉欲”を断ち切ろうとしている。一方、日本代表の指揮を執るソフトバンクの王貞治監督(65)もこの日、「思うように進んでいないところもある」と最強軍団編成の難しさを口にした。 (後略) 11/16付 中日スポーツ


松中がWBC全面協力呼びかけ

(前略)この日、福岡県内で行われたゴルフコンペに参加した松中が「辞退者が続出? 知っていますよ。でも、選手会としても出ると決めたんだから、調整うんぬんの問題じゃない。最強チームをつくると言っている監督がかわいそうだ」と、出場を渋る候補選手を、王代表監督に代わり一喝した。(後略) 11/21付 報知新聞


WBC派遣消極的球団にペナルティーも

 巨人・清武球団代表は28日、WBCへの選手派遣に消極的な球団について「阪神、中日は1人でしょ、出すと言っているのは。最強チームをつくることを全会一致で実行委員会で決めた。従わないでペナントレースを戦おうなんてのは姑息(こそく)だ」と痛烈に批判した。(後略)  11/29付 スポーツニッポン


 このままではアテネでの中畑の二の舞になりかねない。
 王監督をそんな目に遭わせていいのか。

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『おおきく振りかぶって』に見る女子マネージャー的感性。

 ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』(講談社)の単行本が書店に平積みになるたびに、帯に印刷された「こんな高校野球漫画読んだことない!」という手書き文字が気になっていた。わざわざ手書きにしているのに、誰が書いてるのかわからない。「こんな」がどんな意味なのかもよくわからない。何とももどかしい腰巻きではありませんか。
 そんな講談社の計略にまんまとはまって…というだけでなく、昨年のベスト漫画アンケートの類でいろんな人に称賛されていたこともあって、4巻が出た頃に単行本を一気に読んだ。確かに面白い。

 舞台は埼玉県のある公立高校。硬式野球部が新設され、入部志望者がグラウンドに集まる場面から物語は始まる。監督は「軟式時代の卒業生」の百枝まりあという若い女性で、入部志望者は1年生ばかり(女子高から共学になったということだろうか)。全員が互いを知らない、という手探り状態から、キャラクターのひとりひとりが浮かび上がってくる。内面描写の主体が目まぐるしく入れ替わるので、キャラクターの名前と顏が一致するまでは、多少戸惑う。

 物語の軸になるのは投手・三橋と捕手・阿部のバッテリー。小柄で華奢な三橋廉は、投手が好きでたまらないのに、卑屈なまでに自信がない。中学時代、祖父が理事長を務める私立中学で投手を務めていたが、チームはまったく勝てず、「身内びいきでお前がエースをやってるから負け続けるんだ」と捕手をはじめとするチームメイトに虐め抜かれたために、自己嫌悪に苛まれっぱなしのいじけた性格になってしまった。それでもマウンドへの執着は人一倍。そんなヘタレな投手の技術的特性を見抜き、俺のリードでエースにしてやる、と野心を燃やす阿部。

 ただし、この2人が主人公で他が脇役、という感じでもない。QUE SELA SELA日記でも指摘されているように、ひぐちは控え選手も含めて選手ひとりひとりをじっくりと描く(のだが、私は彼らの顔が覚えきれていないので、選手どうしの会話についていけない箇所が結構ある(笑))。対戦相手や、今後対戦するであろうチームの選手たちまで同じきめ細かさで描写する。あくまで群像劇として、この物語を進めていこうとしている。
 最近の野球漫画にはさほど詳しくないが、私が知っているスポーツ漫画の多くは、団体競技を描いていても特定の選手にフォーカスを当てることが多く、チームメイトの何人かには明確な名前や顏が与えられていないことも少なくなかった。だから、それぞれの性格や、ちょっとした心の動きがここまで丹念に、しかも楽しそうに描かれている作品は、確かに珍しい。

 選手全員を画面に出すことに熱心だった漫画家といえば、水島新司を思い出す。
 『ドカベン』で山田太郎たちが明訓高校にいた頃の巻を適当に手に取って、試合開始のあたりを開いてもらえばわかるが、水島は主な試合では必ずといってよいほど、両チームのスタメン全員の打順と守備位置を紹介している。明訓高校だけでなく、相手チームについてもこれをやるのだ。結果的に見せ場も台詞もない選手はいるけれど、たぶん水島は、最初にこれを決めないと試合を始めることができないのだろうと思う。野球は9人どうしでやるものだ、というのが水島の信念なのだろう。いや、信念というより、年間百試合以上をこなす草野球プレーヤーとしての水島の生理が、自然とそうさせるのではないかと思う。

 ひぐちが個々の選手に寄せる視線は、水島のそれとは微妙に異なる。
 舞台となる西浦高校の選手一人ひとりの身体的特性から技術面での得手不得手、性格、家庭環境などがつぶさに描かれる中で、唯一謎のベールに包まれた人物が、監督の百枝まりあだ。
 若い女性できつめの美人で巨乳で甘夏を片手で握りつぶす握力を持ち、野球の指導については投打の技術から作戦、配球、メンタルトレーニングにまで精通しノックも上手いという万能コーチなのだが、彼女がその技能をどうやって身に付けたかは明かされていない(かつて軟式野球部に所属していたというだけで、こんなに優秀なコーチになれるはずがない)。かろうじて、ビル掃除のアルバイトをして部の運営資金を稼いでいる場面が紹介されるだけだ。
 百枝が監督をしている動機も明示されはしないが、選手たちの一挙一動を注視しながら、しばしば心中で喜びのモノローグをつぶやく様子に、高校野球と高校球児が好きでたまらないという心情が示される。

 単行本の巻末についているエッセイ漫画を読むと、ひぐち自身が高校野球好きの女子だったらしいことが伺える。ひぐち本人のモノローグと、作品中の百枝のモノローグの質は、よく似ている。
 高井昌吏は『女子マネージャーの誕生とメディア』(ミネルヴァ書房)の中で、高校・大学の運動部の女子マネージャーへの聞き取り調査を通して、男性スポーツ集団に憧れつつも彼らの仲間には入れず、入れないが故に男性の集団に魅力を感じる、という彼女たちの微妙な心情を記述している(そういえば昔むかし、20世紀の終わりにSMAPがブレイクしはじめた頃、彼らの人気について「放課後のクラスで男の子たちが仲良くしてるのを見てるような感じが好き」と話していた女性がいたのを思い出した。ちょっと似てるかも知れない)。

 彼らの仲間に入ることなく彼らの野球をサポートする…マネージャー以外にそんな方法があるとすれば、その究極の形態が監督である。
 そう考えると、百枝は、ひぐちの女子マネージャー的感性の理想形なのかも知れない(百枝の経歴や背景が描かれないのは、それが自分自身のことだから作者の興味をそそらない、ということだろうか)。
 百枝のようなスーパーな能力を持ちあわせない平凡な女子であるところのマネージャーも、この作品には登場する。この篠岡千代は、ひぐちの自己像そのものの投影と考えることもできる(ついでに言うと、試合のスタンドに応援に来る父兄も母親ばかりだ)。
 つまり『おお振り』は、女子マネージャーの感性に基づいて描かれた高校野球漫画である(女子マネージャーの視点だけから描かれているわけではないけれど)。だとすれば確かに、こんな高校野球漫画、私は読んだことがない。
 私が本書を手に取るきっかけとなった書評の数々では、スポーツ科学やスポーツ心理学の知識を無理なく物語に取り込んだことが高く評価されていた。そのこと自体を否定はしないけれども、私はむしろ、すみずみまで行き届いた「女子マネージャー的感性」がこの作品の最大の特徴であり、魅力でもあると感じている。

 などとつらつら書いてきたが、私自身は女子マネージャーだった経験もなければ、女子マネージャーが身近にいたこともない(男子校出身なので)。女子マネージャー経験のある『おお振り』読者の方がおられたら、ぜひご意見を賜りたい。

 テクノラティなどを使ってブログ検索をかけてみると、『おお振り』を熱く語っているのは当然のように女子が圧倒的に多いわけだが、この勢いでこの作品が支持され続けるならば、日本人女子の野球リテラシーはものすごく底上げされるに違いない。私が『ドカベン』で野球を覚えた四半世紀前に比べると、世界は着実に進歩している。10年後くらいに、『おお振り』に影響された女性監督が甲子園に勝ち進んだりしたら面白いのだが。

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プロ野球に二軍は必要か。

 今秋のプロ野球ドラフト会議で、四国アイランドリーグから指名された選手は、ひとりもいなかった。
 5試合連続完封という離れ業をやってのけた愛媛の西山道隆投手など、何人かの選手は数球団が候補と考えている、という報道もあったが、結局はいなかった。リーグ代表の石毛宏典は「これが現実かなと感じている。選手の頑張りもわれわれのサポートする努力も足りなかった。選手がプロになる土壌づくりを今後も築いていきたい」と話したという(東京新聞から)。
 野茂英雄がオーナーであるNOMOスポーツクラブからは、柳田殖生内野手が中日に5巡目で指名された。欽ちゃん球団こと茨城ゴールデンゴールズからも指名された選手はいない。

 ドラフトで誰を指名するかは、各球団が個々の戦略に基づいて(あるいは行き当たりばったりに)選ぶものであり、四国アイランドリーグから誰も指名されなかったのは、個別の判断の結果としての偶然だと信じたい。
 ただし、そうだとしても「残念でした」で片づけていいのか、という面は残る。
 ここには、選手の育成を誰が担うのか、という古くて新しい問題があるからだ。

 今週読んだ週刊ベースボール11/28号の石田雄太の連載コラムと、野村克也著『野村ノート』に、「プロ野球は高卒選手を育てていない」という同じ問題が指摘されていた。
 石田は、いわゆる「松坂世代」を例にとって「あの年、松坂大輔と同じように高卒でプロに飛び込んだドラフト3位以下のピッチャーは(中略)11人いたが、一人もモノになっていない。その一方で、大学、社会人を経由してプロに入ってきた和田毅、杉内俊哉、久保康友、木佐貫洋らの活躍ぶりは言うまでもない」と指摘する。モノになっていない高卒組は、石田が例にとった下位指名の投手だけではない。1位指名の選手にしても、阪神の藤川は7年かかってようやく主力になったが、他に1位指名された古木、実松、吉本、石堂、東出らは、7年目の今年も主力選手とは言えない。これほどまでに枕を並べて討ち死にしているようでは、球団ごとの巧拙以前に、プロ野球の二軍の仕組み自体に問題があると考えた方がいいのかも知れない。
 イースタン・リーグの年度別タイトルホルダーを見ていただけば(この表は熱心な個人ファンの方が作ったもので、イースタンにはオフィシャルサイトすら存在しない)、イースタン・リーグのタイトルホルダーの中で、一軍で活躍した選手がほとんどいないことは明白だ。昨年イースタンで首位打者をとり、今年はセ・リーグの首位打者となった青木などは例外中の例外である。二軍で活躍したところで一軍とはほとんど関係がない。この表の右端に「ビッグホープ賞」というのがある。これはベースボールマガジン社が独自に出している賞で、タイトルホルダーとは別の選手が選ばれることが多いが、こちらの顔触れの方がよほどなじみがある。

 もちろん、高卒で活躍する選手もいる。松坂やイチロー、松井秀喜、さかのぼれば桑田・清原のように、高卒でプロ入りしてすぐ、あるいは3,4年のうちにタイトルを争うようになるスーパースターもいる。そして、広島のように高卒の選手を二軍で鍛え上げて大きく育てる方針をもつチームもある。
 だが、多くの選手は松坂ではないし、多くの球団は広島ではない。それらのケースを、すべての球団が基準とする必要があるのだろうか。いや、各球団が経営に困っていないのなら別に構わない。だが、どこも赤字で経営難でどうにもならないと言い続けている現状で、二軍選手の年俸や遠征費用や施設費などの負担を見過ごしているのは解せない。

 そんなに経営が厳しいのなら、いっそのこと、不採算部門である二軍などやめてしまったらどうだろう。
 球団が保有する選手は一軍枠のほかに故障等で調整する分も含めて40人程度にとどめる。ドラフトで獲得するのは大学・社会人の即戦力のみ。二軍のリーグからは脱退し、一軍登録していない選手も故障者以外は一軍に帯同する。そうすれば二軍がスタンド付きの球場を持つ必要もないし、寮もいらない。二軍のスタッフも含めて、人件費は大幅削減だ。
 それじゃ長いペナントレースは戦えないよ、と言われそうだが、さて、本当にそうなのだろうか。シーズン中に一軍登録した選手の実数や、二軍で鍛えて成長して一軍に定着した選手の人数を考えれば、70人めいっぱい必要だという球団はどのくらいあるだろう。大半は「将来のために」と二軍の試合にも出られないレベルの高卒選手を何人も抱えているのではないだろうか。

 この「二軍不要論」は思いつきの段階に過ぎないから、実行に移すまでには多くの問題があるだろう。だが、例えば「球団数を減らして1リーグ制にする」という暴論に比べれば、この程度は変革のうちに入らない。いきなり合併とか言い出すまえに、せめてこのくらいの試みをしてみたらどうかと思う。

 そうやって二軍を縮小するチームが続出した場合、プロ野球は育成機能を大学や社会人に丸投げしてしまうわけだから、その分、大学や社会人に対してサポートをするべきだろう。
 野村克也は『野村ノート』の中で、こう提案している。
「プロが高校生を大量に囲うぐらいなら、社会人に供給し育成を任せる。そして社会人が数年間かけてプロで即戦力として通用するように育てあげ、プロ球団に手渡す。もちろんその代償としてプロは社会人に育成費を出すべきである」
 これを「裏金」と呼ぶからおかしなことになる。きちんと制度化して金額も定めればよい。
 ここまで述べてきたように、社会人野球界は、日本プロ野球にとってきわめて重要な選手育成機関だ。その社会人チームが2ケタまで激減したという現状は深刻きわまりない。NPBは社会人球界をサポートすることに、もっと熱心になった方がよい。

 そうやって二軍を縮小するチームが続出すると、ファームリーグは成り立たなくなる。広島のように二軍を重視するチームにとっては迷惑な話かも知れない。
 この点については格好の解決策がある。
 広島カープ二軍は、四国アイランドリーグに参戦すればよい。地理的にも近いし、試合数も多い。四国リーグにとっても大歓迎だろう。NPBのレベルを実感できるし、そこそこ有名な選手が試合に出てくれば観客動員にも役立つ。
 NPBは社会人球界をサポートしろと書いたけれど、企業経営一般に余裕がなくなっている現状では、景気が少々回復したところで、昔のような社会人野球の隆盛は望めない。どんなにサポートしても現状を維持するのが精一杯ではないかと思われる。
 ならば、それに代わる選手育成機関として、独立リーグをもっとサポートした方がよいと私は思う。二軍を削減した分、若い選手を独立リーグに派遣したってよいではないか(かつて西武がアメリカのマイナーリーグに選手を派遣していたように)。四国だけでなく、いろんな地域に独立リーグができれば、そういうことも可能になる。
 独立リーグそのものの育成という意味でも、今年のドラフト会議の結果は残念だった。


 先般開かれたプロ野球実行委員会では、育成を目的とした準支配下選手を20人まで保有してよい、という方針を決めたそうだ(というような大事な話がNPBオフィシャルサイトには報告されていない。そもそも実行委やオーナー会議のコーナーすらない。相変わらず情報開示には興味がないらしい)。

 下部チームを作って育成をするというのは、サッカー界に習った方針なのかも知れない。現状を変えようという積極的な姿勢そのものは評価したい。
 ただし、ここまで述べてきたことからおわかりいただけると思うが、私はこの方針には懐疑的だ。
 日本サッカー協会が世代ごとに強化指針を打ち出し、指導方法についてある程度の標準化ができているサッカー界と違って、日本の野球の指導は職人芸の世界だ。各学校、各球団ごとに、それぞれのやり方があり、勉強熱心で新しいものを取り入れる指導者と、そうでない指導者には、大きく差がついているのではないかと思われる。
 率直に言って、現在の70人枠の中で、高校球界のスター選手すら満足に育成できていない日本プロ野球界が、その下のレベル(準支配下選手とは当然そういう選手たちになる)の選手を育成することができるのか、私には心配だ。
(その意味で阪神の辻本投手の行く末には注目している。彼の存在自体が、この制度のテストのようなものだ)


関連エントリ
続・プロ野球に二軍は必要か。


注)
石田雄太、野村克也両氏の文章に関する記述を、正確な引用に改めました。(2005.11.19 20:30ごろ)


追記)
その後、育成ドラフトによって、西山道隆投手(愛媛マンダリンパイレーツ)がソフトバンクに、中谷翼二塁手(同)が広島に、それぞれ指名されて、育成枠で入団した。

追記2) 2009.4.24
豊田泰光氏のコラムに共通点の多い議論があったので、引用しておく。

<こうやってね、どんどん企業チームが消えていったら、選手作りがどうにも立ちゆかなくなりますよ。企業チーム、クラブチーム、独立リーグと連携して“プロ野球予備軍”を育成するキッチリとしたシステムを作り上げていかないと、ジリ貧もいいところになっちゃいますよ。それでなくても二軍は機能してないんですから(前から言ってるように、二軍という、一種の蔑称はもうやめた方がいい)。
 ここはね、二軍を発展的に解消して、社会人や独立リーグと同じ平面上に並べ直して、お互いに協力し合ってやっていくべきなのです。
 二軍は一軍から完全に切り離して、一軍の調整台のような役割から解放する。その代わり、1年中野球をやらせなくてもいい。アメリカのマイナーのように4月から9月までの契約で、あとの半年は、働いて食いつなぐ。
 社会人や独立リーグと一緒にやるんだから、働くのは当然でしょうが。
 こういう時代なんですから、プロ野球は70人も抱えてやってる必要はないんです。40人でいい。この40人で1年を戦う。二軍はね、12球団全体で面倒を見ればいいんです(各球団単位でやるからムダ金を使う)。しかも半年だけ面倒を見るだけでいい。金を使うなら、独立リーグや社会人を援助してほしい。>
(豊田泰光のオレが許さん! 第770回/週刊ベースボール2009.3.2号)

冒頭の<こうやってね>は日産自動車の休部を指す。エントリ内でも懸念を示した社会人チームの数は、ほぼ横ばいで、日本野球連盟の加盟企業チーム数は現在85(10年前から57減った)。独立リーグは今年から3リーグに増加。NPBとの交流戦の機会はしばしば設けられているが、組織的な提携に至ってはいない。
 
 
追記3)2009.10.2
阪神タイガースは2009年10月1日、辻本賢人選手と来季の契約を結ばないことを発表した。
http://hanshintigers.jp/news/topics/info_1275.html
辻本は米国のハイスクールを卒業した2004年秋のドラフト会議で阪神に9巡目で指名され、ドラフト史上最年少の15歳で入団した。2009年には支配下選手枠を外れ、育成選手となっていた。一軍登板はなし。

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アジア・シリーズは、続けていくことに意義がある。

 アジアシリーズに出場し、準優勝となった韓国代表・三星ライオンズは、主砲の故障欠場などもあって、本来の力量を発揮しきれなかった、と韓国野球通の解説者は話していた。
 その評価が正しいのかどうか、彼らの「本来の力量」を知らない私には判断のしようもない。
 ただ、試合を見ていて意外に思ったことがある。
 千葉ロッテと戦った2試合で、三星の打者たちが放った安打の多くは、センター返しや、右打者によるライトへの流し打ちだった。たとえば決勝の最終回に小林雅から打った4安打のうち3本は、決していい当たりではないセンター前ヒットだった。
 韓国の野球を見た経験はあまりないのだが、2年前に札幌で行われたアテネ五輪予選では、全試合を観戦した。五輪出場を逃した韓国は、主力打者が強引に引っ張るバッティングを繰り返してチャンスを逸していたという印象が強い(その中心にいたのがイ・スンヨプだった)。日米のプロ野球に在籍した韓国出身の打者も、パワフルに引っ張ることが中心で、いささか粗いという傾向がある。
 だから、韓国球界では相応のスター揃いらしい三星の打者たちが、無理せず逆方向に打ち返す姿は新鮮に映った。

 三星の監督は、96年から4年間、日本の中日ドラゴンズでクローザーとして活躍した宣銅烈(ソン・ドンヨル)だ。宣は昨年ヘッドコーチとして三星に加わり、今年、監督に就任して、いきなり優勝した。三星に加わる前の一昨年は、中日の二軍にコーチ留学していた。来日前から韓国球界のスーパースターだったとはいえ、指導者としては日本の影響を強く受けていると考えてよい。
 11/12の東京新聞には、宣監督へのインタビューが掲載されている。中日ドラゴンズの親会社による取材という点を割り引いても、宣が中日と日本野球に多くを学んだことがうかがえる。
「4年間、中日でプレーして学んだのは、投手力を整備しなければ、優勝を目指せないということ」
「(中日の)99年の優勝は先発から中継ぎ、抑えという勝ちパターンを確立させて、少ない点差で逃げ切る野球。まさにその野球で今年、優勝した。2点差以内で勝った試合が80%近くある」
「(日韓の)レベルの違いは明らか。投手は制球力もいいし、変化球も巧み。打者は簡単には三振しない。米国式、日本式の野球とよくいわれるが、アジア人の体格を考えると、8割以上は日本の野球を取り入れたいと思っている」
(カッコ内は引用者による)

 伝統的にアメリカ指向が強く、パワーに頼った野球を好むと言われる韓国で、今年のリーグ戦を制したのは日本に学んだ「スモールボール」だった、ということになる。アジアシリーズで、日本野球の中でも試合運びの巧みな千葉ロッテと2試合戦い、いずれも安打数で上回りながら敗れたという経験は、選手たちの意識を変え、宣監督のスモールボール志向をさらに浸透させるかも知れない。
 台湾の興農ブルズも、中国の選抜選手たちも、同じような印象を受けたのではないかと思う。圧倒的な速球やパワフルな打撃に叩き潰されたのではなく、さほど速くはない球の前に凡打を繰り返し、四球やエラーに集中打を連ねられて失点した経験を、彼らがどう受け止めるかは興味深い。

 今年始まったアジア・シリーズが、この先どうなっていくのかはまだわからない。大会として、ものすごく面白かったかといえば、それほどのものではない。千葉ロッテの試合運びに、パのプレーオフや日本シリーズほどの重みは感じられず、目を覆うような守備のミスもいくつか出た。同じ緊張を持続しているとは到底言えまい。
 かといって、単なる親善試合でも決してなく、選手たちは、アジア王者というタイトルに一定の敬意を抱いてプレーしているように感じられた。他の国の選手たちにしても同様だ。
 大会の権威などというものは、やっているうちに生まれてくるものだ。サッカーのワールドカップだって、最初は欧州の主要国から無視されていた。費用の面など難しいこともあるだろうけれど、我慢して続けていくことが大事なのだと思う。コナミは頑張って野球ゲームを売って、大会スポンサーを続けて欲しい。
 日本野球を覆う閉塞感を打破するには、日本シリーズ王座の先に、挑むべき世界が必要だ。そして、その戦いの場にMLBを引っ張り出す交渉の上で、東アジア4リーグの結束とレベルアップは、MLBが無視できない重みを持ってくるはずだから。

 そういったもろもろを考えると、最初のアジア・シリーズ出場チームが千葉ロッテになったのは、天の配剤とも言える幸運だったように思う。
 上述したように、今年の千葉ロッテが、日本の「スモールボール」を代表するようなチームであったこと。
 韓国の至宝イ・スンヨプを擁しており(これも偶然ながら福浦の欠場がイを今大会のレギュラーにした)、彼が打席に立つと韓国側スタンドからも拍手が湧いたこと。
 とかく観客動員に苦戦しがちなアジア単位の催しにもかかわらず、外野スタンドを埋め尽くした白いユニホームの人々が、左右両翼からのパワフルな歌声で東京ドーム内を圧倒したこと。
 そして、いずれはMLBに戻って監督をするであろうボビー・バレンタインが「ファースト・アジア・チャンピオン」という自らの肩書を全米に喧伝してくれるであろうこと。
 これらはきっと、この大会の将来に、よい影響を与えてくれる。

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当blogは『おしゃれ野球批評』を推薦します。

 表紙とタイトルにくじけて、目を背けてはいけない。「浴びろ!オレの野球汁(はあと)」という帯の惹句にも、退いてはいけない(いや、私だってそんな暑苦しそうな汁を浴びたくはないけれど)。
 このblogをちょくちょく訪れるようなタイプの野球好きの貴兄(と貴女)であれば、『おしゃれ野球批評』(DAI-X出版)を手に取ってみることをお勧めする。

 内容紹介は公式サイトに任せるが、要するにいろんな筆者を集めて野球についてのコラムを書いてもらった、というだけの本である。
 こういう造りの本は昔から時々見かけたが、あまり成功したものがない。構造がシンプルなだけに、執筆者のセレクトがすべてとなり、編集者にとっては簡単なようで難しいのだ。結果として、それぞれの野球に対するスタンスや体温がバラバラで一体感がない本ということになりやすい。いかにも勘違いしたようなノリの奴が1人か2人紛れ込んで自己顕示欲を撒き散らすだけで、書籍としての魅力は著しく損なわれてしまう。

 本書では、そこの難しいところを見事に乗り切っている。私が名前を知っているのは、えのきどいちろう、佐野正幸、杉作J太郎、綱島理友、吉田豪、リリー・フランキー、渡辺祐くらいで、執筆者32人の大半は知らない人だったが、上記した「勘違いしたようなノリ」の文章は見当たらない。それぞれの野球好きの度合いや知識やファン歴には差があっても、ベクトルはほぼ揃っている。野球でもサッカーでも会社でも軍隊でも、構成員が同じ方向を向いている集団は強いものだ。彼らは客席から野球を見ている。それ以外のものを向いてはいない。そこに、何とも言えない心地よさがある。

 黙って即座に買いなさい、と言いたいところだが、まあ、お試しに立ち読みしてみるのもいいだろう。ただし、えのきどいちろいう「04シーズンなどについて記す」と、「杉作J太郎、広島カープを語る」だけは開くのを避けた方がいい。後者は、笑い転げて止まらなくなる。前者は、号泣する羽目になりかねない。どちらも書店の店頭にはふさわしくない行為だ。私はタリーズの店内でエスプレッソ・マキアート(S)を飲みながらうっかりえのきどの文章を読んで、あやうく泣き崩れそうになった。愛するものを失った喪失感をこれほど哀切に描いた文章は、世の中にそう多くはない。えのきどの13ページだけでも、私にとっては1300円(税別)を払う値打ちがある。

 いずれにしても野球ファンにとっては、枕元にでも転がしておいて時々読み返し、新しいシーズンに備えるのにふさわしい1冊である。

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『惑星大怪獣ネガドン』は「フルCG特撮怪獣映画」である。

 「たけくまメモ」の紹介記事で知った『惑星大怪獣ネガドン』を見てきた。
 午後9時のテアトル池袋は立ち見が出る盛況。もともとは11/5から一週間限りのレイトショー公開だったが、6日目にして早くも同館のレイトショー週間動員記録を更新する好調ぶりに、一週間の延長が決まったそうだ。

 『惑星大怪獣ネガドン』が何かを一言でいえば、「自主制作のフルCGによる特撮怪獣映画」である。フルCGならアニメではないか、と思った方がいたとしたら、それは極めて重要なポイントを突いている。
 この作品の最大の特徴は、21世紀のCG技術を駆使して昭和30年代の特撮怪獣映画を力いっぱい再現してみせたことにある。

 25分の短編映画だから、物語はシンプルだ。
 舞台は昭和百年の東京。地球の人口は100億を超え、人類は火星に移住するために、その環境を地球と同じものに作り替える「火星テラフォーミング計画」に着手している。
 登場人物は3人しかいない。主人公の楢崎博士は、かつてロボット工学の権威だったが、10年前、巨大ロボット開発中の事故で一人娘の恵美を死なせてしまった。以来、科学への意欲を失って、公職を退いて自宅でひっそりと暮らしている。その楢崎を、かつての助手で防衛庁に勤務する吉澤が訪ねてくる。国からの復帰要請を楢崎が断ったと聞き、翻意を求めに来た吉澤を、楢崎は追い返す。
 だが、火星からの帰還途上に墜落した貨物船の残骸から火星の巨大怪獣が出現し、東京を破壊しはじめたことから、楢崎は封印していた巨大ロボット・ミロク2号を操縦し、絶望的な戦いに挑んでいく…

 タイトルバック明けに、「昭和百年」という字幕が現れ、力強いナレーションがこの言葉を読み上げる。粟津はここで、この映画は昭和の特撮怪獣映画なのだと高らかに宣言しているわけだ。
 楢崎は古臭い日本家屋に住んでいる。畳に卓袱台、振り子時計に扇風機。テレビはかろうじてカラーだが、昭和40年代あたりのものにしか見えない。10年前の回想シーンには、デパートの屋上から林立するアドバルーンが描かれる。つまりは、これは我々が生き、あるいは想像する未来ではない。昭和20年代あたりに想像されたはずの未来像ということだ。

 ネガドンの造形、ミロク2号の機構はそれぞれに味わい深い。生物であるはずのネガドンが怪しげな光線で街を焼き払うのに対し、ミロク2号は右手に装着されたドリルで、この光線に対抗する。ミロク2号はあくまでメカであり、電子光線などは使わずに、徹底して物質的な武器によって戦うのだ。
 起動から発進までのシーンや、戦闘に際して次々と繰り出される仕込み武器のメカっぽい感じは、30代、40代の男子魂を力強く揺さぶるに違いない。

 印象に残る映像表現は、ネガドンを攻撃するために防衛軍の戦闘機が離陸する場面にある。
 舞台となる東京は(回想シーンを除いて)終始強い雨が降っている。そして、滑走路の上から飛び去る戦闘機を見送る画面には、水滴がついているのだ。もちろんCGに水滴がつくはずはない。これは、「戦闘機を見送る場面を撮影したカメラのフィルターが雨に濡れて水滴がついている様子」を想定した表現なのである。「CG特撮怪獣映画」と呼ぶ理由がお判りいただけるだろうか。フルCGアニメーションなら、幾多のテレビゲームで高度な映像を目にすることができる。それらのCGとこの作品が一線を画しているのは、この「特撮テイスト」の故である。
 舞台設定、タイトルバック、何から何まで昭和特撮テイストだ。映像の質感も当時のフィルムっぽい。粟津はこの質感を表現するために、わざわざフィルターを開発したという。冷静に考えればまるっきり不必要な情熱としか思えないのだが、しかし作品の随所に行き届いたこの情熱は、昭和30年代から40年代の特撮映画・特撮テレビで育った世代の胸に、無条件の感動を呼び起こす。

 ネガドンとミロク2号の対決シーンの迫力は、そんなノスタルジーとは無縁の世代にも、充分に楽しめるものになっていると思う。ミロクの動きやカメラアングル等の映像表現には、おそらく昭和特撮怪獣映画以降に生まれたロボットアニメの技法の影響も見られるのではないか。
 監督・脚本の粟津順は、昨今のゴジラ映画の特撮にも関わっている映像技術者だそうだが、この『惑星大怪獣ネガドン』は、2年半の歳月を費やして、ほぼ独力で映像を作り上げたという。たった1人でここまでできるのか、と誰もが驚嘆するに違いない。

 独力で作ったフルCG作品が映画になるといえば、ちょうど1年前に日本でも封切られたアメリカ映画『スカイ・キャプテン』を思い出す。監督のケリー・コンランは自宅ガレージのパソコンで4年かかって作品の原型を作り上げたという。中身がアナクロなローテクSFという点も共通している。
 ただし、コンランが独力で作ったのは6分間の予告編に過ぎない。これを見たプロデューサーが大いに乗り気になり、ハリウッドの資本やオスカー俳優たちが参加して、長編映画に成長した。
 片や『惑星大怪獣ネガドン』は25分、声や音楽が加わったとはいうものの、映像は粟津が作ったままの姿で劇場公開されている。彼我の映画界を取り巻く環境の違いを如実に思い知らされる比較ではある。

 いかにも昭和特撮怪獣映画ふうのテーマ音楽(寺沢新吾作曲)も秀逸。難があるとしたら、主人公の楢崎博士の年齢はどう見ても40代なかば以上なのに、声が妙に若々しいことだろうか。もう少ししわがれた渋めの声が望ましかった。

 かつて特撮が好きだった40代には絶対的なお勧め。25分で800円だから時間的にも財布にも負担は小さいだろう。映画館に行けない人には、12月中旬にDVDが発売されるそうだ。


追記)
金曜の夜のテアトル池袋では、「昭和百年」というナレーションが流れた途端に、甲高い声でひゃらひゃらと嘲けるような笑い声が上がった。その声はその後も、昭和風なものが画面に映るたびに場内に響いた。架空の設定を共有することができないのなら、SF映画など見るのはやめて、他のことに時間を費やしてもらうのが互いのためだ。他人に敬意を払うことを知らない者は、決して他人からの敬意を受けることもない。

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その日の老将。

 この試合の決着がつく時、イビチャ・オシムはどのように振舞い、どんな表情を見せるのだろう。
 ガンバ大阪とジェフユナイテッド市原千葉が対戦するナビスコカップの決勝が、延長後半を終えても両者無得点のままPK戦に突入した時から、それが気になっていた。
 とはいえ、バックスタンドの客席に座った私から、オシムの表情を見ることはできない。珍しくスーツにネクタイ姿で試合に臨んだ彼は、ベンチの前で横一列に並んだスタッフと肩を組んでPK戦を見守っているようだった。ジェフの選手のキックがゴールネットを揺らすたびに、オシムらしき人物は両手を掲げて喜びを示していた。

 私はジェフ寄りの席でジェフに肩入れしながら観戦していたものの、PK戦は比較的冷静に見ていたつもりだ。それでも、試合を通じて幾度もチャンスを逃し、ようやく入った後半終了間際のゴールもファウルで取り消されてしまった巻が、よりによって1点リードで迎えた5人目のキッカーとして登場すると、いささか動揺して他のことに気が回らなくなってしまった。今日のジェフの不運を一身に背負ったような男が最後のキッカーでいいのか。そんなざわめきが、スタンドからも起こっていたように思う。
 だから、巻が鮮やかにシュートを決めてジェフの優勝が決まった時、オシムがどうしたかは見ていない。ベンチから一目散に駆け出した集団の前の方に、スーツを着た大柄な外国人男性の姿を見たような気もするが、それがオシムだったかどうか、断言できるだけの確信はない。

 一週間前の週間天気予報では雲と傘のマークが記されていた11月5日は、気象庁の予報を裏切って、日差しが肌に痛いほどの晴天となった。オシムが試合後の会見で話したように、「ジェフはリーグ戦で6000〜7000人の観客動員で、ガンバも1万5000人というところ」にもかかわらず、国立競技場には4万5000を超える大観衆が集まった。
 試合そのものを技術的な面から見れば、素晴らしく高度だったとは言えないのかも知れない。どちらも勝てば初タイトルという状況から来る意欲と緊張が、選手たちの動きに微妙に影響していたように思う。どちらもゴール前では落ち着きを失い、中盤で簡単にボールを失う場面もしばしば見られた。
 それでも、ガンバの誇る攻撃陣はしばしばその威力を誇示し、にもかかわらずジェフは自陣に引きこもることなくゴールを目指した。ジェフが後半から送り込んだ水野や林は幾度かガンバ守備陣を脅かし、故障で出場が絶望視されていたガンバの宮本は、後半終了間際に登場してチームとスタンドを奮い立たせた。ぎりぎりの局面で体を張り続けた両チームの守備、とりわけ好セーブでゴールを守り抜いたジェフ立石、ガンバ藤ヶ谷の両GKは、ともに称賛に値する。
 延長に入って多少疲れが見えたとはいえ、決勝にありがちな安全第一の試合でなく、両チームが懸命にぶつかりあう、見応えのある試合だった。

 表彰式を終えてスタンドから降りてきたジェフの選手たちが記念写真スポットに集合すると、黄色い優勝Tシャツを服の上から着込んだスタッフたちが躍るように駆けつける。その最後尾から、のそりのそりとオシムが歩いて、いちばん端に加わった。撮影が終わると選手たちはオシムを胴上げしようと取り囲んだが、何と言って断ったのか、オシムは拒みきったようだった。
 バックスタンド中央から自陣ゴール裏まで、挨拶しながら半周する選手たちから一定の距離を置いて、オシムは看板の内側をゆっくりと歩いた。遠目に見れば、優勝に湧く若者たちの儀式に渋々付き合っている、という風情である。

 試合後の会見では例によって「私は日本に来るまで、ナビスコカップというものを知らなかった。この大会がどれだけ重要なのか、本当ならあなたに説明してほしいところだが、とりあえず置いておこう」などと韜晦していたらしいが、なに、口で何と言おうが、オシム自身の表情が雄弁に本音を語っている。
 グラウンドで行われた勝利監督インタビューは場内にも放送されたが、声が微妙にズレて重なり、バックスタンドでは言葉がほとんど聴き取れない(「3年は長過ぎた」と勇退を示唆するような発言に、ゴール裏から不満の唸り声が上がったことだけはわかった)。
 それでも、場内の大画面に大映しになった老将の目は、確かに潤んでいた。何度か鼻をこすり、唇を噛みしめ、表情が崩れるのを懸命に堪えているようにも見えた。
 場内を歩いていたオシムが画面に映し出された時、彼はスタンドの声援に応えて小さく手を振り、ほんの一瞬、優しく柔和な笑顔を浮かべていた。
 ああ、俺はこれを見るためにここに来たんだな。そんな気がした。


 試合が終わったのは午後4時近く。西に傾いた太陽が霞の中から選手たちを包み、緑のピッチに長く影が伸びる。そういえば、かつては野球の日本シリーズもこうやって幕を閉じていたな、と関係のないことを思い出した。
 90年代半ばからナイター開催になってしまったが、たとえばジャイアンツが3連敗から4連勝して近鉄を破った1989年、藤井寺球場の、晩秋の透き通った空気の中で茜色の夕陽に照らされた胴上げは、溜め息が出るような色合いだった(テレビと写真で見ただけだが)。
 テレビ視聴率などいろんな事情があるとは思うけれど、せめて土日だけでもデーゲームに戻せないものかと思う。秋の光の美しさは、長いシーズンの締めくくりにふさわしい。
 もちろん、Jリーグの方はこれで閉幕するわけではないけれど。

(追記)
日刊スポーツによればオシムはPK戦の間、ロッカールームにこもって見ていないそうなので、私がオシムだと思っていたのは別人だったようだ。バックスタンドからでは限界があるか。失礼。テレビ中継は録画しそこねたが、CSフジテレビ739で再放送があるらしいので、見られれば確認したい。

(追記2 2005/11/7)
再放送を見ると、やはりオシムはPK戦を見ていなかったようだ。場内でのインタビューは地上波では中継されなかったようなので、CS放送から起こした一問一答を再録しておく。聞き手は誰だかわからないが、試合直後としては、なかなか行き届いた質問だと思う(ま、表彰式の間にたっぷり準備する時間があったわけだが)。

--おめでとうございます
 おめでとうという言葉は、中にいる選手ではなく、周りにいるお客さんにおめでとうと言いたいです。
--チームにとって初めてのタイトル。どんなお気持ちですか
 これが最後にならないように祈ってます。
--どうして胴上げを断ったのでしょうか
 私の体重が重すぎて選手がケガをしてしまいます。
--PK戦はベンチでご覧になりませんでしたが、どうしていたんですか
 私の人生の中でPKは悪いほうの印象(? よく聴き取れず)が強いので見ませんでした。
--チームを率いて3年目で初めてのタイトル。ひとつ結果を出しましたがそのあたりについては。
 結果を出したのは選手たちです。私はここに3年いるというのは少し長すぎるかも知れません。
--本当に激しいゲームでした。選手たちにどんな言葉をかけてあげたいですか
 人生の中で、やはりこういう試合を経験していかなければなりません。ただ、本当に素晴らしいチームで、本当によく戦ってくれたガンバに、感謝をしたいと思います。
--初タイトルに湧くジェフのファンに一言お願いします
サポーターの皆さんには、私の言葉だけでは語り尽くせないほど感謝しています。これで少しはジェフのサポーターたちもゆっくりした人生が過ごせるんじゃないですか。

(追記3 2005.11.23)
ザグレブ在住の長束恭行氏によるブログ「クロアチア・サッカーニュース」で11/6のクロアチアの新聞に掲載されたオシムへの電話インタビューが紹介されている。日本でのインタビューとはちょっと異なり、「選手達の大きな満足ぶりを観察するのも興味深いよ。彼らはトロフィーを手にし、頂点に到達するためこれまでやってきた全てのことに価値があったことを証明しているね。」などと韜晦抜きで(笑)素直に喜びを語っている。

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今年できたはずのプレーオフ対策(セ・リーグ編)。

 パ・リーグのプレーオフと日本シリーズにおける試合間隔の不均衡については、こちらこちらにさんざん書いたので今さら蒸し返すのは気が進まないのだが、今になって「日程が不公平だ」と言い出す野球解説者やスポーツメディアが多いのはカンに障る。両リーグの試合日程は開幕前に発表されているし、この方式は今に始まったわけではなく昨年からやっている。阪神ファンが悔しさのあまり八つ当たりするのはともかく、プロの解説者や記者なら、日本シリーズが一方的な結果に終わってからでなく、シーズン前に指摘してほしい。

 特に「阪神だけが待たされるのは不公平」だから「プレーオフ制度を見直すべき」などという意見は、ナンセンスの一語に尽きる。セントラル・リーグの優勝チームが「待たされる」ことだけが問題なのであれば、セ・リーグが自力で解決すればいい。
 別にセでプレーオフをやる必要などない。単にレギュラーシーズンが終了する日を遅らせればいいのだ。パのプレーオフ最終戦は10/17。阪神の最終戦は10/5だったけれど、もともとのセのシーズン終了予定日は10/6で、現実には10/14までやっていた。こまめに試合間隔を調整して、プレーオフ終了とほぼ同時期に公式戦が終わるようにすれば、少なくとも試合間隔の問題だけは解消される。過去2年間、パではレギュラーシーズンを一斉に終えているのだから、特定時期に公式戦を終えることがセに不可能だとは思えない。
 セの各球団やリーグ事務局が日程を決める際に、そういう問題意識を持っていたのだろうか?

 忘れている人が多いようだが、もともと日本のプロ野球では、レギュラーシーズンの終了から日本シリーズの開始まで3週間前後の間隔が開いていた。パがプレーオフを設けたためにセの優勝チームが待たされているわけではない。何もしていなかった空白期間に、パが独自にスケジュールを入れたに過ぎない。シーズン終了後に3週間もファンをほったらかしていた2年前までの方が、よほど異常だったと私は思う。
 プレーオフにおけるシーズン1位チームの不利を解決するのはパ・リーグの課題だ。だが、セの優勝チームが日本シリーズまでの間隔をどうするかというのは、セントラル・リーグ内部の問題である。もちろん両リーグが足並みを揃えて、公平性の高いプレーオフ制度を作れれば理想的だが、「待たされる不利」についてパがセに文句を言われる筋合いはない。
 両リーグの間には、パが導入を試みた制度にセがことごとくケチをつけてきたという歴史があるが、もはやそんな驕りが通用する時代ではない。

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千葉ロッテのデータ分析は、アウトソーシングの手本でもある。

 千葉ロッテの圧倒的な勝利で日本シリーズが幕を閉じてから1週間。さまざまなメディアで勝負の総括や千葉ロッテの内幕が報じられ始めた。
 昨日(11/2)のNHK「クローズアップ現代」もそのひとつだ。バレンタインのデータ解析の凄みを勝因のひとつに挙げて、興味深いものがあった。国谷裕子キャスターは特に野球に詳しい人だとは思えないが、余計な予断を(余談も)挟まず、的確な進行ぶりで好感が持てた。

 私がプレーオフから日本シリーズに至る千葉ロッテの戦いを見ていて印象に残ったもののひとつに、打者たちの堂々たる四球の選び方があった。厳しいカウントからの際どいコースへの球を、何の迷いもなく見送って一塁に歩く、という場面が何度も目に付いた。普段はセ・リーグの試合ばかり見ているらしい解説者たちは、一様に、彼らの選球眼の良さに感嘆していた。

 「クローズアップ現代」では、この見送り方の見事さが、打者の選球眼の良さだけでなく、スタッフによるデータ解析の産物であることを明かす。
 例えば阪神・藤川のシーズン中の投球を解析して、「特定のカウントから変化球を投げると大半がボールになる」と結論づけ、「このカウントから変化球が来たら見逃せ」と打者に指示する。そうなれば打者は、投じられた球のコースを厳密に見極める必要はない。速球か変化球かの区別さえつけばよかった。それが「堂々たる見逃し」の正体だった、と番組は説く。
(従って、これがストライクになれば「きっぱりとした見逃し三振」となる。おそらくバレンタインは、指示の結果としての見逃し三振を責めはしないのだろう。どの解説者だかライターだか忘れたが、この「きっぱりとした見逃し三振」が多いことを理由に、詳細な投球分析の存在を推測していた文章も目にした。炯眼である)。

 雑誌では「Number」640号に永谷脩が「日本一を支えた男たち」と題して、同じ内容に触れている。バレンタインがアメリカから連れてきたポール・プポという統計アナリストの存在は知られていたが、具体的に彼が何をやっているのかは、日本一という成果が出て、ようやく紹介されはじめた感がある(Numberのこの号は、永谷と阿部珠樹という2人のベテランをメインライターに、充実した記事が満載されており、お買い得だ。第4戦の9回裏、小飛球となった矢野のバントを捕球しようとする今江の写真は本誌の白眉)。

 これらの番組や記事からわかるのは、プレーオフ終了からわずか数日の間に千葉ロッテは阪神の選手を徹底的に分析し、対策を持って日本シリーズに臨んだが、阪神は千葉ロッテについてろくに準備をしていなかった、ということだ。シリーズ開始前に阪神優位を唱え、両者の戦いぶりの差を「勢い」「準備期間」だけで説明しようとしたテレビ解説者たちは、己の不勉強ぶりを恥じた方がいい。
(Numberに掲載されているインタビュー記事の中でも、城島健司は舌を巻くような千葉ロッテ攻略法を披露している。彼が健在なら千葉ロッテは日本一どころかリーグ優勝もなかった可能性は大きいし、阪神の誰かが城島に相談していたら日本シリーズの結果も多少は違っていただろう。そう言えば、ジャイアンツV9時代の正捕手だった森昌彦(現・祗晶)は優勝するたびに南海の野村克也捕手に相手チームの情報を仕入れに通ったと言われ、「野村家には森の歯ブラシがある」と噂されていた)

 さて。
 Numberの永谷の記事や「クローズアップ現代」によれば、千葉ロッテは阪神の公式戦の試合データ映像を入手して解析に務めたという。永谷は交流戦とそれ以降の公式戦と書き、「クローズアップ現代」は過去2年間としていたので、量については両者に食い違いがあるのだが、データ映像の入手先がデータ配信会社「アソボウズ」である点では一致している。アソボウズから入手したデータを、バレンタインの指示に基づいて、球団スコアラーが整理し、プポが解析する。そのような流れで分析が進められたらしい。

 ちょっと調べてみたら、バレンタインは10年前に千葉ロッテの監督をした時にも、草創期のアソボウズのデータを活用し、データ収集や解析の手法についてもいろいろと注文をつけていたらしい。プロ野球界に定着したこの企業にとっては、バレンタインは恩人ということになるのだろう。
 アソボウズは現在、9球団だか10球団だか、とにかくほとんどの球団にデータを提供しているという。つまり、それは金さえ出せば入手できる公開情報であるから、入手可能なデータの質と量において、12球団は横一線にある。ただし、そこから先、そのデータをどう生かすかについては、腕によって大いに差がつく。阪神がアソボウズと契約しているかどうかは知らないが、今回のシリーズは、この情報に対する姿勢の差が結果を大きく左右したと言ってもよさそうだ。

 アソボウズの歴史については創業者の片山宗臣が『パソコンが野球を変える!』(講談社現代新書)という本に書いている(らしい。私は未読)ので、詳しくはそちらに譲る。私がこの会社を面白いと思うのは、パソコンで野球を変えたということ以上に、この会社が、日本の野球界とは何の係累もないところから出現した点、そして、おそらく日本野球では初めての、「野球そのもののアウトソーシング」を請け負うことに成功した点にある。

 日本のプロ野球界では、なぜリストラクション、あるいはアウトソーシングによるコストダウンというものが行われないのか、私は以前から不思議に思っていた。バブル崩壊から十数年、それぞれの親会社では厳しくリストラ(単なる人減らしの意味で用いられることの多い言葉だが、組織の構造改革という本来の意味も含めて)やアウトソーシングが行われてきたはずだが、不採算部門であるはずの球団では、それらが目に見える形で行われることは少ない。経費節減というと、年俸の高い選手を解雇するとか、スカウトの人数を減らすとか、戦力低下に直結するような拙劣なやり方が目立ったように思う。

 日本経済新聞社運動部による『プロ野球よ!』(日経ビジネス人文庫)という本がある。2003年2月に刊行された文庫オリジナルで、プロ野球界の課題や改革案が書かれている。具体的なアイデアが満載されており、今読んでも面白いのだが、この中に「打撃投手専門の派遣会社」という案がある。
「裏方さんたちを含み大名行列となる遠征の経費はかさむばかり。いっそのこと、打撃投手やブルペン捕手を『派遣社員』に任せてみてはどうだろう。何もチームお抱えの元選手がやる必要はない。球団の集中する関東と関西に人材派遣会社を立ち上げ、各球団と契約した打撃投手をその都度、派遣するのだ。アウトソーシングを徹底すれば、無駄な遠征費をかけなくて済む」
 そのまま実行可能かどうかは別としても、考え方として面白い。アウトソーシングからは、経費を節減する効果と、アソボウズのような外部の知恵を取り入れるという効果がある。
 吉例に則って経営されてきた感のあるプロ野球界だが、どの分野ならアウトソーシングが可能であるのか、見直す余地はかなりありそうだし、それが球団経営や野球そのものの活性化にもつながる。フロントに外の世界の人材を大量登用した千葉ロッテは、その点でも改革の先行者である。

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