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早熟の選手・遅咲きの指導者〜仰木彬氏を悼む。

 夜中に帰宅してテレビをつけたら、仰木彬氏が亡くなったという。ついこないだまで監督をしてたじゃないか。動揺しながら、これを書いている。
 現時点で死因は明らかにされていないが、もともと体調を崩して現場を退いていた人だ。2つの古巣の窮地を見かねて戻ってきたことが、結果的には寿命を縮めてしまったのかも知れない。それが本望であったのかどうかは、本人にしかわからないことだ。

 彼が指導者として脚光を浴びたのは、近鉄の監督に就任してすぐに西武と激しく優勝を争い、川崎球場でのロッテとのダブルヘッダー第2試合で時間切れ引き分けに終わったことで優勝を逃した88年からだと思う。彼が53歳の時だった。翌年には優勝を果たし、さらに95、96年とオリックスを連覇させ、日本一を掴んだことで、名声を不動のものとする。

 選手としては、東筑高校を卒業して西鉄ライオンズ入りした1954(昭和29)年、新人でいきなり101試合に出場、250打数で.216、5本塁打の成績を残している。翌30年にはレギュラーになっていたから、下積みというものがない。チームもルーキーイヤーに初優勝。昭和31年からは3年続けて日本シリーズでジャイアンツを破って日本一に輝く。史上最高を謡われたチームの主力選手のひとりだった。

 プロ入り10年目の昭和38年ごろから徐々に出場試合数が減り、41年から兼任コーチ、42年を最後に引退。翌43年には中西太プレーイングマネジャーのもとでコーチを勤めている。この時、弱冠33歳。
 そして、45年には近鉄のコーチに移る。西鉄入団時の恩師である三原脩監督に招かれたのだろう。
 35歳で近鉄入りしてから、実に18年もの間、仰木は近鉄のコーチを勤めていた。この間、監督は三原から岩本尭、西本幸雄、関口清治、岡本伊三美と移り変わり、仰木自身も二軍に回った時期もあるが、同じ球団の中でずっとコーチを務めてきた。
 指導者として、少なくとも普通の野球ファンから注目されるような存在ではなかった。栄光の西鉄黄金時代の一員として現役時代のエピソードが語られることはあっても、コーチとしての手腕が話題になることなど皆無だったといってよい。
 だから、監督になった途端にさまざまな奇策を繰り出し、選手の力を引き出して成績を向上させたことは、大いなるサプライズだった。仰木が名監督と呼ばれるようになった後、西本幸雄が仰木のことを問われて、びっくりした、自分の下でコーチをしていた時からは想像もつかない、という意味のコメントをしたのを読んだ記憶がある。

 35歳から53歳。普通の職業人にとっては働き盛り、結果を出すことにもっとも集中するような時期に、仰木は近鉄のコーチの座に“潜伏”し、脚光を浴びることはなかった。
 その間、仰木が何をしていたのかは、今となっては誰にもわからない。ただ、監督としての彼が見せた、類いまれな「人を見る能力」は、きっと数多くの選手や監督を観察し続けた18年間で、大きく成長したに違いない。将来の保証など何もなかったであろう状況下で、彼が指導者としての自分を鍛え上げた18年間を思うことは、凡庸な勤め人に過ぎない我が身にも、いくばくかの勇気を与えてくれる。

 監督としての仰木は、野茂とイチローという希有な才能を開花させ、吉井、長谷川、田口ら後にメジャーリーガーとなる選手たちを育て、数々の面白い試合を見せてくれた。フルスイングで打ちまくる「いてまえ打線」の近鉄と、日替わり打線で得点をもぎとり、小刻みな継投で逃げ切るオリックス、まったくタイプの異なるチームでそれぞれ優勝を勝ち取ったことも特筆に値する(自分の得意な型でしか勝負できない監督は少なくない)。
 1989年秋、西武ライオンズとのダブルヘッダーで、ブライアントが2試合にまたがる本塁打4連発で西武を粉砕し、優勝を確実なものとした試合は、私にとって、野球におけるもっともおそるべき試合の記憶として刻み込まれている。
 彼が見せてくれたもの、残してくれたもののすべてに感謝しつつ、合掌。ご冥福を祈ると同時に、藤村甲子園の愛唱歌を彼に捧げたい。

 俺が死んだら 三途の川でよ
 鬼を集めてよ 野球する ダンチョネ


※12/16 1:53amにアップ。翌朝、若干の加筆訂正をしました。

追記(2005.12.28)
週刊ベースボール1.9/16号「豊田泰光の『オレが許さん!』」に、仰木のコーチ時代について印象深いエピソードが紹介されているので、やや長くなるが引用する。
「オレは仰木がいよいよ表に出てきたな、と思ったのは、80年の広島-近鉄日本シリーズでした。第3戦(大阪)、例によってシリーズに弱い西本監督に疑問手が出た。近鉄の先発・村田辰美が5回まで2安打1失点の力投、2対1で近鉄がリード。ところが、5回裏、一死三塁のチャンスが来ると村田の打席で代打を送ろうとしたのです。(中略)オレは西本さんの焦りを感じた。
 その時ですよ。三塁コーチの仰木が脱兎のごとく駆け出して西本監督にところに行き『代えるんですか!点が入らんかったらどうするんですか!』とスタンドのオレにも聞こえるような声で詰め寄った。」
 結局この仰木の諌言は容れられず、代打の阿部は凡退して無得点。近鉄は逆転負けし、最終的にシリーズも落とした。豊田は「そろそろやれる時期かな。西本さんからバトンを渡されるのは仰木だろう」と思ったと書いているが、実際に仰木が近鉄の監督になったのは88年を待たねばならなかった。
 豊田はこのコラムの中で、オリックスが仰木をGMにしなかったのは大学を出ていないせいだ、野球界には学歴差別がまかりとおっている、と指摘している。「だれとは言わんけど大学出(あえて卒とは言いません)というだけで、何となく球界を泳ぎ回り、いつの間にか球団の中枢に住みつく、という人は結構います」とか。そういう目で考えたことはなかったので、そのうち調べてみようかと思う。

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コメント

 お久しぶりです。
 本当に突然のことで、私も動揺しています。
 亡くなった原因は肺ガンだとのことで、監督を勇退された時点で、すでにかなり悪い状態だったのかもしれません。
 時々度を超してしまう部分も含めて、仰木さんのエンターテナー精神が好きでした。
 96年のオールスターで起きた「イチロー投手登板・代打高津事件」は、見る人によっては「ただの茶番」だったでしょうけど、私にとっては、仰木監督の哲学と、野村監督の哲学が真っ正面から火花を散らす、名シーンだったです。
 こころからご冥福をお祈りします。
 

投稿: southk | 2005/12/16 02:43

>southkさん

>時々度を超してしまう部分も含めて、仰木さんのエンターテナー精神が好きでした。

仰木さんもいろんな監督の下で働いて、いいところ悪いところを見てきたと思いますが、「投手イチロー」のような「何でもアリ」な感じというのは、やはり三原脩の影響が濃いのだろうと思います。グラウンドでの手法はともかく、選手の夜遊びを奨励するような勢いで自ら率先して大酒を飲む監督というのは、もう出てこないでしょうね。1950年代の野球のおおらかさを最後まで失わなかった人でした。

清原、一年遅かったよ。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/16 09:30

かつて仰木さんとは仕事上のつきあいがあり、よく飲みに連れていってもらいました。豪快な飲み方が好きな方でした。もう10年前の思い出になりますが、一緒に飲みに行くと僕らにどんどんお酒を勧めながら、自分のグラスにはこっそりお茶を入れて飲んでいました。でも、周囲にはそれを悟られることなく、先頭に立って飲み、歌い、踊っていました。静岡遠征の時に、突然宿舎からタクシーで磐田まで飛ばし、鈴木平の両親が営む飲食店にまで飲みに行ったこともありました。采配は時に冷徹な面を見せる時もありましたが、常に優しい眼差しがあったように思います。訃報を聞いた直後にある選手と電話で話しをしました。彼は「信じられない」と亡くなった事実を認めたくない様子でした。私も気持ちは同じです。もう一度、お会いしたかった。残念です。

投稿: stone | 2005/12/16 10:36

>stoneさん

そうですか、お付き合いがあったのなら、悲しみもさぞ深いことでしょうね。stoneさんにとって、とても大切な思い出を書き込んでくださり、ありがとうございます。
楽しいことというのは、いつかは終わってしまうんですよね。その最中にいる時には、終わりが来るなんて考えてもみなかったのに。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/16 23:51

ひとり家で焼酎を飲みながら思い出に浸っています。思えば、オリックスの監督就任前にすでに肺がんの手術を受けていたんですよね。確かに食事に行っても、自分はあまり箸をつけず、周囲の人に勧めてばかりいました。近鉄の監督時代とは人が変わったという人も多かった。きっと手術を経験して常にどこかに覚悟するものがあったのでしょうね。思い出を語る場を与えてくれてありがとうございます。

投稿: stone | 2005/12/17 01:16

クズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしまえクズブログ潰れてしま

投稿: クズ抹 | 2005/12/25 20:58

>おまえこそ失せろさん
>クズ抹さん

お名前は違いますがIPアドレスが同一でしたので、重複したコメントの一方を削除させていただきます。あと、恐縮ですが、このIPアドレスからのアクセスも制限させていただきました(ちなみに「氷上に咲く『時分の花』。」コメント欄の「キチガイ失せろ」さんも同一のIPアドレスです。というよりそちらが主目的なのでしょうが)。


>stoneさん

せっかくの美しいコメントの後が汚れてしまって恐縮です。これも記録のうちですので、しばらくは保存しておこうかと思います。状況によっては考えも変わるかも知れませんが。

投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/26 11:13

>念仏の鉄さん

お気遣いありがとうございます。世の中には様々な人がいて考え方は人それぞれです。相手の意見を尊重し続けることでしか、自分の意見を相手に伝えることはできないと思っておりますので。私自身はこの場を提供していただいている念仏の鉄さんのいかなる判断にも従います。お気になさらないでください。

投稿: stone | 2005/12/26 14:49

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