氷上に咲く「時分の花」。
女子フィギュアスケートの浅田真央がグランプリファイナルで優勝した途端に、「真央ちゃんをトリノに出させろ」という声が強まっているようだ。今朝、出張先のホテルで見たワイドショーのひとつでも、司会の小倉某はもとより、居並ぶコメント芸人たちも軒並み「年齢制限なんておかしい」という考えのようだった。ネット界でも、テクノラティでちょっと検索をかけると、小倉某らと同じ意見がぞろぞろと出てくる。
グランプリファイナルで優勝したということは現時点で世界一の力があるわけだから、2か月後のオリンピックでも金メダルを争う力はあると考えられる。その選手が出場できないのは残念だと私も思う。上記「とくダネ」でも、浅田のコーチである山田女史が「ルールはルール。でも、今の状態を4年後まで維持するのは難しい。体重も増えて体も丸くなるし」という話をしていた。最高の状態にある時に最高の舞台に送り出したい、というのも人情ではある。
一方で浅田の、あの、まるで体重がないかのように軽やかなジャンプや柔軟な回転は、成長過程にある少女の身体に特有の能力である可能性が強い(山田コーチの上記のコメントは、はからずもその可能性を強く示唆している)。成長期を過ぎて大人の体になってしまったら、ああいう跳び方は難しくなる。
つまり、グランプリファイナルは「子供の体」の浅田と、「大人の体」のほかの選手たちが、同じ採点基準で戦っていた、ということになる。そして、「子供の体」が勝利した。
おそらく女子フィギュアスケートという競技においては、10代半ばの少女が、成長過程にある体の優位を最大限に生かして演技すれば、大人の選手たちは太刀打ちできない(少なくとも現在の採点基準においては)。それは、このところのオリンピックの結果を見ても明らかだ。
96年のリレハンメルは16歳のオクサナ・バイウル。98年の長野は15歳のタラ・リピンスキー。2002年のソルトレークは16歳のサラ・ヒューズ。本命と目されていたお姉さんたちは、常に敗れ続けてきた。
国際スケート連盟は、オリンピックに年齢制限を設ける理由を、医学的見地によるものとしている。「若い選手の心身を過度のプレッシャーから守るため」というわけだ。若く有望な選手が早々に金メダルを手にプロ転向してしまうのを阻止するという商業的な理由もあるのでは、という観測も聞こえてくる。
私はスケート連盟の内情など何も知らないが、もし年齢制限のないまま低年齢化が進んでいけば、女子フィギュアスケートという競技は、いずれは体重の軽い少女が曲芸のようにジャンプと回転を競う、味も素っ気もない競技になってしまうのだろうな、と思う(浅田真央がそうだと言っているのではない。念のため)。
浅田を特例として認めれば、今後グランプリファイナルを制した選手には、五輪への出場を認めないわけにはいかなくなる。年齢制限は事実上骨抜きにされる。
女子フィギュアでも新体操でも過去に何度もあったように、ベテランの情感あふれる演技が若い身体能力の前に敗れるという傾向が、今後さらに加速されるだろう。そうなれば、日本でいえば村主章枝のような、しっとりとした表現力を特徴とするタイプの選手は、今後は絶滅に向かうことになる。9年前に年齢制限を設けた時にも、きっと大きな抵抗があっただろうと思う。そうやって作ったルールを骨抜きにしてしまえば、引き返すことはさらに難しくなる。
そう考えると、浅田真央をトリノ五輪に送り込むという選択は、女子フィギュアスケートという競技の進む方向を左右しかねない問題をはらんでいる。
世阿弥の『風姿花伝』に「時分の花」という言葉が出てくる。年代ごとの能の稽古指針について記した「年来稽古條々」の「十二、三より」という項で、この年代の少年は美しい声と姿をもつが、「さりながら、この花は、誠の花には非ず。ただ時分の花なり。」と世阿弥は説く。いずれ失われる「時分の花」でなく、「誠の花」を得るための修行が必要、ということになる。
女子フィギュアスケートにおいて、成長過程の少女の演技が世阿弥の言うような「時分の花」なのであれば、それを「誠の花」に優るナンバーワンと認めてしまうことが、果たしてフィギュアスケートという競技の将来にとって、よいことなのかどうか。世阿弥の回答ははっきりしている。
「だから真央ちゃん、4年後に『誠の花』を目指しなさい」、などと言えるほど、私はフィギュアスケートを知らない。だが、年齢制限が存在する理由のひとつには、そういう意図があるのではないかと想像している。少なくとも日本の女子フィギュア界という当事者の間では、ルールを守る、という公式見解は共有されている。
その上でなお、部外者がメディア上で「真央ちゃんをトリノへ」と主張するのであれば、素人の私がここに記した程度のことを踏まえた上で発言してもらいたいと思っている。
追記(2005.12.20)
上記の本文を書いてアップしたのが19(月)の夕方。今は20(火)の夜。出張から戻って新聞各紙に目を通して驚愕した。朝日新聞が社説で「浅田真央さん トリノで見たい 」と主張している。
ISUの年齢制限については、「あまりに幼いころから激しい練習をさせる行き過ぎを抑えるためには、何らかの歯止めは必要だろう。」と一応の理解を示した上で、以下のように批判する。(社説へのリンクは一週間で切れるので、関係箇所を長めに引用しておく)
「真央さんの前に立ちふさがっているのは、国際スケート連盟が96年に決めた年齢制限の規定だ。五輪前年の7月1日の前日までに15歳になっていない選手は出場を禁じられた。9月生まれの真央さんは3カ月足りない。
難しい技を幼いころから練習しつづけると、からだに無理がかかり、悪影響が出る。そうした医学的な見地から、年齢制限が導入された。
同様の年齢制限は体操にもある。曲芸のような危険な技を追求する中で、トップの選手がどんどん若くなったからだ。
フィギュアや体操では、成長しきっていない10代半ばの方がからだが柔らかく、大人よりも大技を習得しやすい、といわれる。あまりに幼いころから激しい練習をさせる行き過ぎを抑えるためには、何らかの歯止めは必要だろう。
しかし、フィギュアの年齢制限はわかりにくい。15歳の制限を適用しているのは五輪と世界選手権だけだ。今回のグランプリのような国際大会は「五輪などに比べて重圧は小さい」として、15歳の制限を外している。
これでは国際連盟がどこまで「医学的な見地」を重視しているのか疑わしい。
年齢制限をつくった当初は、大きな大会でメダルを取った選手には、期限までに15歳に満たなくても例外として五輪や世界選手権への出場を認めていた。その特例をやめたのは、五輪などで優勝した10代半ばの選手がプロのアイスショーへ転向したからだ。
フィギュアは欧米で巨額の興行となる冬の人気競技だ。若い有力な選手をできるだけ長く抱えたい。年齢制限には、そんな国際連盟の思惑と打算も見える。」
で、結論は「しかし、真央さんを外した争いでは、トリノの優勝者は真の世界一とはいえなくなる。日本の連盟はすでに持つ3人の枠に加え、真央さんの出場を特例として認めるよう世界に働きかけたらどうか。 」「次回といわず、トリノで華麗な演技を見たい。そう思う人は多いはずだ。 」とくる。
繰り返すが、朝日はISUの年齢制限を次のように批判する。
「フィギュアの年齢制限はわかりにくい。」
「国際連盟がどこまで「医学的な見地」を重視しているのか疑わしい。 」
「若い有力な選手をできるだけ長く抱えたい。年齢制限には、そんな国際連盟の思惑と打算も見える。」
そうかもしれない。では、それが年齢制限を撤廃する理由になるのか? 私にはそうは思えない。
15歳というラインが合理性を欠くのであれば、どこに分岐点を設ければよいのか? ここには示されていない。何らかの歯止めが必要、とこの社説にも書いてあるが、どういう歯止めなら合理的なのかに言及しようとはしない。
浅田の特例を認めることが、年齢制限の骨抜きになりかねないことは、上に記した通りだ。代案を示すことなく浅田をトリノに出場させろと主張する朝日新聞の論説は、単に「ISUは年齢制限を撤廃しろ」と言っているに等しい。
その主張に、何かフィギュアスケートに対する理念があるのだろうか。
この社説からは、「トリノで華麗な演技を見たい」という単なる欲望以上のものは何ひとつ感じられない。この新聞は、このところ、未成熟な少女に対する過度の執着や欲望を警戒するような主張を続けてきたのではなかったか(ほかの新聞も同じだけれど)。
朝日は同じ紙面の一面コラム「天声人語」でも、浅田をトリノに出せと言いたげな文章を掲載している(毎日新聞の一面コラム「余録」も、それに近い)。なぜそこまで浅田に固執するのか。中学校や高校の国語の先生は、今でも学生に「天声人語を読め」などと推奨しているのだろうか。もしそうなら、やめた方がいいと思う。
追記2(2005.12.20)
トラックバックをくださった「iFinder 雑読乱文」さんのエントリは、タイトル通り、問題をよく整理されていて参考になる。また、その中で紹介されている「稲見純也のスポーツコラム」内の「五輪のフィギュアスケートに年齢制限があるのは、ナンセンスである?」 も一読されたし。
追記3(2005.12.22)
2ちゃんねるのまとめサイトらしい「浅田真央は何故トリノ・オリンピックに出られないのか?」や「ニワカにもわかるフィギュア騒動@浅田選手の五輪出場反対派の言い分・作成中」(現在は「〜@浅田選手の五輪出場特例嘆願反対派の言い分・〜」に変更。そりゃそうですな)が、年齢制限の詳細やフィギュアスケート界の背景などを網羅して論じている。冷静かつ明快な文章で、日本スケート連盟が特例を申請した場合に生ずるであろうリスクについても詳しく論じられており、ほぼ議論が尽くされている感さえある(週刊文春が持ち出した「広告に出している選手を落とすわけにはいかない」というような生臭い推論は別だが)。
あと、『風姿花伝』の引用を原点で確認の上、修正。
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コメント
確か長野五輪の時に沢木耕太郎氏が女子フィギュアに対して「成熟した肉体を持った女性を排除しつつある」と書いていたように思います。体操競技が難易度を争うあまりに軽業のようになり、マッチ棒のような少女しか勝てなくなったように、フィギュアも同じ道を辿っているのではないか、と。
同じ文章だったかは忘れましたが、冬季五輪を「冬のサーカス」と形容してもいましたね。競技の領域にとどまっているのはスピードスケートとノルディックのクロスカントリーだけで、それ以外は曲芸になってしまっている。さらに今後も五輪はテレビ中心に動いていく以上、曲芸を求めていくのではないかと予想していました。
その意味では女子フィギュアに関しては年齢制限において一定の競技性を保とうとしているのかもしれませんね。
投稿: stone | 2005/12/19 22:58
各種メディアがこの問題を取り上げていますが、私もほぼ鉄さんと同じ考え方です。
そもそも年齢制限ルール自体は理不尽なもので、前年の7月1日時点での15歳以上という設定に確固たる根拠はありません。
(もともとスポーツのルールは「投球2段モーション」の例でもわかるとおり、合理的な説明ができないものもいくつもあります)
あと私が賛成できないもう一つの理由はソルトレイク五輪の審判買収問題(結局グレーのまま、真相究明中途半端なまま公式記録を変更しない政治決着だったように記憶しています)が原因で結果的にジャンプのウェイトが高い採点基準が採用されることになり、多彩なジャンプの技術を持つ選手を多数輩出している日本勢に有利なルールになっています。
浅田選手をゴリ押しで五輪参加させようとすると取引として今の採点基準の変更を求める動きがあってもおかしくないと思うのです。
もう一つは浅田効果で高視聴率を記録したグランプリファイナルを中継した某TV局が、オリンピックで2匹目のドジョウを狙うためにけしかけているように見えることですね(笑)
結局は浅田選手本人はまだ子供なので、強烈な自己主張をすることはないと思われるので、そこは周囲の大人が浅田選手にとって最もよい結論が導かれるように手助けをする必要があるのです。直接師事している山田コーチの意思がこの場合一番尊重されるべきで、
山田コーチが4年後の浅田選手の姿を想像しつつなおかつ特例を求めないのならこれがベターな選択ではないかと思います。
投稿: エムナカ | 2005/12/19 23:01
はじめまして。
浅田選手の件に関して、私の思っていたこととほぼ同じことを的確に文章にしていらしたので、TBさせていただきました。
はやくこの一件が落ち着いて、選手の皆さんが全日本選手権に雑音抜きで臨めることを願っています。
とはいえ、中継がフジテレビなので番組には期待が持てませんが・・・。
投稿: babyleaf_6 | 2005/12/20 11:55
出張から戻って参りました。
>stoneさん
>確か長野五輪の時に沢木耕太郎氏が女子フィギュアに対して「成熟した肉体を持った女性を排除しつつある」と書いていたように思います。
あのへんがピークで、その後、多少の軌道修正がなされてきたようには感じます。その時計の針を巻き戻すようなことが望ましいのかどうか。
巷間囁かれているように、プロへの流出防止が主目的なのだとしても、現在の年齢制限には、競技そのものの曲芸化に一定の歯止めをかける効果があると私は思います。
>エムナカさん
>前年の7月1日時点での15歳以上という設定に確固たる根拠はありません。
そうでしょうね。どこかで線を引かなければならない、ということであって、7月1日でなければならない合理的な理由はあまりないでしょう(シーズン開始時ということらしいですが)。
>浅田選手をゴリ押しで五輪参加させようとすると取引として今の採点基準の変更を求める動きがあってもおかしくないと思うのです。
エムナカさんらしい深読みで(笑)。各国の力関係を把握していないので、私には判断がつきません。
ISUの幹部の国籍を見ると、会長がイタリア、副会長がドイツとカナダ、フィギュアスケート担当理事(?)がフィンランド、スロバキア、イギリス、USA。どうやらISUは(大きな競技団体のご多分に洩れず)欧州中心の組織のようです。一方、プロフィギュア興行を仕切っているのはUSA。勢力争いがあるのだとすれば、USA対欧州という構図になるのでしょう。その中で日本がどういう立場にいるのか。微妙ですね。
ひとつ私がよくわからないのは、女子フィギュア界はどうしてこんなにプロアマが対抗的なのかということ。ISU主催の大会をプロに開放するという動きがあってもよさそうなものですが、全然ないんでしょうかね。
>もう一つは浅田効果で高視聴率を記録したグランプリファイナルを中継した某TV局が、オリンピックで2匹目のドジョウを狙うためにけしかけているように見えることですね(笑)
全日本選手権の中継を前にほくそえんでいる某局も含めて、大会前にあれほど入れ込んでいた安藤美姫のことなど、みんな忘れてしまったようですね。FalseStartで富井さんと松さんが訴え続けているように、こういう手合いに蹂躙されて競技生活を無茶苦茶にされないためには、年齢制限も有効であろうかと思います。
>babyleaf6さん
はじめまして。TBありがとうございます。
>とはいえ、中継がフジテレビなので番組には期待が持てませんが・・・。
あれほど安藤美姫を利用していたテレビ局が、いきなり浅田に乗り換える態度には、醜悪を通り越して不気味ささえ感じます。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/20 20:06
7月1日の根拠についてJ-WAVEの今朝の放送で「ISUの総会が毎年6月30日に行われるので7月1日は総会翌日のため都合がよいため」と伝えていました。
年齢の15歳という設定自体は現会長は引き下げ推進派だそうで、今年の6月30日の総会で年齢規定の見直しの提案がなかった(もちろん日本も総会に参加していた)ために今騒ぎになっているということみたいです。
半年前に動けばスジが通せたようですが、逆に今の状況を強化担当が想像できないわけはなく、日本のアイススケートの統括団体は最初から動く予定はなかったようです。
部外者のほうが騒いでいるのは滑稽ですが、どうしても動かしたいのならスルツカヤ選手あたりに協力してもらうしかないでしょう。メダルの価値が浅田選手不在で薄れると言われてもいるので、五輪の舞台での直接対決を一番望んでいるのは実はスルツカヤ選手なのかもしれないですから
投稿: エムナカ | 2005/12/21 02:09
>エムナカさん
>半年前に動けばスジが通せたようですが、逆に今の状況を強化担当が想像できないわけはなく、日本のアイススケートの統括団体は最初から動く予定はなかったようです。
その時点ですでにメダルを狙える選手が出場枠より多いわけですから、わざわざ日本が浅田のために年齢制限を引き下げる交渉をする理由はありません。むしろ、その時点でそれをやっていたら、本当に他のお姉さんたちが動揺して潰れてしまった可能性がある。動かなくて当然だったと私は思います。
>五輪の舞台での直接対決を一番望んでいるのは実はスルツカヤ選手なのかもしれないですから
以前「美を採点するという困難。」というエントリにも書きましたが、今のフィギュアの選手にとって、五輪の金メダルは事実上、プロ転向時の巨額の契約金の引換券のようなものです。長年苦労してようやく金メダルをつかもうとしているスツルカヤが、わざわざその可能性を低くする特例の実現に加担する理由があるでしょうか。
>メダルの価値が浅田選手不在で薄れると言われてもいるので
「真の世界一を争うために浅田をトリノ五輪へ」と主張をする人たちは、同時にプロへの門戸開放も主張するべきでしょうね。テレビ朝日がしきりに「女王」と呼んでいたスルツカヤは79年2月生まれ。19歳での五輪でリピンスキーに敗れ、23歳の時にサラ・ヒューズに敗れました。スルツカヤより年下のリピンスキーは確か今もプロで現役のはずです。かつてスルツカヤよりも優れていた選手に、五輪はエントリー資格を与えていません。稲見純也氏はblog「The Flea Flicker」http://junyainami.blog25.fc2.com/に次のように書いています。
「年齢制限がなければ、若い選手がどんどん金メダルを取って、プロに流れてしまいます。そうなれば五輪は、『若いときに金メダルを取れなかった選手のための競技会』になり下がってしまいます。このほうがよっぽど、真の世界一を決める大会から遠ざかるわけです。」
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/21 02:44
ひとつ上のコメント、我ながらいささか語気が強すぎる気がします。エムナカさんの書き込みに対してというよりも、これを書く前に、どこかのblogに集まっていたTBで、浅田を五輪に出せと強硬に主張し、日本スケート連盟や城田強化部長を罵倒するような言辞を大量に目にしてしまって、呆れて気分がささくれだっていたためです。
どうして五輪が絡むと理性を失う人が多いのでしょうね。アマチュア競技団体やアマチュア選手に対する発言には、一定の節度があって然るべきだと思うのですが。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/21 12:17
鉄さん、私は結構打たれ強い?方なのでお気になさらずに・・・。結構地雷原に踏み込むようなコメントしてますからそこは私の至らない部分ですのでどうかご容赦を
>どうして五輪が絡むと理性を失う人が多いのでしょうね。アマチュア競技団体やアマチュア選手に対する発言には、一定の節度があって然るべきだと思うのですが。
その無形のプレッシャーに対する選手の心情をニュースの生番組で爆発させた千葉すずさんのことを思い出します、今の浅田フィーバーを見ていると。浅田選手はまだ大人に裏切られていない段階なので、本人からその種のコメントが出てくることはないでしょうが、一つ間違えればメディア不信と競技に対する熱意が薄れていく可能性が極めて高いのですから、やはり競技関係者が毅然とした対応で問題を沈静化させるしかないと思います。
この後出しじゃんけんみたいな騒ぎ方に記憶をたどると、パリーグのプレーオフ制の理不尽さとポストシーズンのセパの違いの問題のこともこれと同列の事象と言っていいのではないかと思います。
投稿: エムナカ | 2005/12/21 20:41
お久しぶりです。
確かにあの朝日の社説も含め、軽挙妄動、が激しすぎますね、日本のメディアは。
私も、しっとりした大人の滑りが見たいです(ズバリ、村主ファンです)。
あそっか。こういうのはどうです?
柔道に体重別があるように、五輪女子フィギアは年齢階層別、を導入する、というのは。
そうすれば、今回のような騒動は解決するかもしれませんね、、、。どうでしょうか?
まあ、フィギアの今回の問題の本質から言って、年齢別というよりも、体重別、というほうが適切かもしれませんが、、、(考えてみれば、五輪で年齢別、という分類は聞かない気がしてきた)
上海雑伎団のような軽業は、軽い体重同士で競ってもらいましょう。
(あ、でもそうすると、やはり将来は、中国が有利になってしまう??)
投稿: penguin | 2005/12/22 04:39
>エムナカさん
>その無形のプレッシャーに対する選手の心情をニュースの生番組で爆発させた千葉すずさんのことを思い出します、今の浅田フィーバーを見ていると。
現時点で千葉すずに近い状況にいるのは、安藤でしょうね。グランプリファイナルでも番組タイトルのためにわざわざ演技をさせていた。ああいうことを許してしまうという点では、日本スケート連盟に疑問を感じます。
浅田に関しては、全日本で惨敗してもテレビ的には「バンクーバーで頑張ろうね」で済むので、今は何ら失うものがない。メディア対策はトリノ以後の課題ですね。
トラックバックをいただいた「迷解!スポーツ観戦記」にも触れられていますが、この件において最も理不尽なのは「年齢制限があること」ではなく、「五輪が4年に1度しか開催されないこと」だと思います。そんな理不尽な大会を世界最高のスポーツ大会と崇拝し続けること自体に無理がある(もちろん、競技者たちにとっても五輪が最高という位置付けですから、観客だけの問題ではないですが)。
>この後出しじゃんけんみたいな騒ぎ方に記憶をたどると、パリーグのプレーオフ制の理不尽さとポストシーズンのセパの違いの問題のこともこれと同列の事象と言っていいのではないかと思います。
豊田泰光さんのようにプレーオフ制度ができた時点から一貫して反対し続けている人の言葉と、結果が出てから言い出す人の言葉とでは、重みが違いますね。
>penguinさん
しばらくでした。
>確かにあの朝日の社説も含め、軽挙妄動、が激しすぎますね、日本のメディアは。
「メディア」と一括りにするのでなく、それぞれに区別して考えたいと私は思っています。テレビのワイドショーのように軽挙妄動を旨とするものがあってもいいとは思いますが(もちろん被取材者その他に迷惑をかけない範囲で)、スポーツ中継そのものや新聞の社説が同じレベルでは困ります。しかも、「日本の連盟はすでに持つ3人の枠に加え、真央さんの出場を特例として認めるよう世界に働きかけたらどうか」なんて厚かましいことは、小倉某でも言わない(笑)。朝日のフィギュア担当記者は、この日、ずいぶんと恥ずかしい思いをしたのではないでしょうか。
体重が軽いことだけでなく、柔軟性なども含めて、女子フィギュアスケートという競技は、低年齢で高得点を得やすい宿命を持っているのでしょうね。
かといって体重にせよ年齢にせよ、階層化することは、誰も望まないと思います。金メダルの値打ちが下がってしまいますから。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/22 10:08
念仏の鉄様
はじめまして。私はライターをしております沢田聡子と申します。突然お邪魔しまして恐縮です。
今回の浅田真央選手の件に関して、集英社・スポルティーバのwebにコラムを書きました。(以下URLです)
http://sports.nifty.com/sportiva/clm_other/new.jsp
もしご覧になれないようなら、私のHPのトップからもリンクをはっております。
女子の採点競技特有の性質を考慮に入れた観点がどのメディアにも見あたらず、せめて小さい声でもあげようとコラムを書きましたが、しょせん大新聞とは影響力が違います。焦りのようなものを感じていたところで、こちらを拝見させて頂き、ほっとしております。きっと、フィギュアスケートの熱心なファンのなかには、同じことを感じていらっしゃる方もいると思います。
勇気を頂いた気持ちです。ありがとうございました。
沢田聡子
投稿: 沢田聡子 | 2005/12/23 00:11
>沢田聡子さん
はじめまして。ご丁寧なコメントをありがとうございます。専門のライターの方からそんな言葉を頂戴すると、こちらの方が恐縮してしまいます。
スポルティーバのコラム、拝見しました。まったく同感です。
拙文では触れていない面ですが、
>五輪出場資格がない前提で試合に出ていた浅田が好調だからといって、急に彼女にだけ特例を求めるのは道理が通らない。
というくだりは重要ですね。
実はグランプリファイナルは出張中で見られず、今週になってから録画で見たのですが、本番であれほど苦戦した安藤がエキシビションの最後に4回転を成功させたのが印象的でした。プレッシャーの有無が、同じ選手のパフォーマンスにこれほどの違いを生ずるのであれば、あらかじめトリノ五輪へのプレッシャーを免れていた浅田は、ひとり別の大会に出ていたようなものだと改めて感じます。
ここにコメントをくださる方たちのように、冷静に事態を見ている人も決して少なくはないと思います。手応えがわからずにもどかしく思われることもあろうかとは思いますが、現場で取材しておられる沢田さんのような方が、実情を踏まえてきちんと書くべきことを書くというのは、やはり決定的に大事なことです。どうかご健闘を。応援しております。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/23 01:35
作成中で不完全なのにトラックバックしていただいてありがとうございます。ニワカ~の方のまとめサイトを作った者です。
サイト名が要望によりニワカにもわかる~浅田選手の五輪出場特例嘆願反対派に名前変わりましたー。今のところです。長いのでまた変わるかもしれませんがぜひぜひ今後もリンクヨロシクお願いします。
投稿: ぴよ | 2005/12/23 10:04
>ぴよさん
や、これはどうも。
私も偉そうに書いてますが、フィギュアそのものにそれほど詳しいわけではないので、大変参考になりました。
この騒ぎは、考えようによっては、フィギュアに関する基礎的な情報を知り、本当の問題点を理解する人が増えるためのよい機会になるかも知れませんし、そのためにはぴよさんのまとめサイトは意義があると思います。ご健闘を。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/23 12:06
てめーもスケート連盟から金でももらってんのか、きちがいが。
とっととつぶしてしまえ、糞ブログ
投稿: キチガイ失せろ | 2005/12/25 20:56
>キチガイ失せろさん
>てめーもスケート連盟から金でももらってんのか、きちがいが。
スケート連盟に知人はいませんし、お金も貰っていません。この程度の雑文が収入になるのなら、私の生活ももっと楽になるのですが。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/26 11:14
はじめまして。
私は体操競技の現役選手です。
stoneさんの
最初のコメントにもあるように、
フィギュアスケートは体操のような道を歩んで欲しくないと思いました。
女子体操競技は、
小さい頃から体操をしてきたような子でないと
トップになれないような競技になってきている気がします。
小さい頃、というのが
幼稚園とか、遅くても小学校低学年ぐらいです。
体が出来上がる前に高度な技を身につけさせたり、
過酷なトレーニングをさせています。
かわいそうでしょうがないです。
でも、そうしないと、
今の体操のルールでは点が出ないのです。結局そういう子が現在の日本のトップなんです。
低年齢でないと始められない競技なんて、
未来がありません。
人気も出ないでしょう。
あるとしても、
それはサーカスを見て
『すごいなー』っていうのと同じなんです。
そうではなくて、
自分に出来そうだなって思って
初心者でも趣味程度でも、競技人口がたくさんいるのが
人気スポーツです。
でも残念ながら体操には今そういう人がとても少ない。
みんな「自分に出来る気がしないから」って言います。
競技人口が少ないと競技レベルの向上にもならない。
でも技だけは先を行こうとする。
体操はこのままではだめです。
体操でもフィギュアでも本来は美しさを競う競技ですが、
人間の成長をいじってまでするべきではないと思います。
年齢制限、廃止にならないで欲しいですね。
投稿: より | 2005/12/28 00:10
>よりさん
貴重なコメントをありがとうございます。
ある程度想像はしていましたが、やはり体操の現場はそういうことになっているのですね。
>自分に出来そうだなって思って
>初心者でも趣味程度でも、競技人口がたくさんいるのが
>人気スポーツです。
>でも残念ながら体操には今そういう人がとても少ない。
なるほど、確かに大人になってしまうと体操をする機会もないし、場もないですね。日比谷公園で早朝、中年男性が集まって鉄棒で大車輪をするサークルのようなものがあると聞いたことがありますが、きわめて稀な例なのでしょう。
>体操でもフィギュアでも本来は美しさを競う競技ですが、
>人間の成長をいじってまでするべきではないと思います。
まったくおっしゃる通りだと思います。
フィギュアの全日本選手権では、村主選手の演技に場内が総立ちになっていたようです。成熟した表現の美しさというものを、彼女や荒川選手が改めて見せてくれました。ただ、採点基準が細分化され厳密になればなるほど、そういうものを高く評価することが困難になるのでしょう。それはたぶんフィギュアにも体操にも共通しているのだろうと思います。
>体操はこのままではだめです。
そこまで現実が見えてしまいながら、それでもなお現役選手として向上心を持ち続けるのは、さぞ大変なことでしょうね。
よりさんのご健闘を祈ります。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/28 09:35
「天才少年,二十歳過ぎればただの人」
という言葉も誰が言ったのか知りませんが
「時分の花」ですね.
(元天才少年より,笑)
投稿: ネオ筑摩屋松坊堂 | 2006/01/18 01:11
>ネオ筑摩屋松坊堂さん
こんにちは。
>「天才少年,二十歳過ぎればただの人」
>という言葉も誰が言ったのか知りませんが
>「時分の花」ですね.
そう見ることもできますね。
「十(とお)で神童、十五で才子、二十歳(はたち)過ぎればただの人」というのがスタンダードな格言だと思いますが、スポーツ界でも、しばしば見られる現象です。
ただ、神童と呼ばれた少年少女の中にも、順調に成長して名人になる人も少数ながらいます。「ただの人」と名人を分かつものは何なのか、というのは、選手育成における永遠の課題なのでしょうね。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/18 03:11
「美を評価するという困難」とどちらにTBしようか迷ったのですが、浅田のこともコメントしたかったのでこちらにしました。年齢制限や採点についての考えは殆どパクリというほどかぶっていますので(苦笑)、自分のフィギュアスケートに対する想いを中心にしてみました。
浅田選手の、ジャンプ以外の可憐な演技は「時分の花」以外の何者でもないでしょうね。でも、あのトリプルアクセルは、おそらく「まことの花」と成り得るものを感じさせます。オリンピックに出ようが出まいが、そしてはかない「時分の花」であろうとも、日本人である浅田選手の、世界の頂点に立つ演技を観られる幸せを感じます。
投稿: 考える木 | 2006/01/29 14:36
>考える木さん
世阿弥が「時分の花」よりも「誠の花」に重きを置くのは、彼が演技する側の人で、演技者を育成するための秩序を大切にしたからだと思います。観客の立場では、「『時分の花』だろうが何だろうが、いいものがいいんだ」という主張も間違っているとは言い切れません。
私自身は、「誠の花」が尊重された方が長期的にはこの競技の繁栄にプラスになり、魅力あるスケートを見続けることができるだろうと予測するので、『見物人の論理』を標榜しながらも(笑)育成側の秩序に与する次第です。
4年後の冬季五輪で表彰台に立つ浅田を見ながら、2005年GPファイナルの演技を思い浮かべる…というのが、すべての人にとっての幸福なシナリオですね。そうあって欲しいものです。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/29 22:09