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2006年1月

根本陸夫、最後の傑作。

 三谷幸喜は海外の映画祭に招かれて舞台挨拶をする時、いつも現地語でこう挨拶するという。
 「皆さん、僕の○○語がわかりますか?」
 客席からは、Yes!とかoui!とか返事が来る。
 「それはよかった。僕には僕の○○語がわかりません」
 三谷によれば、世界中どこでも受ける必殺のギャグらしい。

 ここまで手の込んだネタではないけれど、城島健司がシアトル・マリナーズの入団会見で、英語によるスピーチの最後に口にしたジョークも、集まった報道陣の笑いを取った。
「Do you have a question ... in Japanese?」

 ジョークの出来はともかく、ニュースで見た会見での城島は、実に堂々としていた。「佐世保から来ました」と言ってしまうのも彼らしい。ああいう態度を貫くことができれば、たぶんアメリカ人には好まれるのではないだろうか。同じ街に長く住むクールで謎めいた先輩に比べると、城島はずっとオープンで明朗で、自己を全面に押し出すキャラクターだ。
 MLB.comが伝える記者会見の記事によれば、城島は昨年引退したマリナーズの捕手ダン・ウィルソンと会って、投手陣についての情報を教わったという。GMのダン・ベバシは、すでに通訳抜きでもかなり話せるようになっている、と言う。

 Call me Joe.などと言いながらファンにサインをする城島の映像を見ていると、アメリカに行ってしまったんだな、と改めて感じる。これで、根本陸夫が築いたチームも実質的に終わった。ホークスは新しい時代に入る。
 そう、城島こそ根本の最後の傑作だった。

 92年秋、西武ライオンズの管理部長だった根本陸夫が福岡ダイエーホークスの監督に招かれたのは、監督としての手腕よりも、西武王国を作り上げた能力を買われてのことだったはずだ。チーム状態を把握するために、まず現場に降りる。当時のダイエーのトップ、中内功からの厚い信頼に支えられた、壮大な計画だった。
 根本はさっそく辣腕をふるう。唯一のスターだった佐々木誠を放出して西武から秋山幸二を取り、さらにFAで工藤公康と石毛宏典を取る。ドラフトでは逆指名制度を活用して小久保裕紀、井口忠仁(後に資仁)、松中信彦らアマ球界のスターを次々と獲得した。自らの後継者には、ジャイアンツの至宝・王貞治という超大物を招く。当時の日本球界にそういう肩書はなかったけれど、根本こそ日本プロ野球史上最高のゼネラルマネジャーだった。

 そんな根本の、最後のサプライズとも言える指名が城島だった。94年秋のドラフトで、高校ナンバーワン捕手と目されていた別府大付属高の城島は、早々に駒大進学を表明していたため、各球団は獲得を断念していた。そんな状況の中で、ダイエーは城島を1位指名。根本がカムフラージュのために大学進学を表明させたのではないかとの声が他球団から上がり、コミッショナー事務局が調査するなど、物議を醸す指名となった。西武時代に熊谷組に内定していた工藤を分捕り、定時制高校4年目の伊東勤を熊本から所沢に転校させ練習生として囲い込むなど、さまざまな手練手管を駆使した根本が、久々に見せた剛腕だった。

 その後、球団内における根本の力は、少しづつ低下していったようだ。浜田昭八・田坂貢二『球界地図を変えた男・根本陸夫』(日経ビジネス人文庫)によれば、王監督就任後も成績が低迷した90年代後半には、オーナー代行を務めていた中内正が、根本を疎んじるようになっていったという。井口を獲得した96年秋のドラフトでは4位に同じ青学の倉野を指名し、同大OBの中内が入団発表で「青学ホークスにするんだ」とご機嫌に軽口を叩いていたから(小久保も青学出身)、この頃にはもう中内正の発言権がかなり強くなっていたのだろう。
 98年オフに起こったサイン盗み疑惑という窮地を乗りきるために、ダイエーは急きょ根本を球団社長に据える。しかし翌年4月末に根本は急逝。遺影を掲げて戦ったペナントレースで、ダイエーは初めての優勝を勝ち取る。城島が正捕手に定着したのも、この年だった。自らの仕事が実を結んだ時、もう根本はいなかった。
 吉井妙子『頭脳のスタジアム』(日本経済新聞社)の中で、城島は話している。
 「入団したばかりの頃、根本(陸夫)さんに言われた言葉が今でも鮮明に残っているし、僕の捕手としての礎にもなっています。
 『なあ、ジョー、忘れるなよ。ピッチャーは一番能力のあるやつがやっているんだぞ。だからこそ、グラウンドで一番高いところに立っているんだ』」
 根本が獲得し、王が手塩にかけて育てたホークスの至宝が、今、アメリカに旅立っていく。

 根本がホークスのドラフトを仕切った92年から98年の間に指名され、現在も主力選手として活躍しているのは、松中と斉藤和巳、柴原洋くらいか。現在のソフトバンクホークスは投手力のチームであり、主力投手の大半は21世紀になってから入団している。次代のチームリーダーとなるであろう川崎宗則は、根本の没後最初のドラフト会議で指名された。
 従って、現在のホークスに根本が残した最大の遺産は、新しい親会社のオーナーから全幅の信頼を受けている王貞治監督兼GMと、いずれその後継者になるであろう秋山幸二・二軍監督ということになる。
 そういえば、根本が西武に入れた伊東勤は、入団から四半世紀後の今、同じ球団で監督をしている。真に優れたゼネラルマネジャーの仕事は、本人がチームを去り、俗界を去った後々までも、チームを支え続けるものらしい。城島もいつか福岡に戻ってくる日が来るだろうか。

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ホゼ・カンセコ『禁断の肉体改造』ベースボール・マガジン社

 MLB史上で初めて40本塁打-40盗塁を同一シーズンに達成したスラッガー、ホゼ・カンセコは、昨年、自らのステロイド使用体験を赤裸々に語った『JUICED』を発表して大きな反響を巻き起こした。米議会が公聴会を開く一方、「ステロイドを使った」と名指しされた選手たちは反発を露にした。

 翻訳者のナガオ勝司は「訳者まえがき」にこう書いている。
「本書の出版の後、米議会はステロイド問題公聴会を開催。カンセコやマーク・マグワイア、ラファエル・パルメイロらのスター選手を召喚した。そこで我々が目的したのは、上院議員からの激しい追及を受けて、言い逃れにしか聞こえないコメントを繰り返したマグワイアの哀れな姿だった。一方、カンセコが本書の中で『ステロイドを注射してやった』と書いたラファエル・パルメイロは、同公聴会でそれを完全否定。ところが、7月に史上4人目の通算500本塁打&3000本安打を達成して殿堂入りを確実なものにした1ヶ月後、ドーピング検査で陽性反応が検出されて出場停止処分となった。」

 …というあたりまでは日本でも報じられていた。本書は、その『JUICED』の翻訳だ。奥付では昨年11月25日の発行だが、私の知るかぎり、日本ではさほど話題になってはいない。版元のベースボール・マガジン社自体が、あまり宣伝に熱心でないような印象も受ける。

 当初は「暴露本」の一種だと思って読み始めたが、読み進めるうちに、本書に「暴露本」という形容は相応しくないように思えてきた。
 これは啓蒙書だ。カンセコはステロイドの使用が悪いことだなどとは、これっぽっちも考えていない。

 カンセコが本書の中で主張していることは、彼自身の前書きにほぼ言い尽くされている。
「専門家の注視のもと、正しい医療アドバイスのことでなら、私はステロイドを使用することを是認する」
「私自身はいつの日か、ステロイドとヒト成長ホルモンとを併用するための知識や情報が、万人に認知されるようになると信じている。(中略)すべてのベースボール・プレイヤーとプロのアスリートが、簡単にステロイドを使用するようになれるのだ。その結果、ベースボールや他の競技は今よりもエキサイティングで面白いものになるだろう」
「私は、どんなステロイドでも正しく使えば安全だし有益なものだと信じている。すべてはそれが適量なのかどうかという問題なのだ」

 そもそもMLBにステロイドを持ち込み、数多くの選手たちに薦めて普及させたのはほかならぬ自分自身だ、とカンセコは誇らしげに書く。そして、彼自身の体験や、彼が関わったさまざまな選手のステロイド体験(あるいは疑惑)が実名入りで生々しく語られている。
 カンセコの記述が事実なのか否か私には判断がつかないので、ここで名前を出すことは避けるけれど、カンセコが名指しにした何人かの選手が、ある時期に急激に体格を巨大化させると同時に、それまでのキャリアからは考えられないほど多くの本塁打を記録するようになったことは、厳然たる事実だ。そして彼らの本塁打数が、21世紀に入った頃を境に、再び急激に減ったことも。

 これは野球界で公然の秘密だった、とカンセコは主張する。コミッショナーやオーナーたちも黙認していた、と。彼らは、94年から95年にかけて行われたストライキによるダメージを回復させ、観客を野球場に取り戻すために、ステロイドの跋扈を知りつつも、それが数多くの本塁打と観客と富を生むが故に黙認してきた。そして、ドーピングに対する世間の目が厳しくなり、もはや知らぬふりを続けることが許されなくなった時に、「ステロイドの首領」であった自分が生贄の羊として差し出されたのだと。

 それでもカンセコはステロイドを賛美してやまない。本書の終章のタイトルは「永遠の若さ」とくる。
「私は化学薬品のおかげで自分の身体を再構築した。20歳の子供のほとんどができないようなことをやって見せるし、世界で一番素晴らしい肉体を持つ40歳として生きている」

 なるほど、確かにこれは「禁断の書」だ。ここまで明朗に繰り返されると、読み終わる頃には「ステロイドのどこが問題なのだろう」などと賛同しかねない気分になってくる。ベーマガが宣伝に熱心でない理由も、わかるような気がする。

 そもそも、ステロイドはなぜいけないのか。たとえば、財団法人日本アンチドーピング機構は、ドーピングが許されない理由として次の4点を挙げる。

(1) 選手自身の健康を害する
(2) 不誠実(アンフェア)
(3) 社会悪
(4) スポーツ固有の価値を損ねる

 リンク先には、それぞれの項目について説明文がついているけれど、率直に言って、私は(2)以下の項目については、あまり納得できない。そこに書かれている文章は、「禁止されているからダメなんだ」というトートロジーにしか見えない。
 とすれば、もしカンセコが主張するように、専門家の指導の下、健康を損なう怖れがゼロに等しい形で薬物による筋肉増強を行うことが本当に可能なのだとしたら…スポーツ界は、きわめて高いレベルの説得力を持つ倫理や哲学を改めて構築しなければなるまい。一部の有力選手だけが「チーム誰某」と呼ばれるような支援組織を形成し、運動生理学者や栄養学者、用具メーカー、心理カウンセラー、広報マネージャーなど数多くの専門家の支援を受けて強化をはかることは容認されているのに、薬物使用だけが特異的にアンフェアなのだと、すべての関係者に納得させられるだけの理論武装が。

 本書はステロイドに関する本であると同時に、カンセコ自身の伝記でもある。さほど将来を嘱望されたわけでもないルーキー時代から現在に至るまでの歩みの中で、カンセコはステロイドに関する記述と同じくらいの、あるいはそれ以上の熱意を込めて、自分がいかに球界やメディアに不当に扱われてきたか、球界でいかに白人が尊重されヒスパニックが差別待遇を受けているかを力説する。同時期に同じチームに在籍し、同程度の活躍をしても、アングロサクソンで白人のマグワイアは社会から守られて、羽目を外しても咎められることもないのに、自分は何をやっても非難の的になる、と。
 そんな環境も、彼の行動の背景にはあるのかも知れない。


 バリー・ボンズのWBC不参加表明を伝える1/25付スポーツ報知の記事には、イチローが「予想していた通りのこと。別に驚かないですよ」というコメントを寄せていた。
 ボンズもまた、ステロイド使用が疑われ、本書の中でもカンセコに名指しされている選手のひとりだ。
(ボンズが愛用してきたサプリメント会社の社長と彼自身のトレーナーは、ステロイドの一種テトラハイドロゲストリノンを、名前を偽ってアスリートに提供したとして2004年初めに起訴された。
 参考記事:
2003年12月05日「新種薬物疑惑、ボンズが米連邦大陪審で証言 (ロイター)」
2004年02月14日「ボンズのトレーナーら起訴 禁止ステロイド、虚偽表示し売却」

 そして、エントリ「嘘だと言ってよ、ヒデキ」にも記したように、WBCでは五輪と同様のドーピング検査が実施される。罰則規定はMLBのルールよりもはるかに厳しい。
 イチローがボンズの不参加を予想した理由は、私の考えと同じだろうか。

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『THE有頂天ホテル』〜三谷幸喜、「その場しのぎ」の集大成。

 今月は三谷幸喜作品ばかり見て過ごしている。『新選組!! 土方歳三最期の一日』、『古畑任三郎ファイナル』3部作、そして映画『THE有頂天ホテル』。
 それぞれに楽しめる力作だったが(イチロー出演の『古畑』は、新春スター隠し芸大会だと思えば楽しめる)、とりわけ印象深いのは『THE有頂天ホテル』だった。

 『THE有頂天ホテル』は三谷幸喜の集大成とも言うべき作品だ。
 出演者の大半は過去の三谷作品で活躍してきた人々だし、戸田恵子や川平慈英のように過去の作品と酷似したキャラクターを演じている出演者もいる。エピソードにもいくつかの反復が見られる。
 大勢の登場人物のそれぞれに見せ場を作りながら動かしていく群像劇は三谷が得意とするところであり、限られた空間と時間の中で次々と発生するトラブルを乗り越えプロジェクトの完遂に向けて突き進むShow must go onの精神も同様だ。そのいずれもが、これまでにない規模で描かれる。
 そして、私が何よりも集大成らしさを感じたのは、多くの登場人物がそれぞれに、その場しのぎの悪あがきをしていたことだ。

 三谷の作品を特徴づける最大のモチーフは「その場しのぎ」ではないかと私は思っている。
 三谷の登場人物たちは、目の前に降って湧いた窮地を、とっさに嘘をついたり、ごまかしたりすることでしのごうとする。だが、その場の思いつきには往々にしてあまりにも無理があり、その無理を通すために彼や彼女はさらに嘘を重ね、綻びを繕うために必死で悪あがきを続ける。しかし、懸命の努力も空しく、結局は破綻してしまうのだ。
 舞台でも、テレビドラマでも、映画でも、三谷作品のほとんどで、そんな人々の右往左往が描かれている(『君となら』や『合言葉は勇気』のように中心的な主題となる場合もあるし、『王様のレストラン』や『新選組!』のようにエピソードのひとつとなる場合もある。『笑の大學』などは、全編その場しのぎの連続といってもいい)。

 『THE有頂天ホテル』にも、そんな男女が次々に登場する。
 舞台は、新年のカウントダウン・パーティーを2時間10分後に控えたホテル・アヴァンティ。登場人物は、イベントの準備に追われるホテルのスタッフと、それぞれにトラブルを抱えた宿泊客たち。
 役所広司演じるホテルの副支配人は、別れた妻と偶然に再会し、つい恰好をつけるために嘘をつく。松たか子演じる客室係は、ある女性客と間違えられ、とっさにその女性客になりすましてしまう。ある賞に選ばれ授賞式に出席するためにホテルにやってきた角野卓造は、自分の秘密を握る愛人を追い回して奇行を繰り返す。伊東四郎演じるホテルの支配人は、道楽が過ぎて人前に顏を出せなくなり、迷路のようなホテルの中を逃げ回って徒に事態を混乱させる。唐沢寿明演じる芸能プロダクション社長や、生瀬勝久の副支配人は、その場しのぎだけで生きているような男だ。佐藤浩市演じる国会議員は、汚職疑惑という深刻なトラブルに直面して、なかなか態度を決められずにいる。
 このほか、数えきれないくらいのさまざまな「その場しのぎ」が描かれ、まさに百花繚乱、映画は「その場しのぎ」展覧会の様相を呈している。
 彼ら彼女らがそれぞれのトラブルをしのぐために懸命な悪あがきを続けるうちに、あちらとこちらの人生が絡み合い、トラブルがもつれ合いながら、いつしか人々は一団となって、ゼロ・アワーに向かって雪崩れ込んでいく。

 役所広司がつく嘘は、かつて三谷が書いたテレビドラマ『三番テーブルの客』で描かれたのと同じものだ。役所がそれを口にした瞬間に、観客はその嘘が破綻を約束された無残なものであることを知る。そして、役所がもっとも恰好をつけたかった当の相手が、最初からその無残さに気づいていることも。
 有能なホテルマンの顏と裏腹に、元妻の前で悪あがきを重ねる役所の姿は、今ふうに言えば「イタい」としか形容のしようがないものだ。三谷は、役所の「イタさ」を執拗に描く。観客は、自分の中のイタさをちくりちくりと突かれながらも、大笑いし続ける羽目になる。
 その笑いは、多少ほろ苦いものではあっても、なぜか後味の悪さとして残ることはない。

 破綻が避けがたい現実として目の前に迫り、今にも嘘がバレそうになっているにもかかわらず、彼ら彼女らはそれを直視しようとせず、何の展望もないままに、ただただもがきつづける。人生における正しい態度とは到底言い難い。
 だが、その懸命さにおいて、その必死さにおいて、破綻の予感に苛まれるそのヒリヒリした心持ちにおいて、三谷は「その場しのぎ」の男女を許しているのだと思う。
 彼や彼女は最終局面で必ず破綻に直面するけれども、それはむしろ「甘美な破綻」ともいうべきものだ。彼や彼女は、荷が下りたような気分でホッとするだけでなく、しばしば破綻の中から温かいものを受け取り、安らぎと勇気を得ることになる。
 『THE有頂天ホテル』の登場人物の多くには、そのようなハッピーエンドが待っている(待っていない哀れな人もいるけれど)。クライマックスのカウントダウンパーティーを経験した後、観客はたぶん、ささやかな安らぎと、ささやかな勇気を登場人物たちと共有して、映画館を出ることになる。
 ハートウォーミングで幕を閉じるのは、純然たる喜劇としてはいささかズルい手ではあるのだが、見終えた後でこれだけ気分が良ければ、まあいいかという気になる。

 この「その場しのぎ」から「甘美な破綻」に至る流れは、実はそのまま『古畑任三郎』のプロットにもあてはまる。倒叙モノという叙述形式は、(もともとは『刑事コロンボ』へのオマージュとして採用されたのだろうが)その意味で実に三谷の資質に合っている。これほど長年にわたって作られ、人気を保ってきた理由のひとつは、そこにあるのではないかと思う。
 一見、古畑を主人公とした「追い詰める」側のドラマのように見えるけれど、実質的な主人公はそれぞれの回で殺人を犯した人物であり、彼らがいかにして「その場しのぎ」を繰り返しながら「追い詰められる」かを描いたドラマと言うこともできる。
 一応の最終話となった『ラスト・ダンス』は、まさにその「追い詰められる」側の心情をじっくりと描いた作品だった。松嶋菜々子演じる犯人は、役所広司のホテルマン並みに「イタい」のだが、その「イタさ」を描く手練手管を、笑わせるのでなく泣かせる方向に使うとこうなる、という見本のような作品だ(つまり泣かされたわけですが)。さらにいえば、同じ手練手管を感動巨篇に仕立てる方向に使うと、勝ち目のない軍隊を率いて戦い続けることをやめない男を描いた『土方歳三最期の一日』になる(って、こじつけすぎか(笑))。

 三谷幸喜が、どうしてこれほどまでに「その場しのぎ」に固執し、反復するのかはわからない。『THE有頂天ホテル』のように緻密に計算し尽くされた脚本を書く能力は、「その場しのぎ」や「悪あがき」とは無縁のものに見えるけれど、実は彼自身の内なる「その場しのぎ」や「イタさ」への恐怖が、そういうものを書かせる原動力なのかも知れない。
 いずれにしても、三谷の書く作品は、人の弱さやコンプレックスの綾を繊細に描き、それらを笑いながらも蔑んではいない。むしろ弱さへの大いなる共感に満ち、決して品格を失うことがない。
 それが、巷に溢れる凡百の「お笑い」と三谷を隔てるもののひとつであるような気がする。

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Jリーグが「戦力均衡化」を唱えない理由。

 昨年2月に書いた「上原君、頼むからカート・フラッドの名前くらい覚えてくれ。」というエントリが、最近になっていろんな方に発見(笑)され、いくつかコメントをいただいた。もともとのエントリは、ジャイアンツの上原浩治投手が公式サイトに書いた文章の、MLBのFA制度の歴史に関する認識を批判したものだが、これに関して、「中日ドラゴンズ観測所」のnobioさんから、こんなコメントをいただいた。

>上原は「まず疑問に思ったのは、サッカー界は1年おきの契約で、なんで野球界は経営者側に長い保留権があるかってこと」と書いてますが、これ、私にとってもかねがね不思議です。
>サッカー界にはドラフトもないみたいだし、それでも、そのやり方が戦力不均衡を招いているという声も聞かないし、サッカーと野球ではどうしてこれほど違うのでしょうか。

 コメント欄で長いレスを書いたのだが、これはこれで単独のエントリを立ててもいいような気がしてきたので、一部を加筆修正して以下に記してみる。nobioさん、勝手に名前出してすみませんが、いきがかり上ということでお許しを。


 nobioさんのご指摘の中で新鮮だったのは「戦力不均衡を招いているという声も聞かないし」という部分だった。
 ここ数年、プロ野球改革を唱える人々の多くが(野球界の内外を問わず)、「戦力均衡化」を目標に掲げている。そうでないのは読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスの関係者くらいだ。その世界を見慣れた目でサッカー界を眺めれば、nobioさんのような疑問が出てくるのは自然なことだと思う。
 「戦力不均衡を招いているという声も聞かない」という認識は、おそらく正しい。しかし、そういう声が上がらないのは、必ずしもJリーグ各クラブの戦力が均衡しているからではない。
 Jリーグにも戦力の不均衡があり、それはむしろ広がりつつある。昨年初め、ジュビロ磐田は、もっとも予算規模の小さいクラブのひとつであるジェフ千葉から生え抜きの代表選手2人を引き抜いた。ここ2年間でもっとも安定した好成績を残している浦和レッズは、このオフ、二部落ちした東京ヴェルディをはじめ、いくつかのクラブから主力選手を獲得している。このような引き抜きは、選手を引き抜かれたクラブのサポーターからは呪詛の対象になっているが、サッカー界全体では特に問題視されてはいない。
 要するに、そもそもJリーグは、戦力均衡化を目指してはいないと考えることができる。

 なぜJリーグでは戦力不均衡が問題にならないのか。
 NPBの戦力均衡化を求める人々は、「試合やペナントレースの魅力を維持するため」という理由を挙げる。上位チームと下位チームの戦力に差がつきすぎると、ワンサイドゲームが増え、試合の魅力が減退するから、これを避けなければならない。それはそれで合理性のある主張だ。

 サッカーの場合、まず前提としてゲームそのものが、戦力差が試合結果にダイレクトに反映しづらい性質を持っていることを踏まえておきたい。11人の個人能力の総和には大差があっても、劣る方のチームが組織的に守備を固めれば、そう簡単に点は奪えなくなる。一方的に攻め続け、シュートを打ちまくったチームが、得点できないままカウンター一発で敗れるという試合展開が、しばしば起こりうる。従って、戦力の格差が、即座にリーグ戦の興を削ぐとは言い切れない面がある。

 次に、Jリーグは二部構造を備えていて、一部リーグの下位クラブと二部リーグの上位クラブが常に入れ替わる仕組みを持っていることが挙げられる。並み外れて弱いクラブは一部リーグから退場させられるので、一時期の阪神タイガースのように、来る年も来る年も最下位に居座ることは、Jリーグでは構造的に不可能だ。従って、戦力格差は、弱い方に関しては、ある程度以上広がらない歯止めが存在する。

 では、強いクラブの強引な強化が批判されないのはなぜか。

 「ルール上認められているから(サッカー選手は原則的に全員が野球でいうフリーエージェントと同じ身分で、契約期間が満了すれば、どのクラブと契約することも可能だ。ただし上原の認識とは異なり、有力選手では複数年契約が一般化している)」とか「それが世界の常識だから」ということは理由にならない。読売ジャイアンツの選手獲得方法はルール違反ではないし(ドラフト対象選手への裏金は別)、MLBでジャイアンツ程度の補強をしているチームは珍しくないが、それでも日本では盛大に批判を浴びている。

 NPBとの違いとして考えられるのは、Jリーグか天皇杯に優勝したクラブに、アジアチャンピオンズリーグへの出場権が与えられる点だ。この大会に優勝すればトヨタカップ世界クラブ選手権にアジア代表として出場できる。Jリーグを代表するクラブが世界で勝ち進み、存在感を示すことは、Jリーグを含む日本サッカー関係者の共通の利益と考えられている。従って、上位クラブの強化は批判されるどころか、さらに強大になることが期待されているといってもよい(現実に、この大会に出場すると他クラブよりも過密日程で数多くの遠征をこなさなければならないので、質量ともに巨大な戦力を持たなければ対処できない。その意味で、ACL出場チームの強化は、決して不必要とか過剰とは言えない)。

 ここまで述べた構造は、Jリーグ独自の仕組みではなく、世界の多くのリーグに共通している(私が知っている例外は、USAのプロサッカーリーグ、MLSくらいだ。MLSはリーグが一括して選手と契約し、各クラブに配分するという仕組みを、少なくとも発足当初には採っていた)。優勝チームが世界大会に出場し、その結果が問われるという環境の中では、国内リーグの中で戦力均衡をはかることよりも、上位チームが世界に通用する戦力を持つことの方が重要視されるのは必然だろう。

 そう考えると、NPBが「戦力均衡化」を目指さなければならないのは、優勝したチームの「強さ」が外部から問われる機会がなく、最下位チームも翌シーズンには同じスタートラインに立てるという「閉じたリーグ」なるがゆえの現象と言えるかも知れない(これはMLBなどUSAの4大プロスポーツリーグにも共通している)。
 だから、将来のプロ野球において、アジアシリーズで日本が負け続けたり、MLB優勝チームとの対戦が実現し、かつ惨敗が続いたりするようなことがあれば、強豪チームの戦力の巨大化をファンやメディアが熱望するようになる可能性も、ないとは言えない。


 ただし、同時に指摘しておかなければならないのは、現在のJリーグが、世界的にも珍しいほど戦力が均衡化したリーグだということだ。2005年のリーグ戦は最終節まで5チームに優勝の可能性が残る接戦となった。2005年度の3大タイトルを獲得した3クラブのうち2クラブは、これがJリーグ発足以来の初タイトルだった。2005年元日に天皇杯を制した東京ヴェルディが1年後には二部に落ちている。こんなに浮き沈みの激しいリーグはめったにないだろう。
 イングランド、スペイン、イタリアなど欧州の主要リーグでは、タイトルを獲る可能性があるのは、一握りの金持ちクラブに限られている(欧州の中堅国のリーグにも、さらに極端なところが多い)。それがリーグ人気が停滞する理由のひとつに挙げられてもいるようだ。
 Jリーグが将来、欧州トップモードに追随して、2,3の金持ちクラブだけであらゆるタイトルを分け合うような状況になってしまったら、「戦力均衡化」が課題として指摘されるようになるのかも知れない。


 長くなったので、保留権については改めて。そっちの方が複雑で難しいので、勉強しないと書けません(笑)。

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瓢箪から駒、辞退からキャプテン。

 ヤクルト宮本がWBC代表 辞退の井口に代わり
(2006年1月12日(木) 19時15分 共同通信)

 事の経緯には、あまり感心できない。
 だが、その結果チームにもたらされたものについては、むしろ喜ばしく思っている。
 彼が再びキャプテンを務めることになるかどうかはわからないが、そうなろうとなるまいと、宮本が加入することによって、私が以前懸念した問題のかなりの部分は解消する見通しが立つことになる。
(リンクした記事の、「守備のスペシャリストで技術だけでなく、人格的にも宮本がいいのではないかという意見が複数のコーチから挙がった」という長谷川一雄コミッショナー事務局長のコメントを読むと、上述のような考えは、必ずしも私ひとりの勝手な思い込みというわけでもなさそうだ)
 あとは本番までの間、選ばれたメンバーに故障者が出ないことを祈るばかりだ。

 井口については、武田薫が「裏約束をテコにメジャー入りした」「今回の辞退がファンへの2度目の背信行為という批判が存在する覚悟は必要だ」と指摘している(06年1月11日「ワールド・ベースボール・クラシックの行方」)。井口がシカゴに移籍できたのは、野球に対する敬意を欠いた経営者との間に交わした奇妙な契約によるものだった。その事実は、彼がMLBでチャンピオンになったからといって消えるものではない。仮に今シーズンのヤンキースがMLBチャンピオンになったとしても、松井秀喜がWBCを辞退した事実が帳消しになるわけではないのと同じように。


追記(2006.1.13)
トラックバックをもらったCocktail-lightさんのサイト経由で、ヤクルトの公式サイトに記載された宮本のコメントを読んだ。
「アテネでの経験というよりは、チームのために、代走でも守備固めでも雑用でも何でもやるつもりで行きます。最後に選ばれていますし、レギュラーも補欠もないと思う」
 やっぱり、こういう人を置いてっちゃいけないすよ、王さん。


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『ようこそ先輩』に見る野球とサッカーの差。

 NHKに『課外授業 ようこそ先輩』という人気番組がある。各界の著名人が、自分が卒業した小学校を訪れ特別授業をする、という企画だ。重松清が小説を書かせたり、山本容子が版画を作らせたり、専門領域を教える中にも、子供たちが自分自身を見つめ直す一工夫がこらされていて面白い。子供たちのヴィヴィッドな反応もまた番組の魅力で、適切な刺激さえ受ければ積極的な反応を見せる子供は、今も大勢いるのだとわかる。

 通常は30分枠のこの番組が、1月4日には新春スペシャルとして45分にわたって放映された。「先輩」は北沢豪。元サッカー日本代表、現在はテレビ解説者であり、指導者を目指して勉強中の身でもある。

 教室を訪れて自己紹介する北沢は、子供たちに、サッカーへの関心について質問する。やったことのある子供はごく少数、Jリーグを見るという子も少ない。自分の現役時代もほとんどの子が知らないという寂しい反応に、北沢は壇上で絶句する。
 しかし、グラウンドに出て、まず自らの技術を披露することで子供たちの興味を惹きつけた北沢は、体育館に入ると子供たちを2組に分けて、X字型に交叉するコースを同時に走らせる。わけがわからないままに走り終えた子供たちに、北沢は説明する。
 普通に走れば相手とぶつかる。それを避けるためには、相手の様子を見て、スタートするタイミングをはかる必要がある。そして、タイミングを自分で判断したら、思い切って走り出す。
 相手を見る、いつスタートすればいいか考える、そして走る。すなわち、「観る」「考える」「動く」という3つの連携がスポーツには大事なのだ、と北沢は説く。

 続いて北沢は、クラスを6つの班に分けて、自身が考案したという「ハンドサッカー」と名付けたゲームをさせる。手で転がすフットサルのようなものだ。何の指示もアドバイスもしないままトーナメント戦を行い、1位から6位まで順位が決まる(この最下位決定戦をする、という部分は、本業の教師による学校現場では、なかなか難しいことなのではないかと思う)。

 すべての試合が終わった後、北沢は子供たちを教室に戻し、それぞれの試合の映像を見せる。そして、翌日も同じトーナメントを実施することを宣言し、班ごとに、自分たちのプレーを分析し、明日の試合に向けた作戦を考えるよう指示する。ここでの話し合いの活発さ、翌日の試合に向けて準備される作戦のユニークさには感嘆する。
 そして迎えた2日目。初戦で作戦が功を奏して勝ったチームもあれば、力及ばず負けたチームもある。北沢は、2日目の第1試合が終わった時点で、初めて子供たちに具体的なアドバイスを送る。主として負けた側に声をかけ、次の試合にどのように臨むべきかを伝え、モチベーションを失わないよう鼓舞する。堂々たる指導者ぶりである。
 班の戦力は見たところ均衡しておらず、スポーツの得意そうな子が揃った班もあれば、女の子が多数の班もある。しかし、それぞれのレベルに応じて、子供たちは知恵を絞り、戦略を立てて試合に臨む。1位の班にも最下位の班にも、それぞれに達成したこと、得たものがあったように見える。

 同じ番組に昨年春、松井秀喜が出演したことがある。今の日本で松井を知らない小学生は少ないだろうし、まして地元の英雄でもある。子供たちの表情はスーパースターに会えた喜びに輝いていた。
 この時、松井がテーマにしたのは「夢」だったが、教えたのはバッティングだ。ひとりひとりに声をかけ、バットがボールに当たらない子にはアドバイスをおくり、最後は自分の夢を書き込んだボールを体育館の端まで思い切り打たせて終わる。
 打てるようになった子供は喜んでいたけれど、野球選手になりたいのでない限り、夢とバッティングとの間に直接の関係はない。たぶん、子供たちの心に残った最大のものは、松井に励まされたという感激ではないかと思う。そのことに意味がないわけではないが、それなら授業の形をとる必然性には乏しい。

 松井はバットでボールを打つという彼の最も得意なことを子供たちに教えた。北沢はサッカーそのものをさせてはいない。結局、ボールを蹴ることは子供たちに一切させないまま授業を終えている。「観る」「考える」「動く」という、広く応用可能なキーワードを子供たちに繰り返し実践させることで刻みつけた北沢の授業は、よく考えられた授業プログラムであったと思う。

 もちろん、現役選手の松井と、コーチ修業中の北沢の力量を比較するのはフェアではない。しかし、それを勘案に入れた上でも、引退からさほど時間の経っていない北沢が、これだけ見事な手腕を発揮しうることに、私は感心した。
 サッカー界のコーチ養成システムは、世界のさまざまな国で、それぞれのノウハウを交換しながら、洗練を重ね、絶えず進歩している。その恩恵を、北沢も享受している。松井と北沢の資質の違いという以上に、それぞれの競技におけるコーチ技術の蓄積の差が、この違いとなって現れていると考えることができる。

 では、現役選手の松井ではなく、野球界の監督やコーチ経験者が『ようこそ先輩』に招かれたら、どんな授業ができるのだろう。
 北沢以上に鮮やかに、子供たちの人生に必要な何かを教えることのできるコーチが、野球界にいないわけではないと思う。ただ、そういうコーチがいたとしても、それはたぶん彼個人の名人芸であり、体系化されて野球界に共有されていくわけではない。
 たとえば門田隆将『甲子園への遺言』(講談社)に描かれている故・高畠導宏は素晴らしい打撃コーチだったのだろうし、彼にはおそらく立派な授業をすることができただろう。だが、彼のコーチング技術が、今のプロ野球界に受け継がれているかといえば、せいぜい彼に教わった選手たちに部分的に記憶されている程度だろう(彼の真骨頂は個々の選手の性格や体力、技量に応じてオーダーメイドの指導法を考案する能力だった、と門田は描く。ならば、個々の選手が経験したのは自分のための指導法にとどまり、高畠の全体像を知ることはない)。

 私の知る限り、日本の野球界にJFAの指導指針に類するものは存在しないし、指導者ライセンス制度もない。日本のプロ野球の監督になるために資格は不要だ。高校野球のレベル低下が問題視されるようになった数年前から、高野連によって、すぐれた実績を持つ監督経験者を弱い地域に派遣して指導者講習を行う試みは行われていると聞くが、指導内容そのものは、おそらく本人任せだろう。
 子供の数が減り、野球人口や野球をする場も減る傾向にある今、限られた人材を無駄にしている余裕は野球界にはないはずだ。コーチ技術の体系化というものが、本気で検討されていいように思う。

 『課外授業 ようこそ先輩』番組公式サイトを見ると、野球界からは昨年1月に星野仙一が出演している。テーマは「悔しさを見つめる」。
「今回星野さんが子供たちに授業で教えるのは『負けることを悔しがる』『負けた後、次の機会に勝つために何をすればいいかを考え、練習する』ということ。悔しさをその場の感情だけですませるのではなく、悔しさを見つめることが、その後の人生を切り開く原動力になることを伝える。」(番組サイトより)

 北沢は「悔しさを見つめる」こと自体をテーマにしたわけではないが、自分の授業の中で、1位から6位まで容赦なく順位を決め、負けた子供たちにアドバイスし、分析と対策を行わせ、次の試合で表現するというサイクルを通して、『負けることを悔しがる』『負けた後、次の機会に勝つために何をすればいいかを考え、練習する』ことを子供たちに教えていた。精神論として言葉で伝えることよりも、実際に体を動かしゲームをすることを通じて伝えるのがスポーツのなすべき役割であることは言うまでもない。
 星野は、どのような具体的な作業によって「悔しさを見つめる」ことを子供たちに教えたのだろう。残念ながら私は番組を見ていない。

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『ホテル・ルワンダ』を観て、勝海舟を思う。

 『ホテル・ルワンダ』を観てきた。
 ピースビルダーズ・カンパニーというNPO法人が主催したイベントで、映画の試写の後に、主人公のモデルになったポール・ルセサバギナの講演、さらに彼と松本仁一(朝日新聞編集委員で『カラシニコフ』の著者)、武内進一(アジア経済研究所アフリカ研究グループ長)、篠田英朗(主催団体の代表で、広島大平和科学研究センター助教授)によるシンポジウムがセットになって計6時間という長丁場。ずっとメモを取っていたら最後は目が霞んできた。

 『ホテル・ルワンダ』はまもなく公開される映画で、94年にルワンダで起こった虐殺事件を背景にした実話をもとにしている。多数派で政権を握るフツ族、少数派のツチ族という2つの部族の間で内戦が続く中、大統領の死をきっかけに、突如としてフツ族の民兵がツチ族住民を殺しはじめる。女子供老人すべてかまわず手当たり次第、最終的には100万人が殺されたと言われる。人類史上でも最悪の大量虐殺のひとつだろう。

 主人公ポールは欧州資本の高級ホテルの支配人で、自身はフツ族だが妻はツチ族。自宅周辺を民兵に襲われ、家族を連れてホテルに逃げ込んだことから、続々とホテルに逃げてくるツチ族住民を匿うことになる。頼みにしていた欧米諸国からも見放された孤立無援の中で、ポールは彼らとともに生き延びるために苦闘を重ねていく……。
 主人公を演じたドン・チードルは、2004年のアカデミー主演男優賞にノミネートされた(助演女優賞、脚本賞も)。

 映画そのものは、前評判通りの出来栄え。日本公開を求めた人々は約5000通の署名を集めたそうだが、それだけのことはある。ルワンダの状況のあまりの厳しさ、先進国の無関心がもたらす絶望が観る者を打ちのめす反面、窮地に追い込まれた主人公が示す弱者なりの覚悟が胸を打つ。観る前には、虐殺の場面がグロいと辛いなと思っていたが、実際には描写は慎重に抑制されている。
 実話であることを棚上げして欲を言えば、主人公ポールがもっと小狡い人物であった方が、映画として厚みが出るような気はする(設定の似た『シンドラーのリスト』にも感じたことだが)。ドン・チードルの演技は常に清潔感を漂わせ、ポールが信頼に足る人物であることを微塵も疑わせない。もっとも、だからこそ観客が彼に感情移入できる、とも言えるのだが。


 上映の後に行われたポール・ルセサバギナの講演から、印象に残る言葉をいくつか記しておく(英語で話された内容を通訳が日本語に訳したものを、さらにメモをもとに要約した)。

「昨年、虐殺が行われているダルフール(スーダン)を訪れて、何が起こっているのか自分の目で見てきた。かつてルワンダで見たのと同じものだった。チャドとスーダンの国境の村には、かつて28000人住んでいたが、私が行った時には200人しかいなかった。
 しかし、私が本当に辛かったのは、ダルフールからの帰りの飛行機の中だ。機内で見たテレビのニュースでは、ホロコースト60周年の記念式典で大国の首脳がアウシュビッツに集まったと報じていた。彼らの演説の中で、もっとも多く使われた言葉はnever againの2語だ。彼らは『ジェノサイドを二度と繰り返さない』と言っているのに、私はそのジェノサイドの現場を見たばかりだったのだ」

「ツチ族とフツ族の全員が憎しみ合っているわけではない。支配者の分割統治という政策によって、そのように仕向けられたのだ。明日は土曜日だが、ルワンダでは多くのツチ族とフツ族の男女が結婚し、祝宴が開かれるだろう。
 今日の状態は、内戦当時と何も変わってはいない。プレーヤーが入れ替わっただけだ」

「(虐殺が続いた時期、ホテルの中では)私だけが民兵とも反政府軍とも交渉ができる人間だった。殺さないようにと説得できるのも私だけだ。私が逃げ出したら、彼らは殺される。そうなれば私自身も自由ではいられない。私は自分の良心の捕囚になったということだ」

「現在は、当時の反政府軍だったツチ族が政権を握っている。彼らはフツ族を『お前たちが虐殺したのだ』と責める。虐殺に荷担したのはフツ族のごく一部だが、そのように反論すると『ジェノサイドのイデオロギーを持つ者』とレッテルを貼られる。彼らは西洋社会の罪悪感につけこんで、『あんたたちが我々を見捨てたから虐殺された。だから金を出せ』と脅す。生き延びたツチ族にも『俺たちがいなければ、お前たちは皆殺しにされていた』と脅して言いなりにさせる。彼らはジェノサイドそのものを武器として利用しているのだ」


 映画が始まって間もなく、ホテルの客である西洋人ジャーナリストが地元の記者にフツ族とツチ族の見分け方を教わるが「区別がつかない」と困惑する場面がある。見た目も同じなら言葉も宗教も同じ、居住区域も分かれてはいない。フツとツチの違いは、ルワンダ人自身にも見ただけでは判別できないものとして描かれている。彼らが常に携帯を義務づけられているらしい顔写真入りのIDカードにフツかツチのスタンプが捺されていて、それを見なければわからない。それでも彼らは対立を重ね、歴史上、支配階級と被支配階級の立場をしばしば入れ替えてきた。
 パネリストの松本仁一は、内戦を起こす原動力を「『あいつら』が『われわれ』を脅かす、という考え」と整理していた。見た目が異なり、言葉や行動が理解できない他者を怖れる心理というのは、(良し悪しは別として)まだしも想像がつく。生物学的にも文化的にもほとんど差異のない同士が「われわれ」と「あいつら」に分かれて殺し合ったというところが、ルワンダ虐殺の恐ろしさを際立たせている。

 映画の中で、昨日までの隣人が突然暴徒と化して無辜の人々に襲いかかるという悪夢のような場面を見ながら、私が連想したのは漫画『デビルマン』のラスト近く、市民が暴徒と化して悪魔狩りを繰り広げる場面だった。それほどまでに30年前の永井豪の想像力が人間の暗部に肉薄していたということだろう。
 と同時に、私が知るかぎりの日本の現実の中には、ルワンダの虐殺から連想するに足るものが幸いにして見当たらなかったということでもある。紹介したルセサバギナの最初の言葉に象徴されるように、いわゆる先進国に住む私にとって、アフリカの悲劇は、とりあえずは他人事としてしか認識できない(映画の中で、外国人だけが保護されてホテルから去っていく場面は、同じ「先進国」に属する身として、恥ずかしさにいたたまれなくなる)。

 しかし、考えてみれば、同じ外見をし、同じ日本語を話し、同じ神仏を崇める日本人どうしの間でも、140年ほど前までは、組織的な殺し合いを行っていた。
 明治政府が発足後の叛乱のいくつかを鎮圧して以来、日本で本格的な武装蜂起や内戦は行われていない。だが、徳川幕府と薩長軍との戦争が、江戸という大都市を舞台に一般市民をも巻き込んだ殲滅戦に発展し、長期化していたとしたら。あるいは明治政府が発足した後も、徳川家の家臣だった旗本の精鋭がゲリラ戦を展開し続けたら。
 そうなれば、今も日本人同士がいくつかのグループに分かれて対立し、テロリズムが横行するような社会が続いていた可能性がないとは言えない。

 そんなことを考えるのは、昨年末に半藤一利『それからの海舟』(筑摩書房)を読んだからだ。
 江戸無血開城を実現した後の勝海舟の人生を描いた歴史随筆であるこの本を読むと、徳川幕府が終わり明治政府が樹立された後、海舟は、元幕臣たちが困窮のあまり爆発したりしないよう、彼らの生活の面倒を見ながら、蜂起の芽を摘むべく説得に奔走していたことがわかる(勝の長年の尽力の末、慶喜は明治31年に明治天皇に皇居に招かれ、逆賊の汚名を雪ぐ。勝はこれを見届けた翌年、77歳で世を去る)。
 旧幕臣の中には後に明治政府に登用された者も少なくないのだが、その実現には勝も一役買っていたようだ(勝自身も短期間ではあるが明治政府の一員となったことがある)。

 このように内乱を未然に防いだことは、あまり知られていない勝の歴史への貢献だが、考えてみれば、よく知られている勝の最大の功績も、「首都での戦争を回避したこと」である。歴史上の英雄というのは大抵は戦争に勝ったことで名を残すものだが、勝のように「勝利を捨てて戦争を起こさなかったこと」によって歴史に名を残した人物(侍であり、軍隊の長であったにもかかわらず)というのは、世界中を探しても、そう多くはないと思う。

 薩長が江戸に進軍した時点で、徳川幕府は、まだ相当の戦闘能力を保持していた。勝機があるにもかかわらず、勝が本土決戦ならぬ江戸決戦を挑むことなく江戸城明け渡しに踏み切った理由は、その決戦が国力を著しく疲弊させ、欧州列強からの借金を膨らませて、最終的に日本を欧州列強に奪われてしまうことを怖れたからだ。
 この時点では、薩長を英国が、幕府をフランスが、それぞれ支援していた。その状況で決戦に踏み切れば、どちらが勝っても漁夫の利を得るのは外国だ。ずるずるとどこかの植民地、あるいは数か国に分割されることだってあり得たかも知れない。危ういところだったのだ。勝は政権を滅ぼすことで国益を守った。

 ブラックアフリカのあちこちで泥沼化している内戦も、元をただせば植民地時代の宗主国の統治手法に端を発していることが多い。ルワンダでも、部族間の対立をベルギーが植民地支配に利用したことで、フツ族とツチ族の対立は深刻化した。
 今は植民地支配こそ減ってきたものの、欧米諸国が舞台と手法を変えて同じようなことをやっているのは、昨今の中東情勢に見る通りだ。

 当時の日本に、勝海舟や徳川慶喜(いろいろと小手先の策を弄する人だったようだが、それでも最終的に降伏を決定したのはこの人だ)のように、内戦がどれほど国家と国民にダメージをもたらすかを理解し、これを避けるためならどんな犠牲でも払うという肚の据わった人物がいなかったら…。
 薩長と徳川が総力を挙げてぶつかりあい、敗れて政権を失った側が、その後も武装勢力としてゲリラ戦を繰り広げ、諸外国がそれぞれの思惑を抱いて密かに支援を続けたら…。
 そう考えると、他人事のように見えていた『ホテル・ルワンダ』が描く世界が、にわかに私の中でリアリティをもって立ち上がってくる。

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 かろうじて松がとれる前に第一弾をアップできました。今さら新春のご挨拶というのもお恥ずかしい限りですが、今年もよろしくお願いいたします。

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