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『ようこそ先輩』に見る野球とサッカーの差。

 NHKに『課外授業 ようこそ先輩』という人気番組がある。各界の著名人が、自分が卒業した小学校を訪れ特別授業をする、という企画だ。重松清が小説を書かせたり、山本容子が版画を作らせたり、専門領域を教える中にも、子供たちが自分自身を見つめ直す一工夫がこらされていて面白い。子供たちのヴィヴィッドな反応もまた番組の魅力で、適切な刺激さえ受ければ積極的な反応を見せる子供は、今も大勢いるのだとわかる。

 通常は30分枠のこの番組が、1月4日には新春スペシャルとして45分にわたって放映された。「先輩」は北沢豪。元サッカー日本代表、現在はテレビ解説者であり、指導者を目指して勉強中の身でもある。

 教室を訪れて自己紹介する北沢は、子供たちに、サッカーへの関心について質問する。やったことのある子供はごく少数、Jリーグを見るという子も少ない。自分の現役時代もほとんどの子が知らないという寂しい反応に、北沢は壇上で絶句する。
 しかし、グラウンドに出て、まず自らの技術を披露することで子供たちの興味を惹きつけた北沢は、体育館に入ると子供たちを2組に分けて、X字型に交叉するコースを同時に走らせる。わけがわからないままに走り終えた子供たちに、北沢は説明する。
 普通に走れば相手とぶつかる。それを避けるためには、相手の様子を見て、スタートするタイミングをはかる必要がある。そして、タイミングを自分で判断したら、思い切って走り出す。
 相手を見る、いつスタートすればいいか考える、そして走る。すなわち、「観る」「考える」「動く」という3つの連携がスポーツには大事なのだ、と北沢は説く。

 続いて北沢は、クラスを6つの班に分けて、自身が考案したという「ハンドサッカー」と名付けたゲームをさせる。手で転がすフットサルのようなものだ。何の指示もアドバイスもしないままトーナメント戦を行い、1位から6位まで順位が決まる(この最下位決定戦をする、という部分は、本業の教師による学校現場では、なかなか難しいことなのではないかと思う)。

 すべての試合が終わった後、北沢は子供たちを教室に戻し、それぞれの試合の映像を見せる。そして、翌日も同じトーナメントを実施することを宣言し、班ごとに、自分たちのプレーを分析し、明日の試合に向けた作戦を考えるよう指示する。ここでの話し合いの活発さ、翌日の試合に向けて準備される作戦のユニークさには感嘆する。
 そして迎えた2日目。初戦で作戦が功を奏して勝ったチームもあれば、力及ばず負けたチームもある。北沢は、2日目の第1試合が終わった時点で、初めて子供たちに具体的なアドバイスを送る。主として負けた側に声をかけ、次の試合にどのように臨むべきかを伝え、モチベーションを失わないよう鼓舞する。堂々たる指導者ぶりである。
 班の戦力は見たところ均衡しておらず、スポーツの得意そうな子が揃った班もあれば、女の子が多数の班もある。しかし、それぞれのレベルに応じて、子供たちは知恵を絞り、戦略を立てて試合に臨む。1位の班にも最下位の班にも、それぞれに達成したこと、得たものがあったように見える。

 同じ番組に昨年春、松井秀喜が出演したことがある。今の日本で松井を知らない小学生は少ないだろうし、まして地元の英雄でもある。子供たちの表情はスーパースターに会えた喜びに輝いていた。
 この時、松井がテーマにしたのは「夢」だったが、教えたのはバッティングだ。ひとりひとりに声をかけ、バットがボールに当たらない子にはアドバイスをおくり、最後は自分の夢を書き込んだボールを体育館の端まで思い切り打たせて終わる。
 打てるようになった子供は喜んでいたけれど、野球選手になりたいのでない限り、夢とバッティングとの間に直接の関係はない。たぶん、子供たちの心に残った最大のものは、松井に励まされたという感激ではないかと思う。そのことに意味がないわけではないが、それなら授業の形をとる必然性には乏しい。

 松井はバットでボールを打つという彼の最も得意なことを子供たちに教えた。北沢はサッカーそのものをさせてはいない。結局、ボールを蹴ることは子供たちに一切させないまま授業を終えている。「観る」「考える」「動く」という、広く応用可能なキーワードを子供たちに繰り返し実践させることで刻みつけた北沢の授業は、よく考えられた授業プログラムであったと思う。

 もちろん、現役選手の松井と、コーチ修業中の北沢の力量を比較するのはフェアではない。しかし、それを勘案に入れた上でも、引退からさほど時間の経っていない北沢が、これだけ見事な手腕を発揮しうることに、私は感心した。
 サッカー界のコーチ養成システムは、世界のさまざまな国で、それぞれのノウハウを交換しながら、洗練を重ね、絶えず進歩している。その恩恵を、北沢も享受している。松井と北沢の資質の違いという以上に、それぞれの競技におけるコーチ技術の蓄積の差が、この違いとなって現れていると考えることができる。

 では、現役選手の松井ではなく、野球界の監督やコーチ経験者が『ようこそ先輩』に招かれたら、どんな授業ができるのだろう。
 北沢以上に鮮やかに、子供たちの人生に必要な何かを教えることのできるコーチが、野球界にいないわけではないと思う。ただ、そういうコーチがいたとしても、それはたぶん彼個人の名人芸であり、体系化されて野球界に共有されていくわけではない。
 たとえば門田隆将『甲子園への遺言』(講談社)に描かれている故・高畠導宏は素晴らしい打撃コーチだったのだろうし、彼にはおそらく立派な授業をすることができただろう。だが、彼のコーチング技術が、今のプロ野球界に受け継がれているかといえば、せいぜい彼に教わった選手たちに部分的に記憶されている程度だろう(彼の真骨頂は個々の選手の性格や体力、技量に応じてオーダーメイドの指導法を考案する能力だった、と門田は描く。ならば、個々の選手が経験したのは自分のための指導法にとどまり、高畠の全体像を知ることはない)。

 私の知る限り、日本の野球界にJFAの指導指針に類するものは存在しないし、指導者ライセンス制度もない。日本のプロ野球の監督になるために資格は不要だ。高校野球のレベル低下が問題視されるようになった数年前から、高野連によって、すぐれた実績を持つ監督経験者を弱い地域に派遣して指導者講習を行う試みは行われていると聞くが、指導内容そのものは、おそらく本人任せだろう。
 子供の数が減り、野球人口や野球をする場も減る傾向にある今、限られた人材を無駄にしている余裕は野球界にはないはずだ。コーチ技術の体系化というものが、本気で検討されていいように思う。

 『課外授業 ようこそ先輩』番組公式サイトを見ると、野球界からは昨年1月に星野仙一が出演している。テーマは「悔しさを見つめる」。
「今回星野さんが子供たちに授業で教えるのは『負けることを悔しがる』『負けた後、次の機会に勝つために何をすればいいかを考え、練習する』ということ。悔しさをその場の感情だけですませるのではなく、悔しさを見つめることが、その後の人生を切り開く原動力になることを伝える。」(番組サイトより)

 北沢は「悔しさを見つめる」こと自体をテーマにしたわけではないが、自分の授業の中で、1位から6位まで容赦なく順位を決め、負けた子供たちにアドバイスし、分析と対策を行わせ、次の試合で表現するというサイクルを通して、『負けることを悔しがる』『負けた後、次の機会に勝つために何をすればいいかを考え、練習する』ことを子供たちに教えていた。精神論として言葉で伝えることよりも、実際に体を動かしゲームをすることを通じて伝えるのがスポーツのなすべき役割であることは言うまでもない。
 星野は、どのような具体的な作業によって「悔しさを見つめる」ことを子供たちに教えたのだろう。残念ながら私は番組を見ていない。

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コメント

いつも感心して読むのですが、「感心しました」とだけ書くのも間抜けなので
結局黙って読むだけになりがちで、すみません。
今回の記事は鉄さん以外にも、小学生にも北沢にもサッカー界にもNHKにも感心しました。

投稿: nobio | 2006/01/09 19:49

>nobioさん

そうですか、ありがとうございます。ときどき一言残していただけると嬉しいです。

公式サイトを眺め直したら、番組には村田兆治さんも出演して、キャッチボールを教えたようです。彼の場合は教える技術がどうとかいうより、50歳過ぎて140キロの剛速球を投げる背中を見せれば、それで充分という気もしますが。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/09 23:29

「ようこそ先輩」で印象的だった野球選手と言えば、やっぱり古田敦也です。で、彼もあまり野球そのものは教えてなかったような気が。二日目の朝、「さて、僕は昨日どんな服装してた?」と子どもたちに聞いて「記憶のあやふやさ」を教えていたのがすごーく印象に残っています。「古田ってのは、すげぇクレバーな人だなぁ」と思った覚えがあります。(彼の授業は「ようこそ先輩」の中でも名授業の一つだと確信するのですが)
でも、確かにあれは古田の「個人芸」でしょうね。野球における「コーチ技術の体系化」というのは、おそらく野球というスポーツの現代化のために、いや生き残りのためにぜひ必要なことだろうと思います。

投稿: 馬場伸一 | 2006/01/10 18:16

>馬場伸一さん
おお、それは面白そうですね(というか、この番組を、ふだん私があまり見ていないのがバレバレですね。お恥ずかしい(笑))。
NHKのアーカイブに行けば見られるのだろうか。
この番組は、本になって出版されているものも結構多いようですが、amazonの検索で見る限り、野球選手の授業が単独で本になったものはないようです(3人分を一冊にまとめた形式のものでは、中畑清のがありますが)。

(コメントが重複していたので一方を削除しておきました)

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/10 22:13

こんにちは
確か星野さんは、クラスを何チームかに分けてそれぞれにティーバッティングで飛距離を競わせていましたね。1度やった後に、間をあけて練習期間を設けて、数日後に本番をやるといった流れでした。確かチームワークとか一度きりの真剣勝負とか、練習したり創意工夫したりということがテーマでした。

投稿: スポーツ侍 | 2006/01/10 22:18

>スポーツ侍さん

ありがとうございます。なるほど、さすがに指導者らしいことをやっていますね。班単位で行動させるところでポイントを作るのは、やはり団体競技の指導者という感じがします。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/11 11:10

全部は見られなかったので、このコラムで助かりました。北澤は現役時代からオフにカンボジアにサッカーを教えに行ったりしていますし、彼の人としての良さも現れていました。

指導の体系化に関しては、私もまさに同感です。そもそも競技のプロと指導のプロとは全く異なるものですし(競技のプロであれば選手の気持ちがわかるなど有利なのは確かですけど)、そこを全く考えてこなかったのが野球界の大きなミスです。

松井の話で思い出しましたが、ジャイアンツの応援番組などでも、選手と子供との交流は基本的に野球指導だけでした。まぁこれは選手と交流できることに意味があるのでしょうけど。

投稿: アルヴァロ | 2006/01/12 01:13

番組を観てはいないのですが、エントリーから北澤氏の指導ぶりがよく伝わってきて、大変勉強になりました。
指導者の立場になるとまず難しいのは「待つ」ということ。ついつい、じれったくなって先に教えてしまいがちなものですが、問題というものは自ら感じとったことを自分で解決していかなければ、結局のところなんら解決していかないものだと思います。エントリーで紹介された北澤氏の授業風景から、そのような指導者としての基本姿勢を終始感じました。
野球界も、このような、どういった分野にも応用の利くノウハウを身につけた指導者を今後育成していくシステムを持つことは急務でしょう。
ただ野球の場合、サッカー以上に個人技の占める割合が高いので、一子相伝的なマンツーマンの指導ということには慣れていても、このような集団を相手とした授業を行うという点では不利でしょうね。
それとクラブスポーツとしてやる以上、少年サッカーや少年野球の指導者にこそ、指導者としての教育を受けたプロのコーチが欲しいものです。

投稿: 考える木 | 2006/01/12 08:01

>アルヴァロさん
>指導の体系化に関しては、私もまさに同感です。そもそも競技のプロと指導のプロとは全く異なるものですし(競技のプロであれば選手の気持ちがわかるなど有利なのは確かですけど)、そこを全く考えてこなかったのが野球界の大きなミスです。

プロ野球選手が高校生にアドバイスをする選手会主催のイベントがスカイAで放映されているのをちょっと見ましたが、出席者には若手や控え選手もいて、アドバイス内容はともかく、伝え方が巧いとは言えませんでした。企画の志は大いに評価しますが、やり方については大いに改善の余地ありと思います。

>考える木さん
>指導者の立場になるとまず難しいのは「待つ」ということ。

1日目の試合中、言いたくて仕方がない、黙ってみているのが大変だ、という北沢のコメントがありました。

>ただ野球の場合、サッカー以上に個人技の占める割合が高いので、一子相伝的なマンツーマンの指導ということには慣れていても、このような集団を相手とした授業を行うという点では不利でしょうね。

投げる、打つという基本技術が難しいので、指導技術もそれらを習得させることが中心になってしまうのでしょうね。例えばサッカーで「キック専門のコーチ」というのは、まず考えられない。その点では、野球界の人がこういう番組に出るのは難しいとは思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/12 09:06

野球とサッカーの「指導」システムの違いについて、大事なポイントと思われることを思い出しましたので追加しておきます。
Jリーグが地域主義に立ち、アマからプロまでの一貫したシステムを構築しているのに対し、野球の「プロ-アマ」関係は非常に不幸な歴史を背負っていると言えます。若干緩和されつつあるとはいえ、プロがアマを指導することが基本的に禁じられているという、「スポーツとしての発展」ということを考えると「なんじゃそりゃ?!」みたいな制度がまかり通っている。
そういう歴史を背負った日本のプロ野球が「アマチュアを教える」技術を発達させなかったのは、ある意味当然ではあるのですが、すごく不幸なことですよねー。

投稿: 馬場伸一 | 2006/01/12 15:01

>馬場伸一さん

ジャイアンツが今年から小学生を対象とした野球アカデミーを発足させるそうですね。1日だけの野球教室は以前からやっているし、球団で技術書を出したりもしてはいますが、たとえば1年という中長期にわたって特定少数の少年を指導するとなると、技術だけではすまない面も出てくるでしょうし、それだけのノウハウがあるのかどうか。
指導スタッフがどういう構成になるか、アマチュア球界から加わる人がいるのか、気になっています。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/12 23:46

プロアマの壁が撤廃されれば、野球も今以上にグローバルな環境、プロの指導体制、アマのレベルアップが実現すると思います。但し、それを現役・OB世代がどこまで受け入れるかにもよると思いますが。

サッカーでは、監督や指導者を「資格認定」するシステムがありますが、野球にはありません。
野球の場合、現役で活躍したプロ選手なら「自分の経験で指導できる」という認識があるのかもしれません。

思えば一般企業においても、「開発実績」だけで選ばれた指導者が、実績はあるけど指導はさっぱり・・・というケースがあり、知識・技術は指導の土台にはなれど「展開方法」は本人の資質による部分が大きいのではないかと思います。

投稿: はたやん | 2006/01/13 19:45

>はたやんさん
>思えば一般企業においても、「開発実績」だけで選ばれた指導者が、実績はあるけど指導はさっぱり・・・というケースがあり、知識・技術は指導の土台にはなれど「展開方法」は本人の資質による部分が大きいのではないかと思います。

プロ野球のやり方は、これに近いのだと思います。一方、サッカーでは業界全体で指導法を体系化して共有している、と。ただ、ここではたまたま野球とサッカーだけを対比していますが、そういうものが組織的に共有化されている競技の方が少数派かも知れません。
プレーヤー、コーチ、マネージャー(監督)、それぞれ異なる資質が求められるのはスポーツでも一般企業でも同様で、その間の見境がないと、不具合が生ずることになります。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/14 10:11

今日出張のついでに羽田で「古田式」(大田出版)を見つけて買いました。周防正行(映画)監督のファンぶりが嬉しい好著ですが、その中で「課外授業」の話が出ていて思い出しました。
古田センパイも、野球のテクニックは教えてなかったですね。じゃなくて、クラス全員と繰り返しジャンケンをして「どうやったら勝てるか」を考えさせるということをやってました。
実は、古田は一定の法則に従ってジャンケンをしていて、記録をしていればそれに気づくことができる。それは「人間の記憶の曖昧さ」を理解してもらうためだ、ということでした。
その中で3時間目に「1時間目にはどんな服着てた?」と尋ねる。一人の子が「赤だった!」と言うとみんな引きずられて「そうだそうだ」と言うんですが、実際にビデオを見せるとグレーのセーター着ている。野球でも打たれたときの印象ばかりんが残りがちけど記録をとっておけば打ち取っていることの方が多いことに気づく。だから、「書き留める」ことが大事なんですよ、ということを教えていました。
いやぁ、ほんとに戦略的な思考のできる人なんですね、古田は。だから、今年の彼のプレーイングマネージャー就任、非常に心配ではあるけど、古田ならやれるんじゃないかと思う所以であります。

投稿: 馬場伸一 | 2006/01/16 23:04

はじめまして。

「サッカー界のコーチ養成システムは~」のくだりには共感しました。野球とサッカー(だけではないでしょうが)がこれからどう変わっていくか楽しみですね。

余談ですが「ようこそ~」
マギー司郎さんの回が印象に残ってます。

自分の弱いところ、ダメなところを手品のトークに織り交ぜるというものでしたが、子供達が教室でポジティブにダメを認める(笑)シーンが良かったですねえ。

投稿: 岸利透 | 2006/01/16 23:49

>馬場伸一さん
>今日出張のついでに羽田で「古田式」(大田出版)を見つけて買いました。

私も飛行機で出張でした。羽田ですれ違ったかも知れませんね(笑)。
「古田式」は読んだはずなんですが、「ようこそ先輩」のくだりは記憶にないんです。古田とほぼ同年代なのに記憶力が…。
ただ、この前の書き込みをいただいてから古田の授業が気になって調べまして、番組プロデューサーの坂上達夫氏が書いた『学校が元気になる』(草土文化)という本を入手しました。番組の中から15人の授業について紹介した本で、古田の回も記されています。
内容はご紹介の通りですが、やはり野球そのものは教えていない。彼は自分の仕事から普遍性を持ちうる部分を抽象化し、モデル化して子供たちに伝えることを独力でやっているわけですね。自分の仕事について常に考えていないと、こういうことはなかなかできないと思います。

>岸利透さん
こんにちは。書き込みありがとうございます。

>自分の弱いところ、ダメなところを手品のトークに織り交ぜるというものでしたが、子供達が教室でポジティブにダメを認める(笑)シーンが良かったですねえ。

ダメな人の効用って、ありますよね。マギー司郎さんが本当にダメなわけではないと思うけど(笑)、そういう人を媒介にして、自分のダメなところを(自己嫌悪するのでなく)率直に認めることができると、人生かなり楽になれるという気がします。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/17 08:27

はじめまして。野球の指導者資格の情報を検索していてこのサイトに辿り着きました。私も野球における指導者資格には賛成で早く導入すべきだと思います。少年野球の監督はただ怒鳴るだけで技術的な教えはほとんどせず、というよりそれが正しいかも不明です。軟式野球には一応、形だけではありますが資格というより講習制度が出来ましたが、硬式も含めてなかなか進まない背景にはプロアマ団体の組織体系の問題もありますが野球という競技の特性上、多岐にわたる動作故、それをどう理論上まとめるかがかなり困難と思われます。
一方、サッカーですが、小学生クラスの講習会を見る機会があり見学したところ、ただボールを蹴って終わりでした。小学生クラスということもあり入門編なのでこれはこれで良いのかもしれませんが指導者資格の保有者の教えは悲しいものがありました。

前にテレビのスポーツニュース番組にて、元日本代表の武田修宏氏のS級コーチ資格取得の模様が放送されてました。サッカーは指導者資格等をはじめ物事を何事も論理的に進めている印象を受けました。講師を務めるサッカー協会の技術委員の人も「サッカーの指導者になる人には”経験論”ではなく確固たる”技術論”を実に付けてほしい」等の趣旨の発言もありました。でも番組をみていて違和感も覚えました。コーチ経験のない武田氏はいろんな所で戸惑いを見せます。笛の吹き方などでも技術委員から「素人だ」と指摘されます。それは技術委員曰く「意味のない所での笛を吹くのが多い」という指摘でした。たしかに見ていてそういう感じも受けました。しかし、その技術委員の人は笛を吹くのが多く感じたかもしれませんが、他の人は違った見方をするかもしれません。つまり「笛の吹くのが多かった」と観るのはこの技術委員の経験論からの判断だったかもしれないのです。こういうケースは数学みたいに答えが明確に判る物でないだけに判断が難しいです。しかしあえてこういう判断のつけ難いケースに対して論理的な回答をするのが本来サッカー協会が理想として求めているものだと思います。つまり非科学的な経験論を多様する野球界を反面教師とし、プロスポーツとして後発のJリーグはそういうあいまいな所は見習わない姿勢を示したいはずです。
全般的にはサッカーの指導者資格制度は大変いい事だと思います。ただ経験論もあながち捨てがたい物である事もまた事実だと思います。今のサッカー指導者資格制度を見ていると、指導者資格制度のない野球界をはじめ他の競技に対し、「自分の所はこんなにすばらしい制度があるんだと自慢している」ような印象を受けます。理論武装だけでは、いわゆる「頭でっかち」に陥りやすいです。サッカー界も、早くいい意味での経験論を受け入れて(認めて)その両方を生かした教え方をする事が大切なような気がします。

投稿: 草野球愛好者 | 2009/07/01 01:28

>草野球愛好者さん

こんにちは。
サッカーで指導者の資格制度が設けられているのは、日本独自のことではなく、欧州に倣ったものです。野球においては、MLBでも指導者の資格制度というのはないと思います(MLB監督になるにはマイナーリーグでの経験や実績が問われるという面はありますが)。

欧州の社会では、ドイツなどで職能集団ごとに資格制度や組合を設けてきた歴史がありますね。「サッカー指導者」という職能についても、そのような社会背景が影響しているのかも知れません(実際、各国に監督組合もありますし)。

>少年野球の監督はただ怒鳴るだけで技術的な教えはほとんどせず、というよりそれが正しいかも不明です。

私は現場の実体をほとんど知りませんが、監督が子供を怒鳴る背景には、本人のキャラクターだけでなく、親たちから寄せられる勝利へのプレッシャーも影響しているのかなと想像します。少年サッカーチームの現場にも、おそらくそういう面はあるのでしょうね。


>小学生クラスということもあり入門編なのでこれはこれで良いのかもしれませんが指導者資格の保有者の教えは悲しいものがありました。

この年代の指導者資格は、1,2日間の講習を受講するだけで取得できるので、必ずしも個々の指導者の能力を保証するものではなさそうですね。

それでも競技団体が草の根レベルの指導者を対象とした資格を設け、講習会を実施する目的は、その年代の指導に必要な知識やノウハウの普及という意味合いが強いのでしょう。

野球界も、そのへんから始めてみるとよいんじゃないかと思います。プロ関係者が少年野球の指導者を指導することには何の制限もありませんし。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/07/01 17:32

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