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『ホテル・ルワンダ』を観て、勝海舟を思う。

 『ホテル・ルワンダ』を観てきた。
 ピースビルダーズ・カンパニーというNPO法人が主催したイベントで、映画の試写の後に、主人公のモデルになったポール・ルセサバギナの講演、さらに彼と松本仁一(朝日新聞編集委員で『カラシニコフ』の著者)、武内進一(アジア経済研究所アフリカ研究グループ長)、篠田英朗(主催団体の代表で、広島大平和科学研究センター助教授)によるシンポジウムがセットになって計6時間という長丁場。ずっとメモを取っていたら最後は目が霞んできた。

 『ホテル・ルワンダ』はまもなく公開される映画で、94年にルワンダで起こった虐殺事件を背景にした実話をもとにしている。多数派で政権を握るフツ族、少数派のツチ族という2つの部族の間で内戦が続く中、大統領の死をきっかけに、突如としてフツ族の民兵がツチ族住民を殺しはじめる。女子供老人すべてかまわず手当たり次第、最終的には100万人が殺されたと言われる。人類史上でも最悪の大量虐殺のひとつだろう。

 主人公ポールは欧州資本の高級ホテルの支配人で、自身はフツ族だが妻はツチ族。自宅周辺を民兵に襲われ、家族を連れてホテルに逃げ込んだことから、続々とホテルに逃げてくるツチ族住民を匿うことになる。頼みにしていた欧米諸国からも見放された孤立無援の中で、ポールは彼らとともに生き延びるために苦闘を重ねていく……。
 主人公を演じたドン・チードルは、2004年のアカデミー主演男優賞にノミネートされた(助演女優賞、脚本賞も)。

 映画そのものは、前評判通りの出来栄え。日本公開を求めた人々は約5000通の署名を集めたそうだが、それだけのことはある。ルワンダの状況のあまりの厳しさ、先進国の無関心がもたらす絶望が観る者を打ちのめす反面、窮地に追い込まれた主人公が示す弱者なりの覚悟が胸を打つ。観る前には、虐殺の場面がグロいと辛いなと思っていたが、実際には描写は慎重に抑制されている。
 実話であることを棚上げして欲を言えば、主人公ポールがもっと小狡い人物であった方が、映画として厚みが出るような気はする(設定の似た『シンドラーのリスト』にも感じたことだが)。ドン・チードルの演技は常に清潔感を漂わせ、ポールが信頼に足る人物であることを微塵も疑わせない。もっとも、だからこそ観客が彼に感情移入できる、とも言えるのだが。


 上映の後に行われたポール・ルセサバギナの講演から、印象に残る言葉をいくつか記しておく(英語で話された内容を通訳が日本語に訳したものを、さらにメモをもとに要約した)。

「昨年、虐殺が行われているダルフール(スーダン)を訪れて、何が起こっているのか自分の目で見てきた。かつてルワンダで見たのと同じものだった。チャドとスーダンの国境の村には、かつて28000人住んでいたが、私が行った時には200人しかいなかった。
 しかし、私が本当に辛かったのは、ダルフールからの帰りの飛行機の中だ。機内で見たテレビのニュースでは、ホロコースト60周年の記念式典で大国の首脳がアウシュビッツに集まったと報じていた。彼らの演説の中で、もっとも多く使われた言葉はnever againの2語だ。彼らは『ジェノサイドを二度と繰り返さない』と言っているのに、私はそのジェノサイドの現場を見たばかりだったのだ」

「ツチ族とフツ族の全員が憎しみ合っているわけではない。支配者の分割統治という政策によって、そのように仕向けられたのだ。明日は土曜日だが、ルワンダでは多くのツチ族とフツ族の男女が結婚し、祝宴が開かれるだろう。
 今日の状態は、内戦当時と何も変わってはいない。プレーヤーが入れ替わっただけだ」

「(虐殺が続いた時期、ホテルの中では)私だけが民兵とも反政府軍とも交渉ができる人間だった。殺さないようにと説得できるのも私だけだ。私が逃げ出したら、彼らは殺される。そうなれば私自身も自由ではいられない。私は自分の良心の捕囚になったということだ」

「現在は、当時の反政府軍だったツチ族が政権を握っている。彼らはフツ族を『お前たちが虐殺したのだ』と責める。虐殺に荷担したのはフツ族のごく一部だが、そのように反論すると『ジェノサイドのイデオロギーを持つ者』とレッテルを貼られる。彼らは西洋社会の罪悪感につけこんで、『あんたたちが我々を見捨てたから虐殺された。だから金を出せ』と脅す。生き延びたツチ族にも『俺たちがいなければ、お前たちは皆殺しにされていた』と脅して言いなりにさせる。彼らはジェノサイドそのものを武器として利用しているのだ」


 映画が始まって間もなく、ホテルの客である西洋人ジャーナリストが地元の記者にフツ族とツチ族の見分け方を教わるが「区別がつかない」と困惑する場面がある。見た目も同じなら言葉も宗教も同じ、居住区域も分かれてはいない。フツとツチの違いは、ルワンダ人自身にも見ただけでは判別できないものとして描かれている。彼らが常に携帯を義務づけられているらしい顔写真入りのIDカードにフツかツチのスタンプが捺されていて、それを見なければわからない。それでも彼らは対立を重ね、歴史上、支配階級と被支配階級の立場をしばしば入れ替えてきた。
 パネリストの松本仁一は、内戦を起こす原動力を「『あいつら』が『われわれ』を脅かす、という考え」と整理していた。見た目が異なり、言葉や行動が理解できない他者を怖れる心理というのは、(良し悪しは別として)まだしも想像がつく。生物学的にも文化的にもほとんど差異のない同士が「われわれ」と「あいつら」に分かれて殺し合ったというところが、ルワンダ虐殺の恐ろしさを際立たせている。

 映画の中で、昨日までの隣人が突然暴徒と化して無辜の人々に襲いかかるという悪夢のような場面を見ながら、私が連想したのは漫画『デビルマン』のラスト近く、市民が暴徒と化して悪魔狩りを繰り広げる場面だった。それほどまでに30年前の永井豪の想像力が人間の暗部に肉薄していたということだろう。
 と同時に、私が知るかぎりの日本の現実の中には、ルワンダの虐殺から連想するに足るものが幸いにして見当たらなかったということでもある。紹介したルセサバギナの最初の言葉に象徴されるように、いわゆる先進国に住む私にとって、アフリカの悲劇は、とりあえずは他人事としてしか認識できない(映画の中で、外国人だけが保護されてホテルから去っていく場面は、同じ「先進国」に属する身として、恥ずかしさにいたたまれなくなる)。

 しかし、考えてみれば、同じ外見をし、同じ日本語を話し、同じ神仏を崇める日本人どうしの間でも、140年ほど前までは、組織的な殺し合いを行っていた。
 明治政府が発足後の叛乱のいくつかを鎮圧して以来、日本で本格的な武装蜂起や内戦は行われていない。だが、徳川幕府と薩長軍との戦争が、江戸という大都市を舞台に一般市民をも巻き込んだ殲滅戦に発展し、長期化していたとしたら。あるいは明治政府が発足した後も、徳川家の家臣だった旗本の精鋭がゲリラ戦を展開し続けたら。
 そうなれば、今も日本人同士がいくつかのグループに分かれて対立し、テロリズムが横行するような社会が続いていた可能性がないとは言えない。

 そんなことを考えるのは、昨年末に半藤一利『それからの海舟』(筑摩書房)を読んだからだ。
 江戸無血開城を実現した後の勝海舟の人生を描いた歴史随筆であるこの本を読むと、徳川幕府が終わり明治政府が樹立された後、海舟は、元幕臣たちが困窮のあまり爆発したりしないよう、彼らの生活の面倒を見ながら、蜂起の芽を摘むべく説得に奔走していたことがわかる(勝の長年の尽力の末、慶喜は明治31年に明治天皇に皇居に招かれ、逆賊の汚名を雪ぐ。勝はこれを見届けた翌年、77歳で世を去る)。
 旧幕臣の中には後に明治政府に登用された者も少なくないのだが、その実現には勝も一役買っていたようだ(勝自身も短期間ではあるが明治政府の一員となったことがある)。

 このように内乱を未然に防いだことは、あまり知られていない勝の歴史への貢献だが、考えてみれば、よく知られている勝の最大の功績も、「首都での戦争を回避したこと」である。歴史上の英雄というのは大抵は戦争に勝ったことで名を残すものだが、勝のように「勝利を捨てて戦争を起こさなかったこと」によって歴史に名を残した人物(侍であり、軍隊の長であったにもかかわらず)というのは、世界中を探しても、そう多くはないと思う。

 薩長が江戸に進軍した時点で、徳川幕府は、まだ相当の戦闘能力を保持していた。勝機があるにもかかわらず、勝が本土決戦ならぬ江戸決戦を挑むことなく江戸城明け渡しに踏み切った理由は、その決戦が国力を著しく疲弊させ、欧州列強からの借金を膨らませて、最終的に日本を欧州列強に奪われてしまうことを怖れたからだ。
 この時点では、薩長を英国が、幕府をフランスが、それぞれ支援していた。その状況で決戦に踏み切れば、どちらが勝っても漁夫の利を得るのは外国だ。ずるずるとどこかの植民地、あるいは数か国に分割されることだってあり得たかも知れない。危ういところだったのだ。勝は政権を滅ぼすことで国益を守った。

 ブラックアフリカのあちこちで泥沼化している内戦も、元をただせば植民地時代の宗主国の統治手法に端を発していることが多い。ルワンダでも、部族間の対立をベルギーが植民地支配に利用したことで、フツ族とツチ族の対立は深刻化した。
 今は植民地支配こそ減ってきたものの、欧米諸国が舞台と手法を変えて同じようなことをやっているのは、昨今の中東情勢に見る通りだ。

 当時の日本に、勝海舟や徳川慶喜(いろいろと小手先の策を弄する人だったようだが、それでも最終的に降伏を決定したのはこの人だ)のように、内戦がどれほど国家と国民にダメージをもたらすかを理解し、これを避けるためならどんな犠牲でも払うという肚の据わった人物がいなかったら…。
 薩長と徳川が総力を挙げてぶつかりあい、敗れて政権を失った側が、その後も武装勢力としてゲリラ戦を繰り広げ、諸外国がそれぞれの思惑を抱いて密かに支援を続けたら…。
 そう考えると、他人事のように見えていた『ホテル・ルワンダ』が描く世界が、にわかに私の中でリアリティをもって立ち上がってくる。

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 かろうじて松がとれる前に第一弾をアップできました。今さら新春のご挨拶というのもお恥ずかしい限りですが、今年もよろしくお願いいたします。

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コメント

あけましておめでとうございます。

今年はますます国家について多くが語られる年になるでしょう。しかしメディアで流される言説のほとんどは、鉄さんのエントリのような長い射程を持たない、浅薄なものでしょう。

生活者としての私は世間との最小限の関わりしか望まない人間ですが、思索者としては軽薄な世に流されない根を持ちたいと思う気持ちが回復しつつあるような気がします。

今年も、記事、楽しみにさせていただきます。よろしくお願い致します。

投稿: にゃん | 2006/01/07 23:51

>にゃんさん

今年もよろしくお願いいたします。
過分のお言葉を恐縮です。拙文はともかく、メディアの中にも射程の長い言説が増えてくれるとよいのですが。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/08 01:28

 詳しいことは分かりませんが、とにかく幕末・明治期のような「大局を見据えた人物」「器の大きい人物」が、最近ではめっきり見かけなくなったと感じます。

 しかも、国の命運をかけて生き抜いた面々の中には30代も多いです。坂本竜馬、土方歳三、近藤勇、さらに遡って北条時宗。
 自分と照らし合わせると、既に彼らが鬼籍に入っている年齢である私の、なんとちっぽけなことか・・・(汗)

 あらゆる出来事が「劇場型」と化し、そして「対岸の火事」のようにしか見ることができない。メディアの浅はかな報道と、それにまんまと乗せられている国民。
 せめて平和ボケにならず、世界の動きにも真剣に向き合いたいものです。

投稿: はたやん | 2006/01/08 01:55

こういう民族紛争の問題も昔の日本にはあったことは私を含めほとんどの方が忘れ去っていますね。もちろん日常生活にはその認識の有無がほとんど関係ないからですが、歴史を学ぶということは、そういう過去の出来事の経緯を理解することにより、今後の行動の参考にしていくということなのだと思います。単純に過去の上積みの上に現代の生活があるということでもあり、現代もいずれは過去になるという当たり前の立ち位置が自分が歳を重ねた分なんとなくわかるようになって来ました(自分の過去の部分が増えてきたという証明です)。

はたやんさんが指摘されている「大局を見据えた人物」は大抵が歴史上の人物であり、現代でそういった人物にあたるのは奇跡的なことだと私は考えています。「大局を見据えた人物」と評価されるのはほとんどの場合後世になってからで、小泉首相が「構造改革を推し進めて政府の構造的赤字からの脱却への流れを作った」として、または「強引な政治手法で独裁者として6年近く政権の座に居座った」として評価が定まるのは、どんなに早くとも10年は掛かると見ています。

ルワンダのような文化的、生物学的に同一性の高い民族間での紛争はその背景にある対立の図式は簡単に論じることはできないとは思いますが、あえて論じると「あいつ」「おまえ」の単純なものにするしかないのだと感じました。そういう事実があることを映画等で間接的に知ることができても、第3者がこういう問題にどこまで介入すべきかというのは、対立図式がはっきりしているパレスチナ問題なども含めて非常に難しいところです。
(もっともパレスチナ問題はアラブ、パレスチナ、イスラエルに加えて第2次大戦当事の欧米列強も絡んでいるため、国連がこの問題を簡単に進められないという背景がありますが)

挨拶が遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

投稿: エムナカ | 2006/01/08 07:44

>はたやんさん

> 詳しいことは分かりませんが、とにかく幕末・明治期のような「大局を見据えた人物」「器の大きい人物」が、最近ではめっきり見かけなくなったと感じます。

ただ、「大局を見据えた人物」というのは、同時代にはなかなか理解されにくいのも事実で、そこが難しいところです。彼らは他人に見えない展望によって判断しているわけですから、凡人には判断の筋道が見えない。勝海舟も、江戸城明け渡しの前後には、官軍ばかりか徹底抗戦を主張する幕臣からもずいぶん殺されそうになりましたし、明治になってからも、明治政府に参画したことを福沢諭吉から批判されています。
だから我が首相が「大局を見据えた人物」だ、と主張するわけではありませんが(笑)、外形的には区別しづらいものがある。個人的な好みとしては、「命を取られても」などと演説で口走る人物はあまり信用する気になれませんが。

>あらゆる出来事が「劇場型」と化し、そして「対岸の火事」のようにしか見ることができない。

対岸の火事の熱さを、いかにして自分自身に引きつけて把握することができるかが大事なのでしょうね。このエントリも、勝海舟という補助線を引くことによってルワンダ問題を実感をもって捉えようという試みのつもりです。


>エムナカさん
今年もよろしくお願いします。

>歴史を学ぶということは、そういう過去の出来事の経緯を理解することにより、今後の行動の参考にしていくということなのだと思います。

今の世の中を構成しているどの部分が、いつどのようにして何を目的に出来上がったのかということは、私自身もきちんと把握していないことが多いのですが、自覚している以上に、我々は歴史に規定された枠組みの中で暮らしているのだろうと思います。
さらにいえば、特定の状況下におかれた人間の振る舞い方というものは、どんな時代でもそう変わるものではないようですね。

>どんなに早くとも10年は掛かると見ています。

これを読んで思ったことは、では10年前の首相について、たとえば細川政権について我々はどのような歴史的評価を下しているのか。近過去をきちんと検証していくという姿勢が、世の中全体にもっとあってもいいかな、と思います。
いろんな媒体(ネットも含めて)が「株は儲かるぞ」と煽り立てるこのごろの空気は、80年代後半と似てきましたね。それは、「失われた10年」とやらをきちんと総括し克服した上でのことなのかどうか。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/08 09:24

>いろんな媒体(ネットも含めて)が「株は儲かるぞ」と煽り立てるこのごろの空気は、80年代後半と似てきましたね。

今からTOPIXや日経平均連動型のETF(上場投信)などを買っても年内に儲かるのは良くて2割程度でしょうね。今から株に手を染めようとする人で健全な判断力が働く人(借金で買ったりしない人)が株に入れられるのは、心理的に手持ち資金の2割程度でしょう。それでは2割の2割ですから、総金融資産は4%アップに過ぎません。大して儲かりません。
個別銘柄については、雑誌の財テク特集の有望銘柄ランキングなどを鵜呑みにすると、おそらく市場平均にも負けるでしょう。ランキングの基準など、素人の私が見ても妥当性の低い、ひどいもので、既に上がった株を後追いで評価しているに過ぎません。
私は手持ち資金中の株の比率を自分の許容範囲まで上げる作業は昨年秋口までに終わらせました。今年は銘柄の入れ替え(既にパフォーマンスを発揮し終わった株から出遅れ株に乗り換える)しかする気はありません。
マスメディアは責任を取りません。信頼に足る人物の比率も、自分の接した範囲では、他業界に比べても低いと思います。
「マスメディアの言うことだから信頼できる」も「マスメディアの逆を取れ」も同じ判断停止ですが、比較すれば後者の方が多少ヤケドが少ないと思います。

投稿: にゃん | 2006/01/08 10:15

>にゃんさん
>マスメディアは責任を取りません。信頼に足る人物の比率も、自分の接した範囲では、他業界に比べても低いと思います。

話がそういう方向に行くのであれば改めて申し上げておく必要があるかと思いますが、私も紙媒体企業の禄を食む者の一人です(このblogで書いていることの大半は現在の業務と無関係なので「記者ブログ」的な体裁をとってはいませんが、メディア関連のエントリを書く時には立ち位置を表明してきたつもりです)。
せめて自分が関わる範囲については、責任のとれる仕事をしていきたいと思っています。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/08 23:04

私には属性で人を一くくりにする傾向があります。つい、それが出て、失礼しました。

ただ、電波媒体の人などには「取り上げてやっている」という意識が強いのか、一方的に先方の取材意図に沿った場の設定(ほぼ「やらせ」に近い)を要求、当方が準備できる設定を答えた途端に、「取材意図に合わない(演出意図、と呼ぶほうが正しいでしょう)」と取材自体を中止し、しかも関係者のスケジュールを調整して待っていた当方に連絡は無い、など一般企業では考えられない無礼が、少ない関わりの中でも多いのは事実です。

鉄さんがそのような方ではないことはエントリを読んでいれば分かります。
失礼を重ねてお詫び申し上げます。

投稿: にゃん | 2006/01/09 10:55

>にゃんさん

私が自分の仕事について書いたのは、こういう話題になった時に黙っていると居心地が悪いから、というだけの理由です。失礼と思ったわけでもないし、にゃんさんのご意見に異を唱えるつもりもありません。どうかお気になさいませぬよう。

ただ、一般論としていえば、マスメディアと呼ばれるものの中にもテレビ・ラジオ・新聞・雑誌などがあり、それぞれの中に大小や分野の違いがあって、それぞれに応じて特徴的な行動原理や生態があると思います。
もちろんマスメディア全てを一緒くたにして語るのがふさわしい場合もありますが、区別して語った方が有効な事柄も多いように思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/09 16:16

九州人としてひとこと(笑)。
「泥沼の内線を回避した」ということで勝海舟や徳川慶喜を評価されるのであれば、西郷隆盛もぜひお忘れなく。西南戦争において欧米列強からの支援を引き入れていれば、あれほど簡単にあの戦争が片づくことはなかった。(当時事実上の「独立国」と化していた薩摩において、そういうことは十分可能でした。)
海舟も慶喜も隆盛も、薩長も徳川も奥羽列藩同盟も、こと西欧列強に対しては「われわれ」という意識を共有していたことが幕末・明治維新期の日本人の偉さであったと思います。
勝海舟がいかに偉大な人物であったとしても、「江戸城開城」が彼ただ1人の考えであったとしたら、とてもなし得ることではなかった。
幕末において「日本人」としての危機感が広く朝野に共有されていたことが、日本を「ホテル・ルワンダの悲劇」から免れさせたのだと思います。

投稿: 馬場伸一 | 2006/01/11 10:01

>馬場伸一さん

おっしゃることは、ごもっともです。
ただ、彼らはその結果、戦わずして首都を落とし政権を手に入れたわけで、充分に報われているのだから、ことさらに褒めるまでもないじゃないですか、というのが生粋の関東人の感情でもあります(笑)。負けた側は、せめて世話になった後世の者が讃えなければ浮かばれないわけで。
(ただし、明治30年ごろに勝もしきりに揶揄していますが、西郷をはじめ、実際に幕府を倒した時の中心人物たちはまもなく死に絶えて、結局、明治政府でいい思いをしたのはその後輩たち、ということになりました。戦後日本と、ちょっと似ているかも知れません)

>幕末において「日本人」としての危機感が広く朝野に共有されていたことが、日本を「ホテル・ルワンダの悲劇」から免れさせたのだと思います。

この点は本当にそう思いますね。国内の対立を前提とした幕藩体制下で、しかも鎖国によって「外」を意識せずに200年以上を過ごしてきた日本で、これほどの国家意識を共有することができたのは凄いことだと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/11 11:08

過去ログを遡る形で読ませていただいております。いつもながらどれをとっても読み応えのあるエントリーで感服することしきりです。
ルワンダ紛争では、植民地支配の目的で「作られた集団のアイデンティティー」を動機として虐殺が始まるというところに、人間の恐ろしさを感じてしまいます。現在の中国の敵視政策や、中国や韓国からのさまざまな挑発的な言動に対する日本の若者の右傾化したネット上での発言に同様の危惧を感じています。
他人の意見に耳を貸さないという態度は困ったものですが、当たり前のように流れてくる情報に流されない真実を見極める冷静さの必要性を感じるとともに、教育の大切さをひしひしと感じます

投稿: 考える木 | 2006/01/12 08:29

>考える木さん
>ルワンダ紛争では、植民地支配の目的で「作られた集団のアイデンティティー」を動機として虐殺が始まるというところに、人間の恐ろしさを感じてしまいます。

国際紛争を減らすために民間でできる最大の対策は、互いに相手をよく知り、慣れ、親しみを抱くことだと思うのですが、ルワンダや旧ユーゴのように、よく知っているはずの隣人同士が殺し合う状況に対しては、一体何ができるのでしょうね。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/12 09:13

鉄さん
あけましておめでとうございます。
06年も初頭から素晴らしい論考を拝見でき、とってもトクした気分です。もっと世の中の人にこのブログの存在を教えてあげたい気分です

ボクもルワンダ、見てこようと思います。
ツチもフツも見分けがつかない、のくだりで思い出したのは台湾ホウシャオシェン監督の映画「非情城市」です。

終戦直後の台湾。大陸派(国民党系)の急進派が、非常事態宣言をして権力を掌握しようとします。武装兵が、列車を停車させ、乗り込んできて、乗客に不穏分子が紛れていないかどうか、にらみつけます。主人公は唖者。うまくしゃべれないでいると、兵士はたどたどしい日本語で誰何します。「オマエハ、ニポンジンカ」。終戦まで台湾では日本語教育でしたから。
中国人(とくに経済発展著しい沿岸部の皆さん)も日本人も台湾人も、韓国人も、欧米人から見たら、実は見分けがつきませんよねー。(ちなみにボクは、アメリカ人とカナダ人とオーストラリア人とオランダ人の区別はつきません)


あと、幕末日本の状況についてですが、
やっぱり江戸時代が鎖国だったといっても幕末には当時の海外事情はかなり流入してきていたでしょうし、攘夷を叫んだ人々は、アヘン戦争で徹底的に清が痛めつけられたのを見て、日本も鎖国ではダメだ、と目覚めたんではなかったんでしたっけ。

なので、戊辰戦争期という大詰めの時代の志士たちは、基礎的教養として、佐幕か維新派かを問わず、列強による日本植民地化の阻止は、内紛中にもかかわらず、基本的共通認識として、持っていたんではないでしょうか

また(ルワンダなどと違い?)日本には大きな民族が2つあったわけではなかったことも、江戸無血開城の背景にあるのでは?同じ日本人じゃん、というコンセンサスがあったのでは。

また、寺子屋に始まる基礎的教育が行き届いていて、ひいては武士道なる精神が市井に息づいていたことが、グローバルな視点で内紛を見ることができる傑物を産み出した背景にあるのではないでしょうか

仮に近代日本に、弥生族と縄文族が残っていたとしたら、すさまじい闘争を繰り広げていたのかな、、、。

民族がミックスし合うことって、平和でいいですねー!純血主義はきな臭い。


そういえば、私は冬休み、「中村屋のボース」を読みました。
少なくとも戦前までは、日本人は、確固とした主体的なアジア観をもっていたことがわかりました。
少なくともインドのイギリスからの独立を目指す革命家の亡命を受け入れ、共闘しようとする素地があった。日本軍が利用しようとした側面ももちろんありますが。

お題目にすると八紘一宇とか大東亜共栄圏となってしまうのでしょうが、当時のインド側には、かつて列強ロシアに勝ったアジアの国として、欧米列強からのアジア解放の盟主になってほしいとの期待があったのですねー。

結果的にそうした日本への期待も、しょせんは中国や朝鮮半島の植民地化を踏まえて成り立っていたわけで、幻想はしぼんでいきます。結局、日本が仕掛けたか仕掛けさせられたかは置くとして、欧米相手の大戦争で、敗れた。そうして日本は現在のわれわれは、実質的に、不平等条約的な日米同盟に甘んじているわけですねー。
一種の植民地かもしれませんね。経済と技術に特化した国造りというのは。


相当関係ない話になりました、すいません射程が長いどころか、どこに飛んでくかわからん書き込みで。
要は、教育、武士道が現代にも必要だなって思いました。

投稿: penguin | 2006/01/17 05:40

>penguinさん

や、しばらくです。お忙しそうですね。

>なので、戊辰戦争期という大詰めの時代の志士たちは、基礎的教養として、佐幕か維新派かを問わず、列強による日本植民地化の阻止は、内紛中にもかかわらず、基本的共通認識として、持っていたんではないでしょうか

こういう疑問にすぱっと答えられるほどの知識は残念ながら持ちあわせていません。ただ、最終的には幕府VS薩長という図式に集約されるにせよ、そこに至る過程では両者の中でもさまざまな考えの人たちが対立していたわけで、そんなに綺麗に認識を共有していたかというのは疑問です。
マスメディアやインターネットのある時代ではないので、最先端の情報にアクセスして時代認識を共有することは、我々が想像するほど簡単なことではなかったのだろうとも思います(だからこそ坂本龍馬をはじめ、この時代の人たちは、やたらに互いを訪ねて会うことを重視したのでしょう)。

>また(ルワンダなどと違い?)日本には大きな民族が2つあったわけではなかったことも、江戸無血開城の背景にあるのでは?同じ日本人じゃん、というコンセンサスがあったのでは。

それが私にはよくわからないところなんですよ。
例えば薩摩藩は江戸の人々とは言語もかなり違っていたわけで、彼らが互いの同一性と差異性のどちらをより強く認識していたのかは興味があります。「民族」というのは、突き詰めれば、あるグループが「自分たちは他とは違う」と思えば、それで成り立ってしまうようなところがありますから。

>そういえば、私は冬休み、「中村屋のボース」を読みました。
>少なくとも戦前までは、日本人は、確固とした主体的なアジア観をもっていたことがわかりました。

評判いいですよね、この本。中村屋のカウンターに置いてあったので、カレーの本かと誤解して敬遠してました(笑)。読んでみよう。


>要は、教育、武士道が現代にも必要だなって思いました。

武士道というのは明治以降に確立されたフィクションだという説もあります(笑)。伝統というのは、しばしば後世の都合で作り上げられることがあるので、これも取り扱い要注意の概念ですね。
また、江戸時代から存在していたのだとしても、それは支配階級のためのノーブレス・オブリージェなわけですから、今の日本で子供全員に教えるには無理があるんじゃないかなあ。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/17 09:04

>「民族」というのは、突き詰めれば、あるグループが「自分たちは他とは違う」と思えば、それで成り立ってしまうようなところがありますから。

いやまったく。ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」は、そのへんのカラクリを明らかにした名著ですが、「民族」というものが何か確固たる根拠で成り立っているのではなく、根本的には人々のイマジネーション(想像)に依拠するということです。(「物的証拠」というものはいくらでも捏造できますし。)
たぶん、「日本人」意識の共有というのは、聖徳太子が国書を送って隋の煬帝を怒らせたあたりからじわーっと始まるんじゃないでしょうか。たぶん、江戸期に「国学」が盛んになることで、全国的かつ階級を超えて「日本人意識」が普及したのではないかと。
ちなみに福岡市志賀島で金印が出土したのは天明4年(1784)のことですが、「中国に朝貢・服属していた証拠であり、けしからん。鋳つぶしてしまえ」という意見があったそうで、この時点でそうとう国学思想が普及していたようです。

投稿: 馬場伸一 | 2006/01/17 09:51

>馬場伸一さん


学のない人間がこんなエントリを立てて大丈夫かと懸念しつつ書いた文章ですので、こういうふうにフォローしていただけるのはとても助かります。『想像の共同体』、面白そうですね。
日本がいつから日本になったのか、という問いについては、故網野善彦さんがさまざまな機会に論じていますね。最初に確立したのは7世紀後半から8世紀初頭だそうですが、その後もさまざまな揺り戻しがあったのではないかと想像します。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/18 02:56

念仏の鉄さん、はじめまして。私は野球ヘタですが観るほうが好きでして
「おおきく振りかぶって」や「四国アイランドリーグ」のエントリみつけてやってきた者です。

そこでまたすごく興味をひかれて、こちらも読んでしまいました。

後段の話、19世紀当時の国際社会に向けた「日本人」という認識の確立には
素人考えですが、天皇(制度)もいくばくかの影響があったんじゃないかと考えています。

中世の朝廷で大臣やら摂政関白が幅を利かせていたときも「お上」は天皇ですし、
源氏の長者が「征夷大将軍」として統治した間も、その位を授けた名目上の「お上」は天皇です。

そして幸いなことに中世以後、天皇が親政し強権発動する機会が(ほとんど)なかったおかげで
欧州や中国に時折現れた“国内には絶対的な専制君主で、しかも暴君”が天皇家には出現しませんでした。
…織田信長や豊臣秀吉の晩期はちょっとそういう雰囲気を感じますけど
徳川家の江戸幕府にしても後代の将軍は担ぐ神輿で、老中ら重臣たちが実質運営していますよね。
形式上の君主を戴いて、下で重臣たちが合議して国や政府を運営する統治スタイルが続いていたわけです。

結果、対外的に「日本」というひとつの国でまとまろうとする時に、
天皇を戴く統一国家を作ることで合意形成がしやすかったのではないでしょうか?
ただ重臣による統治機構が旧来の朝廷そのままだと欧米列強になめられるので
(お隣の清が不幸な例かと)、新政府の形態は欧米に倣ったものに作り変えたのでは。

やはり当時の将軍・幕閣や維新の元勲たちには、勝ち負けの恩讐はあれど、感謝です。
もし外国の圧力を気にせず300年越しの恨みで内戦に突入していれば、
徳川家に代えて「毛利将軍」や「島津将軍」を立てようとする動きがおきていたら?
その場合は日本全体が欧米列強の植民地になっていたかもしれませんね…

論拠にする資料もないので、一歩間違えば妄想の類ですが;:

投稿: AREA83 | 2006/01/18 19:57

>AREA83さん
いらっしゃい。

>私は野球ヘタですが観るほうが好きでして

私も同類です(笑)。

>後段の話、19世紀当時の国際社会に向けた「日本人」という認識の確立には
>素人考えですが、天皇(制度)もいくばくかの影響があったんじゃないかと考えています。

そうでしょうね。徳川慶喜が戊辰戦争で敵前逃亡したのも、錦の御旗には逆らえない、という判断が働いたのでしょうし。
上のコメントに網野善彦氏のことを書きましたが、例えば『続・日本の歴史をよみなおす』は、七世紀後半から八世紀初めの王朝が、「日本」という国号と「天皇」という称号を使い始めたとしています。「日本」と「天皇」は、かなり早い段階からセットで考えられていたようです。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/01/19 01:03

こんにちは。

ルワンダと勝海舟。論旨の展開を大変興味深く拝見いたしました。勉強になりました。
ボクも今作のレビューを書いておりますので、何卒、トラックバックをさせてくださいませ。よろしくお願い致します

投稿: マーク・レスター | 2008/12/02 00:11

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