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根本陸夫、最後の傑作。

 三谷幸喜は海外の映画祭に招かれて舞台挨拶をする時、いつも現地語でこう挨拶するという。
 「皆さん、僕の○○語がわかりますか?」
 客席からは、Yes!とかoui!とか返事が来る。
 「それはよかった。僕には僕の○○語がわかりません」
 三谷によれば、世界中どこでも受ける必殺のギャグらしい。

 ここまで手の込んだネタではないけれど、城島健司がシアトル・マリナーズの入団会見で、英語によるスピーチの最後に口にしたジョークも、集まった報道陣の笑いを取った。
「Do you have a question ... in Japanese?」

 ジョークの出来はともかく、ニュースで見た会見での城島は、実に堂々としていた。「佐世保から来ました」と言ってしまうのも彼らしい。ああいう態度を貫くことができれば、たぶんアメリカ人には好まれるのではないだろうか。同じ街に長く住むクールで謎めいた先輩に比べると、城島はずっとオープンで明朗で、自己を全面に押し出すキャラクターだ。
 MLB.comが伝える記者会見の記事によれば、城島は昨年引退したマリナーズの捕手ダン・ウィルソンと会って、投手陣についての情報を教わったという。GMのダン・ベバシは、すでに通訳抜きでもかなり話せるようになっている、と言う。

 Call me Joe.などと言いながらファンにサインをする城島の映像を見ていると、アメリカに行ってしまったんだな、と改めて感じる。これで、根本陸夫が築いたチームも実質的に終わった。ホークスは新しい時代に入る。
 そう、城島こそ根本の最後の傑作だった。

 92年秋、西武ライオンズの管理部長だった根本陸夫が福岡ダイエーホークスの監督に招かれたのは、監督としての手腕よりも、西武王国を作り上げた能力を買われてのことだったはずだ。チーム状態を把握するために、まず現場に降りる。当時のダイエーのトップ、中内功からの厚い信頼に支えられた、壮大な計画だった。
 根本はさっそく辣腕をふるう。唯一のスターだった佐々木誠を放出して西武から秋山幸二を取り、さらにFAで工藤公康と石毛宏典を取る。ドラフトでは逆指名制度を活用して小久保裕紀、井口忠仁(後に資仁)、松中信彦らアマ球界のスターを次々と獲得した。自らの後継者には、ジャイアンツの至宝・王貞治という超大物を招く。当時の日本球界にそういう肩書はなかったけれど、根本こそ日本プロ野球史上最高のゼネラルマネジャーだった。

 そんな根本の、最後のサプライズとも言える指名が城島だった。94年秋のドラフトで、高校ナンバーワン捕手と目されていた別府大付属高の城島は、早々に駒大進学を表明していたため、各球団は獲得を断念していた。そんな状況の中で、ダイエーは城島を1位指名。根本がカムフラージュのために大学進学を表明させたのではないかとの声が他球団から上がり、コミッショナー事務局が調査するなど、物議を醸す指名となった。西武時代に熊谷組に内定していた工藤を分捕り、定時制高校4年目の伊東勤を熊本から所沢に転校させ練習生として囲い込むなど、さまざまな手練手管を駆使した根本が、久々に見せた剛腕だった。

 その後、球団内における根本の力は、少しづつ低下していったようだ。浜田昭八・田坂貢二『球界地図を変えた男・根本陸夫』(日経ビジネス人文庫)によれば、王監督就任後も成績が低迷した90年代後半には、オーナー代行を務めていた中内正が、根本を疎んじるようになっていったという。井口を獲得した96年秋のドラフトでは4位に同じ青学の倉野を指名し、同大OBの中内が入団発表で「青学ホークスにするんだ」とご機嫌に軽口を叩いていたから(小久保も青学出身)、この頃にはもう中内正の発言権がかなり強くなっていたのだろう。
 98年オフに起こったサイン盗み疑惑という窮地を乗りきるために、ダイエーは急きょ根本を球団社長に据える。しかし翌年4月末に根本は急逝。遺影を掲げて戦ったペナントレースで、ダイエーは初めての優勝を勝ち取る。城島が正捕手に定着したのも、この年だった。自らの仕事が実を結んだ時、もう根本はいなかった。
 吉井妙子『頭脳のスタジアム』(日本経済新聞社)の中で、城島は話している。
 「入団したばかりの頃、根本(陸夫)さんに言われた言葉が今でも鮮明に残っているし、僕の捕手としての礎にもなっています。
 『なあ、ジョー、忘れるなよ。ピッチャーは一番能力のあるやつがやっているんだぞ。だからこそ、グラウンドで一番高いところに立っているんだ』」
 根本が獲得し、王が手塩にかけて育てたホークスの至宝が、今、アメリカに旅立っていく。

 根本がホークスのドラフトを仕切った92年から98年の間に指名され、現在も主力選手として活躍しているのは、松中と斉藤和巳、柴原洋くらいか。現在のソフトバンクホークスは投手力のチームであり、主力投手の大半は21世紀になってから入団している。次代のチームリーダーとなるであろう川崎宗則は、根本の没後最初のドラフト会議で指名された。
 従って、現在のホークスに根本が残した最大の遺産は、新しい親会社のオーナーから全幅の信頼を受けている王貞治監督兼GMと、いずれその後継者になるであろう秋山幸二・二軍監督ということになる。
 そういえば、根本が西武に入れた伊東勤は、入団から四半世紀後の今、同じ球団で監督をしている。真に優れたゼネラルマネジャーの仕事は、本人がチームを去り、俗界を去った後々までも、チームを支え続けるものらしい。城島もいつか福岡に戻ってくる日が来るだろうか。

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コメント

 こういう組織で育った人は、本当に幸せだと思います。

>だからこそ、グラウンドで一番高いところに立っているんだ

 こういう視点で話が出来る人、今どれくらいいるだろうか。
 

投稿: はたやん | 2006/01/31 23:29

>はたやんさん

根本さん自身も現役時代は捕手でしたから、余計にそう思うのでしょうね。

>こういう組織で育った人は、本当に幸せだと思います。

根本さんの人脈は、選手を獲得する時だけでなく、退団する時のためのものでもありました。野球を続けたい人には別の球団を(時には台湾球界まで)紹介し、野球をやめる人には再就職の世話をしたそうです。だから彼が亡くなった時には、「根本さんを通じてこの世界に入った人は安心していられた」という伊東現西武監督の談話が新聞に載っていました。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/01 01:00

そう言えば、古い話で恐縮なのですが、根本さんは赤ヘル旋風を起こしたルーツ~古場時代のカープの主力、山本浩、衣笠、外木場、水谷などの選手も集めていますよね。
根本さんのGMとしての能力にあらためて驚かされました。
当時の根本さんは、ユニフォームの後姿にとてもこだわるダンディな方で、試合前、いつも大鏡で入念にチェックしていたという話を聞いたことがあります。

投稿: 考える木 | 2006/02/02 02:24

>考える木さん

広島では1968年から72年途中まで監督を務めています。この間に衣笠、三村、水谷、苑田が主力になり、山本浩二、水沼、佐伯、金城を獲得していますから、75年に始まる黄金時代の礎を築いたと言ってよいでしょうね。
西武やダイエーを新球団と考えれば、3チームとも監督を退いた後に初優勝しています。美味しいところを他人に譲るのも一種のダンディズムかも知れません(広島では監督を辞めてチームを離れたので、そんなことを考えてはいなかったでしょうけど(笑))。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/02 08:31

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