41歳の冬だから。
スケルトンの越和宏に対しては思い入れがあった。同じ昭和39年に生まれた選手が、37歳にして初めてオリンピックに出場し、41歳の今、再びスタート地点に立つ。同年の私が己の身体の経年変化(こういう回りくどい表現をするのは「老化」という言葉を使いたくないからなのだが)を思い知らされてばかりいる年齢になって、なお力を伸ばしていくのだから、頭が下がるというほかはない。
ソルトレークで8位、トリノで11位。成績が落ちた、と言えばそれまでだが、実際には五輪と五輪の間の4年の間に、どの競技でも全体の水準が上がり、かつて最先端だった技術はたちまち陳腐化していく。とりわけ、新しく五輪に採用された競技では、そういう傾向が強い(長野五輪のモーグルで盛んに行われたコサックという技は、今はほとんど見ることがない。みな、もっと高度な技を軽々とこなしている)。
越もまた、そんな流れに翻弄された選手だ。
日本では誰も本格的にやったことのなかったスケルトンという競技に取り組み、国際大会を転戦する中で、越は自分だけの技術を磨いてきた。力のロスが少ない精密なコース取りによって、身体能力に勝る西洋人たちに互して戦ってきた。越が滑るコースは「コシ・ライン」と呼ばれ、スケルトンの世界では名高かったという。
だが、近年のスケルトンの世界では、そういう細かい技術よりも、パワーとスピードで押し切るタイプの選手が上位を占めるようになってきた。
磨き上げた精妙な技術を無にしてしまうような大きな変化に、越はそれでも対応しようとした。苦手だったスタートダッシュを向上させるため、片手でソリを掴むスタートに取り組み、トレーニングコーチをつけてダッシュ力を鍛えた。実際に、4年前よりもスタートは向上している。
1本目が終わった時には、まだ僅差で銅メダルのチャンスは残っていた。2本目のスタートタイムは1本目を上回る。しかし、滑走しはじめて早々のカーブで壁に接触してスピードを失い、チャンスは潰えた。越はこのミスで「すべてが終わった」と話している。だが、銀メダルを獲得したジェフ・ペインの2本目の滑りは、蛇行するわ壁にはぶつかるわ危うく転倒しそうになるわ、荒々しいことこの上ない。それでも越より1秒以上も速いのだから嫌になる。そんな大男たちに、彼は、たったひとつのミスさえ許されない精密なコントロールによって立ち向かってきたのだ。そして、及ばなかった。
40歳を過ぎてなお、時代の流れと肉体の衰えに抗って、再び五輪の舞台にたどりつき、わずかなメダルへの可能性に賭けた結果の11位。それ自体がひとつの勲章だ。越自身は失望しているかも知れないけれど。
ボブスレー選手としての自分に見切りをつけて、たったひとりでスケルトンに取り組み、勤務先から見捨てられ失業手当で食いつなぎながら、自力でスポンサーを募って、五輪への道を切り開いてきた越の歩みは、東京新聞記者の佐藤次郎が書いた『孤闘』(新潮社)に詳しい。迂闊に電車で読むと恥ずかしいことになるので要注意。
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コメント
「コシ・ライン」とまで呼ばれるライン取りの巧みさをはじめ、そりの操縦技術で勝負する越選手と、組み立て式のそりを開発し、コンディションに合わせたそりをレースに応用することを可能にした仁儀氏の技術。まさに匠の技をもって氷の壁やパワフルな外国勢に挑むこの二人のタッグは、ものづくりにかける日本の町工場のおやじたちが、世界市場に殴りこむ姿を連想させます。
トリノを前に、パワーの壁に阻まれた越選手は随分と悩んだようですね。でも、結局はカナダ製のそりを捨て、スタートダッシュを除いては、自らの技術にかける本来の方向に戻ってきたように感じられました。
今回の敗北が、スタートダッシュの失敗ではなく操縦ミスが原因と自ら分析する限り、越選手はまだ諦めることなく限りなくスケルトンを続けていく予感がします。
投稿: 考える木 | 2006/02/21 21:04
世界の主流とは異なる「コシ流」のアプローチで、世界にどこまで挑むことが出来るか。
これは、パワーの壁に阻まれている全てのスポーツ選手はもとより、転職で新天地を見出そうとする人にとって見本になるかもしれませんね。
自分の仕事でもいえるのですが、「その道一筋」の面々と並び、さらに優位に立つには、彼らのやり方を参考にしながらも「違う発想」でアプローチする必要があります。
それこそすなわち、転職前の業種における、自分だけが持っている「経験」だと思うのです。
投稿: はたやん | 2006/02/21 21:43
>考える木さん
>今回の敗北が、スタートダッシュの失敗ではなく操縦ミスが原因と自ら分析する限り、越選手はまだ諦めることなく限りなくスケルトンを続けていく予感がします。
スポナビの記事などを読むと、彼の落胆の深さは尋常ではなく、私などは期待をかけること自体がためらわれるほどです。確かに、やり残したことは多いようではありますが…。
>はたやんさん
そういうものですか。私にはよくわかりませんのでコメントは控えます。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/22 09:04
誤解されたかもしれませんが、うちひしがれた越選手を鞭打つような期待をかけることは、いかに酷薄な私でも、さすがに申し訳なくてできません。
越選手を取り巻く競技環境や体力の衰えを考えると、これが最後のオリンピックだと覚悟を決めての出場だったと思います。体力負けならば、彼は納得して競技を去ったかも知れませんが、最も自信のある操縦をミスしての敗北……。競技を断念せざるを得ないような状況の中で、「何とかなったのでは」という思いが、おそらく今の彼を苦しめているのではないでしょうか。絶対的に自信のあることで失敗した際、私自身の場合は、たとえそれが傷口を広げると分かっていても、すごく尾を引いてしまうものですから……。
続けられるものならば、もう1シーズンでも続けたい、納得した形で終わりたい、というのが越選手の偽らざる心境なのではないかと勝手に想像した訳ですが、このような見物人の身勝手な想像が、さらに彼を苦しめるとしたら、やっぱり大変申し訳ないことなのでしょうね。
投稿: 考える木 | 2006/02/22 23:44
>考える木さん
いやいや、失礼しました。当方も言葉足らずで。というより、この件に関しては考えがまとまりません。まとめたくないような思いもあるようです。
>「何とかなったのでは」という思いが、おそらく今の彼を苦しめているのではないでしょうか。
確かにその通りだと思います。もっとできるはずなのに、できなかったからこそ納得できていない。越選手にとっては、まさに「尾を引いている」という状態なのではないかと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/23 10:45
結果がどうあれ、越選手の活躍によりスケルトンの知名度がアップしました。
リュージュでも危険だと思うのですが、足から滑るリュージュに対し、スケルトンは「頭から突っ込む」競技です。
とっさの対応が取れなければ、「頭から激突」です。そんな姿勢で滑るだけでも、相当な勇気がいるのではないでしょうか。
メディアの報道に対し、結果だけではなく、そういう競技に挑戦し続けることを評価できないものかと思います。
投稿: はたやん | 2006/02/23 18:45
>はたやんさん
> メディアの報道に対し、結果だけではなく、そういう競技に挑戦し続けることを評価できないものかと思います。
されていると思いますよ。
「結果だけ」で見られているのなら、過去2年間の国際大会で低迷を続けた越選手がメディアに登場する機会はほとんどなかったはずです。
あと、リュージュとの比較でいえば、人間の身体のなかで頭というのはかなり重いので、この部位が常に下にあるカーリングの方が、実は安定はよいのだそうです。リュージュでは重心が上にあるので、バランスを崩すと反転してしまい大事故につながりやすいのだとか。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/23 21:30
いずれも馴染みの無い競技だけに、素人の私の感覚としては奥が深そうです。
>リュージュの反転
恐ろしいですね・・・
投稿: はたやん | 2006/02/23 23:08