今週発売の週刊ベースボール2.13/20号の連載コラム「オレが許さん!」で豊田泰光が野村克也楽天監督を批判している。このところ、野村克也の言動に呆れる機会が何度かあったのだが、このblogで触れそびれていたのを思い出した。いい機会だから、まとめて書いておく。
豊田が批判していたのは、この発言だ。
ノムさん 石井一に報復予告 「ぶつけてやるから打席に入ってこい」
楽天・野村克也監督(70)が19日、ヤクルト復帰を決意した前メッツ・石井一久投手(32)へ報復予告した。楽天は同投手の獲得を目指して交渉してきたがこの日、野村監督のもとへ石井本人から断りの電話があったことを明かし、「年俸つり上げに利用しやがって」と大激怒。「交流戦ではぶつけてやる」と宣言した。(後略)(スポーツ報知 2006.1.20付)
この記事に紹介された野村のコメントを抜き出してみる。
「(楽天は)無駄な努力をした。予想通りの展開やな。あいつらはホモみたいな関係だからな」
「(年俸提示が)一番低いのがヤクルトだった。年俸つり上げに(楽天を)利用しやがって」
「交流戦が楽しみ? ぶつけろーっ。当ててやるから打席に入って来い」
他紙にもほぼ同様の記事が載っていたから、野村は記者会見でこの通りのことを話したのだろう。
豊田は上記のコラムの中で「悪態の品のなさに寒気がしましたよ。どうして他人様に向かってこんなことが言えるの。」とたしなめている。同感だ。この暴言を相手にしなかった石井の方がよほど大人である(笑)。
ネット上には掲載されていないが、この日の報知の紙面には、野村の過去の言動も紹介されていた。
私がよく憶えているのは、ダイエーのサイン盗みが問題になっていた98年秋に、「ヤクルトからトレードで来た人が“やっている”って言っている」と話した佐々木主浩投手(当時横浜)を非難したことだ。当時の報知によれば、野村はこう話したことになっている。
「若い人があれだけチヤホヤされると調子に乗るんでしょうな。人の噂を信じてああいうことを言う。野球バカもいいところだ」
「軽率以前の問題。非常識極まります」
「ユニホームを脱いだら、ただの大男のバカだよ」
(スポーツ報知 1998.12.5付)
こちらは記者相手ではなく、一般向けの講演会での談話を記録して記事にしたものらしい。クローズドではあるが、公の場には違いない。
佐々木は発言後すぐに球団に叱られたらしく、すぐ撤回して謝罪を表明している。野村もそれを知っているはずだが、にもかかわらず徹底的に非難している(むしろ相手が白旗を掲げたから、余計に居丈高になっているという可能性もある)。
ここまで言うからには、野村自身はさぞ品行方正で何らやましいところがないのだろう、と思うのが人情だろう。そう信じてしまった人には、ぜひ読んでいただきたい本がある。
朝日文庫から刊行されている『野球はアタマでやるもんだ』は初版1985年。1980年に現役を引退した野村が、評論家として週刊朝日に連載したコラムをまとめた本から、さらに抜粋して再構成されたものだ。
この中に、サイン盗みに関する記述がある。
「スパイ作戦で名を馳せたのは阪急である。」
と、西本監督時代の阪急ブレーブスが外野スタンドから捕手のサインを解読して打者に伝えた手法を説明した後で、こう書いている。
「何を隠そう、私自身もスパイ作戦の陣頭指揮をとったことがある。」
考え抜いた配球が盗まれていたのが悔しくて、目には目を、と思ったのだそうだ。打者のユニホームの内側に受信装置をつけて盗んだサインを知らせる機器まで開発したが結局は失敗に終わった、と笑い話のように記した後で、こうも書いている。
「私はスパイ作戦にはしてやられる場合のほうが多かったわけだが、ルールに反することではないし、スパイを責めようとは思わない」
本書の刊行から13年の間に、ずいぶんと考えが変わったらしい。
本書の中には、阪急の盗塁王・福本豊の足にてこずったエピソードも書かれている。何をやっても封じることができない野村捕手兼監督は、最後にこんなことを思いついたという。
「あの足を封じるのは、福本を休ませるしかない。それにはぶつけるしか手がなかろうというので、実際にやってみた。といっても、打席に立っているときにわざとボールをぶつけるのは穏やかではない。こちらのバッターが仕返しをされる恐れもあるというので、ランナーに出た福本にボールをぶつけることにした」
で、福本が二塁走者の時に実際にやってみたが、身を躱されただけだったという。
これも笑い話のように書いているが、「福本を休ませる」というのは、ケガをさせるということだ。同じ野球人を、実力では押さえられないというだけの理由で傷つけようとしたことを、笑い話や自慢話のように本に書くという神経が私には理解できない。
こうなると、冒頭の記事にある「当ててやるから打席に入ってこい」という言葉も、冗談や誇張ではなく本気である可能性がある。自分のものにならないなら壊してしまえ、と生身の投手に対して、この人は本気で思っているらしい。
25日には監督会議に出席して、ここでも奇妙な演説をぶっている。
楽天野村監督、熱弁20分通じず
ノムさん独演会も結果は…。12球団監督会議および実行委員会が25日、都内ホテルで行われ、5年ぶりにプロ野球に復帰した楽天野村克也監督(70)が11監督を前に「ノムラの考え」を披露した。予告先発などパ・リーグ独自のルール改正を求めて約20分間、持論を展開。パ5球団は受け入れなかった。(後略)(日刊スポーツ 2003.1.16付)
彼はこんな話をしたそうだ。
「予告先発は監督が楽なだけ。野球は知識、情報を駆使した9割が読み。しかも8割が投手。そういう能力がなくなるから、人材も育たない。野球の本質を見失わないでほしいと、切に願います」
他球団の監督からは質問も意見も出なかったそうだが、そりゃそうだろう。相手の先発投手を予測することが野球の本質だと言われても、答えようがないに違いない。
まあ、ここまでなら滑稽な独り相撲とか勇み足とかで済むのだが、会議の後の囲み取材で口走ったという次の発言はいただけない。
「予告先発で客が入ると言うが、(西武の)松坂がきょう投げるか、あす投げるか分からないから、2日とも球場に行こうになるかもしれないじゃないか」
(週刊ベースボール同号から)
「2日引っ張れる」という表現を使っていたスポーツ紙もあった。客として言っておくが、今どきの客はそんな小細工で引っ張られたりはしない。「2日とも」どころか、客を騙すような見世物に金を払うのはやめてしまうのが多数派、という可能性も大いにある。そういえば数週前の「オレが許さん!」で、豊田は野村のことを「試合時間を長くした張本人」と書いていた。この監督は、観客の都合など一切考える気はないらしい。
私は野球の本質が何であるかは知らないが、プロ野球の本質なら知っている。見世物だ。プロである以上、観客を喜ばせることが彼らの最大のミッションだ。
喜ばせる方法については、それぞれの考えがあるだろう。何も全員がボビー・バレンタインのようなショーマンシップを備える必要はない。だが、客を騙せば儲かると言わんばかりの舐めた口を聞くような監督は願い下げだ。
彼が昨秋刊行した『野村ノート』(小学館)は、よく売れているらしい。開いてみると、とにかく説教臭いことに閉口する。今の選手には感謝の心が足りないだの、教育こそ監督の使命だの、指揮官の仕事は人づくりだのと延々と並べ立てたあげくに、最終章の見出しは「人間学のない者に指導者の資格なし」とくる。
で、具体的な内容といえば、古田はあんなに教えてやったのに年賀状のひとつも寄越さない、とかいう話だったりするのだからみみっちい。
このエントリの冒頭から、太字で記された彼の発言を読み返していただけば、この人物が「人間学」だの「教育」だのを云々することが、いかに滑稽なことだかお判りいただけるだろう。
にもかかわらず、この『野村ノート』は非常に面白い。珍妙な説教や講話めいた記述は我慢するか読み飛ばすかして、技術論だけを読んでいれば、感銘を受ける部分はたくさんある。
野村は本書の中でしばしば箇条書きを用いる。打者に共通のテーマ、打者のタイプ、多くの打者に共通する苦手ゾーン、etc.…。それらは必ずしも系統だってはおらず、分類としてはプロポーションが悪く感じられるものもある。
にもかかわらず、それらの分類は強い説得力を感じさせる。捕手として、監督として、数えきれないほど多くの打者と対戦してきた経験から割り出された法則だから、実際の現場でも役に立つのだろう。彼の下で投げていた投手が各球団で投手コーチを務めている、と本書の中でも自慢しているが、おそらくその通りに、彼らがコーチ業をする上で、野村に教わったことは役立っているのだろうと思う。
要するに、人格はともかく、リードや作戦における技術者としての野村が超一級品であることは疑うべくもない。技術者に徹した方が、よほど周囲から尊敬を受けることができるのではないかと思うし、選手たちもついてくるのではないか。人間学だの感謝の心だのと似合わない講釈を垂れるのはやめた方がいい。ヒールに徹してくれれば、パ・リーグは確実に盛り上がる(スポーツ紙は明らかにそれを狙っているのだろう。本人が狙っているのかどうかは、よくわからない)。
だいたい、今年、主に対戦する5人の監督のうち、2人はアメリカ人だ。いくら説教めいた嫌味を言ったところで、どうせ通じないのだから。
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