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ヴァランダー警部の憂鬱。

 ストックホルム警視庁のマルティン・ベック警視を主人公にした警察小説シリーズを愛読していた時期がある。中学から高校生の頃だったと思う。
 スウェーデン人のマイ・シューヴァルとペール・ヴァールー夫妻によって1966年から年1冊づつ、10年間にわたって書き続けられたシリーズは、ミステリーであると同時にスウェーデン現代史を活写した大河小説でもあった。
人々を押し潰す管理社会、都市開発によってもたらされる人心の荒廃、未来を模索し彷徨う若者たち。社会問題と密接にかかわる事件に次から次へと直面するベックとその仲間たちは、社会に満ちた矛盾と、秩序を維持する自らの仕事との相克に鬱々と悩みながらも、目の前の事件に立ち向かう。ただし、巻を追うごとに、ベックの心の中では「立ち向かう」よりも「鬱々」の比重が増大していった。

 現在、創元推理文庫から年1冊のペースで刊行されているスウェーデンの小説家ヘニング・マンケルの主人公ヴァランダー警部は、そんなベック警視を彷彿とさせる。
『殺人者の顔』『リガの犬たち』『白い雌ライオン』ときて、昨秋には第4作『笑う男』が刊行された。原著は91年から年1冊づつ書かれ、9作で中断している。そんな刊行形式からしてベックを踏襲しているし、問題意識のありようも似ている。オマージュと呼んでもいいかも知れない。

 ただし、主人公クルト・ヴァランダーが抱く屈折は、先輩のベックよりもさらに深いように感じられる。
 鬱々としてはいても、ベックは首都ストックホルムの警視庁のスター警官で、刑事部門のトップ近くにまで出世した大幹部だ。仕事に理解のない妻とは別れたが、旅行者が憧れる旧市街ガムラスタンのアパートに住み、若く美しい恋人と一緒に暮らしている。別の美女が自分から部屋を訪ねてきてベッドシーンを演じる巻もある。内面はともかく、仕事も私生活も、まずは充実しているといって差し支えない(こうやって紹介すると、まるで島耕作のようだ。風貌も似ていそうな気がする。ベックは女性を踏み台にのし上がったわけではないけれど)。

 一方のヴァランダーは、スウェーデン最南部の農業地帯、スコーネ地方にある港町イースタに住む、風采の上がらない警官に過ぎない。スコーネ地方で生まれ育ち、イースタを出ることもなく、たぶん今後も出世するとは思えない。大した事件も起こらないはずの田舎町の小さな警察署の、ぱっとしない中間管理職である。
妻には逃げられ、別宅で一人暮らししている実父とも、ストックホルムで暮らしている一人娘とも、それぞれ折り合いがよろしくない。ベックと違い、女性にももてない。別れた妻には未練たらたらだし、第1作『殺人者の顔』では新任の女検事(しかも人妻)にいきなり惚れて、いきなり口説こうとし、すぐに振られる。
 ベックには親友と言える同僚や、頼りになる仲間たちがいるが、ヴァランダーには今のところそれもいない(第1作で相談相手になってくれた鑑識官は、すぐに病気で亡くなってしまう。他の同僚たちや再会した旧友は、巻を追うごとに少しづつ存在感を増しているが、今のところベック一家の面々ほど魅力的だったり有能だったりするわけではない)。

 人も設備も金もない警察署の署員にとっては理不尽なまでに、孤独な中年男ヴァランダーは、次から次へと難事件に遭遇する。
スウェーデンは世界に冠たる福祉国家であり、移民にも寛大な国だ。その仕組みは、海外の犯罪者にとってはきわめて利用しやすい環境として描かれる。ましてヴァランダーがいるイースタはスカンジナビア半島の最南端、つまりヨーロッパに近い港町だ。人目につかない海岸線が延々と続く土地でもある。ドイツから、バルト三国から、アフリカから、ヴァランダーを悩ませる問題は、大抵は海外からやってくる。最新作『笑う男』で対峙する相手はスウェーデン人だけれども、逆に軽々と国境を越えて動き回り、なかなか尻尾をつかませてはくれない。

 そんな国際犯罪に立ち向かうには、田舎の一警官はいかにも無力だ。しかも私生活も安定していない。難事件の最中に父親が職場に電話をかけてきて「なぜ今朝は来なかったのだ」などと説教を始めたりする。
 そんなうんざりするような苦境の中で、自分は時代に取り残されているとか何とか頭の中では愚痴ばかり繰り返しながら、しかしヴァランダーは事件に立ち向かうことをやめようとはしない。やめようとしないどころか、しばしば警察官としての範を大きく越えて事件に関わってしまう。『リガの犬たち』ではリガからやってきた警官の変死をきっかけにラトビアの反政府組織に関わって密かに法を冒すことになり、『白い雌ライオン』では管内での殺人事件を捜査しているうちに、気がつくと南アフリカの殺し屋と奇妙な関わりを持つことになる。
 内なるルールに忠実であろうとすればするほど、現実の警察の職務や組織から逸脱してしまう。銃撃戦やカーチェイスが描かれることもあるが、ヴァランダーはそういうことに慣れていないし、上手くもない。時にはプロの殺人者である相手に追い回されながら、なりふり構わず懸命に知恵を絞って、必死の反撃を試みる。

 分厚いうえに地味な話ばかりのヴァランダーの物語に私が惹かれるのは、たぶん、彼のそんな倫理観なのだろう。決してタフガイではなく、職務を逸脱する決意を固めた端から後悔したり、びびったりしてばかりいるけれど、なぜそうするのか自分でもわからないままに、それでも、「やらなきゃいけないものは仕方ないじゃないか」という確信に背中を押されて、ヴァランダーは茨の道を進み続ける。あたかも現代スウェーデン社会の罪を1人で引き受ける殉教者ででもあるかのように。

 小説を読んでいるとまったくピンと来ないのだが、この作品の舞台となっている町イースタは、ちょっとした観光地でもある。夏のバカンスシーズンには海を越えてドイツやデンマークの人々がバカンスに訪れる。石畳の街並みや古い教会は、いかにも女性に好まれそうな風景だ。スコーネ地方自体も、広々とした丘陵に麦の穂がそよぐ見晴らしのよい土地で、春から夏のドライブには快適そのものといってよい(冬はとても寒いらしいが)。鬱々とした小説にはまるで似合わない風光明媚な土地だ。
だが、強い光は濃い影を作り出す。イースタの明るさは、ヴァランダーの孤独感をより一層強めることになっているのかも知れない。

 そういえばマルティン・ベックの地元ストックホルムも、およそ裏通りらしきものが見あたらない、清潔そのものの美しい都市だ。だが、目に見える場所から汚いものを排除しようとすれば、それは見えない場所に潜み、より手に負えなくなっていく。猥雑きわまりない東京で暮らす東洋人の目に、北欧の美しい計画都市は、そんなふうに映らなくもない。

 シリーズの長編の未訳分は、まだ5冊残っている(短編やスピンオフ小説もあるらしい)。早く次が読みたいと思う反面、こういう作品は年に1冊くらいでちょうどいい、という気もする。

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コメント

「マルティン・ベック」シリーズを探しに行きましたら第1作の「ロゼアンナ」がないんですよねぇ。それで、なぜか87分署シリーズの「警官嫌い」むを買ってきてしまいました。横山秀夫が良かったので、ちょっと海外の警察小説にも出かけてみようかと思いまして。

投稿: 馬場伸一 | 2006/02/14 18:27

>馬場伸一さん
私は87分署シリーズは読んでないんですが、シューヴァル&ヴァールー夫妻は、この影響を受けてマルティン・ベックを書き始めたらしいです。系統樹に沿って読んでいくのも一興かも知れません。
横山秀夫作品は、事件捜査の面白さもさることながら、組織人の心理の昏いところを執拗にいたぶってくるところは、松本清張に通じるものがあるかな、と思います。面白いんだけど、しんどい(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/14 19:09

>面白いんだけど、しんどい(笑)。
まったく同感です。私も組織人の端くれですから「うえっぷ」と思うときもあります。ただ、非常に抑圧的な「組織」からギシギシ圧迫されながらも「個人」がキラリと光る一瞬があり、実はそれが楽しみで読んでいます。組織vs個人の相克というあたりが、私にとっての警察小説の醍醐味なので、ミステリの部分は割とどうでもいいという、いささか邪道な読者であります(笑)。

投稿: 馬場伸一 | 2006/02/15 12:14

>馬場伸一さん
それなら、マルティン・ベックは趣味に合うと思いますよ。たぶんヴァランダーも。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/16 09:22

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